あたらしい君主へ
細かいことは誰かが書いてるでしょうから書きません。
わたしが伝えたいのは2つだけです。
わたしが伝えたいのは2つだけです。
①やりたいこともやりたくないことも正直に言おう
②ただし、①の中で「めんどくさいから」は排除して考えよう
この2つです。
①に関しては文字通りの意味です。我慢や嘘が1番よくありません。
というのも、君主が100%で国を愛せなくなったら終わりだと思うんです。そして、その場はよかったとしても、際どいタイミングやふとした瞬間に踏ん張れなくなったり、どうでもよくなったり前に出れなくなったり、というきっかけになりやすいのが我慢です。
自分の信念を曲げて我慢してしまうことで、自分の理想通りではない国がちょっと不満に感じて盛り上げようという欲が減ってしまったり、自分の意見で決めたわけではないのだからとどこか無責任になってしまったりと、繋がってくるんですね。
というのも、君主が100%で国を愛せなくなったら終わりだと思うんです。そして、その場はよかったとしても、際どいタイミングやふとした瞬間に踏ん張れなくなったり、どうでもよくなったり前に出れなくなったり、というきっかけになりやすいのが我慢です。
自分の信念を曲げて我慢してしまうことで、自分の理想通りではない国がちょっと不満に感じて盛り上げようという欲が減ってしまったり、自分の意見で決めたわけではないのだからとどこか無責任になってしまったりと、繋がってくるんですね。
それに、自分が好きだから/自分がやりたくないからで物事を決定できるのは君主の特権で、そして一般武将から見て最も反論不可能な最強の理由です。
だからこそ、一般武将から見て自分の案が採用されなかったとしても割り切って戦いやすくなります。是非の部分で否定されたというわけではないということになりますし、好き嫌いは容易には覆せないので後悔が生まれづらくなります。
普通に考えると論理的に決めるべきかと思うかもしれませんが、判断の難しい事柄に関してはわたしの考えだとむしろ逆で、どちらもよさそうな場面で自分の案が論理的に否定されたという気持ちを残さないためには、最後は好き嫌いで判断すべきだと思っています。
だからこそ、一般武将から見て自分の案が採用されなかったとしても割り切って戦いやすくなります。是非の部分で否定されたというわけではないということになりますし、好き嫌いは容易には覆せないので後悔が生まれづらくなります。
普通に考えると論理的に決めるべきかと思うかもしれませんが、判断の難しい事柄に関してはわたしの考えだとむしろ逆で、どちらもよさそうな場面で自分の案が論理的に否定されたという気持ちを残さないためには、最後は好き嫌いで判断すべきだと思っています。
②に関しても文字通りですが、決してめんどくさいことをやれとかそういう意味ではありません。
この中には2つのパターンがあって、A.めんどくさくはあるけどどう考えてもやらねばならないことであるパターンと、B.始めるハードルを感じているだけで本音としてはやりたいことをめんどくさいと感じているパターンがあります。
Aパターンに関しては登用が1番わかりやすいかなと思います。多くの人に身近な文章を送るのは人によっては非常に面倒なことですが、やらないと負けるのは目に見えていてやらない選択肢はありません。事前の偵察や移送建設に一斉指令なども、ほかにやる人がいない場合はここに含まれることになります。
Bパターンに関しては、(自分は本当はこういう理由があってX案の方がいいと思ってるんだけど国の流れとしてはみんな気づいてなくてY案が推されていて話し合うのは……)めんどくさいな、というような状況を指しています。
Aパターンは実際にやると本当にめんどくさいけど避けては通れないものですが、Bパターンはいざやってみたら心が軽くなったりするもの、という感じですね。
ほかにも外交交渉など、人対人の関わり合いをここに含む人は多いのではないかなと思います。
Aパターンは実際にやると本当にめんどくさいけど避けては通れないものですが、Bパターンはいざやってみたら心が軽くなったりするもの、という感じですね。
ほかにも外交交渉など、人対人の関わり合いをここに含む人は多いのではないかなと思います。
もちろん信念としてやりたくないという人にまでやった方がいいとは言いませんし、めんどくさいしどっちでもよさそう程度ならばやらなくても構いません。が、めんどくさいけどやったほうがよさそうだと思う時はやりましょう、というくらいの意味合いで捉えていただければなと思います。