Deus ex machina ―神々― ◆b8v2QbKrCM
拳が腹にめり込んだ。
人型に姿を変えたチョッパーの巨体が床から浮く。
「がふっ……」
「邪魔だぁ!」
掬い上げるような一撃。
右肩のフィンが回転を増し、ロビーに暴風を撒き散らす。
振り抜かれた拳に打ち上げられ、チョッパーは二転三転と宙を舞い、ホールの外壁に激突した。
血の混ざった息が肺から追い出され、声にならない音が漏れる。
「チョッパーくん!」
レナは獣人型となって床に落ちたチョッパーを抱き、
カズマを睨んだ。
あの拳で殴られたら、レナなどひとたまりもないだろう。
チョッパーのように白目を剥いて気絶するだけで済むとは思えない。
拳が触れた瞬間に即死する危険すらある。
それでも、レナは果敢に顔を上げた。
目から溢れた涙を拭くことも忘れ、レナはカズマに問い質す。
「どうして……? どうしてこんなことするの!?」
「決まってんだろ……さっさと帰るためだ!」
簡潔にして究極の理由を叫び、カズマはレナに右腕を向けた。
広げた指を人差し指から順に折り曲げて、最後に親指を曲げて拳を作る。
無力な少女であっても殴り飛ばす――これ以上ないほどに明確な意思表示。
「殺されてなんか、あげない」
レナはチョッパーを床に横たえて、デイパックから異形の銃を取り出した。
二挺の大型拳銃が互い違いに結合した形状のそれは、名を二重牙という。
リヴィオ・ザ・ダブルファングが得意の得物とし、両手に所持して前後左右同時射撃を可能としていた代物だ。
その威力たるや、本来の持ち主の身体能力を以ってすれば、一部隊を一瞬で鏖殺するほどである。
しかしそれは、リヴィオの鍛え抜かれた肉体と技術があってこそ。
レナが扱ったところで、余分なパーツがついた拳銃として使うのが関の山だろう。
だが、それだけでも十分だ。
「魅ぃちゃん……力を貸して……」
両の足で床を踏みしめる。
そして、両手で二重牙を構えた。
「いくぜぇ!」
カズマの背でファンが高速回転を開始する。
力強い踏み切りに合わせて大気の奔流が渦を巻き、カズマの肉体を一気に加速させた。
「……来たっ!」
レナの指がトリガーを引き絞る。
炸薬が銃身内部で爆発し、弾丸に超音速の運動エネルギーを与える。
しかしその反作用は、本体の重量で抑制されながらも、反動という形でレナに牙を剥いた。
両腕が跳ね上がり、肩に激痛が走る。
銃把を握っていた指が衝撃で外れ、宙を舞う二重牙。
繰り出された弾丸は一分の狂いもなく直進し、カズマの左上腕を貫通する。
だが、足りない。
一発だけではこの男は止められない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
放たれるシェルブリッド。
ホールの外壁が、まるで砲弾の直撃を受けたかのように爆砕。
亀裂が天井にまで及び、床材に小規模な地割れが生じた。
「チッ……」
カズマは思わず舌打ちした。
手応えがなさ過ぎる。
殴りつけたのは壁だけだ。
振り返れば、安全圏にいる動物型のチョッパー。
そして、その角に担がれたレナの姿。
「あいつはおれが倒すから……レナは休んでいてくれ」
「チョッパーくん……」
チョッパーはレナを降ろして、カズマの前に進み出た。
目深に被った帽子の下から、団栗のような目が対峙するカズマを見据えている。
「いいぜ、まずはてめぇからだ」
カズマが拳を構える。
チョッパーはトナカイの四肢で床を蹴り、カズマの眼前で人型と化した。
「うあああああっ!」
「おらぁっ!」
巨躯から振り下ろされる拳。
カズマは襲い来る腕の側面を殴り、無理矢理に軌道を捻じ曲げた。
その勢いのままに、背中のファンの出力で一回転。
無防備を晒していたチョッパーの腹部にストレートを見舞った。
チョッパーの顔が苦痛に歪む。
二歩、三歩と退いて、しかしそこで踏み止まる。
「早く逃げて!」
「駄目だ!」
レナの悲痛な叫びを、チョッパーは一言で否定した。
ぐっと歯を食い縛って、自分よりも強い敵を睨みつける。
「レナを護れなかったら、顔向けできないんだ!
ルフィに……
ウソップに……みんなに顔向けできないんだ!」
獣型に変形、同時に蹄で床を蹴る。
ジグザグに跳ねながらカズマへ距離を詰めていく。
対するカズマは右腕を引き、チョッパーの突進を迎え撃つ構えを取った。
「くらえっ!」
角を突き出し、頭からカズマに突っ込む。
カズマはそれにタイミングを合わせ、脳天を狙って拳を放った。
瞬間、チョッパーの肉体が縮小。
獣人型で床に着地した。
「何っ!?」
頭上を拳が素通りする。
チョッパーは素早くカズマに背を向け、獣型に変形して後脚の蹴撃を繰り出した。
獣の脚力と頑丈な蹄が負傷していた腹部に突き刺さる。
内臓を押し潰しかねない衝撃力に、視線の焦点が揺らぐ。
しかしカズマは激痛の中、チョッパーの片脚をしっかりと握っていた。
「まだまだぁ!」
またもや獣人型に変化するチョッパー。
握られた片脚を軸に、身体全体がカズマへと引き寄せられる。
脚が細くなったことで、手との間に生じた隙間を利用して、床に背を向けるよう身体を捻る。
そして流れるように人型へ再変形。
「あああああっ!!」
振り翳した両腕をハンマーのようにカズマへ叩き込む。
カズマは受身を取ることすらできず、顔面から床に激突した。
一度だけ大きくバウンドし、うつ伏せに倒れ伏す。
「やった……か?」
チョッパーは肩で息をしながら、カズマの行動を見守った。
アルターに包まれた右腕が床材を握り、バキリと潰す。
凄まじい勢いで顔面から叩きつけられながらも、カズマはまだ折れていない。
右腕を支えに、上体だけを起こす。
伏せられた顔から、壊れた蛇口のように血が滴っていた。
「この程度で……」
脚がいうことを聞かないのか。
右腕だけで起き上がろうとして、また床に崩れる。
「……立ち止まってなんか……」
思考を埋めるのは、怒りではなく、助けたいという意思。
今すぐにでも駆けつけてやりたいという焦燥。
ロストグラウンドのどこかで自分を待っている、少女への想い。
「……いられねぇんだ!」
シェルブリッドが床を撃つ。
至近距離からの一撃は、その反動でカズマをチョッパーの真上にまで吹き飛ばした。
「しまった!」
「ブッ倒れろおおおっ!」
回転するファンの気流が落下速度を更に加速。
隕石の直撃じみた衝撃がチョッパーに打ち込まれ、その身体を床にめり込ませる。
ロビーに小規模なクレーターが生じる。
その真ん中で、チョッパーは四肢を投げ出して動かなくなっていた。
「……ぐっ」
クレーターの傍らに着地したカズマだったが、すぐに膝を折り、うつ伏せに床へ倒れた。
しばらくの静寂。
「チョッパーくん……!」
死闘の威圧から解き放たれたように、レナはチョッパーに向けて駆け出そうとした。
その首筋に、冷たく光るナイフの刃が押し当てられる。
「動くな」
底冷えするような女の声。
レナが背にしていたホールの扉が、いつの間にか小さく開かれていた。
女の腕はそこから突き出され、レナの首にナイフの硬い感触を伝えている。
「おやおや、無様なものですねぇ」
扉の隙間からスーツの男が姿を現す。
男はレナに対して興味を示さず、カズマに向かってまっすぐ歩いていく。
「無常……矜持……!」
「覚えて頂けて光栄です」
慇懃な言葉とは裏腹に、カズマを乱暴に踏みつけるスーツの男――無常矜持。
嗜虐的な笑みを満面に浮かべ、傷ついた左肩を踏みつける。
みしりと関節が軋み、激痛がカズマを襲う。
「ぐあ……!」
「結晶体との接触を果たした以上、貴方に使い道はありません。
今となってはただの邪魔者。速やかに消えていただきます」
アルターを使うまでもないとばかりに、拳銃をカズマの頭に突きつける。
カズマは動くこともままならず、チョッパーは意識を失っている。
レナは
バラライカに銃口を突きつけられ、そのバラライカに無常を止める意志はない。
圧倒的窮地の中、カズマは尚も立ち上がろうともがいていた。
「答えろ無常……かなみを攫ったのはテメェの差し金か」
「かなみ……あの少女ですか? ならば返事はイエスです。私が命じました」
自身を踏みつける力に抗うように手足を動かす。
しかしそれすらも、無常の暴力の前に捻り潰される。
「どうして攫った……!」
「最初は貴方達を誘き寄せるためだったんですがねぇ。
貴方達が用済みになった以上、今は彼女の能力そのものが魅力的です。
私の渇きを癒す助けになってくれるに違いない」
肩を踏みつける力が更に強まる。
無常は心底楽しげに高笑いをしながら、トリガーに指を押し当てた。
「かなみは……どこだ!」
「教えてあげません」
後ほんの少しだけ引けば事足りるだろう。
だが――
何の前触れもなく、無常は拳銃を放り棄てた。
「突然ですが気が変わりました」
カズマの怒りの眼差しに対し、無常は更なる憤怒を持って応える。
慇懃な口調はそのままだが、誰の目にもその苛立ちは明らかであった。
「そういえば、貴方には一度対等に渡り合われていましたね。
あれが私の実力だと思ったまま死なれるのは、正直腹立たしいのですよ。
手向けと思ってください。貴方は私のアルターで葬って差し上げます」
翻意の理由は誰にも分かるまい。
無常とのやり取りで燃え上がった怒りによって、カズマに宿ったスタンド『サバイバー』が発動。
その効果が至近距離にいた無常にも及び、冷静な判断を失わせたのだ。
カズマはある種挑発とも取れる言動に激昂し、アルターの爪で床を掻き毟った。
「てめぇ!」
「無駄ですよ! アブソープション!」
カズマの全身に電撃のような衝撃が走る。
激痛と共に、シェルブリッドが強制的にアルター粒子へと分解されていく。
「ぐああああああああああああああっ!!」
指先から、背中のファンから、細かな粒子と帰すシェルブリッド。
そのアルター粒子は、無常の口内へと吸い込まれるように消えていった。
シェルブリッドが完全解除されたのを確認し、無常は蛇のように笑う。
「ホワイトトリック」
無常の左腕が黒い焔のようなアルターに包まれ、カズマの背を打つ。
白い電撃がカズマの総身を駆け巡った。
「あああああああああああああああっ!!」
「アーンド、ブラックジョーカー」
同様に、右腕。
黒い電撃のダメージが相乗し、カズマは人間の声とは思えないほどの叫びを上げた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーッ!!」
「これが力です! 結晶体から得た私の力です!」
絶叫と高笑いがロビーに響き渡る。
あまりの凄惨さに、レナは今まで戦っていた相手だというのも忘れて、カズマに駆け寄ろうとした。
しかし、首筋のナイフがそれを許さない。
「お友達のようになりたくなかったら、大人しくしていなさい」
「……お友達……?」
バラライカの言葉を聞いた瞬間、レナは背筋が凍りついた。
お友達と言われて思い浮かぶのは、同盟の皆か、部活メンバーのどちらか。
「お友達って……?」
ナイフが押し当てられていなければ、すぐにでも振り返って問い質しただろう。
もう誰一人として欠けて欲しくない仲間達なのだ。
聞きたくないという思いと、確かめたい思いが交錯し、レナの思考を硬直させる。
「あなたと同じ日本人の子よ。名前は確か……ケイイチ、だったかしら?」
「――――!」
レナの眼が見開かれる。
まさか、そんな、どうして――!
首を引き裂かれる危険も顧みず、レナは振り返った。
その瞬間、バラライカの腹部から血濡れの切っ先が飛び出した。
赤いコートを貫いたそれは、生臭い血糊を撒き散らし、レナの制服の袖を掠めて空を切る。
胃から逆流した血を吐く暇も与えず、バラライカを力任せに投げ捨てる黄色の槍。
「一度ならず二度までも……よほど命が要らんとみえる」
半開きの扉を押し退けて、金色の王気を放つ英雄王がその身を現した。
突然の闖入者に驚愕し、無常がカズマから手を離す。
「何ですか、あなたは」
「あやつの魔力を感じて来てみたが、随分と詰まらんことになっているな。
雑種ばかりが雁首を揃えたのではこの程度か」
無常が激しい憤りに表情を歪める。
アーチャーの、他者を限りなく軽視した言動に端を発したその憤怒は、
未だ効力を失わぬサバイバーによって増幅され、無常から冷静さを根こそぎ奪い去っていた。
散々痛めつけたカズマを標的から外し、アーチャーを新たな敵として認識する。
しかし、それはまだ早すぎた。
「おおおおおっ!」
カズマの右腕と周辺の床が微細な粒子と化して消失、再構築。
分解吸収されたシェルブリッドがその形状を取り戻す。
無常に己の失策を悟らせる間もなく床を殴り、反動で上体を捻る。
シェルブリッドの威力を帯びた肘鉄が、無常の脇腹に突き刺さった。
「邪魔だ!」
「おのれぇ……!」
重石になっていた無常を吹き飛ばし、カズマは獣のように四肢を突いた。
眼差しの先には、千載一遇の好機と見て二重牙を拾いに走るレナの姿。
今のカズマにとっては、立ちはだかるもの全てが敵。
武器がなければ一介の女子学生に過ぎないレナも例外ではない。
肉体は頭のてっぺんからつま先までボロボロだ。
受けたダメージを数えることすら億劫になる。
しかしそれくらいで戦いを止めるほど、カズマという男は脆くはなかった。
肩のフィンが高速回転を開始する。
大気の渦を後方へ噴出。
水平かつ超低空の跳躍で、十メートル余りの距離を瞬時に塗り潰す。
「シェルブリッド……!」
シェルブリッドの装甲が展開。
手甲内部で膨大なエネルギーが渦を巻く。
そのとき、何の前触れもなく天井が砕けた。
「バーストオオオオオッ!」
カズマの拳が『壁』を打つ。
地響きにも似た轟音が鳴り響き、ロビー全体が振動する。
突如として立ちはだかった山岳の如き『壁』に遮られ、シェルブリッド・バーストはレナに届かなかった。
山岳の如き巨躯――
山をも穿つ掃射に耐え切る鉄壁――
「む……坊主、意外と効いたぞ」
征服王イスカンダルに阻まれて――!
ライダーによって破壊された屋根の残骸が、今頃になって床に落下する。
恐らくアーチャーを除く誰もが驚きを覚えたことだろう。
よもや時ここに至って、更なる闖入者が姿を現すとは。
「遅い。我を退屈で殺す気か」
「貴様を待たせた覚えはないんだがなぁ……痛つつ」
シェルブリッドがライダーの胴体から離れる。
ライダーは殴られた箇所を片手で押さえ、唾液の混ざった血を吐いた。
消耗し切った状態では十全の威力を発揮できなかったのか。
それとも純粋にライダーの耐久がシェルブリッド・バーストの威力を上回ったのか。
どちらが真相であるにせよ、ライダーがこうして立っていることが唯一の事実である。
「畜生……!」
カズマがもう一度腕を振り被る。
それを止めたのは、無常の憚ることを知らない嘲笑であった。
「愚かですねぇ、実に愚かだ。
誰彼構わず噛み付いて、ここぞという時に力尽きる狂犬を見ているようですよ」
そして、カズマを哀れむように肩を竦める。
「私が憎いのではなかったのですか?
私を倒してお姫様を助けたかったのではないのですか?
目的を見失った者の迷走は、実に哀れで滑稽ですよ」
「好き勝手言いやがって……!」
カズマは無常へ殴り掛かろうと身構えた。
しかし一歩を踏み出した時点で脚が言うことを聞かなくなり、呆気なく床に倒れこむ。
「やはりあなたでは私の渇きを埋められない。
いいえ、全てを手に入れるまでこの渇きは収まらないのでしょうね」
カズマの意識が薄れるにつれて、サバイバーの効力も消えていく。
無常は平静さを取り戻した思考回路で現状を顧みた。
――自身のダメージ、なし。
――女のダメージ、深刻。もはや死を待つのみ。
――ネイティブアルター・カズマ、脅威にならず。
――毛むくじゃらの奇妙な生物、同上。
――若い女、ほぼ無力と断定。
ここまではいい。
問題は残りの二人。
――赤目の男、詳細不明。得物の黄色い槍はいつの間にか消えている。
――大男、詳細不明。シェルブリッドの一撃に生身で耐えていた。
いわば正体不明のイレギュラーだ。
しかし、無常は負ける気など毛先ほどもしていなかった。
結晶体から入手し、先ほどカズマに放った強大な力は、それほどの確信を無常に齎していたのだ。
「全てを手に入れた程度で満たされるとは。器が知れるぞ、雑種」
「……何か言いましたか、あなた」
無常の思考に、傲慢不遜な一言が割って入る。
「この世の全ては我の所有物よ。だが、世界はいつも我を飽きさせぬ。
雑種とて数が集まれば、一人くらいは楽しめる輩がいるものだ」
「戯言を……!」
『全てを手中に収めている男』はそう言い放ち。
『全てを手中に収めんとする男』は殺意を以ってそれを睨んだ。
しかし、その憎悪は完全に
一方通行であった。
アーチャーは無常へ然したる興味を払わず、ライダーの陰でへたり込んでいるレナを一瞥した。
「まだ息はある。急げば遺言には間に合うかも知れんぞ」
「…………!」
レナはアーチャーの言わんとすることを理解し、全速力でホールに駆け込んでいった。
ライダーはアーチャーの発言を聞いて意外そうに目を瞬かせ、無常は冷めた眼差しでレナを眺めていた。
バラライカの砲撃で無残に斃れた少年に縋り、肩を震わせる少女の後姿。
無様に泣き喚く声がここまで聞こえてくるようで、不快極まりない。
「力がないとは哀れなものですねぇ。
何かを手に入れるどころか、一方的に奪われるばかり。
それに死体には何の価値もない。死んでしまえばそれまでですよ」
無常は、腹と口から血を垂れ流しながらどうにか起き上がろうとするバラライカを一瞥した。
「早くお起きなさい。あなたの力はその程度なのですか」
なんという無様さの極み。
あれだけ大口を叩いておきながら、結局は不意を打たれて死に掛けている。
やはり勝ち残るのは、この無常矜持をおいて他にない。
無常はデイパックから新たな装備を取り出した。
まるで旅行鞄のような大きさのスーツケース。
傍から見ればただのケースであるが、その実体は人知を超えた凶器。
GUNG-HO-GUNSの13番目、エレンディラ・ザ・クリムゾンネイルの主武装である。
『彼女』の超越的身体能力でこの武装を扱えば、かのラズロ・ザ・トリップ・オブ・デスすら赤子同然となるのだ。
無常はこれを実戦で使ったことはないが、その凄まじい威力は対物実験で既に試していた。
この男達が如何に屈強であろうと、勝ち目などあるはずがない。
勝利は必定。
敗北は奇跡でも起こらない限りありえない。
「死んでしまえばそれまで、か」
それなのに、ライダーは前に進み出た。
サーヴァントゆえの卓越した感覚は、レナの泣きじゃくる声を確かに聞き取っている。
悔しげに歪んだチョッパーの表情も感情を察するに余りある。
園崎魅音。
モンキー・D・ルフィ。
言葉には出さなかったが、橋の袂でその名を聞いたとき、ライダーは不安を覚えていた。
冷静さを失ってはいないか、嘆き悲しんではいないか、と。
だが、それは要らぬ心配だったようだ。
彼らはこうして戦い、敵に立ち向かっていたのだ。
「ならば、余も先人として王たる生き様を見せてやらねばな」
「何……?」
覇気に溢れたライダーの眼光に気圧され、無常が一歩退く。
その自信がどこから生じているのか、理解することができない。
「見せてやろう。死をも超える我らが生き様を!」
どこからか風が吹き抜ける。
灼熱の熱砂が渦を巻き、無常に一瞬の怯みを生じさせる。
再び瞼を開いたそのときには、世界はとうに変わり果てていた。
「……馬鹿な」
無窮の空。
遮るものなどなにもない蒼穹。
劇場もホールも既になく、無尽に広がる平原の果てに、陽炎に霞む地平線があるばかり。
大気が揺らめき、勇者の輪郭が具現する。
次々と形を成していく豪壮なる武具。
征服王イスカンダルの下に集う歴戦の勇士達。
光り輝く騎馬の精鋭。
それはまさしく奇跡の具現。
時を越え、空間を越えて召喚される征服王の親衛騎兵。
征服王イスカンダルが最終宝具。
王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)――!
「馬鹿な……そんな馬鹿な……!」
無常は更に退いた。
靴越しに伝わる砂と土の感触は、これが幻ではないことを如実に証明する。
『向こう側』の力を手に入れた無常は、市外の建造物を片っ端から再構成して巨大な要塞を生み出していた。
そのアルター要塞ですら、これほどの大規模な変化は成しえていない。
ビルを、川を、湖を、山を、森を、地上に存在する尽くを更地に変えてしまうなど――
しかもあの軍勢は何だ。
どこから現れたのだ。
あの全てがアルターだとでも言うつもりなのか。
「この軍勢は我が同胞よ。同じ夢を追った同志達。
死を迎え、英霊として世界に召し上げられてなお、余についてくる気持ちのいい馬鹿者どもだ」
熱風が旋風を巻く中、一騎の空馬がイスカンダルに近付いた。
イスカンダルは忠実なる愛馬に跨り、腕を横に振るう。
黒スーツに変化させられていた王の装束が本来の形を取り戻す。
軍勢の先陣で腕を組む征服王の偉容は、背後に展開した軍勢の輝きの総和に比しているといっても過言ではない。
「死を越えるだと……!?」
「貴様には分からんだろうが、軍人って奴は仲間意識が強いもんさ。今も昔も変わらずな……」
平静を失う無常の横で、バラライカが呟いた。
固有結界に取り込まれた者達は、征服王の意のままの位置に出現させられる。
無常とバラライカは軍勢の真正面に、レナ達は安全かつ戦場を一望できる位置に。
腹の傷を押さえ、どこか感慨に耽っている様子ですらあるバラライカを無視し、無常はスーツケースを構えた。
レナは、死すらも越える仲間の絆を見た。
砂と石だらけの地面に膝を突き、圭一の亡骸を抱きしめる。
チョッパーは、死しても途切れぬ主従の絆を見た。
横たわったままで首だけを向けて、仰ぐと決めた者の下に集う騎兵を目に焼き付ける。
カズマは、果て無き平原にロストグラウンドの荒野を重ね見た。
戻らなければならない大地を心に刻み、シェルブリッドの拳をきつく握る。
その中でアーチャーだけが、退屈そうに目を細めていた。
結末の分かりきった三文劇を見せられているかのような怠惰。
アーチャーの背後の空間が波打つように揺らぎ、槍の切っ先が現れる。
「使うがいい。先陣が丸腰では締まらんぞ」
低速で撃ち出された破滅の黄薔薇を受け取るライダー。
「使うがいいってなぁ……こいつは元々ランサーの宝具だろ」
手綱を手繰り、ブケファラスの鼻先を敵へ向ける。
精鋭達は王の命を待ち、忠誠と戦意に胸を昂らせている。
ライダーは声高らかに忠臣達に問うた。
「死を以って絆は途切れるか!」
『否! 否! 否! 否!』
王の問いに精鋭達が唱和する。
幾百幾千の声が束ねられ、大地すらも鳴動させる。
「死を以って夢は途切れるか!」
『否! 否! 否! 否!』
大空までも打ち振るわせる益荒男の声。
征服王が両腕を広げ、唱和を制する。
「ならば往こうぞ! 今を生きる者達に我らが覇道を知らしめよ!」
『おおおおおおおおおおおッ!!!!!』
征服王イスカンダルの雄叫びに、軍勢達は喝采を持って応える。
偉大なる王を背に戴き、地を駆けるブケファラス。
その疾走を皮切りに、輝ける騎兵が津波の如く殺到する。
『AAAALaLaLaLaLaie!!』
ライダーの咆哮に呼応して、騎兵達が鬨を放つ。
怒涛と轟く烈唱が大地を震わせ、莫大な砂煙を巻き上げる。
「勝つのは……」
無常の手が、スーツケースの取っ手を壊れんばかりに握り締める。
目を血走らせ、歯を食いしばったその姿からは、かつての余裕など想像もつかない。
「勝つのは私です! この無常矜持です!!」
スーツケースの一部が展開、ボウガンのように巨大な釘を連射する。
人間を一撃で致死させて余りある連撃は、しかし英霊達の吶喊を止めるには至らない。
たとえ十人、二十人に傷を与えようと、軍勢の猛攻には影響を与えないのだ。
『AAAALaLaLaLaLaie!!』
迫り来る蹂躙。
無常はスーツケースを投げ捨て、両腕に結晶体の力を発動させる。
ホワイトトリックとブラックジョーカーがドリル状に変形。
目を見開き、口から叫びを迸らせ、無常は軍勢に向けて走り出した。
「ふざけるなああああぁぁぁぁぁっ!!」
交錯は一瞬。
芥子粒を臼で磨り潰すほうがよほど手応えがあっただろう。
軍勢の駆け抜けた跡に人の形はなく、血の臭いの混ざった砂煙だけが残された。
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最終更新:2012年12月09日 17:31