【元ネタ】史実
【CLASS】
ライダー
【マスター】
【真名】ステファン・バートリー
【性別】男性
【身長・体重】182cm・91kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B+ 魔力A- 幸運C 宝具B+
【クラス別スキル】
対魔力:A
竜の混血であるが故の高い対魔力。
ライダーが使用したバートリ家の「紅い牙を象った盾状の紋章」に由来する。
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師ではライダーに傷をつけられない。
騎乗:B
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。
【固有スキル】
戦略:B
外交や兵站など大局的に物事をとらえ、戦う前に勝利を決する力。
政敵との軍事同盟を結び、自国の軍事力を強化し周辺諸国との戦争に臨んだという。
為政:A
状況の統治、運営に際しての手腕。戦場に於ける“
カリスマ”ではなく、国内に於ける“支持率”。
選挙王と称され活気的な外交の手腕を発揮した事から本スキルを有する。
煽動、話術、交渉術と言ったスキルを内包し、鼓舞や戦意高揚とは真逆の“秩序”を広げる治世スキルとなる。
血脈励起:A-
生前のライダーが無意識に行っていた
自己暗示の一種。
サーヴァントとして現界するにあたっては、竜の混血としての力を一時的に増幅させるスキルとして定義されている。
ライダーの場合、脳の機能(スペック)が竜種に近づくことで限定的な未来視や思考の高速化を可能とするが、
乱用すれば竜の血が色濃くなることで脳や神経に異常を来し、
生前の死因であると目される癲癇発作に似た症状を引き起こす。
【宝具】
『曙天飛翔す竜翼の騎兵(フサリア・ヴェレトゥトレン)』
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:500人
ライダーが祖国トランシルヴァニア公国よりポーランドに導入した、彼の権威を象徴する騎兵隊。
兵たちの武装・機動力・練度の全てにおいて当時の最高峰を誇る勇壮な軍勢だが、
それでもその戦力は神話の英雄や怪物が誇る超常の武威に“基本的には“及ばない。
──その真価は少数にて多勢を屠る“一騎当千“の概念の顕現。
敵勢が自軍を上回る物量を誇る程に騎兵たちの強さは増大し、敵軍の威勢を瞬く間に打ち消し削り取っていく。
一騎当千の効果が適用される対象は物理的な軍勢に限らず、
敵が大規模な範囲攻撃などを仕掛けてきても同様に特攻効果を発揮する。
【Weapon】
『祝福された剣(ストッコ・ポンティフィシオ)』
キリスト教世界の擁護を称えて教皇からカトリックの君主に贈られる、聖別された剣。
ライダーの剣は教皇グレゴリウス13世から授与されたもの。
教皇の聖言に匹敵する奇蹟であり、異教徒や異端、そして吸血種に対して絶大な効果を持つ。
彼の姪が後の世の「女吸血鬼」、そのモデルとなったのはなんとも皮肉な話である。
【キーワード】
『フサリア』
ステファンが祖国トランシルヴァニア公国からポーランドに持ち込んだとされる騎兵の形式。
同様に東ヨーロッパ発祥の騎兵であるユサールが甲冑を脱ぎ捨て軽騎兵となったのに対し
フサリアは贅の限りを尽した装飾と金属の甲冑、そして最大の特徴である巨大な鳥の羽飾りを背負い
「コピア」と言われる長大な槍や超長剣「コンツェシュ」、攻撃用メイス「ブズディガン」
や戦斧、小弓、ピストルといった多彩な武装を装備した衝撃重騎兵軍団として発展した。
またフサリアの騎乗する馬にはヨーロッパの他の乗用馬に比して体格が大きめで高速で走る高価なアラブ馬が使用された。
特筆すべきは圧倒的少数で大軍を打ち負かすことと、自軍兵の損害の少なさにあり
ある戦争では2600騎のフサリアが敵軍の全兵科からなる3万6000以上の大軍に突撃し
これを撃滅したが、ポーランド側の戦死者が100~200人だったのに対して
敵軍の戦死者は6000~9000人と見積もられている。
圧倒的な実力を誇ったフサリアだったが度重なる戦乱と財政問題から、装備と錬度を維持
することができなくなり、軽騎兵に取って代わられた。
【解説】
16世紀のトランシルヴァニア公。バートリ・イシュトヴァーン9世とも。
後にポーランド王アンナ・ヤギェロンカと結婚し、共同統治者として彼女と同様の地位を獲得した。
ハンガリーの名家バートリ家の出身で「血の伯爵夫人」
エリザベート・バートリーは彼の姪にあたる。
バートリ家の近親者にはエリザベートをはじめ狂気と残忍さに彩られた者も少なくはないが
彼自身は確かな外交・内政の手腕から最も優れた選挙王と多くの歴史家に評価されている。
ポーランド王位についた当初は自身の王位を主張する神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世との
対立や密かに皇帝から援助を受けた国内勢力の軍事的抵抗によって危機に立たされるも
野戦において勝利し、これと和解。この勝利を機に国王としての権威を高める。
王権強化に際してステファンは当時の実力者であった貴族のヤン・ザモイスキと協力し
課税強化により潤った王室財産を貴族に貸し出し味方につけ、軍事面では半常備軍の
歩兵部隊を設置し、登録コサック制度や有翼驃騎兵(フサリア)の本格的な導入を行い
さらに裁判所の組織など司法分野の改革などといった政策を取り仕切った。
対外関係では長くに渡り敵対関係にあったマクシミリアン2世の後継者である
ルドルフ2世と
軍事同盟を結び、オスマン帝国との紛争も和平調停により一時休戦するなど
力ずくの解決だけでなく同盟関係の構築による和平政策を模索した。
また雷帝イヴァン4世率いるモスクワ大公国とのモスクワ・リトアニア戦争の最終局面である
リヴォニア戦争においては勝利を決定づけた遠征を自ら直接指揮した。
その後、国境防衛のためにオスマン帝国を仮想敵としたポーランド・リトアニア・モスクワ
合同の成立を計画するも、ステファンがフロドナ古城で急死し、計画は立ち消えとなった。
癇癪による突然死であるとされ、遺体は東欧で初めての検視解剖を受けた遺体となった。
最終更新:2025年10月26日 06:24