いばらの城
随分とくたびれた部室のイスに座り、厚くなったノートを捲りながら黒咲あかねは、黒タイツの脚を揃えていた。
何度も何度も書いては消して、穴が開くほど必死に黒咲あかねは自分のノートを見つめていた。
「うーん。ちがう!このセリフはない!せめて配役がはっきりと決まれば……」
時折、長い黒髪がノートの邪魔をする。背中まで伸ばした黒咲あかねのロングヘアは、暖かくなり始めた日差しに照らされ、
あらゆる人の目を引き止めるほどの輝きを放ちながら、自己主張控えめなシャンプーの香りをさせているのに悲しいかな、あかねはその自覚が全く無い。
誰かの為でも無いけれど、誰かに気付いて欲しいと思う、ささやかなあかねの小さなナイショ話は、まだ誰にも聞かれてはいない。
何度も何度も書いては消して、穴が開くほど必死に黒咲あかねは自分のノートを見つめていた。
「うーん。ちがう!このセリフはない!せめて配役がはっきりと決まれば……」
時折、長い黒髪がノートの邪魔をする。背中まで伸ばした黒咲あかねのロングヘアは、暖かくなり始めた日差しに照らされ、
あらゆる人の目を引き止めるほどの輝きを放ちながら、自己主張控えめなシャンプーの香りをさせているのに悲しいかな、あかねはその自覚が全く無い。
誰かの為でも無いけれど、誰かに気付いて欲しいと思う、ささやかなあかねの小さなナイショ話は、まだ誰にも聞かれてはいない。
「あかねちゃん!!あかねちゃん!!起きろー!!」
不意の言葉に、あかねは手にしていたノートを膝に落とし、目を丸くしながら声の方にと振り向く。
みどりの黒髪が輪を描く。座ったあかねの目線には、にまにまと笑みを浮かべる演劇部部員で同級生の久遠荵が立っていた。
あかねとは対称的に短く揃えられた健康的な栗色の髪は、健康的な光を透き通らせ、ワンポイントのヘアゴムが幼さを表している。
ニッとイタズラ小僧のような顔を見せる荵の口元からは、真っ白な八重歯が顔を見せていた。
不意の言葉に、あかねは手にしていたノートを膝に落とし、目を丸くしながら声の方にと振り向く。
みどりの黒髪が輪を描く。座ったあかねの目線には、にまにまと笑みを浮かべる演劇部部員で同級生の久遠荵が立っていた。
あかねとは対称的に短く揃えられた健康的な栗色の髪は、健康的な光を透き通らせ、ワンポイントのヘアゴムが幼さを表している。
ニッとイタズラ小僧のような顔を見せる荵の口元からは、真っ白な八重歯が顔を見せていた。
「仕上がった?今度の学内演劇会で使う台本」
「セリフが、あともう少しなんだけど、どうも……」
「あかねちゃんの『どうも』は、みんなの『どうも』じゃないね!」
「今回は今までと逆で、セリフが決まってから配役だから、どうしても」
ノートを両手で抱えて俯くあかねの顔を荵はくいっと覗き込む。恥ずかしがるあかねを喜ぶように、荵はじっと目を合わせた。
あかねのノートには、マジックインキで小さく『いばらひめ』と書かれ、その事実を荵が掴む。
「セリフが、あともう少しなんだけど、どうも……」
「あかねちゃんの『どうも』は、みんなの『どうも』じゃないね!」
「今回は今までと逆で、セリフが決まってから配役だから、どうしても」
ノートを両手で抱えて俯くあかねの顔を荵はくいっと覗き込む。恥ずかしがるあかねを喜ぶように、荵はじっと目を合わせた。
あかねのノートには、マジックインキで小さく『いばらひめ』と書かれ、その事実を荵が掴む。
彼女らの通う仁科学園では、毎年恒例になっている行事『学内演劇会』が間もなく行われる。
演劇部の一年生を中心とした出し物を行うのだが、今年は他の部からも協力が得られることなり、
初めてステージを踏む体育系の部員たちも多いと聞く。そんな行事の主役、そして脚本を任されたのが……。
「わたし……」
「そうだよね!わたしの分の台本はバッチリだから、あかねちゃんのも期待してるよ!」
「うん」
演劇部の一年生を中心とした出し物を行うのだが、今年は他の部からも協力が得られることなり、
初めてステージを踏む体育系の部員たちも多いと聞く。そんな行事の主役、そして脚本を任されたのが……。
「わたし……」
「そうだよね!わたしの分の台本はバッチリだから、あかねちゃんのも期待してるよ!」
「うん」
今年の演目は『茨姫』。魔女のはかりごとで、茨に包まれた古城に眠る若き王女、そして彼女を救う王子。
主役に抜擢されたのがこの二人であった。衣装もだいたい決まった。「コスプレ部」の協力の下、採寸をされた王女のドレスは、
あかねの長い髪に似合う美しいものであった。また、王子の衣装も荵を落ち着かせるのにも十分な出来だった。
舞台設置も進み、本の読みあわせを控え、後は初めて舞台を踏む他の部活生たちの緊張を解すだけ。
「だめ……。仕上がんない」
誰にも漏らすことの無いあかねの一言は、あかね自身を責める。
主役に抜擢されたのがこの二人であった。衣装もだいたい決まった。「コスプレ部」の協力の下、採寸をされた王女のドレスは、
あかねの長い髪に似合う美しいものであった。また、王子の衣装も荵を落ち着かせるのにも十分な出来だった。
舞台設置も進み、本の読みあわせを控え、後は初めて舞台を踏む他の部活生たちの緊張を解すだけ。
「だめ……。仕上がんない」
誰にも漏らすことの無いあかねの一言は、あかね自身を責める。
荵はあかねの白い手を掴み、古びた木の香りのする部室から外へと連れ出していった。
創作意欲を沸かせるには、気分転換がいちばんだと、彼女らの先輩から教わった。先輩の言うことは、実になる。
がらりと開いた扉からは、春にはまだ早い生暖かい風が吹き抜ける。荵はあかねに、ニコリと笑みを贈った。
荵はさも、茨の城から姫を救い出した、物怖じせぬ若き王子のようだった。
創作意欲を沸かせるには、気分転換がいちばんだと、彼女らの先輩から教わった。先輩の言うことは、実になる。
がらりと開いた扉からは、春にはまだ早い生暖かい風が吹き抜ける。荵はあかねに、ニコリと笑みを贈った。
荵はさも、茨の城から姫を救い出した、物怖じせぬ若き王子のようだった。
あかねの手にしていたノートを荵がひったくる。パラパラと流し見すると、春の日のように暖かい言葉を陰に篭る王女へ献呈する。
「あかねちゃんは、悩むぐらいだったらわたしにでもすぐに相談することっ」
「でも、久遠に迷惑だし」
「ううん!わたしの方がもっと迷惑をかけているのだ!『久遠荵のひみつのーと』なくしちゃってね。にししっ」
「だめじゃないの……それ」
シナリオの為のメモに使う「ネタ帳」をなくしても笑っていられる荵に、あかねは尊敬せざるえなかったのだ。
「あかねちゃんは、悩むぐらいだったらわたしにでもすぐに相談することっ」
「でも、久遠に迷惑だし」
「ううん!わたしの方がもっと迷惑をかけているのだ!『久遠荵のひみつのーと』なくしちゃってね。にししっ」
「だめじゃないの……それ」
シナリオの為のメモに使う「ネタ帳」をなくしても笑っていられる荵に、あかねは尊敬せざるえなかったのだ。
荵の歩幅に気を使いながら、あかねはすらりと伸びた脚で廊下を鳴らす。なんでもない放課後であればあるほど、あかねは孤独を感じ、
自分自身を茨に包み込んでしまう。無茶と知りながら、剪定ばさみで茎を切りとる荵は、手を傷つけることを恐れない。
ぱちん……ぱちんと音は聞こえぬが、傷付けるだけの植物が少しずつあかねから離れる。
「おや?あかねちゃん!あかねちゃん!あれ見てみて」
「なんだろう」
好奇心旺盛な王子は、多少移り気。荵の興味を誘ったのは、窓から見える中庭の片隅で、不思議な行動を取る三人組だった。
自分自身を茨に包み込んでしまう。無茶と知りながら、剪定ばさみで茎を切りとる荵は、手を傷つけることを恐れない。
ぱちん……ぱちんと音は聞こえぬが、傷付けるだけの植物が少しずつあかねから離れる。
「おや?あかねちゃん!あかねちゃん!あれ見てみて」
「なんだろう」
好奇心旺盛な王子は、多少移り気。荵の興味を誘ったのは、窓から見える中庭の片隅で、不思議な行動を取る三人組だった。
「だめだめ!タク!命の息吹が感じられないよ」
「どうやって演技するんだよ、こんな役で!マサの無茶振り娘!」
手加減容赦ない熱血演技指導は、果たして演技理論に基づいていているのかどうかはともかく、
岡目八目で見てもこの日の中庭の中では、演劇に対して情熱を感じると、荵は目を輝かせていた。
高等部二年のランドマーク・相川拓司が部活仲間の武政千鶴と山尾修に唆されて、演劇の練習をしているところを
あかねがぼうっ、ぽうっと、そして荵が小動物のような目をして眺め続ける。荵の興味は彼ら以外に持てなかった。
彼らはアーチェリー部の三人組。その中でも、相川拓司はとにかく背が高い。同学年の生徒たちに囲まれても余裕に顔を覗かせることができるほど。
「どうやって演技するんだよ、こんな役で!マサの無茶振り娘!」
手加減容赦ない熱血演技指導は、果たして演技理論に基づいていているのかどうかはともかく、
岡目八目で見てもこの日の中庭の中では、演劇に対して情熱を感じると、荵は目を輝かせていた。
高等部二年のランドマーク・相川拓司が部活仲間の武政千鶴と山尾修に唆されて、演劇の練習をしているところを
あかねがぼうっ、ぽうっと、そして荵が小動物のような目をして眺め続ける。荵の興味は彼ら以外に持てなかった。
彼らはアーチェリー部の三人組。その中でも、相川拓司はとにかく背が高い。同学年の生徒たちに囲まれても余裕に顔を覗かせることができるほど。
それはともかく、彼らの話をじっと聞いているあかねと荵は、お互い歩みを止めてしばらく見入っていた。
「人物観察は演技の勉強」と、彼女らの生活習慣にしっかりと染み込んだクセは、不思議と現れる。
断片的だが、聞こえてくるのはやはり学内演劇会だと特定できたのは、そんなにも時間はかからなかった。
仔犬のような荵は、好奇心を隠すことが出来ず、今にも彼らの元へと走り出さんという勢いだが、
猫のようなあかねは、左手で右の二の腕を掴みながら、口を閉ざしているだけだった。
「ほら。あんなに今度の舞台に期待している先輩もいるんだから、ね!」
「……」
「人物観察は演技の勉強」と、彼女らの生活習慣にしっかりと染み込んだクセは、不思議と現れる。
断片的だが、聞こえてくるのはやはり学内演劇会だと特定できたのは、そんなにも時間はかからなかった。
仔犬のような荵は、好奇心を隠すことが出来ず、今にも彼らの元へと走り出さんという勢いだが、
猫のようなあかねは、左手で右の二の腕を掴みながら、口を閉ざしているだけだった。
「ほら。あんなに今度の舞台に期待している先輩もいるんだから、ね!」
「……」
―――わたし、「黒咲あかね」は、「あーちゃん」でした。
「あかね」の友だちが「あーちゃん」を連れてきました。いわゆる「推薦」です。
「あーちゃん」は、本の上でしか存在しませんでした。その日は撮影の日でした。「あかね」はゆううつでした。
日曜日、近隣の同い年位の女の子たちが集まり、『読モ(読者モデル)の私服着こなし発表会』の企画がありました。
「あかね」の友だちが「あーちゃん」を連れてきました。いわゆる「推薦」です。
「あーちゃん」は、本の上でしか存在しませんでした。その日は撮影の日でした。「あかね」はゆううつでした。
日曜日、近隣の同い年位の女の子たちが集まり、『読モ(読者モデル)の私服着こなし発表会』の企画がありました。
「あーちゃん、やっぱりおしゃれだね」
「ええ、そんな……。でも、古着系ばっかりだよ」
「それを着こなすあーちゃんは偉いなあ」
別に意識をしてきたわけでは無いけれど、立寄った古着屋で買ったロングスカートと、勧めてくれたショートブーツは、
「あかね」にとっては少しばかりの自慢でした。だけども、それを「あーちゃん」がかっさらってしまいまいた。
「ええ、そんな……。でも、古着系ばっかりだよ」
「それを着こなすあーちゃんは偉いなあ」
別に意識をしてきたわけでは無いけれど、立寄った古着屋で買ったロングスカートと、勧めてくれたショートブーツは、
「あかね」にとっては少しばかりの自慢でした。だけども、それを「あーちゃん」がかっさらってしまいまいた。
滞りなく撮影は進み、現場を取り仕切る、出版プロダクションのお姉さんは、「あーちゃん」を前面に推して載せるようなことを言っていました。
「やっぱり、あーちゃんだ!楽しみだね」
読モ仲間の声は、「あーちゃん」の力になります。
言っておきますが、みんなは嫉妬をしているのではありません。ただ、みんなもここで目立ちたかったのです。
立ち木を主役に、王女を背景にして、『茨姫』を演じたかったのです。
「やっぱり、あーちゃんだ!楽しみだね」
読モ仲間の声は、「あーちゃん」の力になります。
言っておきますが、みんなは嫉妬をしているのではありません。ただ、みんなもここで目立ちたかったのです。
立ち木を主役に、王女を背景にして、『茨姫』を演じたかったのです。
あるもんか、そんな演劇。
耳を済ませて聴いてみなさい。「あーちゃん」の後ろに隠れた仲間たち。木のざわめきは、不安を募らせる。
みんなが明るくなればなるほど、「あーちゃん」から伸びる「あかね」の影は暗かった。
耳を済ませて聴いてみなさい。「あーちゃん」の後ろに隠れた仲間たち。木のざわめきは、不安を募らせる。
みんなが明るくなればなるほど、「あーちゃん」から伸びる「あかね」の影は暗かった。
―――「とりゃー」
上履きのまま中庭に飛び出す。窓さえ、荵にとっては出入り口。日光で荵の小さなからだがシルエットとしてくっきり写る。
『くまさん』の○○○がスカートから見えたかも。あっけに取られたあかねは、荵の身軽さをちょっとうらやむ。
中庭の三人組の中にいつの間にか加わって、いいようにオモチャにされている荵は、誰とでもすぐに友だちになれる子。
「……」
また一人ぼっちになっちゃった、と、少し悔しい気持ちであかねは、荵を残して演劇部部室へと帰っていった。
上履きのまま中庭に飛び出す。窓さえ、荵にとっては出入り口。日光で荵の小さなからだがシルエットとしてくっきり写る。
『くまさん』の○○○がスカートから見えたかも。あっけに取られたあかねは、荵の身軽さをちょっとうらやむ。
中庭の三人組の中にいつの間にか加わって、いいようにオモチャにされている荵は、誰とでもすぐに友だちになれる子。
「……」
また一人ぼっちになっちゃった、と、少し悔しい気持ちであかねは、荵を残して演劇部部室へと帰っていった。
そんな中、荵は三人の先輩に囲まれて、仔犬のようにきゃんきゃんと尻尾を振る。
天高くそびえるランドマーク相川を見上げる。初めて都会にやって来た、無垢な若者を思い起こさせる背伸び具合。
「あかねちゃんも結構背が高いけど、相川先輩はすんごく高いですねえ!」
「ほら、かわいい後輩だよ。しっかり答えろー、って木にはセリフがありませんでした」
「やっぱり木なのかよ!木Aで終わるオレじゃねえ!!」
「タク、木を舐めちゃいない。縄文杉のように名を残す立派な木もあるんだよ!」
おさげの千鶴とノッポの拓司はまるで漫才コンビのようなテンポで、言葉と言葉をぶつけ合う。
恐らく演劇練習用の小道具が入った紙袋が、千鶴の足元に置かれている。千鶴がボケるたびにかさかさと紙袋は笑い、中身を揺らす。
横で見ている山尾修もボブショートを風に揺らして、得意の手作りクッキーを荵と一緒に食べながら漫才を特等席で見ていた。
天高くそびえるランドマーク相川を見上げる。初めて都会にやって来た、無垢な若者を思い起こさせる背伸び具合。
「あかねちゃんも結構背が高いけど、相川先輩はすんごく高いですねえ!」
「ほら、かわいい後輩だよ。しっかり答えろー、って木にはセリフがありませんでした」
「やっぱり木なのかよ!木Aで終わるオレじゃねえ!!」
「タク、木を舐めちゃいない。縄文杉のように名を残す立派な木もあるんだよ!」
おさげの千鶴とノッポの拓司はまるで漫才コンビのようなテンポで、言葉と言葉をぶつけ合う。
恐らく演劇練習用の小道具が入った紙袋が、千鶴の足元に置かれている。千鶴がボケるたびにかさかさと紙袋は笑い、中身を揺らす。
横で見ている山尾修もボブショートを風に揺らして、得意の手作りクッキーを荵と一緒に食べながら漫才を特等席で見ていた。
「もしかして、荵ちゃんって演劇部?」
「どうしてわかったんですか?もしかして、アレですか?」
「そうそう!アレなのよ。タクも分かった?」
「だから、アレってなんだよ!!」
すかさず仕返しばかりにと、拓司のツッコミ。残念ながら、効能には個人差があるよう。
「『いばら…ひめ、茨姫』だって」
ぼそりと修の一言で、拓司は全てを把握した。荵の口に、クッキーの甘味が広がる。
「どうしてわかったんですか?もしかして、アレですか?」
「そうそう!アレなのよ。タクも分かった?」
「だから、アレってなんだよ!!」
すかさず仕返しばかりにと、拓司のツッコミ。残念ながら、効能には個人差があるよう。
「『いばら…ひめ、茨姫』だって」
ぼそりと修の一言で、拓司は全てを把握した。荵の口に、クッキーの甘味が広がる。
―――そのころ、演劇部の部室へと向かったあかねは、部室の入り口でたたずむ一人の少女を目撃した。
まるで外国の人形館からやって来たような容姿に、荘厳な教会の中で奏でられる美しい讃美歌を思い起こさせるブロンドの髪。
見慣れた廊下だと言うのに、初めて訪れる国のような感覚があかねに降りかかる。左腕で自分の右の二の腕をぎゅっと掴むあかねの悪い癖。
「あなた、ここの方ですか?」
あかねの日常とはかけ離れた少女から、ごく普通の言葉が飛び出してきたことに、あかねは心なしか目を丸くした。
色白の頬を赤らめて、長い髪と一緒に首を縦に振るあかねに、来客者は頬を緩めた。
まるで外国の人形館からやって来たような容姿に、荘厳な教会の中で奏でられる美しい讃美歌を思い起こさせるブロンドの髪。
見慣れた廊下だと言うのに、初めて訪れる国のような感覚があかねに降りかかる。左腕で自分の右の二の腕をぎゅっと掴むあかねの悪い癖。
「あなた、ここの方ですか?」
あかねの日常とはかけ離れた少女から、ごく普通の言葉が飛び出してきたことに、あかねは心なしか目を丸くした。
色白の頬を赤らめて、長い髪と一緒に首を縦に振るあかねに、来客者は頬を緩めた。
「よかった……。初めまして。三年の真田といいます」
とっさの言葉が出ない。隣に荵がいればよかったのに。でも、あの子はいない。
「演劇部・一年の黒咲あかねですっ」
当たり前の返事を普通にしたというのに、あかねは悔しかった。どうして、自分は普通のことしか出来ないのだろう。
荵のように、くまさん○○○をちらつかせて、スカート翻す勇気も無い。もっとも、くまさんなんぞは履いていないし、持ってもいない。
「髪の毛、触ってもいいかな」
「はいっ」
とっさの言葉が出ない。隣に荵がいればよかったのに。でも、あの子はいない。
「演劇部・一年の黒咲あかねですっ」
当たり前の返事を普通にしたというのに、あかねは悔しかった。どうして、自分は普通のことしか出来ないのだろう。
荵のように、くまさん○○○をちらつかせて、スカート翻す勇気も無い。もっとも、くまさんなんぞは履いていないし、持ってもいない。
「髪の毛、触ってもいいかな」
「はいっ」
あかねが頬をさらに赤くする間、来客者はあかねの心を察したのか、みどりの黒髪を優しく撫でながらニコリと笑みを浮かべた。
「よろしく、あかねちゃん。きれいな髪ね」
「中等部のころから伸ばしてますっ」
人形のような真田の細い指から流れるあかねの髪。あかねがそれを見つめていると陥る、自分のものではないような他人ごと。
身内以外の者から髪の毛に触れられているというのに、呆れてしまうぐらい無防備。殻を忘れたあかねは、来客者のことに非常に興味を抱いた。
「あの!お時間あったら……お茶でもどうぞ!おいしいですっ」
「よろしく、あかねちゃん。きれいな髪ね」
「中等部のころから伸ばしてますっ」
人形のような真田の細い指から流れるあかねの髪。あかねがそれを見つめていると陥る、自分のものではないような他人ごと。
身内以外の者から髪の毛に触れられているというのに、呆れてしまうぐらい無防備。殻を忘れたあかねは、来客者のことに非常に興味を抱いた。
「あの!お時間あったら……お茶でもどうぞ!おいしいですっ」
来客者の名は、真田アリスと言う。理由は言わなかったが、あかねには「アリスでいいよ」と軽く伝えた。
あかねはアリスのために紅茶を入れようと、備え付けのジャーポットに湛えられた水を再沸騰させる。
ほんの少し時間があれば美味しいお茶が頂ける。「お茶はのどにいいから」と、顧問の先生からこっそり備えていただいたのだ。
「ここの紅茶は特別においしんですよ」と、あたふたするあかねを来客者ながら心配しながら、アリスは演劇部部室の端から端を散歩する。
お客も、幕も、何も無いただの木目に晒された部室は、何故かあかねには今、舞台の上に立っているような気がした。
ありもしない客席から拍手が聞こえてくる錯覚。貧相な蛍光灯が、華やかなスポットライトに見えてくる幻覚。
なんでもないが薄汚れた部室も、アリスが廻ればそれでもそこそこ絵になる不思議。そのうちお湯が沸き、
あかねの手によって紅茶がティーカップに注がれる。昼下がりの香りがあたりを包み込んでいた。
あかねはアリスのために紅茶を入れようと、備え付けのジャーポットに湛えられた水を再沸騰させる。
ほんの少し時間があれば美味しいお茶が頂ける。「お茶はのどにいいから」と、顧問の先生からこっそり備えていただいたのだ。
「ここの紅茶は特別においしんですよ」と、あたふたするあかねを来客者ながら心配しながら、アリスは演劇部部室の端から端を散歩する。
お客も、幕も、何も無いただの木目に晒された部室は、何故かあかねには今、舞台の上に立っているような気がした。
ありもしない客席から拍手が聞こえてくる錯覚。貧相な蛍光灯が、華やかなスポットライトに見えてくる幻覚。
なんでもないが薄汚れた部室も、アリスが廻ればそれでもそこそこ絵になる不思議。そのうちお湯が沸き、
あかねの手によって紅茶がティーカップに注がれる。昼下がりの香りがあたりを包み込んでいた。
「おまたせしました。あの……久遠が選んできたんです!このお茶っぱ」
「くどお?」
「わたしの同級生の子ですっ。仔犬みたいな子ですっ。ちっちゃいですっ」
人形が笑った。あまりにも、あまりにもあかねが一生懸命なので、それがおかしくておかしくて。不本意かもしれないが、
あかねは誰かからちょっとでも評価を受けたことが、生きているうちで物凄く勇気になっていた。
「くどお?」
「わたしの同級生の子ですっ。仔犬みたいな子ですっ。ちっちゃいですっ」
人形が笑った。あまりにも、あまりにもあかねが一生懸命なので、それがおかしくておかしくて。不本意かもしれないが、
あかねは誰かからちょっとでも評価を受けたことが、生きているうちで物凄く勇気になっていた。
あかねとアリスは部室中央の机で、贅沢なティータイムを過ごしながら、空っぽなお喋りで時間をつぶす。
話題はもちろん、日にちが近づいてきた学内演劇会のこと。無論、あかねにはそんな暇は無い。しかし、月がとっても美しいから、つい遠回り。
「わたしが……、そうね。高等部の一年生だったとき、同じ演目をやっていたのを見たことがあるって子から聞いて」
「『茨姫』!その話は迫先輩かちらっと聞いているんですが、詳しいことが分からなくて。どうだったんでしょうね」
「そうね。でも、印象的って言うか。うん。その演目……」
アリスの声が止まると、あかねは両手でティーカップを持って隠れるように紅茶を口に含んだ。
静かな時間が過ぎる。
「たった一人の子が全てを演じきっていたのよ」
話題はもちろん、日にちが近づいてきた学内演劇会のこと。無論、あかねにはそんな暇は無い。しかし、月がとっても美しいから、つい遠回り。
「わたしが……、そうね。高等部の一年生だったとき、同じ演目をやっていたのを見たことがあるって子から聞いて」
「『茨姫』!その話は迫先輩かちらっと聞いているんですが、詳しいことが分からなくて。どうだったんでしょうね」
「そうね。でも、印象的って言うか。うん。その演目……」
アリスの声が止まると、あかねは両手でティーカップを持って隠れるように紅茶を口に含んだ。
静かな時間が過ぎる。
「たった一人の子が全てを演じきっていたのよ」
紅茶の味が吹っ飛んだ。湯気と一緒に吹っ飛んだ。
ティーカップを埋めるみなもがゆっくりと廻る。
「真田さん」
「アリスでいいよ」
「アリスさん……。でも、部の資料には残っていないんです。今まで、『茨姫』はそのときしか演じられていなかったみたいで。
迫先輩からこのお話を聞いたとき、参考にしようと部の棚をひっくり返すようにして、過去の演目を見たんです。
でも、『茨姫』だけは……わたしも台本を書くのにどうしようって。あっ。これは、個人的なことなんで忘れてくださいっ」
「へえ。台本、書いてるんだ」
「あ……。はい」
あかねの悪い癖がよい方へと転ぶ。
ティーカップを埋めるみなもがゆっくりと廻る。
「真田さん」
「アリスでいいよ」
「アリスさん……。でも、部の資料には残っていないんです。今まで、『茨姫』はそのときしか演じられていなかったみたいで。
迫先輩からこのお話を聞いたとき、参考にしようと部の棚をひっくり返すようにして、過去の演目を見たんです。
でも、『茨姫』だけは……わたしも台本を書くのにどうしようって。あっ。これは、個人的なことなんで忘れてくださいっ」
「へえ。台本、書いてるんだ」
「あ……。はい」
あかねの悪い癖がよい方へと転ぶ。
―――「そう言えば、ウチの部長から聞いたんだけど」
荵の探求欲を掻き乱す言葉が、小さな修の体から飛んできたのだが、荵と千鶴が邪魔をする。
「何か部活をしてるんですか!」
と荵が尋ねると、
「アーチェリーだよ」
と千鶴がお姉さんっぽく答える。
「集中力とかすごいんですか!」
と荵が目を輝かせると、
「うーん。集中力というより、カンかな」
と千鶴が先輩風を吹かす。
「千鶴……喋らせてよ」
大人しい修は、両手にげんこを作って目を潤ませて、恐る恐る自分が話し出すタイミングをはかるしかなかった。
一瞬の隙を狙って、修は取って置きの話を弓に掛けて射る。
荵の探求欲を掻き乱す言葉が、小さな修の体から飛んできたのだが、荵と千鶴が邪魔をする。
「何か部活をしてるんですか!」
と荵が尋ねると、
「アーチェリーだよ」
と千鶴がお姉さんっぽく答える。
「集中力とかすごいんですか!」
と荵が目を輝かせると、
「うーん。集中力というより、カンかな」
と千鶴が先輩風を吹かす。
「千鶴……喋らせてよ」
大人しい修は、両手にげんこを作って目を潤ませて、恐る恐る自分が話し出すタイミングをはかるしかなかった。
一瞬の隙を狙って、修は取って置きの話を弓に掛けて射る。
「なんでも、部長が一年のときに『茨姫』をやっているのを見たんだって。それも、たった一人で」
「そんな話は聞いたことあります!ウサギ小屋のような部室からは、台本が見つからないらしいのです!」
今度の演者に合うよう改めて台本を書きなおすために、荵はそのときの台本をのどから手が出るほど望んだ。
いくら積んでもいいから、その台本を見てみたい。だけど、お小遣いからオーバーする値段はごめんなさい。
「相川先輩が出演されるのなら、相川先輩に。武政先輩が出演されるのなら、武政先輩にあったセリフがあるんですよ。
同じ内容でも、セリフの言い回しや演者で印象がガラリと変わります。それを考えながら……わたしたちは台本を練っていくのです。
でも、今回は逆なんです。セリフのあとに配役なんです。あかねちゃんもイメージが湧かないって!」
実践は短いながらも荵の演劇経験で培わされた理論に感心しながら、千鶴は紙袋から出したイヌ耳カチューシャをそっと荵の頭に被せた。
話し出すと夢中になって何も見えなくなる荵は、イヌ耳を付けたまま、こぶしを上げて話を続ける。
「そんな話は聞いたことあります!ウサギ小屋のような部室からは、台本が見つからないらしいのです!」
今度の演者に合うよう改めて台本を書きなおすために、荵はそのときの台本をのどから手が出るほど望んだ。
いくら積んでもいいから、その台本を見てみたい。だけど、お小遣いからオーバーする値段はごめんなさい。
「相川先輩が出演されるのなら、相川先輩に。武政先輩が出演されるのなら、武政先輩にあったセリフがあるんですよ。
同じ内容でも、セリフの言い回しや演者で印象がガラリと変わります。それを考えながら……わたしたちは台本を練っていくのです。
でも、今回は逆なんです。セリフのあとに配役なんです。あかねちゃんもイメージが湧かないって!」
実践は短いながらも荵の演劇経験で培わされた理論に感心しながら、千鶴は紙袋から出したイヌ耳カチューシャをそっと荵の頭に被せた。
話し出すと夢中になって何も見えなくなる荵は、イヌ耳を付けたまま、こぶしを上げて話を続ける。
「わたしたち……って言いましたよね。今回は、って、いっつもなんですが、あかねちゃんと共同で脚本を書いているんです。
こうすれば、お互いの得意不得意をカバーしあえるし、ライバル同士と言っちゃヘンですけど、刺激的になるんですよ」
気配を消した千鶴は、演説に熱中する荵のスカートに、そっとイヌの尻尾の作り物を安全ピンで付ける。
だらりと垂れた尻尾は荵の腰から生えている。作り物なのに、その尻尾はブンブンと自分の意思で揺れているように千鶴には見えた。
こうすれば、お互いの得意不得意をカバーしあえるし、ライバル同士と言っちゃヘンですけど、刺激的になるんですよ」
気配を消した千鶴は、演説に熱中する荵のスカートに、そっとイヌの尻尾の作り物を安全ピンで付ける。
だらりと垂れた尻尾は荵の腰から生えている。作り物なのに、その尻尾はブンブンと自分の意思で揺れているように千鶴には見えた。
少し荵のおかしなテンションに押されながらも、修は自分が切り出した『一人芝居』の話を続ける。
「それでね、その芝居はホールや舞台ではなく、ここ中庭で行われたらしいよ。舞台も客席もなく、
たった一人で王女、王子、魔女……各々を演じ分けたんだって。すごいね、その人」
「なんだか、もったいないお話だな。学校から舞台を借りられなかったのかな、それ」
メガネのつるを摘んで、相川はその光景を思い浮かべ、千鶴は荵のイヌ耳をニマニマと見つめて言葉を返す。
「もしかして、舞台を借りたくても借りられない事情があったのかも。ほら、たった一人だけだし」
「とにかく、そのことに関する資料が演劇部に残っていない、ってことはその先輩が廃棄したのか、それとも」
千鶴はそっと荵の目の前に手鏡を差し伸べながら、未だ分からぬ『茨姫』の行動を推測していた。
「それでね、その芝居はホールや舞台ではなく、ここ中庭で行われたらしいよ。舞台も客席もなく、
たった一人で王女、王子、魔女……各々を演じ分けたんだって。すごいね、その人」
「なんだか、もったいないお話だな。学校から舞台を借りられなかったのかな、それ」
メガネのつるを摘んで、相川はその光景を思い浮かべ、千鶴は荵のイヌ耳をニマニマと見つめて言葉を返す。
「もしかして、舞台を借りたくても借りられない事情があったのかも。ほら、たった一人だけだし」
「とにかく、そのことに関する資料が演劇部に残っていない、ってことはその先輩が廃棄したのか、それとも」
千鶴はそっと荵の目の前に手鏡を差し伸べながら、未だ分からぬ『茨姫』の行動を推測していた。
「わたしより先に演劇部に入っていたあかねちゃんも分からないって言ってたからなあ。わたしは高等部からここに来たし」
「あかねちゃん?さっきから言ってる子って……。このアレには『黒咲あかね』って、名前が書いているけど?」
修の指は荵がもっているノートを指差していた。その『アレ』には、『茨姫』のタイトルが記されている。
そして、表情を変えない千鶴は、わざと目立つように荵の顔に手鏡を傾けた。
「あっ!あかねちゃんってのは、わたしの尊敬するお友だちです!背が高くて、髪が長くて、そして演技が完璧で……。
でも、自分で何でも背負い込むクセは、ちょっといけないと思います!わたしがあかねちゃんを苦しめる何もかもを、って……。
わー!いつの間にかイヌ耳が!尻尾が!わんっ、わんっ!ノートを返さなきゃ!わんっ、わんっ!」
「あかねちゃん?さっきから言ってる子って……。このアレには『黒咲あかね』って、名前が書いているけど?」
修の指は荵がもっているノートを指差していた。その『アレ』には、『茨姫』のタイトルが記されている。
そして、表情を変えない千鶴は、わざと目立つように荵の顔に手鏡を傾けた。
「あっ!あかねちゃんってのは、わたしの尊敬するお友だちです!背が高くて、髪が長くて、そして演技が完璧で……。
でも、自分で何でも背負い込むクセは、ちょっといけないと思います!わたしがあかねちゃんを苦しめる何もかもを、って……。
わー!いつの間にかイヌ耳が!尻尾が!わんっ、わんっ!ノートを返さなきゃ!わんっ、わんっ!」
―――アリスの澄んだ瞳に見つめられたあかねは、舞台に立つときよりも胸の鼓動が早くなる。
この先輩が舞台に立つのなら、どのように台本を書こうと、ついつい癖が先走る。申し訳ないと思いつつも、頭の中は劇のことで一杯。
「わたしね、舞台に立たなきゃいけなくなったのね」
「え?」
「確か、放送部の子だったかな。『茨姫』に出てくださいって、お願いに来たのね」
風があかねの髪を吹き上げる気がした。自分が考えていたことが、アリスの口から出るなんて。
細い指を頬に当てながら、あかねより年下の少女のような瞳をしながら、アリスの話は続いた。
「お姉ちゃん、アーチェリー部の部長をしていてね、いろんな部活のつながりでわたしに演劇のお鉢が廻ってきたわけ」
「そうなんですか。アリスさんって、何か部活を」
「わたしは帰宅部。だから、わたしそういうのって初めてだし、どうしようって思って……ここに来たのね」
この先輩が舞台に立つのなら、どのように台本を書こうと、ついつい癖が先走る。申し訳ないと思いつつも、頭の中は劇のことで一杯。
「わたしね、舞台に立たなきゃいけなくなったのね」
「え?」
「確か、放送部の子だったかな。『茨姫』に出てくださいって、お願いに来たのね」
風があかねの髪を吹き上げる気がした。自分が考えていたことが、アリスの口から出るなんて。
細い指を頬に当てながら、あかねより年下の少女のような瞳をしながら、アリスの話は続いた。
「お姉ちゃん、アーチェリー部の部長をしていてね、いろんな部活のつながりでわたしに演劇のお鉢が廻ってきたわけ」
「そうなんですか。アリスさんって、何か部活を」
「わたしは帰宅部。だから、わたしそういうのって初めてだし、どうしようって思って……ここに来たのね」
残りが半分になって冷たくなった紅茶を匙でくるくると掻き混ぜながら、あかねは興味深くアリスの声を必死に拾った。
雨に打ちひしぎ、
行く先の無いネコは、自分の力でダンボールから這い出しました。でも、命の保障はありません。
ここまで頼ってやって来たんだ。どうにか救ってあげたらいいのに、どうしていいのか分からない。
そうだ。自分にはペンがあるじゃないか。舞台に立つことが許されるのなら、どんな人だって喝采を浴びることが出来るように、
ペン先一つでホントのようなウソのセリフをすらすらと書き連ねればいいじゃないか。わたしにできるのは、こんなことだけ。
雨に打ちひしぎ、
行く先の無いネコは、自分の力でダンボールから這い出しました。でも、命の保障はありません。
ここまで頼ってやって来たんだ。どうにか救ってあげたらいいのに、どうしていいのか分からない。
そうだ。自分にはペンがあるじゃないか。舞台に立つことが許されるのなら、どんな人だって喝采を浴びることが出来るように、
ペン先一つでホントのようなウソのセリフをすらすらと書き連ねればいいじゃないか。わたしにできるのは、こんなことだけ。
「わたし、書きます。アリスさんが立派に舞台に立てるような、みんなが演劇を楽しめるような台本、書きます!」
アリスもまた、カップの紅茶を匙でくるくると掻きまわし続け、中身はネコでも飲めるほどの温度に下がっていた。
「アリスさんの言っていた、演劇部の先輩は、きっとたくさんの人と『茨姫』を演じたかったんでしょう。
でも、故あって、それが出来なかった。ステージも手に入らなかった……。だから、たった一人で演じてみせた。中庭で演じるしかなかった。
みんなで一つの劇を作り上げられる機会を手にしたアリスさんって、果報者です。ラッキーです。だから、いっしょに……」
「あかねちゃん。あなたみたいな人が書く台本って、とっても興味あるよ。だって、真剣だもの」
アリスもまた、カップの紅茶を匙でくるくると掻きまわし続け、中身はネコでも飲めるほどの温度に下がっていた。
「アリスさんの言っていた、演劇部の先輩は、きっとたくさんの人と『茨姫』を演じたかったんでしょう。
でも、故あって、それが出来なかった。ステージも手に入らなかった……。だから、たった一人で演じてみせた。中庭で演じるしかなかった。
みんなで一つの劇を作り上げられる機会を手にしたアリスさんって、果報者です。ラッキーです。だから、いっしょに……」
「あかねちゃん。あなたみたいな人が書く台本って、とっても興味あるよ。だって、真剣だもの」
動揺、期待、不安、恥じらい。いくつもの感情があかねを染める。真っ白なキャンバスへと一斉に何色もの油絵の具をたらす。
縦横無尽に筆を走らせる。どんな出来上がりになるかは分からないけど、今のあかねを言い表すには相応しい色使い。
じっと見つめるアリスの瞳に吸い込まれたかけたあかねは、開けっ放しな油瓶の中身のようにじわじわと言葉を失う。
「ほんとはここの部の人に謝りに来たの。舞台はごめんなさいって。でも、あかねちゃんの台本ならほんのちょっとだけ、
舞台に立ってもいいかなって。あかねちゃんの台本、読んだことも無いのにこんなこと言うのもおかしいけど、
あかねちゃんと話しているうちに考え直したのね。あかねちゃんや荵ちゃん、この演劇会に携わる人たち、そしてたった一人で
『茨姫』を演じきった先輩へってね。なんだか、楽しみになってきたな」
とっくに空になったティーカップを傾け続けるあかねには、アリスの言葉がどんな著名な戯曲家のセリフよりも突き刺さった。
縦横無尽に筆を走らせる。どんな出来上がりになるかは分からないけど、今のあかねを言い表すには相応しい色使い。
じっと見つめるアリスの瞳に吸い込まれたかけたあかねは、開けっ放しな油瓶の中身のようにじわじわと言葉を失う。
「ほんとはここの部の人に謝りに来たの。舞台はごめんなさいって。でも、あかねちゃんの台本ならほんのちょっとだけ、
舞台に立ってもいいかなって。あかねちゃんの台本、読んだことも無いのにこんなこと言うのもおかしいけど、
あかねちゃんと話しているうちに考え直したのね。あかねちゃんや荵ちゃん、この演劇会に携わる人たち、そしてたった一人で
『茨姫』を演じきった先輩へってね。なんだか、楽しみになってきたな」
とっくに空になったティーカップを傾け続けるあかねには、アリスの言葉がどんな著名な戯曲家のセリフよりも突き刺さった。
―――「それ!荵ちゃん!エアフリスビーだよ!!」
「わんわんおー!」
千鶴が大きく振りかぶってフルスイング。気持ちの良いファームを飾る。
尻尾を揺らし、イヌ耳をなびかせながら、誰にも見えぬ円盤を一人追い駆けて行く。青い空にエアフリスビーはお誂え。
空気のように透明で、空気のように爽やかな触り心地のエアフリスビーに、荵は一気に心を惹かれてしまった。
迷いイヌのように中庭を駆け抜ける荵は、エアフリスビーをキャッチしようと一人ジャンプを試みるが、
残念ながらそんな円盤はこの世には無い。見えた人にはラッキーだけど、見える人など何処にもいない。
荵は短いスカートを翻し、アーチェリー部の三人にくまさん○○○をちらりと見せ付けると、
平和に緩い時間を過ごしていた芝生の上へと、仔犬のようにもんどりうって転がっていった。
「わんわんおぉ」
「そう言えば、部長の言っていた『一人芝居』って、ちょうどこの時期だったんだよね」
修のつぶやきを聞き逃さなかった拓司は、メガネを光らせ、とある仮説を立てた。
「わんわんおー!」
千鶴が大きく振りかぶってフルスイング。気持ちの良いファームを飾る。
尻尾を揺らし、イヌ耳をなびかせながら、誰にも見えぬ円盤を一人追い駆けて行く。青い空にエアフリスビーはお誂え。
空気のように透明で、空気のように爽やかな触り心地のエアフリスビーに、荵は一気に心を惹かれてしまった。
迷いイヌのように中庭を駆け抜ける荵は、エアフリスビーをキャッチしようと一人ジャンプを試みるが、
残念ながらそんな円盤はこの世には無い。見えた人にはラッキーだけど、見える人など何処にもいない。
荵は短いスカートを翻し、アーチェリー部の三人にくまさん○○○をちらりと見せ付けると、
平和に緩い時間を過ごしていた芝生の上へと、仔犬のようにもんどりうって転がっていった。
「わんわんおぉ」
「そう言えば、部長の言っていた『一人芝居』って、ちょうどこの時期だったんだよね」
修のつぶやきを聞き逃さなかった拓司は、メガネを光らせ、とある仮説を立てた。
この学園では、毎年この時期に学内演劇会が開催される。演劇部を中心に、各部活のメンバーも合わさり、
一年生を主として、他の学年の生徒も裏方として参加する。無論、台本選びもそれに含まれる。
『一人芝居』が行われた年の学内演劇会の演目は『茨姫』ではなかったことは、言うまでも無い。何故なら例の『一人芝居』以外で、
『茨姫』が演じられたことが記録に一切も無かったからだ。しかし、『一人芝居』を目撃した三年生の話だと、この時期に演じられたと言う。
一年生を主として、他の学年の生徒も裏方として参加する。無論、台本選びもそれに含まれる。
『一人芝居』が行われた年の学内演劇会の演目は『茨姫』ではなかったことは、言うまでも無い。何故なら例の『一人芝居』以外で、
『茨姫』が演じられたことが記録に一切も無かったからだ。しかし、『一人芝居』を目撃した三年生の話だと、この時期に演じられたと言う。
「演劇部が同じ時期に、二つの演目を行うって考えにくいよね」
「うん。千鶴の言うとおりなんだけど、実際行われているとなると、非公式で演じられたってことだよな」
「うん。千鶴の言うとおりなんだけど、実際行われているとなると、非公式で演じられたってことだよな」
荵の言うことには「台本を探したけど、見つからない」とのこと。
公式に演劇部が演目に選んだとなると、台本ほか、ビデオや写真なり保存されていてもいいはず。しかし、それが存在しない。
「うわーい!わたしのネタ帳、見つかったどー!わんっ!」
エアフリスビーの代わりに、あかねのノートを左手に、手の平サイズのメモ帳を右手に、荵はイヌ耳を揺らして戻ってきた。
どうやら芝生の脇の生垣に突き刺さっていたらしい。ちょうど寝転んだ目線に、荵のネタ帳が飛び込んできたのだ。
ご主人さまの千鶴にぽんとネタ帳を渡すと、荵は尻尾を振っていた。ネタ帳の表紙には筆ペンで『久遠荵のひみつのーと』の文字。
「ネギ?」
「葱だって」
「久遠ネギだ!くどおねぎ!!」
「九条葱??」
最後に声を揃えたアーチェリー部の三人は、ハムスターのようにポカーンと口を開ける荵を眺めていた。
誰にも見えないエアフリスビーは、生垣に突き刺さったままだった。
公式に演劇部が演目に選んだとなると、台本ほか、ビデオや写真なり保存されていてもいいはず。しかし、それが存在しない。
「うわーい!わたしのネタ帳、見つかったどー!わんっ!」
エアフリスビーの代わりに、あかねのノートを左手に、手の平サイズのメモ帳を右手に、荵はイヌ耳を揺らして戻ってきた。
どうやら芝生の脇の生垣に突き刺さっていたらしい。ちょうど寝転んだ目線に、荵のネタ帳が飛び込んできたのだ。
ご主人さまの千鶴にぽんとネタ帳を渡すと、荵は尻尾を振っていた。ネタ帳の表紙には筆ペンで『久遠荵のひみつのーと』の文字。
「ネギ?」
「葱だって」
「久遠ネギだ!くどおねぎ!!」
「九条葱??」
最後に声を揃えたアーチェリー部の三人は、ハムスターのようにポカーンと口を開ける荵を眺めていた。
誰にも見えないエアフリスビーは、生垣に突き刺さったままだった。
「やっぱり!先輩たちもそーなんだー!そうなのかー!イヌっ子にネギはいけないんですよ!!
ノートなくすし、ネギ呼ばわりされるし、学内演劇会の演目、わたしが推してた演目が真っ先に外されるし……いじわるっ」
「え?なに?ネギちゃん、何て言った?『わたしの推してた』って?演劇会の演目って、そうやって選んでるの?」
「はは?いくつか候補を挙げて、部員みんなで決めるんですけどね。って!わたしはネギじゃない!!」
メガネのつるを摘み、レンズを日光に反射させ、拓司は新たな仮説が脳内にひらめいた。
ノートなくすし、ネギ呼ばわりされるし、学内演劇会の演目、わたしが推してた演目が真っ先に外されるし……いじわるっ」
「え?なに?ネギちゃん、何て言った?『わたしの推してた』って?演劇会の演目って、そうやって選んでるの?」
「はは?いくつか候補を挙げて、部員みんなで決めるんですけどね。って!わたしはネギじゃない!!」
メガネのつるを摘み、レンズを日光に反射させ、拓司は新たな仮説が脳内にひらめいた。
「『一人芝居』が行われた年の学内演劇会での選考で、候補に『茨姫』があった。しかし、選考から外れてしまった!」
「ネギちゃん、クッキーあげる」
「山尾先輩!ありがとうございます!そうだ、クッキーに合う紅茶が部室にあるから、飲みにいきましょう!って!わたしはネギじゃない!!」
「しかし、どうしても『茨姫』を演目にしたかった部員のために、たった一人で立ち上がり、一人芝居を演じたのではないか!!
どう完璧だろ、オレの推理。謎は全て解けた!マサ、修、ネギ、これで姫は眠りから覚めるぞ!」
しかし、拓司の周りにはもう誰もいなかった。
「ネギちゃん、クッキーあげる」
「山尾先輩!ありがとうございます!そうだ、クッキーに合う紅茶が部室にあるから、飲みにいきましょう!って!わたしはネギじゃない!!」
「しかし、どうしても『茨姫』を演目にしたかった部員のために、たった一人で立ち上がり、一人芝居を演じたのではないか!!
どう完璧だろ、オレの推理。謎は全て解けた!マサ、修、ネギ、これで姫は眠りから覚めるぞ!」
しかし、拓司の周りにはもう誰もいなかった。
―――「アリスさん。紅茶、もう一杯飲みます?」
「ううん、ありがとう。ごちそうさまよ」
安っぽいけど、音は舶来ものに負けない陶磁器の音が小さく響き、アリスは静かに手を合わせる。
紅茶を一杯頂いたあと、落ち着いているのはアリスの方だった。毎日のように着ている部室なのに、あかねは何故かそわつく。
誰もがティータイムの静かな余韻は心地よいと感じるのに、このときのあかねはそんな余裕は無かったのだ。
場を繋ごう、空白の時間を作っちゃダメだと、その場を取り繕うとするものの、空気を濁してしまうんじゃないかという、
あかねの考えすぎとも言える心遣いで、頬を真っ赤にする自分を浮かべてしまうコメディ。
「ううん、ありがとう。ごちそうさまよ」
安っぽいけど、音は舶来ものに負けない陶磁器の音が小さく響き、アリスは静かに手を合わせる。
紅茶を一杯頂いたあと、落ち着いているのはアリスの方だった。毎日のように着ている部室なのに、あかねは何故かそわつく。
誰もがティータイムの静かな余韻は心地よいと感じるのに、このときのあかねはそんな余裕は無かったのだ。
場を繋ごう、空白の時間を作っちゃダメだと、その場を取り繕うとするものの、空気を濁してしまうんじゃないかという、
あかねの考えすぎとも言える心遣いで、頬を真っ赤にする自分を浮かべてしまうコメディ。
どうか、この時間が短くなりますように。時の流れを忘れちゃうぐらいに、会話が弾みますように。
「荵ちゃんのこと大好きなのね」
会話のきっかけを探っているうちに、逆に問いかけられたあかねは、アリスに申し訳ない思いになった。
窓から風が吹き込めばいいのに!火照ったわたしをひんやりとした空気で包み込んでくれたらいいのに!
薄いレースのカーテンは静かにたたずんでいるだけだった。
「そ、そんなことありませんっ」
ウソは必ず見破られる。そんな言葉をあかねが体現していた。
「荵ちゃんのこと大好きなのね」
会話のきっかけを探っているうちに、逆に問いかけられたあかねは、アリスに申し訳ない思いになった。
窓から風が吹き込めばいいのに!火照ったわたしをひんやりとした空気で包み込んでくれたらいいのに!
薄いレースのカーテンは静かにたたずんでいるだけだった。
「そ、そんなことありませんっ」
ウソは必ず見破られる。そんな言葉をあかねが体現していた。
ただ、荵が居ればいいだけなのに。『いばらの城』の王女も、誰かが居てくれればと思っていたに違いない。
側にいないだけで、こんなに不安になるとは思わなかった。雫が滴る氷の茨が木の薫る部室に捲き付き、あかねを支配する。
あかねが氷の茨で体温を冷やすなか、茨の蔦を切り裂きにイヌ耳の王子が剣を携えて、部屋に飛び込んできた。
「わんわんおー!おおっ、あかねちゃんだ!!」
「久遠っ」
王女は眠りから覚めると、長い髪を揺らし立ち上がる。『いばらの城』に光差す。
側にいないだけで、こんなに不安になるとは思わなかった。雫が滴る氷の茨が木の薫る部室に捲き付き、あかねを支配する。
あかねが氷の茨で体温を冷やすなか、茨の蔦を切り裂きにイヌ耳の王子が剣を携えて、部屋に飛び込んできた。
「わんわんおー!おおっ、あかねちゃんだ!!」
「久遠っ」
王女は眠りから覚めると、長い髪を揺らし立ち上がる。『いばらの城』に光差す。
荵について来た修と千鶴は、あかねを目にすると息を飲んでいた。二人があかねを見つめれば見つめるほど、あかねは申し訳なくなる。
「あれ、アリスさんって演劇部だったんですね!」
「い、いや……わたしは」
アリスの姉はアーチェリー部の部長を務めているため、修と千鶴はアリスと顔見知り。
知っていてからかう千鶴は、アリスを困らせて喜ぶ仕方の無い子だ。さらに困らせようと、千鶴は白い歯を見せる。
「ネギちゃん、アリスさんに取って置きの台本、お願いね!!」
「まかせて!わたしの腕がなるよ!唸れ、万年筆!って!わたしはネギじゃない!」
いつのまにかあかねは、千鶴のように白い歯を見せて笑っていた。
「ところで、あかねちゃん知ってる?たった一人で今度やる『茨姫』を演じた先輩がいたんだって」
「え?」
アリスはニコッとあかねに目で合図を送った。荵の顔が見えないか。荵の尻尾が見えないか。勢いよく揺れているぞ。
王子を喜ばせるために、王女は罪の無いウソを味方に付けても構わなかった。
「久遠、それほんと……?初めて知った」
「あれ、アリスさんって演劇部だったんですね!」
「い、いや……わたしは」
アリスの姉はアーチェリー部の部長を務めているため、修と千鶴はアリスと顔見知り。
知っていてからかう千鶴は、アリスを困らせて喜ぶ仕方の無い子だ。さらに困らせようと、千鶴は白い歯を見せる。
「ネギちゃん、アリスさんに取って置きの台本、お願いね!!」
「まかせて!わたしの腕がなるよ!唸れ、万年筆!って!わたしはネギじゃない!」
いつのまにかあかねは、千鶴のように白い歯を見せて笑っていた。
「ところで、あかねちゃん知ってる?たった一人で今度やる『茨姫』を演じた先輩がいたんだって」
「え?」
アリスはニコッとあかねに目で合図を送った。荵の顔が見えないか。荵の尻尾が見えないか。勢いよく揺れているぞ。
王子を喜ばせるために、王女は罪の無いウソを味方に付けても構わなかった。
「久遠、それほんと……?初めて知った」
一人っきりで『茨姫』を演じ上げた先輩に笑われぬよう、荵とあかねは、これ以上無い台本を書きあげる約束を自分自身に課したのだった。
『いばらの城』の王女が目覚めるとき、間もなく幕が開くと言う。
おしまい。