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ナイトウィザード!クロスSS超☆保管庫
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ナイトウィザード!クロスSS超☆保管庫

第02話

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だれでも歓迎! 編集
 七村紫帆と名乗る少女との早朝の邂逅 ―――
 それは柊蓮司にとっては、少々血生臭いものにならざるを得なかった。
 新しい任務という名目でアンゼロット宮殿から放り出され、右も左も分からない見知らぬ街で巻き込まれた、突然の戦闘。
 エミュレイターとは明らかに異質の、怪物の群れによる襲撃。
 なんの前触れもなく人外の化物どもとの戦いに突入する羽目となった柊は、突如として交戦の場に躍り出たこの少女と成り行きで共闘することとなり、ついには敵勢力を退けたのである。
 柊が任地で通うこととなった、瀬戸川学園の制服を身につけた少女。
 互いに名乗りを終えたすぐ後で、柊はこの正体不明の少女の姿を注意深く観察した。
 任務早々、自らが巻き込まれた事件である。現状はどうしても把握しておきたい。
 そのための情報は、なんとしてでも手に入れておこう。
 だとすれば、この化物どもとの戦いに手馴れた様子の彼女は、当然のことながら有力な情報源足りえるはずだった。
 それならば ――― と、紫帆から詳しい話を聞きだそうと、柊がその一歩を踏み出したところで。

 ――― その目論みは、いまこのときは果たされることはなかったのである。

     ※

「学校まで十五分、か。うん。間に合う、間に合う」

 不意に、紫帆がなにげなく漏らした一言を、柊は聞き逃さなかった。
 制服が同じであれば目的とする学び舎も同じ。向かう方角は一緒である。
 わずか十五分。されど十五分。しかし、たったそれだけでも。わずかそれだけでも会話の時間を取ることが出来れば、自分を取り巻くおおよその状況を、ある程度は説明してもらえるだろう。
 いまの彼は ――― なによりも“情報”に飢えていた。
 いつも傍若無人で、無茶な任務を自分に割り当てるアンゼロットだが、今回はいつにも増して、柊の任地への移送が急過ぎる。普段であれば、『だれそれを護れ』とか『あれこれを調査しろ』とか、少なくとも任務内容の概要程度は説明されるのだ。
 それが、今回に限ってはそれすらもない。
 任地で協力者と会え、瀬戸川学園という学校に通え、と言われただけではなにから手をつけたらいいのかも分からない。
 あえて好意的に捉えるとするならば、その手間すら省かねばならないほど、事態が切迫していたということか。
 しかし事情がどうであれ、紫帆から可能なかぎりの情報を得ることが、いまの自分にとっては最優先事項であろう。
 せめて、彼女が何者で。
 せめて、あの化物どもが一体なんであるのか。
 そのくらいのことは確認しておきたかった。

「あー、ごめん。放課後。放課後にしよ? 私じゃ上手く説明できないかもしれないし、そういうのが得意な人、ちゃんといるから。それに、せっかくだから君に紹介しておきたい人たちもいるんだ」

 しかし柊に返ってきた紫帆の答えは、なんとも拍子抜けするものであった。
 手をぱたぱたと振りながら、紫帆はそう言って柊の質問を遮るのである。
「お、おい、なんの説明もなしかよっ!?」
 慌てて柊が食い下がる。
 突然、化物に襲われたというのに、このままなにもなかったかのように過ごすことなどできはしない。第一、いまの自分にはなによりも情報が必要なのである。

「ご、ゴメンね。でも、面倒くさいから説明しない、っていうんじゃないんだよ?」
 本当に申し訳なさそうな顔をして紫帆が謝る。
「あのさ……いまの私たちって、お互いがお互いのことをなにも分かっていないと思うんだ」
 ゆっくりと、言葉を選ぶように。とても真摯な表情を柊へと真っ直ぐ向けて、紫帆が言う。
「多分、私が私のことを君に理解してもらうのにも時間がかかると思うし、君が君のことを私に説明するのも大変なことだと思うんだ。だから」
 だからじっくりと腰を据えて、誤解や情報の齟齬がないように説明がしたい、と。
 紫帆は、そう言っているのだった。
 ふと、改めて冷静に考える。
 彼女の言う通りにしたほうがいいのかもしれない ――― そこで初めて柊も、そう思い直す心の余裕が出来た。
 いまは、紫帆が何者なのかも分からない。彼女の“力”のことも分からない。自分を襲撃してきた化物たちのことも分からない。とにかく、分からないことだらけなのである。
 情報は必要かもしれないが、その情報量は膨大なものになるのではないだろうか。
 加えて、紫帆の言葉を信ずるならば、彼女はウィザードではないという。
 少なくとも、ウィザードの存在を知らないという。
 だとするならば、自分も紫帆に解説してやらなければならないことが山ほどあるはずだった。
 世界結界。エミュレイター。月匣。プラーナ。月衣。そして、魔王たち。
 ウィザードとしての基礎知識を思いつくままに挙げただけでも、これだけの項目について説明しなければならないのである。もしかしたら、自分の考えが及ばないだけで、もっと解説を要することだってあるかもしれないのだ。
 そのことを考えるだけでも一瞬気が遠くなる。
 普段、自分では当たり前のように考えていることが、言葉にして説明しようとすると、簡潔に分かりやすく、登校中という短い時間で紫帆にすべてを伝えきれる自信はない。
 情報は確かに必要だ。
 だが、紫帆を急かして中途半端な知識を得たとしても、それは意味を成さないし、誤った認識を自分が持ってしまうことは、任務にあたってむしろ有害でさえある、と言えるだろう。
「……確かに、お前の言う通りかもしれねえな」
 ついには、柊もそのことについて同意せざるを得なかった。
 お互いの立場や世界を理解し合うには、確かに十分な時間が必要かもしれない。
「うん。だから放課後、ね? いきつけの喫茶店があるから、そこに行こうよ。あ、君に会わせたい人たちもそこで紹介するから ――― ええと、柊クン、でいい?」
「ああ。七村、っていったか ――― 紫帆、でいいか?」
 柊には、同年代の相手を姓で呼ぶ習慣があまりない。普段接する相手にしても、くれは、とかエリス、とか名前を呼び捨てにするのが常である。
 初対面の相手ではあるけれど、身についた癖はなかなか抜けないものなのだ。
 案の定、呼称について同意を求められ、少しだけ紫帆は目を丸くした。その気配を敏感に察したのか、
「……っと、悪りぃ。嫌なら七村、って呼ぶけどよ」
 柊はそう言った。
「えっ、う、ううん、嫌じゃないよ。そうじゃなくって、ただ少し驚いただけ」
 柊の妙な気遣いを柔らかく否定しながら、紫帆は両手をぶんぶんと振る。そして、わずかにはにかむような微笑を浮かべると、
「そうじゃなくって……ちょっと、思い出しちゃっただけ。そういうぶっきらぼうな言葉遣いが、私の知っていた人に少しだけ ――― 似てたから」
 そう言って、紫帆は笑った。本当に、ほんの微かだけ、笑った。
 紫帆が、彼女の言う“柊に似た人”のことを、『知っていた』と過去形で表現したことには、柊はあえて触れなかった。なんとなく、触れるべきではないような、そんな気がしたのである。

「そうか……ならいいんだけどな」
「ううん……なんだか、ゴメンね」
 もう一度だけ謝ると、紫帆はすぐに快活な笑みを取り戻した。
 どちらからともなく頷き合い、二人は連れ立って瀬戸川学園への道程を歩き始める。
 歩みが進むにつれて、同じ色とデザインの制服姿が次第に目に付くようになり、新しい学び舎まではもう目と鼻の先なのだということを柊に教えた。
 その間、二人が交わした会話はとても他愛もないことである。
 学園周辺にはどういう飲食店があるのか、とか。
 気軽に買い物の出来るスーパーはここだよ、とか。
 紫帆が懇切丁寧に教えてくれる情報は、どこか所帯じみており。
 柊は柊で、学校に購買部はあるのか、あるとすればヤキソバパンは売っているのか、などとどうでもいいようなことを紫帆に根掘り葉掘り尋ねている。
 それがあるのとないのとでは、学園生活の潤いと彩りが段違いなのだ、と力説する柊の言葉を、紫帆は穏やかな笑顔で楽しそうに聞いていた。
 校舎の正門前に到着するまでの会話は、終始この調子で進められた。
 柊の『任務』に関わりそうな有益な情報が、まったく得られなかったのは、実はこういう経緯があってのことなのである。
「それじゃ、また放課後ね」
「おう」
 正門前に到着すると、数時間後の再会を約束して二人は別れる。
 紫帆に教えられた通りの道順で職員室へと向かい、自分の担任だという教師と二、三の会話をした後で、柊はそれこそ随分しばらくぶりに“朝のホームルーム”というやつへ出席した。
 見知らぬ土地。見知らぬ高校。そして仮初めのクラスメートが、不思議と新鮮に目に映る。
 いつかの任務ときのように、なぜか二年生、などという紹介をされなかっただけ、今回はいくらかマシだと言えた。
 瀬戸川学園での柊は、誰にとっても『未知の転入生』なのである。
 潜入にあたって、アンゼロットがおかしなちょっかいをかけてこなかったことだけが、ただひとつの救いであった。
(もっとも、アンゼロットもそんな暇がなかったのかもしれねえが、な)
 事前の事情説明も一切なしに自分が派遣されたという現実が、柊の脳裏には引っかかっている。
 アンゼロットが、柊をおちょくる暇も惜しむほどの切迫した状況であり任務なのだ、と考えると、それはそれで身が引き締まる想いであった。
(……まあ、放課後を待つしかねえんだけどな)
 答えの出ないことをいま考えても仕方がない ――― 柊はそう頭を切り替える。開き直った、と言い換えてもいい。
 すべては放課後。
 後のことを考えるのは、じっくり時間をかけて、紫帆と詳しい話をしてからにしよう。
 そうやって一度納得してしまえば、気持ちの整理もつく。担任に促され、与えられた窓際の席に着くと、しばらくして、ホームルームの終わりと、一時限目の開始を告げるベルが鳴り始めた。
 瀬戸川学園における学生生活を、当面は満喫しよう ―――
 真新しい教科書を鞄から引きずり出し、柊はそう思った。

     ※

 肩を揺すられる感触。
 自分の名前を呼ぶ声。
 真っ暗な意識の淵でまどろんでいた柊は、うつぶせていた顔をゆっくりと持ち上げると、ようやく深い眠りから覚醒したようだった。
 一瞬、ここがどこで、自分がなにをしていたのかも忘れて、
「んが……?」
 間の抜けた声を上げてしまう。

「転入初日から居眠りなんて、大物だねー」
 笑いを含んだ呼びかけに、声のするほうを向く。
 ちょっと困ったような少女の笑顔とぶつかって、柊は慌てて身を起こした。
 たったいままで自分が枕にしていた机の、隣の席に腰掛けた紫帆が、「やれやれ」と言いたげな表情で溜息を吐く。教壇の頭上に掲げられた丸時計の針は、とっくに夕方の五時を指していた。
「げっ、もうこんな時間か!? ちっくしょう、誰も起こしてくれなかったのかよ!?」
 ガタン、と音を立てて席を立ち、柊が大声を張り上げた。すぐさま紫帆を振り返ると、
「悪りぃ、相当待たせちまったか?」
 斜め四十五度の角度で腰を折り、見るも惚れ惚れするような姿勢で頭を垂れる。
 あはは、と笑いながら立ち上がり、
「転入初日だもん。疲れてたんだねー。朝から、あんなこともあったし」
 そう言うと、紫帆は机に投げ出してあった自分の鞄を取り上げた。
 正門前で柊を待っていた彼女は、なかなか出てこない待ち合わせ相手を直接迎えに行こうと、わざわざ自分を探してくれたようだった。
 今日、転入生の来たクラスはどこですか、と教師に聞いたので、さほど探すのに手間はかからなかったらしい。紫帆はぐるり、と二人以外には誰も居なくなった放課後の教室を見回し、
「三年だったんだね。あのさ……柊クン、って呼んでも本当に良かった?」
 おずおずとそんなことを尋ねた。
 柊よりも年下 ――― つまりは後輩に当たるのであろう。
「いいって。変なことに気ィ回すなよ。それより、本当に悪かったな」
 柊も机の横にぶら下げてあった鞄を引っつかむと、それを無造作に肩へと担いだ。
「ううん、私は大丈夫だよ。だけど ――― 」
 待ち合わせの時間に遅れちゃったら、委員長に叱られるなあ、と。
 紫帆は、柊には意味不明の言葉を呟いたのであった。

     ※

 夕暮れの薄暗い街並みを二人で歩く。
 本当は、色々この街のことを紹介したり、案内してあげたいんだけど、それはまた今度にしようね ――― 紫帆は、心底残念そうにそう言った。
 早朝、自分の名乗りもそこそこに「お役に立ちます」と宣言してみせた彼女の台詞を思い出し、柊の口元が自然とほころぶ。
「面白れえ……っていうか、変わりモンだな、お前」
 率直に、そんな感想を柊が漏らすほどだった。
 登校時と同じような、なんでもない会話がしばらく続く。学園のある鳴島市の、とある商店街に足を踏み入れ、しばらくぶらぶらと歩いたところで、紫帆が一軒の喫茶店の前で立ち止まった。
「着いたよ。ここがみんなとの待ち合わせの場所」
 それはどことなくうらぶれた感じのする喫茶店であった。
 入り口の扉はなんとなく薄汚れているし、扉の硝子窓から覗くことのできる店内も照明が控え目で、なんとなく仄暗い印象を与える。よく見れば、その硝子窓にしたところで、手入れがまるで行き届いておらず、あちらこちらが煤けているのだ。
 ドアノブにかけられたプレートの消えかけた文字で、この喫茶店の名前が『ぺリゴール』であるということが辛うじて分かる。
「……大丈夫か、こんな店でコーヒーなんか飲んで」
 率直な感想がこれである。
 飲食店として、ここまで手入れが悪いと、なんだか衛生上の問題がありそうな気がする。
 大雑把な性格の柊でさえも、これにはさすがに二の足を踏んだ。

「大丈夫、大丈夫。ここじゃ、コーヒーは飲めないから」
「それは大丈夫じゃねえってことだろうが」
 間髪入れないツッコミの鋭さは、常日頃の反復の賜物か。つまるところ柊の日常は、ツッコむ相手には常に事欠かないのである。
「いや、本当に大丈夫。ここ、メニューにコーヒーがないから」
「そういう意味かよっ! ていうか、なんで喫茶店でメニューにコーヒーがないんだ?」
 もっともな疑問を口にする。
 紫帆曰く、「ここのマスターは自分の淹れたコーヒーは自分で飲むために淹れる」ので、客にコーヒーは出さないから、だそうだ。
「そんなんで商売になるのか……?」
「あはは、言われてみればそうだよね。でも、マスターは本業じゃないからいいんじゃないかな」
 不可解なことを言いつつ、紫帆が入り口の扉に手をかける。
 カランコロン、とこれだけは奇妙に清涼感のあるベルの鳴る音が響き、二人を迎え入れた。
 やはり店内の照明は薄暗い。これは、ムードのために灯りを落としているのではなく、ただ単に蛍光灯が消えかかっているせいだ。ぐるりと店内を見回せば、紫帆が言うところの「待ち合わせの相手」、「柊に合わせたい人たち」の姿が視界に入る。
 黒いズボンに包まれた長い脚を無造作にテーブルに投げ出し、深く椅子に腰掛けた顎鬚の男。
 無気力そうな表情はどこか気だるげで、シニカルな微笑をたたえた口元に火がついたままの煙草をくわえている。歳の頃は三十前くらいであろうか。入店した二人をちらりと見ると、「おう、お疲れ」と紫帆に短く挨拶をして、軽く右手を上げた。
 待ち合わせのもうひとりの相手は、外見からすると紫帆と同年代の少女である。
 瀬戸川学園のブレザーを身につけた、長い髪の少女であった。大きな丸い眼鏡をかけ、なぜか腕組みをしたまま仁王立ちで二人を出迎えた彼女は、紫帆の姿を見止めると、
「紫帆、遅い」
 あからさまに不機嫌な顔をして彼女に文句を言った。時刻は夕方の六時をとうに回っている。
 放課後に待ち合わせる、と約束をしていたのだとしたら、確かにこの時間は少し遅いかもしれなかった。
「ごめんね、委員長」
 紫帆が眼鏡の少女に謝る。なんだか少し悪い気がして、柊は紫帆を押し退けるようにして一歩を踏み出すと、
「こいつを責めないでやってくれよ。時間に遅れたのは、俺のせいだ」
 そう言った。もともとは自分が放課後の待ち合わせ時刻を過ぎても、教室で寝こけていたせいなのだ。初対面の少女に向かって、紫帆をかばうようにそう口を挟むと、委員長と呼ばれた彼女が、そのとき初めてこちらを見る。
 眼鏡越しにこちらを窺う視線がどことなく硬い。
 それは、明らかに柊のことを警戒している内心の現れのようだった。
「紫帆の言っていた、オーヴァードじゃないのにジャームと戦える男、っていうのが彼?」
「うん。登校中、ジャームの群れに襲われていたところに私が駆けつけたっていうのは、委員長に昼間話したとおりだよ。ちょっと話を聞いたんだけど、彼、オーヴァードじゃないって」
 紫帆の言葉に、腕組みをしたままの姿勢で『委員長』が沈思黙考する。
 そのまま数分間、口の中でなにごとかをぶつぶつと呟きながら考え込む様子は、明らかに周囲のことなどお構いなしといった風情であった。
 自分の思考に没頭し始めた彼女を、紫帆は涼しい顔で黙って見ていたし、顎鬚の男にいたってはそちらを見向きすることもなく、欠伸混じりのだらけきった姿勢で二本目の煙草に火を点けていた。
 なんというか気まずい。他の二人は慣れているのだろうが、他所様のテリトリーに紛れ込んだままで放置されるというのは、これでなかなか気を使うものである。
 さすがに柊がこの雰囲気に耐え切れなくなった頃、
「分かりました。まず、基本的なことから説明させた貰ったほうが良さそうですね」
 ようやく顔を上げ、『委員長』が柊に向かってそう言った。
「まず、遅れましたけど自己紹介を。私は八重垣ミナリ。こちらは……」
 そう言いつつ、カウンターの顎鬚男を振り返り、
「九条柳也さん。喫茶店ぺリゴールのマスター兼UGN鳴島支部の支部長です」

 よろしく、の言葉の代わりに軽く手を上げ、こちらに向かって振ってみせる顎鬚の男 ――― 九条柳也。せめて起き上がって挨拶したらどうですか、と委員長 ――― 八重垣ミナリが彼を叱り付けると、
「いちいち細かすぎるんだよお前は」
 柳也がぼやき、“三本目”の煙草に火を点けた。
 それに反論しようとして口を開きかけ、ミナリは柊を放置していたことに気がついて自制する。
「すいません。話の途中で」
「いや。でも、なにぶん“そっち”の領域に関しちゃあ俺は素人なんだ。色々聞きなれない言葉もあるし、とにかく分からないことだらけなんだよ。その、ゆー、じー……とか、支部長とか、そういうところから、もうさっぱりなんだ。だから、教えてもらえると助かる」
 苦笑しつつ、頭をかきながら柊は率直に述べる。
 ミナリの視線がわずかに和らぎ、警戒を少し解いたようだった。
 分からないことを分からないという素直さと、ミナリに教えて欲しいという謙虚な態度を、彼女は少し好もしく思ったようである。
「そうですね。元々、私も紫帆からそれを頼まれていましたから。さっそく、レクチャーを開始しましょうか? ええと ――― 」
「柊。柊蓮司だ。さっきコイツにも断ったんだが、悪いが下の名前で呼ばせてもらうぜ、ミナリ。習慣っていうか、癖なんだ」
「こだわりませんよ、柊さん。うん、私は柊さんって呼ばせていただきます。なんというか、このほうがしっくりきますから」
 笑いながらミナリは承諾の意を示す。笑顔を作り、表情から険しいものが取れると、歳相応に可愛らしい少女の顔になる。どこか張り切った調子で学生鞄からノートと鉛筆を取り出すと、
「これから、この世界を取り巻く現状について出来る限り詳しく、お教えします」
 ミナリは意気揚々と言うのであった。

     ※

 ミナリの語る、驚愕すべき世界の真実。
 十九年前に世界中にばら撒かれたレネゲイドウィルスのこと。
 感染者に超常的な力を与え、オーヴァードとして覚醒させるこのウィルスは、また『ジャーム』と呼ばれる怪物を生み出す危険性を秘めているということ。
 秘匿された真実の裏で、通常人とオーヴァードの間の軋轢を防ぐため、また日常を護るために結成された組織があること。ミナリたちが、その組織に所属しているということ。
 また、自分たちとは異質の、レネゲイド犯罪やテロリズムにその力を悪用するものたちもいるということ、そしてそんな連中とも戦っているのだ、ということ。
 シンドローム、エフェクト、エトセトラ、エトセトラ。
 かつて普通の人間だった紫帆が、オーヴァードとして覚醒したときと同じように、ミナリは柊に親切丁寧なレクチャーを施した。
 なにも知らない素の状態の人間に、こういう非常識な現実を事実として受け止めさせるということは、実はひどく大変なものなのである。
 だからこそ丁寧に。だからこそ、分かりやすく。
 紫帆のときは、彼女が幸い素直な性格だったし、非現実的なことでもそれを受け入れられるある種の図太さがあったから、さほど苦労はしなかった。
 それでは、柊蓮司の場合はどうであったか。
(紫帆の話だと、ジャームの群れにも物怖じせずに戦っていたというし、もともとレネゲイドとは異質の超常の力を持っていたみたいだから……)
 存外、簡単に私の話を理解してもらえるであろう、と。ミナリはそう考えていた。
 しかし。
 柊蓮司は、ミナリも予想していなかったところで理解につまずき、ミナリの頭を抱えさせる羽目になったのである。

「 ――― 紫帆が戦ってる姿を見てるから、お前らの力を疑うわけじゃないんだけど……」
 小難しい顔をしながら、柊が何度目かの唸り声を上げる。

「また、そこに話を戻すんですか? この力はそういうものだ、って理解してもらえればそれでいいですよ。原理とか、そういうものは私にだって詳しいことは分からないんですから」
 ミナリが呆れ顔で言った。
 ウィルスに感染して力を使えるようになる、ということが柊にはいまいちピンと来ないようなのである。
「それを言うなら、“魔法使い”なんて単語が出てくるほうが、私にとっては不可解です」
 頬っぺたを膨らませながら、ちょっと拗ねたようにミナリがそっぽを向く。
 持てる力の源や置かれた立場が違えば、なかなかお互いを理解することは難しいものだ。
 初めに月衣やエミュレイターのことを簡単に柊が説明したときは、
『真面目に言ってるのか?』
『個人結界って、私たちのワーディングみたいなものナノカナ……?』
『テレビゲームのやりすぎじゃないんですか?』
 などと、オーヴァード三人組は口々に疑問形の台詞を柊にぶつけてきたし、柊は柊で、ミナリによる“もうひとつの変貌した世界”についての説明を、理解不能、という顔で初めは聞いていたものである。
 そして、レネゲイドと呼ばれるウィルスが、彼女たちの不可思議な力の源である、というくだりに関しては、
「なんでウィルスに感染してそうなるんだろう」
 と、いかにも不思議そうな顔をして、柊はしばしばミナリの説明を中断させたのである。
 『ウィルス』という常識的な概念が、『超常的パワーをもたらす』という非常識を内包しているというこの現実。
 『世間一般の常識に照らし合わせれば非現実な存在(エミュレイター)が、世界結界のほころびを縫って現世に侵入する』という理屈に照らし合わせると、矛盾を孕んでいるような気さえするのである。
 ウィザードの持つ感覚的な理性に反する、いわば咽喉につまった魚の小骨のような違和感を覚えるのであった。
 それに反してミナリたちはといえば。
 これは言うまでもなく、ウィザードでもオーヴァードでもない普通人が、『魔法使い』という単語に触れたときと同様の感想しか抱くことが出来なかったことも事実なのである。
 まして魔王などといわれた日には、ミナリのように『ゲームのやりすぎ』という揶揄が飛び出してしまうのも仕方のないことであった。
「わーかってるって。これは、ただ俺の感覚的な問題ってだけのことだ。どっちも非常識で、だけどどっちも現実なんだろ? そんなことは、あのジャーム……とかいう化物を目の当たりにしたら、疑う余地はねえ」
 ミナリをなだめるように柊は言う。それでもやっぱり、
「とは言うものの……やっぱりなあ ――― 」
 しきりに首をひねる柊なのであった。そんな二人のやり取りをじっと聞いていた紫帆が、おっかなびっくり手を挙げて、
「あの……柊クンは、“シンドローム”って、わかってくれた……?」
 そう柊に尋ねる。
「おう。紫帆のキュマイラとか、柳也さんのバロールとか、ミナリのサラマンダーとか……のことだろ?」
「わ、よく覚えたね。うん、その通りだよ。もし、柊クンが分かりにくいと思うなら、こう考えてみたらどうかな?」
 少し自信なさげに、それでも精一杯彼女なりに考えた結果として、紫帆が噛み砕いて解説する。

「あのさ、レネゲイドっていうのは柊クンが考えてる以上にすごいウィルスなんだよ。普通の、私たちの常識で知っているウィルスよりも、人体に及ぼす影響が大きいの。たとえばインフルエンザにかかると、すっごく熱が出るでしょ?」
「おう」
「あれのグレードアップヴァージョンが、サラマンダー。すごい熱を通り越して、身体から火が出ちゃうの」
「ちょっと、紫帆!?」
「おお、なるほどな! それなら分かるぜ!」
 完全に腑に落ちた顔をして、柊がポン、と手を叩いた。
 ミナリにしてみればたまったものではない。自分のシンドロームをすごいインフルエンザと乱暴にくくられた挙句に、あれだけ一生懸命説明してもどこか納得していなかった柊が、紫帆の解説であっという間に理解してしまうのだから。
「私の、私の説明はなんだったんですか!?」
 テーブルをバン、と叩いて激昂するミナリを、いつの間にか身を起こしてした柳也が笑いながらなだめる。
「はは。ミナリ、お前さんの説明はあまり初心者向きじゃねえんだよ。ちょっと話が長いし、それに一度に多くの情報を詰め込みすぎる」
 少し一息入れたらどうだ、と柳也が三人に缶コーヒーを手渡した。
 喫茶店のマスターなのに。
「なんですか、これ」
「商店街の福引で一年分当たった。さっさと処分しちまいたいんだが、あいにく俺にはこういうのは不味くて飲めやしない。金は取らねえから好きなだけ飲んでいいぜ。俺は ――― 」
 ミナリの質問に答えつつ、柳也はコーヒーサイフォンの準備を始める。自分が飲む分だけはキチンと淹れる。そういう腹積もりのようだった。
「まったく……本当に、お客さん来なくなりますからね」
「昔もいまも閑古鳥だ。これからだってそれでいい」
 呑気なことを言いながら、柳也はニヤリと口元だけで笑う。
「……それに、どうにもウチは、コーヒーを飲みに来る目的じゃない客が多くて、な」
 柳也の視線の先は、ぺリゴールの入り口の扉を凝視していた。
 ざわり、と一同に緊張が走る。
「千客万来、だな。今夜は」
 柊たちも柳也に数瞬遅れて、戸外に何者かの気配を感じて立ち上がった。
 微かに聞こえる車のエンジン音。そして停車する音は数台分。
 車のドアの開閉音が立て続けに聞こえ、ぺリゴールを囲む空気が微かに揺れたようだった。
 四対の視線が入り口を睨みつける。三人のオーヴァードがそれぞれ身構え、柊も自らの月衣に手を差し込み、握り慣れた魔剣の柄に手を伸ばした。
 そして、膨れ上がる緊張感の中、開かれた入り口から意外な人物たちが姿を現す。

「その警戒心の強さと鋭敏さ。UGNの一員としての貴方たちを頼もしくは思いますが、とりあえずは殺気を抑えていただけませんか」
 高価そうなスーツに身を包み、穏やかな笑みを浮かべたひとりの男が、そこには立っていた。

「あらあら。そんなに警戒しなくても、取って食べたりはいたしませんわ、柊さん?」
 シックな黒のドレスも目に麗しい、小柄で華奢な銀髪の美少女が後に続く。

「霧谷さん!」
「なっ!? あ、アンゼロットっ!?」
 三人のオーヴァードと柊蓮司が、違う名前を同時に呼ばわり硬直する。
 ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワーク ――― UGNの日本支部長、霧谷雄吾と。
 ウィザードであれば知らぬものなし、“真昼の月”の異名をとる世界の守護者、アンゼロット。

 旧知の仲のごとく、二人連れ立ってぺリゴールに入店してきた二人の珍客を、紫帆たちと柊蓮司は、ただ口をあんぐりと開いて見つめたまま、しばらくの間言葉を失っていた ―――



(続く)


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