唐突に天より響いてきた声に、馴木沙奈は打ちのめされていた。

淡々と告げられた大量の死。
これだけの人が死んだというそれ自体もショックだけれど。
何より沙奈を打ちのめしたのは、その中に含まれていたクラスメイトの名である。
中でも、恋敵である白雲彩華の名が告げられた事に、彼女は自分でも意外なほどにダメージを受けていた。
それは呼ばれた名の中で良くも悪くも一番関わりが深かったせいだろう。

沙奈と彩華は仲が良かったわけじゃない。
むしろ沙奈は彼女の事が嫌いだった。大嫌いだった。
嫌いだった、けれど、彼女の死を知って、それを喜べるはずもない。
かと言って悲しいかと聞かれればそう言うわけでもない。

なにせ名前が呼ばれただけでは実感がなく、まともに悲しむこともできない。
ただ胸にはポッカリ穴が開いたような痛みがある。
沙奈はその痛みに対して抗う術を持たない。

何をすべきなのか。
何が出来るのか。
何もわからない。
何も考えられない。
何も思いつかない。

何も持たない馴木沙奈は、ただ呆然とすることしかできなかった。

「……なるほどね」

対して、放送を聞き終えたミュートスは一人ごちた。
龍次郎の名が呼ばれる事など初めから心配などしていない。

厳しい表情をしているものの、その態度に動揺した様子はなかった。
だた動揺こそしていないが、その内容に驚きがなかったわけじゃない。

死者は質、量ともに盛りだくさんだ。
僅か6時間の間に全参加者の約3分の1が死んだ。
しかもヴァイザーにハンターにナハトリッターと裏のビックネームも何人か呼ばれている。
まさかノリノリで殺し合いを始めるバカが近藤以外にもこれほどいるとは、流石に予想外だ。

それに追加で発表された制限時間の短縮。
これでは先ほど推察した三日分の食糧の意味合いも変わってくる。
つまり、三日後を想定しての事ではなく、最初から三日もかけるつもりがない。

これは布石だ。
禁止エリアも時間制限の短縮も、正直現時点では大した痛手ではない。
現在の死亡ペースからいって、三時間にしたところで適用される確率は低く、意味は殆どないだろう。

このルールが生きてくるのは、参加者が減り死者の出にくくなる後半である。
だから極端な話、参加者が死ににくくなった終盤に、いきなり1時間でも30分でもすればいい。
どのような理不尽なルールであれ、こちらは享受するしかないのだ。
だというのに、わざわざ少しずつ刻んでゆく必要性とは何か?

プレイヤーにフェアであろうとするゲームマスターとしての矜持か。
それとも真綿で首を締めるのが趣味なのか。
どちらも可能性はあるだろうが、ミュートスが考える結論はそのどちらとも違う。

実質上の制限時間の存在を示す事だ。
制限時間を示すことで、焦りを生み出す意図がある。
三日というのも食糧量からの推察だが、あの男が本当に三日を想定しているかも怪しい。
何しろ目的が全く不明なのだ。
主催者の気まぐれでいつ終わらされてもおかしくない。

(……となると、少し急いで事を運んだ方がいいかしら?)

少なくともいつ爆発するともしれない首輪に関しては早々に解除した方が良い。
行動を促されている感がするのは気に食わないが今は動くしかない。
ミュートスはいまだに呆然としている沙奈へと向き直り、その両肩をガシっと掴んだ。

「え、あ…………ミュートスさん?」

呆然としていた沙奈の瞳が、吸い込まれるように目の前にあるサファイアのような青い瞳を映した。

「沙っちゃん。お友達の名前が呼ばれてつらいとは思う。
 これまで普通の世界で生きてきた彼方には受け止められないかもしれない。
 それをスグに受け止める必要はない、と言ってあげたいところだけど状況はそうもいかないの」

普段は多弁なミュートスだが、慰めの言葉などかけない。
そんな上辺だけの言葉など意味がないと知っているから。
これは沙奈の心が、どう折り合いをつけるかという問題だ。彼女自身が乗り越えるしかない
時間が解決することもあるだろうが、現状はそれをのんびりと待ってはくれない。

「辛くても、それでも今は動きなさい。足を止めれば――――死ぬわよ」

ここはそういう世界だから。そうミュートスは言う。
ここはあの男によって区切られた一つの別世界である。
区切るという事はそれだけで世界を生み出す。
ここは足を止めたものから死んでゆく、そういう世界なのだ。

「すいません、大丈夫です。えっと市街地に向かうんでしたよね?
 大丈夫です…………大丈夫」

自分に言い聞かせるように沙奈はそう呟く。
決心がついたわけでも、心の整理がついたわけでもない。
それでも、今は動くしかない。
ミュートスの突き放すような言葉とは裏腹に、その瞳には真剣さと真摯さがあった。
それは、ひとまず沙奈を動かすには十分なモノだった。

放送と共に止めていた足を動かし始める二人だが、市街地に向かい進むその足取りは重い。
放送前までの軽やかさは失われ、進む速度は亀のように遅かった。
先ほどの考察から事を急ぎたいミュートスだったが、沙奈を急かすでもなく黙って哨戒しながらその歩調に合わせている。

「待って、沙っちゃん。誰かいるみたい」

漠然と進んでいた沙奈をミュートスが片手で制する。
言われて見つめた沙奈の視線の先。市街地に入ったところに一つの人影があった。
警戒を強める二人だったが、それが泣いている子供であると気付くと高めていた緊張を緩めた。

「子供、ですね」
「そうね」
「あの……」
「分ってる」

なにか物言いたげな沙奈の視線にミュートスが先んじて応える。
こんなところで一人で泣いている子供を放っておけないと言いたいのだろう。
この状況で他人に構う余裕があるというより、この状況だからこそだろう。
ミュートスとしても一児の母となろうとする身だ、幼い子供を放っておくのは流石に忍びない。

「ちょっとそこの君」

声に反応し、俯いていた顔が上がる。
そして声の発信源を探るため、辺りの様子を窺うようにキョロキョロと首を振った。
ミュートスたちを発見したその子供は、それが女性二人であることに気付いて、安心したような表情で彼女たちの方へパタパタと駆け寄って行った。

「お姉ちゃんたち、怖い人じゃないよね?」

不安げな声で尋ねてきたのは少女とも少年ともつかない、中学生になろうかという年頃の子供だった。
中性的な外見はまだはっきりと男女の垣根がない年齢だからだろうか。

「そうねぇ。怖いか怖くないかで言うと、ものすごーく怖ーいお姉さんよ」
「……ちょ、ミュートスさん!?」
「けど、殺し合いなんてするつもりはないお姉さんでもあるわ。
 一応あたしたちはこのゲームをぶっ潰そうって側の人間よ」

物騒な物言いをするミュートスに怯えてしまったのか。
若干腰の引けた相手を落ち着けるように、沙奈は少しだけ膝を曲げ相手に視線を合わせながら話しかける。

「えっと、私は馴木沙奈って言うの、お名前聞かせてもらってもいいかな?」
「……クリス
「クリスちゃんか。クリスちゃんはこんな所で一人で泣いてどうしたの?」
「一人で心細くって、怖くって。それに大事なぬいぐるみも無くなっちゃって……ねえ沙奈お姉ちゃん、ぬいぐるみ、知らない?」
「ゴメン、私は心当たりがないや。ミュートスさんは知ってます?」

知らないわ。とミュートスが首を振る。
だが、クリスが反応したのはその回答ではなく、沙奈の問いに紛れたミュートスの名だった。

「ミュートス……ってブレイカーズの?」
「あら、ブレイカーズを知ってるの?」

問い返すミュートスの声のトーンが僅かに下がる。
そうは見えないがブレイカーズを知っているという事は裏の人間である可能性が高い。

「うん。ここで会った佐野さんに聞いたんだ」
「……佐野? ああ、あの弱小組織の弱小怪人ね。それでその佐野はどうしたの?」

現在クリスの側に佐野の姿はない。
そもそも佐野の名は先ほどの放送で呼ばれたはずである。

「わかんない…………佐野さんとは、すぐに別れちゃったから…………。
 佐野さんが言ってたけど、ブレイカーズってもの凄く悪い連中だって、本当なの?」

不安げに上目使いでミュートスを見上げ、瞳を潤ませる。

「そうね。別に正義を名乗るつもりもないし、あたしたちが世間一般で悪と呼ばれる存在であるという事も否定しないわ。
 実際ドギツイことも結構してるしね。あたし自身もあたしたちは悪人だと思ってる。
 けどね漫画やアニメのキャラじゃないんだから、鋳型に入れたような誰にとってもの悪人なんていないの。
 今重要なのは、本人にとって、つまりあなたにとってあたしが悪かどうか、言い方を変えれば役に立つかどうかって話じゃない?
 その辺の基準って自分の中にしかないんだから、自分の目で見て、聞いて、それで自分で決めなさい。
 ま、初対面の人間の何を信じろって話なんだけどさ。それでどう? あなたの目に私はどう映るのかしら?」

子供相手であっても容赦せず、ミュートスは問いかける。

「うぅ。ミュートスさんはやっぱり少し怖いよ……」

正直ね、とミュートスは苦笑する。
ブレイカーズに恨みを持つ佐野から話を聞いたのではそうなるだろう。
この辺の誤解は解くのはなかなか難しい。
というよりそもそも誤解でもないのだからなおの事である。

「そ、そんなことないよ。ミュートスさんはいい人だよ!」

沙奈が慌てたように必死のフォローを入れる。

「怖いか怖くないか、って言ったら…………そりゃ何とも言えないけど。
 何言ってるのかわかんないことも多いし、相手を置いてきぼりにして自分の言いたいこと言っちゃう人だけど。
 頭もよくて美人だし、すんごく強くて頼りになるし。
 確かに悪の組織の人だけど、何も知らない私の事だって助けてくれたし、」
「沙ちゃん、それあんまりフォローになってないから。
 けど、ありがと。特に美人って所は喜んでおくわ」

沙奈へとツッコミを入れたミュートスがクリスへと向き直った。

「少し聞き方が悪かったわね。要するにあたしらを信用して一緒に来るかってこと。
 別に完全にあたしの事を頭から信用しろって訳じゃない。
 あたしの事を行動を共にできるほど信用できないって言うんなら仕方ないわ。
 それにもし一人で居たいというのならば止める気もない。
 ただ、あたしらとしては、あなたみたいな子を放っておくのも寝覚めが悪いし。
 あたしも万能って訳じゃないから保障まではできないけど、ある程度なら守ってあげられるわ。
 それでどうなの? 来るの? 来ないの?」

ミュートスの問いかけにクリスは戸惑うように口ごもる。

「私たちと一緒に来るの、嫌?」

不安げな顔をした沙奈の問いかけに、クリスは勢いよく首を振った。

「ううん。嫌じゃないよ!
 沙奈お姉ちゃんは優しいから好きだし。
 ……ミュートスさんは少し怖いけど、別に嫌いって訳じゃないんだ。
 だから、僕も一緒に行っても……いいの?」
「いいに決まってるよ。よろしくねクリスちゃん!」
「うん! ありがとう! 沙奈お姉ちゃん」

そう言って勢いよくクリスは沙奈に抱きついた。
戸惑いながらも、沙奈はその頭を撫でてクリスを落ち着かせる。

庇護対象を得たことで沙奈の心に若干の余裕が生まれたのか
胸の中に納まるクリスの体温を感じながら、改めてその小ささに気付かされた。
こんな小さな子供が巻き込まれているという事実に、沙奈の中に改めてふつふつと怒りがわいてくる。

「まったく。こんな小さな女の子まで巻き込むなんて、本当に許せませんよね!?」

そう言って握りしめた拳を振るわせる沙奈。
クリスはきょとんとした顔で沙奈を見る。

「沙奈お姉ちゃん。僕、男の子だよ?」
「えぇー-! うっそぉ!?」

衝撃のカミングアウトに戸惑う沙奈。
となると抱きつかれているこの状況は想い人がいる身としてはマズイ気がしないでもない。
ひとまず、こほんと一つ咳払いをして先ほどの発言を訂正する。

「こんな小さな男の子まで巻き込むなんて、許せないですよ!
 大体ミュートスさんみたいな妊婦さんまで巻き込むなんて、本当に何考えてるんでしょうね!?」

気恥ずかしさを紛らわせるように、ぷんすかーと気合を入れて怒りをあらわにする沙奈。
その怒りをよそに、別の所にクリスが大きく食いついた。

「妊婦さん? ミュートスさん赤ちゃんいるの!?」
「まあね。といってもまだ三ヵ月だから、全然腹も出てないけど」
「いいなぁ。すごいなぁ。ねえミュートスさん、触らせてよ!」

うきうきとした態度でクリスは純粋な子供の笑みを浮かべた。

「まだ動きもしないし触ってもつまらないわよ」
「それでもいいから! ねーいいでしょ?」

しつこくせがむクリスに、ミュートスは困ったように眉をひそめる。
その様子を沙奈は微笑ましいものを見る顔で眺めていた。
クリスの無邪気さに、落ち込んでいた雰囲気が僅かに和らいでいるのを感じていた。

「もぅ。仕方ないわねぇ」

子供の我侭なんて断ってもきりがないと、溜息交じりにミュートスが折れた。
許可を得たクリスはわーいと無邪気に喜びながらミュートスの腹部に触れ。
同時に、水音が響いた。

「え?」

何が起きたのか。
傍から見ていた沙奈には理解できない。
その動作は余りにも自然で、彼女には違和感を感じることすらできなかった。

「ねぇ『直接』触らせてよ」

天使の笑みのまま、返り血を浴びたクリスは容赦なくミュートスの腹部に突き刺したナイフに捻りを加える。

「っ……この…………!」

だが、その直前でミュートスはその手首を掴み、ギリギリでその動きを制した。
ミュートスがギリと歯を噛み締め、悲痛なまでに顔を歪める。
それは肉体的な痛みよりも、精神的な痛みの方が大きい。
刃は胎児までは届いていない。中の子供は無事であるミュートスは確信している。
いや、そう信じなければ、大事な何かが崩壊してしまう。

沙奈に抱きついた時点で、クリスは沙奈が完全な素人であることは察した。
ぬいぐるみの行方も知らないみたいだし、これ以上彼女らに付き合う必要も警戒する必要もなくなった。
後は佐野から聞いた厄介そうなブレイカーズの一員であるミュートスを己の特技を生かして排除すればいいだけである。

『玄人殺し』。それがクリスの殺し屋としての異名である。
場馴れした玄人ほど騙しやすく、どんな相手でも先手を取れる。
不穏な動きがあれば、とミュートスも最低限の警戒はしていたが、『玄人殺し』相手に最低限では足りなかった。

だがそれでも、全盛期のミュートスであれば、この不意打ちも躱せただろう。
相手が子供でなければ、こんな油断はしなかった。
子を身籠ったことにより、無意識なレベルで彼女は子供に対して甘くなった。
弱くなってしまった。

加えて、最初に出会ったのが沙奈というのも不運だった。
沙奈と出会ったことによりこの場には一般人もいるという認識を持ってしまった。
ここに来た当初の参加者は全員、裏の人間であるという認識を持ったままならば対応も可能だっただろう。

「沙っちゃん、行きなさい!」

腹に突き刺したナイフを押し込もうとする相手の腕を抑えながら、怒鳴りつけるような声でミュートスが叫ぶ。
倒れるつもりは毛頭ないが、彼女がいては戦いづらいし、なにより万が一という事もある。

だが、ミュートスの声に対して、未だに事態についていけないのか、それとも足がすくんでいるのか沙奈は動こうとはしなかった。
いつもそうだ。
許容量を超える出来事に出合うと、彼女は途端に動けなくなる。

「止まるな! いいから走れぇ! 馴木沙奈!」
「ッ!?」

怒鳴り声に弾かれるように沙奈は動いた。
僅かにつんのめりながらも、一心不乱に脇目も振らす駆け出して行く。
クリスの特性からいって、手口を知っている人間に逃げられるのは非常に大きい痛手となる。

「あ、待ってよ沙奈お姉ちゃん。逃がさない……っ!?」

手負いとなった目の前のミュートスをさっさと片付けて、沙奈の後を追おうとするクリスだったが、その動きは右腕に奔った痛みに止められた。
ミュートスに掴みあげられた腕がミシリと軋みを上げる。

「舐めぇとったらいかんぜよ! こんクソジャリがぁ!」

声を荒げ叫ぶミュートス。
パキパキと焚火のような音を立てて、その皮膚が彫刻のように高質化してゆく。
象られるのは輝くような白銀の鎧。朝日に照らされ純白の衣が羽のように揺れた。
変貌を遂げた、その姿は神々しさすら感じられる。

それはギリシャ神話における芸術と戦いの女神アテナの化身――――アテナモストロが顕現する。

「痛いってば! ねぇ、離してよ。おばさん…………ッ!」

クリスは凄まじい握力で右腕を掴まれながら、左腕の袖口から滑るようにデリンジャーを取り出した。
その銃口は頭部に向けられ、眉間に一発。眼球狙いで一発。計二発のヘッドショットが叩き込まれる。

ミュートスは咄嗟に仰け反るように顔を斜めに逸らす。
その結果、一発は頭部を掠め頭蓋を滑り、一発は直撃を避けたものの眼球を霞めた。

「っ…………ぁ」

右目を抉られミュートスが苦しげな声を漏らす。
ギリシャ神話において、アテナと同じく戦争を司る戦神アレスが攻戦の神であるとするならば、アテナは防戦の神である。
本来であればアテナモストロと化したミュートスを傷つけることなど、核を持っても難しいだろう。
だが、その鉄壁を誇る防御力が、ただの小銃の弾丸によってあっさりと破られた。

怪人の中でもとりわけ強力な力を持つ神話怪人であるが、伝承に伝わる元ネタと乖離するほどその力は失われてゆくという欠点を持つ。
アテナとは永久に純潔を守る処女神である。
故に、その純潔を失った時点で、その力は大きく劣化している。
この事実は彼女自身と改造を施した藤堂兇次郎しか知らない。

ゴルゴネイオンもイージス盾も失われた。
今の彼女が顕現できるのはアテナが生まれながらにして身に着けていたとされる鎧のみである。

当然覚悟はしていた。
様々なところで相当な恨みも買っている。
こんな状況になる事も想定したうえで受け入れたのだ。
そのリスクを承知の上で愛する男に抱かれ、その子を宿した。

だから決して、死ぬために受け入れたわけではない。

視力が失われた右目の死角から、ナイフを持ったクリスが迫る。

「ガキの顔見るまで死んでやるもんかってぇのッ!
 ブレイカーズの幹部を、嘗めんじゃ、ないわよ…………!」

自らを奮い立たせる叫びと共に、振るわれたサバイバルナイフの刃を腕部の鎧で弾く。
むき出しの部分はともかく、鎧部ならまだナイフや弾丸程度なら受け止められる。
そしてそのまま腹部のダメージを堪えながら、ミュートスは反撃に転じる。
衰えようとも力を是とするブレイカーズの幹部が、一介の殺し屋ごときに後れを取っていいはずがない。

「ッ!?」

下からの衝撃。
次の瞬間、クリスの小さな体がビルの三階ほどの高さまで打ち上げられた。
何もない空間から出現し、クリスを下顎を打ったそれは、急成長したオリーブの木だった。
都市アテネの支配権を海神ポセイドンと争った際、住民にオリーブの木を送りアテナが支持を得た逸話から、アテナモストロはオリーブの木を自在に生み出すことができる能力を持つ。

打ち上げられ、空中で何とか体制を整えたクリスは、回転しながら衝撃を分散させ着地する。

「…………本当に変身するんだ。面白いなぁ」

たらりと垂れてきた鼻血を拭いながら、珍しい玩具を見るようにクリスは目を輝かせる。
話には聞いていたが実物を見ると感動も一入である。

目の前の玩具をどう壊すか。
劣化した模造品とはいえ、敵は神である、生半可な武器など通用しない。
むき出しの部分はともかく、拳銃やナイフで鎧部分を通すのは難しい。
ならば、とクリスの顔に昆虫の羽をもぎ取るような子供特有の残酷な笑みが浮かぶ。

そしてクリスは佐野蓮から奪い取った荷物の中から、神を刈るに相応しい道具を手に取った。

「――――――シッ」

荷物を漁り僅かに動きを止めた隙を見逃さず、ミュートスがクリスの周囲八方を取り囲むようにオリーブの木が生み出した。
生み出された木々は一瞬で大樹へと育ち、出口などない大樹の檻がその中心にいるクリスを圧殺すべく迫る。

瞬間。その檻を食い破るように、馬の嘶きのようなけたたましい音が響いた。

檻の中央から響く異音。
それ共に、オリーブの大樹が根元から両断された。

切り開かれた前方を見つめ、後方の木の幹を蹴り飛ばし飛び出すクリス。
その手に握られていたのは巨大なエンジンのついた電動式の刃。

チェーンソーである。

足止めに生み出される木々を次々と切り裂きながらクリスが駆ける。
元より森林伐採用の道具なのだ。
立ちふさがる大樹を伐れない道理がない。

そして、そのままミュートスに迫ったクリスは、一気にチェーンソーを振り下ろす。

「くっ…………!?」

ミュートスはなんとかその一撃を両腕のガントレットで受け止める。
ズギャギャギャと何かを削るような音と共に、噴水のような物凄い量の火花が散った。

「ハハハッ!」

クリスの笑み。
負傷したミュートスの腹部から血と共に力が抜ける。
回転する鋭利な刃の圧力に耐え切れず、弾けるように籠手が吹き飛び。
振り下ろされた勢いに力負けして、ミュートスが膝をついた。

クリスは振り抜いたチェーンソーの勢いを止めず、その場で独楽のように回転した。
体制を崩したミュートスに向かって、遠心力を込めた第二撃が迫る。

殺し屋であるクリスが相手の弱点を見逃すはずがない。
軌跡からして狙いは腹部だ。
それは母としての本能か。
その狙いを読み取ったミュートスは咄嗟に身を抱くように腹を庇った。

「――――――ハズレだよ!」

だが、それはそうなる事を見越したクリスの誘いだった。
隙だらけとなった、首に向かってチェーンソーの軌道が強引に跳ね上がり、その首をいとも簡単に両断した。

上空に舞い上がったミュートスの首が地面に落ちた。
残ったのは首を失ったアテナモストロの死体である。
高質化した彫刻のように白く美しい肌。
サモトラケのニケのようでもあり、これはこれで一種の芸術品のように美しい。

だが、それはそれ。
もう遠くまで行ってしまったであろう沙奈を追う前にやるべきことがある。

「赤ちゃん~♪ 赤ちゃん~♪」

鼻歌交じりにクリスは再度チェーンソーのエンジンを掛ける。
回転するチェーンソーの刃。
それを動かなくなったミュートスの腹部に絶妙の力加減で突き刺すと、一気に股下まで振り下ろす。
そして、その傷口に何の躊躇いもなく手を突っ込み、グチョグチョと音を立てながら中身を漁ってゆく。

「うーんと、えーっと……あ、これかな!?」

ミュートスの腹部を漁っていたクリスは手ごたえを感じる。
目的の物を握りしめると、一気に引きずり出す。
紐の様なものと共に引きずり出されたのは、辛うじて人型をしている拳大の肉片だった。
血まみれのそれをまじまじと見つめ、クリスは素直な感想を漏らした。

「気持ち悪い」

【大神官ミュートス 死亡】

【D-5 市街地/朝】

【クリス】
[状態]:右腕亀裂骨折、ダメージ(中)
[装備]:サバイバルナイフ、チェーンソー、レミントン・モデル95・ダブルデリンジャー(0/2)
[道具]:基本支給品一式、ティッシュ、41口径弾丸×10、ランダムアイテム1~5、首輪(佐野蓮)、首輪(ミュートス)
[思考・行動]
基本方針:優勝して自分が姉になる
1:表向きは一般人を装い、隙を突いて殺す
2:手口を知ってる馴木沙奈を探し出して殺す
3:ぬいぐるみを探す
4:姉に褒めてもらうために殺し合いで起こった出来事をノートに書き記す
5:姉に話す時のために証拠として自分が殺した人間の首輪を回収する
※佐野蓮からラビットインフルとブレイカーズの情報を知りました

朝日が照り始めた市街地を、馴木沙奈は走る。

息が切れることも忘れて走っていた。
足がもつれて躓きかけても。
曲がり角を曲がりきれずに塀に体をぶつけても。
ただがむしゃらに走り続けていた。

何処をどう走ったのか。
ここはどこなのか。
そんな事もわからないくらいに。

彼女の頭の中はぐちゃぐちゃだ。

突然巻き込まれた殺し合い。
悪の組織の女幹部との出会い。
爆破される旅館。
クラスメイトの死。
恋敵の死。
少女のような少年。
一時の安息。
血塗れたナイフ。
ミュートスの叫び。

全ての考えがまとまらず、ただ頭の中を過っては消える。
あの時何が起きたのか。
そんな事すらも何も考えられない。
今の彼女にできるのは、言われた通りただ走る事だけだった。

もはや何故走っているのか。
何のために走っているのか。
何処に向かって走っているのか。
そんな事すらわからなくなる。

もはや彼女には何もわからない。

何も。

というより、考えることを放棄している。
考えてしまえば、何か恐ろしいものに追いつかれてしまう気がして。
追いつかれてしまえば、足を止めてしまいそうだから。
ここは足が止まれば死んでしまう世界。

それだけが、唯一彼女の知る真実だった。

【C-6 市街地/朝】
【馴木沙奈】
[状態]:混乱
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]
基本行動方針:ゲームから脱出する
1:?????


068.彼にとっての罰 投下順で読む 070.ハーヴェスト
時系列順で読む
ああ、それにしても腹が減る…… 馴木沙奈 悪童死すべし
大神官ミュートス GAME OVER
Amantes amentes クリス 護ろうと思った子は、オトコの娘でした

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最終更新:2016年03月02日 17:33