沢田光治(1960年9月13日-)は
テレビ仙台のアナウンサー。現在はスポーツ実況を中心に活動中。
同局レポーターの澤田莉緒は実の娘。
来歴
アナウンサーに憧れたのは叔父である沢田哲男(1937-2018,元TSD山形の看板アナ
沢田道則の父)の影響。彼はロッテオリオンズが宮城球場を準ホームとしていた時代に実況を担当していたこともあり、その影響は「楽天よりロッテのファン」という天邪鬼をこじらせるほどのロッテファンになったことにも表れており、例えば佐々木朗希が楽天生命パークで登板した際(IOTにもネット)には実況を担当している。
高校時代はバスケットボールでインターハイ・国体出場を果たしており、89ers戦でも時折「青葉の青い雷電」などと自己紹介したことがある。
1983年テレビ東北入社。ニュース以外での初仕事は1985年10月開始(1991年9月終了)の「ダックシティ・土曜ふれあいスクエア」(丸光=後のさくら野百貨店仙台店で公開生放送をしていた)。この時代に東北各地のダックシティ(青森県八戸市・青森市・弘前市、岩手県釜石市、福島県福島市・郡山市)にも来ていたことが、後の沢田のライフワークでも生かされることになる。
スポーツ実況アナとしてのデビューは1987年、以降東北のスポーツシーンにおいてあらゆるスポーツの実況を担当してきた。2017年に常務取締役に就任後もビッグマッチでは実況を続け、2020年秋で60歳定年となったが、ベガルタサポーターを中心に慰留を望む声があり2022年時点でも実況の仕事は続けている。ちなみに
テレビ仙台の定年は沢田のこともあって2021年に「65歳(以降希望による)」に延長されることになった。その影響から2022年春より
日下達夫がテレビ仙台顧問から制作局長待遇となった。
担当番組
スポーツ関連
その他
(過去の国体・インターハイ等実績)
- 1990年 盛岡スケート国体 アイスホッケー実況担当
- 1991年 宮城インターハイ サッカー・バスケ他担当
- 1992年 山形べにばな国体 サッカー・バスケ担当
この時入社2年目のTSD山形・
野村正就と国体期間中毎晩酒盛りしていたと言う。その後のブランメル→ベガルタ仙台とモンテディオ山形が対決する際などには必ず当時の話をしている。
- 1993年 八戸スケート国体 アイスホッケー実況担当
- 1995年 ふくしま国体 サッカー・バスケ・ハンドボール・アイスホッケー担当
- 1998年 盛岡スケート国体 アイスホッケー実況担当
- 1999年 岩手インターハイ サッカー準決勝・決勝
- 2000年 青森スケート国体 アイスホッケー実況・フィギュア進行
- 2001年 新世紀みやぎ国体 サッカー・バスケetc担当、全体の3分の1を担当した。
現在でも当時の武勇伝を語ることは多い。
- 2003年 八戸冬季アジア大会 アイスホッケー実況担当
- 2004年 バスケアジア女子選手権 実況担当
俗に言う「仙台の奇跡」が起きた大会である。当初予定していた八戸スケート国体を蹴ってこの大会一本に臨んだと言う。
- 2007年 あきたわか杉国体 サッカー・バスケ担当
この時「これで東北は全部制覇しました」と語っている。
上記の通りアジア大会から6年、国体自体9年ぶりだったため「お久しぶりです」と試合冒頭で喋ってしまった。
- 2011年 北東北インターハイ サッカーetc担当
- 2016年 希望郷いわて国体 サッカー・バスケetc担当
- 2017年 南東北インターハイ サッカー・バスケetc担当、ハイライトナレーション
- 2021年 東京オリンピック 女子サッカー・ソフトボール担当
- 2023年 冬季特別国体 実況担当/ダイジェストナレーション担当
- 2026年 青森国民スポーツ祭(予定)
関連人物
- 沢田道則(沢田哲男の息子で元TTH山形アナウンサー。2023年5月13日に「あれから24年・沢田家対決実況」を実施)
- 野村正就(TSD山形アナウンサー)
- 加藤敏孝?(競馬評論家)
- 斉藤晃
- 山口将吉?(TSDバスケットボール解説)
- 市橋雄彦?(同期入社のドラマディレクター)
最終更新:2024年11月25日 21:14