◇◇◇◇
2012年、年明けから一ヶ月ほど経った冬の日。
アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン市。
都市部から少し離れた郊外、真夜中の路地裏にて。
「いい腕だな」
ゆっくりと『闇』が口を開く。
そこに佇んでいたのは闇夜の漆黒だった。
宵闇の影に紛れる様に立つ黒衣の男が、ゆらりとコートを靡かせながら立っていた。
彼の姿を見て『もう一人の男』は思った。
まるで、死神のようだと。
もう一人の男―――紳士風の装いをした男は、その場を動くことができなかった。
今すぐ此処から離れなければならない筈なのに、この『死神』の威圧感がそれを許さない。
有無を言わさず自分を留めさせるだけの殺気を身に纏っていた。
今ここで逃げ出せば、この男に殺されるだろう。
紳士風の男の胸にそんな確信があった。
「…お褒めに預かり光栄です」
暫くした後、紳士風の男が惚けたように呟く。
こんな状況でありながら礼儀正しく返答をしてしまう。
自分の肝が予想外な程に据わっていたのか、危機的状況で素っ頓狂な言動を取ってしまったのか。
それは当人にも解らなかった。
人間味を感じさせぬ黒衣の男とは対照的に、紳士風の男は整った出で立ちだ。
すらりとした長身の体格。
紳士然とした端正な顔立ち。
切り揃えられた金髪の髪。
フォーマルなスーツ。
その容姿は数多くの女性の目を奪い、虜にするであろう。
黒衣の男の問いかけに対し、紳士は無言の肯定をする。
紳士の名はピーター・セヴェール。
自称フリーランスのジャーナリスト。
二ヶ月前から仕事でヒューストンに滞在中。
―――――そういう体の“犯罪者”だ。
「“二ヶ月程前から”ヒューストンで5人の女が立て続けに失踪しているそうだ。
未だに被害者の消息は掴めておらず、誘拐殺人等の可能性も考慮された。
…尤も、警察はその証拠さえも掴めなかったそうだがな」
淡々と言葉を紡ぐ壮年の男に対し、ピーターはほんの僅かに眉間に皺を寄せる。
その心中に浮かぶのは警戒と焦燥。
そもそも、この男はいつから此処に現れた。
まさか付けられていたのか。
自分の注意を交い潜り、気配を殺して追跡してきたというのだろうか。
ピーターは冷静な表情の下で思案を繰り返す。
現状、一番の問題は何だ。
この男に“現場”を“見られてしまった”ということだろう。
生まれてこの方、犯行の足を掴まれることはなかった。
自慢ではないが自分でも確固たる自信はあった。
人間観察、証拠隠滅に関しては天才的な才能があると自負していた。
だが、まさかこの期に及んで目撃者を出してしまうとは。
「だが、そこである一人の男が事件の重要参考人として挙げられた」
突きつける様な男の発言。
それを耳にした後、ピーターは視線をゆっくりと下ろす。
足下に転がっていたのは『人間だったモノ』。
彼の『お楽しみ』の犠牲となった哀れな女性の成れの果て。
刃物によって首を掻き切られたソレは既に息をしていない。
ピーターによって殺された、ヒューストン市での6人目の犠牲者だ。
「お前は素人にしては優秀だった…だが、欲張り過ぎたな。
執念深い当主を持つ良家の娘に手を出したことがお前の失敗だった」
良家の娘と聞き、ピーターはすぐに思い出した
ああ、4番目に殺したあの淑女のことか、と。
男の言うことは全て図星だった。
二ヶ月前からヒューストンで立て続けに発生した失踪事件は、このピーター・セヴェールによる犯行だったのだから。
自らの能力に慢心していたことが今回の結果を招いたのかもしれない。
ピーターは異性を虜にする色男だった。
それと同時に、生まれついての異常者だった。
何か切っ掛けがあった訳でもない。
何か強烈なトラウマや体験があった訳でもない。
ただ何となく“女性”に興味があった。
“女性の肉”に関心があったのだ。
誰に明かすことも無く、その想いをひた隠しにし続けていた。
だが、我慢出来なかった。
次第にその想いは膨れ上がり、彼は20歳の時にその欲望を初めて発散させた。
顔馴染みだった若い女性を誘惑し、人気のない場所に誘い込み、殺したのだ。
そして。
女性の肉を持ち帰り、喰った。
美味だった。血肉の味が口の中で撒き散らされた。
良く引き締まってて、噛み応えのある食感だった。
それ以来、彼は合衆国各地を転々としながら殺人を繰り返した。
証拠の隠蔽、死体の処理に関しては天才的な能力を持っていた。
故にこの7年間尻尾を掴まれることはなかった。
そう、この街で欲求を我慢出来ず良家の息女に手を出すまでは。
やれやれと溜め息を吐き、肩をがっくりと落とす。
どこか滑稽にも見え、諦め切った様な態度でピーターは言葉を吐き出す。
「はぁ、僕も年貢の収め時って奴ですかね。まさか現場を見られるとは」
「安心しろ、お前を警察に突き出したりはしない」
壮年の男の言葉にピーターは目を見開く。
警察に突き出さない?どういうことだ。
「お前はこちら側の人間だ」
壮年の男は、そう告げる。
「お前は人を殺すことでしか己を満たせない…そうだろう?
喜べ。そんなお前が、有りの侭に生きられる世界がある」
人を殺すことでしか満たされぬ者が、有りの侭に生きられる世界。
馬鹿げている、とピーターは思った。
そんなものが存在するというのだろうか。
だが、ピーターは胸の内に僅かな期待のような感情が込み上げていることに気付く。
もしかしたら男の身に纏う空気に飲まれているだけなのかもしれない。
込み上げる期待も所詮は思い違いに過ぎないのかもしれない。
それでも、この男の話を聞く価値はあるのではないか。
只ならぬ雰囲気を身に纏う、この黒衣の死神の話を。
「“殺し屋”になる気はないか、ピーター・セヴェール」
◇◇◇◇
◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆
ふと、そんな昔話を思い出す。
I-7、町から外れた場所に存在する道路。
そこを進む二つの影。その片割れであるピーターは己の過去を追憶していた。
思えば、殺し屋になってから2年近く経つ。
初めは半信半疑だったが、今となってはサイパスに出会えて正解だったと断言出来る。
組織の殺し屋として安全かつ平穏に殺人を楽しめるようになったのだから。
少なくとも、たった一人で殺人を繰り返していた時は遥かにマシだ。
あの頃は標的の身元調査や証拠隠滅から何まで自分一人でやるしかなかった。
その上個人の能力には限界がある。少しでもボロを出してしまえばすぐ警察に目をつけられていただろう。
だからこそ組織は素晴らしい。
強大な群れの中に身を置いたことで自分は一種の安全を手に入れたのだ。
全く、何故こんな殺し合いに巻き込まれてしまったのだろうか。
折角手に入れた安全を台無しにされてしまった。
ピーターの胸に不快感が渦巻く。
殺し合いなんて、そういうのが好きな連中を勝手に殺し合わせればいいだろうに。
腕っ節も弱い。荒事にも慣れていない。そんな自分を何故わざわざこんな殺し合いに巻き込んだのか。
どっちにせよ、あの
主催者はこちらの事情等お構いなしなのだろう。
(思えば、ものの数時間で色々とあったものだ)
組織の鬼札、
ヴァイザーは余りにも呆気なく放送で死を告げられた。
ユージーを連れて逃げるように指示されたウィンセント――――
鵜院千斗は行方知れず。
アザレアと『覆面さん』とやらはあの場を離脱し、同じく行方知れず。
超人になったユージーはあの邪神によって容易く殺された。
バラッドは別離し、たった一人で勝機の無い戦いに挑んだ。
角を生やした化物の女も――――――大方、あの邪神に殺されているか。
そして、あの邪神は今も市街地に君臨しているだろう。
よく自分がここまで生き延びられているものだと我ながら感心してしまう。
もしかすれば、最初にバラッドと出会えなければ自分はとうの昔に死んでいたかもしれない。
殺し屋でありながら義理堅く、サイパスに劣るとは言え戦力としても申し分無かった。
彼女がいたせいで面倒事に巻き込まれる羽目にもなったが、そういう意味では感謝するべきかもしれない。
尤も、あの邪神とやらに挑んだ彼女が生きているとは思えない。
まるで蚊を潰す様な容易さで人間を殺せる化物に挑んでしまったのだから。
結果として、ピーターは盾を失った。
(まあ、得られたものもありますが…)
ピーターはちらりと後方へと視線を向ける。
学生服を身に纏ったあどけない少女がのこのこと自分に着いてきている。
殺し屋・アザレアの皮を被った青年、
佐藤道明だ。
彼は手を組んたピーターのことなど微塵も疑っていない様子だった。
怖じる素振りも見せず、剰え機嫌を良くしたような表情さえ浮かべている。
まさか本当に自分が同盟の主導権を握っているとでも思い込んでいるのだろうか。
あるいは自分が狡猾な人間であり、殺し屋でさえ利用できると錯覚しているのか。
ほんの少し煽てられただけであの態度とは、その愚かさに呆れてしまう。
尤も、引き蘢っていた人間の能力や知性など高が知れていたが。
女性を誘惑することに長ける殺し屋・ピーター。
彼は相手の表情や仕草、態度から人間性を読み取り、その者にとって好ましい態度を取ることに長ける。
戦闘能力こそ低いものの、人間観察能力という点では他の殺し屋よりも優れていた。
道明の性格をすぐに読み取り、信頼を勝ち取ることが出来たのもそれのおかげだ。
とはいえ異常者であるピーターは道徳性が大きく欠落している。
他者を切り捨てることに何ら疑問を抱くことが出来ない。
故に彼は第一階放送前にもバラッドと一悶着を起こしかけた。
今後は注意しなければならないと、ピーターが自戒していた最中――――
「おい、ピーター…前見ろ、前」
後ろで歩いていた道明がピーターに声を掛けてきた。
考え事をしていたせいで少し周囲への集中が欠けていたが、彼のおかげで『それ』に気付く。
彼が指差す方向へと目を向け、ピーターは三つの影を発見したのだ。
それは道を沿って向こう側から歩いてくる三人の参加者。
一人は武士の様な雰囲気を身に纏った若い男。
一人は長い黒髪が特徴的な麗しい女性。
そして、もう一人。
銀色の髪を持つ、メイド服の少女。
どうやら向こうもこちらの存在に気付いたらしい。
銀髪の少女は、明らかに自分達を警戒している。
ぽかんとした態度で銀髪の少女を見ていたピーター。
あの少女に対しどこか既視感を覚えていた彼は、あることを思い出した。
――――『組織の裏切り者』
――――『殺し屋、ルカ』
――――『現在の名は“亦紅”』
――――『その容姿は、』
「これはこれは…噂では聞いておりましたが、随分と可愛らしい姿になってしまったようで」
そうだ。あの少女は組織の手配書で見覚えがある。
組織の裏切者だ。つい最近になってようやく彼の――――彼女の容姿や住処に関する情報を掴んだという。
自らの記憶から少女の正体を確信したピーターは、ゆっくりと彼女らに歩み寄る。
そしてどこか親しげな様子で少女に話し掛けたのだ。
「お久しぶりです、ルカ」
「……ピーター・セヴェール、アザレア」
丁寧に会釈をするピーター。
対する少女―――――亦紅は、警戒した態度でそう呟いた。
◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆
亦紅は目の前の男を睨んでいた。
同行していた珠美と春奈の前に立ち、いつでも武器を取り出せる構えを取っていた。
亦紅の様子を見てか、後方の二人もまた警戒するように身構えている。
彼女ら三人は他の参加者との接触を果たすべく、南の市街地へと向かったのだ。
市街地となれば隠れ家となる施設も多い。
その上街自体が地図に記載されている目立ったエリアだ。
殺し合いに乗る意思のない参加者が潜んでいる可能性がある。
殺し合いに乗っている参加者もそれを狙って現れるかもしれないし、そういった者達も無力化する必要もある。
何にせよ市街地は確実に目立つ場所なのだ。人が集まる可能性は高いし、それらと接触する価値はある。
そう考えた亦紅の提案により、彼女らは南の市街地へと移動していたのだ。
その道中、街へと到着する直前に亦紅は思わぬ知り合いと遭遇してしまった。
組織の殺し屋、ピーター・セヴェール。
女性専門の暗殺者であり、女性の肉を喰らうことを好む生粋の異常者。
戦闘力は決して高くない。むしろ殺し屋達の中でも下位に位置するだろう。
それでも、相手は殺し屋であることに変わりない。
警戒しない訳がなかった。
「ええと、ざっと1年と数ヶ月ぶりでしたっけ?僕が組織に入ってから二、三ヶ月くらいでいなくなっちゃいましたよねぇ」
「馴れ馴れしく話し掛けないで下さい。思い出話に花を咲かせるつもりはありませんよ。
それに……私は『亦紅』だ。貴方の知るルカはもう此処にはいない」
そう言いながら亦紅は眉間に僅かに皺を寄せ、先程のピーターの言葉を思い返す。
この顔を見てすぐにルカと呼んだのだ。
どうやら組織は既に『亦紅としての顔』を掴んでいるらしい。
サイパスが自分を裏切り者の殺し屋と見抜いていた時から疑念を抱いていたが、今確信に変わった。
殺し合いに巻き込まれる前の時点で追手が来ていなかった辺り、組織がその情報を掴んだのはつい最近かもしれないが――――――
「それに、アザレア――――――」
「あぁ、あと予め言っておきますが彼女はアザレアではないのです」
後ろに隠れるように立つ佐藤のことをピーターはあっさりとピーターはばらす。
それを聞き、少し驚いた様子で亦紅はアザレアの姿をした人物へと目を向けた。
確かに、その様子はどこかおかしい。
アザレアにしては態度が硬い。こちらを警戒している様子が見受けられる。
彼女ならばどんな相手を前にしても、まるで猫のように飄々とした態度を貫き通しているだろう。
それどころか、あの『アザレアらしき人物』はピーターの発言に対して動揺を見せている。
「彼女……いえ、彼は佐藤道明。この殺し合いに巻き込まれた参加者の一人。
元々は男性だったのですが、ある事情からアザレアの姿に変装しているのです」
ピーターは亦紅に対し、大まかとはいえ道明の事情を平然と語る。
彼が本物のアザレアであると嘘を付く算段も考えていたが、すぐに却下した。
理由は簡単、道明にアザレアを演じ切るだけの能力はないと判断したからだ。
それにもし嘘をつけば、それがバレた際に間違い無く不信感を抱かれる。
そのまま彼女ら三人を敵に回してしまえば勝てる算段はない。
相手は自分と同じ殺し屋、駆け引きにおいて油断は出来ない。
飄々とした顔の下でそう考えていたのだ。
「さて、彼の名は語らせて頂きました。貴方達も名乗っては如何ですか?
ルカの後ろにいる貴方達ですよ。折角こうして話し合えてるんですから、それくらい明かしましょうよ。
それとも明かしたくないのか…あぁ、そういば僕の方からもちゃんと名乗っていませんでしたねぇ。
僕はピーター・セヴェール、ルカの元同僚。いわば『殺し屋』です」
飄々とした態度でピーターは珠美達に声を掛ける。
亦紅は捲し立てる様な彼の言葉に不快感を覚え、眉間に僅かな皺を寄せた。
饒舌なピーターに対し、珠美と遠山は身構えたまま彼を見据える。
そして暫くの沈黙の後——二人は口を開いた。
仕方がないと言わんばかりの態度で春奈が、不服げな態度で珠美が答える。
このまま名を明かさなければ、対話をする上でピーターという男が何を言い出すか解らない。
故に二人は渋々名を明かすことにした。
そして道明へと再び視線を向けた亦紅が、口を開く。
「―――――佐藤くん、貴方は首輪を付けていないのですか」
冷や汗を流し、道明はちらりとピーターに視線を向ける。
どうやら亦紅らとの交渉を全てピーターに任せるつもりらしい。
今の目配せも「お前が何とかしろ」という意思の表れだ。
こき使われているようでやや不快に感じつつ、ピーターはある名を持ち出す。
「その件に関してなのですが、ミル博士という名に聞き覚えは?」
ぴくりと、亦紅の表情が一瞬だけ動く。
亦紅のあどけない顔に僅かながら浮かんだのは動揺。
何故その名を知っている。
まさか、博士のことまで奴らは探っているのか。
動揺を何とか押し殺そうとするも、ピーターはニヤッと口元に笑みを浮かべていた。
「おや、その様子だとお知り合いのようですねルカ?
それどころか僕にその名を知られて動揺するほどの人物のようだ。
恐らく、それなりに親しい御方なのでしょう?」
「……だから、何だって言うんですか」
たった一瞬の素振りで、見抜かれた。
それに気付き、不快げな態度を見せながら亦紅は言う。
対するピーターは飄々とした様子のまま話を切り出した。
「何、ちょっとした取引をしたいんですよ。
単刀直入に言いますが――――――ルカ、私達と組みましょうよ」
「…貴方と、手を組む?」
「僕はミル博士に興味があります。一度お会いしたいと考えている。
そして、貴方にとっても何かしら価値のある人物なのでしょう?
貴方と共にいれば、博士との交渉が円滑に進む可能性は一気に増す」
眉間に皺を寄せる亦紅。
そんな彼の様子を気にすることも無くピーターは淡々とそう述べる。
彼は首輪解除の手段として、ミル博士との接触を視野に入れていた。
その為に本当に彼の技術で首輪を解除出来るのか試すべく、道明を禁止エリアに放り込む予定だった。
だが、亦紅と出会ったことで新たな選択肢が生まれた。
彼と同行し、その庇護を受けながら生き延びるという道だ。
そうなれば道明を禁止エリアに放り込む機会を失うことにはなるが、確実な戦力を得られるというメリットは大きい。
それに、ミル博士と親しい仲にあると見られる亦紅を介すれば彼との交渉が円滑に進むかもしれない。
そうして協力関係を結べれば万々歳だ。
例え道明を使わずとも死体等を使って首輪の実験が出来る可能性もある。
死者の首輪が正常に動作するという保障は無く、出来れば生者の首輪をサンプルに使うのがベストである。
それでもルカという戦力の獲得、ミル博士との円滑な接触という二つのメリットは道明を犠牲にすることよりも美味しいと言えるだろう。
そのままピーターは更に話を続ける。
「さて、先程貴方も指摘していましたが…佐藤道明くんは首輪を付けていない。
これは彼に支給された皮製造機によるものだそうです。
アザレアとしての皮を被った結果、元々身に付けていた首輪が無くなっていたと」
そして、説明書によればその製造者が『ミル博士』であると。
表面上は冷静を装いつつも、亦紅は心中でその話に驚く。
亦紅は彼の語る話を信用していた。
理由は単純だ。
彼――――彼女もまた皮製造機の使用者だったのだから。
この亦紅としての少女の肉体はミル博士が発明した皮製造機によって得たものだ。
故に亦紅は信じざるを得ない。
自らが生き証人として皮製造機の存在を証明してしまっているのだから。
「だからこそ、博士なら首輪を解除出来ると目をつけたと?」
「ま、そういうことです。貴方にとっても悪い話ではないと思うのですが」
そう語るピーターに対し、亦紅の心中には先程と変わらぬ不信感が込み上げる。
この男が博士を捜す為に自分を利用するつもりなのは明白だ。
はっきり言って、このピーターのことは信用出来ない。
狡猾で得体が知れず、腹の内が読めない――――組織にいた頃からそう感じていた男だ。
だからこそ亦紅は彼の要求に対して無言を貫く。
「あぁ、そういえばこちらも交換条件を提示しておくべきでしたね。
組織に貴方から手を引くように交渉をする…というのは如何でしょう?
僕からサイパスに直接頼み込めば助かる可能性はあるかもしれませんよ。
その為にもサイパスとの協力をお願いしたい。彼は裏切りを許さない人間ですが、話の通じない人間ではない。
敵に回せば厄介であっても、味方になれば彼ほど心強い男はいないでしょうよ」
そんな亦紅の態度を察してか、ピーターが『交換条件』を持ち出す。
饒舌に彼が語り出したのはサイパスとの交渉という条件。
自分が亦紅と協力関係を結ぶ代わりに、亦紅の生活の安全を保障させるというものだ。
ピーターには自分がサイパスから気に入られているという自負がある。
現に彼はヴァイザーのような鬼札、サミュエルのような幹部を除きサイパスに対する発言力を持つ数少ない殺し屋なのだ。
そんな自分ならサイパスに対し交渉し、亦紅を自由にしてもらうように頼み込む。いわばそういう話だ。
そして、その為のサイパスとの共闘。
彼ほどの実力者と手を組めれば心強いだけでなく、亦紅がサイパスと共闘することで恩を売ることも出来る。
ピーターの言う通り、サイパスは裏切りを許さない―――――だが、話の通じぬ男ではないのだ。
そう考えたが故の条件だった。
「そして技術者であるミル博士を捜し出せば、我々が首輪を解除できる可能性も一気に増す」
「博士を捜すことくらい、私達で――――――」
「ミル博士を探すという点では確かにそちらの方々と一緒でも行えるでしょう。
しかし、組織の重鎮との交渉や和解は貴方達だけでは出来ない」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて、ピーターは言い放った。
亦紅は無言でピーターを見つめる。
確かに、彼の言う通りだ。
組織の重鎮との交渉等、自分達では行える筈がない。
彼らは初めから自分を裏切者として看做しているのだから。
亦紅側から彼らに和解を申し込むことなど逆立ちをしても不可能だろう。
ピーターの言う通りなのだ。
彼のような組織側からの使者がいなければ、組織との交渉は成り立たない。
彼の条件を飲めば組織の追手と戦う必要も無くなるかもしれない。
それどころか組織と本当の意味で縁を切れるかもしれない。
成る程、確かに魅力的だ。
安全を得られるという意味では、何よりも素敵である。
「それでも…」
だが。
それでも、彼女は。
「私は、『貴方達』と手を組むつもりはない」
亦紅は、きっぱりと言い放った。
ピーターと手を組んだ所で博士の安全が保障されるとは言い切れない。
それに、彼の様な生粋の殺し屋の手を借りるつもりはない。
闇の世界の住人と手を組んで得られる平穏など不要だ。
自分は組織と戦うと決めたのだから。
共に戦ってきた『仲間』達と共に、ハッピーエンドを目指すと決めたのだから。
おや、と意外そうな反応をするピーター。
亦紅を説得するべく、何か言おうとしたが。
「お前は『組織』の人間のようだが、生憎お前達の知るルカは此処にはいない。
此処に居るのは、俺達の仲間―――――――亦紅だ」
「そういうこった。怪我したくねえんだったらとっとと消えな、ピーターとやら」
亦紅の後方で黙って見守っていた二人組が口を開いた。
現代最強の剣術家、遠山春菜。
JGEOのヒーロー、火輪珠美。
殺し屋の様な裏社会の住人とは違う、日向の世界で戦う人間達。
この地獄の様な殺し合いで絆を結んだ、亦紅にとって掛け替えの無い仲間達。
彼らはピーターを牽制するように言い放ったのだ。
それを聞き、ピーターは肩をわざとらしく落とす素振りを見せる。
「それは残念です――――が、まぁミル博士と遭遇した時は貴方のことを伝えておきますよ。
あぁ、危害を加えるつもりはないのでご安心を」
「…加えた場合には、覚悟して下さいね」
釘を刺す様な亦紅の言葉もどこか戯けた様子で受け流し、ピーターはゆっくりとその場から歩き出す。
それに追従するように道明も歩き始める。
交渉の見込みがないと判断し、この場から去るつもりらしい。
そうして亦紅らの傍を通り過ぎようとした瞬間。
「街へ向かうおつもりですか?あぁ、僕は止めるつもりはありませんよ」
「あの街で、何があったのですか」
「『邪神』がいたとでも言っておきましょうか」
不敵な笑みを浮かべながら、ピーターは亦紅らと擦れ違っていった。
◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆
「いいのかよ。あいつ知り合いだったみたいだけど、強かったんだろ」
「あぁ、まあいいんですよ。あの様子ならどうせ交渉の余地もありませんでしたし」
道中を歩く中、道明の問いに対しピーターはあっさりとそう答える。
ピーターはルカとの交渉が決裂したことを少し口惜しくは思うが、然程悲観はしない。
偶々見つけた一つの機会を失っただけだ。ならば当初の予定通りに事を進めるだけである。
「まぁ、彼らが勝手に市街地に突っ込んでくれればそれで万々歳でしょう。
僕達を攻撃しなかったことから察するに、彼らは殺し合いをする意思を持たない連中だ。
それも義侠心の強い人種。なら適当に危険人物とぶつけ合わせ、消耗を狙わせておけばいい」
彼らの態度や様子から察するに、亦紅達は正義感かそれに近しい類いの方針で行動をしている。
恐らくこの殺し合いを打破する為に動いている参加者だ。
少なくとも、三人で徒党を組んで自分達を攻撃しなかった時点で彼らはシロだろう。
故に適当な情報を与え、彼らを消耗させておけばいい。
バラッドは死んでいる。確実だろう。あれほどまで圧倒的な力を持つ邪神に立ち向かって生きている筈がない。
あの市街地に今も君臨し続けているのは間違い無くあの邪神だ。
殺し合いを勝ち残るにせよ脱出するにせよ、奴は間違い無く障害となる。
故に邪神を始末することを視野に入れたのだ。
亦紅らを邪神にぶつければ、ほんの少しくらいは消耗する―――――かもしれない。
命と引き換えに手傷を負わせてくれれば最も良いのだが。
とにもかく、邪神といえど参加者だ。決して不死身ではないだろう。
他の誰かが攻略のヒントを手に入れるか、傷を負わせるか、それだけでもしてくれれば十分だ。
とはいえ、邪神以外にも危険要素は存在する。
亦紅らが自分を警戒し続け、何らかの手を打ってくる可能性は否定出来ない。寧ろ多いに有り得る。
追跡や始末など、もしも彼らが自分に対しての対処を考えているとすれば―――――その時は、自分も身の振り方を考えなければ。
ピーターはそう考えた。
(はてさて…これからどうなることやら。
とにかく、今は禁止エリアに向かうとしましょうか)
【J-7 南西・町外れ/昼】
【ピーター・セヴェール】
[状態]:頬に切り傷、全身に殴られた痕、疲労(小)
[装備]:MK16
[道具]:基本支給品一式、MK16の予備弾薬複数、ランダムアイテム0~1(確認済み)、
麻生時音の死体
[思考・行動]
基本方針:女性を食べたい(食欲的な意味で)。手段は未定だが、とにかく生き残る。
1:道明を禁止エリアに放り込む
2:麻生時音(名前は知らない)の死体を早く食べたい。
3:生き残る為には『組織』の仲間を利用することも厭わない。
4:ミル博士との接触等で首輪解除の方法を探る。とはいえ余り期待はしていない。
5:出来れば邪神を始末したい。その為に亦紅達をぶつけたい。
6:亦紅達に警戒。尾行等には十分注意する。
※バラッドの死は確実であると考えています。
【佐藤道明】
状態:ダメージ(大)、疲労(大)、肩に傷、アザレアの肉体、首輪が見えない、体中に汚れ
装備:焼け焦げたモーニングスター、リモコン爆弾+起爆スイッチ、桜中の制服
道具:基本支給品一式、SAAの予備弾薬30発、皮製造機の残骸とマニュアル本、『組織』構成員リスト、ランダムアイテム0~2
[思考・状況]
基本思考:このデスゲームで勝ち残る
1:ピーターを利用する。
2:一刻も早く
オデットのいる市街地近辺から逃げる
3:ミルを探し、変化した身体についての情報を拷問してでも聞き出す
《――――まずは宇宙人を探せ》
《そして機人を、悪党を、怪人を、魔王を、邪神を乗り越えろ。
僕の前に立つのはそれからかな。その時はちゃんと相手をしてあげるよ。
まあ段階を飛ばす裏技もあるけど、あまりお勧めはしないかな? きっと碌な事にならないから》
あの男、
ワールドオーダーはそう言っていた。
奴と戦う為にはその六人を乗り越える必要があるという。
彼らは主催の差し金なのか。あるいは何らかの意味を持たせされた参加者に過ぎないのか。
ピーターがこの場から去った後、亦紅はその話を持ち出した。
ワールドオーダーが口にしていた『邪神』という単語をピーターも言っていたからだ。
「ワールドオーダーが言っていたあの言葉、どう思いますか」
「…あたしは信じるぜ」
「何故そう思う、珠美」
確信を持った様な珠美に対し、春奈が問いかける。
「あいつはその気になりゃ明らかにあたし達を殺せた。
あたし達の攻撃に完璧に対処できるだけの実力をあいつは持っていた。
なのにあいつは敢えてあたし達を見逃した」
ワールドオーダーの能力は圧倒的だった。
直に戦った三人ならばそれを理解出来る。
彼の力に対し心が屈した訳ではない。『理性で』そう判断出来たのだ。
その気になれば、あの場で自分達を無力化することも可能だっただろう。
だが、ワールドオーダーはそれをせずに自分達を見逃した。
「単に参加者同士の殺し合いを望んでいる、っていうのもあるかもしれねぇが…どうにもそれだけには思えない。
そもそも殺し合いを望んでいるのなら、主催への反抗を狙っている参加者は徹底的に排除すべきだ」
「だが奴は俺達を見逃し、剰え自分に立ち向かう為のヒントを与えてきた…という訳か」
「つまり、奴は『参加者による主催への反抗』さえも望んでいるのですか?」
「そういうこった。そう思ったからこそ、あいつのヒントは嘘じゃねえって思ったのさ」
珠美の推測に対し、二人は納得する。
あの男の態度から察するに有り得る話だろう。
奴はこの殺し合いを完遂させたがっているが、同時に殺し合いの反抗さえも望んでいる。
敢えて言うのならば、殺し合いの中で参加者がどう動くか――――それ自体を楽しんでいるのかもしれない。
だからこそ殺し合うことも主催への反抗も肯定しているのではないか。
「あのピーターって野郎は邪神に会ったそうだが、信用出来ると思うか?」
「…少なくとも、あの場で急に嘘を言い出すとも思えません。
彼は信用出来ない男ですが、意味のない見え透いた嘘を付くとも考えられない」
主催者の考察をした後、珠美は亦紅にそう問いかける。
ピーター・セヴェールは狡猾な男だ。
しかし、だからこそあの場であんな唐突な嘘をつくとは思えない。
もしかすれば彼は本当に邪神と遭遇したのかもしれない。
亦紅はそう考えたのだ。
「どちらにせよ現状の目的地は市街地だ、向かう他ないだろう。
その『邪神』とやらが主催打倒の手掛かりとなるのならば、尚更だ」
「ああ。もしそいつが敵だとしたら、ぶっ飛ばしてやるだけさ」
「ええ、そうしたい所ですが――――――――」
亦紅が間を伸ばし、言う。
「ピーター・セヴェール。彼をどうしますか」
亦紅の言葉を聞き、春奈と珠美は無言で彼女の方を向いた。
自分達の現状の目的は市街地だ。
対主催の方針を掲げる参加者との接触を果たす為にも。
ミル博士を探す為にも。
そして、『邪神』と接触する為にも。
向かう価値はある。だが、此処に来てもう一つの懸念が生まれた。
ピーター・セヴェールの存在だ。
奴は仮にも殺し屋、生き残る為ならどんな手段だろうと使うだろう。
もしかすれば、他者に危害を加える可能性も否定は出来ない。
博士に危害を加えないという約束も――――彼が必ず守るとは断言できない。
その上彼は同行者を連れていた。
あの佐藤道明がピーターの協力者ならば尚更無視は出来ないし、彼が人質に当たる存在ならば放っておくことも出来ない。
ピーターが単なる義侠心で彼を庇護しているとは考えにくい。十中八九何らかの目的がある。
まだ距離は然程離れていないはずのピーターを追うか。
それとも邪神や他の参加者を捜すべく街へと向かうか。
あるいは此処で誰かがピーターを追跡し、残りのメンバーで街へと向かうか。
三人が選んだ答えは――――
【J-7 南西・町外れ/昼】
【亦紅】
[状態]:健康
[装備]:サバイバルナイフ、マインゴーシュ、風切、適当な量の丸太
[道具]:基本支給品一式、銀の食器セット
[思考・行動]
基本方針:ワールドオーダーを倒し、幸福な物語(ハッピーエンド)を目指す
1:南の街へと向かうか、ピーターを追跡するか。
2:博士を探す
3:サイパスら殺し屋組織を打破して過去の因縁と決着をつける
4:首輪を解除するための道具を探す。ただし本格的な解析は博士に頼みたい
5:ピーターへの警戒心
※少しだけ花火を生み出すことが出来るようになりました
【遠山春奈】
[状態]:手首にダメージ(中)
[装備]:霞切
[道具]:基本支給品一式、ニンニク(10/10)、壱与の式神(残り1回)
[思考・行動]
基本方針:現代最強の剣術家として、未来を切り拓く
1:南の街へと向かうか、ピーターを追跡するか。
2:現代最強の剣術家であり続けたい
3:亦紅を保護する
4:サイパス、主催者とはいつか決着をつけ、借りを返す
5:亦紅の人探しに協力する
※亦紅が元男だということを未だに信じていません
【火輪珠美】
状態:ダメージ(中)全身火傷(小)能力消耗(中)
装備:なし
道具:基本支給品一式、ヒーロー雑誌、禁断の同人誌、適当な量の丸太
[思考・行動]
基本方針:祭りを愉しみつつ、亦紅の成長を見届ける
1:南の街へと向かうか、ピーターを追跡するか。
2:亦紅、遠山春奈としばらく一緒に行動。
3:祭りに乗っている強い参加者と戦いを愉しむ
4:祭りに乗っていない参加者なら協力してもいい
5:会場にいるほうの主催者をいつかぶっ倒す
※
りんご飴をヒーローに勧誘していました
※亦紅に与えた能力が完全に開花する条件は珠美が死ぬことです
最終更新:2015年12月28日 10:11