「ショーダウン……フルハウス!」
響く歓声が、場に走ったカタルシスの大きさを端的に表していた。煌びやかな空間に、割れんばかりの拍手の音が続く。
取り繕いきれない渋面のジェントルマンの手から、ジャラジャラとチップが『勝者』の手へと渡されていった。
「っへへ……最後に大事になってしまったけど、結局勝つのは、女神様に愛される男って事だな」
テンガロンハットを微調整し、金髪の男は愉快気に葉巻を一息吸い込む。手元に残ったのは、換金すれば約400,000程にはなろうかと言う、カジノのチップ。
そのうち半分は、この勝負に自分の手元から出したものだから、200,000の勝ちと言う事になる。
ドレスアップした紳士淑女のひしめくこの場において、Yシャツにスラックスと言う、風采の上がらない男の大勝利は、場を沸き立たせるのに十分な
出来事だった。
――――
夜の国の某大型カジノホテル。勝利と敗北、欲望と諦観が交差する、大人の遊び場にして、金の伏魔殿。
そこから勝利を拾い上げた男は、ちょっとした札束を手に、御満悦の様子で退出する。あちらこちらから立ち上る熱気の気配を背にして。
「今日はツイてた、いつも以上にツイてた。……どうやら今日は、ご機嫌みたいじゃないの……女神様?」
今日はあえてドレスアップせず、普段着のままで『勝負』に挑む事に決めたのだが、どうやらそれが良いゲン担ぎになったらしい。
すれ違いざまに、時折向けられる奇異の眼も、胸元に押し込められた札束に、跳ね返されてしまう。
勝利の夜と言うのは、やはり気分が良い――――強運に身を任せる、自分の判断の正しさの証明と言う意味もある。
幾重もの愉悦を身に纏いながら、男は自室へと足を向ける。
「おっと、おにーいさん! その様子じゃ、良い感じに遊べたみたいだね! どう、この後であたしとも遊ばない?」
「ぉ、目ざといなぁ……随分フランクじゃないか。良いよ、気に入った。で、いくら出せば良いんだ?」
金と服装、2つの意味で目立つ男は、程なくしてコールガールに声を掛けられる。
質素ながら扇情的なドレスに、肩から少し下がるくらいの眩しい金髪、透き通るような大きく青い瞳――――結構な『上玉』だ。
「部屋は取ってあるんでしょ? じゃ、そっちにお邪魔して60,000! あと、晩御飯も食べたいなぁ」
「良いぞ、この際野暮は言いっこなしだ。パッと明るくやろうじゃないか……!」
商談はあっさりと成立し、男は女性の腰に手を回して抱き寄せ、歩調を合わせて廊下を進む。
――――こういう『商売女』に対して、値切りなど絶対にやってはならない。見せ金があるのなら、尚の事だ。
自慢げに歩く男の姿は、正に『勝者』のそれだった。
「おにぃさん、どんな感じで勝ったの? これだけ行ったからには、一発モノにしたんでしょ?」
「お、聞きたいのか? んじゃ教えてやるよ! 今日の俺はポーカー一本でいこうって決めてたんだよなぁ……」
(――――どこで聞いたんだったかな……「恵まれない分には、腐っちまうのもしょうがない」って……全くその通りだ、俺もそう思うよ)
既に軽いトークでじゃれ合いながら、男の胸中に、ふと思い出された言葉があった。
――――自分の強運に自信のあった男は、賭場と言う運の戦場に足を踏み入れ、そして勝利を引っ提げて生還した。
もしもこれが、ツキの無い奴の行動だったなら、そいつは何もかも失っていたはずだ。
金だけならまだ良いだろう。運と言うのは馬鹿にならない。下手をすれば、こんなままならないモノのおかげで、命を失う事だってあるのだ。
(ま……俺ほど運に恵まれてる奴も、そうそう居ないだろうよ……なんせ、今の今まで生きてこれたんだからな……)
そんな感慨なんて今まで無かったはずなのに、ふと体に残る古傷が疼く様な気がした。恐らく気のせいだ。
気のせいながらも――――男はふと、己の運に対して思いを馳せる。今まで何度も、死んでもおかしくない目に遭ってきた。
それでも、こうして五体満足で生きているし、金を稼いで旨い物を喰い、時には良い思いをしている。
だからこそ――――この男は戦うのだ。世間に背を向けて、高いオッズに手を伸ばすべく。
信じるのはただ、己自身の運と、女神の祝福だけ。それ以外、彼には何もいらないのだ――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おーいパウル! 試験明けの打ち上げ、お前も来るだろ!?」
「おぅ、今度は誰んちに集まるんだ!?」
――――
昼の国。
夜の存在しない、太陽とリゾートの国にあっても、学生と言うのはやはり、他の国と大差ない存在で。
それが学生の本分と、勉学に明け暮れる者もいれば、仲間たちと青春を謳歌する者、流れる日々をただモラトリアムとして過ごす者、様々だ。
とは言え、大多数の彼らは、ごく当たり前の目立たない存在。学生の内から一味違う存在など、そうはいない。
「やっと全教科終わった訳だけどよ、パウルお前、出来の方はどれくらい自信あるんだ?」
「あぁ、今回は良い感じだ。ひょっとしたら学年トップ10、いけるかもな?」
「あぁ!? お前いっつも遊んでんのに、なんでそんなに自信あるんだよ!?」
「バーカ、お前ら授業の時、ちゃんと目ぇ開いてんのか? ちゃんとノート取って集中してりゃ、家の勉強時間なんて短くて済むだろ。授業は昼寝の時間じゃねぇんだぞ?」
「いやー、あんな詰まんない授業、よく集中してられるよね。あたしいっつも眠くなっちゃうんだけど……」
「そういやお前、先週も涎垂らして爆沈してたっけな?」
「うっ、うっせ! 人の寝顔見て喜んでんの!? 変態なんだパウルー!」
――――その『学生の頃から一味違う』存在を連れた一団が、校門から開放される。
ある種のタレント性とでも言うべきか、いつでも仲間内の輪の中心にいる存在。そんな風に日々を過ごしていれば、畢竟、目立つ事になる。
成績が良く、交友関係が広く、ノリも良い。絵に描いたような、青春の若者の周りに、やはり友人は引き付けられるのだ。
「あっ、悪いちょっと待っててな――――おーい!」
「……なんだパウル」
一団から離れた少年は、1人足早に帰り道を行く級友に声をかける。うんざりした様子で、彼は振り返った。
「いや、3日前掃除当番変わってもらっちゃって、悪かったよ。どうにも約束断り切れなくてよ」
「……別に良いよ、あいつら強引だもんな。1回ぐらいなら、別に……」
ぶっきらぼうに答える級友にめげず、少年は自分のカバンの中を漁る。
「んな訳で、埋め合わせって訳じゃないんだが……ほらこれ、あの時のお礼にと思って。助かったよ」
「え……これは、明日発売の『怨念戦記』39巻!? ど、どうして……」
「お前のキーホルダーが見えたの、覚えてたんだよ。それ、怨念戦記の愛羅姫だろ? だったら、読んでんじゃねぇかなと思ってさ。
知り合いの、本屋のおっちゃんから、今朝無理やり買い取ってきたんだよ。いよいよ最終章突入だし、早めに読んだ方が良いだろ?」
「……パウルもこれ、読んでたのか。なんか意外だな……」
「……けど、俺は謝瑠姫派だな」
「……へぇ」
「おっと、一家言ありそうだな。けど、積もる話はまた今度って事で、それじゃな、本当にありがとよ!」
どこかリアクションに乏しい、それでも何か言いたげな級友に対し、最後まで笑顔で語りながら、少年は仲間の輪に帰っていく。
「パウルお前、漫画まで詳しいって知らなかったぞ……」
「どんな漫画なの、あれ?」
「お前らが読んでも面白いとは限らねぇぞ。
櫻の国を舞台にした、ホラー伝奇超能力バトル漫画だからなぁ、ありゃあ漫画慣れしてる奴が読むものだよ」
「お前は分かってるって事は、結構なもんじゃねぇか! 読んでんだろお前!」
ガヤガヤと盛り上がりながら、一団もまた学校を後にする。
単行本を渡された級友は、少しだけ羨ましそうに、その背中を見つめていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「さーてね……っと、来た! やったよ2等、大当たりだぜ! 後で親父に換金してもらって――――」
夜の無い部屋で、少年は籤券を前にほくそ笑んでいた。
夜の無い国と言えども、人々には相応の生活リズムというものがある。窓の外を見れば、今の通行はまばらだ。
風を求めて開け放たれた窓には、寝るときの為に陽の光を遮光する、分厚いカーテンが掛けられている。
その窓から入り込んでくる、温かい光と風を満身に感じながら、少年は会心の笑みを浮かべていた。
――――第72回
昼の国産業振興記念くじ、それで当選金1,000,000を引き当てたのである。
「っと、それは良いとして……そろそろ、先生から頼まれたアレ、片付けとかないとな……」
小躍りしたいほどの喜びが胸に溢れてくるが、そればかりに浮かれてもいられない。学校の先生からの頼まれごとを、少年は抱えていたのだ。
机の上を片して、紙とペンを用意すると、少年はじっと思索を重ねるために動きを止め、時折ペンを紙に走らせていく。
――――彼にとって、こうした事は珍しい事では無かった。これまでの生活の中で、何度かあった事に過ぎないのだ。
――――文武両道、才色兼備、更に類まれなる強運に恵まれている。「天は二物を与えず」と言う言葉は、彼には当てはまらない様だった。
誰彼構わず交友関係が広く、目上の人間からの信頼も厚い。そうした周辺の期待に応えられるだけの能力も持ち合わせている。
誰もが人生の主役、という様な言い回しがあるが、正に彼は、自らを中心にして人生が回っていく、その中核に存在するものだったのだ。
「――――うん、良い感じだ。これで、次回の集会発表も、お願いするけど良いよな?」
「勿論ですよ先生。もう読み方の練習まで始めちまってますよ。任せて下さいって!」
「……本当にお前、やるもんだなぁ……」
翌日には、少年は教師と打ち合わせ、片付けた頼まれ事を仕上げた事を報告する。受ける教師の表情は、完全にシャッポを脱いだものだった。
何でも卒なくこなす彼にとっては、この程度は片手間だったのだろう。事前に知らされていないオプションまでつけて、見事にうならせていた。
「……そうだ、面倒ついでにもう1つ、お願いしても良いかな?」
「何ですか、改まって?」
「お前、6組のカルロス達ともそれなりに親しいんだろ? あいつらに、いい加減他所との喧嘩は止めろって、言ってやってくれないか?
よその生徒に怪我でも負わせたりすると、色々と問題なのだが……どうも聞く耳持たんで、上手く行かなくてなぁ……」
「先生そりゃ、頭ごなしに「止めろ」って言われたら、反発もしますって。そういうの、あいつら一番嫌う事ですからね
上から目線だって思われたら、終わりなんですよ。ちゃんと理路整然って奴を貫徹しないと
あいつら、馬鹿じゃないですから。話してる相手が「こっちをチンピラだって見下してる」っての、ちゃんと見抜いてきますよ
……まぁ、地雷原を歩くような話ですけど、そこら辺の加減を間違えなきゃ、案外話は通じますって」
「そ、そうか……」
「まぁ、俺の口から伝えてはみますよ。でも、それで俺がぶん殴られても、それでまたオイコラって向かっちゃいけませんからね?」
通常、教師が生徒にする範疇の相談を超えてなお、少年は涼しい顔で答える。既に彼は、能力的な範囲に留まらず、『自己』を確立し始めていたのだ。
モラトリアムと言う事は、もはや彼には当てはまらない。その中で、少年は精一杯、青春を楽しんでいた。
「……で、顔に青あざ作って帰ってきたと」
「――――我慢するからお前をぶん殴らせろってね……ちょっと言い方不味かった。まぁ、約束は取れたから良かったよ……」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――あーあ……ツイてねぇな。つまらねぇ……」
――――個室型の病室で、少年は1人、ため息を吐いていた。
急病に倒れて入院。しかもその為に、修学旅行への参加を断念せざるを得なかったのである。
学生生活最大級のイベントを堪能できない――――常に楽しく過ごしてきた少年の落胆は大きかった。
「今頃みんなは、
風の国の大山脈ツアーかよ……はぁ、高原チーズ、俺も食いたかったよチクショウ……」
せめて染みの数でも数えてやろうかと天井を見上げても、そこには綺麗な白しか広がっていなかった。
思うままに体を動かす事も出来なければ、自分の生活リズムで、いたずらな夜更かしをすることも出来ない。
持ち込んだ漫画も、他にする事も無いので、もうすぐ3週目に突入してしまう。ひたすらに気だるかった。
これ幸いに骨休め、などという疲れた感性とも無縁だった少年は、完全に時間を持て余してしまったのである。
「かと言って、昼間はマシなテレビなんてないんだよなぁ……ニュースもすぐに同じ事ばっかりで慣れちまうし……
国会中継って言ったって、テロ対策か馬鹿な質疑応答しかしないし……ある意味面白いけど……」
あと、日替わりでランダムな話題を持ち込んでくれるものと言ったら、病室備え付けのテレビしかなかった。
ぼんやりとつけっぱなしにしたテレビに見入る。なんだか、自分の頭が鈍化して行く様な感覚に、少年は囚われていた。
「やぁパウル君、相変わらず暇そうだね。検温と……どうだい、体調は?」
「あぁ先生……ま、腹の奥に、相変わらずの鈍痛はありますけど、熱は特に……それよか、早く起きたいですよ
旨いもの食べたいし、外を歩きたいし……はぁ……」
「ま、1ヶ月ほどの我慢さ。君なら、勉強の遅れを取り戻すのも楽だろうし、その体力なら病状も悪化しないだろうしね」
検診に来た医者と、他愛ない会話を交わす。これもまた、少年の数少ない心の慰めとなっている、今の日常だった。
――――その終わりを知らせたのは、つけっぱなしにしていたテレビである。
『――――番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします
本日、午前11時27分頃、
昼の国太陽航空、第245便旅客機が、「エンジントラブルに見舞われた」という通信を最後に、グランツ北東400㎞沖合の海上に墜落したとの情報が入りました』
「!? おいおい……飛行機の墜落かよ……」
「……大変な事が起きてしまったね……」
『この、245便には、修学旅行中の高校生を含む、377人が搭乗しており――――』
「――――ッ!?」
キャスターの、緊迫した言葉が、原稿のその場面を通り抜けた時、少年の頭は真っ白になった。
「ぱ、パウル君……!?」
「ちょっと待てよ……まさか、まさかみんな……!? 先生、ちょっと、確かめてくださいよ……俺の友達、これに乗ってたんじゃ……!?」
「お、落ち着くんだ。興奮は、腹の病変に悪いって分かるだろう?」
「だから、ちゃんと確かな事を知りたいんですよ! 教えてください先生! 俺の代わりに調べて!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……みんな……みんな……なんでだよ……」
果たして、墜落した飛行機は、少年の学友たちが乗っていた航空機だった。そして当然――――飛行機の墜落で、乗客乗員全員死亡は、当たり前の話である。
少年は、親しい友人たちを、大人たちを――――かけがえのない日常を、一気に失ってしまったのである。
(ツイてないって思ったけど、俺だけ生き残ったのか……でも、これでツイてるって言えるのかよ……!)
急病で修学旅行に参加できない事は、全くの不運だと思っていた。だが、その為に彼は生き残り、学友たちは全滅してしまったのだ。
現実味の無い事実を突きつけられて、少年の思考は空転し、同時に混乱に見舞われていた。起こった
出来事を、受け止めきれなかったのだ。
さしもの少年も、こんな急転直下の事態を、どう受け止めれば良いのか、それに答えを出せるだけの人生経験を積んではいなかった。
これから自分はどうなるのか、今ここに自分がいるのはどういう事なのか、少年の意識は、取り留めなくそんな疑問を見つけては、有耶無耶のまま霧散してしまう。
ただ、友人たちの死を悼む事くらいしか、病人の身である彼にはできなかった。
「……なんで俺、のんきに寝てるんだろ。みんな……凄い怖くて、最後の瞬間に痛い目見て、死んでったんだろ……?」
飛行機内のパニックに、思いを馳せる。友人たちはきっと――――どうなってるんだと叫び、死にたくないと叫び、そうして死んでいったはずなのだ。
いや、それは友人たちだけに留まらない、先生だって、そして他の乗客たちだって。地獄みたいに、恐怖と振動に振り回された挙句に、死んでいったはずなのだ。
――――それを思うと、病を患いこんな所で伏せっている我が身が、たまらなく腹立たしく、情けなく、悔しかった。
「……俺1人生き残ったんだったら、生きてかなきゃいけねぇな。身体治して、弔わなきゃ……」
しかし、こうも考える。自分1人が生き残る巡り合わせにあったと言う事は、そこに何らかの意味があるんじゃないか、と。
別に道徳教育を尊ぶつもりはないし、運命論者になった覚えもない。ただ、何かしらの意味と言えるものは、そこに確かにあるのではないか、と。
その手始めとして、まずは死んでいった知人たちに、ちゃんと冥福を祈り、ちゃんと遇する礼を尽くさなければならない。
明かりを消した暗がりの中、ベッドに横たわりぼぉっと天井を見上げていた少年は、どうにか自分の感情にケリをつけることが出来た。
――――眠りは、深かった。重く、昏く、熱く。
――――ずるい……ねぇか
――――なん……お前だけ……
――――こっ……一緒……来なってば……
――――1人だ……不公へ……!
「――――っぅ、ぐ……ぅぅぅ、ぅ……!」
――――お前も、俺たちと一緒に死ねよ……!
――――勝手に腹壊したとか言って、死ぬのさぼってんなよ……!
――――命を抜け駆けなんて、冗談じゃないぞ……!
――――来いよ、お前もこっちにッ!
「――――っぐぁぁぁぁぁ…………ぁ、ぐ、っ……!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――しっかりしなさい、大丈夫か!?」
「っぐ、ぐ、うぅ…………」
――――深夜、個室のドアが開け放たれる。少年の個室に足を踏み入れてきたのは――――見知らぬ老人だった。
「おい、おい! 私の声が聞こえるか!?」
「ぎっ……は、腹が…………ッ、あ、熱い……ッ、焼ける……!!」
「生まれたばかりの悪霊共が……引きずり込んでいくつもりか。そうはさせん!!」
少年は、腹部を抱え込む様に抑えたまま、うずくまっている。呻きながらも、意識は朦朧としている様で。
――――老人はそれを悪霊の仕業と見切り、すぐさまその手で、少年の額と腹を押さえつける。
青く澄んだ光が掌に集い、少年の体に衝撃が走る。がくんと少年の体が跳ねる様にのけぞった。老人の白髪も、白髭も、空気の振動にそよぐ。
「がぁっ!?」
「我慢しなさい……自分を失うなよ……!」
「ぐあっ、はがぁ!!」
ドクン、ドクンと、鼓動の様に衝撃は連続する。少年の口から苦悶の悲鳴が漏れ、塊の様な空気が絞り出される。
ガクガクと体は痙攣し、それも老人の手に抑え込まれる。まるでAEDを行使される様に、ビクビクと身体は跳ね上がった。
「ぼ、っふぁ……ッ!?」
「出たな、死霊の呪いが……もう大丈夫だ」
何度目かの衝撃で、少年の口から何かが吐き出された。空気だけではないそれは、黒い煙のような物で、中空に漂う。
それを視認して、老人は少年から手を放し、その黒い塊に向けてかざして見せた――――青い光が、眩く光度を上げる。
――――なんでよ……ひどいじゃない……
――――なんで、なんで俺らだけよぉ……
――――恨むぞ……お前を一生……!
――――俺たちが死んだから、お前が生きた様なもんだろ……
ハッキリと、2人の耳に恨みの声が聞こえてくる。光に当てられて霧散していくその黒い煙は、最後に恨み言を残して消えていった――――。
「ハァ、ハァ……い、今のは……?」
「……どうやら事故で死んだ、君の知り合い達の霊魂の様だ。それが君の病気にとりついて、死の道連れにしようとした様だね……
……未練が残るのは当たり前と言え、逆恨みも良い所だろう。だからこそ悪霊になってしまったのだろうが」
「――――ひどい、ひどいぜ、みんな……」
異変が収束し、少年は埋火の様に熱を残す腹部を抑えながら、老人の言葉に俯く。自分は恨まれ、呪われる存在なのか、と。
彼らの死に、思うところはあったが、それがこんな形で跳ね返ってくるとなると、少年の胸にもやりきれない思いが込み上げてくる。
何かのせいにしなければ、彼らの無念が浮かばれないのは勿論なのだろうが、その矛先が、自分に向けられるとは……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――しかし、君は運が良かった。隣の病室に寝てたお陰で、気が付けたよ……じゃなきゃ、君は急な病変と言う事で、死んでいただろう……」
「……!?」
ホッと一息ついて、老人はポツリと呟く。どうやら霊能力者らしい彼の手によって、少年は救われた訳だが、その言葉が胸に刺さった。
(……運が良かったって? そりゃ、みんな死んだ事に比べたら運が良かっただろうよ……でも、それで良かったのか……?)
不運に巻き込まれて死んだ友人たちに比べれば、病気の為に墜落する飛行機に乗らずに済んだ自分は、確かに運が良い。
だが、それは果たして本当の幸運なのか――――本当に運が良ければ、そもそも友人たちも死なずに済んだのではないか?
(こうやって、呪われて殺されかかっても生き延びたって事で、運が良いって事になるんだろうけど……でも、本当にそうか?
これは本当に運が良いのか? 悪運ってだけじゃないのか? ……運が良いの悪いので、こうまであっさり運命じみたものが決まってしまって、いいのか?)
我が身に起こった
出来事に、実感が沸かないのだろう。窮地を2度も偶然で生き延びた少年は、「運が良い」の一言の為に、思考の沼に陥っていた。
――――人生と言うのは、運の良さだけで、こうもあっさりと片付いてしまう程に儚い物なのだろうか。
自分の身を守ったこの『運』と言うのは、そういう性質のものなのだろうか。
だとしたら――――結局、全てはそれで片付いてしまう事になる。人生がどうのこうの、なんてレベルではない、この世界のすべてが――――。
(――――もし、本当にそうなのだとしたら――――)
「……どうしたね、まだショックか? まぁ、放心してしまうのは分かるが……」
「いや――――これからどうしようかって、思ってたところです。これでもう、学校にも帰れなくなりましたし
俺は……これから、自分の力で生きてかなきゃならないなって……あ、そういえば……ありがとうございました」
「……何を思いつめたか知らんが、今はゆっくりと休みなさい。君のその病気も、これで快方に向かうだろう」
少年の瞳に、ハッキリとした光が宿る。彼は、何か得心が入った様子で、老人に頭を下げた。
――――腹の中に、まだわずかに燻る熱と、先ほどの呪いの声の残響を聞きながら――――。
――――足元で死んでいる両親を見下ろす。退院して真っ先に行った事が、それだった。
考えに考えた手はずで襲う。悲鳴をあげさせもしなかった。恐らく外に今の事態は漏れていまい。
金を都合し、家に火を放ち、姿を消す――――全ては、思いの外上手く行った。両親は死亡、自分は行方不明。だが、事件はそれ以上の進展を見なかった。
「……ツイてる。やっぱりそうなんだ。俺にはツキがついてる。そして、あいつらがくれたこの呪いが…………ッ」
両親の魂が、腹の中で泣き叫んでいる事を、少年は感じている――――あの呪いの残滓は、身体に焼き付き、魂を縛る力場として機能していた。
――――これが、運の力なのか。因果応報など嘘八百だと、少年は確信した。全ては運、善悪など関係ない――――。
やけっぱちで起こした行動が、悉く運に恵まれた事で、少年は己の人生を確信した。
――――そして、彼は世界に対して「逆」を行くという、一生をかけたギャンブルに身を投じる――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(――――ま、こんなもんよな。人生は結局、勝つか負けるか、それだけよ……)
隣で寝ている女の息吹を感じながら、男はその裸身をシーツにくるみ、ぼぉっとテーブルの上の食事跡を眺めていた。
今では、
カノッサ機関のナンバーズ。それを話しても、この女は驚きこそすれ、むしろ興味をもって身を乗り出してきた。
――――ひと時の濃密な時間を過ごして、古傷だらけの体は充足感に満ちていた。
「――――随分、ご機嫌ね……」
「ん……なんだ、起こしちまったか?」
眠っていた金髪の女が目を覚ます。ぴったりと身を寄せ合って、その温もりを感じ取る。
「いいえ、ずっと起きてたの……――――あなたがこんな所で息抜きをしてるから、ちょっと揶揄ってあげようってね」
「は……!?」
だが、男は肝を冷やした――――女は己の首を、左手でむしり取ったのだ。同時にその体は輝き、姿を変える。
そこには――――黒い髪にすっきりした目鼻立ちの、先ほどとはまた違ったタイプの美人が、勝気な笑みを浮かべて横たわっていた。
「あ、殺狩!? ……お前、さっきの変装かよ!!」
「えぇ、あなたが遊びにうつつを抜かしているって聞いたから、ちょっと揶揄ってあげようってね
でも、相変わらずねぇ……こんな所で賭け事して、好い気になって遊んでるなんて」
「あー、あぁ……あー……勿体ねぇ。それであの娘殺してなり替わったのかよ……結構な上玉だったのに」
「随分余裕じゃない? ……あたしの目の届かないところで女遊びなんて、少し調子に乗り過ぎてるんじゃないかしら?」
「良いだろ別に。そこんところ、お前はそううるさくなかったと、思ってたんだけどよ」
「うるさくするつもりはないわよ。でも、だからって野放図を認めるつもりも、無かったんだけどね?」
――――ベッドの中の痴話喧嘩。しかしてそれを繰り広げているのは、≪No.21≫と、機関の頭領の1人。
世界にとっての恐怖の象徴の様な2人だが、今はただの個人に過ぎなかった。
「まぁ良いさ。俺は女神様に、まだ懇意にさせてもらってるっての、分かったからな。そこは収穫だよ」
「……露骨に話を逸らさないでくれるかしら?」
「で、だ――――お前とも、懇意である事を確かめさせてもらいたいんだけどな?」
「……そうやって誤魔化すつもり? 少しは捻りなさい、芸が無いわよ」
「必要か? お前だって乗り気だったんだろう? わざわざ姿を変えてまでな」
「そう面と向かって言われると、冷めちゃうのよ……全く、そこら辺がさつな人ね……」
「……でも、実際悪くないだろ。飾らないって言うのも、偶にはな――――」
呆れた様な笑みを浮かべながら、男は女の白い肩に手を回す。眉を顰めながらも、女はその身を男へと預けた。
――――そっと唇が重なる。クールダウンしていた体が、再び熱を帯び始めた。
――――幸運の女神と死霊の呪いは、今も男の体を包み、渦を巻いている。
男の行き先は、流れ流されて、ただ雲水の如く――――。
最終更新:2018年03月29日 20:10