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加藤敏孝(かとう・としたか,1952年9月8日-)は山形県上山市生まれの作家・競馬評論家。息子はスポタイ美穂の元本紙担当・加藤秀孝、作家「摩耶堂聖」こと加藤聖貴(聖孝)。


来歴

  • 大学時代ハイセイコーに夢を見たひとりで、1975年より半世紀にわたり現場主義の評論家として活動している。IOTデビューは1989年のダービーグランプリだが、勝ったスイフトセイダイについて「ロジータに比べたらまだまだ、オールカマーで大井とかには勝てないだろう」と話していた。事実同年東京大賞典でロジータの2着に敗れ、その後満を持して参戦したオールカマーでもジョージモナークの後塵を拝した。
  • 1978年日経新春杯の際に、のちにAJN競馬中継などでコンビを組む塩川幹夫(新潟市生まれ)を初めて出会う。このレースの悲劇性やその後のこの二人が出会う日にアクシデントや波乱が起きることもあって「あの二人には悪魔がついている」と呼ばれることもあった。
  • 2000年代からはフリーになり、地方競馬を主情に活動。中央時代からの山形弁で歯に衣着せぬパドック解説などは健在。
  • 村下秀朗とは彼の亡き弟が大学のサークルで先輩・後輩の仲だったことで面識がある。
  • 競馬と共にコメなどの農産物の血統について理解を深め、「ジャポニカ米のダーレー・アラビアン」として山形生まれの亀の尾を評している。陸羽132号はネアルコ、コシヒカリがロイヤルチャージャー(サンデーサイレンスやブライアンズタイムの先祖)、ササニシキはノーザンテーストと位置付けた。

著作

旅打ち野郎シリーズ
砂の遍路シリーズ
雪に消えたグランプリ(2002年1月3日の新潟競馬場の日記をもとに構成。のちに映像化)
地方競馬仮想戦記シリーズ

関連人物

佐藤航(同じく山形県上山市生まれ、
最終更新:2026年06月27日 05:36