02.奴隷の役目
「――軽く考えてみたんだけどね。はい、これ」
そう言って羽毛の塊――司祭が何処からともなく取り出したのは、一枚の布切れ。
「え、ええっと?」
金髪の少女――セレンはそれを受け取るも、表と裏にびっしりと文字のようなものが書かれているぐらいで、何がなんだか分からなかった。
そんなやり取りが起きたのは、ふたりが雪降る街ノーザンカッツェに入ってから三日目のこと。
「私が今欲しい品物の一覧。それを薬屋のザーツさんと、宝石商のヴィヴィオラさん、果物屋のガルツさんに見せて。三人とも市場通りでお店を出してるから。品物を受け取ってきたら戻ってくること」
「わ、分かりました、けど……」
セレンの脳裏に過ぎるのは、一昨日に誘拐――いや、窃盗されかかった時のことだ。
それを察したのかどうかは定かではないが、司祭は呑気そうに言う。
「面倒が起きそうになったら、下手に抵抗せずに逃げること。君の小柄さなら人込みの中や細い路地を突っ切れば逃げられるでしょ。もしも捕まったら、私の奴隷だってことを相手に言うか、叫んでみて。それでなんとかなる、と思うよ」
「そ、そうですか」
「それとも辞退する?」
「い、いえ。頑張ります」
セレンが司祭の奴隷という身分はまだ仮のものだ。考えてみた、というのは奴隷としての仕事を、という意味だろう。そう考えれば、セレンとしてはこの役目を断るわけにはいかなかった。
「ん、頑張って。地図はこっち。手描きで申し訳ないけれどもね」
「はい」
似たような布切れを受け取る。そこには手描きとは思えないほど正確な地図が両掌ほどの大きさの布にみっしりと描き込まれていた。今いる宿屋から市場への道と、広い市場の中にあるその薬屋と宝石商、果物屋の位置。
セレンは文字が読めないことを配慮してか、それぞれ薬瓶、宝石、果物のマークで記されている。
思わずセレンは司祭の手を見る。そこにあるのは人間とはかけ離れた、ずんぐりむっくりとした羽毛の手。五本の長く鋭い黒色の爪が生えている。
「どうかしたかい?」
「あ、いえ…… じゃあ、行ってきます」
「気を付けてね」
司祭に見送られて宿から出たセレンは、ふと振り返って借りている部屋の窓を見る。
そこに司祭の影がないことについ小さな吐息を漏らし、小さく頭を振ってからセレンは雪降る街の中へと歩き出した。
そう言って羽毛の塊――司祭が何処からともなく取り出したのは、一枚の布切れ。
「え、ええっと?」
金髪の少女――セレンはそれを受け取るも、表と裏にびっしりと文字のようなものが書かれているぐらいで、何がなんだか分からなかった。
そんなやり取りが起きたのは、ふたりが雪降る街ノーザンカッツェに入ってから三日目のこと。
「私が今欲しい品物の一覧。それを薬屋のザーツさんと、宝石商のヴィヴィオラさん、果物屋のガルツさんに見せて。三人とも市場通りでお店を出してるから。品物を受け取ってきたら戻ってくること」
「わ、分かりました、けど……」
セレンの脳裏に過ぎるのは、一昨日に誘拐――いや、窃盗されかかった時のことだ。
それを察したのかどうかは定かではないが、司祭は呑気そうに言う。
「面倒が起きそうになったら、下手に抵抗せずに逃げること。君の小柄さなら人込みの中や細い路地を突っ切れば逃げられるでしょ。もしも捕まったら、私の奴隷だってことを相手に言うか、叫んでみて。それでなんとかなる、と思うよ」
「そ、そうですか」
「それとも辞退する?」
「い、いえ。頑張ります」
セレンが司祭の奴隷という身分はまだ仮のものだ。考えてみた、というのは奴隷としての仕事を、という意味だろう。そう考えれば、セレンとしてはこの役目を断るわけにはいかなかった。
「ん、頑張って。地図はこっち。手描きで申し訳ないけれどもね」
「はい」
似たような布切れを受け取る。そこには手描きとは思えないほど正確な地図が両掌ほどの大きさの布にみっしりと描き込まれていた。今いる宿屋から市場への道と、広い市場の中にあるその薬屋と宝石商、果物屋の位置。
セレンは文字が読めないことを配慮してか、それぞれ薬瓶、宝石、果物のマークで記されている。
思わずセレンは司祭の手を見る。そこにあるのは人間とはかけ離れた、ずんぐりむっくりとした羽毛の手。五本の長く鋭い黒色の爪が生えている。
「どうかしたかい?」
「あ、いえ…… じゃあ、行ってきます」
「気を付けてね」
司祭に見送られて宿から出たセレンは、ふと振り返って借りている部屋の窓を見る。
そこに司祭の影がないことについ小さな吐息を漏らし、小さく頭を振ってからセレンは雪降る街の中へと歩き出した。
「ええ、と…… し、失礼します。ザーツさんはいらっしゃいますか?」
セレンが最初に訪れたのは、市場通りを少しだけ路地に入ったところにひっそりと佇む薬屋だった。
閉店中なのではないかと思しき暗い店内にそう声を掛けながら、セレンは一歩を踏み入れる。本当のところは回れ右をしたかったのだが、入口のところに「営業中」と小さな看板が掛かっているのだから仕方がない。
「――なんだ」
そんな低い声色での返事は、暗がりの奥、カウンターの向こうからあった。
ぞぞぞ、と何かを引き摺るような音と同時に、カウンターの影から、ぬう、と長身の人の影が現れる。
「え、えと。司祭さんから、買い物を頼まれまして、その」
言いつつ、セレンはカウンターに司祭から渡された買い物のリストを置く。暗闇の中、それを手に取ったザーツと思しき人影は、しゅるしゅる、とどこかセレンにとって耳慣れない音を発しながらリストを眺め、
「……少し待っていろ」
そう呟くように言うと、ぞぞぞ、と再び何かを引き摺るような音を立てながら、カウンターの向こうを小さく右往左往し始めた。
かちゃかちゃと響く小さな音からして、薬を用意しているのだろう。言われた通りに大人しくセレンが待っていると、ふと声がかかる。
「拾われて、何日目だ?」
「え?」
「あんたのことだ」
声は平坦で、感情は見えない。
相手の正体が分からないことに不安を覚えつつも、セレンは指折りしながら答える。
「十日ぐらい、です」
「そうか」
かちゃかちゃという音が途切れ、次いで布擦れの音に変わる。
「司祭は元気か?」
「え、あ、はい。元気、だと思います」
「ちっ」
舌打ちの音が聞こえたような気がしてセレンは戸惑うも、ザーツがそれ以上の反応を見せないためにどう続けていいのか悩む。
黙っているのが得策だろうと見て、セレンは再び沈黙した。
ややあって、準備が終わったのだろう。ぞぞぞ、という音と共にカウンターを回り込んでザーツがセレンの元にやってくる。
「――ほら、落とすなよ」
「あ、ありがとうござ――っ!?」
伸びてきた手が掴んでいた布袋を受け取ると同時に、その手がつるりと光沢を放っていながら妙にひび割れているのが気になって、セレンはつい視線を上げた。
瞬間、絶句する。暗闇から出てきたザーツの顔は、セレンが想像できる人の頭にはあり得ない流線型をして、全体がつるりとした光沢の鱗に覆われ、剃刀のように眼光が鋭く、口はセレンを頭から齧れそうなほどに大きく――つまるところヘビだったからだ。
渡された袋を落とさなかったのは幸運だった。もし落としたらこの場で喰われるかもしれない――そんな想像がセレンの脳裏を過ぎったのは無理もないことだろう。
「ヘビを見るのは初めてか」
「い、いえ、その、そういう、わけでは」
セレンの様子を見てか、ザーツは薄く口を開き、ちろちろと先分かれした真っ赤な舌を覗かせる。まさしく蛇睨みというやつで、それを目にしながら立ち竦んで逃げることも出来ずに震えて答えるセレンはこれもまさしく睨まれた蛙のようだった。
じりじりとにじり寄って来るザーツに、セレンは思わず上体を仰け反らせる。足が思うように動かないせいだ。
鼻先が触れ合うまであと数センチ。
そこまで近付いておいて、くっくっく、とザーツは笑うとゆらりと踵を返した。
「気を付けて帰れよ」
「……あ、え、う、あ、は、はい。あ、その、お代は」
「気にするな。司祭には借りがあるから問題ない」
それとも、と続けて、ザーツは振り返る。
暗闇の中でそのエメラルドの瞳と、つるりとした鱗に覆われた鼻先だけを光らせて。
「お前が払うか? その身体で」
「――し、失礼します!」
身体で払う。その言葉に恐ろしい想像しか出来なくて、セレンはすぐさま踵を返してがくがくと震える身体を無理矢理に動かしながら薬屋を出た。
その背中にまたひとつ、ドスの利いた声。
「おい」
「は、はい!?」
振り返った視界にあるのは薬屋の入口から覗く闇。
「お前、名前は」
「せ、瀬憐です。宮野・瀬憐」
「そうか。司祭によろしく言っておけ。あと次の用事もセレン、お前が来い」
「わ、分かりました」
「ならいい。 ――行っていいぞ」
その許しを得て、セレンは追われるように駆け出した。
小さな背中を見送って、ザーツはまたくっくっくと笑う。そうしてから思い出したかのように、くあ、とひとつ欠伸をすると、ぞぞぞ、ととぐろを巻いた身体を動かして、カウンターの向こうにある小さなソファに身を沈めた。
セレンが最初に訪れたのは、市場通りを少しだけ路地に入ったところにひっそりと佇む薬屋だった。
閉店中なのではないかと思しき暗い店内にそう声を掛けながら、セレンは一歩を踏み入れる。本当のところは回れ右をしたかったのだが、入口のところに「営業中」と小さな看板が掛かっているのだから仕方がない。
「――なんだ」
そんな低い声色での返事は、暗がりの奥、カウンターの向こうからあった。
ぞぞぞ、と何かを引き摺るような音と同時に、カウンターの影から、ぬう、と長身の人の影が現れる。
「え、えと。司祭さんから、買い物を頼まれまして、その」
言いつつ、セレンはカウンターに司祭から渡された買い物のリストを置く。暗闇の中、それを手に取ったザーツと思しき人影は、しゅるしゅる、とどこかセレンにとって耳慣れない音を発しながらリストを眺め、
「……少し待っていろ」
そう呟くように言うと、ぞぞぞ、と再び何かを引き摺るような音を立てながら、カウンターの向こうを小さく右往左往し始めた。
かちゃかちゃと響く小さな音からして、薬を用意しているのだろう。言われた通りに大人しくセレンが待っていると、ふと声がかかる。
「拾われて、何日目だ?」
「え?」
「あんたのことだ」
声は平坦で、感情は見えない。
相手の正体が分からないことに不安を覚えつつも、セレンは指折りしながら答える。
「十日ぐらい、です」
「そうか」
かちゃかちゃという音が途切れ、次いで布擦れの音に変わる。
「司祭は元気か?」
「え、あ、はい。元気、だと思います」
「ちっ」
舌打ちの音が聞こえたような気がしてセレンは戸惑うも、ザーツがそれ以上の反応を見せないためにどう続けていいのか悩む。
黙っているのが得策だろうと見て、セレンは再び沈黙した。
ややあって、準備が終わったのだろう。ぞぞぞ、という音と共にカウンターを回り込んでザーツがセレンの元にやってくる。
「――ほら、落とすなよ」
「あ、ありがとうござ――っ!?」
伸びてきた手が掴んでいた布袋を受け取ると同時に、その手がつるりと光沢を放っていながら妙にひび割れているのが気になって、セレンはつい視線を上げた。
瞬間、絶句する。暗闇から出てきたザーツの顔は、セレンが想像できる人の頭にはあり得ない流線型をして、全体がつるりとした光沢の鱗に覆われ、剃刀のように眼光が鋭く、口はセレンを頭から齧れそうなほどに大きく――つまるところヘビだったからだ。
渡された袋を落とさなかったのは幸運だった。もし落としたらこの場で喰われるかもしれない――そんな想像がセレンの脳裏を過ぎったのは無理もないことだろう。
「ヘビを見るのは初めてか」
「い、いえ、その、そういう、わけでは」
セレンの様子を見てか、ザーツは薄く口を開き、ちろちろと先分かれした真っ赤な舌を覗かせる。まさしく蛇睨みというやつで、それを目にしながら立ち竦んで逃げることも出来ずに震えて答えるセレンはこれもまさしく睨まれた蛙のようだった。
じりじりとにじり寄って来るザーツに、セレンは思わず上体を仰け反らせる。足が思うように動かないせいだ。
鼻先が触れ合うまであと数センチ。
そこまで近付いておいて、くっくっく、とザーツは笑うとゆらりと踵を返した。
「気を付けて帰れよ」
「……あ、え、う、あ、は、はい。あ、その、お代は」
「気にするな。司祭には借りがあるから問題ない」
それとも、と続けて、ザーツは振り返る。
暗闇の中でそのエメラルドの瞳と、つるりとした鱗に覆われた鼻先だけを光らせて。
「お前が払うか? その身体で」
「――し、失礼します!」
身体で払う。その言葉に恐ろしい想像しか出来なくて、セレンはすぐさま踵を返してがくがくと震える身体を無理矢理に動かしながら薬屋を出た。
その背中にまたひとつ、ドスの利いた声。
「おい」
「は、はい!?」
振り返った視界にあるのは薬屋の入口から覗く闇。
「お前、名前は」
「せ、瀬憐です。宮野・瀬憐」
「そうか。司祭によろしく言っておけ。あと次の用事もセレン、お前が来い」
「わ、分かりました」
「ならいい。 ――行っていいぞ」
その許しを得て、セレンは追われるように駆け出した。
小さな背中を見送って、ザーツはまたくっくっくと笑う。そうしてから思い出したかのように、くあ、とひとつ欠伸をすると、ぞぞぞ、ととぐろを巻いた身体を動かして、カウンターの向こうにある小さなソファに身を沈めた。
セレンが心臓の鼓動を落ち着かせながら次に到着したのは宝石店。
と言っても、そこは彼女が想像していたほど眩しさのある店ではなく。宝石商ヴィヴィオラが経営する店は、服飾店の軒先を借りた小じんまりとした露店のようなものだった。
「あの。ヴィヴィオラさん、ですか?」
「うん? そうよ。何かご用かしら、メスヒトのお嬢ちゃん」
セレンの問いに答えたのは、その露店に売り手として腰掛けていた妙齢のネコの女性。紫のローブに身を包み、フードをやや目深に被って、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。
そんな彼女のフードの奥、そこから覗く青と茶のオッドアイに、セレンは家で父が飼っていたターキッシュアンゴラを思い出す。
可愛く綺麗なくせに、やんちゃだった白毛の猫。見ればヴィヴィオラも雪のような白髪で、この世界のネコ達にもそういう種類があるのだろうかとセレンはつい考えてしまう。
「お嬢ちゃん? 私の顔に何か付いてるかしら?」
「あ、す、すみません。えっと、司祭さんから、これを」
そう言えば、ちゃんとした名前を聞いておいた方がいいのかな、と思いつつ、セレンは慌てて例のメモをヴィヴィオラに手渡した。
それを受け取った彼女は、その綺麗な眼をすっと左から右へと流し、それからセレンを――正確には、その胸元に付けている司祭からのブローチに視線を伸ばした。
「司祭さんたら。 ――ねえお嬢ちゃん、お名前は?」
「え、と。瀬憐です。宮野・瀬憐」
「セレンね。司祭さんに拾われて何日位になるの?」
「七日、ぐらいになります」
お決まりの質問なのだろうかと思いつつも、セレンは律儀に答える。
するとヴィヴィオラはくすくすと笑って、フードの下に嫌に上機嫌そうな笑みを浮かべた。
「な、なんでしょうか?」
「あなた、そんなに司祭さんに気に入られたの? 羨ましいことね」
「そ、そんな、気に入られた、なんて。売るって言われてますし、そんな――」
「それは仕方がないからよ。司祭さんは放浪の身だから、メスヒトなんて連れていけないわ。証拠を聞かせて欲しい?」
セレンの戸惑いを断じたヴィヴィオラは、流し目でセレンに回答を誘う。彼女が頷くと、ヴィヴィオラはその手を伸ばしてセレンのブローチを指差した。綺麗でやや尖った爪のある、ネコの淑女の指先で。
「そのブローチ。赤いのと青いのは司祭さんに貰ったものよね?」
「は、はい。青いのは、別の司祭さんですけど」
「ふうん…… ま、いいわ。そのブローチを私が買い取るとしたら、二つで、そうね。二万セパタの値を付けるわ。慎ましく生きれば四十年ぐらいは収入が無くても大丈夫な額よ?」
「四十年、ですか?」
言われて、ヴィヴィオラの視線に釣られるようにセレンはふたりの司祭から貰った胸元のブローチに視線を向ける。
四十年と言われても、まだ子供であるセレンにはその正確な価値は分からなかったが、それでも自分に与えられるには不相応だということは何となく理解できた。
「そんなものを、ただ売ってお金の足しにしようっていうメスヒトの奴隷に付ける人はいないわ。セレン、あなたは若いし見栄えもいいけど、それでもそのブローチの値段の十分の一もしないと思う。つまり、そういうこと。どう? 分かったかしら?」
「は、はい……」
「だから、司祭さんと別れるまではしっかりご奉仕しないと駄目よ? ふふ、まああなたじゃ司祭さんがその気にならないとご奉仕出来ないと思うけど、ね」
「ご奉仕、ですか」
「そう。頑張ってね? ――はい、しっかり持って、落とさないようにね」
言いながらヴィヴィオラはいつの間に用意したのか、巾着のような革袋をセレンに差し出した。
「あ、ありがとうございます。あの、お代は……?」
「要らないわ。司祭さんにはお世話になってるし」
ふふん、と得意げな笑みと吐息を漏らしながら言うヴィヴィオラ。
ザーツと似たような答えが返って来たことにセレンは少なくない疑問を抱きつつも、彼女のそんな雰囲気に押されて質問をするのは躊躇われた。
素直に受け取るに止め、ザーツからの布袋と共にしっかりと紐を握り締める。
「気を付けて帰りなさい。ここはあまり治安がいいとは言えないからね」
「あ、はい。ありがとうございます。でも、まだ果物屋さんに行かないといけなくて」
頭を下げながら言ったセレンのその言葉に、ヴィヴィオラがその長い睫をぴくりと震わせる。
「どこの果物屋かしら、って、まあ、決まってるわよね。ガルツのところでしょう。違う?」
「そ、そうですけど…… 何か?」
「気を付けなさいね。司祭さんのことだから、欲しい果物ってアレだと思うけど。ガルツなら勘違いはしないと思うけど、あいつのことだし万が一もあるわ。襲われそうになったらすぐに逃げなさい。あと、何か出されても絶対に食べないように」
「は、はい。分かりました」
一体なにがなんだと言うのだろう。セレンは言い知れぬ不安に襲われながらも、ヴィヴィオラに三度頭を下げ、その場を後にした。
その小さな背中を見送りながら、ヴィヴィオラは呟く。
「……それにしても、ねえ」
と言っても、そこは彼女が想像していたほど眩しさのある店ではなく。宝石商ヴィヴィオラが経営する店は、服飾店の軒先を借りた小じんまりとした露店のようなものだった。
「あの。ヴィヴィオラさん、ですか?」
「うん? そうよ。何かご用かしら、メスヒトのお嬢ちゃん」
セレンの問いに答えたのは、その露店に売り手として腰掛けていた妙齢のネコの女性。紫のローブに身を包み、フードをやや目深に被って、ミステリアスな雰囲気を漂わせている。
そんな彼女のフードの奥、そこから覗く青と茶のオッドアイに、セレンは家で父が飼っていたターキッシュアンゴラを思い出す。
可愛く綺麗なくせに、やんちゃだった白毛の猫。見ればヴィヴィオラも雪のような白髪で、この世界のネコ達にもそういう種類があるのだろうかとセレンはつい考えてしまう。
「お嬢ちゃん? 私の顔に何か付いてるかしら?」
「あ、す、すみません。えっと、司祭さんから、これを」
そう言えば、ちゃんとした名前を聞いておいた方がいいのかな、と思いつつ、セレンは慌てて例のメモをヴィヴィオラに手渡した。
それを受け取った彼女は、その綺麗な眼をすっと左から右へと流し、それからセレンを――正確には、その胸元に付けている司祭からのブローチに視線を伸ばした。
「司祭さんたら。 ――ねえお嬢ちゃん、お名前は?」
「え、と。瀬憐です。宮野・瀬憐」
「セレンね。司祭さんに拾われて何日位になるの?」
「七日、ぐらいになります」
お決まりの質問なのだろうかと思いつつも、セレンは律儀に答える。
するとヴィヴィオラはくすくすと笑って、フードの下に嫌に上機嫌そうな笑みを浮かべた。
「な、なんでしょうか?」
「あなた、そんなに司祭さんに気に入られたの? 羨ましいことね」
「そ、そんな、気に入られた、なんて。売るって言われてますし、そんな――」
「それは仕方がないからよ。司祭さんは放浪の身だから、メスヒトなんて連れていけないわ。証拠を聞かせて欲しい?」
セレンの戸惑いを断じたヴィヴィオラは、流し目でセレンに回答を誘う。彼女が頷くと、ヴィヴィオラはその手を伸ばしてセレンのブローチを指差した。綺麗でやや尖った爪のある、ネコの淑女の指先で。
「そのブローチ。赤いのと青いのは司祭さんに貰ったものよね?」
「は、はい。青いのは、別の司祭さんですけど」
「ふうん…… ま、いいわ。そのブローチを私が買い取るとしたら、二つで、そうね。二万セパタの値を付けるわ。慎ましく生きれば四十年ぐらいは収入が無くても大丈夫な額よ?」
「四十年、ですか?」
言われて、ヴィヴィオラの視線に釣られるようにセレンはふたりの司祭から貰った胸元のブローチに視線を向ける。
四十年と言われても、まだ子供であるセレンにはその正確な価値は分からなかったが、それでも自分に与えられるには不相応だということは何となく理解できた。
「そんなものを、ただ売ってお金の足しにしようっていうメスヒトの奴隷に付ける人はいないわ。セレン、あなたは若いし見栄えもいいけど、それでもそのブローチの値段の十分の一もしないと思う。つまり、そういうこと。どう? 分かったかしら?」
「は、はい……」
「だから、司祭さんと別れるまではしっかりご奉仕しないと駄目よ? ふふ、まああなたじゃ司祭さんがその気にならないとご奉仕出来ないと思うけど、ね」
「ご奉仕、ですか」
「そう。頑張ってね? ――はい、しっかり持って、落とさないようにね」
言いながらヴィヴィオラはいつの間に用意したのか、巾着のような革袋をセレンに差し出した。
「あ、ありがとうございます。あの、お代は……?」
「要らないわ。司祭さんにはお世話になってるし」
ふふん、と得意げな笑みと吐息を漏らしながら言うヴィヴィオラ。
ザーツと似たような答えが返って来たことにセレンは少なくない疑問を抱きつつも、彼女のそんな雰囲気に押されて質問をするのは躊躇われた。
素直に受け取るに止め、ザーツからの布袋と共にしっかりと紐を握り締める。
「気を付けて帰りなさい。ここはあまり治安がいいとは言えないからね」
「あ、はい。ありがとうございます。でも、まだ果物屋さんに行かないといけなくて」
頭を下げながら言ったセレンのその言葉に、ヴィヴィオラがその長い睫をぴくりと震わせる。
「どこの果物屋かしら、って、まあ、決まってるわよね。ガルツのところでしょう。違う?」
「そ、そうですけど…… 何か?」
「気を付けなさいね。司祭さんのことだから、欲しい果物ってアレだと思うけど。ガルツなら勘違いはしないと思うけど、あいつのことだし万が一もあるわ。襲われそうになったらすぐに逃げなさい。あと、何か出されても絶対に食べないように」
「は、はい。分かりました」
一体なにがなんだと言うのだろう。セレンは言い知れぬ不安に襲われながらも、ヴィヴィオラに三度頭を下げ、その場を後にした。
その小さな背中を見送りながら、ヴィヴィオラは呟く。
「……それにしても、ねえ」
最後の一軒、果物屋に向かったセレンは、地図で示された場所に近付くにつれて威勢のいい声が聞こえてくることに気付いた。
「――そこの道行くネコのおねーさん! ちょっと見ていってよ!」
少年と青年の間にいるかのような、若々しい男性の声。文句の中身は呼び込みのものだ。
「ほら、あなたのほっぺたみたいに綺麗に熟れたコリルがおひとつ二十センタ! 三つで五十センタだよ!」
セレンが声のする店先を道端から覗き込むと、店主らしき見目麗しいマダラのネコ男性が、呼び込んだネコ女性を口説くかのように商品――セレンから見ればよく熟れた林檎に似た――を売っている姿が見えた。
そして地図と見比べる。司祭の描いた果物らしきマークが示しているのも、丁度この店だった。
「毎度ー! ご贔屓にお願いしまーす!」
早くも商談が終わったらしい。セレンが地図から顔を上げた時には、店主――ガルツのいい笑顔に見送られて、ネコ女性がコリル三つの入った紙袋を片手に店を立ち去るところだった。
ガルツの輝かしい笑顔を見ながら、セレンはヴィヴィオラの忠告を思い出す。どういうことなのだろうと思いつつも、セレンは彼に話し掛ける為に一歩を踏み出した。
途端、ぴくりと反応したガルツがさっとセレンの方を向き、笑顔のまま声をかけてくる。
「いらっしゃい、メスヒトの可愛いお嬢さん! ご主人様に頼まれて何かお買い物かな?」
「え、ええっと、はい。その、こちらを――」
満面の笑顔に気押されながらも、セレンは例によって司祭から預かったメモを差し出した。はいはい、と言いながらガルツはそれを受け取って、視線を滑らせ――
「……あ、あの、何か変でしたか?」
そうセレンが思わず尋ねてしまうほど、ガルツは表情を一変させた。
まず笑顔が硬直し、次いで真顔に戻ってメモとセレンを見比べ、それからメモを見直して怪訝な顔に。きっかり三秒後に何かに気付いた顔になり、それから苦味の混じった笑顔へと。
「――いや、なんでもないよ。そっか、君のご主人様は司祭さんか。いやごめん、ちょっと早とちりしたよ、うん」
「そ、そうでしたか。あ、私は瀬憐と言います。ガルツさん、ですよね?」
「そうだよ。いやあ恥ずかしいな。ちょっと待っててね、詰めてあげるから」
言って、ガルツは手元にある薄茶色の紙袋ではなく、奥の棚から布袋を持ち出して、そこに商品――一見すれば拳大のココナッツのような果物を詰めていく。
しかしながら数が尋常ではない。一見して十個以上を詰め込み、袋が一杯になったところでガルツは紐を引いて口を縛り、その紐を更に結んだ上でセレンに差し出した。
「はい。ちょっとだけ重いから気を付けてね」
「ありがとうございます」
ガルツは平然と持っていたが、セレンが受け取ると、紐が手に喰い込み、やや腕が沈む程度の重量を感じる。
力を入れ直しつつ、この世界の人は獣っぽい姿をしているだけあって皆、力が強いんだな、とセレンは羨ましく思う。
「その袋だけど。司祭さんのところに帰るまで、絶対に口を開けちゃ駄目だよ?」
「あ、はい。 ……あの、お代は?」
何事もなく終わりそうで、セレンは内心安堵の息を吐きつつ、薄々答えの予想できる問いを発した。
「んー、いや、要らないよ。司祭さんにはお世話になってるからね」
そしてやはりと言うべきか、予想通りの答えを発するガルツ。司祭がセレンにメモと地図の他に何も持たせなかったのは、この答えを予想していたからなのだろう。あるいはセレンが金銭を持つことでのトラブルを避けるため、後払いにするつもりだったのか。
「そ、そうなんですか。 ……あの、司祭さんって、何をしてる方なんですか?」
「ん? 知らないの?」
どうしても気になった疑問を発すると、ガルツは意外そうに首を傾げた。
実際、セレンは司祭と出会ってから移動ばかりで、司祭について知っていることはそう多くはない。
司祭、という役職の意味はセレンにも少なからず分かる。神職の一階級だ。だがそれ以上の詳しいことはセレンには分からなかったし、この世界でも共通とは限らない。
「拾われてから、その、まだ日が浅くて」
「そうなんだ。ふーん。 ……司祭さんはね。というか、シカ全体がそうなんだけれど。彼らはあらゆる神と精霊、魔法に対する祭事を司るんだ」
少し考える風な素振りを見せてから、ガルツは神妙な顔でゆっくりと語り出す。
「僕が知る限り、彼らの神と精霊、魔法に対する知識は凄く深い。種族固有のモノ以外で執り行えない儀式はないんじゃないか、ってぐらいね。だから各国での祭事や、小さな集まりで司祭をやってたり、やってくれたりする」
セレンは地球でのいくつかの宗教を思い浮かべ、それら全ての作法や戒律、教義を知っているのようなものだろうかと想像する。
「司祭さんは、主に後者の方だね。世界中を旅して回りながらやってるみたい。外見はちょっと普通のシカと違うけど、僕の祖父がお世話になった時は普通のシカと同じ姿だったらしいから、何かあったのかな。 ――まあ、代々お世話になってるんだよ、僕のところ」
何かを思い出しているかのように瞼を閉じて、うんうん、と頷きながらガルツはそう締め括った。
「ええと…… 凄い人、なんですか? 司祭さんって」
「だと思うよ。他だと分からないけど、ここに住んでる人なら知らない人の方が少ないんじゃないかな。よく立ち寄るし、あの姿だし」
脳裏に『あの姿』を思い浮かべるセレン。
確かに赤の他人であっても、あの姿は一度見たら忘れられるものではないだろう。
シカの角。タカとワシを足して割ったような頭。フクロウの胴体。クマの手足。背丈は三メートルを優に越し、横幅もあるその巨体は柱というよりは壁の如しだ。
先程のヴィヴィオラのような女性や、目の前のガルツ――男性でもヒトに近いのをマダラと言うらしい――などどころか、まさに直立するケモノである一般男性と比較してもかけ離れた体躯。
「――そこの道行くネコのおねーさん! ちょっと見ていってよ!」
少年と青年の間にいるかのような、若々しい男性の声。文句の中身は呼び込みのものだ。
「ほら、あなたのほっぺたみたいに綺麗に熟れたコリルがおひとつ二十センタ! 三つで五十センタだよ!」
セレンが声のする店先を道端から覗き込むと、店主らしき見目麗しいマダラのネコ男性が、呼び込んだネコ女性を口説くかのように商品――セレンから見ればよく熟れた林檎に似た――を売っている姿が見えた。
そして地図と見比べる。司祭の描いた果物らしきマークが示しているのも、丁度この店だった。
「毎度ー! ご贔屓にお願いしまーす!」
早くも商談が終わったらしい。セレンが地図から顔を上げた時には、店主――ガルツのいい笑顔に見送られて、ネコ女性がコリル三つの入った紙袋を片手に店を立ち去るところだった。
ガルツの輝かしい笑顔を見ながら、セレンはヴィヴィオラの忠告を思い出す。どういうことなのだろうと思いつつも、セレンは彼に話し掛ける為に一歩を踏み出した。
途端、ぴくりと反応したガルツがさっとセレンの方を向き、笑顔のまま声をかけてくる。
「いらっしゃい、メスヒトの可愛いお嬢さん! ご主人様に頼まれて何かお買い物かな?」
「え、ええっと、はい。その、こちらを――」
満面の笑顔に気押されながらも、セレンは例によって司祭から預かったメモを差し出した。はいはい、と言いながらガルツはそれを受け取って、視線を滑らせ――
「……あ、あの、何か変でしたか?」
そうセレンが思わず尋ねてしまうほど、ガルツは表情を一変させた。
まず笑顔が硬直し、次いで真顔に戻ってメモとセレンを見比べ、それからメモを見直して怪訝な顔に。きっかり三秒後に何かに気付いた顔になり、それから苦味の混じった笑顔へと。
「――いや、なんでもないよ。そっか、君のご主人様は司祭さんか。いやごめん、ちょっと早とちりしたよ、うん」
「そ、そうでしたか。あ、私は瀬憐と言います。ガルツさん、ですよね?」
「そうだよ。いやあ恥ずかしいな。ちょっと待っててね、詰めてあげるから」
言って、ガルツは手元にある薄茶色の紙袋ではなく、奥の棚から布袋を持ち出して、そこに商品――一見すれば拳大のココナッツのような果物を詰めていく。
しかしながら数が尋常ではない。一見して十個以上を詰め込み、袋が一杯になったところでガルツは紐を引いて口を縛り、その紐を更に結んだ上でセレンに差し出した。
「はい。ちょっとだけ重いから気を付けてね」
「ありがとうございます」
ガルツは平然と持っていたが、セレンが受け取ると、紐が手に喰い込み、やや腕が沈む程度の重量を感じる。
力を入れ直しつつ、この世界の人は獣っぽい姿をしているだけあって皆、力が強いんだな、とセレンは羨ましく思う。
「その袋だけど。司祭さんのところに帰るまで、絶対に口を開けちゃ駄目だよ?」
「あ、はい。 ……あの、お代は?」
何事もなく終わりそうで、セレンは内心安堵の息を吐きつつ、薄々答えの予想できる問いを発した。
「んー、いや、要らないよ。司祭さんにはお世話になってるからね」
そしてやはりと言うべきか、予想通りの答えを発するガルツ。司祭がセレンにメモと地図の他に何も持たせなかったのは、この答えを予想していたからなのだろう。あるいはセレンが金銭を持つことでのトラブルを避けるため、後払いにするつもりだったのか。
「そ、そうなんですか。 ……あの、司祭さんって、何をしてる方なんですか?」
「ん? 知らないの?」
どうしても気になった疑問を発すると、ガルツは意外そうに首を傾げた。
実際、セレンは司祭と出会ってから移動ばかりで、司祭について知っていることはそう多くはない。
司祭、という役職の意味はセレンにも少なからず分かる。神職の一階級だ。だがそれ以上の詳しいことはセレンには分からなかったし、この世界でも共通とは限らない。
「拾われてから、その、まだ日が浅くて」
「そうなんだ。ふーん。 ……司祭さんはね。というか、シカ全体がそうなんだけれど。彼らはあらゆる神と精霊、魔法に対する祭事を司るんだ」
少し考える風な素振りを見せてから、ガルツは神妙な顔でゆっくりと語り出す。
「僕が知る限り、彼らの神と精霊、魔法に対する知識は凄く深い。種族固有のモノ以外で執り行えない儀式はないんじゃないか、ってぐらいね。だから各国での祭事や、小さな集まりで司祭をやってたり、やってくれたりする」
セレンは地球でのいくつかの宗教を思い浮かべ、それら全ての作法や戒律、教義を知っているのようなものだろうかと想像する。
「司祭さんは、主に後者の方だね。世界中を旅して回りながらやってるみたい。外見はちょっと普通のシカと違うけど、僕の祖父がお世話になった時は普通のシカと同じ姿だったらしいから、何かあったのかな。 ――まあ、代々お世話になってるんだよ、僕のところ」
何かを思い出しているかのように瞼を閉じて、うんうん、と頷きながらガルツはそう締め括った。
「ええと…… 凄い人、なんですか? 司祭さんって」
「だと思うよ。他だと分からないけど、ここに住んでる人なら知らない人の方が少ないんじゃないかな。よく立ち寄るし、あの姿だし」
脳裏に『あの姿』を思い浮かべるセレン。
確かに赤の他人であっても、あの姿は一度見たら忘れられるものではないだろう。
シカの角。タカとワシを足して割ったような頭。フクロウの胴体。クマの手足。背丈は三メートルを優に越し、横幅もあるその巨体は柱というよりは壁の如しだ。
先程のヴィヴィオラのような女性や、目の前のガルツ――男性でもヒトに近いのをマダラと言うらしい――などどころか、まさに直立するケモノである一般男性と比較してもかけ離れた体躯。
『――やあ、大丈夫かい? 落ちてきたところ申し訳ないんだけれども、そこから退いてくれないかな。私のお腹の上なんだ』
初遭遇時の第一声を思い出し、思わず笑いを零すセレン。自分は運が良かったのだろうなと、またひとつ実感する。
「どうしたの?」
「いえ、私、凄い人に拾ってもらったんだなあって、改めて」
「ああ、そうかもね。でも、司祭さんの旅に付き合える?」
「頑張ります。これでも、身体は鍛えてる方ですから」
ガルツから受け取った袋をよいしょと背負い直して、セレンはふわりと笑う。ガルツもそれに応じるように人懐っこい笑みを浮かべた。
「じゃあ、気を付けて帰るんだよ。司祭さんによろしく」
「はい。ありがとうございました」
ひとつ礼をして、セレンは店を出ると通りを宿場街の方へと早足で駆けていく。
その小さな背中が見えなくなるまで見送って、ガルツは笑みをそのままに踵を返した。
「――そこのトラのおにーさん、今日はお肉に付けるロッツオの実が安いよ! どう、おひとつ!」
「どうしたの?」
「いえ、私、凄い人に拾ってもらったんだなあって、改めて」
「ああ、そうかもね。でも、司祭さんの旅に付き合える?」
「頑張ります。これでも、身体は鍛えてる方ですから」
ガルツから受け取った袋をよいしょと背負い直して、セレンはふわりと笑う。ガルツもそれに応じるように人懐っこい笑みを浮かべた。
「じゃあ、気を付けて帰るんだよ。司祭さんによろしく」
「はい。ありがとうございました」
ひとつ礼をして、セレンは店を出ると通りを宿場街の方へと早足で駆けていく。
その小さな背中が見えなくなるまで見送って、ガルツは笑みをそのままに踵を返した。
「――そこのトラのおにーさん、今日はお肉に付けるロッツオの実が安いよ! どう、おひとつ!」
「ただいま戻りました」
「お帰り」
セレンが部屋に戻ると、司祭は彼女の宣言に声だけを返し、テーブルに向かって何かをしているようだった。
その巨体の背中を丸めて、いそいそと手元の何かを弄ることに専念している。やはり手先が器用なのは間違いないらしい。
司祭が何をしているのかを気にしつつも、セレンはベッドに腰掛けて、司祭が作業を終えるのを静かに待った。
「――ん、ご苦労様。ちゃんと受け取ってきた?」
司祭が動いたのは一時間近く後のこと。丸い背中を伸ばしてから振り向いた司祭に、セレンは受け取ってきたものを順に見せる。
「はい。これがザーツさんから頂いてきたものです。こっちがヴィヴィオラさんと、ガルツさんから。よろしくって言ってました」
「ん、よくできました。じゃあ、取り敢えずしばらくはゆっくりしてていいよ。もう少ししたらご飯を食べに行こうか」
「分かりました」
言いつつ、司祭はガルツの袋に手を伸ばし、爪先でひとつココナッツをつまみ出して、口元に運ぶ。
そして嘴を開き、そのままぽいと放り込んだ。ばきばき、ごりごり、もぐもぐと司祭の頬の辺りが蠢き、しばらくでごくりと一飲みに嚥下する音がセレンの耳にも響く。
「あの、それって、何なんですか?」
「これ? アフアの実だよ。ちょっと癖があって好きな人と嫌いな人は結構分かれるけど、私は好きだね」
「アフア、って言うんですか……」
茶色の筋に覆われたようなその外見は、セレンからすれば父親が何故か大好きだったココナッツによく似ていた。誕生日に作ってくれるケーキの中には必ず入っていて、自然とセレンも好きになった果物のひとつ。
父親と一緒に殻を割って食べていたことを思い出して、ついセレンは質問を続けた。
「そのまま食べるものなんですか?」
「いや? あんまり丸のまま食べるものじゃないんだけど、面倒だから」
「そ、そうなんですか…… 味はどのような?」
「味かい? さっきも言ったように癖はあるけど、アマーレンとかに比べるとさっぱりしてるよ。甘さ控えめ、というやつかな。もうちょっと熟してくると少し変わっちゃうけれどね」
言いつつ、司祭はさらにひとつを嘴の中へと運ぶ。咀嚼と嚥下の音。
「食べてみる?」
「あ、はい。宜しければ、是非」
「ん。ちょっと待ってね」
ひとつを取り出した司祭は、その手の鋭く長い爪をざくりとアフアの実に突き刺した。
「よい、しょと」
司祭がそのまま手を捻るとぱきぱきという乾いた音を立てて実がひび割れ、ついにはぱかりと大きく裂けた。
白い果肉の中に溜まっていた、白くどろりとした果汁が僅かに零れる。しかし気にする風もなく、司祭はそのまま割れた実をセレンに差し出した。
「はい。出来るだけ零さないようにね」
「あ、ありがとうございます」
受け取って、少し悩んだ後にまずは果汁を飲み干そうとするセレン。
割れた実の片割れをお椀のように持ち、口元でそっと傾ける。ココナッツを濃くしたような青臭い匂いが少しだけ気になったが、そういうものなのだろうと構わず飲み干した。
「んっ……」
匂いに反して、確かに口当たりは悪くない。
ココナッツとは微妙に違う、けれども似ている味がセレンの喉を潤した。
「どう?」
「美味しいです」
「それは良かった。はい、スプーン」
「あ、ありがとうございます」
ひとつ頷くと、司祭ももうひとつを取って嘴の中へと丸のまま放り込んだ。
それを横目に、セレンは受け取ったスプーンで中の白い果肉を抉り、ぱくりと食べる。
こちらは固めのナタデココとでも言うべきか。ココナッツよりは柔らかく弾力があり、ゼリーとコンニャクの中間のような触感だった。
もぐもぐとよく味わって食べ、続いてもう一切れを口の中へと運び――
「……?」
身体が徐々に火照ってきて、次第にワンピースが肌に張り付くほどの汗が流れ、はぁ、と熱い吐息が自然に漏れるほどになり。
「あ、の。司祭、さん……」
セレンがよく覚えているのは、彼にそう呼びかけたところまでだった。
「お帰り」
セレンが部屋に戻ると、司祭は彼女の宣言に声だけを返し、テーブルに向かって何かをしているようだった。
その巨体の背中を丸めて、いそいそと手元の何かを弄ることに専念している。やはり手先が器用なのは間違いないらしい。
司祭が何をしているのかを気にしつつも、セレンはベッドに腰掛けて、司祭が作業を終えるのを静かに待った。
「――ん、ご苦労様。ちゃんと受け取ってきた?」
司祭が動いたのは一時間近く後のこと。丸い背中を伸ばしてから振り向いた司祭に、セレンは受け取ってきたものを順に見せる。
「はい。これがザーツさんから頂いてきたものです。こっちがヴィヴィオラさんと、ガルツさんから。よろしくって言ってました」
「ん、よくできました。じゃあ、取り敢えずしばらくはゆっくりしてていいよ。もう少ししたらご飯を食べに行こうか」
「分かりました」
言いつつ、司祭はガルツの袋に手を伸ばし、爪先でひとつココナッツをつまみ出して、口元に運ぶ。
そして嘴を開き、そのままぽいと放り込んだ。ばきばき、ごりごり、もぐもぐと司祭の頬の辺りが蠢き、しばらくでごくりと一飲みに嚥下する音がセレンの耳にも響く。
「あの、それって、何なんですか?」
「これ? アフアの実だよ。ちょっと癖があって好きな人と嫌いな人は結構分かれるけど、私は好きだね」
「アフア、って言うんですか……」
茶色の筋に覆われたようなその外見は、セレンからすれば父親が何故か大好きだったココナッツによく似ていた。誕生日に作ってくれるケーキの中には必ず入っていて、自然とセレンも好きになった果物のひとつ。
父親と一緒に殻を割って食べていたことを思い出して、ついセレンは質問を続けた。
「そのまま食べるものなんですか?」
「いや? あんまり丸のまま食べるものじゃないんだけど、面倒だから」
「そ、そうなんですか…… 味はどのような?」
「味かい? さっきも言ったように癖はあるけど、アマーレンとかに比べるとさっぱりしてるよ。甘さ控えめ、というやつかな。もうちょっと熟してくると少し変わっちゃうけれどね」
言いつつ、司祭はさらにひとつを嘴の中へと運ぶ。咀嚼と嚥下の音。
「食べてみる?」
「あ、はい。宜しければ、是非」
「ん。ちょっと待ってね」
ひとつを取り出した司祭は、その手の鋭く長い爪をざくりとアフアの実に突き刺した。
「よい、しょと」
司祭がそのまま手を捻るとぱきぱきという乾いた音を立てて実がひび割れ、ついにはぱかりと大きく裂けた。
白い果肉の中に溜まっていた、白くどろりとした果汁が僅かに零れる。しかし気にする風もなく、司祭はそのまま割れた実をセレンに差し出した。
「はい。出来るだけ零さないようにね」
「あ、ありがとうございます」
受け取って、少し悩んだ後にまずは果汁を飲み干そうとするセレン。
割れた実の片割れをお椀のように持ち、口元でそっと傾ける。ココナッツを濃くしたような青臭い匂いが少しだけ気になったが、そういうものなのだろうと構わず飲み干した。
「んっ……」
匂いに反して、確かに口当たりは悪くない。
ココナッツとは微妙に違う、けれども似ている味がセレンの喉を潤した。
「どう?」
「美味しいです」
「それは良かった。はい、スプーン」
「あ、ありがとうございます」
ひとつ頷くと、司祭ももうひとつを取って嘴の中へと丸のまま放り込んだ。
それを横目に、セレンは受け取ったスプーンで中の白い果肉を抉り、ぱくりと食べる。
こちらは固めのナタデココとでも言うべきか。ココナッツよりは柔らかく弾力があり、ゼリーとコンニャクの中間のような触感だった。
もぐもぐとよく味わって食べ、続いてもう一切れを口の中へと運び――
「……?」
身体が徐々に火照ってきて、次第にワンピースが肌に張り付くほどの汗が流れ、はぁ、と熱い吐息が自然に漏れるほどになり。
「あ、の。司祭、さん……」
セレンがよく覚えているのは、彼にそう呼びかけたところまでだった。