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先輩!七草粥です!

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先輩!七草粥です!




 餌を待ち侘びた仔犬のように、後鬼閑花は浮足立って先輩の周りに纏わり付いた。
 先輩と呼ばれる少年もあしらい方も慣れたもので、無関心を装いながら図書館でのひと時を過ごす。
 敵もさるもの閑花も目を輝かせながら上目遣いで先輩の顔を覗き込んで、小柄な身をさらに小さく屈み込む。
まるで第一印象は青年と幼女の関係という、いろいろと間違った憶測を誰もに許して辺りに撒き散らす後輩の閑花。
もっとも、二人とも制服姿だから誤解を植えつけるようなことは起き得ないのでご安心を。

 先輩が二歩歩けば、後輩は三歩先回り。先輩が左に折れれば、後輩は右から追いついて、二人がさ迷う本の森を
菜の花小花咲き誇る、春うららかな河川敷に舞台をいとも簡単に変えてしまう閑花であった。

 先輩だって、閑花だって、いい歳した高校生。図書館のルールも一通りは心得ている。
 活字に写真、絵にインクの香り。一人で楽しむのも、みんなで楽しむのも自由だ。
 ただ、ルールさえ守れば。

 ルールとは……。お静かに!

 本を読みたいと言い訳すれば、きっと一人きりにしてくれるかもしれないと先輩は本を選ぶ。
 一人きりの時間は想像以上に必要だ。自分自身を休め、誰かとふと会いたくなる時間をわざと作る。

 一方。閑花は背中に一冊の本を隠して、先輩におもむろに近付きながら、にっと白い歯を蛍光灯の明かりで反射させた。
 拒む理由が無い先輩は、無理矢理に後輩の誘惑を拒む理由を作ろうと、読む気の無い分厚いハードカバーに手をかけた。
じりじりと閑花がにじり寄るにつれて、朝日を浴びた妖精と勘違いしそうな、淡くも甘いシャンプーの香りが、年齢詐称すれすれの
おかっぱヘヤーからふんわりと漂っていた。まるで妖精が舞うがごとく。

 先輩、気を緩ませたが最後。閑花の未発達な色香に靡かされ、目線をついつい許してしまった。
 閑花が後ろ手で隠していた一冊の本、すかさず風切るように先輩の目の前に掲げる。

 率直な一言、美味しそうである。

 この日、先輩はお昼ご飯がパンだけであった。炭水化物とは言え、十代男子の空腹を満たすには、いまいち役者不足である。
だと、すれば閑花が持ち出した一冊は先輩にとっては凶器そのものである。先輩は重厚な本を持つ手を止めた。
 温かな家庭料理が湯気立つように並び、この場所で働くはずがない嗅覚をくすぐる表紙の写真。
 先輩だって食べ盛り。人間が持つぴんと張り詰めた理性の糸が、自重を知らない欲望の刃にさらされて、今にも限界を超えんとする。

 早い話、腹が鳴る。つばきが喉を通る。

 だが、待て。
 先輩、表紙の写真に騙されるな。
 大小一組のお茶碗に、箸。どう見ても男子と女子、それぞれが使うもの。なぜに二人分なのか。

 これは空想の話。
 夕暮れ時の帰宅、玄関にて入浴か食事か、それとも……?の選択を求められた後のリビングでの平和な展開。
 いや。平和な時を過ごし安らぎの入浴タイムを経た後に予想される、ふかふかベッドをうねりの大地と化したフィールドにて
繰り広げられる薄暗い寝室での一夜。そんなくすぐったい展開を喚起させるような、いちゃいちゃさんたちのメニューが先輩を惑わす。

 早い話、お口にあーん。だ。
 そして、お返しのあーん。だ。
 もひとつ、おまけのあーん。もついてくるかもしれない。

 あどけない閑花の笑みに隠された、純粋過ぎる企みに先輩はいともたやすく虜となるのか。

 いやいや、先輩、そんなに甘くない。
 閑花が掲げた、新婚さんの為のお料理ムックをあっさりと先輩は払いのけ、厚い本を棚に返すとすたすたと去ってしまう。
頬を風船のように膨らませた閑花は、足音を立てぬように先輩の後をつけて行った。
 もしかして夜の繁華街なるストリートを闊歩する、怪しいお店の客引きお兄さんよりたちが悪いかもしれない。
美味しい話に誘われて、ビール一本10万円。ってヤツだ。もっとも、健全たる先輩にとっては、想像の世界でしかない。

 いけない。腹がまた鳴る。

 どうも、パンのみの食事が先輩の胃袋を困らせるらしい。そこに、閑花のおうちごはん攻撃だ。健康たる先輩にとっては、
かなりのダメージをクリティカルヒットで受けているはずだ。圧倒的不利な戦局を打開する方法はただ一つ。

 帰宅することだ。

 残念ながら今日は本を探すことは諦めよう。屈辱に塗れた敗戦よりも、名誉ある撤退を先輩は選んだ。
幸い閑花の姿が見えない。この隙を狙って、書の森から自宅への帰還を試みる。
 先輩の心のうちを読み取ったかのか、閑花は足音を立てずに図書館玄関へ向かう先輩の前に飛び込んきた。
そして、またも一冊の本を目の前に掲げると、先輩は手を額に当てて渋柿を十も食べたような顔をした。

 閑花が手にしている一冊の本。使用している紙はかなり上等だ。それだけあって目を引き付けて本を引き立てる力が存在している。
 土鍋を囲むとある農村の囲炉裏。季節は松の内を空けた頃、一息ついて団欒を過ごす一家の写真集だった。とある写真家が
撮り溜めた日本のよき風習の記録。しかし、閑花は伝えられるべき文化を先輩に見せたくてこの本を持ってき訳ではないと、
誰もが想像できるのではないのだろうか。なぜならば、閑花だからだ。

 それをも無視して先輩は玄関へと向かう。そこに立ちはだかるのはゲートだ。
 無断で本を持ち出すと、ぴーぴーやかましいアレだ。
 先輩は今日は本を借りていない。故に通り過ぎてもセンサーは無反応だ。しかし、閑花は図書館の本を抱えている。
いくら先輩まっしぐらの閑花でも図書館のルールは心得ているはずだ。だが、万が一……万が一の最悪の事態が先輩の脳裏をよぎる。

 先輩が閑花に何かを言おうとした瞬間、閑花はぴょんと先輩の前に飛び出してゲートへ近づく。足元がよろける。
ローファーを履いた二の足でふんばる。だが、地球に逆らえない体。天を仰ぎ見るように閑花はお尻から転ぶと、ふわりとスカートが。

 白いごはん。
 白い湯気。
 白いパン。

 先輩のまぶたの裏に甦る白いものたち。

 完璧にゲートを潜った閑花の体。ブザーが鳴ることはなかった。すでに閑花は貸し出し処理を終えていたのだった。
 代わりに先輩の腹が鳴る。貴重な閑花ちゃんのせくしーぽーずより、腹の空き具合の方が勝った事実。

 閑花は大地に踏ん張って立ちはだかる先輩に手にしている本をばっと開く。空腹男子を鷲掴みするには十分な写真。
 やはり、米だ。米が食いたい……。先輩は尻尾を振る閑花と目を合わせぬように、囲炉裏端の土鍋が描かれた写真を見つめていた。
ぐつぐつと白米が煮立てられ、大地の恵が具材として色を引き立てる。地味ながらいくらでもおかわりを許してしまう一品。

 「先輩!七草粥です!閑花ちゃん特製土鍋で……」

 先輩がまた腹を鳴らす前に、閑花は図書館の外で黄色い声を上げた。


   おしまい。





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