「俺たちにとって……大きな意味のある戦いだと……?」
紙魚と黴の匂いが鼻腔をくすぐる、静けき月匣のその内部で。
思わせ振りなリオンの呟きを、そのまま鸚鵡返しに繰り返して口に出した柊は、凝れる静謐に支配されたこの結界の中で、自らの発した声がやけに大きく響いたように感じていた。
思わせ振りなリオンの呟きを、そのまま鸚鵡返しに繰り返して口に出した柊は、凝れる静謐に支配されたこの結界の中で、自らの発した声がやけに大きく響いたように感じていた。
途端に、身中を貫く悪寒のような震えに襲われる。
それはまるで、氷柱を丸ごと胃袋に飲み込んだような。
腹の底から深々と冷気が込み上げてくるような。
かつて経験したことのある、どんな悪寒とも異質の ――― 得体の知れない寒々しさである。
数多の戦いに接し、闘争という避けえぬ衝突には慣れているつもりでも。
所謂、世界の危機というヤツだって幾度となく経験しているつもりでも。
これは、柊がほとんど初めて感じる、正体不明の不安感といえた。
なるほど ――― いま、自分が首を突っ込んでいるのは、ウィザードとエミュレイターという二極化された勢力だけが関わる戦いではない。
つい今朝まで知りうるはずもなかった『オーヴァード』という、自分とはまったく別種の存在をも、その渦中に巻き込んだ戦いに発展しようとしているのが現状なのだ。
未知なるものの存在を身近に感じ。
未知なるものとの戦いの予感を肌で捉える。
柊が感じている異質の不安の正体とは、もしかしたらそこに起因しているのかもしれなかった。
敵はエミュレイターだけではない。まして魔王だけでもない。
その事実が、柊の無意識に暗い翳を落としている。
「はい……そしてそれは、この世界の根幹を揺るがしかねない、とても大きな戦いとなるはずだと、この書物にも書いてあります」
そんなお決まりのリオンの言葉に、
「他人事みたいに言いやがって……」
反駁する声に、いつもの勢いがないのもそのせいであったかもしれない。
「それよりお前、たしか“宣戦布告”、って言ったよな」
内心にくすぶる不安定な感情を振り切るように、柊が、険悪な顔をしながらリオンに噛み付いた。
リオンは平然と、その静かなる苛立ちを柳に風とばかりに受け流すと、
「ええ。“形の上”では、私も貴方たちの敵ということになりますから」
さらりとそんな風に言ってのける。
腹の底から深々と冷気が込み上げてくるような。
かつて経験したことのある、どんな悪寒とも異質の ――― 得体の知れない寒々しさである。
数多の戦いに接し、闘争という避けえぬ衝突には慣れているつもりでも。
所謂、世界の危機というヤツだって幾度となく経験しているつもりでも。
これは、柊がほとんど初めて感じる、正体不明の不安感といえた。
なるほど ――― いま、自分が首を突っ込んでいるのは、ウィザードとエミュレイターという二極化された勢力だけが関わる戦いではない。
つい今朝まで知りうるはずもなかった『オーヴァード』という、自分とはまったく別種の存在をも、その渦中に巻き込んだ戦いに発展しようとしているのが現状なのだ。
未知なるものの存在を身近に感じ。
未知なるものとの戦いの予感を肌で捉える。
柊が感じている異質の不安の正体とは、もしかしたらそこに起因しているのかもしれなかった。
敵はエミュレイターだけではない。まして魔王だけでもない。
その事実が、柊の無意識に暗い翳を落としている。
「はい……そしてそれは、この世界の根幹を揺るがしかねない、とても大きな戦いとなるはずだと、この書物にも書いてあります」
そんなお決まりのリオンの言葉に、
「他人事みたいに言いやがって……」
反駁する声に、いつもの勢いがないのもそのせいであったかもしれない。
「それよりお前、たしか“宣戦布告”、って言ったよな」
内心にくすぶる不安定な感情を振り切るように、柊が、険悪な顔をしながらリオンに噛み付いた。
リオンは平然と、その静かなる苛立ちを柳に風とばかりに受け流すと、
「ええ。“形の上”では、私も貴方たちの敵ということになりますから」
さらりとそんな風に言ってのける。
ふと ―――
そこまで話し終えると、リオンは静かに瞳を伏せた。
ほう……と、どこか悩ましげな溜息をつくと、ローブの長い袖から手を伸ばし、その指先を虚空へと差し出した。
突如として、ぱらぱら、ぱらぱら、と乾いた音が周囲に響き渡る。
見れば、びっしりと細かい文字の記された幾百枚の古紙がどこからともなく現れ、辺りの空間を埋め尽くすように舞い散り始めていた。
それらは、無風の空間にあってなお、意志あるがごとくにリオンの傍らにひとりでに集まると、見る見るうちにひとつの形を作り出す。
ほう……と、どこか悩ましげな溜息をつくと、ローブの長い袖から手を伸ばし、その指先を虚空へと差し出した。
突如として、ぱらぱら、ぱらぱら、と乾いた音が周囲に響き渡る。
見れば、びっしりと細かい文字の記された幾百枚の古紙がどこからともなく現れ、辺りの空間を埋め尽くすように舞い散り始めていた。
それらは、無風の空間にあってなお、意志あるがごとくにリオンの傍らにひとりでに集まると、見る見るうちにひとつの形を作り出す。
「……! おい、いったいなにを ――― 」
リオンの行動に色めき立ち、柊が声を荒げる。
しかし、そこに現れ出でたものを目の当たりにすると、彼は次の瞬間、がっくりと肩を落とした。
仰々しくなにをやらかすのかと思ったら ――― リオンが紙の束を集めて凝り固め、作り上げたものは、なんの変哲もないロッキングチェアーなのであった。
「……どっこいしょ」
珍しく長いこと突っ立っていて、疲れたのに違いない。
少女の外見に相応しいとは到底思えないくたびれた口調でそう言うと、リオンは自らの生み出した椅子にストン、と腰掛けた。
「……おばはんか、お前は」
「あらあら。そういう失礼なことをおっしゃる方には、椅子など必要ありませんね」
手のひらを紫帆とミナリに差し向けながら、柊のほうを見向きもせずにリオンが言う。
いつの間にか、紫帆たちの傍らにも、同じように紙片で作られた椅子が設置されている。
リオンが二人に向かって手を差し出したのは、「どうぞおかけになってください」という意思表示のようであった。
「あ、どうもありがとう」
「し、失礼します」
紫帆は後先考えずにどっかりと、ミナリはおそるおそる壊れ物を扱うように、リオンの魔法で作られた椅子に腰を掛ける。
ミナリが所在なさげに、やたらとお尻をもぞもぞさせているのは、『紙で作った椅子なんかに座って、潰れたりはしないだろうか』と心配しているせいだ。
当然のことながら、柊の分の椅子は ――― ない。
リオンの行動に色めき立ち、柊が声を荒げる。
しかし、そこに現れ出でたものを目の当たりにすると、彼は次の瞬間、がっくりと肩を落とした。
仰々しくなにをやらかすのかと思ったら ――― リオンが紙の束を集めて凝り固め、作り上げたものは、なんの変哲もないロッキングチェアーなのであった。
「……どっこいしょ」
珍しく長いこと突っ立っていて、疲れたのに違いない。
少女の外見に相応しいとは到底思えないくたびれた口調でそう言うと、リオンは自らの生み出した椅子にストン、と腰掛けた。
「……おばはんか、お前は」
「あらあら。そういう失礼なことをおっしゃる方には、椅子など必要ありませんね」
手のひらを紫帆とミナリに差し向けながら、柊のほうを見向きもせずにリオンが言う。
いつの間にか、紫帆たちの傍らにも、同じように紙片で作られた椅子が設置されている。
リオンが二人に向かって手を差し出したのは、「どうぞおかけになってください」という意思表示のようであった。
「あ、どうもありがとう」
「し、失礼します」
紫帆は後先考えずにどっかりと、ミナリはおそるおそる壊れ物を扱うように、リオンの魔法で作られた椅子に腰を掛ける。
ミナリが所在なさげに、やたらとお尻をもぞもぞさせているのは、『紙で作った椅子なんかに座って、潰れたりはしないだろうか』と心配しているせいだ。
当然のことながら、柊の分の椅子は ――― ない。
「それでは……始めましょうか」
普段は胸元に抱えている書物を膝の上に乗せて座り、しばし考え込むように瞳を閉じていたリオンが口を開いたのは、それから数分経ってからのことである。
それはおそらく、これから語る言葉を十分に吟味していたためであろう。
「まず……いまこの街において、ジャームとエミュレイターが同時期、同地点で発生を観測されているという事象は、ご存知ですね」
「あったりまえだろ。そのおかげで、俺がアンゼロットにとっ捕まって、この街に放り込まれたんじゃねーか」
憮然としながら柊が言う。
「それもそうでしたね……それでは、お聞きしますが……貴方たちは、この鳴島市という街に起きている異変を、どのように考えていらっしゃるのですか……?」
「どのように、って言われても……」
「うん……私も、まだよくは……」
リオンの問いかけに、自分たちが住み暮らす鳴島市という単語が出てきたことで、真っ先に反応を示したのは紫帆とミナリの二人である。
しかし、問いかけに対する応答が上手く口をついて出てこない。
なんと応えたらいいのかがわからない。
彼女たちにしてみたところで、ウィザードや魔王という存在を知ったのはついさっきのことであり、未知なる存在との遭遇に困惑しているのは、おそらく柊以上のことであろう。
ただ、現在進行形でこの街に起きている異変を“そういう事象”として認識しているだけで、その裏に隠された本当の意味や、この一件を企んだ『誰か』の思惑まで推し量ることはできていない。
紫帆たちに分かっていることといえば、銀目の鴉の事件後、鳴島市周辺でジャームの発生やレネゲイド犯罪が急激に増加を始めたこと。
時を同じくして、『エミュレイター』と呼ばれる異世界からの侵略者が、ジャームと行動を共にするかのように、同様の出現を繰り返しているということ。
そして ―――
普段は胸元に抱えている書物を膝の上に乗せて座り、しばし考え込むように瞳を閉じていたリオンが口を開いたのは、それから数分経ってからのことである。
それはおそらく、これから語る言葉を十分に吟味していたためであろう。
「まず……いまこの街において、ジャームとエミュレイターが同時期、同地点で発生を観測されているという事象は、ご存知ですね」
「あったりまえだろ。そのおかげで、俺がアンゼロットにとっ捕まって、この街に放り込まれたんじゃねーか」
憮然としながら柊が言う。
「それもそうでしたね……それでは、お聞きしますが……貴方たちは、この鳴島市という街に起きている異変を、どのように考えていらっしゃるのですか……?」
「どのように、って言われても……」
「うん……私も、まだよくは……」
リオンの問いかけに、自分たちが住み暮らす鳴島市という単語が出てきたことで、真っ先に反応を示したのは紫帆とミナリの二人である。
しかし、問いかけに対する応答が上手く口をついて出てこない。
なんと応えたらいいのかがわからない。
彼女たちにしてみたところで、ウィザードや魔王という存在を知ったのはついさっきのことであり、未知なる存在との遭遇に困惑しているのは、おそらく柊以上のことであろう。
ただ、現在進行形でこの街に起きている異変を“そういう事象”として認識しているだけで、その裏に隠された本当の意味や、この一件を企んだ『誰か』の思惑まで推し量ることはできていない。
紫帆たちに分かっていることといえば、銀目の鴉の事件後、鳴島市周辺でジャームの発生やレネゲイド犯罪が急激に増加を始めたこと。
時を同じくして、『エミュレイター』と呼ばれる異世界からの侵略者が、ジャームと行動を共にするかのように、同様の出現を繰り返しているということ。
そして ―――
「そして ――― たぶん、もしかしたら……それが私を中心に起きてしまった事件なのかも、っていうことぐらいかな……」
無理矢理、喉から搾り出すように紫帆が言う。
それは本当なら考えたくもない、言いたくもない事柄であったに違いない。
それでも紫帆は気丈に振舞い、きっぱりとその言葉を口にした。
アンゼロットの危惧していたこと。霧谷が苦渋に満ちた声で告げたこと。
はっきりと紫帆を名指しで、事件の原因呼ばわりすることこそしなかったが、彼らの内心に気づかないほど紫帆は愚かではない。
だからこそ、霧谷たちが姿を消した後には大いにへこみもしたし、それ故に、柊やミナリたちに励まされ、自分の本来の姿をようやく取り戻したのである。
リオンは、紫帆を真っ直ぐに見つめていた。
紫帆の、強い意志を宿した瞳の奥を覗き込んでいた。
その交錯する視線からなにを感じ取ったものか、わずかの間をおいてから微かに微笑むと、リオンは頷いて言葉を継いだ。
「……アンゼロットの ――― そして貴女たちの推測は、間違ってはいません」
ぎくり、と紫帆が身を硬くする。
(ある程度の覚悟はしていたけれど……)
改めて、『この件を企んでいるらしい』敵のひとりから、そうあけすけに告白されれば、多少なりとも衝撃はあるものだった。
「ジャームと、その……エミュレイター? が狙っているのが、やっぱり私のことだっていうことなのかな……?」
気丈であろうとすればするほど ――― 声が震える。
眼前の魔王から目をそらさずにいようとすればするほど ――― 瞳が潤む。
それは本当なら考えたくもない、言いたくもない事柄であったに違いない。
それでも紫帆は気丈に振舞い、きっぱりとその言葉を口にした。
アンゼロットの危惧していたこと。霧谷が苦渋に満ちた声で告げたこと。
はっきりと紫帆を名指しで、事件の原因呼ばわりすることこそしなかったが、彼らの内心に気づかないほど紫帆は愚かではない。
だからこそ、霧谷たちが姿を消した後には大いにへこみもしたし、それ故に、柊やミナリたちに励まされ、自分の本来の姿をようやく取り戻したのである。
リオンは、紫帆を真っ直ぐに見つめていた。
紫帆の、強い意志を宿した瞳の奥を覗き込んでいた。
その交錯する視線からなにを感じ取ったものか、わずかの間をおいてから微かに微笑むと、リオンは頷いて言葉を継いだ。
「……アンゼロットの ――― そして貴女たちの推測は、間違ってはいません」
ぎくり、と紫帆が身を硬くする。
(ある程度の覚悟はしていたけれど……)
改めて、『この件を企んでいるらしい』敵のひとりから、そうあけすけに告白されれば、多少なりとも衝撃はあるものだった。
「ジャームと、その……エミュレイター? が狙っているのが、やっぱり私のことだっていうことなのかな……?」
気丈であろうとすればするほど ――― 声が震える。
眼前の魔王から目をそらさずにいようとすればするほど ――― 瞳が潤む。
『この増加傾向は、“ある日”を境にスタートしています……それは ――― 銀目の鴉事件の収束した、そのすぐ翌日からです』 ―――
ぺリゴールで霧谷が告げた言葉が、頭の中をぐるぐると回る。
もし霧谷が、事件の発生原因になんらかの憶測を仮定していなければ。
紫帆との因果関係を見出していなければ。
わざわざ紫帆に向かって、銀目の鴉事件を引き合いに出して説明することもないはずである。
それは霧谷たちが、これは紫帆の持つ賢者の石にまつわる新たな事件なのではないか、と認識しているという、なによりの証拠であろう。
「……私は、『ある利害の一致』を理由として、現在とあるオーヴァードと共闘関係にあります」
リオンが言う。
「七村紫帆さん……そのオーヴァードの狙いは、確かに貴女です。貴女の胸に埋め込まれ、心臓と癒着した賢者の石。そして貴女の持つオーヴァードとしての資質が、彼女の興味を引きました」
紫帆の質問に対する、それがリオンの答えであった。
「彼女ってことは、その人は女性なんですね?」
ミナリが耳聡くその言葉を聞きとがめ、リオンに問いかける。
「あらあら、私としたことが」
「……ざーとらしいぞ」
リオンが、はなから包み隠すつもりなどないことを見抜いて、柊がツッコミを入れた。
どういうつもりか知らないが、リオンは『敵』であるはずのウィザードや紫帆たちに、許される限りで情報を手渡そうとしているようである。
もっとも、その許される限りの情報とは、リオンの胸先ひとつで決まるのだが。
もし霧谷が、事件の発生原因になんらかの憶測を仮定していなければ。
紫帆との因果関係を見出していなければ。
わざわざ紫帆に向かって、銀目の鴉事件を引き合いに出して説明することもないはずである。
それは霧谷たちが、これは紫帆の持つ賢者の石にまつわる新たな事件なのではないか、と認識しているという、なによりの証拠であろう。
「……私は、『ある利害の一致』を理由として、現在とあるオーヴァードと共闘関係にあります」
リオンが言う。
「七村紫帆さん……そのオーヴァードの狙いは、確かに貴女です。貴女の胸に埋め込まれ、心臓と癒着した賢者の石。そして貴女の持つオーヴァードとしての資質が、彼女の興味を引きました」
紫帆の質問に対する、それがリオンの答えであった。
「彼女ってことは、その人は女性なんですね?」
ミナリが耳聡くその言葉を聞きとがめ、リオンに問いかける。
「あらあら、私としたことが」
「……ざーとらしいぞ」
リオンが、はなから包み隠すつもりなどないことを見抜いて、柊がツッコミを入れた。
どういうつもりか知らないが、リオンは『敵』であるはずのウィザードや紫帆たちに、許される限りで情報を手渡そうとしているようである。
もっとも、その許される限りの情報とは、リオンの胸先ひとつで決まるのだが。
「……私が共闘しているオーヴァード……彼女の名前は、都築京香といいます。“プランナー”という通り名が、UGNでは有名らしいですね」
「!」
ミナリが息を飲む気配が、側に立つ柊にも伝わってきた。
椅子の肘掛を鷲掴みにして腰を浮かし、身を乗り出したミナリの顔が、怖いくらいに引き締められている。そんなミナリの様子に、紫帆がゆっくりと彼女のほうを振り向いた。
そして。
「……委員長……知ってる人……?」
顔にクエスチョンマークを浮かべながら小首を傾げ、紫帆が尋ねる。
「ちょっ、紫帆! なんであなたが知らないの……って、言ってもしょうがないわね。いくらオーヴァードでも、私みたいに組織に属しているわけじゃないんだから」
だけど、かなり最初の頃、私が講義で説明したような気がするんだけど ――― ジロリと、紫帆の顔を睨みつけ、ミナリが言う。
紫帆がオーヴァードに成りたての頃、かなりスパルタ式に“こちらの世界”のことについてレクチャーしてやったはずなのだが。
どうやら紫帆の頭の中には、あまりミナリの講義の内容は残っていなかったようだ。
「まあ、いいわ。でも、いい機会だからこの際おさらいしておくのも悪くはないわね。ちょうど、こちら側の世界には疎い柊さんもいらっしゃることですし」
「!」
ミナリが息を飲む気配が、側に立つ柊にも伝わってきた。
椅子の肘掛を鷲掴みにして腰を浮かし、身を乗り出したミナリの顔が、怖いくらいに引き締められている。そんなミナリの様子に、紫帆がゆっくりと彼女のほうを振り向いた。
そして。
「……委員長……知ってる人……?」
顔にクエスチョンマークを浮かべながら小首を傾げ、紫帆が尋ねる。
「ちょっ、紫帆! なんであなたが知らないの……って、言ってもしょうがないわね。いくらオーヴァードでも、私みたいに組織に属しているわけじゃないんだから」
だけど、かなり最初の頃、私が講義で説明したような気がするんだけど ――― ジロリと、紫帆の顔を睨みつけ、ミナリが言う。
紫帆がオーヴァードに成りたての頃、かなりスパルタ式に“こちらの世界”のことについてレクチャーしてやったはずなのだが。
どうやら紫帆の頭の中には、あまりミナリの講義の内容は残っていなかったようだ。
「まあ、いいわ。でも、いい機会だからこの際おさらいしておくのも悪くはないわね。ちょうど、こちら側の世界には疎い柊さんもいらっしゃることですし」
都築京香。
“プランナー”のコードネームを持つオーヴァード。
UGNと対を成すオーヴァード組織、ファルスハーツの日本支部長であり、彼女の『プラン』によって引き起こされたレネゲイド犯罪やテロリズムは数知れず ―――
“プランナー”のコードネームを持つオーヴァード。
UGNと対を成すオーヴァード組織、ファルスハーツの日本支部長であり、彼女の『プラン』によって引き起こされたレネゲイド犯罪やテロリズムは数知れず ―――
「つまり、オーヴァードの中でも性質の悪い、危険なヤツだって考えていいんだな?」
「ええ。柊さん……いえ、ウィザード風に表現するなら、魔王級、ということです」
ミナリの解説に、なるほど、分かりやすいぜ、と柊も表情を固くする。
要は、『裏界の魔王』と『オーヴァードの魔王』が手を組んで悪巧みをしているって寸法か、と自分なりの乱暴な解釈をして納得した。
確かにこれは気を抜いていられない事態だな、とそう思う。
ふと、真横に目をやれば。
唇を引き締め、なにかをじっと考え込むような難しい顔つきの紫帆がいる。
「私の……賢者の石を……?」
「ええ。彼女も初めは、闇雲に鳴島市周辺で事件を起こしていたようです。銀目の鴉、というオーヴァードの事件から類推して、彼女の求める資質を持つものがこの辺りにいるはずだ、と」
プランナーが紫帆の存在を嗅ぎ当てるのに時間がかかったのは、おそらくUGNの情報規制や隠蔽工作がよほど強固で巧みであったためでしょう、とリオンが付け加えた。
確かにあの事件は世界中のオーヴァードの存在に関わるものであった。日本支部のみならず、中枢評議会の圧力もあって、紫帆と銀目の鴉に関わる情報は、相当慎重に扱われたはずである。
「ですが、彼女はついに貴女の存在を突き止めました。あとは、私たちの準備さえ整えば、なりふり構わず貴女を狙ってくるでしょう」
「それで、結局お前らの狙いはなんだ!? 賢者の石ってヤツのことはさっぱりわからねえが、とにかくそれをお前らの思うように使わせるわけにはいかねえってことだけは理解できるぜ!」
柊が拳を握り締めて声を張り上げる。
「ええ。柊さん……いえ、ウィザード風に表現するなら、魔王級、ということです」
ミナリの解説に、なるほど、分かりやすいぜ、と柊も表情を固くする。
要は、『裏界の魔王』と『オーヴァードの魔王』が手を組んで悪巧みをしているって寸法か、と自分なりの乱暴な解釈をして納得した。
確かにこれは気を抜いていられない事態だな、とそう思う。
ふと、真横に目をやれば。
唇を引き締め、なにかをじっと考え込むような難しい顔つきの紫帆がいる。
「私の……賢者の石を……?」
「ええ。彼女も初めは、闇雲に鳴島市周辺で事件を起こしていたようです。銀目の鴉、というオーヴァードの事件から類推して、彼女の求める資質を持つものがこの辺りにいるはずだ、と」
プランナーが紫帆の存在を嗅ぎ当てるのに時間がかかったのは、おそらくUGNの情報規制や隠蔽工作がよほど強固で巧みであったためでしょう、とリオンが付け加えた。
確かにあの事件は世界中のオーヴァードの存在に関わるものであった。日本支部のみならず、中枢評議会の圧力もあって、紫帆と銀目の鴉に関わる情報は、相当慎重に扱われたはずである。
「ですが、彼女はついに貴女の存在を突き止めました。あとは、私たちの準備さえ整えば、なりふり構わず貴女を狙ってくるでしょう」
「それで、結局お前らの狙いはなんだ!? 賢者の石ってヤツのことはさっぱりわからねえが、とにかくそれをお前らの思うように使わせるわけにはいかねえってことだけは理解できるぜ!」
柊が拳を握り締めて声を張り上げる。
詳しい事情は知らないし、聞かされてもいない。
しかし、ぺリゴールでの会話といまのリオンの言葉で、柊にも大まかな事情は飲み込めた。
しかし、ぺリゴールでの会話といまのリオンの言葉で、柊にも大まかな事情は飲み込めた。
普通の ――― いたって普通の高校生だった紫帆は、かつて、突如迎えた『死』によって、望みもしないのにオーヴァードという存在に覚醒した。
そして、訳もわからぬまま戦いに巻き込まれ、その戦いのうちに、自らの秘められた力と過去の出生を知ることになる。
きっと傷つきもしただろう。そして悩まされもしただろう。
挙句、その果てに、レネゲイドウィルスの存在そのものを揺るがすような、世界を巻き込むほどの決戦を経験させられた。
そして、また。
紫帆は望みもしない陰謀に巻き込まれ、ふたたび戦いを余儀なくされるのであろう。
そして、訳もわからぬまま戦いに巻き込まれ、その戦いのうちに、自らの秘められた力と過去の出生を知ることになる。
きっと傷つきもしただろう。そして悩まされもしただろう。
挙句、その果てに、レネゲイドウィルスの存在そのものを揺るがすような、世界を巻き込むほどの決戦を経験させられた。
そして、また。
紫帆は望みもしない陰謀に巻き込まれ、ふたたび戦いを余儀なくされるのであろう。
柊は怒っていた。静かに、しかし確実に憤っていた。
紫帆の姿が、柊のよく知る“ひとりの少女”に重なって見えて、なんともやりきれない気持ちになった。
紫帆の姿が、柊のよく知る“ひとりの少女”に重なって見えて、なんともやりきれない気持ちになった。
普通の ――― いたって普通の高校生だったその少女も、突如ウィザードとして覚醒した。
そして、戦いに巻き込まれ、その戦いのうちに、自らの秘められた力と過去の出生を知ることになった。
あのとき、あいつは傷ついた。そして悩みもしたし、悲しみもした。
その悩みや悲しみから立ち直り、すべての戦いに決着をつけ、いまは普通の少女へと戻ることの出来たあいつ。柊の、大切な仲間の一人であり、可愛い後輩。
もし、あいつが再び誰かの陰謀に巻き込まれたら、と考えるとぞっとする。
柊の脳裏には、そんな少女と紫帆の姿が確実にだぶって見えていた。
だから怒る。柊は、だからこのとき、改めて固く決意をする。
そして、戦いに巻き込まれ、その戦いのうちに、自らの秘められた力と過去の出生を知ることになった。
あのとき、あいつは傷ついた。そして悩みもしたし、悲しみもした。
その悩みや悲しみから立ち直り、すべての戦いに決着をつけ、いまは普通の少女へと戻ることの出来たあいつ。柊の、大切な仲間の一人であり、可愛い後輩。
もし、あいつが再び誰かの陰謀に巻き込まれたら、と考えるとぞっとする。
柊の脳裏には、そんな少女と紫帆の姿が確実にだぶって見えていた。
だから怒る。柊は、だからこのとき、改めて固く決意をする。
紫帆を、魔王たちの好きにはさせねえ、と。
紫帆を、俺のこの手で護るんだ、と。
紫帆を、俺のこの手で護るんだ、と。
柊の全身が無意識に脱力する。
虚空にかざした右手は、いつしか月衣から愛用の魔剣を引き抜いていた。
リオンの不戦の宣言をこちらから違えるつもりはない。だが、柊は魔剣をその手に握ることで、魔剣を握った手を向けることで、密かに誓った決意を相手に示すつもりだった。
裏界の魔王、“秘密侯爵”、リオン=グンタに ――― 今度はこちらが宣戦布告をする番だった。
虚空にかざした右手は、いつしか月衣から愛用の魔剣を引き抜いていた。
リオンの不戦の宣言をこちらから違えるつもりはない。だが、柊は魔剣をその手に握ることで、魔剣を握った手を向けることで、密かに誓った決意を相手に示すつもりだった。
裏界の魔王、“秘密侯爵”、リオン=グンタに ――― 今度はこちらが宣戦布告をする番だった。
「俺は ――― 戦うぜ。紫帆を護る。絶対に、だ!」
「ひ、柊クン……」
ありがとう、と言いかけて声をつまらせる。改めて、こうして力強く宣言されると、自分では心を強く持っているつもりでも、やっぱりグッときてしまう紫帆であった。
ぎゅっ、と目をつぶる。制服の袖で、どうしても滲み出てしまうものを拭い去るために、ぐしぐしと目を擦る。
顔を上げたときの紫帆は、すべての迷いを吹っ切った、晴れ晴れとした顔をしていた。
「私も戦う。誰にも、私の力を悪いことなんかに使わせたくない。最初に言ったとおりになっちゃったけど……やっぱり助けてもらうことになりそうだけど……」
「ひ、柊クン……」
ありがとう、と言いかけて声をつまらせる。改めて、こうして力強く宣言されると、自分では心を強く持っているつもりでも、やっぱりグッときてしまう紫帆であった。
ぎゅっ、と目をつぶる。制服の袖で、どうしても滲み出てしまうものを拭い去るために、ぐしぐしと目を擦る。
顔を上げたときの紫帆は、すべての迷いを吹っ切った、晴れ晴れとした顔をしていた。
「私も戦う。誰にも、私の力を悪いことなんかに使わせたくない。最初に言ったとおりになっちゃったけど……やっぱり助けてもらうことになりそうだけど……」
ミナリが頷く。
力強く、大らかな笑みを柊が口元に浮かべる。
「だけど、私は戦うから。だから、二人とも私を助けて ――― ううん、一緒に戦って!」
「言ったでしょ? 持ちつ持たれつ、って。私は初めからそのつもりだったわ」
ミナリが椅子を蹴って立ち上がる。紫帆がミナリに続いて席を立つ。
ゆっくりと、柊がリオンを振り返った。
ひとりの魔剣使いと、二人のオーヴァードが、いまこの瞬間、“魔王”と呼ばれる存在に改めて、戦いの決意を表明した。
力強く、大らかな笑みを柊が口元に浮かべる。
「だけど、私は戦うから。だから、二人とも私を助けて ――― ううん、一緒に戦って!」
「言ったでしょ? 持ちつ持たれつ、って。私は初めからそのつもりだったわ」
ミナリが椅子を蹴って立ち上がる。紫帆がミナリに続いて席を立つ。
ゆっくりと、柊がリオンを振り返った。
ひとりの魔剣使いと、二人のオーヴァードが、いまこの瞬間、“魔王”と呼ばれる存在に改めて、戦いの決意を表明した。
「……ふふ」
なぜか、どこか嬉しげに笑みを漏らすリオン=グンタ。
その瞬間。
月匣内では、ルーラーの意志が結界世界の法則に色濃く反映されるという約束のとおり ――― 突如として、古書回廊の床が彼我の間隔を瞬時に拡大すべく、地平の果てまで一息に伸びた。
魔剣の間合いも。紫帆の光の剣や、ミナリのワイヤーウィップの間合いも、もはや届かない。
遥か彼方、床と空間ごと転移した魔王の声だけが、月匣内に響き渡る。
なぜか、どこか嬉しげに笑みを漏らすリオン=グンタ。
その瞬間。
月匣内では、ルーラーの意志が結界世界の法則に色濃く反映されるという約束のとおり ――― 突如として、古書回廊の床が彼我の間隔を瞬時に拡大すべく、地平の果てまで一息に伸びた。
魔剣の間合いも。紫帆の光の剣や、ミナリのワイヤーウィップの間合いも、もはや届かない。
遥か彼方、床と空間ごと転移した魔王の声だけが、月匣内に響き渡る。
『先程の質問に、答えておきましょう……私たちの狙いが、一体なにか ――― 』
自分たちの目的のすべてを語るつもりではないだろう。
しかし、いかなる意図故か。
リオンは、残された謎の一端を開示することに抵抗はないようであった。
しかし、いかなる意図故か。
リオンは、残された謎の一端を開示することに抵抗はないようであった。
『プランナーと私の目的は異なるもの……ただ、お互いの知識と力を利用することで、それぞれの目指す場所に到達し得る、というただ一点において、私たちは協力し合っているのです』
「だから、その目的ってのはなんなんだ!?」
すでに姿を見失ったリオンに向かって柊が叫ぶ。
『 ――― プライメイト・オーヴァードと呼ばれる存在の誕生……彼女は、たしかそう言っていました……その果てに、彼女がどんな世界を見据えているのかは……いまは秘密です』
肝心なところは秘しておきたいということか、柊の詰問をリオンははぐらかした。
彼女の口振りからは、プランナーの目指すものがなんであれ、それをすべて見通していることが窺える。
彼女の持つ書物の前には ――― すべての秘密が無意味なものとなるのだから。
「だから、その目的ってのはなんなんだ!?」
すでに姿を見失ったリオンに向かって柊が叫ぶ。
『 ――― プライメイト・オーヴァードと呼ばれる存在の誕生……彼女は、たしかそう言っていました……その果てに、彼女がどんな世界を見据えているのかは……いまは秘密です』
肝心なところは秘しておきたいということか、柊の詰問をリオンははぐらかした。
彼女の口振りからは、プランナーの目指すものがなんであれ、それをすべて見通していることが窺える。
彼女の持つ書物の前には ――― すべての秘密が無意味なものとなるのだから。
『そして、私の目的は ――― 』
リオンの声が低く、冷たく木霊する。
『エミュレイターが……オーヴァードの力を得られる可能性について探ること ――― 』
「なんだとっ!? そんなことして、いったいどう……!」
『分かっているはずですよ、柊蓮司……先の“大戦”を契機として、私たちも貴方たちも、その力の在り方を変えざるを得なくなった……私たちには、新しい力が必要となる……』
「な、に……?」
先の大戦とは言うまでもなく、宝玉戦争を指しての言葉であろう。
リオンが言うところの“新しい力の必要性”が、あの戦いをきっかけとして生まれたものであるとすれば、それはまさしく ――― “彼ら”との抗争を念頭に置いたものだ。
『分かっているはずですよ、柊蓮司……先の“大戦”を契機として、私たちも貴方たちも、その力の在り方を変えざるを得なくなった……私たちには、新しい力が必要となる……』
「な、に……?」
先の大戦とは言うまでもなく、宝玉戦争を指しての言葉であろう。
リオンが言うところの“新しい力の必要性”が、あの戦いをきっかけとして生まれたものであるとすれば、それはまさしく ――― “彼ら”との抗争を念頭に置いたものだ。
「 ――― 冥魔、か……? まさか、あいつらと戦うための力を得るために……」
『そして、いずれは貴方たちウィザードと、最後の闘いを戦うための力を私たちが得るためでもあります』
珍しく強い語調でリオンが言い放つ。
宝玉戦争終結を境にして、“新たな”力を得ることとなったウィザードたち。
魔王であるリオンが警戒し、重要視しているのは、なにも冥魔相手だけのことではないのだろう。
『あらあら……少々、お喋りがすぎたようですね……』
これ以上は教えぬというつもりか、一方的な情報開示をやはり一方的に打ち切って、一時リオンが口をつぐむ。
そして最後に、微かな残響を残して遠ざかるリオンの声が、紫帆へと呼びかけた。
『七村紫帆……私のプレゼントが、この戦いで貴女に必要となるときが来るかもしれません……』
「え……? あ、賢者の石……!?」
リオンに言われてそれの存在を思い出したとき、手のひらに熱いものを感じた。
いつの間に、如何にして持たせたものかはわからないが、紫帆の拳の中には、銀色に輝く賢者の石が握られていた。
「説明が足りねえよ! まだ、紫帆に賢者の石を渡した理由を聞いてねえ! 俺たちが、これからの戦いで必要とするようなものを、魔王自らが届けてくれるなんておかしいじゃねえか!」
『ふふふ……それは、秘密です』
「肝心なところはいつもそれか!?」
『ですが……私の真意はともかくとして、これだけは確実なことが言えます……賢者の石……いいえ、“銀なる石”は間違いなく、七村紫帆に大いなる力を与えるもの……』
『そして、いずれは貴方たちウィザードと、最後の闘いを戦うための力を私たちが得るためでもあります』
珍しく強い語調でリオンが言い放つ。
宝玉戦争終結を境にして、“新たな”力を得ることとなったウィザードたち。
魔王であるリオンが警戒し、重要視しているのは、なにも冥魔相手だけのことではないのだろう。
『あらあら……少々、お喋りがすぎたようですね……』
これ以上は教えぬというつもりか、一方的な情報開示をやはり一方的に打ち切って、一時リオンが口をつぐむ。
そして最後に、微かな残響を残して遠ざかるリオンの声が、紫帆へと呼びかけた。
『七村紫帆……私のプレゼントが、この戦いで貴女に必要となるときが来るかもしれません……』
「え……? あ、賢者の石……!?」
リオンに言われてそれの存在を思い出したとき、手のひらに熱いものを感じた。
いつの間に、如何にして持たせたものかはわからないが、紫帆の拳の中には、銀色に輝く賢者の石が握られていた。
「説明が足りねえよ! まだ、紫帆に賢者の石を渡した理由を聞いてねえ! 俺たちが、これからの戦いで必要とするようなものを、魔王自らが届けてくれるなんておかしいじゃねえか!」
『ふふふ……それは、秘密です』
「肝心なところはいつもそれか!?」
『ですが……私の真意はともかくとして、これだけは確実なことが言えます……賢者の石……いいえ、“銀なる石”は間違いなく、七村紫帆に大いなる力を与えるもの……』
この先の戦いにおける切り札となりうることだけは保証しますよ ――― その言葉を最後に、リオンの気配が完全に掻き消えた。
紅い月が消失する。書架の列が霞みのようにおぼろげになる。
気がつけばそこは、夜のショッピングモールとしての光景を、すでに取り戻していた。
「紫帆、ミナリ、なんともねえか?」
月衣に魔剣を収めて振り返り、柊が二人の少女に呼びかける。
手のひらに、手渡された銀色の石を乗せたまま、その淡い輝きを俯き加減で見つめている紫帆。
そんな彼女に駆け寄り、気遣うようにその肩に手を置くミナリ。
二人になんとなく声がかけづらくて、柊は口の中でもごもごとかけるべき言葉を捜していたが、結局は諦めて無言のまま髪をかきむしった。
時刻は午後十一時。
今夜の魔王との邂逅をいまは忘れろ、とは言えなかったが、事態が思わぬ進展を見せ始めたからこそ、彼女たちには十分な休息を取らせなければいけないだろう。
二人に、明日もう一度仕切りなおそう、とだけ声をかける。そして、そんなことしか言えない自分に歯痒さを感じながらも、柊は紫帆たちに帰宅を促すことしかいまはできなかった。
(ちくしょう……俺の頭じゃ、まだなにがどうなってんのか、どうすればいいのかさっぱりわからねえ)
だからといって、自分にできないことをあれこれ考えるぐらいなら。
自分に出来る最善のことがなにかを考えたほうがましである。
紅い月が消失する。書架の列が霞みのようにおぼろげになる。
気がつけばそこは、夜のショッピングモールとしての光景を、すでに取り戻していた。
「紫帆、ミナリ、なんともねえか?」
月衣に魔剣を収めて振り返り、柊が二人の少女に呼びかける。
手のひらに、手渡された銀色の石を乗せたまま、その淡い輝きを俯き加減で見つめている紫帆。
そんな彼女に駆け寄り、気遣うようにその肩に手を置くミナリ。
二人になんとなく声がかけづらくて、柊は口の中でもごもごとかけるべき言葉を捜していたが、結局は諦めて無言のまま髪をかきむしった。
時刻は午後十一時。
今夜の魔王との邂逅をいまは忘れろ、とは言えなかったが、事態が思わぬ進展を見せ始めたからこそ、彼女たちには十分な休息を取らせなければいけないだろう。
二人に、明日もう一度仕切りなおそう、とだけ声をかける。そして、そんなことしか言えない自分に歯痒さを感じながらも、柊は紫帆たちに帰宅を促すことしかいまはできなかった。
(ちくしょう……俺の頭じゃ、まだなにがどうなってんのか、どうすればいいのかさっぱりわからねえ)
だからといって、自分にできないことをあれこれ考えるぐらいなら。
自分に出来る最善のことがなにかを考えたほうがましである。
俺にできること……っていったら ―――
いまさっきまで握り締めていた魔剣の柄の感触を、柊は思い出す。
それは愚鈍で野蛮な行為、単純で粗野な振る舞いを否応なく連想させるものでしかなかった。
所詮は、自分が出来ることなどその程度のことでしかない。
それは愚鈍で野蛮な行為、単純で粗野な振る舞いを否応なく連想させるものでしかなかった。
所詮は、自分が出来ることなどその程度のことでしかない。
「だけど……それがどうしたってんだ」
護る相手がいるのなら。戦う相手がいるのなら。
自分に出来るその程度のことが、自分に出来る最善の行為に違いないのだと ――― 柊は自分にそう言い聞かせた。
くるりときびすを返す。志帆とミナリの軽い足音が、とぼとぼと自分についてきている。
肩越しに振り返り背後の様子を窺うと、その視線に気がついて、なんともぎこちない ――― それでもなんとか精一杯の笑顔を浮かべてみせようとする紫帆と目が合った。
「……心配すんな。今夜はもう、帰って寝ちまえよ」
柊の言葉に、紫帆がはにかんだように微笑んで見せた ――― 。
護る相手がいるのなら。戦う相手がいるのなら。
自分に出来るその程度のことが、自分に出来る最善の行為に違いないのだと ――― 柊は自分にそう言い聞かせた。
くるりときびすを返す。志帆とミナリの軽い足音が、とぼとぼと自分についてきている。
肩越しに振り返り背後の様子を窺うと、その視線に気がついて、なんともぎこちない ――― それでもなんとか精一杯の笑顔を浮かべてみせようとする紫帆と目が合った。
「……心配すんな。今夜はもう、帰って寝ちまえよ」
柊の言葉に、紫帆がはにかんだように微笑んで見せた ――― 。
※
ほぼ同時刻。
鳴島市ポートタワー三階。
街を一望できる展望喫茶店を、静かに侵蝕するものがある。
ざわざわ、と。ぷちぷち、と。
肌身を、神経を、それよりもっと奥深い場所を撫で回すようなざわめきが辺りに充満し、すべての生けとし生けるものは、強制的に無力化された。
ただ、二人の人物を除いては。
「ん~。わざわざ《ワーディング》を張るなんて、用心深いんだねえ。あまり他の人には聞かせたくないお話なのかな? あ、それともやっぱり僕と二人きりになりたくて?」
二人のうち一方 ――― 千城寺薫が緊迫感に欠ける間延びした声を上げた。
対面するのは年端もいかぬ少女 ――― プランナーこと都築京香。
《ワーディング》は彼女が展開したものであり、それはおそらく薫の言うとおり、これからの会話の内容が他者に漏れ聞こえることを用心しての配慮であろう。
「貴方の言葉の意図するところとは少々のズレがあるようですが、まあ、おおむねその通りです」
プランナーの答えに、ふむ、と愉しげに鼻を鳴らす薫。しかし、軽口を叩きつつも、彼女を凝視する視線の中には、プランナーを値踏みするような不敵さがある。
「それじゃあ、聞かせてもらっちゃおうかな。この僕になにを望んでいるのかを、さ」
「半分は望み。半分は、貴方への研究支援の申し出です。ただし、研究素材はこちらの提示したものに限られますが」
プランナーの言葉に、薫は片方の眉だけを器用に吊り上げて、へえ、と感嘆の溜息を漏らす。
続けざまに、すぐさまあの人を喰ったような笑みを唇に浮かべると、外国人のような肩をすくめるポーズを取って首を左右に二、三度振った。
「これでも一応はUGNに身を置く研究者なんだよ?」
よりにもよってファルスハーツからの申し出にほいほいと乗るはずがないでしょう? ――― まるでそう言っているかのようだった。しかし、プランナーはすぐに引き下がることはしなかった。
「レネゲイドウィルスの研究。そして、そのテーマの重要度次第では、私たちがひとつの目的の元に手を携え、共同研究を行うという展開も望めると思いますが?」
事実、かつて私たちがそのようにして設立したプロジェクトチームの存在に、前例がなかったわけではありません ――― プランナーはそうも言う。
「ああ~、確かにねぇ~。ただし、それはあくまでも非公式の話でしょ?」
薫の口調に、どこか揶揄するような響きがこもる。
「しかも、時間の経過と共に本来の研究目的は忘れ去られ、研究内容は歪み、ついには封印指定のなされた曰くつきのプロジェクトだって聞いているけど?」
薫がそこで、ウィンクひとつ。
プランナーの笑みが、そのとき初めて“妖艶”から“凄絶”なものへと変化した。
「一研究者では知りえぬことを、よくぞ……私が貴方に白羽の矢を立てたことはやはり間違いではなかったようですね」
「まあ、同じ研究者として興味深い内容のプロジェクトであったことは確かだけどね。でも、そんなに簡単なものじゃないと思うけどなあ。《完全なる人》、なんてさあ」
一瞬だけ、プランナーの瞳に殺意にも似た光が灯ったのを、薫は気がついただろうか。
それは、『この男、どこまでのことを知っているのか』、といぶかしむようでもある。
鳴島市ポートタワー三階。
街を一望できる展望喫茶店を、静かに侵蝕するものがある。
ざわざわ、と。ぷちぷち、と。
肌身を、神経を、それよりもっと奥深い場所を撫で回すようなざわめきが辺りに充満し、すべての生けとし生けるものは、強制的に無力化された。
ただ、二人の人物を除いては。
「ん~。わざわざ《ワーディング》を張るなんて、用心深いんだねえ。あまり他の人には聞かせたくないお話なのかな? あ、それともやっぱり僕と二人きりになりたくて?」
二人のうち一方 ――― 千城寺薫が緊迫感に欠ける間延びした声を上げた。
対面するのは年端もいかぬ少女 ――― プランナーこと都築京香。
《ワーディング》は彼女が展開したものであり、それはおそらく薫の言うとおり、これからの会話の内容が他者に漏れ聞こえることを用心しての配慮であろう。
「貴方の言葉の意図するところとは少々のズレがあるようですが、まあ、おおむねその通りです」
プランナーの答えに、ふむ、と愉しげに鼻を鳴らす薫。しかし、軽口を叩きつつも、彼女を凝視する視線の中には、プランナーを値踏みするような不敵さがある。
「それじゃあ、聞かせてもらっちゃおうかな。この僕になにを望んでいるのかを、さ」
「半分は望み。半分は、貴方への研究支援の申し出です。ただし、研究素材はこちらの提示したものに限られますが」
プランナーの言葉に、薫は片方の眉だけを器用に吊り上げて、へえ、と感嘆の溜息を漏らす。
続けざまに、すぐさまあの人を喰ったような笑みを唇に浮かべると、外国人のような肩をすくめるポーズを取って首を左右に二、三度振った。
「これでも一応はUGNに身を置く研究者なんだよ?」
よりにもよってファルスハーツからの申し出にほいほいと乗るはずがないでしょう? ――― まるでそう言っているかのようだった。しかし、プランナーはすぐに引き下がることはしなかった。
「レネゲイドウィルスの研究。そして、そのテーマの重要度次第では、私たちがひとつの目的の元に手を携え、共同研究を行うという展開も望めると思いますが?」
事実、かつて私たちがそのようにして設立したプロジェクトチームの存在に、前例がなかったわけではありません ――― プランナーはそうも言う。
「ああ~、確かにねぇ~。ただし、それはあくまでも非公式の話でしょ?」
薫の口調に、どこか揶揄するような響きがこもる。
「しかも、時間の経過と共に本来の研究目的は忘れ去られ、研究内容は歪み、ついには封印指定のなされた曰くつきのプロジェクトだって聞いているけど?」
薫がそこで、ウィンクひとつ。
プランナーの笑みが、そのとき初めて“妖艶”から“凄絶”なものへと変化した。
「一研究者では知りえぬことを、よくぞ……私が貴方に白羽の矢を立てたことはやはり間違いではなかったようですね」
「まあ、同じ研究者として興味深い内容のプロジェクトであったことは確かだけどね。でも、そんなに簡単なものじゃないと思うけどなあ。《完全なる人》、なんてさあ」
一瞬だけ、プランナーの瞳に殺意にも似た光が灯ったのを、薫は気がついただろうか。
それは、『この男、どこまでのことを知っているのか』、といぶかしむようでもある。
「それでは、非公式とはいえ私の申し出を受けることは出来ない、と仰るのでしょうか」
「ううん~。それは僕の興味をどれほど引くことができるかによるんじゃないのかなあ~」
乗ると見せかけて引く、引くと見せかけて乗る。
どこまでも本心の読めないのは、プランナーだけではなく薫も同じことであった。
「それでは、私の提示する研究材料が貴方の興味を引くことができれば、申し出を受けてくださるということでしょうか」
「うん。まあ、そうだねえ」
思いの外あっさりと、薫は頷いた。
「ただし、条件があるよ」
「?」
「ひとつ。僕が君から依頼を受けて研究、調査することを、僕は秘密にはしない。必要ならば、僕の友達を通じてUGNにその内容が伝えることもあるかもしれない」
薫が人差し指を突き出した。
「ふたつ。研究のやり方については君たちの指図は受けない。僕には僕のやり方があるからね。君たちみたいに手段を選ばない方法は、僕のスタイルじゃないからね」
続いて中指を立て、ピースサインを作る。
「身勝手な条件をつけたけど、これでも僕に頼むのかい? 研究素材を君たちから分捕り、好き勝手に弄り回した上に、組織にも情報をただ漏れにさせてもらう。そう言ってるんだけどねえ?」
「ううん~。それは僕の興味をどれほど引くことができるかによるんじゃないのかなあ~」
乗ると見せかけて引く、引くと見せかけて乗る。
どこまでも本心の読めないのは、プランナーだけではなく薫も同じことであった。
「それでは、私の提示する研究材料が貴方の興味を引くことができれば、申し出を受けてくださるということでしょうか」
「うん。まあ、そうだねえ」
思いの外あっさりと、薫は頷いた。
「ただし、条件があるよ」
「?」
「ひとつ。僕が君から依頼を受けて研究、調査することを、僕は秘密にはしない。必要ならば、僕の友達を通じてUGNにその内容が伝えることもあるかもしれない」
薫が人差し指を突き出した。
「ふたつ。研究のやり方については君たちの指図は受けない。僕には僕のやり方があるからね。君たちみたいに手段を選ばない方法は、僕のスタイルじゃないからね」
続いて中指を立て、ピースサインを作る。
「身勝手な条件をつけたけど、これでも僕に頼むのかい? 研究素材を君たちから分捕り、好き勝手に弄り回した上に、組織にも情報をただ漏れにさせてもらう。そう言ってるんだけどねえ?」
傍若無人な薫の提案を ――― プランナーは笑顔で受け止めた。
それは、薫の言う諸条件を快く承諾するという意思表示である。
それは、薫の言う諸条件を快く承諾するという意思表示である。
「その条件で結構です。契約は成立、ということですね。それでは、こちらが貴方にお渡しする研究素材となります ――― どうかお納めください」
二人の囲んだテーブルの足元、プランナーの腰掛けた椅子の脚の傍らに置かれていた小さなケースを、彼女は取り上げた。
真っ白なテーブルクロスの上にケースを置き、薫によく見えるように提示する。
カチン、と硬い音を立ててケースの鍵が開かれ、ゆっくりと蓋が開けられた。
二人の囲んだテーブルの足元、プランナーの腰掛けた椅子の脚の傍らに置かれていた小さなケースを、彼女は取り上げた。
真っ白なテーブルクロスの上にケースを置き、薫によく見えるように提示する。
カチン、と硬い音を立ててケースの鍵が開かれ、ゆっくりと蓋が開けられた。
両手で抱えられるほどのケースの中に、衝撃を吸収するためのスポンジ材が隙間なく敷き詰められ、径の太めに作られた試験管が、合わせて七本。
ひゅう、と薫が軽快な口笛を鳴らし、プランナーを見遣る。
「驚いたね! 僕の興味を引く研究素材なんてそうざらにはないけれど、これは文句なしだ!」
目をキラキラ輝かせて、たくさんの玩具を与えられた子供のように歓喜する。
「でも、どうやってこれを? それも、こんなにたくさん?」
薫の問いにうっすらと、あるかなしかの微笑を浮かべてプランナーが応じる。
「ヘルメスのトートにできたことを、私たちが出来ない理由はありません。一番苦労したのは、廃棄された研究資料の復元ですが、一度それさえ完了してしまえば ――― 」
ひゅう、と薫が軽快な口笛を鳴らし、プランナーを見遣る。
「驚いたね! 僕の興味を引く研究素材なんてそうざらにはないけれど、これは文句なしだ!」
目をキラキラ輝かせて、たくさんの玩具を与えられた子供のように歓喜する。
「でも、どうやってこれを? それも、こんなにたくさん?」
薫の問いにうっすらと、あるかなしかの微笑を浮かべてプランナーが応じる。
「ヘルメスのトートにできたことを、私たちが出来ない理由はありません。一番苦労したのは、廃棄された研究資料の復元ですが、一度それさえ完了してしまえば ――― 」
微かな誇りを滲ませて、プランナー曰く。
貴方がご覧になっている通りのものが、出来上がります ――― と。
貴方がご覧になっている通りのものが、出来上がります ――― と。
テーブル上の品。
ケース内に収められた試験管の中。
薄く緑色に着色された溶液に満たされたその内部に浮かぶのは。
ケース内に収められた試験管の中。
薄く緑色に着色された溶液に満たされたその内部に浮かぶのは。
それぞれが異なる形をした石 ――― 銀色に淡く輝く、七つの賢者の石であった。
(続く)