1979年2月。
ニューヨークは深い積雪に覆われていた。
その年の冬は例年よりも厳しく、ラブラドル寒流より吹き付ける乾燥した風が人々が暮らしを冷やす。
冬のニューヨークの風物詩の様に、地下に張り巡らされたスチームパイプから白い蒸気が沸き立っていた。
ニューヨークに点在する切り取られたような多くのエリアは、一つ通りを変えただけで大きくその表情を変えた。
その中には、この街を知るモノなら間違っても足を踏み入れない危険なエリアが存在する。
犯罪の発生率120%。観光客が誤って進入すれば確実に身ぐるみをはがされ、最悪命を失う事も少なくない。
ちょっと地下に潜れば、薬物や冗談みたいな重火器が店頭にずらりと並んでいる。
そんな最悪の地区。
そのエリアの一角に、回収車の巡回ルートからも外れ、放置されたダストボックスがあった。
そのダストボックスに、無造作に放り捨てられたようにそれはあった。
一糸まとわぬ少女の裸体がこの寒空の下に放り出されていた。
少女の眠るダストボックスからはポタポタと液体が零れ落ち、周囲の白い雪が紅く滲むように溶けてゆく。
指の先に至るまで関節と言う関節はあらぬ方向にねじ曲がり、投げ出された手足は歪な花の様にも見える。
血の気の無い白い肌は所々が赤黒く鬱血して腫れあがり、グロテスクなコントラストが描かれていた。
その髪は疎らに切り裂かれ、口内の歯は全てへし折られている。
少女の裸体に音もなく深々と雪が降り積もる。
雪は溶ける事もなく、それは少女から体温が失われていることを意味していた。
凌辱という凌辱を尽くされた、抜け殻になった少女の残骸。
それは生前の彼女を知る者が見れば、辛うじて本人だと判別できる程度の名残しか残っていない。
その終わりを少年は見た。
そして、それが始まり。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雪が降っていた。
吹雪めいた風は強く、その中を歩く人通りは少ない。
積雪は足首まで埋まるほどに降り積もり、少し外れた路地ではホームレスが凍死しているなんて光景もここでは珍しくない。
そんな人気のない街を、両腕で吹雪から守る様にして紙袋を抱え歩いていた。
整備されていない裏路地は一面の白に覆い隠されている。
一歩踏みしめるたび足跡がその白を汚すが、降り続く雪がその足跡をなかったように覆い隠していった。
白い世界を暫く進み。
良く言えば味のある。悪く言えば今にも潰れそうなボロアパートの前で立ち止まる。
そこで肩に積もった粉雪を払って、錆びついて少し力を入れないと開かない古めかしい扉に手を掛けた。
『よう。お使いか坊や』
そこで背後から皮肉ったらしい声がかかった。
鬱陶しい下品な笑い声がする方に振り向けば、そこには予想通り暑苦しい顔がいた。
やたらに体格のいい男だけに肩に雪の量も多いのか、男が肩から振り払った雪がドサリと音を立てた。
『また来たのか。サミュエル』
『なんだ、来て悪いか?』
『別に。ここに来るのは自由だ。そういう
ルールだ。ただ、懲りないなと思っただけだ』
サミュエル・ロウ。
西地区でヒスパニック系のストリートチルドレンを取り仕切っている男である。
最強の組織を作り上げるが口癖で、無駄に自信にあふれており態度のでかい気に喰わない男だ。
暇を見つけてはここを訪れ、己のチームに入らないかとこの部屋の主である彼女を勧誘を続けている。
恐らく彼女を取り込むことにより、彼女目当て集まる連中ごと己の歯車として取り込むのが目的だろう。
もっとも、その度に振られ続けているのだが。
『それに、お使いならあんたの領分だろうサミュエル。マフィアどもに尻尾を振るのはそんなに楽しいか?』
『は。ガキには分らんよ。大人の苦労はな』
『使いっ走りをするのが、あんたの言う大人の苦労か? そりゃまた何とも夢のない話だな』
サミュエルは自らの取り仕切るストリートギャングを軍隊の様に統率しているらしい。
だが、その組織力を使って行っていることは、マフィアの使いっぱしりとしてあくせく働く事である。
『は。お使いなどという上等なマネを貴様のようなガキにできるはずもなかったか。
手癖の悪いお前の事だ、その手荷物も、またどこからか盗んできたのか?』
『これは盗んできたわけじゃない。アンナに頼まれて買ってきたんだ。
金もメインストリートでアンナと共に大道芸で稼いだ金だ、あんたにどうこう言われる筋合いはない』
『け。そうかよ。相変わらず可愛げのないクソガキだぜ』
彼女の名を出されては分が悪いを踏んだのか。
捨て台詞だけを残すと、サミュエルはこちらを押しのけ硬い扉に手を掛けた。
こちらもサミュエルを無視して、開かれた入口に入って部屋の中央にいる彼女の元へと向かう。
こちらを認めた少女が柔らかに笑う。
『アンナ。頼まれていた物、手に入れてきたよ』
『あら、ありがとうサイパス。サミュエルもいらっしゃい』
椅子に腰かけた彼女に紙袋に包まれた荷物を手渡すと、優しい手で頭を撫でられた。
振り払う気はしないが少しだけくすぐったい。
僅かな気恥ずかしさに、少し目を逸らしたところで、壁際に立っている人影に気付いた。
気配もなく壁際に佇んでいたのは、どこか不気味な気配を漂わせた細身の男だった。
外に降り積もる雪のような長い白髪から覗く鋭い目つきは、さながら刃のようである。
『あんたもいたのか、バルトロ』
『…………ああ』
バルトロ・デル・テスタ。
己の力にしか興味のない一匹狼の殺人鬼。
自分の縄張りに入った輩から金品を奪い、殺傷沙汰を繰り返してるイカれた男だ。
別の地区で警官殺しを行い追われる身となり、この地区まで逃れてきたらしい。
誰ともつるまない男だったのだが、どういう訳か彼女の元には足繁く通い、こうして何をするでもなく無言のまま佇んでいるのが常だった。
危険な男だが、少なくとも彼女の元にいる間は大人しくしているので放っておいてもいいだろう。
『やあ、サイパス。何を買ってきたんだい?』
『なんだ、あんたもいたのか。あんたはバルトロとは違った意味で存在感が薄いな、アヴァン』
『いや、酷いなぁ……』
アヴァン・デ・ベルナルディ。
この最底辺のドブの底で生きているとは思えないほど普通の男だ。
よくここまで生き残ってこれたものだと感心するほど腕っぷしも貧弱である。
そのくせ何の得もないのに人を助けようとしては、その度に死にかけている懲りない男だ。
長生きできそうにないその性質は、いつ死ぬかというのが、サミュエルたちの賭け対象になるくらいである。
これで来客は3人。部屋の主と己を含めてこの狭い一室に5人もの人間が集まっているようだ。
それも珍しいことではなく、彼女という光に惹かれるように彼女の元には普段から多くの者が訪れる。
その面子は性別に年齢、国籍に至るまで多種多様であるのだが、今日集まった連中はその中でも中々に濃い面子だ。
サミュエルやバルトロは元より、アヴァンだって存在感こそ薄いが、こんな環境であるからこそ一般で言う普通の奴は物珍しい。
だが、その連中の中でも一際濃い輩が存在する。
『やあ! 御機嫌ようアンナ。今日もまた君は美しい』
勢いよく扉が開かれ、威勢のいい挨拶と共に長身の伊達男が現れた。
男は迷うことなく彼女の前まで歩を進めると、彼女に仕える騎士の様に跪きその手の甲にキスをする。
『ありがとうカイザル。けれど、扉はもう少しゆっくりと開けてね、建付けも悪いんだから』
『おっと! これは私としたことが失礼をした。以後気を付けるとしよう』
オーバーリアクションで前髪をかき上げ、仰け反る様に身を捩る。
そこで初めてこちらを視界に入れたのか、周囲の面々の存在に気づいた。
『何を見ている愚民ども。この俺様の来たのだから、俺とアンナに気を使って出て行くのが筋だろう』
侮蔑するような悪態は、彼女に対する態度とはまるで違う。
豹変したというより元よりこういう奴だ。彼が敬意を払うのは彼女に対してだけである。
カイザル・フォン・ヴァードヴィ=アルトケウス。
自称元貴族。自尊心が高く、基本的に他人を見下している、嫌味たらしいいけ好かない男だ。
何故そんな男がこんな最下層にまで堕ちてきたのか。その理由を本人が語ることはないし、こちらとしても興味はない。
『お前が出ていけ』
『寝言寝て言え似非貴族』
『……死ね』
『まあまあみんな、落ち着いて』
それぞれにいつも通りの軽い挨拶を交わし、カイザルもその挨拶を鼻で無視して彼女へと向き直った。
そこで目ざとくカイザルは彼女の抱えた紙袋に気づいた。
『おや、アンナそれは何だい?』
『これ? サイパスに買ってきてもらったモノなのだけど』
そう言って彼女は紙袋から中身を取り出した。
現れたのは紅い花の咲いた鉢植えである。
『それはサルビアの花だね。温帯の花だからこの時期には珍しい。たしか、花言葉は『家族愛』だったか』
『あら、さすがにカイザルは博識ね。これはサイパスに買ってきてもらった記念の花よ』
『記念? 何の記念だい?』
問われ、彼女は少しだけはにかんだ。
『私たちが、家族(ファミリー)になる記念よ』
その言葉を受けて、サミュエルとアヴァンは意味を測りかねる様に首を傾げ。
バルトロは変わらず無表情のまま、カイザルはただ一人歓喜し破顔した。
『嬉しいよアンナ! 僕のプロポーズを受けてくれる気になったんだね!』
『違います』
そう言って両手を広げて飛びついてきたカイザルを、彼女はひょいと押しのけた。
勢い余って壁に票突するカイザルを無視してアヴァンが彼女の言葉を要約する。
『それは、他のファミリーの取り込まれる前に俺たちで新しい組織を立ち上げてしまおう、という話かな?』
『はっ。それはいい! そういう話なら俺は乗るぞ』
その要約を聞いて、元より彼女と組むつもりだったサミュエルは嬉しげに声をあげた。
だが、彼女は静かに首を振る。
『ううん。多分サミュエルの望んでいる物とは違うわね。
組織を作ると言うのはそうだけど、この世界で成り上がろうというお話じゃないから』
彼女は普段の優しげなモノとは違う真剣な表情で皆に視線を向ける。
『私たちは弱いわ。このままだといずれこの街に取り込まれてしまう』
その言葉を誰も否定することができない。
どれだけ強かろうと個人の力など、この街の大きな波を前にしては簡単に飲み込まれてしまう。
それがこの街の現実である。
『私たち一人一人は弱くても、みんなで助け合って力を合わせれば何とかなるって思えない?』
『助け合って力を合わせる、か』
サミュエルが苦笑する。
そんな言葉はこの世界では幻想でしかない。
だが、彼女が言うのなら不思議とそれもできるような気がしてくる。
力を合わせればこの地獄のような世界から抜け出せるかもしれないと。
『だから別に表とか裏とか、そういう形にこだわるつもりはないの。
ただみんなが、誰に歪められる事なく生きていける世界で静かに暮らせればいい。
そんな世界をみんなと探してみたいと思っただけなのよ』
誰かに利用されるのではなく
誰かを利用するのでもなく。
ただありのままで生きていけたらいい。
そんな人間として当たり前の幸福。
それを望むのはこの世界では夢物語のような生き方だ。
『……そんな生き方を、俺たちにも望むと?』
問うのは、最も血生臭い生き方をしてきたバルトロである。
『ええ。彼方たちにもそれぞれ思う野心や志があるでしょうし、別に強制するつもりはないわ。
これは彼方たちにもそう生きてほしいと言う私の勝手な願い。それでも彼方たちはこの手を取欲しいと願うわ』
そう言って彼女は手を差し出す。
真っ先に迷うことなくその手を取ったのはカイザルである。
『愚問だね。私はアンナがいるのならどこにでもついていくよ。
君に最初に傅く騎士に選んでもらえて光栄だ』
『ありがとうカイザル。けど残念。最初じゃないわよ』
そう言って彼女は悪戯に笑うと、俺の腕を掴んで自らの手の中に引き寄せた。
そして後ろから暖かなモノに包まれる。
『サイパスはもう陥落済みよ』
昨晩、彼女からこの話を聞かされ、俺は二もなく頷いた。
彼女の語る夢に、俺は魅せられたのだ。
『貴方たち3人はどうする?』
彼女の問いに真っ先に頷いたのはアヴァンだった。
『その誘いに応じるよアンナ。けれど今日来ていない僕ら以外の連中はどうするんだい?』
『もちろん誘うわ。話をしたのはみんなが初めてだけど、これから他のみんなにも声をかけていくわ。
全員が応じてくれるとは思わないけれど、それでも一人一人に私の考えを伝えてゆくつもりよ』
サミュエルは少しだけ難しい顔思案した後、力を抜く様にふっと笑った。
『まあ、ここで奴らの狗として生きるよりかは、アンナの下に付く方が面白いか。いいだろう。俺のチームの連中にも話をつけておく』
『アヴァン。サミュエル。2人ともありがとう。バルトロはどう?』
彼女の問いに、バルトロはいつも通りの無表情のまましばらく目を閉じ、そしてゆっくりと目を開く。
『……できるかどうかは分からないが、お前が望むならそんな生き方も試してみよう』
その答えに、彼女は安堵したように息を吐く。
そうしていつも通りの全てを惹きつけるような眩しい笑顔を見せた。
そして全員の手を取り、無理矢理に重ね合わせてゆく。
『今日からここにいる全員は家族よ。助け合っていきましょう』
そうして、サルビアの花の前に誓いは建てられた。
共に生きていくと言う誓いが。
『……ファミリーの名前はどうするんだ』
『名前? そう言えば考えてなかったわね……』
バルトロから投げられた素朴な疑問に彼女はうーんと首を傾げる。
『それじゃあ。他のみんなを誘い終えるまでに考えておくわね。発表はその時にするわ』
それが始まり。
彼女はその後も順調に仲間たちを口説き落として行き。
こうして夢物語を詰め込んだ大した力もなく、名前すらない組織が世界の片隅に生まれたのだった。
だが、結局この組織の名を俺たちが知ることはなかった。
彼女の死体が裏路地のダストボックスに打ち捨てられていたのは、それから数日後の事だった。
◆
工業区にあるとある廃倉庫には30人を超える少年少女たちが集結していた。
これほど人が犇めき合ってるにもかかわらず喧騒はなく、重々しい沈黙だけが倉庫の中に沈殿している。
誰も一言も発さず、一様に俯いたまま絶望したように打ちひしがれていた。
本来ならば、この日は新たな門出を祝う記念すべき日となるはずだった。
だが、祝福すべきその日は一転して絶望の日となる。
いや、絶望などとっくに知ってたはずなのに。
この世界に堕ちた者ならば、みなそんなものは知っている。
世界の残酷さなど、知っていたはずなのに、彼女に出会い浮かれて忘れていた。
哀れにも、ありもしない夢を見てしまった。
夢物語に溺れた。
その結果がこれだ。
あれは、分かりやすいまでの見せしめだった。
各地に散らばり好き勝手に生きてきた連中を、彼女は束ねて統一した。
彼女自身は意識していなかっただろうが、それは誰も成し遂げられない偉業だった。
単独ならばたいした脅威にはならないとそれまでは見逃されてきた悪童たちが、集結し一つの組織となるという動きを不穏に感じたのだろう。
奴らはその動きを警戒して、速めに釘を刺してきたのである。
この世界ではよくある、珍しくもない話。
これはそれだけの話だった。
皆が打ちひしがれる中、一人静かに出口へと向かう者がいた。
『どこへ行くんだ、バルトロ』
『……決まってる。報復だ』
アヴァンの問いにバルトロが冷たい声で答える。
報復。その言葉に、波紋の様な騒めきが広った。
彼女を殺した犯人は解かり切っている。
このスラムを取り仕切るマフィアどもだ。
そこにバルトロは正面切って殺し合いを挑もうとしていた。
『待て、バルトロ』
今にも出て行かんとするバルトロに、待ったをかけたのはサミュエルだ。
無謀な行為を止めてくれることを期待するアヴァンだが、その期待は裏切られる。
『貴様は奴らの隠れ家を知らんだろう。俺が案内してやる』
『サミュエルまで……』
奴らの小間使いとして奴らの元で働いてきたサミュエルは自ら案内役を買って出た。
その瞳の奥には黒い殺意の炎が燃えている。
それはバルトロとサミュエルだけに限った話ではなかった。
この場にいる全員が目に見えて殺気立ち、復讐という誘惑に傾きかけていた。
『待てよ。待ってくれ……!』
その中でアヴァンだけがただ一人、その空気に飲まれず制止をかけた。
いち早く出口へと回り込み、両手を広げて全員を押し止める。
『俺だって悔しい、許せないと思うさ! だが、だけど! これじゃ死にに行くようなものだ。いや、仮に勝てたとしてどうなる?
あいつらはカボネ傘下のマフィアだぞ? この地区いる奴らを殺した所で、上から更なる報復が待つだけだ』
この辺を取り仕切っている奴等の規模自体は大した大きさではない。
だが、そいつらに局地的に勝てたところで、いつか潰されるのは目に見えている。
たかが30人程度の子供の集まりが、10万近い構成員を有する大組織に勝てる訳が無い。
『――――それがどうした。今更死ぬのが恐ろしくなったか?』
それまで一言も発さず塞ぎ込んでいたカイザルが、そう言って幽鬼の様に立ち上がる。
この街で生きている人間はみな死人だ。
死にながら生きている。
死者が今更死を恐れる道理はない。
それはアヴァンと言えども同じである。
『死ぬのが恐ろしくて言ってるんじゃない。そんな事をしても意味がないと言ってるんだ』
『そうかい。まあいいさ。残りたければ勝手に残れ。
意味があるとかないとかそんなことはどうでもいい。単純に、やらなくちゃ俺の気が済まない。
奴らの家族、友人、隣人に事務所にピザを届けた配達員に至るまで、一人たりとも生かしてなどやるモノか――――――皆殺しだ』
空っぽになった中身に憎悪と殺意を詰め込んで、カイザル・フォン・ヴァードヴィ=アルトケウスという名の悪魔が始動する。
その押しつぶされるほどの殺意を前にしては、アヴァンは押し黙るしかない。
唯一の反対意見が圧殺された事により、膨れ上がる報復ムードはいよいよ歯止めがきかなくなってゆく。
だが、その中で今だにスタンスを露わにしていない者がただ一人だけ存在した。
目敏くもその存在に気付いたカイザルが問う。
『おいサイパス。お前はどうなんだ? 奴らに報復がしたいか? それともアヴァンと同じか?
ハッキリ言ってみろよ。お前はアンナのお気に入りだったからな、お前の意見なら一考してやらなくもないぞ』
最期のギリギリの理性でカイザルが決断をサイパスにゆだねる。
破裂寸前の殺気の膨れ上がった空間で、全員の視線が矢のように最年少である少年へを射抜く。
少年はその空気に飲まれるでもなく、どこまでも冷静に己の中の感情と向き合って、答えを口した。
『俺は――――』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その館の中は正しく地獄だった。
屋敷の中は硝煙とむせ返るような血の匂いに溢れかえっていた。
地面のカーペットが真っ赤なのはデザインによるものではないだろう。
所々に人間だった残骸と、中身がブチマケられ、幾重もの死が積み重なっていた。
その地獄でこの地獄を作り上げた少年たちが、己の血なのか返り血なのか分らなくなった格好のまま、全てを終えエントランスに集まっていた。
『結局、生き残ったのは4人だけか。俺様とバルトロはともかく、よく貴様らが生き残ったモノだ』
『ふん。奴らにはいざとなったら俺の命を優先するよう教育してあったからな。お蔭で長年手塩を掛けて育てた駒を失っちまった』
30人近くいた少年たちは4人にまでその数を減らしていた。
それでも不意を突いて襲撃したとはいえ、プロを相手に勝利できたのだから奇跡的な成果である。
『……4人じゃない、アジトに残ったアヴァンもいる』
『じゃあ5人か。まあどっちでもいいさ』
この隠れ家にいた連中は誰彼かまわず全殺しにした、きっと誰かが彼女の仇だったのだろう。
当然ながら仇を討てたという実感も喜びもなかった。
ただ殺さなくては前に進めなかった。
だからこれは必要な事だったのだ。
『それで、貴様らこれからどうする?』
『どうするってとっととこの街から逃げるしかないだろ?』
この屋敷から一人の逃走も許してはいないが、周囲に銃声は響いているだろう。
マフィアの隠れ家で多少銃声が鳴った所で、この辺りの警察が動く事もないだろうが、異常を察して誰が集まってくるとも限らない。
追手を巻くため、早急にこの街から離れなくてはならなかった。
『クズが。俺はそんな目先の話などしていない。俺が聞いているのはお前らが今後も組織を続けていくのかという事だ』
『……続けるつもりか?』
バルトロが問いを返す。
それをわざわざこの場で問うたと言う事はカイザルはこの組織を続けるつもりという事なのだろう。
『当然だ。続けるに決まっている』
『はっ。続けた所で俺たちだけで何をするんだ?
アンナの言うとおり仲良く助け合って生きていくか!? この俺たちが!?』
皮肉めいたサミュエルの言葉はもっともだ。
俺たちは友人ではない。
それどころか互いに好感すら持っていない。
サミュエルは彼女の人を従える力に心酔していた。
アヴァンは彼女の集めた人々の間に絆を見出していた。
バルトロは彼女ために己が力を奮うと決めていた。
カイザルは彼女自身を愛していた。
そしてサイパスは彼女の理想に夢を見ていた。
誰もがみな、彼女を中心に繋がり、それぞれが違う方向を見ていた。
愚者どもを導くはずの聖女は、道を指し示す前に死んでしまった。
道を失ったそんな連中が、中心を欠いてやっていけるとは思えない。
『何をするかなど、そんな事は後で考えればいい。終わらせるものか。潰さるものか。
ここでその組織が消えてしまえば彼女の居た証が無くなってしまう。そんな事は許されない。彼女が遺したこの組織だけは、俺が護って見せる』
呟く声はどこか追い詰められたような狂気が込められていた。
ここに居る全員が今更死など恐れてはいない。
ただ、何も遺せず、何者にも為れず、ただ消えていく。それだけが恐ろしかった。
彼女の生きた証が何もなくなり消えてしまう事。ただそれだけが恐ろしい
そしてそれだけが、ここに居る全員が共有したただ一つ価値観だった。
『俺が彼女の代わりになる。異論はないな』
ボスを継ぐというカイザルの言葉に、サミュエル辺りが異論を唱えるかと思ったが、以外にも抗議の声はなかった。
異論をはさめば殺すと言う有無を言わせぬカイザルの圧力もあったのだろうが。
それ以上にサミュエルの目的はあくまで最強の組織を作る事であり、自身がそこの頂点に立つということには興味がなかったらしい。
『……なんにせよ具体的な話は後だ。いつカボネの奴らがこの事態に気づくとも限らん……早急にアヴァンを回収してこの地を離れよう』
『逃げるにしても、どこへ行く?』
『どこでもいいさ、どうせ当てもないだろう。彼女の居ないこの土地にもう未練もない』
ここにいる誰もが故郷なんて上等なものは持っていないし、頼れる相手などいるはずもない。
敵の手は広く、どこか遠くに逃げる必要があった。
『南に――――』
そう慌ただしく動き始めた3人をどこか他人事のように見つめていた己の口から、その願望が思わず口をついていた。
『――――南に行こう。どうせなら、雪の降らない街がいい』
脳裏に浮かぶのは視界一面を支配する赤よりも鮮明な白い景色だ。
降り注ぐ雪を見ると、どうしても白い雪に飲まれる彼女の死を想いだす。
だから、白の見えない世界に行きたかった。
それは、全員に共通した思いだったのか。
誰もが沈痛な面持ちで、俯きその言葉を受け止める。
『そうだな……そこから始めよう。彼女と俺達の新しい組織を』
それが終わりで、それが始まり。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
月日は流れ、時は巡る。
メキシコとの国境近くにまで逃れた俺たちは、奴らに見つからぬよう地下に潜った。
そこで殺しの仕事を請け負いながら地道に構成員を増やし続け力を確実につけていった。
そして、いつしかカボネの連中も簡単には手を出せない規模にまで組織は育っていった。
カイザルには人々を導く王としての才があった。
カイザルは上手くやった、その手腕はそれこそ天才的だった。
サミュエルには人々を取り仕切る将としての才があった。
サミュエルも積極的に兵を集め、それらを上手く纏め上げていた。
バルトロは誰よりも強かった。最前線で戦う兵としての才があった。
バルトロは汚れ仕事を厭わず、暗殺者として数々の仕事をこなしていた。
アヴァンには何の才能もなかったけれど、誰よりも人間らしい奴だった。
アヴァンの常識的価値観は組織においては貴重であり、対外的な交渉は奴に任された。
そして俺は――――。
月日は早く、時は巡る。
組織は独自の立ち位置を得て、その地位は盤石となっていた。
むろんそのままという訳ではない。
組織という入れ物はそのままでも、その中身は大きく変わった。
それ故に、その在り方も、存在意義も徐々に変わり始めていた。
それは仕方のないことだ。
変わらない物などない。
無くならない物などない。
バルトロとアヴァンは共に我が子に殺され、カイザルは病に倒れた。
この組織の始まりを知る者はもう殆どいない。
もうまともに会話ができるのはこのサミュエルだけとなった。
『お前とこうして酒を飲みかわすのも何時ぶりだ?』
『さてな。前の休み以来だから二ヶ月ほど前だったか』
透明なグラスにウイスキーを注ぎ、カチンとグラスを合わせる。
『サイパスよ。貴様は今の組織についてどう思う?』
『またその話か。俺の集めた連中が気に喰わないと言いたいのだろう』
『気に喰わないのは事実だが、そうではない。構成員の話ではなく組織自体の話だ』
そう言ってサミュエルはキツめのウイスキーを喉に流し込んだ。
『カイザルはもう長くないぞ。むしろここまでよく持った方だ』
『そうだな。奴はもう執念だけで生きている。いつ逝ってもおかしくはなかろう。だがサミュエル。ボスの座ならお前が継げばいいだろう』
『冗談だろう。儂か貴様、どちらが継いでも角が立つだけだ。だいたいお互いにそのつもりもないだろう』
『ならイヴァンが継ぐさ。奴もそのつもりで根回しをしている』
その言葉をサミュエルは鼻で笑う。
『それこそ冗談にもならん。奴がボスになれば下からの反発は免れん』
『その時は俺とお前で押さえればいい』
『本気か? イヴァンが継げば、確実に今の組織の形は消滅するぞ。ただのマフィアに成り下がる』
『仕方のない事だ。時代の流れには逆らえんよ』
サミュエルはふむとため息をつくと、空になったグラスに琥珀色の液体を注ぎ、その中身を一気に呷った。
『カイザルは認めぬだろうな。奴は組織という形に拘るだろう』
『だろうな。だが奴にはもうどうする力もない』
最もこの組織に執着しているのがボスであるカイザルだ。
奴は組織という形を続けることに病的なまでに執着している。
いつまでも過去に囚われている。
『まあ儂としてはそれでもいいさ。当たり前の事だが、我々の思う到達点はそれぞれに違う。
儂は今の組織にそれなりに満足しているよ。たとえ組織という殻が壊れてもそれは変わらないだろう』
サミュエルの理想は完全なる歯車による完全なる群体の実現である。
その理想は完全ではないがある程度はこの組織で実現できた、形を変えてもその理想は追って行けるだろう。
『だが、お前はどうなのだサイパス? 変人どもを集めて、お前の望む夢物語に届いたのか?』
サミュエルが問う。
夢物語。
サイパスの追い求めた理想。
それは果たして何のための、誰のための夢だったのか。
『俺は――――』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――――――――懐かしくも愛おしい悪夢を見た。
太陽の怪人との戦闘の後。
安全な場所まで逃れた所で、ダメージと疲労から眠っていたようだ。
アサシンや太陽の怪人に過去を掘り返すようなことを言われたからだろう。
久しく見ていない古い夢を見た。
その夢を忘れていた訳ではない。
いや、忘れたことなど一度たりとも無かった。
あれは一つ夢の終わりであり。
新たなる始まりの夢だった。
組織の形は変われど、彼の夢は変わらない。
彼が夢を守り続ける限り、彼女の理想は生き続けるのだ。
【F-5 森/昼】
【サイパス・キルラ】
[状態]:疲労(小)、火傷(中)、右肩に傷(止血済み)、左脇腹に穴(止血済み)
[装備]:S&W M10(6/6)
[道具]:基本支給品一式
[思考・行動]
基本方針:組織のメンバーを除く参加者を殺す
1:周囲の探索を行う
2:亦紅、
遠山春奈との決着をつける
3:
新田拳正を殺す
4:イヴァンと合流して彼の指示に従う。
バラッド、
アザレア、ピーターとの合流も視野に入れる。
5:決して油断はしない。全力を以て敵を仕留める。
最終更新:2015年08月23日 00:37