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ほんの旅

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ほんの旅




 たまには街から出るもんだ。制服を脱いで、どこかへ行こう。

 黒いニーソックスに黒いパンプスを履き、黒いミニスカートを潮風に揺らして、白いシャツの襟がくすぐったい。
 みどりの黒髪が夏の緑に映える駅のホーム。汽車の音さえ聞こえないのは赤字御免なローカル線でのご愛嬌。ホームの彼女の名は
黒咲あかね。恥かしがり屋のあかねは開放的な田舎駅にて、白い太ももを風に晒していたのだった。胸元のネクタイがわずらわしい。
 せっかくの休みだから、田舎の町にやって来た。波の音が聞こえる港町。何もかも、部活のことも忘れて、先輩のことも忘れ、
そして友人のこと……、何をおっしゃる。それらを忘れられるわけがないですよと、あかねは故郷の街へと続く線路を見つめていた。

 風の音以外は静けさの駅。朽ちかけた駅名板が月日の流れを記していた。駅は地元の名士よりも名高いものだ。駅のそれぞれが物申す。
石畳から雑草がちらほら顔出すホームと、いつもあかねが演劇部で踏んでいる舞台とはちょっと違う。遠くの景色が美しく見えるのが
あかねには嬉しかった。ピカピカのキャリーバッグを握る手が少し汗ばむのが心地よい。あまりにも気持ちがいいのでついつい鼻歌を。

 「あのー。黒咲さんですか」

 再び、静けさ。

 あかねの顔を覗き込むように、齢十四、五の少年がびくびくと近寄ってきた。あかねは心臓をどくんと鳴らせてお守りを握るように
キャリーバッグの持ち手を強く握った。初対面の少年だ。どう言葉を返す?おねえさん?

 「黒咲あかねさんですよね」
 「はいっ!黒咲ですっ!仁科からやって来ましたっ!」

 中性的な顔立ちの少年はにこっと歯を見せてあかねの遠出を労った。
 答えるだけで精一杯だったあかねは、街で見られぬ少年の垢抜けない顔をじっと目に焼き付けていた。

 「もう一度確認しますけど、本当にいいんですか?」

 真一文に閉じたあかねの口は千の言葉よりも多く語り、季節違いの桜色した唇は少年の持つイノセントな感情を悪戯に刺激する。
大人びたあかねはこの港町の舞台では少々浮いているのかもしれない。しかし、あかねの立っての希望でここまで来たのだから
あかねのやりたいようにやらせるのが筋だと言うのではなかろうか。黒咲あかね、侮りがたし。

 あかねがホームのベンチに座り、キャリーバッグを開ける。誕生日のプレゼントを目の前にしたような面持ちで少年は膝を抱えた。

 「わぁ」

 本。本。本。ホン。本。

 本と言うより、くたびれたノートの山。文具屋さんで誰もが買える大学ノートが何冊もバッグから顔を出していた。
いや、しかしよく見て欲しい。これでもかとシャーペンで書き込まれて、元の厚さよりも分厚くなっているノートたち。
ここまで書き込まれれば、立派な書籍を呼ぶ方が相応しいのかもしれない。手にすれば黒鉛が付きそうなほど文字が埋め尽くされた
大学ノートを体操座りをしていた少年は、遠くに見える光りを反射する波に負けないぐらいに目を輝かせて眺めていた。

 「えっと……。『白雪姫・脚本/久遠……ねぎ』?」
 「荵ですっ!何でも書いちゃうすごい子ですっ!犬が好きですっ!」

 恥ずかしがっている自分を晒すのが怖いから、ついついあかねは言葉を畳み込んでしまう。文章以外は初対面だ。許してくれ。
 海風に吹かれ、盟友・久遠荵が手がけた台本がはらはらとページが捲れる。こうして風でもいいから誰かの手によって
荵の書いた本が捲られていることが、遠くの地でそれが起こっていても、荵の目の前でなくてもあかねは嬉しかった。

 「いいんですか?こんなすごいものをぼくらに」
 「『誰かの役に立ってこそ』って久遠が言うんです」
 「そうですか。その久遠荵さんって……どんな方ですか?」


     #


 「おツンデレ!亜子ちゃんはおツンデレが似合うよ!」

 仁科学園・中等部の制服姿で黒ネコミミを付けた黒鉄亜子の目は非常に冷めていた。金髪から伸びたネコの耳。作り物とは言え
小柄な亜子が装着すると、不思議と自然に見えてしまう事実は亜子の抗弁を拒否するかのようだ。
 亜子は自分の周りでわんわん吠える、ケモノのようなちっこい先輩が少々鬱陶しく思っていた。

 「久遠先輩。わたし、やりませんから」
 「亜子ちゃんで当て書きしようと思ったのになあ。おツンデレの役はぴったりだと思うよ!」

 当て書き。演じる役者のイメージに合わせて台本のセリフを書くこと。演じる者にとっては名誉なことではないか。 
 久遠荵はふりふりふりーっと見えないイヌの尻尾を振りながら、大事そうにみっちりと文字が埋められた大学ノートを手にしていた。

 秋の公演が近づいた。荵は託されて以前から書きたかった題目を選び、台本を仕上げてきた。日にちは充分にあるが
取り掛かりは早いほうが良い。荵は選んだ題目のお伺いをする為に、部室に幾人呼んで集まった。ただ、演劇部員ではないが。

 「おツンデレ妹の黒ネコ……黒鉄亜子ちゃん!」
 「マイ・シスター!ぴったりな役を付けてもらったじゃないか!誇りに思えよ!我が妹(いも)よ!!」
 「うざっ……」

 亜子は獅子のように立ちはだかる実兄を膝蹴りしたいと本気で思った。亜子の身長からすれば兄の太ももに当たるぐらいなので、
さほどのダメージはないはずだ。との計算の元であったため、多少は冷静さは亜子には残っていた。

 「妹のキャラは実際に妹じゃない子じゃないと演じられないと思ってね。その結果、亜子ちゃんに白羽の矢が立ったのです!」

 確かに亜子には兄がいる。真横にいる大男がそうだ。懐と呼ぶ。だからと言ってはいそれと二つ返事でOKを出す気にはなれなかった。
演技なんて素人がしゃしゃり出る訳いかないし、と控えめの気持ちでお断りしたかったのだが、如何せん兄が。

 「他にいないんですか?」
 「日頃から亜子ちゃんのお兄さまには大変お世話になっている所存でして、いつか恩返しをしなくてはと思った矢先でした!」
 「ネギ!礼なんか学食で一緒にランチするぐらいでも充分なんだぜ!」
 「黙っててよ……バカじゃないの?」
 「きゃー!おツンデレ!」
 「って、言うか。なんで『ネギ』なの?」

 兄と目を合わせられるような身長でなくて、心の底から亜子は微かな喜びを感じた。
 だが、敵もさるもの。懐は亜子の目線まで腰を降ろして交渉の真似事を始めた。

 「話をしよう。亜子は今、輝いてる」
 「きもっ!!」
 「輝きに磨きをかけてくれるのはネギだ。亜子は必要とされているんだ」

 懐の営業技術はさておき、亜子は作り物のネコ耳を摘んでいた。顔が俯き加減となり、小さな荵から見ても、ただでさえ
小さな亜子がより小さく見えて実の妹のように思えた。子犬のような荵と子猫のような亜子。太陽と月のような二人ならば、
血を分けた姉妹よりも姉妹に見えるマジックであった。すっくと立ち上がった懐はこの二人のやり取りをにまにまと眺めた。

 「ホントにお断りだいってなら、ネコ耳付けてくれないよね!亜子ちゃん!」
 「そんなことありません!」
 「きゃー!おツンデレ!」

 はしゃぎまくる荵はにこにこと目を細め、部室のロッカーを開けて探し物をしながら亜子の舞台姿を脳内で描いていた。
 小さな生き物のやり取りを目の当たりにした懐は腕を組んで笑っていた。兄の高笑いが気に食わなかった亜子は回し蹴りで懐の顔面を
狙おうと、部屋の椅子に右足を掛け、高く跳び上がろうとした。小柄な亜子が巨大ロボのような懐の顔面を狙うには椅子を利用する
しかないと左足を上げる。

 「待て!待て!待て!話をしようぜ!人類最大の武器は『言葉』だ」と懐は屈み込み、亜子の回し蹴りからの防御体制。
鉄壁の守りなどわたしからすれば襖同然だと亜子が踏み込んだ足で演劇部部室の空間で回転しながら舞った。
 蛍光灯の明かりが冷めた月のよう。ネコ耳少女の逆光の影が地上の民を時間の枷で縛り付ける。上履きに書かれた『黒鉄』の二文字が
読めるまでに亜子の足が懐に切迫し、やがて懐の頬へとめり込んだ。

 「亜子ちゃん。そしたらこっちの案はどうかなあ」

 荵が再び黒鉄兄妹の元に駆け寄ってきたとき、懐は大の字を床に描き、亜子は息を切らせて兄の側に立っていた。
 はあ……と呼吸を深く行った亜子はようやく荵の姿に気付き、中ボスを倒した後のように手を掃った。

 「おツンデレもいいけど、こっちもいいかなー。眠れる森の……」
 「好きにして下さい!」

 部屋に横たわり鯨と見紛うかの懐の体をぴょんと飛び越えて、亜子は演劇部の部室から出ていった。むっくりと起き上がる懐は
妹に呆気なくKOされてからの一部始終を荵に尋ねると、事実を聞いてあっけらかんと破顔した。

 「ああ。マイ・シスターは恥ずかしがり屋だからな!しかし、ネギにはいろいろと無駄骨折らせてしまってすまない」
 「いいよ!おツンデレの台本は誰かにあげて、また亜子ちゃんが喜ぶような台本を書けばいいし」

 荵は部室の扉の磨りガラスにぴょこんとネコ耳のシルエットが見えているのを発見してニヤリと笑った。
 廊下で二人の会話を盗み聞きしていた亜子は奥歯を噛み締めて呟いた。

 「久遠さんって、ホント分かりません」


     #

 「わたしもよくわからないけど、何だろう……文字でさえ手なずけちゃう子かな」
 「手なずける。ですか?」

 少年と目を合わせようとしないベンチのあかねは、膝小僧の上でぐるぐると人差し指で丸を描いていた。
あかねが評する荵像が少年には伝わったかどうかはさておき、あかねはあかねなりの表現を試すことにした。
そして、始め喋ることで精一杯だったあかねは荵の話題になったからか、晩夏の海の波の音のように饒舌になった。

 「久遠が言うんです。『わたしが書く物って誰かの真似事かもしれないの。だから、わたしが書いた物は誰かに真似されれば
  真似されるほど尻尾を振ってくれるんじゃないのかなあ』って。だから、あななたちで役に立てて欲しいんだって」

 ぎっしり詰まった荵の思い。
 ペンさえあれば生きてゆける。
 一文字一文字思いを乗せて、晴れて舞台で花咲かせろ。
 でも、花開く前につぼみもろ共摘んでしまうヤツがいる。
 悪しき心があろうとも、誰かの目に美しく写す為に。

 少年の信じていた、言葉の花壇が霞む。

 「真似事じゃ、だめってことですか。所詮、学校の部活なのに」
 「久遠が言うにはそう言うことじゃないんだって。新しい里親が見つかったようなものだって」
 「里親?生き物みたいですね」
 「そうなの。久遠の書いた物は物じゃない。生きているの。趣味だろうが、部活だろうがキチンと生きている立派な『生き物』だって。
  しかも、根を張った花じゃなくて血が通い、骨が軋む、立派な『生き物』なの。だから、誰かに拾われて育ててもらった方がお話自身、
  そして生まれてきた物みんなの為には幸せなことなんだって」

 誰かに掻っ攫われてしまうと思うより、誰かが育ててくれるんだと荵は信じて止まない。
 あかねは少年が持参した段ボール箱に荵の台本集を詰めながら、新しい飼い主の下へとはなむけの鼻歌を歌った。



    おしまい。





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