◇ ◆ ◇
「はじめまして、客人たち。私はロシオッティ。一応、この森を治める立場にいる者だ」
獅子に似た深紅の獣は、その猛々しい容姿とは裏腹に、実に丁寧かつ理性的な自己紹介を告げる。
笑みの形に細められた瞳には、穏やかな知性が見て取れた。
「あ、ど、ども。柊蓮司っす」
「あ、えと、赤羽くれはです」
そんな獣の言葉に、異邦人二人はつい畏まってぺこりと頭を上げてしまった。そうさせるだけの威厳が彼にはあった。
(ロシオッティ――“七賢人”の一人、“獣王”か……)
なるほど、“王”だ――そう、柊は納得する。この威厳は、“王”を名乗るに相応しい。
一方、幼い双子はかちんこちんに固まっている。彼の姿に怯えているのか、その威厳に竦んでしまっているのか。
「そんなに硬くならなくても構わないよ、森の子たち」
そんな二人の様子に気づいて、密林の王者が声をかける。子ども達を気遣う、優しく穏やかな声だった。
「はははは、はいっ! お、俺……いや、ぼくはバドと申しますっ!」
「コ、コロナですっ、はじめましてっ」
その言葉に、双子もやっとこさ名乗る。その声が上擦っているのは、まあ無理もないことだろう。
史実の中の生ける伝説を目の前にして、緊張するなというほうが酷な話だ。
「よろしく、バド、コロナ。――それに、蓮司とくれは。遠いところから良く来てくれたね」
双子に笑いかけてから続けられたロシオッティの言葉に、二人の異邦人は息を呑む。
「……俺たちのこと、知ってるのか?」
「ああ、蓮司はガイアに会ったろう? 彼の話を、ポキールから聞いた」
私もガイアも、お互いの場所から動かないからね――そう、“七賢人(なかま)”の名を告げて、“獣王”は笑う。
「さて、君らがこの森を訪れた用件は何かな? 私でよければ力になるが」
「あ、いや……用、というか……」
穏やかに尋ねられ、柊は思わず口ごもる。用があって来た訳ではない、と正直に答えるのは失礼に当たるだろうか。
しかし、その様子で“獣王”には十分答えになったらしい。一瞬、きょとんと柊を見つめた後、やおら声を上げて笑った。
「ああ、なるほど。アニュエラの遺産が、私の意思に共鳴して強引に招待してしまったようだな。どうも申し訳ないことをした」
帰りの足はこちらで用意しよう、そう請け負う“獣王”の言葉に、しかし柊が首を傾げた。
「……『私の意思に』ってことは……あんたは、俺に何か用があるのか?」
「君に、というより、誰か力ある者に手を貸して欲しいことがあるのだ」
その言葉に、柊たちは目を剥く。“獣王”と呼ばれる者が、他者の助力を求めるとは一体どんな大事か。
「いや、それほど大それたことではないのだ。
だが、私の部下達は荒事向きではないし、私が直接動くと大事になりすぎてしまう。それで些か困っていてね」
「……部下って、しるきーのことか?」
柊の問いに、“獣王”は嬉しげに破顔する。
「彼女に会ったのか。ああ、しるきーも、私の目となり耳となってくれる者の一人。そして、今一人が……」
「――お客様ですか? 獣王様」
と、呼応するタイミングで、玉座近くの茂みから小柄な影が現れた。その姿に、柊たちは目を瞬いた。
「――しるきー?」
「へ?」
こくん、と首を傾げるのは、先程分かれたしるきーそっくりの森ペンギンだった。しかし、その声は若い男のもの。
「彼は、えもにゅー。しるきーの兄だよ」
“獣王”が笑って告げる。ついで、えもにゅーに柊達を紹介した。
「ああ、妹がどうもお世話になったようで。はじめまして、えもにゅーです」
「え? いやいやいや、世話になったのは俺らの方で……」
ぺこりと頭を下げられて、柊は慌てる。世話したどころか、自分たちの方が一方的に助けられたのだから。
獅子に似た深紅の獣は、その猛々しい容姿とは裏腹に、実に丁寧かつ理性的な自己紹介を告げる。
笑みの形に細められた瞳には、穏やかな知性が見て取れた。
「あ、ど、ども。柊蓮司っす」
「あ、えと、赤羽くれはです」
そんな獣の言葉に、異邦人二人はつい畏まってぺこりと頭を上げてしまった。そうさせるだけの威厳が彼にはあった。
(ロシオッティ――“七賢人”の一人、“獣王”か……)
なるほど、“王”だ――そう、柊は納得する。この威厳は、“王”を名乗るに相応しい。
一方、幼い双子はかちんこちんに固まっている。彼の姿に怯えているのか、その威厳に竦んでしまっているのか。
「そんなに硬くならなくても構わないよ、森の子たち」
そんな二人の様子に気づいて、密林の王者が声をかける。子ども達を気遣う、優しく穏やかな声だった。
「はははは、はいっ! お、俺……いや、ぼくはバドと申しますっ!」
「コ、コロナですっ、はじめましてっ」
その言葉に、双子もやっとこさ名乗る。その声が上擦っているのは、まあ無理もないことだろう。
史実の中の生ける伝説を目の前にして、緊張するなというほうが酷な話だ。
「よろしく、バド、コロナ。――それに、蓮司とくれは。遠いところから良く来てくれたね」
双子に笑いかけてから続けられたロシオッティの言葉に、二人の異邦人は息を呑む。
「……俺たちのこと、知ってるのか?」
「ああ、蓮司はガイアに会ったろう? 彼の話を、ポキールから聞いた」
私もガイアも、お互いの場所から動かないからね――そう、“七賢人(なかま)”の名を告げて、“獣王”は笑う。
「さて、君らがこの森を訪れた用件は何かな? 私でよければ力になるが」
「あ、いや……用、というか……」
穏やかに尋ねられ、柊は思わず口ごもる。用があって来た訳ではない、と正直に答えるのは失礼に当たるだろうか。
しかし、その様子で“獣王”には十分答えになったらしい。一瞬、きょとんと柊を見つめた後、やおら声を上げて笑った。
「ああ、なるほど。アニュエラの遺産が、私の意思に共鳴して強引に招待してしまったようだな。どうも申し訳ないことをした」
帰りの足はこちらで用意しよう、そう請け負う“獣王”の言葉に、しかし柊が首を傾げた。
「……『私の意思に』ってことは……あんたは、俺に何か用があるのか?」
「君に、というより、誰か力ある者に手を貸して欲しいことがあるのだ」
その言葉に、柊たちは目を剥く。“獣王”と呼ばれる者が、他者の助力を求めるとは一体どんな大事か。
「いや、それほど大それたことではないのだ。
だが、私の部下達は荒事向きではないし、私が直接動くと大事になりすぎてしまう。それで些か困っていてね」
「……部下って、しるきーのことか?」
柊の問いに、“獣王”は嬉しげに破顔する。
「彼女に会ったのか。ああ、しるきーも、私の目となり耳となってくれる者の一人。そして、今一人が……」
「――お客様ですか? 獣王様」
と、呼応するタイミングで、玉座近くの茂みから小柄な影が現れた。その姿に、柊たちは目を瞬いた。
「――しるきー?」
「へ?」
こくん、と首を傾げるのは、先程分かれたしるきーそっくりの森ペンギンだった。しかし、その声は若い男のもの。
「彼は、えもにゅー。しるきーの兄だよ」
“獣王”が笑って告げる。ついで、えもにゅーに柊達を紹介した。
「ああ、妹がどうもお世話になったようで。はじめまして、えもにゅーです」
「え? いやいやいや、世話になったのは俺らの方で……」
ぺこりと頭を下げられて、柊は慌てる。世話したどころか、自分たちの方が一方的に助けられたのだから。
「プ。プ、プ」
と、先程まで玉座の脇で大人しく黙っていた豆一族が、やおら声を上げた。その声に、えもにゅーが破顔する。
「ああ、あの子もお礼を言っていますよ。変な余所者に追いかけられていたところを助けてくれたんですね」
ありがとうございます、と礼を告げるえもにゅー。と、『余所者』という単語に、バドが思い出したように叫んだ。
「あっ! そうだ、さっきの二人! ───師匠、大変だ! 助けてあげないと死んじゃうよ!」
「……死んでしまう、とは穏やかではないな。何事かな、バド?」
首を傾げるえもにゅーの横から、“獣王”が問う。
バドは焦りからか、先程までのしゃちほこばった態度を忘れたように答えた。
「さっき、たった二人でドゥ・カテの尻尾を狩るっていう狩人に会ったんだ! 無茶だよ、死んじゃうよ!」
その言葉に、えもにゅーが目を剥き、“獣王”も微かに息を呑む。
事態が飲み込めない異邦人二人が、慌ててタンマをかけた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「大事だっつーのは話の流れでわかったが……ドゥ・カテってなんだ?」
「え、知らないんですか!?」
えもにゅーが驚いたように声を上げる。その中に、微かにだが呆れるようなニュアンスがあるのに、異邦人達は気まずい
思いをしたが、
「えもにゅー。他者の無知を嘲ることは、無知よりもはるかに恥ずべきことだぞ」
静かだが、重い“獣王”の言に、逆にえもにゅーの方が気まずげな顔になった。
「すいません……えと、ドゥ・カテっていうのは、密林に住む凶暴な大猿です。
尻尾が薬の材料とかになるんですけど、普通の狩人だと十人がかりでやっと太刀打ちできるようなレベルで……」
「はわ、十人!?」
「そんなのに二人で挑む気なのか、あいつら!?」
ようやっと事態を飲み込み、柊達は目を剥いた。
あの二人は荒れた道をよろけずに歩けていた点からして、身体能力はそれなりにありそうだったが、荒事慣れした気配は
なかった。並みの狩人どころか、あの当人達の口ぶりからして、俄か猟師なのは明らかだ。
戦士としての技倆も、猟師としての知識もない。そんな二人で凶暴な野生動物に挑むなど、無謀にもほどがある。
「どうしましょう、獣王様。ドゥ・カテを懲らしめてくれるならいいですけど、たった二人では逆に殺されてしまいます」
焦ったようなえもにゅーの言葉に、柊たちは目を瞬いた。
「“懲らしめる”?」
「ああ――先程言った、私の困っていることというのがそれなのだ」
柊の問いに、えもにゅーではなく、“獣王”が答えた。
「ドゥ・カテは強い。強いものが弱いものを狩り、血肉とするのは森の掟でもある。
しかし、糧にするでもなく、身を守るためでもなく、子に狩りを教えるためでもなく、ただいたずらに命を奪うことは掟に反する。
ある一匹のドゥ・カテが、その掟に背き、ただ己の愉悦のために他者を嬲っているのだ」
静かな声音で、“獣王”は森の掟を語る。
「森の掟は自然の摂理。生きていくための守護。背く者は、いずれ自然に裁かれる。
いたずらに森の命を奪えば、いつかは森の命の調和が崩れ、己の糧を失い、死に繋がる。
そう諭したのだが、一向に聞く耳を持たない」
そうして、森の王は、憂える吐息を漏らす。
「掟に背いたドゥ・カテが自滅するのは構わないが、それまでに失われる命は無視できない。
森を治める者として、掟を守る者が、掟を守らぬ者の巻き添えで死ぬのを黙ってみている訳にはいかないからな。
だが、この森には私以外にそのドゥ・カテをどうにかできるものもおらず、かといって私が軽々しく動くと、それこそ森の
調和を乱しかねない。
それで、力ある森の外の者に、そのドゥ・カテを懲らしめてもらえぬものかと思っていたのだ」
穏やかに落ち着いた声音で、しかし冷厳な言葉を紡ぐ“獣王”。
一見筋が通っている王の言葉に、しかし、柊は疑問を感じて、恐る恐る問う。
「ちょ、ちょっと待て。余所者から森の生き物を守るのが、あんたの役目なんじゃないのか?
つーか、狩人相手だと最悪、懲らしめる、ってレベルじゃなくて、そのドゥ・カテが殺されちまう可能性もあるんじゃ……」
というより、そもそも野生の獣にとって、負傷はそのまま死に繋がることが殆どだ。
弱ったところを外敵に襲われればそれまでだし、動けなくなっても、誰かが代わりに糧を運んできてくれるわけもない。
身体の一部(しっぽ)を取られるほどの負傷を負えば、遠からず命を失うのは想像に難くない。
と、先程まで玉座の脇で大人しく黙っていた豆一族が、やおら声を上げた。その声に、えもにゅーが破顔する。
「ああ、あの子もお礼を言っていますよ。変な余所者に追いかけられていたところを助けてくれたんですね」
ありがとうございます、と礼を告げるえもにゅー。と、『余所者』という単語に、バドが思い出したように叫んだ。
「あっ! そうだ、さっきの二人! ───師匠、大変だ! 助けてあげないと死んじゃうよ!」
「……死んでしまう、とは穏やかではないな。何事かな、バド?」
首を傾げるえもにゅーの横から、“獣王”が問う。
バドは焦りからか、先程までのしゃちほこばった態度を忘れたように答えた。
「さっき、たった二人でドゥ・カテの尻尾を狩るっていう狩人に会ったんだ! 無茶だよ、死んじゃうよ!」
その言葉に、えもにゅーが目を剥き、“獣王”も微かに息を呑む。
事態が飲み込めない異邦人二人が、慌ててタンマをかけた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「大事だっつーのは話の流れでわかったが……ドゥ・カテってなんだ?」
「え、知らないんですか!?」
えもにゅーが驚いたように声を上げる。その中に、微かにだが呆れるようなニュアンスがあるのに、異邦人達は気まずい
思いをしたが、
「えもにゅー。他者の無知を嘲ることは、無知よりもはるかに恥ずべきことだぞ」
静かだが、重い“獣王”の言に、逆にえもにゅーの方が気まずげな顔になった。
「すいません……えと、ドゥ・カテっていうのは、密林に住む凶暴な大猿です。
尻尾が薬の材料とかになるんですけど、普通の狩人だと十人がかりでやっと太刀打ちできるようなレベルで……」
「はわ、十人!?」
「そんなのに二人で挑む気なのか、あいつら!?」
ようやっと事態を飲み込み、柊達は目を剥いた。
あの二人は荒れた道をよろけずに歩けていた点からして、身体能力はそれなりにありそうだったが、荒事慣れした気配は
なかった。並みの狩人どころか、あの当人達の口ぶりからして、俄か猟師なのは明らかだ。
戦士としての技倆も、猟師としての知識もない。そんな二人で凶暴な野生動物に挑むなど、無謀にもほどがある。
「どうしましょう、獣王様。ドゥ・カテを懲らしめてくれるならいいですけど、たった二人では逆に殺されてしまいます」
焦ったようなえもにゅーの言葉に、柊たちは目を瞬いた。
「“懲らしめる”?」
「ああ――先程言った、私の困っていることというのがそれなのだ」
柊の問いに、えもにゅーではなく、“獣王”が答えた。
「ドゥ・カテは強い。強いものが弱いものを狩り、血肉とするのは森の掟でもある。
しかし、糧にするでもなく、身を守るためでもなく、子に狩りを教えるためでもなく、ただいたずらに命を奪うことは掟に反する。
ある一匹のドゥ・カテが、その掟に背き、ただ己の愉悦のために他者を嬲っているのだ」
静かな声音で、“獣王”は森の掟を語る。
「森の掟は自然の摂理。生きていくための守護。背く者は、いずれ自然に裁かれる。
いたずらに森の命を奪えば、いつかは森の命の調和が崩れ、己の糧を失い、死に繋がる。
そう諭したのだが、一向に聞く耳を持たない」
そうして、森の王は、憂える吐息を漏らす。
「掟に背いたドゥ・カテが自滅するのは構わないが、それまでに失われる命は無視できない。
森を治める者として、掟を守る者が、掟を守らぬ者の巻き添えで死ぬのを黙ってみている訳にはいかないからな。
だが、この森には私以外にそのドゥ・カテをどうにかできるものもおらず、かといって私が軽々しく動くと、それこそ森の
調和を乱しかねない。
それで、力ある森の外の者に、そのドゥ・カテを懲らしめてもらえぬものかと思っていたのだ」
穏やかに落ち着いた声音で、しかし冷厳な言葉を紡ぐ“獣王”。
一見筋が通っている王の言葉に、しかし、柊は疑問を感じて、恐る恐る問う。
「ちょ、ちょっと待て。余所者から森の生き物を守るのが、あんたの役目なんじゃないのか?
つーか、狩人相手だと最悪、懲らしめる、ってレベルじゃなくて、そのドゥ・カテが殺されちまう可能性もあるんじゃ……」
というより、そもそも野生の獣にとって、負傷はそのまま死に繋がることが殆どだ。
弱ったところを外敵に襲われればそれまでだし、動けなくなっても、誰かが代わりに糧を運んできてくれるわけもない。
身体の一部(しっぽ)を取られるほどの負傷を負えば、遠からず命を失うのは想像に難くない。
しかし、森の王は気負いのない様子で、柊の問いに答える。
「無論、いたずらに嬲るだけの狩りならば、許しはしない。
しかし、営みのために狩るならば、まだ森の掟の範疇だ。無論、森の調和を崩さぬ範囲で、という条件がつくが。
何より―――」
密林を統べる者は、一拍置いて、冷厳に言い切った。
「無論、いたずらに嬲るだけの狩りならば、許しはしない。
しかし、営みのために狩るならば、まだ森の掟の範疇だ。無論、森の調和を崩さぬ範囲で、という条件がつくが。
何より―――」
密林を統べる者は、一拍置いて、冷厳に言い切った。
「―――森の掟に背いた者は、もはや森の外で生きる者に等しい。その命は、もはや私の関知の外だ」
「――――」
言い切られた言葉に、柊はもはや返す言葉を失くした。
目の前にいる者は理知的で穏やかなだけの統治者ではない。切り捨てるべくは切り捨てる、冷酷さをも持ち合わせた
“自然”の権化だった。
「さて、蓮司。君は十分力ある者だ。そして、いたずらに他者の命を奪(と)るような者でもないと見受ける。
できるなら、その狩人達を助け、ドゥ・カテを懲らしめてやってくれないだろうか」
無論、ささやかだが礼はしよう、そう告げる“獣王”に柊はしばし沈黙する。
ロシオッティの性格からして、ここで断っても、柊達を家まで送り届けることはしてくれるだろう。
だが、断る理由がない。さっきの二人が危機的状態だと知ってしまった以上、見過ごすのは寝覚めが悪い。そして、
ドゥ・カテをこのまま放置すれば、この森にとって有害なのもよくわかった。
そう考えて、柊がくれはに目で問えば、彼女も同じ結論に達したらしい。顔を見合わせて頷き、柊が口を開いた。
「……いいぜ、引き受けた。ただ、出来るだけ尻尾で済ませてやるつもりだけど、それだけじゃすまねぇかもしれないし、
ドゥ・カテのところに行くまでの道筋で別の奴に襲われたら、場合によっちゃ返り討ちにしちまうぞ?」
「構わない。自身の命を守るために戦うのは、相手の命に対する冒涜には当たらない。森の掟の範疇だ」
鷹揚に森の王は頷き、そうして、厳かに告げた。
言い切られた言葉に、柊はもはや返す言葉を失くした。
目の前にいる者は理知的で穏やかなだけの統治者ではない。切り捨てるべくは切り捨てる、冷酷さをも持ち合わせた
“自然”の権化だった。
「さて、蓮司。君は十分力ある者だ。そして、いたずらに他者の命を奪(と)るような者でもないと見受ける。
できるなら、その狩人達を助け、ドゥ・カテを懲らしめてやってくれないだろうか」
無論、ささやかだが礼はしよう、そう告げる“獣王”に柊はしばし沈黙する。
ロシオッティの性格からして、ここで断っても、柊達を家まで送り届けることはしてくれるだろう。
だが、断る理由がない。さっきの二人が危機的状態だと知ってしまった以上、見過ごすのは寝覚めが悪い。そして、
ドゥ・カテをこのまま放置すれば、この森にとって有害なのもよくわかった。
そう考えて、柊がくれはに目で問えば、彼女も同じ結論に達したらしい。顔を見合わせて頷き、柊が口を開いた。
「……いいぜ、引き受けた。ただ、出来るだけ尻尾で済ませてやるつもりだけど、それだけじゃすまねぇかもしれないし、
ドゥ・カテのところに行くまでの道筋で別の奴に襲われたら、場合によっちゃ返り討ちにしちまうぞ?」
「構わない。自身の命を守るために戦うのは、相手の命に対する冒涜には当たらない。森の掟の範疇だ」
鷹揚に森の王は頷き、そうして、厳かに告げた。
「遠き地からの客人たちよ。この森の命を、君たちの血肉とすることを許そう」
◇ ◆ ◇
(ああ、もぉ畜生。 なんでこんなことになったんだ)
ヘイソンはひたすら頭の中で悪態をつきながら、やる気のない足取りで歩みを運ぶ。
その傍らに相方(ハッソン)はいない。目標を探す最中で喧嘩になって、別行動になったのだ。
一人でうらうらと、緑の中を歩き回る。目標はあっても目的地はない。目的地を割り出すだけの狩りの知識がないのだ。
ただ、一面緑の世界を歩くうちに、亡羊と、故郷のことを思い出していた。
故郷も、緑に囲まれたところだった。
山奥のひなびた田舎。自身の生まれたその村が、どうしても好きになれなくて、こんなところで一生を終えてたまるか、
都会で一花上げてやると、同じ想いを抱えていた幼馴染(ハッソン)と一緒に故郷を飛び出した。
魔法都市と名高い都会で一番デカい美術商。ここなら食いっぱぐれまいと思い、雇ってもらえるようオーナーに直談判した。
あっけないほどあっさりと雇い入れられたその時は、自分たちにはやはりそれだけの器があるのだと思い上がったものだが。
今思えば、あの蛇女(クリスティー)は最初から、田舎出の世間知らずを食い物にするつもりだったのだ。
いくつかある蔵のうち一つの管理をいきなり任されて。だが、ろくな知識もない素人に、美術品の管理など出来るはずもなく。
当然のように手入れや保管法を間違って、幾つも商品を駄目にして。
(けど一番多かったのは、ハッソンが陶器を割っちまうことだったよな。つーか、俺がダメにしたのってほんの一部だし)
自身の責任を回避するように、相棒の鈍臭さを思い返す。
その度に、あの蛇女(クリスティー)は、まあ仕方ないわね、と笑っていたけれど、あの笑いは文字通り、蛙(エモノ)を前に
した蛇の笑いだったのだ。
しばらくの後、いきなりオーナーの右腕である子供オヤジ(サザピー)に呼び出され、壊した商品の弁償額を突きつけられた。
それはそれは法外で、真っ当な勤め人では一生かかっても返しきれない金額。雑用仕事の安月給の身で返せる訳が
ないと叫べば、ではもっと給与のいい仕事を回しましょう――そう言われて。
(最初から、あいつらは危険な仕事を回すための捨て駒を作るために、俺らを騙してやがったんだ……)
地獄耳のヘイソンは、他の使用人たちが話していた『真実』を耳聡く聞き留めていた。
自分達が任された倉庫は、一山幾らのガラクタばかりしか置いていなくて、倉庫の商品の総額で、自分達が負わされた
借金の十分の一にも届かないのだということを。
ヘイソンはひたすら頭の中で悪態をつきながら、やる気のない足取りで歩みを運ぶ。
その傍らに相方(ハッソン)はいない。目標を探す最中で喧嘩になって、別行動になったのだ。
一人でうらうらと、緑の中を歩き回る。目標はあっても目的地はない。目的地を割り出すだけの狩りの知識がないのだ。
ただ、一面緑の世界を歩くうちに、亡羊と、故郷のことを思い出していた。
故郷も、緑に囲まれたところだった。
山奥のひなびた田舎。自身の生まれたその村が、どうしても好きになれなくて、こんなところで一生を終えてたまるか、
都会で一花上げてやると、同じ想いを抱えていた幼馴染(ハッソン)と一緒に故郷を飛び出した。
魔法都市と名高い都会で一番デカい美術商。ここなら食いっぱぐれまいと思い、雇ってもらえるようオーナーに直談判した。
あっけないほどあっさりと雇い入れられたその時は、自分たちにはやはりそれだけの器があるのだと思い上がったものだが。
今思えば、あの蛇女(クリスティー)は最初から、田舎出の世間知らずを食い物にするつもりだったのだ。
いくつかある蔵のうち一つの管理をいきなり任されて。だが、ろくな知識もない素人に、美術品の管理など出来るはずもなく。
当然のように手入れや保管法を間違って、幾つも商品を駄目にして。
(けど一番多かったのは、ハッソンが陶器を割っちまうことだったよな。つーか、俺がダメにしたのってほんの一部だし)
自身の責任を回避するように、相棒の鈍臭さを思い返す。
その度に、あの蛇女(クリスティー)は、まあ仕方ないわね、と笑っていたけれど、あの笑いは文字通り、蛙(エモノ)を前に
した蛇の笑いだったのだ。
しばらくの後、いきなりオーナーの右腕である子供オヤジ(サザピー)に呼び出され、壊した商品の弁償額を突きつけられた。
それはそれは法外で、真っ当な勤め人では一生かかっても返しきれない金額。雑用仕事の安月給の身で返せる訳が
ないと叫べば、ではもっと給与のいい仕事を回しましょう――そう言われて。
(最初から、あいつらは危険な仕事を回すための捨て駒を作るために、俺らを騙してやがったんだ……)
地獄耳のヘイソンは、他の使用人たちが話していた『真実』を耳聡く聞き留めていた。
自分達が任された倉庫は、一山幾らのガラクタばかりしか置いていなくて、倉庫の商品の総額で、自分達が負わされた
借金の十分の一にも届かないのだということを。
だが、それがわかったところでどうしようもない。詐欺だと訴えたところで、何の後ろ盾もない自分達。司法関係にも顧客を
持つあのババアは、ありもしない証拠をでっち上げて、こっちを逆にブタ箱にぶち込むくらい、朝飯前に違いないのだ。
だから、結局、どうしようもなくて――結果、こんな密林の奥で、ぶうたれながら歩き回る羽目となっている。
「……どうして、俺がこんな目に遭うんだよ」
脳内を巡る過去を見返して、ヘイソンは声に出して愚痴った。
だが、その疑問の答えなど、本当はとっくにわかっていた。
───甘かったのだ、自分たちは。
田舎を飛び出したときも、働き口を探していたときも、『何とかなる』とただただ楽観的に、自分の都合のいいようにしか
考えていなくて。
だから、普通に考えてうますぎる話を目の前にぶら下げられた時、怪しむどころか、『ほら、やっぱりうまくいった』としか
思わなかったのだ。
結局、自分は馬鹿だったのだろう。思い知った。世の中そんなに甘くない。
勿論、騙すほうが悪いに決まっている。だが、騙された自分たちも、ある意味自業自得だったのだ。
だけど、それでも、こんな森の中で、獣の餌になって死ななきゃいけないほど、自分は悪いことをしただろうか?
「――んなわけあるか!」
憤然と、呻く。
いっそこのまま逃げてやろうか――そんな思いが脳内を掠めた。
このまま行方をくらましても、獣の餌になったか、遭難したかとして、追っ手はかからないのではないだろうか。
お目付け役の子供オヤジ(サザピー)も、ドゥ・カテに出くわすのを嫌ったのか、森の奥までついては来なかった。
ここで万一うまくやったとしても、借金は終わらない。あんな蛇女に一生こき使われて終わるくらいなら、田舎に帰って
のんびり畑でも耕すほうが、どんなにさえなくとも、まだずっとマシだ。
商会(みせ)の連中には、上京したばかりの身だとは話したが、自身の郷里について具体的に話したことはない。万一、
追っ手がかかったとしても、故郷がばれる心配はないはずだ。
(――今なら、逃げられる)
浮かんだその思いは、抗い難いほど魅力的だった。
だが――
(ハッソンは――?)
別行動となった幼馴染の顔が脳裏に浮かぶ。
この広い森の中、お目付け役に見つからぬよう、うまく合流できるだろうか?
いや、そもそも合流できたとしても、いざ一緒に逃げることとなったら――
(むしろ、足手まといなんじゃねぇか……?)
幼馴染は頑健な体躯と怪力を誇るが、その分動きは鈍重だ。もし逃げる最中にお目付け役に見つかれば、彼の足では
逃げ切れまい。
一緒に逃げる算段を説明した上で、そこで見捨てて逃げてしまったら、彼の口から郷里の情報が漏れるかもしれない。
だが、自分から説明しなければ、あの脳味噌筋肉馬鹿に、自分の考えが読めるとも思えない。自分が嫌って飛び出した
郷里に戻るなど、彼には思いつきもしないだろう。
(だったらいっそ、何にも言わないで一人で逃げたほうがいいんじゃないか……?)
そう思いつくのと、その考えを採択するのに、ほとんどタイムラグはなかった。
(一人で、逃げよう)
その考えが良心に障るものであることは自覚していた。それでも、彼はその選択を選んだ。
(自分の命がかかってる状況で、他人(ひと)のことまで気遣ってられるかってんだ!
そうだよ、そもそも店でこさえた借金は、大半があいつのヘマなんだから――)
既に決断したというのに、つらつらと、脳内に言い訳を並べ立てる。
わが身可愛さで友人を見捨てながら、自分は悪くないと必死に言い聞かす。
良心の呵責から――自身の心からさえ、彼は逃げた。
持つあのババアは、ありもしない証拠をでっち上げて、こっちを逆にブタ箱にぶち込むくらい、朝飯前に違いないのだ。
だから、結局、どうしようもなくて――結果、こんな密林の奥で、ぶうたれながら歩き回る羽目となっている。
「……どうして、俺がこんな目に遭うんだよ」
脳内を巡る過去を見返して、ヘイソンは声に出して愚痴った。
だが、その疑問の答えなど、本当はとっくにわかっていた。
───甘かったのだ、自分たちは。
田舎を飛び出したときも、働き口を探していたときも、『何とかなる』とただただ楽観的に、自分の都合のいいようにしか
考えていなくて。
だから、普通に考えてうますぎる話を目の前にぶら下げられた時、怪しむどころか、『ほら、やっぱりうまくいった』としか
思わなかったのだ。
結局、自分は馬鹿だったのだろう。思い知った。世の中そんなに甘くない。
勿論、騙すほうが悪いに決まっている。だが、騙された自分たちも、ある意味自業自得だったのだ。
だけど、それでも、こんな森の中で、獣の餌になって死ななきゃいけないほど、自分は悪いことをしただろうか?
「――んなわけあるか!」
憤然と、呻く。
いっそこのまま逃げてやろうか――そんな思いが脳内を掠めた。
このまま行方をくらましても、獣の餌になったか、遭難したかとして、追っ手はかからないのではないだろうか。
お目付け役の子供オヤジ(サザピー)も、ドゥ・カテに出くわすのを嫌ったのか、森の奥までついては来なかった。
ここで万一うまくやったとしても、借金は終わらない。あんな蛇女に一生こき使われて終わるくらいなら、田舎に帰って
のんびり畑でも耕すほうが、どんなにさえなくとも、まだずっとマシだ。
商会(みせ)の連中には、上京したばかりの身だとは話したが、自身の郷里について具体的に話したことはない。万一、
追っ手がかかったとしても、故郷がばれる心配はないはずだ。
(――今なら、逃げられる)
浮かんだその思いは、抗い難いほど魅力的だった。
だが――
(ハッソンは――?)
別行動となった幼馴染の顔が脳裏に浮かぶ。
この広い森の中、お目付け役に見つからぬよう、うまく合流できるだろうか?
いや、そもそも合流できたとしても、いざ一緒に逃げることとなったら――
(むしろ、足手まといなんじゃねぇか……?)
幼馴染は頑健な体躯と怪力を誇るが、その分動きは鈍重だ。もし逃げる最中にお目付け役に見つかれば、彼の足では
逃げ切れまい。
一緒に逃げる算段を説明した上で、そこで見捨てて逃げてしまったら、彼の口から郷里の情報が漏れるかもしれない。
だが、自分から説明しなければ、あの脳味噌筋肉馬鹿に、自分の考えが読めるとも思えない。自分が嫌って飛び出した
郷里に戻るなど、彼には思いつきもしないだろう。
(だったらいっそ、何にも言わないで一人で逃げたほうがいいんじゃないか……?)
そう思いつくのと、その考えを採択するのに、ほとんどタイムラグはなかった。
(一人で、逃げよう)
その考えが良心に障るものであることは自覚していた。それでも、彼はその選択を選んだ。
(自分の命がかかってる状況で、他人(ひと)のことまで気遣ってられるかってんだ!
そうだよ、そもそも店でこさえた借金は、大半があいつのヘマなんだから――)
既に決断したというのに、つらつらと、脳内に言い訳を並べ立てる。
わが身可愛さで友人を見捨てながら、自分は悪くないと必死に言い聞かす。
良心の呵責から――自身の心からさえ、彼は逃げた。
何もかもから逃げようとしている自分が、どうしようもない臆病者と知りながら――それでも、森の脅威に怯える若者は、
逃げる以外の術を見つけられなかったのだ。
逃げる以外の術を見つけられなかったのだ。
それは、ある意味自然の摂理に適った行いだったかもしれない。戦う術のない“弱者”が逃げに徹することは。
だが、そんな“弱者”を、森の無法者は見逃してくれなかったのだ。
だが、そんな“弱者”を、森の無法者は見逃してくれなかったのだ。
彼が逃げようと踵を返した瞬間――木々の陰からのそりと現れた巨大な影と、目が、合った。
「――へ……?」
間の抜けた声が、ヘイソンの口から漏れた。
その巨大な影は、まさしく、つい先程まで自分が探していた獲物であり――今まさに、何もかも捨てて逃げんとした、
恐るべき脅威の具現だった。
間の抜けた声が、ヘイソンの口から漏れた。
その巨大な影は、まさしく、つい先程まで自分が探していた獲物であり――今まさに、何もかも捨てて逃げんとした、
恐るべき脅威の具現だった。
そうして、命を懸けた鬼ごっこが始まった。
◇ ◆ ◇
走る。駆ける。ひたすら逃げる。
どれくらい逃げたのだろう。永劫のように長くも感じられたが、実際には数分程度かもしれない。
視界が滲む。ああ、これは風が目に痛いからだ。恐いからじゃない。恐くなんかない。恐いもんか!
恐いと認めた途端、恐れで足が竦んでしまいそうで、ヘイソンはひたすらに自分を鼓舞する。
だが、ヘイソンの足は、脳内からの必死の鼓舞も空しく、過労を訴えてストライキを起こしてしまった。
もつれた足を立て直せず、ヘイソンはその場で突っ伏すように転んだ。
背後からは、荒々しい大猿(死神)の足音。
それを振り返るのが恐くて、うつ伏せのままぎゅっと身を竦めた。
(ああ、俺、ここで死ぬのか)
よぎった思いに、思わず自嘲(わら)う。木々しかない故郷の中で終わりたくなくて飛び出したのに、結局森の中で死ぬのか。
そう、思った時。
ごすッ、とえらく鈍い音が背後からしたと思うと、ずんッ、という重い音が、伏せたすぐ横の大地から響いた。
どれくらい逃げたのだろう。永劫のように長くも感じられたが、実際には数分程度かもしれない。
視界が滲む。ああ、これは風が目に痛いからだ。恐いからじゃない。恐くなんかない。恐いもんか!
恐いと認めた途端、恐れで足が竦んでしまいそうで、ヘイソンはひたすらに自分を鼓舞する。
だが、ヘイソンの足は、脳内からの必死の鼓舞も空しく、過労を訴えてストライキを起こしてしまった。
もつれた足を立て直せず、ヘイソンはその場で突っ伏すように転んだ。
背後からは、荒々しい大猿(死神)の足音。
それを振り返るのが恐くて、うつ伏せのままぎゅっと身を竦めた。
(ああ、俺、ここで死ぬのか)
よぎった思いに、思わず自嘲(わら)う。木々しかない故郷の中で終わりたくなくて飛び出したのに、結局森の中で死ぬのか。
そう、思った時。
ごすッ、とえらく鈍い音が背後からしたと思うと、ずんッ、という重い音が、伏せたすぐ横の大地から響いた。
「――こっちだ、この化け猿め!」
怒りを帯びた獣の咆哮を貫いて、低い怒鳴り声が聞こえた。
「……ハッソン!?」
よく知るその声に驚いて顔を上げる。
さっき音がした身体の真横には、先刻までは確かに存在しなかった大岩。振り返れば、額に傷を作った大猿が、横手に
向かって走って行くところだった。
その先には、他でもない幼馴染の姿。
それだけで、ヘイソンは事態を理解した。自分が踏み潰されそうな場面に出くわした幼馴染が、持ち前の怪力で大岩を
投げつけて、大猿の気を引いたのだ。
「――バカか! 逃げろ、ハッソン!」
ヘイソンは思わず怒鳴る。
あの幼馴染のことだ。投げた大岩が下手すれば自分に当たるかもとか、気を引いた後どうするかとか、全く考えてなかったに
違いないのだ。
案の定、ハッソンは突進してきた大猿にうろたえ、慌てたように踵を返すが、彼の鈍足では逃げおおせるべくもなく。
瞬く間に、自身のリーチにハッソンを捕らえた大猿が、その前肢を振りかぶって――真っ直ぐに振り下ろした。
「……ハッソン!?」
よく知るその声に驚いて顔を上げる。
さっき音がした身体の真横には、先刻までは確かに存在しなかった大岩。振り返れば、額に傷を作った大猿が、横手に
向かって走って行くところだった。
その先には、他でもない幼馴染の姿。
それだけで、ヘイソンは事態を理解した。自分が踏み潰されそうな場面に出くわした幼馴染が、持ち前の怪力で大岩を
投げつけて、大猿の気を引いたのだ。
「――バカか! 逃げろ、ハッソン!」
ヘイソンは思わず怒鳴る。
あの幼馴染のことだ。投げた大岩が下手すれば自分に当たるかもとか、気を引いた後どうするかとか、全く考えてなかったに
違いないのだ。
案の定、ハッソンは突進してきた大猿にうろたえ、慌てたように踵を返すが、彼の鈍足では逃げおおせるべくもなく。
瞬く間に、自身のリーチにハッソンを捕らえた大猿が、その前肢を振りかぶって――真っ直ぐに振り下ろした。
狙い違わず、幼馴染の上へと。
頭が――真っ白になった。
さっきまで自分は彼を見捨てて逃げる算段をしていたこととか。
彼が囮になってくれたのだから、その隙に逃げるべきだとか。
彼が囮になってくれたのだから、その隙に逃げるべきだとか。
普段なら瞬く間に巡る思考――打算さえ、何も浮かばず。
何もかもが、真っ白になって、一つの感情に塗りつぶされた。
───恐怖。
見知った存在が、圧倒的な暴力によって、一瞬で消し去られた事実。
このままなら、自分もそうなるという現状。
このままなら、自分もそうなるという現状。
その、圧倒的恐怖が、彼の思考も、動きも、凍りつかせて――
だが、新たな獲物へと振り向くはずの獣は、あらぬ方を睨んで、不機嫌な呻き声を漏らした。
「――……?」
ヘイソンは、動かない身体をぎしぎしときしませながら、その視線を追い――
「――……?」
ヘイソンは、動かない身体をぎしぎしときしませながら、その視線を追い――
そこに、見慣れぬ衣装を纏った男女と、彼らに庇われた、無傷の幼馴染の姿があった。
◇ ◆ ◇
「ぎりぎりだったな、おい」
「はわ~、ホントにね~」
間一髪で救い出したハッソンを庇いつつ、柊が苦笑気味に呟けば、くれはは安堵の声で応えた。
双子を“獣王”の元に預け、件のドゥ・カテの縄張りだという一画に向かったところ、いきなりさっきの二人が、その大猿に
襲われている場面に出くわしたのだ。
今まさに叩き潰されそうだったハッソンを、くれはが防護魔法で攻撃を凌いでいる隙に、柊が大猿の射程から連れ出した。
助け出されたハッソンも、獣の後ろで倒れていたヘイソンも、事態が理解できていないのか、目を白黒させて、柊たちと
大猿を見比べている。
「さぁて、と――出来ればさっさと尻尾だけちょん切って、それで終わりにさせて欲しいんだが……」
呟きつつ、柊が見やった先には、怒り猛った様子の大猿の姿。
「――あっちは、それで済ませてくれる気はねぇみてぇだな」
不敵な笑みと共に、背の剣を抜き放つ。間を置かず、駆け出した。
大猿は、本能的に向かってくる敵の危険性を悟ったのか、近づかせまいと前肢を振るう。
柊はまだ射程の外。大猿が打ったのは、柊の上へと枝を伸ばす、木の幹だった。
「――おぉっ!?」
柊の頭ほどもありそうな大きな木の実が、柊の頭上に雨あられと降り注ぐ。
実の表皮はいかにも硬そうで、当たればただではすまないだろう。
降り注ぐ数も多く、避けるにしろ、剣で捌くにしろ難しいが――柊は意外な攻撃に驚きこそしたものの、焦りは全くなかった。
自分は、一人で戦っているわけではないのだから――と。
「彼(か)の者に鋼の守護を――《ディフェンス・アップ》!」
背後から聞こえたくれはの声と共に現れた光の膜が、柊が捌き損ねた礫を弾いて防いだ。
そうして、礫の雨でも歩みを止められなかった柊は、瞬く間に大猿の懐に飛び込む。
森の猛者は、目の前の小さく生意気な獲物に苛立ったようにその前肢を振るうが――赤と青の線を伴った白銀の弧が、一振りの元にその肢を斬り払う。
「はわ~、ホントにね~」
間一髪で救い出したハッソンを庇いつつ、柊が苦笑気味に呟けば、くれはは安堵の声で応えた。
双子を“獣王”の元に預け、件のドゥ・カテの縄張りだという一画に向かったところ、いきなりさっきの二人が、その大猿に
襲われている場面に出くわしたのだ。
今まさに叩き潰されそうだったハッソンを、くれはが防護魔法で攻撃を凌いでいる隙に、柊が大猿の射程から連れ出した。
助け出されたハッソンも、獣の後ろで倒れていたヘイソンも、事態が理解できていないのか、目を白黒させて、柊たちと
大猿を見比べている。
「さぁて、と――出来ればさっさと尻尾だけちょん切って、それで終わりにさせて欲しいんだが……」
呟きつつ、柊が見やった先には、怒り猛った様子の大猿の姿。
「――あっちは、それで済ませてくれる気はねぇみてぇだな」
不敵な笑みと共に、背の剣を抜き放つ。間を置かず、駆け出した。
大猿は、本能的に向かってくる敵の危険性を悟ったのか、近づかせまいと前肢を振るう。
柊はまだ射程の外。大猿が打ったのは、柊の上へと枝を伸ばす、木の幹だった。
「――おぉっ!?」
柊の頭ほどもありそうな大きな木の実が、柊の頭上に雨あられと降り注ぐ。
実の表皮はいかにも硬そうで、当たればただではすまないだろう。
降り注ぐ数も多く、避けるにしろ、剣で捌くにしろ難しいが――柊は意外な攻撃に驚きこそしたものの、焦りは全くなかった。
自分は、一人で戦っているわけではないのだから――と。
「彼(か)の者に鋼の守護を――《ディフェンス・アップ》!」
背後から聞こえたくれはの声と共に現れた光の膜が、柊が捌き損ねた礫を弾いて防いだ。
そうして、礫の雨でも歩みを止められなかった柊は、瞬く間に大猿の懐に飛び込む。
森の猛者は、目の前の小さく生意気な獲物に苛立ったようにその前肢を振るうが――赤と青の線を伴った白銀の弧が、一振りの元にその肢を斬り払う。
───森の王の加護を失い、身体の一部を欠くような負傷を負えば、もはやこの獣が生き延びることは難しいだろう。
そうとわかった上で――柊は、返す刀で刃を振るう。
慈悲深く――冷酷に。
「―――《魔器解放》」
呟きと共に輝きを纏った刃は――確かに、獲物を断ち切った。
◇ ◆ ◇
獣の苦痛に満ちた叫びを、ヘイソンは呆然と聞いた。
幼馴染を庇った、見慣れぬ長外套姿の男。
彼は抜刀するなり、降り注ぐ果実の雨をものともせず、あっという間に獣に駆け寄り、振り下ろされた前肢を斬り払って、
幼馴染を庇った、見慣れぬ長外套姿の男。
彼は抜刀するなり、降り注ぐ果実の雨をものともせず、あっという間に獣に駆け寄り、振り下ろされた前肢を斬り払って、
脇を駆け抜け様、その尾を一撃で断ち斬ったのだ。
前肢に深い裂傷を負い、尾を断たれた獣は、傷口からとめどなく血を流して、自らの毛皮を紅に染めている。
一瞬の出来事に脳味噌がついていかず、ヘイソンの頭の中は再び真っ白になっていた。
ただし、今回脳内を塗りつぶしているのは、恐怖ではなく、驚愕だったが。
そんなヘイソンを余所に、獣と改めて向き合った男は、剣を構えたまま、静かに言葉を紡いだ。
「どうする、ドゥ・カテ。このまま戦り合って、俺に一撃で斬られるか。万一助かる可能性に賭けて、この場は退くか」
退くなら、俺は追わねぇぞ――そう、男は告げた。
獣に、そんな言葉が通じるのか。そんなことだけが、やっとこさヘイソンの頭に浮かんだ。
しかし、獣はその言葉を聞き分けたように、じり、と間合いを開くように男から下がり―― 一気に跳んだ。
男とは真逆の方へ。そのまま茂みの中に跳び込むと、負傷した前肢を庇うように、その場から駆け出した。
その姿は、すぐに濃い緑の向こうに隠れて見えなくなる。
あとには、無傷の人々が四人と、獣が残した大量の血痕と、切り落とされた尾。
緑に映えるその赤に、ヘイソンはふと思った。
(――あの傷で、助かるのか……?)
前肢の傷は深かったし、尾にいたっては完全に切断されている。
目の前に広がるこの赤が、その出血の激しさを物語っていた。
血の臭いは肉食獣を招く。あの大猿であれば、下手な肉食獣など蹴散らしてしまうだろうが、それは五体満足での話だ。
あの状態で、他の獣に襲われて、助かるかどうか――
もし、運よく外敵に襲われずとも、出血が止まらず、そのまま失血死する可能性の方が高い。
(ああ――だから、“万一”なのか……)
先程の男の言葉を思い出して、ヘイソンは納得した。そうして、剣を収めた男を見やる。
男の行いは、はたして慈悲深いのか、残酷なのか。
命を絶たずに逃がしたのは慈悲深くも見えるが、その先に待ち受ける獣の運命を思えば、いっそ残酷だった。
獣の去った先を見つめるその表情は、獣の行く末を憂いているようにも、冷たく突き放しているようにも見える。
「――おい。あんた、大丈夫か?」
と、不意にその男が視線を転じ、自分へ声をかけてきたことで、ヘイソンは我に返った。
うつぶせに顔だけあげていた状態から立ちあがろうとして、足に力が入らずへたり込む。
「立てねぇのか? ほら」
歩み寄り、案じる表情と共に差し出される手。
しかし、ヘイソンはその手を取ることなく、思わずへたり込んだ姿勢のまま後退ってしまった。
恐かったのだ。圧倒的な力を持つ、目の前の相手が。
理解できなかったのだ。慈悲深いとも冷酷とも見える、この男が。
しかし、怯えて後退った自分に、男は憮然とした表情を見せた。
「んな、猛獣見るような目ぇすんなよ……いきなり斬りかかったりしねぇって」
猛獣をあっという間に退けたのは誰だ――反射的にそう思ったが、口をついて出たのは別の言葉だった。
「なんで……あいつに止めを刺さなかったんだ?」
ヘイソンの言葉に男はきょとんと目を瞬いた。
差し出していた手でがりがりと頭を掻きながら、困惑した表情を見せる。
「あー……『懲らしめてやってくれ』っていう依頼だったからか?
生死は問わないみたいなこと言われたけど、だからといって、別に命まで奪(と)れとは言われてねぇし……」
「なんで微妙に疑問系なんだよ。つーか、依頼って?」
「いや、この森の関係者に、あんたら助けて、調子乗ってるあのドゥ・カテを懲らしめてくれって頼まれたんだけどよ。
なんつーか……はっきりした理由があったわけじゃなくて、なんとなくだったからなぁ」
曖昧な返答に、一瞬恐怖も忘れてヘイソンがツッコむと、男はますます困惑したような表情になった。
「なんつーか、結局、あのドゥ・カテのことって、本来は密林(ここ)の問題なんだよな。
余所者の俺が完全にケリをつけちまうのは、何か違うような気がしたんだよ。
最後はこの森自体が、あいつをどうするか決めるべきだと思ったのかもな」
でもまあ、あいつがあの時、俺らやお前らに襲いかかってきたら、んなん関係なしに斬ってたけどな――あっさりと、そう
告げる男に、ヘイソンは呆然と呟いた。
「……あんな化け物と対面してるときに、んなこと考えてたのかよ……」
一瞬の出来事に脳味噌がついていかず、ヘイソンの頭の中は再び真っ白になっていた。
ただし、今回脳内を塗りつぶしているのは、恐怖ではなく、驚愕だったが。
そんなヘイソンを余所に、獣と改めて向き合った男は、剣を構えたまま、静かに言葉を紡いだ。
「どうする、ドゥ・カテ。このまま戦り合って、俺に一撃で斬られるか。万一助かる可能性に賭けて、この場は退くか」
退くなら、俺は追わねぇぞ――そう、男は告げた。
獣に、そんな言葉が通じるのか。そんなことだけが、やっとこさヘイソンの頭に浮かんだ。
しかし、獣はその言葉を聞き分けたように、じり、と間合いを開くように男から下がり―― 一気に跳んだ。
男とは真逆の方へ。そのまま茂みの中に跳び込むと、負傷した前肢を庇うように、その場から駆け出した。
その姿は、すぐに濃い緑の向こうに隠れて見えなくなる。
あとには、無傷の人々が四人と、獣が残した大量の血痕と、切り落とされた尾。
緑に映えるその赤に、ヘイソンはふと思った。
(――あの傷で、助かるのか……?)
前肢の傷は深かったし、尾にいたっては完全に切断されている。
目の前に広がるこの赤が、その出血の激しさを物語っていた。
血の臭いは肉食獣を招く。あの大猿であれば、下手な肉食獣など蹴散らしてしまうだろうが、それは五体満足での話だ。
あの状態で、他の獣に襲われて、助かるかどうか――
もし、運よく外敵に襲われずとも、出血が止まらず、そのまま失血死する可能性の方が高い。
(ああ――だから、“万一”なのか……)
先程の男の言葉を思い出して、ヘイソンは納得した。そうして、剣を収めた男を見やる。
男の行いは、はたして慈悲深いのか、残酷なのか。
命を絶たずに逃がしたのは慈悲深くも見えるが、その先に待ち受ける獣の運命を思えば、いっそ残酷だった。
獣の去った先を見つめるその表情は、獣の行く末を憂いているようにも、冷たく突き放しているようにも見える。
「――おい。あんた、大丈夫か?」
と、不意にその男が視線を転じ、自分へ声をかけてきたことで、ヘイソンは我に返った。
うつぶせに顔だけあげていた状態から立ちあがろうとして、足に力が入らずへたり込む。
「立てねぇのか? ほら」
歩み寄り、案じる表情と共に差し出される手。
しかし、ヘイソンはその手を取ることなく、思わずへたり込んだ姿勢のまま後退ってしまった。
恐かったのだ。圧倒的な力を持つ、目の前の相手が。
理解できなかったのだ。慈悲深いとも冷酷とも見える、この男が。
しかし、怯えて後退った自分に、男は憮然とした表情を見せた。
「んな、猛獣見るような目ぇすんなよ……いきなり斬りかかったりしねぇって」
猛獣をあっという間に退けたのは誰だ――反射的にそう思ったが、口をついて出たのは別の言葉だった。
「なんで……あいつに止めを刺さなかったんだ?」
ヘイソンの言葉に男はきょとんと目を瞬いた。
差し出していた手でがりがりと頭を掻きながら、困惑した表情を見せる。
「あー……『懲らしめてやってくれ』っていう依頼だったからか?
生死は問わないみたいなこと言われたけど、だからといって、別に命まで奪(と)れとは言われてねぇし……」
「なんで微妙に疑問系なんだよ。つーか、依頼って?」
「いや、この森の関係者に、あんたら助けて、調子乗ってるあのドゥ・カテを懲らしめてくれって頼まれたんだけどよ。
なんつーか……はっきりした理由があったわけじゃなくて、なんとなくだったからなぁ」
曖昧な返答に、一瞬恐怖も忘れてヘイソンがツッコむと、男はますます困惑したような表情になった。
「なんつーか、結局、あのドゥ・カテのことって、本来は密林(ここ)の問題なんだよな。
余所者の俺が完全にケリをつけちまうのは、何か違うような気がしたんだよ。
最後はこの森自体が、あいつをどうするか決めるべきだと思ったのかもな」
でもまあ、あいつがあの時、俺らやお前らに襲いかかってきたら、んなん関係なしに斬ってたけどな――あっさりと、そう
告げる男に、ヘイソンは呆然と呟いた。
「……あんな化け物と対面してるときに、んなこと考えてたのかよ……」
理解不能の存在に対する恐怖は既に振り切れて、呆れに転化してしまった。
───これは、ただの馬鹿だ。
そう思った。力があるからいいようなものの、常人だったらまず長生きできないタイプの馬鹿だ。――それとも、なまじ
力があるから、こういう馬鹿な考えになってしまうのだろうか?
ヒトなんてせいぜい、自分自身の面倒さえ見きれれば十分なのだ。自分を持て余して他人に迷惑さえかけなければ、
それで上等。それ以上は分に過ぎるというものだ。
だというのに、この目の前の男は、自身の命がかかった局面で、他人の面倒を気にかけていたのだ。
自分には理解できないし、寧ろ理解しないほうがいい。
そういう相手なのだと、ヘイソンは結論付けた。
(──もしかしたら、こう思う俺の方が愚者(バカ)なのかもしれないけどな)
ちらりと脳裏を掠めたその思いは、なかったことにした。そのほうがきっと、長生きできる。
何に対してか自分でもわからないまま、ヘイソンは深く吐息をついて、
「肩貸してくれ。――膝ががくがくなんだよ」
理解不能ではあっても、危険はない男に対して、そう告げた。
「おう! とりあえず、安全に休めるとこまででいいか?」
破顔して応えてくる男に、苦笑を抑えられないまま、ヘイソンは頷いた。
力があるから、こういう馬鹿な考えになってしまうのだろうか?
ヒトなんてせいぜい、自分自身の面倒さえ見きれれば十分なのだ。自分を持て余して他人に迷惑さえかけなければ、
それで上等。それ以上は分に過ぎるというものだ。
だというのに、この目の前の男は、自身の命がかかった局面で、他人の面倒を気にかけていたのだ。
自分には理解できないし、寧ろ理解しないほうがいい。
そういう相手なのだと、ヘイソンは結論付けた。
(──もしかしたら、こう思う俺の方が愚者(バカ)なのかもしれないけどな)
ちらりと脳裏を掠めたその思いは、なかったことにした。そのほうがきっと、長生きできる。
何に対してか自分でもわからないまま、ヘイソンは深く吐息をついて、
「肩貸してくれ。――膝ががくがくなんだよ」
理解不能ではあっても、危険はない男に対して、そう告げた。
「おう! とりあえず、安全に休めるとこまででいいか?」
破顔して応えてくる男に、苦笑を抑えられないまま、ヘイソンは頷いた。
◇ ◆ ◇
「――というわけで、あとの始末はこの密林でつけてくれ」
「ああ、わかった。ありがとう、蓮司、くれは。これでもう、あのドゥ・カテが悪さをすることはないだろう」
玉座に伏し、柊からの報告を受けた“獣王”は、穏やかにそう言って、その後ろに視線を移す。
「狩人たちよ、その尾は君らに譲るが、これに懲りたら無謀な狩りは止すことだ」
運んできた尻尾(お宝)をしげしげと眺めていたヘイソンとハッソンは、“獣王”の言葉に慌てて姿勢を正した。
「自然の理の元で過つことは、そのまま死に繋がるのだ。――あのドゥ・カテのように」
冷厳に告げられる自然の摂理に、二人は顔を強張らせる。
「あ、ああ……」
「ただ、幸いにも君らは自然の理の元でなく、ヒトの世に生きる者だ。
ヒトの世なら、命さえあれば、何度でもまたそこから始める機会が与えられる」
ふ、と柔らかな笑みをこぼし、自然の権化は告げる。
穏やかに、優しく――僅かな羨望を滲ませた声音で。
「ああ、わかった。ありがとう、蓮司、くれは。これでもう、あのドゥ・カテが悪さをすることはないだろう」
玉座に伏し、柊からの報告を受けた“獣王”は、穏やかにそう言って、その後ろに視線を移す。
「狩人たちよ、その尾は君らに譲るが、これに懲りたら無謀な狩りは止すことだ」
運んできた尻尾(お宝)をしげしげと眺めていたヘイソンとハッソンは、“獣王”の言葉に慌てて姿勢を正した。
「自然の理の元で過つことは、そのまま死に繋がるのだ。――あのドゥ・カテのように」
冷厳に告げられる自然の摂理に、二人は顔を強張らせる。
「あ、ああ……」
「ただ、幸いにも君らは自然の理の元でなく、ヒトの世に生きる者だ。
ヒトの世なら、命さえあれば、何度でもまたそこから始める機会が与えられる」
ふ、と柔らかな笑みをこぼし、自然の権化は告げる。
穏やかに、優しく――僅かな羨望を滲ませた声音で。
「――ヒトは、許し、許され、手を取り合って生きていけるのだ。弱者も強者も、対等に」
その言葉に――狩人二人は顔を見合わせ、
「……あのババアに、そんな情があるのかよ?」
「通じねぇなら、あのババアは獣の理屈で動いてるってことだろ? じゃあ、こっちも獣の流儀で返してやるだけさ」
ハッソンの弱気な言葉に、ヘイソンは不敵な笑みをこぼす。
「文字通り、死ぬほど恐ろしい目にあったんだ。あのババアなんかもう怖くねぇ。弱肉強食、上等だ」
とんとん、と指先で己のこめかみを軽き叩きながら、臆病で卑怯で――それ故に強(したた)かな青年は、告げる。
「……あのババアに、そんな情があるのかよ?」
「通じねぇなら、あのババアは獣の理屈で動いてるってことだろ? じゃあ、こっちも獣の流儀で返してやるだけさ」
ハッソンの弱気な言葉に、ヘイソンは不敵な笑みをこぼす。
「文字通り、死ぬほど恐ろしい目にあったんだ。あのババアなんかもう怖くねぇ。弱肉強食、上等だ」
とんとん、と指先で己のこめかみを軽き叩きながら、臆病で卑怯で――それ故に強(したた)かな青年は、告げる。
「俺の悪知恵に、お前の馬鹿力――これだけ揃って死ぬ気でやりゃ、ヒトの世に慣れたぬるい獣なんて、どうとでもなるさ」
それは、臆病で卑怯な人間ならではの宣戦布告――己の生き方を、己で見つけた故の、力ある言葉。
そうして、彼は振り返る。自身には理解不能な――しかし、自身の生き方を明確にするきっかけをくれた眩しい存在へ。
そうして、彼は振り返る。自身には理解不能な――しかし、自身の生き方を明確にするきっかけをくれた眩しい存在へ。
「じゃあな、お人好しの兄ちゃん。――ヒトの世でヒトらしく生きるのは、あんたみたいな人間にこそ似合ってるよ」
そう言って、彼は笑う。
意地の悪い――それでいて、不思議と見る者の胸が透くような――そんな、笑みで。
意地の悪い――それでいて、不思議と見る者の胸が透くような――そんな、笑みで。
「許して、許されて、助けて、助けられる――そんな不器用な生き方ができる、あんたみたいな人間にこそ、な」
不思議そうな顔で目を瞬く柊に、彼はただ笑い――そうして、お宝を担いだ相棒と一緒に去っていった。
彼らが、この後どうするのか、どうなるのかは、柊たちにはわからない。
けれど、不思議と『大丈夫だろう』と思わせる何かが、去り行く彼らの背にはあった。
彼らが、この後どうするのか、どうなるのかは、柊たちにはわからない。
けれど、不思議と『大丈夫だろう』と思わせる何かが、去り行く彼らの背にはあった。
◇ ◆ ◇
「さて、蓮司、くれは。君たちには礼をしなければならないな」
狩人二人の背を見送って、しばし。おもむろに“獣王”が口を開いた。
その声に合わせて玉座の左右の茂みから、えもにゅーが、何やら見慣れぬ生き物を連れて現れる。
一羽に人が二人は乗れそうな大きさの鳥が、二羽。柊たちが知る生き物で言えば、ダチョウが一番近いだろうか。
しかし、その首はダチョウより太く短く、その上に丸っこい大きな頭部が乗っている。
全身を覆う羽毛は黄味がかった明るい金色。ぱっちりとした大きな瞳は人懐っこく、また賢そうな色をしていた。
「チョコボ、という鳥だ。翼が退化してしまって空は飛べないが、地を飛ぶように駆けることができる」
“獣王”が柊たちにそう告げている間に、当のチョコボたちはとてとてと柊たちに歩み寄り、懐っこい仕草で頭を差し出す。
『撫でて、撫でて』と甘えるように。
「……随分、懐っこいんだな」
「うん、可愛い~っ」
当鳥(?)の希望通りに頭を撫でてやりながら言う異邦人二人に、えもにゅーが笑いながら告げる。
「野生のチョコボは気が荒くて、賢い上に力も強いですから、群れになんか出くわしたら一大事ですよ?
ただ、この子達はヒナの頃から人に育てられたんで、人に慣れてるんです」
「へぇ……この森の関係者か?」
軽く相槌を打つ柊に、あっさりと“獣王”は答える。
「その二羽の育ての親は、ユウだよ」
「―――ッ!?」
余りにもさらりと告げられたため反応の遅れた柊に、“獣王”は更に続ける。
狩人二人の背を見送って、しばし。おもむろに“獣王”が口を開いた。
その声に合わせて玉座の左右の茂みから、えもにゅーが、何やら見慣れぬ生き物を連れて現れる。
一羽に人が二人は乗れそうな大きさの鳥が、二羽。柊たちが知る生き物で言えば、ダチョウが一番近いだろうか。
しかし、その首はダチョウより太く短く、その上に丸っこい大きな頭部が乗っている。
全身を覆う羽毛は黄味がかった明るい金色。ぱっちりとした大きな瞳は人懐っこく、また賢そうな色をしていた。
「チョコボ、という鳥だ。翼が退化してしまって空は飛べないが、地を飛ぶように駆けることができる」
“獣王”が柊たちにそう告げている間に、当のチョコボたちはとてとてと柊たちに歩み寄り、懐っこい仕草で頭を差し出す。
『撫でて、撫でて』と甘えるように。
「……随分、懐っこいんだな」
「うん、可愛い~っ」
当鳥(?)の希望通りに頭を撫でてやりながら言う異邦人二人に、えもにゅーが笑いながら告げる。
「野生のチョコボは気が荒くて、賢い上に力も強いですから、群れになんか出くわしたら一大事ですよ?
ただ、この子達はヒナの頃から人に育てられたんで、人に慣れてるんです」
「へぇ……この森の関係者か?」
軽く相槌を打つ柊に、あっさりと“獣王”は答える。
「その二羽の育ての親は、ユウだよ」
「―――ッ!?」
余りにもさらりと告げられたため反応の遅れた柊に、“獣王”は更に続ける。
「彼は、彼の巫女、そしてこの二羽と共に世界中を旅していた。――ある、目的のために」
気負いなく、淡々と告げられ声音。しかし、その声は重みを持って柊の耳に響く。
「そして、ある日――彼らはこの二羽を私に預けていったのだ。
『自分達はもう、この子達の世話をして上げられないから』――と」
『自分達はもう、この子達の世話をして上げられないから』――と」
その言葉に、柊たちは息を飲む。
それでは――まるで、
「なんだよ……その、これから死にに行くみたいな物言い……」
思わず漏れた、柊の呟き。しかし、“獣王”はその呟きには答えることなく――続ける。
「この子たちならば、問題なく君たちを家まで送り届けてくれるだろう。道順も覚えているだろうしね。
帰ったその後は――できれば、家族として、この子達を世話してやって欲しい」
つまり、そのまま貰ってやってくれ、という“獣王”の言葉に、柊は堅い声で返す。
「それは構わねぇよ。こいつらがいてくれたら、遠出することになっても助かるだろうしな。けど――」
「――それ以上は問わないでくれ」
ユウは、どういうつもりで――そう問いかけた柊の声を、賢人はぴしゃりと遮った。
それでは――まるで、
「なんだよ……その、これから死にに行くみたいな物言い……」
思わず漏れた、柊の呟き。しかし、“獣王”はその呟きには答えることなく――続ける。
「この子たちならば、問題なく君たちを家まで送り届けてくれるだろう。道順も覚えているだろうしね。
帰ったその後は――できれば、家族として、この子達を世話してやって欲しい」
つまり、そのまま貰ってやってくれ、という“獣王”の言葉に、柊は堅い声で返す。
「それは構わねぇよ。こいつらがいてくれたら、遠出することになっても助かるだろうしな。けど――」
「――それ以上は問わないでくれ」
ユウは、どういうつもりで――そう問いかけた柊の声を、賢人はぴしゃりと遮った。
「――私には、答えられない」
それは、答えを持たないという意味なのか、答えを口にすることが出来ないという意味なのか。
どちらにせよ――その声には、これ以上と訊いても無駄だとわかる強固な響きがあって――
「……わかった……」
柊には、結局そう告げることしか出来なかった。
「――え、えーっと、じゃあ、この子達が“獣王”さんからのお礼ってことだよね!
可愛い家族が増えて嬉しいよ!ありがとう!」
落ちた重い沈黙を振り払うように、殊更明るい声で告げるくれは。
その声につられるように、硬い表情を崩した。
「いや、その子らは君らの帰りの足に過ぎない。礼は別にある」
そう告げながらの“獣王”の目配せに応え、えもにゅーが柊たちに歩み寄り、小さな包みを差し出す。
「どうぞ、開けて見てください」
声に促され、受け取った柊が包みを開くと、二つの品が現れた。
一つは、細かい砂を固めて模ったらしい精緻なバラの細工。もう一つは複雑な記号が刻まれた、何かの石版の欠片。
「これは……?」
「私の手元に残っていたアニュエラの遺産――アーティファクトだ」
えッ、と双子が息を飲む。
どちらにせよ――その声には、これ以上と訊いても無駄だとわかる強固な響きがあって――
「……わかった……」
柊には、結局そう告げることしか出来なかった。
「――え、えーっと、じゃあ、この子達が“獣王”さんからのお礼ってことだよね!
可愛い家族が増えて嬉しいよ!ありがとう!」
落ちた重い沈黙を振り払うように、殊更明るい声で告げるくれは。
その声につられるように、硬い表情を崩した。
「いや、その子らは君らの帰りの足に過ぎない。礼は別にある」
そう告げながらの“獣王”の目配せに応え、えもにゅーが柊たちに歩み寄り、小さな包みを差し出す。
「どうぞ、開けて見てください」
声に促され、受け取った柊が包みを開くと、二つの品が現れた。
一つは、細かい砂を固めて模ったらしい精緻なバラの細工。もう一つは複雑な記号が刻まれた、何かの石版の欠片。
「これは……?」
「私の手元に残っていたアニュエラの遺産――アーティファクトだ」
えッ、と双子が息を飲む。
「ちょ、ちょっと待て! アニュエラの遺産って……ようは仲間の形見だろ!? 受け取れねぇよ!」
伝説級の魔導具という理由ではなく、“獣王”個人にとっての価値という点で固辞する柊に、“獣王”は柔らかく笑う。
「いいのだ。アーティファクトは使い手の元になければ意味がない。それは君が持つべきだろう」
「……は?」
“獣王”の言葉の意味が上手く咀嚼できず、柊は間抜けな声を漏らした。
そんな柊に、賢人が一人である獣は、面白そうに笑いを漏らしながら、告げる。
伝説級の魔導具という理由ではなく、“獣王”個人にとっての価値という点で固辞する柊に、“獣王”は柔らかく笑う。
「いいのだ。アーティファクトは使い手の元になければ意味がない。それは君が持つべきだろう」
「……は?」
“獣王”の言葉の意味が上手く咀嚼できず、柊は間抜けな声を漏らした。
そんな柊に、賢人が一人である獣は、面白そうに笑いを漏らしながら、告げる。
「気付いていなかったのかね? ──君は、アーティファクト使いだ。少なくとも、その素質がある」
「――はぁぁぁあああああッ!?」
柊だけでなく、くれはや双子の声も伴った大絶叫になった。
「……ちょ、ちょっと待て! 何で、そう……!?」
「私の“メダル”で、ここまで飛ばされた時、“メダル”を持っていたのは誰かな?」
混乱する柊に畳み掛けるように、“獣王”は告げる。
そう問われれ、思い返せば――“メダル”が発動したのは、柊が手に取った瞬間だった。
「その“メダル”を含め、何か品を手に取った時、知らぬはずのイメージが脳裏によぎったことは?」
積み木の街、翡翠の卵や壊れた車輪――手に取った瞬間に過ぎった、知らぬはずの光景。
「……心当たりが、あるようだ」
声もなく、ぱくぱくと金魚のように口を開閉させるしかない柊に、“獣王”は苦笑気味に結論付けた。
異邦人二人はただただ困惑し、双子は驚愕と尊敬の混じった眼差しで柊を見つめる。
そんな柊たちの様子を面白そうに見つめながら、
「アーティファクトは、使い手の元に集まるものだ。
もしかしたら、知らぬ間に手に入れているアーティファクトが他にもあるかもしれない」
改めて、持ち物を確認してみるのもいいかもしれないな、と“獣王”は言った。
柊だけでなく、くれはや双子の声も伴った大絶叫になった。
「……ちょ、ちょっと待て! 何で、そう……!?」
「私の“メダル”で、ここまで飛ばされた時、“メダル”を持っていたのは誰かな?」
混乱する柊に畳み掛けるように、“獣王”は告げる。
そう問われれ、思い返せば――“メダル”が発動したのは、柊が手に取った瞬間だった。
「その“メダル”を含め、何か品を手に取った時、知らぬはずのイメージが脳裏によぎったことは?」
積み木の街、翡翠の卵や壊れた車輪――手に取った瞬間に過ぎった、知らぬはずの光景。
「……心当たりが、あるようだ」
声もなく、ぱくぱくと金魚のように口を開閉させるしかない柊に、“獣王”は苦笑気味に結論付けた。
異邦人二人はただただ困惑し、双子は驚愕と尊敬の混じった眼差しで柊を見つめる。
そんな柊たちの様子を面白そうに見つめながら、
「アーティファクトは、使い手の元に集まるものだ。
もしかしたら、知らぬ間に手に入れているアーティファクトが他にもあるかもしれない」
改めて、持ち物を確認してみるのもいいかもしれないな、と“獣王”は言った。
◇ ◆ ◇
ちなみに。
「みんな、今までどこいってたんですか。お家の庭で迷子になった?」
密林から何とか無事帰宅した後、自室に入るなり告げられた無邪気なサボテンの一言に、根こそぎ気力を奪われた
柊が、ベッドに倒れこんだのは――まあ、余談である。
「みんな、今までどこいってたんですか。お家の庭で迷子になった?」
密林から何とか無事帰宅した後、自室に入るなり告げられた無邪気なサボテンの一言に、根こそぎ気力を奪われた
柊が、ベッドに倒れこんだのは――まあ、余談である。