プロフィール
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選手名 - 畠山 和洋(はたけやま かずひろ)
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背番号 - 33(01年~)
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出身地 - 岩手県花巻市
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身長/体重 - 180㎝/96㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 専大北上高-ヤクルト/東京ヤクルト(00年ドラフト5位)
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顔文字 - (  ̄・・ ̄)
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実況板でのあだ名 - ハタケ、帝王
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関連用語 - 2000年ネタドラフト
入団前
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中学3年時、甲子園岩手県予選決勝の専大北上高対花巻東高で勝った方へ進学しようと考る。その結果、甲子園に進出した専大北上高へ行く事になった。
-専大北上高では父もピッチャーでセンバツに出場しており、畠山が入部した年のエースが畠山の兄。さらに外野手レギュラーが従兄弟だった。
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1年夏から5番サードのレギュラーを獲得し、甲子園に出場するも1回戦で再試合の末敗れる。3年夏にも出場したが、森岡(中日)擁する明徳義塾高に1回戦で敗れている。
また、畠山が3年時に、チームのエースで4番だったのが1年後輩の梶本であった。
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00年にヤクルトに入団。
ヤクルト時代
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ヤクルトに入団後は主にファームのサードとして活躍。
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1年目にファームで11ホーマを放ちイースタン新人王を獲得。2年目の02年はファームの4番に定着すると打点、HRのイースタン二冠王になり釜山アジア大会代表にも選ばれた。
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04年終盤には1軍でプロ初安打。05年には1軍で特大のHRをかっ飛ばすなど着実に成長はしているが、1軍サードレギュラーの岩村の壁が厚く、長らく1軍定着とはならなかった。
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06年には出場機会を増やす為に春季キャンプでレフトの練習も開始。サードレギュラーの岩村がメジャー移籍した為、ついに1軍のサード獲得なるかと思われていたが、
ライトのポジションをガイエルに奪われた宮出がサードコンバートとなり、またもやお預けとなった。
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07年においてはたびたび一軍公式戦出場を果たすものの、交流戦におけるお粗末な守備が目立ち、結局はファーム落ちに。武内とともに「戸田の帝王」の称号をほしいままとする。
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08年は川島慶三の加入など、さまざまな事情により2軍スタートとなったが、リグスの不調などもあり出場機会が増えた。
しかし守備・走塁に関しては不安が残るため、しばらくレギュラー固定には至っていなかったが、08年5月18日に不調のガイエルと替わり、遂に一軍初の4番を務めた。
以来(ヤクルト内においては)最低限の仕事をこなせる打者として信頼を高め、「12球団一年俸の安い(推定900万円)4番」を張り続けた。
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09年は新外国人のデントナが加入した為、出場機会は減少した。
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11年以降は中軸に定着している。12年にはゴールデングラブ賞を獲得した。
その他
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入団当初、池山に「将来期待できる打者だが練習嫌いを何とかしないと」とコメントされた。
その後改善されたらしい。
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ヤクルトにおいては珍しい「見た目からして大砲タイプ」という体型であるため、「広澤(現阪神打撃コーチ)以来の和製大砲」としての期待も高かったが、
伸び悩み感も否めない状態が続いたため、「出場機会に恵まれていないため」と感じる人も多く、いわゆるネット界隈での「首脳陣叩き」の材料として用いられやすかった。
「畠山のためなら最下位・一年捨てても良い」とか「畠山の性格は(首脳陣に)嫌われている」、「このままでは腐る」
などといった(どちらかといえば感情的な)意見が出ては、スタンスの違うファン同士で激論になっていたものである。
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高田監督時代の畠山の打撃スタイルには、引っ張りを捨てて右打ちを狙う傾向があった。
スタイルを変えて出場機会を得たのは事実であるが、ヤクルツに長打を打てる選手が不足しているという現状から
大砲として成長することを期待していたファンには物足りない面があったようだ。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2001 | ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2002 | ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2003 | ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2004 | ヤクルト | 4 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .125 |
2005 | ヤクルト | 11 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | 5 | 0 | .182 |
2006 | 東京ヤクルト | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | .000 |
2007 | 東京ヤクルト | 37 | 75 | 4 | 17 | 2 | 0 | 1 | 7 | 11 | 20 | 0 | .227 |
2008 | 東京ヤクルト | 121 | 416 | 43 | 116 | 22 | 2 | 9 | 58 | 58 | 84 | 2 | .279 |
2009 | 東京ヤクルト | 85 | 182 | 14 | 43 | 8 | 1 | 4 | 19 | 27 | 31 | 0 | .236 |
2010 | 東京ヤクルト | 93 | 243 | 38 | 73 | 17 | 1 | 14 | 57 | 33 | 38 | 0 | .300 |
2011 | 東京ヤクルト | 142 | 494 | 66 | 133 | 24 | 1 | 23 | 85 | 84 | 94 | 1 | .269 |
2012 | 東京ヤクルト | 121 | 455 | 49 | 121 | 21 | 1 | 13 | 55 | 39 | 64 | 2 | .266 |
| 通算 | 621 | 1890 | 215 | 506 | 94 | 6 | 65 | 283 | 256 | 339 | 5 | .268 |
タイトル
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三井ゴールデン・グラブ賞 一塁手部門:1回(12年)
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JA全農Go・Go賞 「最多二・三塁打賞」:1回(10年8月度)
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イースタン・リーグ最多本塁打:1回(02年:19本)
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イースタン・リーグ最多打点:1回(02年:56打点)
代表歴
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最終更新:2012年12月20日 16:28