相川亮二

プロフィール


  • 選手名 - 相川 亮二(あいかわ りょうじ)
  • 背番号 - 横浜時代 59(95年~03年)→8(04年~08年) ヤクルト時代 2(09年~)
  • 出身地 - 千葉県市川市
  • 身長/体重 - 182㎝/82㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 東京学館高-横浜(94年ドラフト5位)-東京ヤクルト
  • 顔文字 - (^亮^)
  • 実況板でのあだ名 - アイカーFA、兄様
  • 関連用語 - faniki

アマ時代~横浜時代


  • 中学時代までは投手、高校2年までは外野手としてプレーしていたが、強肩を生かす為に捕手に転向。
    甲子園出場に縁は無かったが、94年ドラフト5位で横浜に指名され入団した。
  • プロ入り後は正捕手に谷繁がいた事もあり、1軍初出場は5年目の99年8月21日のヤクルト戦と時間がかかった。
  • 02年に谷繁が中日にFA移籍した事で正捕手との期待もあったが、入れ替わりで中日から移籍の中村武が正捕手となった。
  • 04年から中村武との併用で出場機会が増加。アテネ五輪日本代表選出と着実にステップアップし、05年にはフル出場を果たして正捕手の座を射止めた。
  • 06年からは新選手会長となり、第1回WBC日本代表にも選出され、初代世界一の座に着いた。
  • 08年オフにメジャー移籍を前提としたFA宣言を行ったが、なかなか交渉がまとまらず。唯一国内で獲得オファーを出していたヤクルトが返答を待ち続け、09年1月中旬に入団が決定した。
    球団史上初のFA移籍加入選手、古田以降正捕手が固定出来なかったチーム事情から期待は高く、代表でチームメイトだった宮本からも
    「優勝は彼次第の部分もある」と入団決定前からエールを送られていた。
  • 相川は横浜では年俸がBランクであった為、FA移籍による人的補償が獲得後の話題となった。
    各スポーツ紙では高井石井弘を筆頭に鎌田野口梶本等、様々な憶測が飛び交ったが、最終的には横浜サイドの獲得希望選手がプロテクトされていたという事で、
    金銭補償6000万(前年年俸1億の60%)で片がついた。
  • その他横浜時代の経歴はLivebay Wikiの相川亮二に詳しい。

ヤクルト時代


  • 09年開幕から正捕手として活躍し、打順は主に8番。
    野球解説者からは福川川本と併用していた時期と比べ、打撃守備面で安定している相川の加入は大きいと絶賛される。
  • 9月末に左脇腹肉離れのため離脱するまで122試合に出場し、球団初のクライマックスシリーズ出場に貢献した。
  • 10年は打撃が好調で、開幕時に8番だった打順が5番まで上がった。得点圏打率.333、打点65は共にチームトップの成績。
    チーム防御率はリーグ2位の3.85で、リード面でもチームを引っ張った。

実況板では


  • 人気の高い選手の1人であり、イケメンで実績もあるのになかなか結婚しない事(実況板では「今季絶望」とかけて「婚期絶望」と茶化される)や、
    ヒーローインタビューでも反省点を口にする性格に好感を持たれる様である。
    もちろんプレー面でも球団史上初のFA移籍選手という期待に応えて打撃・守備両面でチームトップクラスの活躍を見せている事も大きな要因である。
  • 勝利時の林昌勇とのハグが話題となっており、TV中継時にカメラがその様子を映さないと「過激すぎてわざとカットされた」とネタになる。
    ヤクルトでは90年代~00年代中期にかけて古田と高津石井一の仲の良さがクローズアップされており、実況板住人も半ばそれに毒されていた事から、
    古田引退以降久々の投手と捕手の絆をダイレクトに見せられたのが原因かもしれない。

その他


  • 弟の相川寿里は「寿里」名義でファッションモデル、俳優として活躍しており、兄弟でクリスマスイベントを開催する時は多数のファンが参加している。
    しかしヤクルト移籍後は球団の意向もあるのか、ファンイベントは開催していない。
  • プロ初出場がヤクルト戦、同日の初打席が高津であり、プロ初ホームランが01年5月3日のヤクルト戦、東京学館の後輩である石井弘からの代打3ランと
    横浜時代からヤクルトと不思議な縁があった。
  • 子供の頃は横浜とヤクルトのファンで好きだった選手は屋鋪と池山。
  • 横浜時代に出場したTBS系列の正月特番「スポーツマンNo.1決定戦」ではSPIN OFF(1対1で中央に置かれた大玉を相手の陣地に押し出す競技)で古田と対戦しており、敗れている。
  • 移籍1年目の09年9月にNHKのスポーツドキュメンタリー「スポーツ大陸」で特集された。副題は「最善のリードをめざせ」
    チーム初のCS出場を目指す中での試合のリードを中心に解説されている。

年度別成績


年度チーム試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打打点四死球三振盗塁打率
1999横浜88120000010.250
2000横浜397361620075110.219
2001横浜5964715202121120.234
2002横浜731741639601128340.224
2003横浜7016516418151411501.248
2004横浜102304318016184613773.263
2005横浜1444983812920084645900.259
2006横浜119388369519063934832.245
2007横浜1233913711812123342510.302
2008横浜10130627785172221520.255
2009東京ヤクルト1224132610221154324692.247
2010東京ヤクルト12042744125172116534702.293
2011東京ヤクルト1264092410014113334620.244
2012東京ヤクルト7222019548012821330.245
通算1278384032899415085740029369510.259

タイトル


代表歴


  • アテネオリンピック日本代表(04年)
  • WBC日本代表(06年)











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最終更新:2012年11月10日 22:22