エルマ戦争

エルマ戦争

エルマ戦争
日時
SE:3046年~3050年
場所
南米
交戦戦力
サンパウロ社会主義共和国軍 エルマ連邦軍
戦力
サンパウロ社会主義共和国 80万人
エルマ連邦 60万人
損害
死者69万5690人 負傷者12万6600人

戦争の背景

元エルマ軍事国家との戦争が終結した数年後、エルマ連邦は我が国に対し「旧エルマ軍事国家」の領土を要求した。その数日後、領土問題解決の為サンパウロ・エルマ臨時統治連合軍の臨時首都にて会議が始まった。結果的にはエルマ連邦の要求は否決され、それに怒りを覚えたエルマ連邦軍は国境に師団を配置。大規模な軍事演習をしたりと戦争を匂わせていき、ついにベイルート書記長は会談を決意。エルマ連邦へ会談の要求をした。エルマ連邦内では過激派によるストライキや暴動が頻発しており、エルマ連邦は渋々ながらも会談を承認。会談の内容は一切明かされていないが、ベイルート書記長によれば大失敗に終わったようである。その後、エルマ連邦政府は過激派の武装蜂起により無政府宣言をし、エルマ連邦は過激派の手に渡った。
そして過激派の手に渡った数週間後、国防大臣自らサンパウロのエルマ国境防衛師団と、エルマ過激派が国境で衝突したと発表した。この衝突は後に大規模な戦闘となり、ベイルート書記長は正式にエルマ連邦へ宣戦布告。こうして、南米に新たな戦争が始まった。

ゲリラ戦と虐殺

サンパウロ陸軍は果敢な進撃を続けたものの、エルマ連邦軍のゲリラ戦術や、焦土化作戦、また市民の大量虐殺により進行速度が遅くなった。それにより戦線の兵士の士気も減り、前線の状況はさらに酷くなった。エルマ連邦の都市や街は一瞬にして瓦礫の山と化し、森は全て血と煙が舞う地獄の状況となった。

エルマ海軍との戦闘

戦争中盤頃、エルマ海軍とその上陸部隊をサンパウロ海軍が発見。第一艦隊が上陸部隊とエルマ海軍に対処するため、サンパウロ港を出港。南太平洋海戦が勃発した。サンパウロ海軍は当初は優勢だったものの、エルマ海軍の戦艦の特攻や、肉薄攻撃により徐々に不利になっていった。しかしながら、優秀な指揮官とその部下達の活躍により、エルマ海軍の指揮官を降伏させ、南太平洋海戦は勝利し終了した。その後、ゆっくりと、しかし確実に勝利をつかんでいく事となる。また、このエルマ海軍と共に行動していた上陸部隊はサンパウロとウルグアイに上陸作戦をするために出航してたという。

第一、第二、第三、第四次リオデジャネイロ攻防戦

戦争中盤頃、エルマ海軍とサンパウロ海軍が戦闘を繰り広げているのと同時に、エルマ連邦の都市の一つ「リオデジャネイロ」では、サンパウロ陸軍とエルマ陸軍による大規模な攻防戦が行われていた。第一次リオデジャネイロ攻防戦は第二艦隊の沿岸からの艦砲射撃や、現地の指揮官の優秀な指導によって勝利を収めた。しかし、第二次リオデジャネイロ攻防戦では、エルマ空軍が三回の大規模空爆を仕掛け、リオデジャネイロの全土が瓦礫の山と化したが、サンパウロ陸軍は辛くも勝利を収めた。そして第三次リオデジャネイロ攻防戦ではエルマ陸軍が大規模な攻勢を仕掛け、第二次リオデジャネイロ攻防戦で弱っていたサンパウロ陸軍は撤退を開始。第三次リオデジャネイロ攻防戦では敗北し、それによりリオデジャネイロにて保護されていたエルマ市民が「反逆者」として大規模な虐殺が行われた。第四次リオデジャネイロ攻防戦では、士気が高まったサンパウロ歩兵師団と機甲師団がリオデジャネイロの攻略を開始。エルマ陸軍を完膚なきまでに撃破し、第四次リオデジャネイロ攻防戦は大規模な勝利を収め、この戦いからエルマ陸軍は各地の戦線で敗北していくこととなる。

首都占領と終戦

その後、サンパウロ陸軍と武装親衛隊が共に、エルマ連邦の首都「エルマーズ」の攻略を開始した。首都ではエルマ陸軍による大規模な防衛が行われており、戦闘が始まると共に街は地獄と化した。敵軍のゲリラ兵や自爆特攻、焦土化作戦により首都も瓦礫の山と化したが、なんとか首都の占領には成功した。その後、欧州に亡命しようとする過激派の一部を拘束し、首都の戦いは終了した。
そして数日後、ベイルート書記長は演説にて「4年もかけた戦争は終了した」と高らかに発言し、その一週間後、唯一被害が少なかったグランテ島にて講和会議を行い、グランテ講和条約が締結。これにより4年もかかった地獄の戦争は終了を迎えた。しかしながら、この戦争の傷を癒すには、まだまだ時間が必要であろう。
最終更新:2021年02月21日 23:37