Mystery Circle 作品置き場

空蝉八尋

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nightstalker

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Last update 2008年03月15日

彼女の恋愛推理論  著者:空蝉八尋



「どうか、私の恋を叶えてください!」




 僕は思わず絶句した。
 ベルも鳴らさず扉を叩きあけるなり、机に足を上投げ出した僕の姿を確認して一礼したかと思えば、勝手に窓際のソファへ腰を下ろす。
 僕が呆気にとられてその様子を眺めていると、何故座らないのかと言わんばかりの瞳で見つめてくるのだ。
 灰皿にまだ長い煙草をねじって押し付け、僕は向かいのソファに現状を理解出来ないまま浅く腰かけた。
 そう、そこでお決まりのたわいもない挨拶やら自己紹介やらをすべてふっ飛ばし、彼女は少女漫画の主人公のような台詞を叫んだ。
 窓ガラスが揺れたのではないかと思えるほどに見事な大声で。 


「えーと……此処は恋愛相談所じゃないんだけど」
「そのくらいっ、存じておりますっ!」
「えーと……此処はさわやか相談室じゃないんだけど」
「分かっていますっ! 高校生だからってなめないで下さいっ!」
「いや別になめたつもりはないんだけどな……」
 膝の上で拳を硬く握りしめ、懐かしいセーラー服のプリーツにしわを寄せている。
 部活で運動でもしているのだろうか、細い両手首はミサンガやらリストバンドで飾られている。
 しかしラケットを持っている様子もなく、代わりに鞄と並んでいるのは小さな木管楽器のケースだった。
 黒く長い髪を腰まで流し、飾り気のないそれがかえって彼女をひきたてているように思えた。

「で、叶えてくれるんですか? くれないんですか?」
「あのねぇ。言っておくけど此処は……」
「探偵事務所だとおっしゃいたいんですね」
 どうやら彼女は何も知らないわけではなさそうだった。
 確かにここはひっそりとはしているが探偵事務所だ。
 しかし僕はますます訳が分からなくなり、眉間にしわを寄せる。
「どうしました? 頭痛ですか?」
「一種の頭痛ではあるけど」
 原因は君だ。
 少しは落ち着いたのだろうか、彼女は口を横に結んで俯いた。
「とりあえず、君の名前を教えてくれないか」
「澤口まどかと申します」
「澤口さん、と。制服からみると葉中女子高校かな」
 葉中女子高等学校といえば、この辺りの女子高校では名門中の名門。
 一般人が淡く儚い、時折妄想の過ぎた夢をはせるお嬢様校だった。
「正解です……が」
 そこで彼女は何故だか涙を少し滲ませた顔をあげる。
「澤口さんではやけによそよそしいので、まどかちゃんでお願いします」
 本当になんなんだこの子は。
 僕は引きつる笑顔を無理矢理に返す。
「……まどかちゃん、最初に……いやもうだいぶ遅れて言っておくけど。此処は君も知ってのとおり探偵事務所だ」
「ハイ」
「恋愛相談は出来ないんだ」
「ハイ」

 しばらくの沈黙が訪れる。
 しかもその間中、まどかちゃんは僕の顔をキョトンとした顔で見つめ続けていた。
 僕は深呼吸をして動悸を整えてから、再び彼女へ挑戦状を送る。
「聞いたところ君はすべて理解している、ようにみえる。でもどうして探偵事務所に恋愛相談に来ているんだ?」
「恋愛相談じゃありません。叶えてほしいと言っているんです、探偵さんでないと駄目なんです」
「探偵じゃないと駄目ェ? 一体どんな相談なんだソレは……」
 ため息をつかせる暇もなく、彼女は僕の言葉へすぐに反応を返した。
「その明晰な頭脳で推理して頂きたいんです」
「はァ、推理ねぇ」
 明晰な頭脳、という言葉を気に入っている場合でなく、なんだか物凄い難題を突きつけられそうだ。
 握りしめた手のひらに汗が滲む。
「じ、自分でも分かっているんです! 一目惚れからなにから、人よりも少しばかり恋多き人生だって」
「いいんじゃないの、別に。まだ若いんだし」
「いいえ、いいえっ!」
 まどかちゃんは大きく首を横に振った。瞳には絶えず涙を浮かべている。
「若さなんて恋愛には関係ありません。若いと沢山の恋に堕ちるものなのですか?」
「まあ世間一般にはそんな感じ……」
「信 じ ま せ ん っっっっっっっっっ !」
 僕はその荒れ狂う滝をも連想させる少女の迫力に、思わず後ろへのけぞった。
 背もたれの足りないソファから滑り落ちそうになる。
「私は信じません! 愛した人とは、一生をかけて連れ添わなくてはならないと思うんです」
「…………まあ、ウン。それは人それぞれの価値観だから否定はしないよ、ウン」
 そんなに自己観念が強いのなら、わざわざ人に尋ねるまでしなくても、と僕は心の中で呟いた。
「本当にそう思います?」
「思う思う」
 彼女はわずかに頬を紅潮させ、手を当てた。
「そう共感して頂けたのは、探偵さんが始めてです」
「え。そ、そうなの」
「そうです」
 否定しとけば良かった。
「でも、でもですね。私はそう思って……一人の殿方をずっと、永遠に愛したいのに」
「心変わりしちゃうんだ?」
「いいえ」
 予想外の言葉に少し戸惑う。失礼だが移り気の多そうな性格の少女だったからだ。
「いいえ……私ではないんです。お付き合いさせて頂いた方は皆……私を捨てて」
 彼女の両目から、透き通った涙が溢れた。
「捨ててってそんな……そんなもんだと思うけど、恋愛なんて」
「やけに割り切っているのですね」
「まあね、現実を見てるからね。君と違って」
「恋人さん居ないんですね」
「余計なお世話だよ」
 まどかちゃんはハンカチで目頭を押さえ、消え入りそうな声で呟くように言った。
「"……もう絶対近付くな"」
「え?」
 耳を近づけ、思わず聞き返す。
「"行動が怖いんだよ"」
「はい?」
「"永遠に愛すとか言って……ふざけるなよ"」
「んん?」
「"……お前、病院行ったほうがいいぞ"」
「もしかしてそれ、フラれた男に言われたわけ?」
 頷く彼女の瞳にまた涙が浮かぶ。
「はァ……世の中酷い奴も居るもんだなぁ」
 いくら彼女の性格がああでも、ここまで言う事はないだろう。
 きっと彼女は惚れる男も間違っていたんだ。まさに不運のダブルパンチ、と言ったところか。




 まどかちゃんは僕の視線をしっかりと捕らえ、もう一度言い改めた。


「探偵さん。どうか、どうかこの恋が叶わない理由を推理しては頂けないでしょうか」


 えーと……。
「それはやっぱり恋愛相談所に行けよォォォ!」
「そんなはしたないこと私にはできませんっ!此処なら人目も限りなく少ないし、秘密にするには絶好の相談場所ではありませんか!」
「君は何気に人の心を、土足で踏み荒らすようなことをするよね」
 しかしながら探偵の哀しき性、僕は頭の片隅で彼女の恋がいつも叶わない理由を推理していた。
 推理というより、なぐさめを含む答えを探していた。
 口にこそ出さなかったものの、こうなったからには仕方がない。覚悟を決めよう。
「僕が思うにはね。君の勢いっていうか……迫力っていうか。それが原因だと思うよ」
「迫力ですか……?」
 彼女は首を傾げて自分の手を見つめていた。
「そう。好きな人とは絶対一生を遂げる……そういうの素敵だとは思うけど、ちょっと重たすぎるんだよ」
「でも……私は……」
「そういうつもりじゃないって言うんだろ。君にその気はなくても、周りの人にとっては違うってことが世の中には沢山あるんだ」
 女子高育ちのお嬢様の考えそうなことだ、と今なら思える。
 めっきり言葉を失ってしまったまどかちゃんは、やがておずおずと口を開いた

「私は、恋をしてはいけないんでしょうか……周りと価値観の違う私が恋をしたら、迷惑になるだけですよね」
「僕はそんなことを言ってるんじゃないよ。そのうち分かってくると思うんだ、君も好かれる側になったりしたら……きっと叶うよ、君の恋も」
 一旦言葉を切ってから、ところで、と付け足す。
 彼女が最初に叫んだ台詞が脳内に再びよみがえった。

「これって……恋を叶えたことにはならないよなぁ……」

 でもたまには恋愛相談をされる探偵というのも悪くはないな、と言いかけた矢先だった。
 いつの間にか彼女の両手で、僕の右手が包まれている。一瞬状況が飲み込めない。
「…………ま、まどかちゃん? 何してんの?」
「探偵さんは私の恋を、見事に叶えてくれました」
「え、え……まさか……まさか」
 彼女が見せたくったくのない笑みとは裏腹に、額から冷や汗が大量に流れ出る。 
「はじめに言った通り、私は恋愛相談に来たのではありません」
 頼むから、頼むから言わないでくれ、その先は!
「愛の告白を伝えに来たのですから……」
「…………っ!?」 
 ギャーーーース!! 僕は声を発することも出来ずに、ただ心の中で絶叫した。
「実は二週間前、帰り道でみかけた探偵さんに一目惚れしてしまいまして」
「ねえ君、絶対一目惚れ以外に恋したことないだろう!」
 僕の右手はまだしっかりと握られたままで、しかもその握力は込められる一方だ。
「あの……私これから頑張りますから。助けると思ってお付き合いを……」
「うぅ、そんなこと言われたってねェ」
「恋人さんいらっしゃらないならいいじゃないですか!」
「余計すぎるお世話だよっ!」
 なんだ。
 なんだ。
 なんなんだこのオチは。
 例えこの認めたくもない現実が作り話だったとしても、僕は断固として否定する。
「やっぱり、だ、駄目でしょうか……」
「うーん……」 
 矛盾するようだが、僕は正直迷っていた。
 しかしここまできたのなら、いっそ覚悟を決めるほかない。彼女の相談に乗ったときから、この運命は決まっていたのだ。そう思い込むしかなさそうだ。
 そう考えてみると、目の前の少女が急に一層輝きを増すように見えてくる。
 告白されてから気になってー……という典型的パターンはおそらく、こんな心理なんだろう。
「じゃあ、さ。お付き合いとまではいかないけど……ほらね、僕達会ったばかりだし」
「私はずっと前から存じておりましたが」
「二週間前の場合ずっとは不適切だな」
 しかし彼女は僕の返事に満足したようにほほ笑んだ。
 僕の心臓も、その優しい笑みに落ち着きを取り戻しつつあった。

「まあ、これからひとつよろしくね」
「よろしくお願いします。フフッ……」
 まどかちゃんは僕を見つめ、少し笑い声をもらした。
「あ。そういえば僕、名前も言ってなかったね……ていうか、普通お付き合いする相手の名前は聞いておくのが……」
 ふと気付いて顔を上げると、まどかちゃんはおもむろに席を立つと、鞄の横に立て掛けていた楽器ケースを漁っていた。
「何してんの?」
「ウフフ、これから誓いの儀式をたてるんです。ロマンチックでしょう?」
「誓いの儀式ねぇ……どこでそんな遊び覚えて来るんだか」
 おおかた親戚の結婚式にでも影響されたんだろう。彼女の横顔は静かだったが、嬉しそうだった。
「じゃあ、探偵さん……じゃないですね。明智さん、後ろを向いて下さい」
「え。僕の名前知って」
「言ったじゃないですか、存じ上げてましたって」
 僕は指示されたとおりに彼女に背中を向けた。指輪やネックレスでもかけるんだろうか。
 窓の外はもうすっかり日が落ちて、千切れ雲が浮かぶ空には星が転々と映っている。


 チャリン。


 金属音がした時、僕の脳裏に浮かんだのはきらびやかな指輪やネックレスではなかった。
 探偵の頭脳がこれまでの人生のうちで最速に、俊敏に、正確に、単純に働いた。

 チャリン、といった?

 あの時の記憶が一枚の写真のように眼裏へ映像化される。
 不自然なミサンガ、リストバンド。

『一人の殿方をずっと、永遠に愛したいのに』

 彼女の理解出来ない言動、行動、正確、そして恋への憧れ。愛の思想。
 彼女がもらした、男達のあの呟き。



 もう絶対近付くな。
 行動が怖いんだよ。
 永遠に愛すとか言って……ふざけるなよ。
 ……お前、病院行ったほうがいいぞ。


 嗚呼僕が、僕が探偵でなければよかった。
 混乱したようで整理され尽くした僕の脳内。
 恐ろしいほどに一本の線しか残されていない僕の脳内。 

 クビニフレタ ツメタク ロマンチックナ キンゾクノ カンショク 


















 心中癖!














 ねぇ、探偵さん。
 あ……また間違えました。明智さんと呼ばなければなりませんね。
 探偵さん、私は貴方の事を本当に好きでした。
 嘘なんかじゃありません。
 私は貴方を永遠に愛するって決めたんですから。

 ねぇ、いいんでしょう?

「いつも、いつも愛する殿方の傍に居られず、恥の多い生涯を送ってきました。 ……でもそれも今日でお終いです」

 貴方が叶えてくれたから。




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