座禅を組んだ体制で不動であった船坂がゆっくりと目を開く。
目を開いたと言っても眠っていたわけではない。
傷ついた体を癒すために瞑想をしていただけである。
船坂にとって動かない事こそが何よりの回復手段なのだ。

船坂弘は『凍れる時の呪い』を病んでいる。

それは連邦の魔道王ラスプーチンを打倒した際に、その代償としてかけられた呪詛の名前である。
存在そのものを永劫にその瞬間に縛り付ける、本来であれば指一本動かすことができないはずの最上級の呪詛だ。
にも関わらず、船坂が常のように動いていられるのは、その体に抗体が存在するからである。
それは毒の抗体のモノであり、呪術を扱う呪術師はその脳が変化し、呪術に対して抗体を持つ。
そのため、呪術師にはとかく呪術が効きづらい。

そういう意味では、むしろ超一流の呪術師である船坂に対して呪いをかけたラスプーチンの実力が規格外であると言えるだろう。
加えて、呪詛とは術者の死によってその力をを強める特性を持つ。
魔道王ラスプーチンの死を持って完成した時の呪詛は如何に魔人皇と言えど解呪は不可能であった。

凍れる時の呪いを受けた瞬間から、船坂の肉体は停止している。
外的要因により一時的に状態が変化しようとも、保持された時間へと時が逆行して維持される。
脈拍や呼吸も止まるが、代わりに細胞の劣化、分裂。いわゆる老化もしない。
その肉体は永劫、傷つきもしない代わりに成長もしないのだ。

それは、いかな修練を積もうともこれ以上の成長は見込めないという事を意味していた。
だが成長の停滞は既に戦士として完成している船坂にとっては大した痛手ではない。
むしろ状態を維持しようとする特性を戦闘に生かし、より高い不死性を得る始末である。

だが、すべてが静止した世界の中で、ただ一つの例外が存在する。
それは記憶だ。
記憶だけは巻き戻ることなく積み重ねられ、一週間でリセットされるなどという事はない。
もっと具体的に言うのならば脳である。
脳とは呪術師の核であり、その耐性は他の部位とは比べ物にならない。
然しものラスプーチンの呪詛とはいえこの領域までは侵すことは叶わなかった。

それ故に弱点でもある。
血流すら止まっている状態では脳に酸素を送る仕組みが必要となるし。
呪いの例外である脳だけには時の逆行は適用されないため、脳を破壊されれば再生する術はない。
もっとも、脳を潰されれば死ぬというのは生物として当たり前のことではあるのだが。

座禅を組んだ体制のまま船坂が手を握り開く。
その動作を二、三度繰り返し、己の状態を確認する。
動作に不備はなく、握る力に不足もない。
4時間ほどの瞑想を経て、その肉体は殆ど初期状態(かんぜん)に戻っている。

状態の確認を終えた魔人皇が重い腰を上げた。
船坂が動き始めた理由は、ある程度のレベルまで回復したと言うのもあるが。
瞑想中も周囲に張り巡らさせていた警戒線に、何者かが引っかかっる気配を感じたからである。
感じる慌てたような足取りは、駆けるというより逃げるという表現が似合う。
どう考えても素人のそれではあるのだが、確認しない訳にもいくまい。
近づく気配へと向けて魔人皇が歩を進めた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


馴木沙奈は走っていた。
漠然とした形容しがたい死の恐怖に追われ。
背後に迫る死神に追いつかれないようにただ走っていた。

文武両道を目指し、それなりに努力してきたが、それもあくまで一般の範囲である。、
スポーツは好きだが、彼女の日々は忙しく、運動部などに属せていたわけでもない。
そんな彼女が、ペース配分も考えずがむしゃらに走り続ければ体力の限界などすぐに訪れる。

「ハッ―――ハッ――――!」

限界を迎え、これ以上走れないと心臓が悲鳴を上げてそのうち足が止まった。
止まった途端に疲労が圧し掛かるように全身に襲い掛かり、倒れこみはしなかったものの膝に手を付き肩で息をする。
熱病にでも侵されたように体が熱く、肺が飛び出しそうなほど呼吸が苦しい。
酸欠で脳がくらくらする。これ以上は一歩も動けそうになかった。

「おい」

そんな彼女に声がかかった。
重く芯の通った、野太刀のような声だった。
声に導かれるように自然に顔が上がる。
膝に手を付いたまま顔を上げれば――――そこには魔人が立っていた。

「ひっ…………!」

目に見えぬ風に吹き飛ばされるように沙奈がその場にへたり込んだ。
恐怖により腰が抜けた、足の震えは疲労によるものだけではない。
動けない、どうあがいても逃げ出せそうにない。

それは包み込むような強さを持っていたミュートスとも、徹底的に牙を隠したクリスとも違う。
ただそう在るだけで相手を威圧し全てをひれ伏させる。
何一つ隠す必要のない絶対的な強者の佇まい。

足を止めれば追いつかれるという、漠然とした死の予感。
その予感は正しかったのだと、目の前にいる死の塊が告げていた。

だが対する魔人は、尻もちをついた体制のまま動く事も出来ず震える少女の様子を気にせず、その背格好や年の頃だけをつぶさに確認していた。
そして納得がいったのか、一つ頷くと。

「――――娘。お前は朝霧舞歌の学友か?」

そう少女に向かって問いかけた。

「…………え? あ、朝霧、さん?」

何故この状況でこの魔人の口からその名が出てくるのか。
一瞬彼女にはわからなかったが、すぐにその問いをかみ砕き、その意味を理解し答えを出すべく考える。

朝霧舞歌を知っていると言えば知っているが、クラスも違うし特別親しかったわけではない。
舞歌が属していたのは一芸入試の特待生と学園の覇者、白雲彩華の息のかかった人間だけで構成された特殊組、Sクラスである。
本来であれば一般生徒である沙奈には関わりのないクラスであったのだが。
沙奈の学園生活は三条谷錬次郎を巡る日々であり、彼のいるクラスへは足繁く通っていた。
そのため、Sクラスの面々は目立つ連中ばかりだったという事もあり、ともすれば自分のクラスの人間よりも知っている。

だが彼女らと積極的に交流を持っていたという訳ではない。
錬次郎を狙う彩華への牽制でそれどころではなかったし、朝霧と親しくしていたのは別のグループだったと記憶している。
正直友達かと問われれば微妙なところなのだが、今回の場合はただ学友かと問われているのだからイエスと答えればいい。

だというのに彼女は地上に揚げられた魚のように口をパクパクさせるだけで言葉に詰まり答えることが出来なかった。
彼女にとっての問題は事実ではなく、どう答えるのが正解なのか、である。
ここで返答を間違えば殺される。何もわからない彼女でもそれだけは分かった。

イエスと答えるのが正解なのか。
ノーと答えるのが正解なのか。
彼女にはそれが分からない。

目の前の魔人と朝霧舞歌の関係性が敵なのか味方なのか不明である以上、答えなど出しようがないだろう。
だが、このまま沈黙を続けるのもまた悪手である。
相手が痺れを切らす前に、わからなくとも何か答えを出さなければ。

「…………はい。そう…………です」

みっともない程に震える声で、何とかそれだけ答えた。
何が正しい変わらない以上、結局は事実を語るしかできず、ただ震えながら魔人の裁定を待つことしか彼女にできることはない。
決死の想いで紡がれた答えに対して魔人はただ、そうか。とだけ頷いた。

船坂はクロウとその仲間には手を出さぬという約定を交わしている。
今の問いはその判断をするためのものである。
クロウとの交戦中に彼女の記憶を垣間見たものの、あの瞬間見えた記憶は断片的なモノでしかなく、痛烈に印象づいた数名以外との関係性は未だ不明である。
故に約定を護ろうとするならば手間ではあるが、それと思しき相手に直接聞いて判断するしかない。

何とも不確かな方法ではあるのだが、国を治める長として言葉の真偽が分らぬ魔人皇ではない。
沙奈の言葉は真実であると船坂はそう受け入れた。


「ならば、これは貴様に托そう」
「…………っ!?」

これ以上に凄惨な体験をした直後だからだろう。
悲鳴を上げなかっただけでも及第点と言える。
船坂が荷物の中から取り出したのは、朝霧舞歌の死体だった。

「女だてらに見事な戦士だった。仲間である貴様の手で弔ってやれ」

丁重に物言わぬ舞歌の体を扱いながら、神妙な面持ちで船坂は言う。
だが、そんなことを言われても沙奈には分らない。

沙奈は朝霧舞歌の家族構成はおろか住所すら知らない。
葬儀の段取りも家族への連絡も不可能だ。
いや、そもそもそんなことをする義理も義務もない。
戦士を弔えと言われても意味が解らない。

決定的なまでに価値観が違う。
こんなものを押し付けられて感謝する訳がない。
だが、死体を突きつける船坂側に悪意なく、むしろ善意のつもりなのだろう。
全力で断りたくとも断れるわけがない。
魔人皇を前に、平民である彼女に拒否権など存在しないのだ。

どうやら話の流れ的に舞歌の仲間であるから見逃されているらしいという事は流石に沙奈にだって分る。
ここでその死体を無碍に扱えば殺されるだろう。
何とか方法はないかと、ここまで考えたのは生まれて初めてなんじゃないかという勢いで全力で頭を回転させる。

「あの、私…………荷物……失って、て」

極力相手を刺激しないように、たどたどしくも言葉を紡ぐ。
その言葉に、それがどうしたという風に疑問の視線を送る船坂。

「えと……だから、その、運ぶにも…………カバンがないと…………困る、っていうか。
 私……あんまり、力なくて……………………ですね」

参加者に配られたデイパックには質量を無視する力がある。
船坂の荷物に人一人の質量が容易く収まっていたのもそのためだ。
どういう理屈かは不明だが、これを用意したワールドオーダーのデタラメさを考えればそれも納得せざる負えないのだが。

その入れ物を失ってしまった以上、沙奈には舞歌の死体を運ぶ術がない。
まさかそのまま人一人を背負って行動、というわけにもいかないだろう。
というのが彼女の言い分であるようだ。

「なるほど」

それなりに理に適った言葉に納得したのか、それもそうだと、船坂は自らの荷物の中に死体を収めた。
その様子に沙奈は胸をなでおろす。
ある意味で荷物を失ったのは幸運だったと言えるかもしれない。

「それまでは、私が預かっておくとしよう。
 それで、その荷は何処で失ったのだ?」

まさか拾いに行けとでも言うつもりかと察し、慌てた沙奈がワチャワチャと身振り手振りを交えて先んじて弁明を始める。

「え…………? あ、あの……! それがですね。荷物に爆弾を仕込まれまして。
 爆散したから取り戻そうにも、もうないと言いいますか…………!」
「その爆破を受けてそれでここまで逃げてきた、という訳か?」

限界まで走り抜き、明らかに何かから逃げてきた様子を気にしてか船坂は問う。
近くに敵が迫っているのならそれに対応しなければならない。

「いや……そういう訳じゃない、んですけど……ここまで逃げてきたのは…………その」

そこで沙奈は言葉に詰まる。
ここまで逃げてきた理由。
その苦い記憶が呼び起される。

「どうした?」
「ッ…………!」

船坂からすれば、何故急に言葉を止めたのかとただ問うただけなのだが。魔人皇の言葉は一般人には強すぎる。
沙奈からすれば先を話せと脅迫されているように感じられるほどだ。

「その……爆破からは、助けてもらって、大丈夫……だったんですけど…………。
 その後、あの、別で襲われ、いや、襲われたっていうか…………クリスくんって子を見つけて……話しかけて。
 それで……その子が大人しかったのに…………いきなり、小さな子供なのに、刺して、一緒にいた人が…………て。
 …………私は、逃げろって言われて…………それで……それで」

そこまで言って沙奈は黙り込んでしまった。
途切れ途切れでうまく要領を得ないが、無害な子供を装った相手に同行していた仲間が殺されたという事らしいと船坂は理解した。

だが、その程度の伏兵は戦場において珍しいことではない。
爆弾を抱え突撃してくる少年兵など船坂は見飽きるほどに見てきた。


「その栗栖とやらは貴様らの仲間ではないのだな?」
「ッ! そんな訳! …………ない、です」

あの悲劇の大本は、沙奈がクリスを仲間として受け入れたしまったのが原因である。
その失策を責められているような気がして一瞬沙奈は激昂するが、すぐに誰を相手にしているかを思い出しその語尾は弱くなっていった。
もっとも、船坂にとってその問いはクロウとの約定に違反しないかの確認でしかなく。
言葉遣い程度で目くじら立てる程、小さな男でもないので、端から沙奈の杞憂ではあるのだが。

「そうか。では娘。その栗栖とやらの下へ案内せよ」

悪童死すべし。
船坂自身はともかくとして、この手の輩にはこれまでも何人もの仲間が犠牲になっている。
獅子中の虫は、正体が知れた時点で早急に討つべきだ。

「それは……………………無理、です」

だが、そしてそれはつまり、沙奈にあれ程怖くて逃げてきた道を戻れと言っているに等しい。
死地に自らの足で舞い戻るなど沙奈には不可能だった。
だが、その程度の懸念は理解していたのか、安心させるように魔人皇は言う。

「心配するな。私にゆだねておけ。どのような相手であれ貴様に手出しはさせん」

だが、魔人皇が理解していないのは恐怖の対象に自身も含まれているということだ。
その発言は逃さないと言っているようなものである。
前門の暗殺者、後門の魔人皇。
これで沙奈は前にも後ろにも立ち行かなくなった。

こうなってはどうしようもない。
全てを諦めたように沙奈はこくんと首を折る。
断ってこの場で死ぬか。
従って巻き込まれて死ぬか。
沙奈にとってはその程度の違いでしかない。
もう彼女はどうしようもない諦観の境地だった。

だが沙奈は知る由もないが、クロウとの約定がある以上、少なくとも船坂が彼女を殺す事はない。
いや、例えクロウと交わした約束がなくとも、船坂は沙奈を斬りはしなかっただろう。

戦争と言えど人の営みである以上ルールはある。
国際法に基づき非人道的兵器などの使用は禁止されているし、戦う牙を持たぬ女子供には手を出そうとも思わない。

これに関しては船坂も勘違いをしていたのだが。
魔獣、修羅、小龍、氷使い、吸血鬼。
この地で船坂の出会った人物が皆戦士であったため、集められた人間はどのような形であれ、みなそうであると船坂はそう思っていたのだ。
いや、戦士でなくとも彼の収める大日本帝国民であれば戦場に出ぬ一般国民でも心構えはできている。
だが目の前にいるのはそれ以下の戦う心構えすらない赤子に等しい存在だった。
如何に魔人とはいえ、拳の握り方も知らぬ赤子は斬れぬ。

「では道案内を頼むぞ。そういえば名を聞いていなかったか」
「沙奈…………馴木沙奈、です」

名をかたる声は、少女には似つかわしくない全てを諦めたような低い響きだった。
恋に生きた輝く瞳はもはや光を失っている。
もはや考える事すらやめたのか、その口元には卑屈な笑みが張り付いていた。

「そういえばこちらも名乗っていなかったか。
 私は大日本帝国を総べる皇、船坂弘である。
 では改めて道案内を頼むぞ沙奈」

そんな余人の苦悩など、魔人皇の知るところではない。
自らの目的へ向け、振り返りもせず顧みもしない。
魔人皇は王道を往く。

【B-6 住宅街/午前】
【馴木沙奈】
[状態]:恐怖、諦観
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]
基本行動方針:ゲームから脱出する
1:クリスの下へ船坂を案内する
2:逃げたい

【船坂弘】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム0~1、輸血パック(2/3)、朝霧舞歌の死体
[思考]
基本行動方針:自国民(大日本帝国)とクロウの仲間以外皆殺しにして勝利を
1:クリスを排除する
2:クロウの仲間は殺さない
3:長松洋平に屈辱を返す

086.護ろうと思った子は、オトコの娘でした 投下順で読む 088.目指せMVP
082.魔法使いの祈り 時系列順で読む 090.太陽のKomachi Angel
Child's Play 馴木沙奈 想う心
友のために/国のために 船坂弘

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最終更新:2015年06月15日 14:17