Last update 2008年03月15日
独白 『無題』 著者:一茶
恥の多い生涯を送ってきました。
僕のこれまでの人生を一言で言うのにふさわしい言葉だ。
恥の多い生涯、自意識過剰と言われればその通りかもしれない。
ただ、僕にとっては恥の多い生涯だった。それだけで十分だ。
誰が他人の視線や第三者的視線で持って僕の人生を語る必要がある。
そんなの、僕にとっては愚でしかない。
僕の人生に僕以外の考え方の解釈など、道端に落ちているゴミに等しい。
別に、今までの僕の生涯を君に語ろうとなど考えていない。
ただ、ある種の宣言をしたいと思うんだ。
さっきから、生涯だの人生だのと言っているが、実は僕はまだ生まれてから二十年程度の年月しか生きていない。
そんな僕が、何を宣言できると言うのだろうか。何を宣言しようと言うのだろうか。
君は疑問に思うはずだろう。
僕は、これから幾つかの小説を書こうと思っている。
僕が、今まで生きてきた生涯よりも更に長い年月を掛けてね。
思っているだけでは、日々の営みの忙しさからこのことを忘れてしまうかもしれない。
だから、僕はここにそのことを書き示すこと、宣言することで動機付けと、ある種の束縛をしようと思っているんだ。
君には傍迷惑な話だろう。
いいじゃないか、所詮人間なんて他人に迷惑を掛け続けて生きているようなものなんだから。
それに、迷惑だと思うのならばこんな誰にでも書けるような文章など読まなければいい。
それでも、読んでくれるような君に僕は感謝しよう。
僕のこれまでの人生を一言で言うのにふさわしい言葉だ。
恥の多い生涯、自意識過剰と言われればその通りかもしれない。
ただ、僕にとっては恥の多い生涯だった。それだけで十分だ。
誰が他人の視線や第三者的視線で持って僕の人生を語る必要がある。
そんなの、僕にとっては愚でしかない。
僕の人生に僕以外の考え方の解釈など、道端に落ちているゴミに等しい。
別に、今までの僕の生涯を君に語ろうとなど考えていない。
ただ、ある種の宣言をしたいと思うんだ。
さっきから、生涯だの人生だのと言っているが、実は僕はまだ生まれてから二十年程度の年月しか生きていない。
そんな僕が、何を宣言できると言うのだろうか。何を宣言しようと言うのだろうか。
君は疑問に思うはずだろう。
僕は、これから幾つかの小説を書こうと思っている。
僕が、今まで生きてきた生涯よりも更に長い年月を掛けてね。
思っているだけでは、日々の営みの忙しさからこのことを忘れてしまうかもしれない。
だから、僕はここにそのことを書き示すこと、宣言することで動機付けと、ある種の束縛をしようと思っているんだ。
君には傍迷惑な話だろう。
いいじゃないか、所詮人間なんて他人に迷惑を掛け続けて生きているようなものなんだから。
それに、迷惑だと思うのならばこんな誰にでも書けるような文章など読まなければいい。
それでも、読んでくれるような君に僕は感謝しよう。
少し、僕について必要な情報でも差し出そうか。
僕は、これまで生きてきた中でいわゆる「小説」を幾つか書いてきた。
僕のその時の主観で、小説と呼べるものを書いてきたつもりだ。
だが、僕はある人の投げかけによって、また僕自身の自問自答によって、今までに書いてきたはずの「小説」を疑いはじめた。
ある人はこう言った「なぜ、君は小説を書くんだい。」とね。
当時の僕にとって、これは特に重要視するほどの投げかけではなかった。
だけど、この投げかけを僕自身の中で反芻していくことで分からなくなったんだ。
僕が小説を書くことの意味がね。
考えてもみてほしい。
ひとくくりに何かを表現するといってもその手段は多数ある。
別に、漫画でもいいじゃないか。ライトノベルでもいいんじゃないのか。
ならば、なぜ僕は「小説」に固着する必要があるんだろうか。
絵が描けないのなら練習して描けるようになればいいじゃないか。
小説ではなく、ライトノベルでいいのなら、それでいいじゃないか。
でも僕はそれらでは駄目で、あくまで「小説」で表現したいと思っているんだ。望んでいるらしい。
じゃぁ、僕が書こうとしている「小説」ってなんなんだろうか。
他と、何が違って何を表現するんだろうか。
それは―ここまで読んできてくれた君には少々申し訳ないが―僕にはまだ分かっていない。
ただ「ナニカ」を表現したいとは思っているらしいんだ。
その「ナニカ」が今の僕には分からないだけだと思う。そう、思いたい。
言葉遣いかもしれないし、物語かもしれない。
もしかしたら、別に漫画やライトノベルでもいいようなものを、敢えて小説に描こうとしているだけなのかもしれない。
まぁ、いい。
少なくとも、僕は「小説」を書くことでそれを理解していきたいと思っている。
もしかしたら、気付けば漫画を描こうとし始めるかもしれないし、ライトノベルを書いているかもしれない。
それはそれで、仕方の無いことだ。
今の僕にはどうしようもないことだ。
僕は、これまで生きてきた中でいわゆる「小説」を幾つか書いてきた。
僕のその時の主観で、小説と呼べるものを書いてきたつもりだ。
だが、僕はある人の投げかけによって、また僕自身の自問自答によって、今までに書いてきたはずの「小説」を疑いはじめた。
ある人はこう言った「なぜ、君は小説を書くんだい。」とね。
当時の僕にとって、これは特に重要視するほどの投げかけではなかった。
だけど、この投げかけを僕自身の中で反芻していくことで分からなくなったんだ。
僕が小説を書くことの意味がね。
考えてもみてほしい。
ひとくくりに何かを表現するといってもその手段は多数ある。
別に、漫画でもいいじゃないか。ライトノベルでもいいんじゃないのか。
ならば、なぜ僕は「小説」に固着する必要があるんだろうか。
絵が描けないのなら練習して描けるようになればいいじゃないか。
小説ではなく、ライトノベルでいいのなら、それでいいじゃないか。
でも僕はそれらでは駄目で、あくまで「小説」で表現したいと思っているんだ。望んでいるらしい。
じゃぁ、僕が書こうとしている「小説」ってなんなんだろうか。
他と、何が違って何を表現するんだろうか。
それは―ここまで読んできてくれた君には少々申し訳ないが―僕にはまだ分かっていない。
ただ「ナニカ」を表現したいとは思っているらしいんだ。
その「ナニカ」が今の僕には分からないだけだと思う。そう、思いたい。
言葉遣いかもしれないし、物語かもしれない。
もしかしたら、別に漫画やライトノベルでもいいようなものを、敢えて小説に描こうとしているだけなのかもしれない。
まぁ、いい。
少なくとも、僕は「小説」を書くことでそれを理解していきたいと思っている。
もしかしたら、気付けば漫画を描こうとし始めるかもしれないし、ライトノベルを書いているかもしれない。
それはそれで、仕方の無いことだ。
今の僕にはどうしようもないことだ。
―どんな物語であれ、物語とは唐突に終わるものだ。もちろん、この物語であっても―
唐突だが、ここまで読んできてくれた君に感謝しよう。
そして、その意を込めて僕がこれから書こうとしている小説の終わりの一行を載せて僕の独白を終わりとしたい。
その終わりの一行とはこれだ。
「文学少女よ」
そして、その意を込めて僕がこれから書こうとしている小説の終わりの一行を載せて僕の独白を終わりとしたい。
その終わりの一行とはこれだ。
「文学少女よ」