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「つまりさ、学園という存在は現実たり得ない訳なんだよ」
放課後の創作部部室。絵を描いたり文字を書いたりペーパークラフトやプラモデルを作ったりと、気ままな時間を過ごす
学生がほとんどを占める中で、その3人がいる一角だけは狂気じみたオーラを発していた。
1人は「犬」とあだ名される学生。もう1人は「禿」というあだ名の学生。もう1人はあなただ。
さきほどから「犬」が持論を展開している。
「学園とはつまり舞台装置だ。「現実」に通うべき対象としての学校ではあり得ない。
 「現実」に存在する、君が通った――あるいは今現在通っている――学校は屋上に自由に出入り出来たり、
 焼きそばパンの争奪戦をしたり、学校祭でメイド喫茶を催したりしない。今アニメや漫画を作っている連中の大半は高等学校を卒業しているだろう。
 何故彼らや俺達が現実の物として認識した「学校」と、虚構の世界の「学園」はここまで食い違う?
 いや、ここまで食い違っていても、何の疑問も持たず自分の「現実の学校生活」と比べたりする?
 世界が現実に沿っていれば沿っているほど、そこには何のワンダーも介在しなくなるのは明白だ。
 そして「現実」の学校生活を楽しめている人間にとって、「作られた学園という虚構」に、どれほどの意味や価値が存在するというのか。
 虚構の世界を「現実」として、そこに逃げ込むほか無い連中にとって、現実と虚構の境は実に曖昧だ。
 それ故「虚構」の世界でしか通用しない常識を「現実」のそれに当てはめてさらに幻滅するという悪循環が起きている」
いきなりまくし立てる「犬」に対して、あなたは阿呆のように聞き返すしかなかった
「幻滅?」
「例えば、弁当を作ってくれる幼なじみとか、金銭感覚が麻痺したお嬢様とか、そういう類型はおおよそアニメ的だ。
 だが学生名簿を一目見れば、そういう類の人間がうじゃうじゃ居ることがすぐに分かる。
 「虚構」の世界において彼らはごく当たり前の存在だ。が、「現実」の世界ではそう言うわけでもない。
 実際にいるのは、猿並みの知性もないDQN。脳の代わりに空気が詰まっているバカ女。陰険で何を考えているか分からないオタク野郎。
 四六時中携帯をいじっているジャンキー。だが逆に彼らは「虚構」の中には存在しない。
 「虚構」の世界を求めている奴にとって、そういう輩は敵意こそあれ生かしておく必然性が丸でないからだ」
「つまり、現実の世界にいるそういう連中が気にくわない人こそが、虚構の世界を求めるのだと?」
「そのとおり。「学校」という現実世界において「学園」のような非日常的状況にであうことはない。だからこそ「学園」の世界に没頭する意味がある。
 しかし、その「学園」の中においても日常と変わらない普通の日々――朝学習があり、小テストがあり、非常識な量の宿題があり、恋愛沙汰はない――であればどうだろう?
 人はまた、「学園」という虚構の中において非日常を求めるのではないか?  つまりそこには現実と虚構の入れ子構造があり、
 そこでは現実と虚構は、しばしばその意味を持たない。俺はね名無しちゃん、「その人にとって心地よい世界」こそが、その人にとっての「現実」だと思うんだよ。
 人生は現実と向き合うだけでは余りに辛すぎる。没頭出来る「虚構」の世界を見つけて、そこを「現実」とすることは、一つの世渡り術だろう。
 だからこそ俺達はこうやって、紙と文字――時にはモニターと電子データ――の世界でもがき続けるんだ」
一通り言い終わると、「犬」は席を立ち学生カバンを担いだ。ペットの犬の世話があるから先に帰るのだという。
あだ名の通り彼は犬好きだ。今もなんとかハウンドという品種の犬を大事にしているらしい。
去っていく「犬」の背中を眺めつつ、あなたは「禿」に今の話をどう解釈するかを聞いてみる。
「あのねぇ、アニメなんて親に隠れてこそこそ見る物なの! それを現実の物として受け入れちゃうっていうのはとても危険なことなんです!
 それが、商売として一定のラインに乗っている物なんだから、それにどっぷり浸かるのは大金を払いながらカウンセリングを受けるみたいなもので、
 リアリストでは中年以降の世代を突破出来ないという自覚があるからこそ、アニメや漫画以外の趣味を見つけなさいよ、と僕は!」
そういうと「禿」は先ほど「犬」が言っていた学生名簿をパラパラめくり、あなたに突きつけた。
「こんなアニメ的でまるで生を感じられない女の子のお○んこ、ぼく舐めないよ!」
一瞬にして室内にいる人間全ての視線が「禿」に向けられた。しかし発言の主が彼だと分かると、波が引くかのようにまた思い思いの作業に取りかかっていった。
「客は徹底的に素人です。素人は絶対に自分の好みを揺るがしにしませんから。萌える絵、萌えるねーちゃん、
 萌えるヌード……萌えるもの、ぱっと見れば見た瞬間は気持ちいいです。が、2回見ますか? 
 不思議と2回、3回見ていいものは、萌えるだけのものでは絶対にないんですよ。そこは忘れていただきたくない」
「ではどうすれば良いんです。個性ある人間を作れと?」
「そのための方法論は、説明できたらとっくにやってます。映画の2、3本作ってます。説明出来ないから大人も子供も大騒ぎしてるわけです。
 これが実態です。あと、名無しちゃんは個性という言葉をどういう風に理解しているか知りませんけれども、今までの理解は捨ててください。
 もうはっきり言います。自分に個性があると思うな! で、あったとしてもその程度の個性だったら使い物にならないんだから捨てろ!
 その替わりあなたが今厳然として生きている、その生きた目線で見て今の時代って言うのはこうでこうでこうでこうで、だから俺はこういうものを作りたいんだっていう風に
 バックしてくるフィルターにしなさい。僕っていう人間、私っていう個性、肉体を持った人間が、本当にじゃあそれはただのフィルターなんですか? フィルターです。
 そんなつまらない? つまらなくない! フィルターを通した瞬間に、自分では全視野的にいろんな情報を取り入れて作品を作ったつもりでいても
 フィルターを通すんです。通した瞬間にそれは全部個性が出てくるんです。嫌でも出てきます! どんなに無個性にしようとしても個性は出てきます。
 つまり個性とかエゴとか、日本語では我と言いますが、我というのはとっても激しくってとっても強烈なものなんです」
「わがままという意味でのエゴのみが生きているというわけですか」
「「私」が持っている不満、苦しみ、つらい気持ち、世間に対して分かってくれと思っている思いは、ほかならぬ「私」が苦しいだけに、
 「私」固有のものだと思っているクリエイターが多すぎると思うのです。そのために何が起こるかというと、
 日記のような――自分の思いのたけのみを書き付けた――作品をまき散らしても平気だという作家や企業まで現れます。
 小生は本や演劇を見ろと言いたい。世の中に数多ある「名作」と呼ばれる絵画や、音楽や、映画や、オペラがどうして名作なのかという考えに目を向けずに、
 自分の好きな物、大抵アニメや漫画だったりするんですけれども、そういったものを土台にして縮小再生産を繰り返している。 
 だから、いまの日本の深夜アニメやライトノベルというのはつまらないのです。笑いごとじゃないんですよ?
 創作部の皆さん方の作品のなかで、それはもう始まっています。つまり表現のスタイルとして、結局どこかのコピーをやっているんだけれども、
 自分のオリジナルだと思っている作品が、この前の展示会のなかにもありました。自分の痛みや自分のつらさ、逆にアイデアや発想を分かってくれという
 自分固有の思いを、第三者に伝えようとしたとき、日記風の表現をしているかぎり、それを認めてくれる人、
 気づいてくれる人しか読んでくれませんし、見てくれません。「私の悩みを,みなさん分かってくださいよ」「私のアイデアをみなさん見て下さいよ」と言うときの
 「分かってくださいよ」という部分の表現は、1万人、100万人にあまねく伝わるような形をとらないかぎり、決して伝わることはないのです。
 つまり作品を発表する、表現するということの根本的な意味は、100万人に伝わる言葉遣い、100万人に伝わる表現方法を、
 スキルでもってアピールしないかぎり、絶対に伝わらないということです」
言うだけ言ってから、「禿」は「えこんて」なる奇妙な物を仕上げるために帰るとあなたに言い、そそくさと部室を去っていった。
二人が抜けただけの部室は、にもかかわらず熱気の大半を失ったかのようにどんよりと静まりかえっていた。
言葉の濁流に呑み込まれたあなたは、それでもその意味を理解し咀嚼しようと試みる。
二人とも偉そうな言い方だ、というのが第一印象だったが、そこで思考停止することに全く意味はないと知っているあなたは、
言葉の端々から少しでも教訓を得ようともがく。20分か、30分か、下校を知らせるチャイムが鳴るまでゆったりと思考を働かせていたあなたはようやく考えが纏まり、
他の部員同様部室を後にする。明日会ったら彼らに意見をぶつけてみよう、とあなたは思った。
「学園」という「個性」の中で生きるために、自分もまたその構成員なのだから。





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