桑名のアレ 石取祭wiki

歴史

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桑名のあらまし

慶長6年(1601)に本多忠勝が入封したとき、桑名に始めて市街地整備が行われました。コレが『慶長の町割り』と呼ばれ現在の桑名市街地の土台となっています。

このとき、桑名には現在の九華公園の場所に城があったので城下町としての機能を持ち、周辺に武家屋敷、町民市街地、そしてその外側には田地が広がっていました。

この『慶長の町割り』で現在の第一組から第七組にあたる市街が整備され、1630ごろに第八組第九組にあたる地域が街区整備され、次第に桑名城下町の風習が広がり十組に当たる集落でも祭りが行われるようになりました。

春日神社の由来

石取祭の中心は言うまでもなく桑名宗社、通称『春日神社』です。
桑名宗社は『桑名神社』と『中臣神社』から成り立ち、

桑名神社は桑名造りの祖、天津彦根命(あまつひこねのみこと)とその子、天久々斯比乃命(あめのくぐしびのみこと)を祀り、景行天皇40年(110)桑部にあったものを現在の場所に移遷され、俗称を『三崎大明神』とされ

中臣神社は伊勢国造りの遠祖、天日別命(あまのひわけのみこと)を祀り、元は上野にあったものを正応2年(1289)に桑名神社と同じ境内に移遷、その後奈良の春日神社から春日神を勧請合祀したことが、『春日神社』の通称の由縁でしょう。俗称に『大中臣神社』とされています。

桑名宗社の拝殿右側が桑名神社、左側が中臣神社でよく見る『三』『大』の上り藤の紋は俗称の『三崎大明神』と『大中臣』からきている神紋です。

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