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さよなら遠賀先輩

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さよなら遠賀先輩




 残り少ない学園生活、まるでマンガのようなことが起きるものだと、下駄箱の蓋を開けた遠賀希見は目を丸くした。
 一通の封筒。桜の季節はほど遠いのに、間違えて一足早くやって来たかの装いだ。可愛らしいシールで封をされた、
恋文かと見紛う手紙を遠賀はそっと手に取る。なぜ、恋文と判断しなかったのか。

 「何も書かれてないからね」

 冷静に遠賀はこの事件を捉えていた。

 遠賀は大切に封筒を持ち歩き、まもなく古巣となる演劇部部室へと足を運ぶ。この部室にお世話になるもの、あと僅か。
惜しむことを許さず、時間ぎりぎりまで演劇部員たることを誇りに思い、遠賀は木製の扉を開く。部活に後輩が一人、部屋にいた。
 部屋では後輩の男子が本を読みあさっていたところである。真剣な顔をして、一行一行丁寧に文字をたどる男子生徒、
遠賀は彼に気づかれないようにそっと背後に回り込み、イタズラするように男子生徒の両目をふさいだ。

 驚いた男子生徒は本をしっかりと持ちながら、動作を固まらせていた。それが遠賀には非常に愉快に映った。

 「遠賀先輩でしょ」
 「勘が鋭いね、迫くん」
 「そんなことをする人は、あなたぐらいです」

 迫の両目をふさぐ白い指を一つ一つ除けると、窓からの日差しが眩しかった。
 男子生徒の両肩に手を乗せた遠賀は、そんな日差しのような笑みを浮かべる。

 「いいことがありました」
 「どうせくだらないことでしょ」
 「くだらないかもしれません」

 栗色の髪を透き通らせて、メガネのフレームを光らせて、遠賀は隣の優しいお姉さんを演じた。
冷静沈着な後輩とはいえ、遠賀には可愛い弟にしか見えていない。そうとられることが迫にはくやしかった。
 本を諦めて、椅子から立ち上がる迫に遠賀は恥じらいながら、下駄箱の封筒の話をした。
 なんでもない話を彩色豊かに仕立てる遠賀の魔術に操られ、興味を持った迫が本物を見たいと言う。
迫の顔を見て遠賀もその気になって、三年間使い古した合皮の通学カバンから蕩けるような桜色の封筒を取り出して、
「合皮がひしめく音がもうすぐ懐かしくなるんだ」と、遠賀は自分に言い聞かせながら高校生活最後の初春を楽しむことにした。

 桜色の封筒。
 これが恋文以外の何物か。しかし、遠賀ははね退ける。

 「実は、恋文だったり?」
 「まさか」
 「どうかな?見てみる?」
 「お断りします」
 「なーんだ。せっかくヤキモチさせようと思ったのにな」

 年上女の妄想に付き合えない迫は、がっくりと肩を落としていた。
 だが、遠賀には迫のささやかな反発をものともせずに、少女のような瞳で話のペースを崩すことをしなかった。

 「そういえば、ここに来る途中ね」
 「話、いきなり変わりますね。空気って読めますか?」
 「女の子が何かの撮影してたのね。可愛いジャケット着て、お洒落なバッグ携えて。『あーちゃん、いいねいいね』ってスタッフに
  乗せられてたよ。ニコニコしながらカメラにポーズを決める姿って、なんだか萌えだよね?そう思わない?迫くん」
 「……読めませんね。それ、ファッション誌の撮影でしょう。多分、あーちゃんってのはモデルさんの愛称でしょうね」
 「鋭いね」
 「そのくらい予想できるでしょ。それに妹が読んでるファッション誌に、そんな名前のモデルさんが出てるらしいんですよ」
 「あーちゃんって子、スタッフの演技指導に軽々と答えて、多彩な表情を見せてくれたのよね。中学生ぐらいかな。
  長い黒髪眩しくて、舞台映えする長身が……ね」

 迫は表情を強張らせた。まさか、と思うが。

 「ウチの学校に入らないかな。演劇部にお誘いしちゃうのに」

 想像が現実となり、迫は頭を抱えた。年上女の妄想には付き合えないと。

 「それでね。撮影シーンをずっと見ていたんだけどやっぱりああいうのってカメラを意識しちゃうって思わない?」
 「ええ?そりゃそうですよ。カメラで撮影しているんですからね」
 「二次元媒体……。つまり、写真や映画、アニメなどは一方からの視覚を意識して演じればいいのね。でも、わたしたちが
  取り組んでいる演劇って、舞台をいろんな角度からの視線が取り囲んでいるじゃない?分かるよね。現実社会もそうだし」

 遠賀は戸棚からインスタントコーヒーの素を取り出して、自分専用のマグカップにざらざらと注いだ。
 かぐわしい微かな香りが古びた室内と相性が良い。遠賀は話を続ける。

 「それで……。今度、公演する機会があれば学校の講堂みたいな舞台ではなくて、公園の真ん中でやってみたいなって思うの」
 「……舞台の袖もなしですか」
 「そうね。逃げ場なし。わたしたちをどんどん追い詰めてくれる、サディスティックで最高の舞台じゃない?」
 「見せるべき角度、見せるべき空間、見せるべき距離感こそが舞台では大事ではないのでしょうか。それをないがしろにしろと」
 「お芝居は四方八方隙を見せるなってこと。黒澤監督がマルチカム方式を初めて採用した理由、知ってるよね?そういうこと」
 「先輩の演出は人を選びますねえ……。いや、勉強になるんですけど」
 「さすが迫くん、『さすさこ』ね」
 「先輩なりのお褒めの言葉、ありがとうございます」

 迫が丁寧に言葉を選び、お手洗いに行くと席を立つ。遠賀は迫の行動を気にもせず、遠慮することなく、手にした手紙の封を切った。
中からは百均で手に入れることが出来る安価な便箋が丁寧に畳まれ、美しい文字がほんの一行記されていた。

 『遠賀先輩にはついていけません。あなたのお芝居が大好きだったのに……』

 ファンシーに包まれて鋭く名指しされた遠賀は、便箋を一瞥すると白い歯を見せた。
 手紙の文面を耳にした迫は一度は足を止めるもの、遠賀から促され、部室から出ていった。扉が閉まる音を残して。

 「ふふっ」

 肘付いて、遠賀は便箋を何度も眺めていた。

 その頃部室から離れた迫は、小便をしていた。
 用を足すその最中も気にかかるのは、遠賀に宛てた手紙のこと。犯人探しはどうでもいい。
 なぜにこんな手紙を残していたのか。お手洗いで体はすっきりとするのに、気持ちがいまいちすっきりとしない。

 「なんだろうな……。あの挑発的な手紙は」

 用を終えた迫が部室に戻ると目にしたのは、遠賀がコーヒーを口にしているところであった。
 迫にコーヒーを勧めるが、またお手洗いが近くなると断られた。

 「遠賀先輩」
 「なにかなぁ」

 あまりにものほほんとしや遠賀の答えに迫は、抑えていた感情を露にした。ただ、先輩の目前だけあって、静かで穏やかで、
まるで入れたてと言うよりか、煎じ過ぎて幾分渋みが増した濃い色のコーヒーを思い起こさせるものであった。

 「悔しくないんですか。先輩は演劇部を去るとはいえ、先輩との決別を意味する内容なんですよ」
 「少なくとも、わたしには好意的だね。差出人は」
 「え?だって、遠賀先輩には批判的な内容ですよ」

 確かに、文字だけを捉えれば批判的だ。わざわざ文章にして差し出す。しかも匿名。人によっちゃ切歯扼腕しちゃうかもしれない。
それをものともせずに遠賀はにこにこと口元を緩めながら、綺麗な便箋を折りたたんでいた。迫にはその気持ちが分からぬ。

 「もし、わたしが相手をめった打ちしたくて書くなら、こんな書き方はしないな。悪意が感じられないし。
  そうねー。書くならば……『遠賀先輩のお芝居は大好きですが、あなたにはついてゆけません』かな」 
 「どう違うんですか」

 遠賀は黙ったまま大切そうに封筒を自分のスクールバッグに仕舞い込んだ。
 迫は何度も何度も遠賀先輩に宛てたられた、好意的な批判文の意味を頭の中で繰り返していた。

 「それはそうと、迫くん。さっきの話の続きなんだけど……。あの子、ウチの部に欲しいよね」
 「見ていないから、分かりません」
 「いや。あの子は、いいよ。いろいろと」

 「あの子はいい」と言われても……。
 遠賀の自信の理由を迫が掴めないまま、遠賀が部屋から出ようするのを止める迫。理由は無いに等しい。
しかし、遠賀は子犬を振り払うように、迫を無邪気にスクールバッグであしらって光の中に消えていった。


   おしまい。





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