エネフィア=レースロー継承戦争

エネフィア=レースロー継承戦争

エネフィア=レースロー継承戦争
日時
SE:3032年~3032年
場所
インドシナ半島&タイ&ミャンマー 南シナ海
交戦戦力
エネフィア連邦国防軍 レースロー軍
戦力
480,000(エネフィア) 215,000(レースロー)
 戦艦4隻 戦艦2隻
巡洋艦24隻 駆逐艦64隻 揚陸艦50隻 巡洋艦15隻 駆逐艦34隻
損害
34,300名死傷(エネフィア) 53,200名死傷(レースロー)

戦争の背景


SE3032年夏に、レースロー王国の王が一人娘を残しで急病でこの世を去った。しかし、レースロー王国の継承法は男子であることが前提であるため。レースローで代々宰相を務めてきた一家が王位を継承することになった、のだが、ここで宰相一家は自分たちにとって邪魔にある王女の暗殺を試みた。しかし計画は失敗。王女は遠縁のエンテシアの帝室に保護を求めた。そこでエンテシ連邦は、大義名分を得られたとして。レースローを連邦傘下にすることを条件に、王位奪還のためにレースロー王国に宣戦を布告した。

レースロー上陸作戦


エネフィア連邦はレースロー王国に宣戦を布告したものの、当初は戦争は長引くと考えられていた。しかし、それはエネフィア連邦の宣戦布告ごわずか30分後の首都大空襲とその後の大規模上陸作戦という奇想天外な作戦によって打ち破られた。まず、宣戦布告の30分後に発生したレースロー大空襲だが、これにはエネフィア連邦空軍の約1400機が参加し、敵の港湾施設及び軍事施設に爆撃を加えた。この空襲で、レースローの空軍基地は壊滅し、海軍も戦艦1隻、巡洋艦6隻、駆逐艦8隻が轟沈した。しかし、陸軍施設の損害は比較的軽微であり。また、レースロー王国が戴冠式のため、軍を首都付近に集中配備していたことから、エネフィア陸軍が空軍の支援を受けていたにもかかわらず、首都攻防戦は10日間にわたる大激戦が繰り広げられた。

市街戦

エネフィア陸軍は、奇襲上陸には成功し、沿岸を速やかに確保したが、当初レースロー軍はエネフィア軍の総数の約二倍近く、市街地に突入してから1日で沿岸までたたき出された。しかし、ここで後続の機甲師団及び市街戦に特化した特殊部隊の輸送が完了し、3日後には市内の7割近くを占領することに成功する。だが、ここから指揮系統が麻痺したレースロー陸軍のゲリラ戦術及び、市民に扮した軍人による襲撃等で戦線は停滞し、さらに4日間戦線は膠着した。しかし8日目の朝、第二次レースロー空襲により後方の補給船が壊滅し、大規模な攻勢作戦によりゲリラ部隊もほぼ消滅した結果、10日目の朝にはエネフィア連邦軍が市内を完全に制圧するに至った。

その後

レースロー市内を制圧したエネフィア陸軍は、速やかに機甲師団を先頭に奥地に侵攻を開始した。これに対し元々市内戦で消耗した部隊や、補給船が破壊され物資補給を受けられないまま強行軍してきた新兵しかいなかったレースロー軍は大きな被害を出して撤退、その後は各地で散発的な戦闘が発生するも、首都を失い国民の戦意が極度に低下したため。投降する部隊が相次ぎ。SE3032年12月に、レースロー王国は降伏を宣言した。

講和条約とその後


講和条約では、レースロー王国版図の連邦への帰属等が提示され、レースロー王国は連邦の一部として国体をなくしたが、賠償金は特になく、貴族等も一部を除いてそのまま統治が決定したことから、その後の混乱は小さいものであった。しかし、10日間の激戦を繰り広げ、2度も大空襲を受けた首都レースローは壊滅的被害を受け、再建には時間がかかるのはほぼ確定である。
最終更新:2020年11月11日 04:08