森岡良介

プロフィール


  • 選手名 - 森岡 良介(もりおか りょうすけ)
  • 背番号 - 中日時代 8(03年)→45(04年~08年) ヤクルト時代 68(09年~)
  • 出身地 - 大阪府大阪市
  • 身長/体重 - 174㎝/70㎏
  • 投打 - 右投左打
  • 球歴 - 明徳義塾高-中日(02年ドラフト1巡)-東京ヤクルト
  • 顔文字 - @(・∀・)@(中日時代)
  • 実況板でのあだ名 - 岡子
  • 関連用語 -

アマ時代~中日時代


  • 中学2年時に98年夏の甲子園準決勝で行われた名勝負「明徳義塾vs横浜」をスタンドで観戦し、明徳入学を決意。試合内容に関してはリンク先を参照
  • 明徳義塾高では1年からレギュラーで出場し、田辺佑介(トヨタ自動車)・筧裕次郎(近鉄→オリックス)のバッテリーを擁して甲子園に夏3回、春1回出場。
  • 1年夏の甲子園1回戦では2年生エースの梶本勇介・3番畠山和洋擁する専大北上と対戦し、3対0で勝利。2回戦で2年生エースの朝井秀樹(近鉄→楽天→巨人)・加藤領健(ソフトバンク)のバッテリーに今江敏晃(ロッテ)・中尾敏浩・桜井広大(阪神)・小斉祐輔(ソフトバンク→楽天)が揃ったPL学園に4対9で敗退。
  • 2年夏の甲子園は2回戦で敗退。3年で主将となり、春のセンバツ1回戦で吉見一起(中日)がエースの金光大阪と対戦。7対4で勝利したが、準々決勝で敗退。
  • 3年夏は1回戦で長谷川勇也(ソフトバンク)・小林賢司(オリックス)の坂田南、2回戦で青森山田、3回戦で横川史学(楽天)・坂克彦(近鉄→楽天→阪神)・大崎雄太朗(西武)が揃う常総学院を倒しベスト8進出。準々決勝で西村健太朗(巨人)・白濱裕太(広島)のバッテリー擁する広陵に勝利し、準決勝で川之江の鎌倉健(日本ハム)を滅多打ちにして決勝進出。決勝戦で智弁和歌山を降し、同校の甲子園初優勝に導いた。
  • この年のドラフトでは西岡剛(ロッテ→ツインズ)・長田昌浩(巨人→オリックス)・尾崎匡哉(日本ハム)と共にショートの有望株として注目され、立浪2世との期待を受けた中日に1巡指名で入団した。

中日時代


  • 03年、プロ初打席で二塁打を放ち、8月には初スタメンを経験と順調なスタートを切る。
  • 04年、フレッシュオールスター出場・ファーム日本選手権優勝とチームの中心として活躍し、ウエスタン優秀選手に選出。05年にも8月度ファーム月間MVPに選出。しかし中日には荒木・井端の日本一の二遊間がいた為になかなか1軍定着出来ない日々が続く。
  • 07年、4月22日のヤクルト戦で館山から代打でプロ初ホームラン。ファームでは打撃3部門でチームトップの成績を残し、ウエスタン最高出塁率を記録。浮上のきっかけを掴んだ…様に見えた。
  • 08年、4月に起こった事件(下記参照)で謹慎を受け、その影響か前年に好調だった打撃も不振に陥り、オフに戦力外通告を受ける事になった。
  • 戦力外通告後すぐにヤクルトが獲得に興味との報道があり、第1次トライアウト受験の翌日から秋季松山キャンプに合流してヤクルト入団となった。

    20070422 森岡プロ初HR@神宮
    http://www.youtube.com/watch?v=V2-IYN1LYI8

ヤクルト時代


  • 09年、内野の控えながらプロ7年目で初の開幕1軍入りを果たす。9月8日の広島戦では前田健から移籍後初ホームランを放った。
  • 10月9日、阪神とのCS出場を賭けた最終決戦で二塁で途中出場。7回表に2対0から1点を返され、なおも二死一・二塁で鳥谷の放った二遊間を抜けそうな打球を横っ飛びで阻止。ランナーをアウトには出来ず満塁にはなったものの、同点を許さなかったこのプレーがモノを言い、ヤクルト初のCS出場に貢献した。
  • 10年、1軍ではわずか15試合の出場に留まったが、イースタンでは打率.324で首位打者を獲得。なお、翌年には雄平もイースタン首位打者を獲得した為、2年連続ヤクルトからの受賞となった。
  • 11年、1軍のスーパーサブとして帯同し、52試合出場・22安打といずれも自己最多を記録した。5月26日のオリックス戦では8番・ショートでスタメン出場し、2打数2安打と活躍。初のお立ち台を経験した。
  • ペナント最終盤にはショートレギュラーの川端が手首の故障、第2候補の川島慶荒木も手術で離脱した為、CSファーストステージの巨人戦では8番・ショートとして出場し、全ての試合でヒットを放った。特にヤクルト初のファイナルステージ進出を決めた第3戦では1対0で迎えた7回裏に山口から貴重な追加点となるタイムリーを放ち、2度目のお立ち台に上がった。この時のヒーローインタビュー(下記参照)で他球団ファンへの知名度が一気に上がり、ヤクルトファンからの人気も大いに上がった。
  • 0908 森岡1号ソロ
    http://www.youtube.com/watch?v=RnrLNg71X0s&feature=results_video&playnext=1&list=PLFABA792DFC7DA94A

CS第3戦ヒーローインタビュー


  • 前述の通り、CS第3戦で貴重な追加点となるタイムリーを放った森岡は先制ホームランの相川・7回途中まで無失点に抑えた先発の赤川と共にお立ち台に上がった。3人目として登場した森岡は持っていたお玉(普段つば九郎が装備している物)を手放してインタビュアーからマイクを奪い取ると

    ・9年目~森岡ですけど~お立ち台!2回目で~~~す!( アヘ顔
    ・(試合前の声かけでチームに笑いが起き、和やかなムードになりましたか?)いや、僕は、おしっこ漏れそうでした

と絶叫し、神宮の満員のライトスタンドを沸かせた。この試合はNHK-BSでも中継され、国営放送での下ネタがマズかったのか後のニュースではこの部分がカットされるオチがついた。このヒーローインタビューはネットでも話題となり、元いた中日ファンさえも「こんな選手だとは知らなかった」と驚愕され、某実況板ではご冥福をお祈りしますAAと完全一致と笑われた。ただし、09年ファン感謝デーで高木と共に仮装で熱唱したり、1回目のお立ち台でも絶叫していたりとヤクルツファンからは薄々と正体は知られていた。11年ファン感謝デーの神宮ベストゲームでもこの試合は取り上げられたが、森岡の部分はカットされて本人がツッコむという場面もあった。

高柳コーチ暴言事件


  • 08年4月23日のウエスタン・リーグ、中日対ソフトバンク戦で以下の様な事件が起こり、森岡は1週間の謹慎を受けた。この事件は野球ファンの間でも話題となり、コーチと選手の関係について考えさせられる一件となった。
  • 一般社会において主流である「上司が間違っている場合は当然指摘すべきだし、場合によっては逆らうのもやむなし」という認識から乖離した、時代錯誤かつ体育会系的な裁定を下した中日球団に世間は呆れ果てる。
  • 高柳に対しては本事件を象徴する「死ね」発言から「死ね柳」という蔑称が名付けられた。
    本事件も「高柳コーチ暴言事件」「高柳事件」の他に「死ね柳事件」という呼称まで存在する。

二軍高柳コーチ暴言で中日内紛劇

その事件が起こったのは23日のウエスタン・リーグ、中日対ソフトバンク戦(ナゴヤ球場)だった。
関係者によると、4回裏無死満塁のチャンスで三振に倒れて、ベンチに戻ってきた堂上剛裕外野手(22)を高柳秀樹二軍打撃コーチ(51)が激しく叱責。
「死ね!」との言葉もあったことで大騒動となったという。

その時、ベンチにいた森岡良介内野手(23)が「ボクらだって一生懸命にやっているんですよ。 それを選手に向かって“死ね!”なんてひどくないですか!」
と声を荒げ、高柳コーチは「何だと!それが目上に対して言うことか!」 。
一塁ベンチ前で、にらみ合う2人をナインが慌てて引き離し、 最悪の事態こそ免れたものの、 ファンの目の前で繰り広げられた“内乱劇”に
グラウンドもスタンドも凍りついたそうだ。

一夜明けた24日、辻発彦二軍監督(49)は練習前に二軍ナインを集めて「社会人として暴言を吐くことはあってはならないこと。これが会社ならクビだ。
上司に逆らうようなことは何があっても許されない」と訓示し、併せて森岡に対して練習参加も許されない1週間の謹慎処分を科したことを伝えた。

話は一軍にも広まっており、この処分について「高柳コーチは口が悪くて、これまでも選手を傷つけるようなことをたびたび言ってきた。
そういったことの積み重ねが今回の出来事を引き起こした」 とか「確かに、辻監督の言うことももっともだけど“死ね!”と暴言を吐いたのは高柳コーチの方。
森岡だけが処分されるのは腑に落ちない」などの声が飛び交っている。


事件後の関係者の経歴

  • 森岡は前述の通り戦力外通告を受け退団。その後の活躍は言うまでもない。
  • 高柳は落合の監督在任中(~2011)は一貫して中日コーチの地位を守り抜き、落合の監督辞任とともに契約終了。2013年オフ、落合のGM就任に伴いコーチに復帰。2017年までコーチを務め、2018年からは編成部に異動。
    2019年に契約満了で退団。2021年4月より、千葉商科大学監督に就任。
  • 「死ね」と言われた堂上は二軍でも宙ぶらりんの状態でズルズルと経過していき、2014年に戦力外通告を受け翌年に読売ジャイアンツに移籍。2017年現役を引退。

スライディングキャンセル


  • 07年4月24日の広島戦、当時中日の選手であった森岡は一塁の代走で出場。打者の英智がエンドランで空振りし捕手の倉が二塁に送球、タイミング的には完全にアウトの状況であったが、二塁へのスライディング時にブレーキをかけてカバーに入ったショートの松本高の足へのタッチを回避し、そのままグラブをまたいでベースを踏んで盗塁を成功させるという離れ業を披露した。このプレーは他にイチローしか達成していない技術である。

年度別成績


年度チーム試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打打点四死球三振盗塁打率
2003中日37121000040.286
2004中日11000000000.000
2005中日21000000000.000
2006中日1726551001260.192
2007中日119210011131.111
2008中日54000000100.000
2009東京ヤクルト35433910123140.209
通算7491111730247271.187


タイトル


  • イースタン・リーグ首位打者:1回(10年:.324)
  • ウエスタン・リーグ最高出塁率:1回(07年:.401)

代表歴


  • 日本高校選抜(02年)










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最終更新:2024年08月09日 16:35