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ロミオと遠賀先輩

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ロミオと遠賀先輩



「『ロミオとジュリエット』をやろうと思います!」
遠賀のよく通る声が演劇部の小さな部屋を揺らす。
もうすぐ秋がやってくる。演劇部は毎年ツクツクボウシが鳴き出す時期になると、演目の話し合いを始めるようになる。
木目の走るテーブルを部員たちは囲み、お誕生席には部長が座る。部長の横に座っていた三年生の遠賀希見はこの日のために、
簡単な脚本案を練ってきたのだった。遠賀の声で部員一同は彼女に視線を振り向けた。
メガネを人差し指でつんと突き上げると、ゆっくりと彼女は立ち上がりプリントアウトされた紙を捲った。

「今までに見たことのないような『ロミオとジュリエット』を描こうと思ってるんですよ。我が部初めての試み!」
「でも、先輩。高校の演劇ですよ……前衛とか実験的ってのは、ぼくたちがすることじゃないかと」
部員たちのどよめきをよそに、後輩である迫は冷静に遠賀の案をいぶかしんだ。
遠賀はそれでも自分の脚本案を部員たちに披露する、夏休み最後の日。

「みなさん『ロミオとジュリエット』は御存知ですよね!両家の確執に阻まれた、うら若き男女の悲恋」
「すてき!遠賀先輩が脚本を書くんですよね!」
黄色い声が飛び交う中、迫はメガネを一人拭いていた。遠賀は淀みなく続ける。
「原作ではロミオ、ジュリエットともにタメでした。厨二真っ盛りの十四歳!そこでジュリエットをロミオよりも6つ年上にしました」
「ええ?じゃあ、お姉さんとショタってこと?」
「ショタ言うな!このお年頃の男子ってヤツは年上のお姉さんに憧れるもんです。ロミオを意図的にジュリエットより
年下にすることによって、自然とジュリエットへの恋心が芽生えさせることが出来るということです」
「じゃあ、ジュリエットはどうなの?」
「年上、ということはオトナです。無論、こんな若造、はじめは目もくれません」
「いきなり難関!」
「オトナなのでモンタギュー家とキャピレット家の確執のことは十分に心得ています。そのことを理解出来ないロミオは、
『オトナは汚い!』だの『ジュリエット、どうしてあなたはジュリエットなのですか』と庭からジュリエットを誘うのです。
しかし『はあ?ばっかじゃないの』と彼女はコドモなロミオを鼻でせせら笑うのです」
「やだー。夢も何もないですよ」
遠賀と同級の女子部員が上げる冷たい雨のような声を傘も差さずに置いてきぼり。
「そのうちロミオの情熱に心動かされたジュリエットは、ロミオに段々と恋心を抱くようになり……」

すっと手を挙げる男子生徒がいた。
理知的なメガネを光らせる。
迫だった。
「あの、遠賀先輩。ぼくも『ロミオとジュリエット』をやるってことはいいな、って思っていたんですよ。
ぼくらの世代が主人公ですのでピッタリと思います。でも、先輩の案でぼくらがやるには少しばかり……」
「少し!」
「ハードルが高いと思いますよ。確かに『年上のお姉さんに憧れる少年』って、リアリティはあると思います。
だけど、これって男子目線じゃないんですか?ぼくら男子から見れば面白そうですし、先輩のジュリエットに魅力を感じます。
でも、オーソドックスなスタイルをとる方が、見る人みんなが満足得るものではないんでしょうか?」
迫の後に続いて、気だるそうな女子部員が口を開く。
「そうねー、迫の言うとおりかも。ロミオがメインの劇になるよねー」
「だって、だって……。主役を徹底的に追い込んだ方がストーリーもクオリティも……」
ふと思いついたアイディアを誉められることは誰だって嬉しい。いや、自分が誉められるより、案を誉められる方が嬉しい。
しかし、三年間で培った演劇の粋を集結したこのプロットを否定されるのが、この上なく我慢出来なかったのだ。

「みんなで楽しくやりましょうよ」
気の弱そうな女子部員が恐る恐る口を開いた。誰もがその言葉に首を縦に振った。
遠賀と迫以外は。

きっと、みんなが喜んでくれると思って創り上げたのに。
今までにない演劇をみんなに見てもらえると思ったのに。
なにごともなかったように遠賀を残して、秋の公演に向けて話し合いは続いていった。
チョークが黒板を走る音が遠賀の動揺を誘い、後輩たちの賑やかな声が遠賀の胸をえぐる。
最終的には脚本を遠賀が担当すること、そして主役の二人は迫と迫の同級生の女子が演じることが決まり、この日の話し合いは幕を下ろした。

ぞろぞろと部員たちは自分のカバンを携えて、部室から立ち去っていくも、遠賀と迫だけは部屋に残ったままだった。
ツクツクボウシが去りゆく夏を惜しむ声。白い雲が風に乗って、すっと校庭の上を駆け抜ける。
秋は近いというのに、新しい季節を迎え入れようというのに。
二人は何故か、今は「ようこそ」の一言が言えるような気持ちではないのだった。

「いいと思ったのになあ」
迫には先輩の声が、どうしようもなく不器用な妹の呟きのように聞こえた。
乱雑に消された板書を丁寧に雑巾でふき取る迫は、話し合いでの姿勢と同じままの遠賀をじっと見つめる。
「先輩は」
「慰めだけなら、お断りっ」
遠賀は自分の脚本案を提案している最中、手を挙げて流れを止めたのは、もしかして迫なりの気遣いではないのか、
と片隅に思い浮かべていた。しかし、それを露にする理由も恩義もない。不器用で、そして不器用で。

「帰りますよ」
自分の荷物を整えながら、迫は部室の窓を閉じる。忘れ物はないか、と確認しながら部屋を一周すると、必然的に遠賀の背後にまわることとなる。
先輩の背中が小さい。センパイではなく、ただの迷子だ。
お巡りさんでも手に余るほどの、どうしようもない迷子だ。
迫がカバンを肩に掛けると、遠賀は迫に顔を見せないようにすっと立ち上がっていた。
「先に帰ってて!」
これ以上話しかけると、むしろ遠賀を追い詰めてしまうので、迫は軽く礼をして部室を後にした。

―――校舎の玄関では迫が一人で遠賀がやって来るのを待っていた。
夏休み最後の日の校内は、当たり前だが静かだ。迫の耳には遠賀の「先に帰ってて!」という、悲痛な声が残る。
遠賀は迫にとっては先輩の一人に過ぎない。ほんの少し早く生まれてこの学校にやってきて、演劇を共にしている一人の『先輩』なだけだ。
『先輩』が『女の子』の尻尾を見せる。そっと、触れたい。くんくんとしたい。でも、怒られるかも。嫌がるかも。
女の子には一人一人に尻尾がついている。ご機嫌だったり、そっぽを向いたり、恥らったりとくるくる変わるふかふか尻尾。
世の中の男の子は尻尾に惑わされて、ぎゅっと掴んで頬摺りしちゃいたいはず。でも、尻尾が誰にでも見えるというわけではないから。
その尻尾に気付いた子は、ちょっとばかり女の子に誉められるかも。迫は遠賀の尻尾を青い空に思い浮かべていた。
会議の初めに尻尾はぶんぶんと、だけど今頃くるりんと。これから訪れる秋の空のように表情が変わりやすい尻尾だ。
迫のメガネに焼きついた遠賀の尻尾をそっとクリーナーで拭き取ると、駆け足にも似た足取りで演劇部部室へ急ぐ。乾いた廊下の音が耳につく。

「遠賀先輩っ」
扉を開ける音でも、迫が呼ぶ声でも振り向かずに、遠賀は自分の世界に没頭していた。
ペンを走らせる音が心地よい弦楽器のように響く。
「遠賀先輩っ」
「さ、迫くん!」
女の子の尻尾を掴まれて、ひょんと不思議な声で遠賀が返事をすると否や、迫から顔を背けたもの、
それでも迫には遠賀の二つの瞳に光るものを見逃さなかった。

「台本ですか」
わたしのことは気にしないで」
「そう言われると気にしちゃいますよ」
「嫌な後輩だ」
「嫌な先輩ですね」
背中を丸めた遠賀は、脚を互いに振り子のように揺らす。
木目の走るテーブルの上、無防備に開かれているノートは遠賀が書いたプロット案。それを自分で自分を打ち消すように、
大きな渦巻きの走り書きがノートの上をほしいままにしている。ノートの上に遠賀のペンを添えて。

「わたし、演劇に向いてないね」
「向いてませんね」
「先輩失格だ」
「エントリーさえしてませんって」
「バカにしてるね。迫くん」
「尊敬だけはしていますよ」
「じゃあ、バカにしないでよ」
「そしたら『天才』って呼んであげます」
「やっぱりバカにしてる」
遠賀の口元が緩んだ。

「迫も、いつかは先輩かあ。『迫先輩ー。この場面のセリフってアリですかー?』とか仔犬ちゃんがまとわりつくんだろうな」
「お断りします」
「断らせません」
表情を崩さずに遠賀と隣り合わせになった椅子に迫は腰掛けると、さらに遠賀は顔を庇うように頭を垂れた。
黒板は迫が部室を去ったときのまま鏡のように美しい。ツクツクボウシは鳴きやむことを知らない。

「もしかして『迫後輩』ってば、わたしが部室から出てくるのを待っていたとか」
あえて迫は返事をしない。セリフ以外で自分を表現するのは迫にとっては容易いこと。大事なことはみんな遠賀センパイに教わった。
遠賀は会議のときの迫のようにすっと手を挙げる。
「センパイ、ひとつ聞いてもいですか!」
「センパイはあなたでしょ」
内心、頭を抱えながらも、遠賀が再び尻尾を振り出したことに迫は胸を撫で下ろしていた。
「はいはい。なんですか」

―――「わたし、やりたい演目がありますっ!」
まだまだ太陽の日差し本気出す新学期。窓を開けても、暑いものは暑い。ツクツクボウシがやかましい。
もうすぐ秋がやってくる。演劇部は毎年ツクツクボウシが鳴き出す時期になると、演目の話し合いを始めるようになる。
木目の走るテーブルを部員たちは囲み、お誕生席には部長が座る。お誕生日席に陣取る迫に飛び込むように、
セミの声に負けまいと久遠荵の声が部室に響く。隣で肩を小さくする黒咲あかねは長いみどりの黒髪を夏の終わりの風で揺らす。

仔犬のような荵は迫が困るのをまるで楽しむかのごとく目を輝かせ、女の子の尻尾を振り続けた。
「ここは舞台じゃないから普通に話せ」
「はいっ。迫先輩!それで、わたしがやりたい演目は……」


おしまい。


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