煌めく涙はあの日に 溢れる想いはあの人へ ◆Wott.eaRjU
『――六時間経ってもまだ生きている者がいたら、そのときまたお会いするとしよう』
二回目の放送を告げる声が響く。
底辺を這い蹲る者達の酒場、イエローフラッグ内は無音に包まれていた。
しかし、人影が一人も居ないわけでもない。
乱雑に置かれた椅子に、先程食事を終えたばかりの長髪の少女が一人腰掛けていた。
目の前のテーブルには名簿や地図を開き、一本のペンを片手に、少女はなんとも形容しがたい表情を浮かべている。
悲しんでいるのか、それとも怒っているのかもわからない。
どうにも判別がつかない様子に一切の変化はな――いわけでもなかった。
「……死んじゃったんですね、お姉」
◇ ◇ ◇
只の姉妹ではない。
一卵性双生児、元々一つであった受精卵が二つに別れた事による出生。
言うなれば自分の分身ともいうべき存在。
園崎魅音――“本当の園崎詩音”は永遠に失われた事を先程の放送は意味した。
その事実は詩音にとって到底無視出来る事実ではなかった。
(これで私が本当の魅音……戻ったんですね。本当の私が、ようやく……)
悲しんでいる様子は見られない。
たとえ姉妹といえども、幼い頃名前を入れ替えた“妹”であろうとも魅音の死を聞いて涙を流す事はない。
何故なら既に切り捨てようと考えたのだから。
優先すべき存在が詩音に力を与えてくれる。
魅音よりも、いや、この世界の何よりも大事なものが詩音にはある。
それはたった一つの存在、あの夕焼けの日に自分を助けてくれた少年。
少年――北条悟史の声を聴き、そしてあの顔をもう一度見るためなら自分は何だって出来る。
その自信は崩れず、この先もきっと変わることはない。
(ええ、そうです。私にとっては都合が良くなった……その筈です。
だから、喜んでもいい筈なのに……どうして、どうしてこんなに苦しいんでしょうか……。
悟史くん以外はいらない……そう決めたのに)
だから、魅音が此処でのたれ死のうが詩音には関係はない。
それどころか魅音が死んだとなれば彼らは誤解する事だろう。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードを始め、詩音を“園崎魅音”として認識した参加者達。
魅音の名を騙って敵対した詩音は死んだものと思われ、恐らくこれ以上他者に情報が伝わる筈もない。
その事は嬉しいと思う。
当然だ。殺し合いに乗っていると知られればそれだけで他者に付け入る隙は狭くなる。
月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)やハナハナの実があるといえど必要以上の消耗は避けたい。
順調に人数が減った事も合わせ、この場での生存は以前よりも近づいていると言えるだろう。
疲労は依然として残ってはいるが五体に欠損はなく行動に支障もない。
既にお人良しな青年を手に掛け、順調な過程を進んでいる。
その認識は間違ってはいない。
しかし、どうしても出来ない。
意識が、自分の心が喜びの感情に停止を掛けている。
少なくともそれを顔に出すなと。
他の誰でもない、もう一人の自分がそう語りかけているような感覚が過った。
(……何を考えているんでしょうね。お姉のコトなんて今の私にはどうでも良い。
だけど、お姉は確かに私の姉妹だった……それは変えようのない事実です)
魅音の様々な顔が浮かび、そして消えていく。
園崎の宿命、全てが入れ替わったあの日があろうとも彼女はもう一人の自分であった。
一緒に話し、遊び、笑ったり泣き合ったした記憶が消える事はない。
たとえ自分の方が一方的に魅音を切り捨てたとしても。
確かに充実したあの思い出を――嘲る事は詩音には出来なかった。
(だから……さようならです、お姉。私から言える言葉はそれだけです。
だって、それ以上に言える資格もないのだから……お姉を捨てた私には)
よって、詩音は別れの言葉を送る。
一切の悲しみも侮蔑も乗せずに、自分だけに聞こえる言霊が漂う。
黙々と、何処かを歩き続ける詩音の表情には依然として感情の色はない。
これで終わった。そう言いたそうな詩音の瞳はただ、目の前の景色を映し出している。
きっと自分に対して後ろめたさを抱えたまま死んでしまった魅音について、この先考えることはないだろう。
少なくとも、この殺し合いに優勝し、悟史と出会うまでの間は。
全ての意識を傾けなければ生き残る事は出来ない。そう強く確信しているのだから。
そして漸く詩音は目的の地に辿り着く。
(ふぅ、この辺ですねぇ)
息を整えながら、詩音は地図を取り出し、位置の確認をする。
地図に記された湖の一つ、エリアD-6内のそれが目の前にある事がわかる。
“3つの湖に隠された力を解き放て” 。詩音を動かした、地図には記されていない3つ目の湖の存在を示した言葉。
そもそも本当に力とやらがあるとは限らず、謎を解く方法も定かではない。
所詮、眉唾の情報だ。そう思う人間は少ないはないだろうし、詩音も全てを信じたわけでもない。
しかし、もしこれが本当の話であれば――そう思えば自然と足が進んでいた。
自分でも不思議なくらいに速かった歩みにはどこか別の影響があったのだろうか。
たとえば、何か衝撃的な事実を聞き、その事について考える事を避けたのかもしれない。
良く知った、知り過ぎた人の名を聞き、どういう反応をすればいいのかと思いあぐねたのだろうか。
真実は誰にも、もしかすれば詩音にもわからないが結局、大きな問題ではない。
直ぐに辺りを見回し、何か眼につくものはないかと詩音は考える。
言うまでもなく、隠された力に近づくための手掛かりが存在するかどうかを。
(普通の湖のような気がしますけど……もう少し調べてみましょうか)
しかし、結果は芳しくはなかった。
あまり流れは速くはないが、それなりの深さはありそうな湖が広がっている。
同時に特に異変といえるようなものは見られない。
少なくとも自分の見える範囲では何も不自然なものはなかった。
詩音はそう結論づけ、再び歩を進めていく。
時間に余裕がないわけではない。別に参加者を一人でも多く殺す事が目的ではない。
優勝さえ出来れば良いだけの話であり、他の参加者達が潰し合いをしてくれるのであれば好都合だ。
もう少しの探索を決め、詩音は依然として前へ進んでいき――漸く身の異変を感じた。
「――セニョリータ」
何かが弾ける音が無数に響き、詩音はそれが何であるかを察知する。
その正体は月霊髄液が自動的に防御したためによる、鋭さを帯びた衝撃音だった。
パラパラと銃弾が零れおち、同時に聞き覚えのある声が響く。
酷く冷たく、底知れぬ恐怖を感じさせる女性の声。
「お目に掛かるのは三度目ですね。ですが――」
忘れるわけもない。
あまりにも古風なエプロンドレスが嫌でも目を引く。
腕に携えた一個の墓標、いや、バカみたいな銃器は今も詩音を狙っている。
月霊髄液により銃撃を防ぐ事は出来たが、どうやら女の方も期待はしていなかったようだ。
女の実力は既に知っている。月霊髄液とハナハナの実があれども自分一人では到底叶わないだろう。
詩音は早くも見切りをつけ、この場から立ち去る方法を考え、何か利用できるものはないかと視線を飛ばす。
そんな時、詩音は新たな異変に気付く。
それは奇しくも女が件の銃器――パニッシャーのロケットランチャーの銃口を詩音へ向けた時と同じ瞬間。
自分の方にめがけて真っ直ぐ飛来する砲弾越しに詩音は確かに視覚する。
「これで永遠にお別れです」
女は以前掛けていた眼鏡を今は掛けていなかった事に。
そして今まではその眼鏡のせいで気付けなかった、いや、わからなかっただけかもしれない。
言いようのない深みを秘めて、まるで悲しみの底をずっと見てきたかのような瞳が女の顔にあった。
その女性こそ詩音と同じくこの場での優勝を決めた参加者。
ロベルタ――十分な休憩を取り、永い間殺意の爪を研いでいた狂犬は、ただ冷酷な笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇
新たに加わった脱落者は十三人。
一回目の死者を加えれば合計二十八人の参加者が死んだ。
十二時間の間による結果と考えれば上出来と言えるのだろうか。
真実はわからない。だが、確かに言えることはあった。
少なくともこの結果に“まだ”満足していない参加者が一人居る。
その人物は傍から見れば狂っているように見えるかもしれない。
実際、彼女を言い表すには“狂犬”もしくは“狂戦士”などの言葉がお似合いだ。
パニッシャーの砲弾により、地面と詩音の月霊髄液を巻き込みながら生まれた爆風へ飛び込んだ女性。
そう、ロベルタは未だこの状況に対し何も満足はしていない
(足りません……殺しあいとやらを終わらせるには、まだ足りない……!)
地面を蹴り、煙の先の詩音を感覚で追う。
自身の目的、この殺し合いの一刻も早い終結を目指して。
但し、その結果に至るまでの過程を特に気にする事はない。
たとえ何人の人間が死のうとも、この場から抜け出せればそれでいい。
一秒でも早く、あの“クソ共”の喉笛にナイフを、脳天に銃弾を叩き込む――たったそれだけが願いだ。
よってロベルタは放送を聞き終えた後、即座に行動を起こした。
禁止エリアを避け、中心を目指した結果、湖の傍に差し掛かったのはついさっきの事。
そして銃弾を弾いた奇妙な力を見て、抱いていた疑問は確信に変わった。
間違いない。こいつは自分に園崎魅音と名乗った少女だ。
偽名を使われていたと勘付くが今となっては些細な問題でしかない
一見、何処にでもいるような少女にしか見えないが、不思議な力を使い、二度も逃がした相手。
特に詩音自身の反応を上回る速度で銃弾を弾く月霊髄液を破るには、相応の手段が必要になるだろう。
未だ完全な策は見つけてはいないが、見逃すという選択はロべルタにはなかった。
ただ一つの願望がロベルタという焚き火を燃やす薪となり、その炎の勢いに陰りはない。
(何もいらない。ただ、あの方の無念を晴らせれば……この身がどうなろうとも、知ったコトではありません……)
あの方は全てを教えてくれた。
革命を信じ、結局はコカイン畑の番犬でしかなかった自分に手を差し伸べてくれた。
共にテロ活動を行ったかつての同志を裏切り、逃げ延びるしかなかった自分を。
自分には到底不釣り合いな優しさをもって、屋敷の女中として置いてくれた。
あの方は、あの方は、あの方は――御当主様はあまりにも慈悲深い人だった。
だから、爆煙が御当主様を吹き飛ばし、若様の涙を受け止めたあの日に決めたのだ。
御当主様を殺した奴らを、全ての不義に――鉄槌を。
サンタマリアの名に誓って。
そのためにはロべルタは力強く腕を伸ばす。。
願いに近づくための一歩を、詩音の命を刈り取るための一手を掴むために。
しかし、そんな時ロべルタは不意に自分に迫るものがある事に気付いた。
それは一つではない。数は二つ、それらが出てきた場所はロべルタの両肩。
蕾が花開くように伸ばされた腕が二つ、ロべルタの喉を狙う。
「いい加減しつこいですよ、この暴力メイドッ!」
恐れを振い、ありったけの怒りを込めた詩音の鬼気迫る表情と怒声がロベルタに突きつけられる。
◇ ◇ ◇
自分は運が良いのか悪いのか。
ロベルタに対して再びハナハナの実を発動させた詩音は胸中でそんな事を思った。
湖の周囲には特に障害物もなく、狙撃の可能性も考えて月霊髄液を待機状態にさせていたのが功を奏した。
ロケットランチャーが着弾する瞬間、念のために横へ身体を飛ばす事も忘れてはいない。
しかし、ロべルタと再会した事に喜べるはずもなかった。
しかも以前よりも様子が可笑しいロベルタは見ていて気味が悪くなってくる程だ。
(でも、この月霊髄液があれば大丈夫ですからねぇ。確実に、確実にやれば……きっと失敗するコトはない筈……!)
だが、何も絶望的な結果だけが待っているとはいえない。
確かに返り討ちにするのは難しいかもしれないが、こちらには武器がある。
自動防御する月霊髄液は自身の守備に専念させ、ハナハナの実でロベルタへの攻撃を行う。
今も詩音に疲労を蓄積させ続ける月霊髄液だが、その効果の強大さは既に身を以って知っている。
常に自動防御状態にさせておけば、少なくとも危険はない。
後は隙を見て逃げだぜばいい話だ。
ロベルタはどう見ても自分と同じように殺し合いにのっている。
ならば無駄に争わずに彼女にも参加者を減らしてもらうのも一つの手だ。
何より正面切って戦えばそれだけ危険も大きくなる。
わざわざそんなものに乗ってやる理由もないのだから。
そして月霊髄液に守られながら詩音は今、自分がやるべき事に意識を集中させる。
(だから、この辺でお終いにさせてもらいますよ!)
既にハナハナの実により出現させた両手はロべルタへ伸びている。
数秒にも満たぬ間に手は目的へ辿り着くだろう。その後、爪で喉を裂けば流石のロべルタも只では済まないに違いない。
どうやらロベルタの方も何か考え事をしていらしく、漸く気づいたようだ。
好都合――自然と詩音からは笑みが零れた。
あわよくばこの場でロベルタを殺し、彼女から物品を奪えるかもしれない。
そんな希望すらも抱いてしまう程に詩音は確かに余裕を感じていた。
もう、あとほんの少しで届くと思った。
刹那、詩音はクルリと首を回し、こちらを向いたロベルタと目が合った。
「――え?」
間が抜けたような声が喉を震わせる。
どうしてこのタイミングでなのか。
当然そんな事も思ったが詩音に疑問を、そして不安を抱かせたものは別にあった。
その理由はロべルタが浮かべる表情に対して。
そう、ロべルタは何故か笑っていた。
心地いいものではない。全身の毛という毛が逆立ちしそうな程のおぞましさがそこにあった。
驚きと恐怖のあまり思わず手を止めてしまうが、直ぐに気を取り直して手を伸ばそうとする。
だが、それは少し遅かった。
ロベルタはその間に横を向き、詩音の左手と向き合う形となる。
何をするつもりなのか。
疑問に思う詩音だが、その答えは直ぐに出た。
唐突に左手に走った感覚と共に、詩音にとって最悪な結果を伴いながら――
詩音は自分の左手が激痛に塗れ、“何か”が離れていった事に気付いた。
それは細く、どこか見覚えのある形をしており、詩音はそれらが何であるかを悟る。
一つだけではない。それらは合計三つの指。
誰のものかは言うまでもない――言いようのない痛みが詩音に全てを教えてくれたのだから。
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫。
叫ばずにはいられなかった。
左手の、ハナハナの実で生えさせた自分の指が食い千切られた。
無事な指は親指と小指しかなく、間には赤黒色に染まり出した気味の悪い空間が出来た。
獰猛な野生動物ならまだ現実味があるが、やったのは一人の女だ。
ロべルタの身体能力はテロリスト上がりの身である事もあり、常識の範疇では測れない。
さながら全身に機械を積んでいるかのような、鍛え抜かれた躯体からは想像を絶するほどの力が備わっている。
特に鍛えたわけでもない詩音の指は柔らかく、食い千切る事は困難ではなかったのだろう。
しかし、詩音がロベルタの力の全てを知っているわけではなく、まさかこんな手段に出るとも思っていなかった。
いかにも詩音のハナハナの実の策に掛ったと思わせたが、それはフェイクでしかなかったというわけだ。
血まみれな指を吐き捨て、悠然と詩音を睨むロベルタの眼には“逃がす”という意思は見られない。
どこまでも冷徹な瞳に直視され、詩音は依然として襲い来る痛みと共に怒りを露わにする。
「こ、このバケモノ! あんたは、あんたは絶対に許さないッ!!」
ロベルタをバケモノと称する詩音だが、彼女の方も普通とは到底言い難いと言えるだろう。
均整の取れた顔から生まれる、普段の理知的な笑顔は今では見る影がない。
ロベルタが“狂犬”であれば、今の詩音はまさに“鬼”という呼ぶに相応しい。
両眼を見開き、憎悪と怒りに潰された瞳が喰らいつくようにロベルタを睨む。
肝の小さい人間であれば失禁してしまうかもしれない程の迫力。
逃げるという選択肢をこの瞬間だけは忘れてしまう程の怒りが今の詩音にはあった。
(そうだ。私の手は悟史君と繋ぐためにあったんだ!
こんな手じゃ、きっと悟史君は悲しむ……もしかして私を避けるかもしれない。
嫌だ……そんなコトは嫌。悟史君に見捨てられたら、私はどうすればいいの!?
ようやくわかったのに……悟史くんが生きてるってようやくわかったのに!!
許さない。この女は絶対に許さない――――殺して殺して殺して殺して殺してやるッ!!)
赤黒い血液を滴らせる自身の左手を見るだけでロベルタに対する怒りが募る。
自分達の幸せを壊された。一度そう思ってしまえば更に想いは増長を見せた。
ロベルタは殺す。ただで殺すのではなく、最後まで後悔させながら殺し尽くす。
指の一本も残してやるものか。全て切り取った後に自身の口にでも突っ込ませてやる。
だってこの女はあまりにも罪深い事をしたのだ。
だから自分は仕返しをしてやるのだ。きっと悟史君もそう願っているだろうから。
ドス黒い感情に身を任せ、詩音は月霊髄液での攻撃に転じようとする。
水滴を鞭のようにしならせ、最早晴れ切った煙の先に居るロべルタの顔面を狙う。
同時にロべルタも動き、詩音へ近づく。
月霊髄液での攻撃は一瞬で終わる。
それさえ終わらせればあとは自動防御に変えればいいだけだ。
何も問題はない。だが、強く信じた筈の確信は脆くも崩れ去る。
自分の目の前に迫るものに詩音は思わず眼を疑った。
それは一個の墓標――もとい最強の個人兵装と謳われた兵器。
パニッシャーの銃挺が詩音に向かって勢いよく振り下ろされていた。
「ひっ!」
月霊髄液は同時に二つの行動を出来ない。
よって咄嗟に攻撃を停止し、詩音は月霊髄液でパニッシャーを受け止める。
衝撃が水銀の壁を力強く揺らす。
その威力故に反響する音も凄まじく、思わず詩音は耳を塞ぎたい衝動に駆られ顔を伏せてしまう。
だが、詩音自体に疲労はあれども負傷はない。
直ぐに反撃の一手を投じようと、ロべルタの方を見上げる。
「ちょっと――嫌、嫌……!」
しかし、詩音には何も出来ない。
月霊髄液に指示を与える間もなく次が来ていたためだ。
ロベルタは返す腕で二撃目のパニッシャーを振るう。
横殴りの、詩音では到底反応できそうにもない程の速度を以ってして。
月霊髄液越しであろうとも凶悪な勢いで襲い来るパニッシャーは見えている。
もし何かの間違いで生身でも貰ってしまえば――最悪な結果しか想像出来ない。
思わず一歩後ずさりをしてしまう。
月霊髄液がある限り大丈夫なのだと頭で理解していても、身体が前に進もうとしない。
鬼のような顔には明確な恐れが浮かび、段々とその色は濃くなっていく。
そしてロベルタは詩音の心情を見抜いているように腕を振る。
「嫌、嫌、嫌、嫌、いや……」
二撃目で終わりではなかった。
三撃目、四撃目、五撃目――暴れ狂うパニッシャーの勢いに衰えはない。
方向に規則性などない。一見すれば出鱈目な、されど詩音では目に追う事すらも危うい変則的な軌道が一層に恐怖を煽る。
使用条件を緩めるために本来のものより重量が10分の一ほどに軽くなっているとはいえ異常ともいえる速度だ。
それは人間の域は出なくともロベルタのその腕力による賜物であり、止めることは出来ない暴力が渦巻く。
何度も何度も喰らいつくようにぶつかるパニッシャーはまるで獰猛な生物のようにのたうちまわっている。
詩音の耳をつんざく衝撃音は依然として続き、その音も次第に大きくなっていく。
園崎家という特殊な家に生まれた詩音といえど、根本的には一般人の域を出ない。
既に魔術兵装や悪魔の実といった超常に触れていようとも、詩音には未だ耐性が足りていない。
「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌――嫌ああああああああああああああああああ!!」
肉体的な痛みよりも、精神的な恐怖が詩音を潰してしまった。
最早ハナハナの実による反撃など意識の片隅にもない。
ただ、一刻も早くこの恐怖から逃げ出すだけを考えている。
自然と後ろへ進ませた歩みは速くなり、いつしか詩音が考えている以上の速度で進んでいた。
よって詩音は気付く事が出来なかった。
自分の後ろにあるものに、もう少し距離があると思っていたのに――そこには既に大地はなかった事に。
足を踏み外し、目的地であった湖に詩音は体勢を崩しながら落ちていく。
「き、きゃあ!」
しまった、と思うもなく冷たい水が詩音の全身を襲う。
服が水浸しになってしまったがそんな事を気にしている暇はない。
直ぐに陸に上がり、この場から離れなくてはならない。
幸い直ぐ眼の前に自分が先程まで立っていた地面がある。
ほんの少し、軽く泳いでしまえば大丈夫な距離。
だが、詩音はここにきて漸く思い出す。自分が泳げなくなっているのを。
ハナハナの実の、悪魔の実のデメリットであるカナヅチの性質のせいだという事に。
片腕という事もあり必要以上に水を飲んでしまいながらも、詩音は無事な方の手を伸ばして土を握りしめる。
その瞬間、再び激痛が走った。
「う、うあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
恐らく待ち構えていたのだろう。
パニッシャーを上から打ちたて、詩音の右手は不快な音と共に潰された。
辛うじて原型はあるものの、何かものを掴むことなど到底出来そうにもない。
同時に右腕の粉砕は詩音に大きな意味を与えていた。
それは月霊髄液の守りが追いつかなかった事について。
詩音に知る由もないが魔術兵装とは鍛錬を積んだ魔術士が使うものだ。
本来、詩音が使える筈もないものを、今回のバトルロワイアルのために半ば無理やりに使用出来るようにしている。
そのため、本来よりも低い性能かつ必要以上の疲労を要す事となり、今の詩音は既に疲労が溜まり過ぎていた。
故に奇しくもパニッシャーは月霊髄液を掻い潜り、詩音の右手に辿り着いた。
そして支えとなる力を失い、詩音は再び湖の中に落ちていく。
上を見上げ、なんとか陸に上がろうと詩音は必死に身体を動かそうとする。
だが、ロべルタに見逃すつもりはなかった。
「が、ゲボゲボ……!」
上からの衝撃が襲った。
正確には月霊髄液が受けたのだが、詩音の最悪なコンディションからその性能は格段に落ちている。
詩音への直撃は免れたもの、月霊髄液は完全に衝撃を殺しきれず、そのまま下へ押し込まれる。
湖の底へ、カナヅチとなった詩音にとって抜け出しようのない深みへ
ロベルタが握るパニッシャーは無常にも詩音を逃がそうとはしない。
今の詩音が泳げない事は知らないが、両手が既に使い物にならない状態を好機と見たのだろう。
ただ、一切の感情をかなぐり捨て、何も映してはいない瞳でロベルタは詩音を見下ろす。
必死に抵抗するがロべルタの力はあまりにも強い。
元々何かを掴もうにも両手が使えない。
次第に詩音の抵抗は弱まっていく。
それは酷く自然な話であり、悲しい光景でもあり、同時に――
全てが終わった証でもあった。
◇ ◇ ◇
(悟史くん、助けて……悟史くん……)
薄れゆく意識の中、詩音は必死に悟史の名前を呼んでいた。
ようやく逢えると思った。
ようやく声を聞く事が出来ると思った。
ようやく話が出来ると思った。
ようやくまた、あの日のように頭を撫でてくれると思っていた。
空白だった時間を取り戻せるものだと思っていたのに。
こんな結末はあまりにも悲しすぎると強く思った。
(詩音は待ったんですよ……ずっと、ずっと逢いたかった……たったそれだけでよかった。
悟史くんが居れば、私はそれだけで良かったのに…………)
たとえ自分が本当の魅音であろうと悟史にとって自分は詩音だ。
詩音の名前を呟きながら、両腕を上へ伸ばす。
助けを求めるかのような素振り。
当然、誰もその手を握り、陸に引き上げてくれるような人間は居ない。
しかし、詩音は決してその手を下げようとはしない。
ただ、奇跡が起こる事を信じて。
悟史が握り返してくれないか。
そんな一握りの願いは捨てていなかった。
(ねぇ、悟史くん……何が足りなかったのかな……私、悟史くんのためなら何だって出来るんだよ。
だから……死にたくない。まだ、私は届けてないから……悟史くんに私の想い……届けてないの…………)
声を震わせながらもロべルタから自分を助けてくれる悟史の姿が浮かぶ。
きっと彼がこの場に居たら自分をそうしてくれただろう。
たとえ園崎の人間だろうと、魅音を騙って近づいた自分でもだ。
だって、悟史は優しい人だったのだから。
少し頼りないところがあっても、彼の優しさは自分に力をくれた。
あの困った顔が、はにかんだ顔が、自分に向けてくれた笑顔が大好きだった。
だからいっそうに悲しさを覚えている。
もう、悟史に逢えないのだと思うと悲しみでどうにかなってしまいそうだった。
まだ面と向かって自分の愛を伝えてないというのに。
だが、詩音の意思と嘲笑うかのように、確実に湖の水は彼女の命を削っていく。
(……あは、なにをやってたんでしょうね、私は。結局悟史くんに逢えずに、折角魅音にも戻れたのに…………。
ごめんなさい、悟史くん……。詩音は頑張りました。バカな男の子も一人殺しましたけど……無駄だったみたいです。
残念ですけど……詩音はもうやれるコトはやりましたよね。ねぇ、悟史くん……悟史くん…………いつか、また逢える日があったらその時は…………)
悟史への想いは今も消えていない。
だけども、それ以上に詩音の身体には限界が来ていた。
今では碌な抵抗も出来ず、パニッシャーに押し付けられ大量の水を飲んでしまった。
きっと自分はもう直ぐ死んでしまうだろう。
判りたくもない現実が痛々しい程に判り切ってしまう。
ずっと伸ばしていた両手も次第に下がり、そのまま其処へ沈んでしまうのではないかと思ってしまう。
永久に、もう誰にも見られる事なく一人ひっそりと永遠の眠りへ落ちていく。
あまりにも容易いイメージ。到底受け入れたくはないが、否定の意思を持つだけの気力もない。
既に諦めが詩音を支配し、彼女は身を任せようとしていた。
(その時は一杯話しましょうね……。
たとえ私達以外の人がみんな居なくなっても……絶対に約束ですよ、悟史くん…………)
だから、最後の別れを詩音は一人、水の世界の中で告げる。
これで言い遺した事はない。
もう永くはない自分の身体を考えれば上出来だ。
そう考え、詩音はゆっくりと目を閉じようとする。
もう、悟史のために全てを果たし尽くした自分にほんの少しの達成感を覚えながら――
そんな時、何かが聞こえた。
幻覚なのかもしれない。
朦朧とした意識は当てにはならない。
このまま無視しようかと考えたがやはり聞こえた。
“頼むよ”と、少年の声が――。
その少年の声を聞き忘れる事など有り得ない。
同時に思った。
何を頼まれたのか。
自分は何かを忘れてはいないかを。
悟史との思い出には。
悟史と自分を繋ぐ間には。
大事な約束があった筈だ――
途切れ掛けた意識を強引に覚醒させる。
(違う……私が悟史くんにしてあげられることは……まだ、残ってる…………!)
気のせいなんかじゃない。
思いだす。悟史との全てを、全ての出逢いを。
今の自分が出来ることを。
この死にゆく身体でも守れるものはある。
一度は守ると誓い、一度は捨てる事を決め、そして今度は――
それは全てのピースが音を立てて噛み合った瞬間。
“沙都子を頼むよ”――愛しい人の声が一段と強く聞こえた。
(そうだ。私は、私は――守ってみせる!あの子を、悟史くんに託された約束を、沙都子を守るんだ!)
閉じかけた両眼を開く。
水が入ってこようが気にすることか。
それよりも大事な事は一つだ。
悟史の願いを絶やすわけにはいかない。
自分を“ねーねー”と呼んでくれた沙都子を、彼のたった一人の妹を守る。
ただ、それだけを強く想いながら詩音は自身を奮い立たせる。
意を決したように、詩音は上を見上げた。
(絶対に殺させない、あの子だけは、最期の希望は……悟史くんの願いは潰させはしない!)
今もパニッシャーを押し付けているロべルタはきっと沙都子をも殺すだろう。
そんな事はさせない。沙都子は必ず悟史の元へ無事に送り届ける。
あの日、悟史が雛見沢を去る直前に交わした約束が色褪せる事はない。
故に詩音は最後の力に全身全霊、正真正銘の全力を掛ける。
(せめて少しだけでも。あの女を止められたら……これ以上……!)
両手が潰された今、ハナハナの実は最早意味がない。
よって詩音が選ぶものは別の手段。
詩音の疲労により今にも消えそうな月霊髄液に意識を集中させる。
一瞬で、ロべルタに避ける時間を与えないタイミングでの指定攻撃。
自身の防御を捨てて、詩音はロベルタへの反撃を決意する。
やがて月霊髄液が鞭上へ姿を変えて、水面へ向かう。
あまりにも細い形状に力強さはない。
だが、詩音の表情に陰りは見られない。
やがてパニッシャーが打ちつけられそのまま自分は死ぬだろう。
しかし、詩音は今度こそ噛み締めていた。
満足げな感情を、悟史の願いを叶えられるという充実感を全身で感じて。
(沙都子……あなたは強く生きて)
月霊髄液が水面から飛び上がった。
そして既に詩音の顔に鬼は宿っていない。
そこに居るのはただ、妹の身を案じる一人の。
――心優しい姉の顔があった。
◇ ◇ ◇
「……上々ですね」
湖の辺でロベルタが一人呟く。
頬の辺りに赤い雫が走っているのは先ほどまで戦った少女の最後の抵抗の証だ。
そう、ロベルタの傍に横たわる、以前ヒトだったものによるもの。
それは全身が水に濡れ、頭には一輪の“花”が咲いている。
真っ赤な、ロベルタにとって何度も見た花だ。
特に感慨はない。そうするためにパニッシャーを振るったのだ。
――問題があるわけがない。
また、ロベルタの荷物は以前よりも増えていた。
食糧を始めとした一人分の基本支給品と移動用のMTB。
そして血に塗れた円形の物体。
それは俗に首輪というものであり、ロべルタはそれを慎重に自身のデイバックに戻した。
「何かに使えるかもしれません。持っているには越した事はないでしょう」
テロリスト時代に培った技術が応用できるかはわからない。
しかし、何も自分が解析する必要もないだろう。
この手の技術に秀でた者の協力を取りつければ事足りる。
勿論、首輪の解析と命を天秤に掛けてもらっての上での話だが。
血に染まった黒鍵を湖で洗い流し、移動の準備をする。
そんな時、ロベルタはふと疑問に思った。
この――先程まで動いていた“これ”は湖を探るような素振りを見せていた事に。
だが、考えていても答えは出なく、やがて思考を中断させる。
時間にすればものの数秒だが十分過ぎる。
少なくとも彼女は、未だやるべき事が残り過ぎているロべルタはそう感じた。
そしてロベルタは走り出す。
「これで一人……ようやく一人。しかし、まだまだ……これからです」
パニッシャーを無理に振り廻した事による疲労の残滓は未だ残っている。
一旦休憩を取るべきか。
考えるまでもない。そんな暇はない。
既に十分に取ったではないか。止まれない理由があるというのに。
優勝という手段での殺し合いの終結。
たとえギラーミンが褒美の約束を反故にしたとしても標的が増えるだけだ。
故にロべルタは更なる戦場を求め、地を蹴り飛ばす。
「殺す……誰であろうとも、必ず……!」
自分が殺した少女が奇しくも似た目的を持っていた事も知らずに。
ただ、愛する人のために――
ロベルタにとって決して笑い飛ばせはしない理由を、彼女は永遠に知る事はない。
ロベルタが聞こえるものはたった一つ。
口へ放り込んだ新たな錠剤を噛み砕く音。
どこか残酷な音色を奏でるそれしか聞く事は出来なかった。
【D-6 湖周辺/一日目 日中】
【ロベルタ@BLACK LAGOON】
[状態]:メイド服を着用 薬物依存、疲労(中) 右腕に切り傷(応急処置済み) 、肋骨にヒビ、腹部にダメージ小、眼鏡なし 、
[装備]:パ二ッシャー@トライガン・マキシマム(弾丸数60% ロケットランチャーの弾丸数2/2) コルト・ローマン(6/6)@トライガン・マキシマム
投擲剣・黒鍵×5@Fate/zero
[道具]:支給品一式×3(水1/4消費)、コルト・ローマンの予備弾35 グロック26(弾、0/10発)@現実世界
謎の錠剤入りの瓶@BLACK LAGOON(残量 55%)
レッドのMTB@ポケットモンスターSPECIAL
パ二ッシャーの予備弾丸 2回分、ロケットランチャーの予備弾頭1個、キュプリオトの剣@Fate/Zero 、首輪(詩音)
[思考・状況] 。
1:
サカキとのゲームに乗り、殺し合いに優勝する。
2:必ず生きて帰り、復讐を果たす。
【備考】
※原作6巻終了後より参加
※康一、ヴァッシュの名前はまだ知りません。(よって康一が死んだことも未把握)
※詩音を『園崎魅音』として認識しています。
※ギラーミンの上に黒幕が居ると推測しています、よって優勝の褒美は有効であると考えています。
※錠剤を服用しました。幻覚症状などが現れています。
※ループに気付きました。
※ロベルタの眼鏡は戦闘中に何処へ飛んでいきました。本人は気付いてません
◇ ◇ ◇
いつか見た光景が広がっている。
夕焼けの日。
スーパーへ買い物に出かけて。
違法駐車していた原付を蹴り飛ばして。
見慣れない男達に路地裏に連れられて。
護身用のスタンガンでどうにか切り抜けようとして……。
やっぱりだ。
私は知ってる。この記憶を。
確かに私は知っている。
全てが始まった瞬間。
私の思い出に忘れられない一ページが綴られた日。
もう一度戻りたかった日々の始まり。
それが確かに目の前にある。
理由はわからない。
奇跡だろうか。不意にそう思ってしまう。
でも、どうせ奇跡を起こしてくれるならあの水の中で――
ううん、前言撤回。
だって、やっぱり嬉しいんですから。
この奇跡は、言葉で言い尽くせないぐらいに。
『お、おい――い、いい加減にしないか!』
ああ……変わってないなぁ。
忘れるわけもないんですけどね。
ずっと待ってたんですよ。
ずっと言いたかったコトがあったのだから……
警察の人もやって来て、男達に吹っ飛ばされた彼は立ち上がりながら私に言葉を掛ける。
『大丈夫かい、魅音』
彼の言葉に頷く。
胸の鼓動が早まったのを感じた。
あの時、頭を撫でられた時よりも前に。
そしてあの時以上に昂ぶっているのがわかる。
実際に彼が私の頭を撫でてくれた事で更に強くなった。
もう、何も言葉が出せないくらいに。
だけど、言わなくてはならない。
今回だけは――顔を上げて、しっかりと。
ずっと待ち続けた彼の瞳に私自身を映して。
「ありがとう……でもね、私は魅音じゃないんです」
彼が驚いたような顔を見せている。
ごめんなさい。あの時は直ぐに言えなくて。
だけど、今度は言えます。
「私は魅音の、お姉の妹の――」
たとえ本当の魅音が私だとしてもそれは関係ない。
この人を愛した私は魅音じゃない。
だったら私は魅音じゃなくてもいい。
だって、この想いを忘れたくはないから――
だから私は口を開く。
失われた時間を埋めるように。
そしてこれからの日々に光が差し込むコトを願って。
「園崎詩音です。初めまして――北条悟史くん」
そう言って私は悟史くんに顔を向けた。
自分でも不思議なくらいに。
こんな顔が出来たんだと思える程に笑みが零れ出た。
同時に私の頬を涙が伝う。
待ちわびた想いが叶った。
そう思うと私は嬉しさで一杯になった。
どうしようもなく、本当に――
ただ、死んでもいいと思える程の嬉しさが目の前にあったのだから。
【園崎詩音@ひぐらしのなく頃に 死亡】
【残り36名】
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最終更新:2012年12月05日 01:50