「…………ぅうん」

僅かな肌寒さを感じて、意識を失っていた錬次郎が目を覚ます。
吹きすさぶ隙間風に晒されながら、錬次郎はどういう訳か冷たい地面にキスをしていた。
気だるい体をゆっくりと起こし、申し訳程度に顔を拭う。
何故こんな体勢で眠っていたのか、混濁する記憶を一つ一つ思い返して、状況を認識する。

自らの魅了体質を活かして、出会ったりんご飴という少女を利用しようとした所までは覚えているが、そこでぶっつりと記憶が途絶えていた。
そして鳩尾あたりには鈍痛がある。
女を取られたという男たちからリンチを喰らい気絶した経験と照らし合わせて考えるに、殴られて気絶させられたと考えるのが妥当だろう。
つまり、少女を利用しようと言う目論見は、あっさりと失敗したという事である。

勝てると踏んだ勝負に負けた錬次郎だが、彼の心中に落胆という感情は訪れなかった。
何故なら落胆よりも強い、燃えるような感情が彼の心を支配していたからだ。

それはマグマのように煮えたぎる復讐心か? いや違う。
自らを昏倒させ、あまつさえ荷物を全て奪っていったりんご飴を、彼は恨んですらいなかった。
告白を袖にされ、拳で打ちのめされ、目論見を破壊され。それでも恨むどころかこう思った。

この惚れ薬の誘惑を振り切るだなんて、何と意志の強い女性(ひと)なのだろうか、と。

錬次郎が告白することで、落ちぬ女はいなかった。
いやそれ以前に、彼が告白するまでもなく女の方から群がってくるのが常である。
理性をなくし、肉欲を露わに、襲い掛かる色欲の権化。それが女だ。
多くの女を例外なく魅了してきたからこそ、錬次郎を振るというその特異さは綺羅星の如く輝いて見えた。

有体に言うと、錬次郎はりんご飴に偽りではなく本気で心惹かれてていた。

あれ程にべもなく振られ、告白の返事に拳を返してくるような相手に惚れるなど、おかしな話だと思うかもしれない。
だが、彼の恋愛基準は通常の基準とは大きく異なっていた。

彼にとっての恋は、己が愛されていないことを前提としている。

それは恋愛観として成立していない。
成立を望まぬ時点で恋愛として致命的にまで矛盾している。
故に彼の恋は叶わない。叶うときは破綻の時だ。

見守るだけでいいという達観した恋愛観を持っているという訳でもなく。
それは片思いなどと言うそんな生易しいものではなかった。

欲望をむき出しした女どもの醜い姿を、彼は嫌と言うほど見てきた。
彼にとって愛欲とは醜さの象徴であり、色欲とは打破すべき悪徳だ。
つまり求められることは恐怖と同義である。
故に、彼は己を愛する人間を愛する事が出来なかった。

密かに憧れていた麻生時音に対してもそうだ。彼女は彼ではない別の誰かに恋をしていた。
自分を愛さない彼女かだからこそ、素直に錬次郎は時音に憧れる事が出来たのだ。

もちろんそれも制御薬により惚れ薬の効果を抑えていた状態での話だ。その状態なら単純に彼になびかない女性も何人かいた。
それでも彼女に憧れたのは、この惚れ薬を飲んでから初めて打算の無い優しさに触れたからである。
彼女の品行方正さにはあの白雲彩華ですら憧れていたくらいである。

まともな人付き合いすら出来ないと悲観していた錬次郎に、最初に優しく笑いかけ声をかけてくれたのが彼女だった。
高校という新たな環境に身を移し、彼女が彼の置かれていた境遇を知らなかったと言うのも大きいだろう。
それにあれは彼女にとっては何気ない、それこそ外面の一部だったのかもしれないけれど。
それでも、向けられた笑みが、たまらなく嬉しかったのだ。
これまで見てきた欲情したメスの笑みではない、純粋な白い笑みが心から離れない。

女関係において多くのトラウマを持つ錬次郎が、少し優しくされた程度で心惹かれてしまうと言うのは、些か容易に過ぎると感じられるかもしれない。
だが人間の、女の醜さを見てきた彼だからこそ、その中で深く刻まれたトラウマに比例して、そうではないと、そうあってほしいと、その尊さに抱く幻想も人一倍強かった。
彼に言い寄る女は醜くそんな機会がこれまで殆どなかったから、本人すらも気づいてないのだろうが、その実彼は結構惚れやすい。

彼にとっての恋は、決して手の届かぬ夜空に浮かぶ星々のようなモノである。

届かぬからこそ望むのだ。
散々あれだけ酷い目に遭い、色恋を嫌悪し、肉欲を憎悪しながらも、それでも憧れ願い渇望する。
誰よりも色恋を憎んでいた彼が、その実、奥底では誰よりも色恋に憧れていたのだから笑えない話だ。
彼は命を燃やすような一生に一度の恋を望んでいる。

そんな、どうしようもない矛盾を抱え、彼の恋は歪んでいる。
だが、彼が初めからそうだったわけではない。
その歪みをもたらしたのは、魔女の惚れ薬という外的要因によるものだ。

彼にだって歪められる前の当たり前の恋愛観はある。
あったはずだ。

全ては、あの惚れ薬により歪められ失われた。
だからこそ、これの戦いに勝利してその歪みを矯正し、失われた人生を取り戻すのだ。

それは惚れ薬による悪影響を取り除くという意味だけに留まらない。
惚れ薬と言う異常を排除し、正常な恋愛を取り戻す。
そのために殺し合いに乗った。
それは正常な恋愛をするために多くの命を犠牲にする誓ったに等しい。

彼にとっての恋は、命を懸けるに足るモノである。

化け物どものが跋扈するこの世界で、勝ち抜くのは並大抵の事ではない。
いや、それどころか敗北し己が命が失われてる可能性も方が高いだろう。
それでも他人の命を生贄に捧げ、自身の命を危険にさらしてまで一抹の希望に賭けたのだ。

その情熱は、あるいは彼が本来持ち合わせていた恋に対する熱なのか。
そしてその熱病に浮かされるように錬次郎の心は逸る。

りんご飴。
制御薬によって効果の薄れていない惚れ薬の誘惑に耐え切る強い精神を持った女性。
そんな存在が目の前に現れたとなれば、それに心惹かれるのも仕方のないことだ。

彼女ならあるいは、今のままの自分を受け入れられるのではないか。
当たり前の男として、当たり前の恋をして、当たり前の愛を知る。
もしかしたら、当たり前に振られることもあるかもしれない。それはそれで正常な恋愛の範疇だ。
望むところである。

そんな当たり前の恋愛を彼女となら。

そんな天から垂れる細い糸のような救いを、願わずにはいらなかった。
その糸をたどるように、錬次郎はりんご飴の後を追う。
気が付けば彼の足は走り出していた。
愛しい少女に向かって。

そう、彼にとっての恋は、

【B-10 草原/昼】
三条谷錬次郎
状態:腹部にダメージ(軽)
装備:無し
道具:無し
[思考・状況]
基本思考:優勝してワールドオーダーに体質を治させる。
0:りんご飴を追う
1:自分のハーレム体質を利用できるだけ利用する。
2:正面からの戦いは避け、殺し合いに乗っていることは隠す。

101.全体幸福のために為すべきことは 投下順で読む 103.発病
時系列順で読む 105.夢物語
男同士、廃墟、殺し合い。何も起きないはずがなく… 三条谷錬次郎 愛のバクダン

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最終更新:2015年12月14日 13:15