だが、刻は基本的にその日ぐらし、と言うか長らくその日しかなかった女である。
余り先の展望について考えるのはあまり得意ではない。
なので、いつかと同じくとりあえずセスペェリアに振ることにした。
「それで、セスペェリアさんこれからどうしましょうか?」
「あなたはどうしたいの刻?」
セスペェリアに任せてしまおうと思ったのだが、逆に振り返されてしまった。
聞かれたからには考えない訳にもいかないので、刻は真面目に頭を働かせる。
「うーん。京極さんを追いかける、とかですかね?」
「彼がどちらに行ったかもわからないし、今から追いかけるのは流石に無理よ。
それに仮に追えたとしても、私はあの男と合流するのには反対ね」
「ですよねぇ。うーん」
ただの思い付きで、本気でそうしたいわけでもなかったのか、否定されてもそうだろうな、と言った風に納得する刻。
京極とは交友的な関係という訳でもない、むしろ襲われたり撃退したりの関係である。
そんな相手であろうとも刻は見捨てようとは思わないが、流石に積極的に後を追おうとも思わないというのが本当のところだ。
「だったらセスペェリアさんが
剣正一って人たちから受けてる誤解を解くために、そのお仲間がいたっていう研究所方面に行ってみるというのはどうでしょう?」
「それもやめておいた方がいいわね。剣正一が死んだという事は彼らにも何かがあったという事よ。
そんな所に行くのは危険だし、何より仲間が死んでナイーブになっている所に敵だと思っている私が現れたら、いきなり攻撃されてもおかしくはないわ。
私の誤解を解きたいという刻の気持ちはありがたいけれど、接触するにしても状況が落ち着いてからにして方がいいと思う」
「そうですか…………そうですよねぇ」
危険性を指摘されては刻も提案を却下せざる負えない。
セスペェリアの本音としては、自分の正体を知る奴らとは出来る限り接触は避けたいというだけの話なのだが、刻はもっともだと言う風に深く感嘆を漏らす。
しかしそうなると、行動を考える当てが無くなってしまったのだが。
「じゃあ……人の居そうな所に行ってみません?」
「人の居そうな所?」
自分の思いつきのような言葉に怪訝な視線を返され、刻は僅かにたじろきながらも、拙いながらも自らの考えを話し出す。
「えっと、私たち、というか私って、まだセスペェリアさんと京極さんにしか会ってないじゃないですか?
今後の事を考えたら、もっと他の人達と会っておいたほうがいいんじゃないかなぁと思いまして」
「他の参加者との接触は危険よ?」
「それは…………そうですよね。私も一人の時は誰かと接触するのは怖いなぁって思ってました。
けど今は、ほら。一人じゃないっていうか、セスペェリアさんがいますから」
そう言って刻はセスペェリアに微笑みかける。
その笑みには彼女のセスペェリアに対する信頼が込められていた。
これほどの無垢な信頼を向けられては、セスペェリアとしても今後の関係を考えれば頭ごなしに否定しづらい。
「人の居る場所を目指すと言うのも悪くはないけれど……そうね、だったらこの炭鉱の地図もある事だし、まずはここを調べてみない?
人と接触を目指すにしても、もしかしたらここで誰かに接触できるかもしれないし、他にも何か見つかるかもしれないわ」
じっくりと刻を調査したいセスペェリアからすれば不確定要素はできる限り排除したい所だ。
なので無意味に人に接触して同行者を増やす事態を避けるため、人気のない所に移動したい所ではあるのだが、刻の反応は芳しくない。
「うーん。それでもいいんですけど、できれば避けたいと言うか。暗い所にこもってるのはどうにも性に合わないといいいますか」
それはお日様の下でないと性に合わないという酷く単純な理由だった。
単純ではあるのだが、感覚的な話を理屈でねじ伏せるのはなかなかに難しい。
「それにひょっとしたら、もうみんなどこかに集まってこの島を脱出するぞぉ! って話になってるかもしれないじゃないですか。
もたもたして置いていかれたら困りますからね」
かなり楽観的な意見であるが、本気で言っているわけではなく彼女なりに場を盛り上げようとした言葉なのだろう。
それにもう脱出計画が進んでるというのは言い過ぎにしても、まっとうに脱出を目指す刻からすれば状況に取り残されるのは避けたい事態である。
ジョーカーであるセスペェリアからすればあまり関係のない話だが、その立場を装っている以上それを真っ向から跳ね除けるのは難しかった。
仕方ないと言った風にセスペェリアが息を漏らす。
「分ったわ、じゃあ人がいるところを目指しましょう。そうね人が集まりそうと言ったら市街地辺りかしら?
けど、どちらの市街地に行くにしても、ここからじゃ少し遠いわね」
「あ、それなら近くにいいものがありますよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
炭鉱から抜け出した二人が目指したのは、山頂にあるロープウェイ乗り場だった。
「見てください! セスペェリアさん、ロープウェイですよ! ロープウェイ!」
山道を登りながら、何故か無駄にテンションを上げている刻が指さす先に、空中から吊るされる箱型の搬器があった。
搬器を吊り下げる索条は山頂から遥か先にまで続いており、到達地点は山頂にかかる霧に霞んでいる。
恐らく東南の市街地へと渡されているのだろう。
「落ち着きなさい刻。コケるわよ」
セスペェリアに窘められ、刻が照れたようにはにかむ。
「いや、すいません。私の住んでた街にこういう物なかったもんで、というか娯楽の少ない町でしたので、つい」
彼女の育った町は、平坦な何もない田舎町だったのでループ中も非常に退屈だった。
遠出しようにも学生の身分では免許もなく、金もないため困ったものである。
あるいはそんな何もない街で育ったからこそ、変化のない変わらない一日の中にも楽しみを見出せたのかもしれないが。
だから変化、というか珍しい物を見るとどうしてもテンションが上がってしまう。
まあ地下炭鉱なんてものも珍しいと言えば珍しかったのだが、あれで喜べと言うのは女子に対しては難しい注文であった。
そうして二人は山頂、ロープウェイ乗り場に辿り付いた。
とは言え、ロープウェイ乗り場にやってきたはいいものの、ロープウェイが動いているとも限らない。
二人はまず、その場の調査を行う事にした。
ロープウェイは既に山頂の乗り場に待機しており、口を開けて来客が入るのを今か今かと待ってるようだった。
その傍らにある運転室は蛻の殻だったが、セスペェリアが調べたところ自動運転が設定されておりこの状況でも変わらず運転を行っているようである。
運転間隔は30分に一本。このロープウェイが動くにはまだ幾何かの時間があるようだ。
「次の運転まではまだ時間があるようね。どうする刻、先に」
ロープウェイの中に入って待っているか、と尋ねようとしたところで。
ふいに、空から漆黒が降ってきた。
それは索条の上に気配を殺し潜んでいた漆黒の暗殺者だった。
刻は元より、セスペェリアにすら一切気配を察知されることない完全なる気配遮断。
完全に虚を突かれた二人は反応することもできなかった。
その翼先に刃を携え、舞い落ちる様は逆さになった竹とんぼ。
回転するナイフがセスペェリアの頭部に深々と突き刺さり、その顔面がサクリと裂ける。
だが、襲撃者
アサシンの手元に返ってきたのは、ゼリーでも切り裂いたような妙な手ごたえだった。
元より彼が振るったのは非殺傷の特殊ナイフだが、この手ごたえは余りにも奇妙だ。
アサシンがその違和感に答えを見出す前に、セスペェリアの頭部を切り裂いていたナイフがずんと重くなり、振り切る前に頭の中ごろで刃が止まる。
ナイフが敵に”捕まれた”とアサシンは直感した。
直後、そのまま暗殺者の腕からナイフが掠め取られ、刃を奪われた漆黒は空中に放り出される。
だが、体操選手もかくやという動きで体勢を立て直すと暗殺者は地面へと着地。
その着地の隙を逃さず、ナイフを顔にうずめたまま液体生物は腹を蠢かせ、襲撃者を串刺しにせんと水槍を飛び出させた。
「あなた、面白い体してらっしゃいますね」
などと、弾丸の様に迫ってくる数本の水槍を前に、状況にそぐわぬ素直な感想を漏らしながら。
とりあえず、と言わんばかりの動きで回避すと、そのまま小刻みなバックステップで距離を取る。
暗殺は成功しようが失敗しようが一撃離脱が基本である。
その理論をアサシンは体現しているはずなのだが、今回に限ってはその場で足を止め引こうとはしなかった。
なにせ仕事道具が奪われてしまった。
ただの道具ならば見切りをつけていただろうが、残念ながら達成に必要不可欠な道具である。
それを取り返さなければならない。
「刻。離れていて」
セスペェリアは今頃になって慌ててアイスピックを取り出し、へっぴり腰で構える刻を背後へと下がらせる。
そして、トプンと水音を立てて呑み込むように体の奥底にナイフを落とし、割れた顔面を元に戻す。
そして切り裂かれた傷口の自己診断を行う。
液体生物であるセスペェリアは切り裂かれたところで傷つく事などない。
問題は裂傷ではなく別の何か。何かが体内に流し込まれたような違和感を検知する。
解析結果は理解不能。
数多の宇宙を渡った侵略生物の知識全てと照らし合わせても一致する物のない未知の何か。
毒や呪詛などではなく、これはもっと悍ましい何かだ。
侵入してきた異物は拡散を続け、数時間で全身に行き渡るだろう。
だがこの段階であれば侵された領域を隔離することで侵食を防ぐことは可能だ。
セスペェリアは侵食された領域を切り離して、唾を吐く様に体外へと破棄する。
これで体組織の2%を失ったが、支障のない範囲だ。
「とりあえず、あなたの頭の中に入ってしまったナイフ、返して頂けませんかね?」
まるで悪びれることなく、自分が襲撃したことなど無かったかのようにいけしゃあしゃあとアサシンはそう言った。
「バカバカしい、自分を襲ってきた相手に凶器を返すとでも?」
「もちろんタダとは言いませんよ? 私に支給された他の品と交換と言うのはどうでしょう?」
交渉するつもりなのか、そう言ってアサシンは自らの腰元から数枚のボロボロの紙切れを取り出した。
紙の表面には達筆な筆字で『爆』と書かれており、その周囲にはどこか呪詛めいた幾何学模様が描かれている。
「まずはこれ、お札です。だたのお札じゃありませんよ?
なんと火薬もないのに張るだけで爆発する便利なお札なんです、しかも火力も自由に調整できるらしいですよ、すごいでしょう?
張ったタイミングで起爆時間も決められる、半端爆弾なんかより手軽で便利。
これが何と5枚セットでの支給です。お得ですねぇ」
見せつけるように5枚の札を扇状に広げて、アサシンは訪問販売の販売員の様に怪しい口調で話し出す。
何のつもりかと、セスペェリアは警戒を強め、刻を自らの背後に隠しながら身を構える。
その反応を気にせず、アサシンが荷物の中から取り出した続いての商品は、黒い全身タイツのような衣服だった。
一見する限りでは何の変哲もないスーツの様に見えるが。
「続いてこのスーツ。何の変哲もない全身タイツのように見えますが、耐久性に優れているのかよく伸びます」
そう言いながら服の耐久性を見せつけるようにアサシンは生地を引っ張り始めた。
頑丈というより伸縮性に優れているのか、その服はゴムのように伸びきっているが繊維が切れるような気配はない。
「そして襟元にワンポイントで刺繍された『最高の善意には最高の悪意が必要だ』というニーチェの名言。どうです? カッコいいでしょ?」
何故か自慢げにそう言うアサシンに白けたような二人の視線が浴びせられるが、そんな反応は見えていないのか全く気にした風ではない。
アサシンはプレゼンに満足したようにいそいそと荷物を元に戻すと二人へと向き直る。
「という訳で、この両方とも差し上げますので、そのナイフ、返してくださいませんか?」
「お断りします」
膠も無く断りを入れ、絶縁状代わりの水砲を放つ。
アサシンはそうですかと呟き、水弾を避けると仕方なさそうに肩を竦めた。
「となると、やっぱり方法は一つですかね」
熱が入っているわけでも冷めているわけでもない、これまでと何一つ変わらぬ熱量で呟かれた言葉。
だというのに、周囲の空気がヒビが入る程に乾いていくのを感じて、刻は思わず唾を呑んだ。
始まりを告げるようにアサシンが大げさに溜息を付く。
「あんまり好きじゃないんですけどねぇ――――力づく」
ゆらりと、影法師の様に暗殺者が揺らめく。
その動きを捉えるべく、液体生物がアメーバ状の腕を振るった。
飛沫へと変わるそれは横殴りに降り注ぐ雨そのもの。
違いがあるとすれば、それは触らばタダではすまぬ猛毒であるという一点だろう。
回避することは不可能だ。隙間なく降り注ぐ雨を躱して歩ける人間などいない。
だが、躱せずとも、雨粒一つ一つを見極められる人間ならばいる。ここにいる。
アサシンは目を見開き、水飛沫の一つ一つを捉える視力でその全てを見極めると。
全てを躱すことは不可能であると瞬時に悟るや否や、もっとも薄い個所を見極めて無理矢理に身をねじ込ませる。
下手に躱さず接触は最少に。
同時に敵との距離を最短で詰める。
セスペェリアの懐に入ったアサシンは、一瞬で相手の全身を隈なく見た。
そして重心の位置からナイフの飲み込まれた位置を割り出し、指をスプーンの様に揃えて貫手で中身を抉り出す。
暗殺者の腕が宇宙人の脇腹を抉り、くり抜かれたような穴が開く。
「っ!?」
だが、痛みを奔らせたのはアサシンの方だった。
ナイフを抉り出すはずだった手には何も握られておらず、代わりに毒々しいセスペェリアの体液に塗れていた。
ジュウと煙を上げて肉が溶ける。
「なるほど」
頷いたアサシンが勢いよく腕を払い、付着した体液を払う。
攻撃の直前、セスペェリアは体内でナイフを移動させたのだ。
その反応速度はアサシンの予測よりも早い。
「軟体……というより液体かな? だったら」
言ってアサシンは素早い動きで腰元から一枚、爆発札を抜き出した。
そして札を地面に張り付け、一歩引く。
一秒後、爆炎が弾け、熱風がその光景を見守る刻の元にまで届いた。
物理攻撃が通じないのなら爆風で爆散させるまで。
その実、この戦法はセスペェリアに対して有効な手段であった。
そして有効な手段であるが故に、警戒してしかるべき手段でもある。
アサシンが札を取り出そうと腰に手をかけた時点で、セスペェリアは爆発を警戒して距離を取っていた。
事前に札の効果を説明されていたというのもあるだろう、あれがなければなすすべなく爆炎に塗れていたかもしれない。
その動きを追うようにアサシンが続いて取り出した紙切れを指先で器用に弾いた。
矢と化した爆発札がセスペェリアに向かって一直線に滑空する。
後方に引いた直後の重心が偏ったタイミングではこの飛来物は躱せない。
だが、セスペェリアにそのような常識は通用しない。
魚眼レンズを通したように、セスペェリアの体が歪み、爆発札を避けるように液体生物の体が三日月の様な空洞を描いた。
トンネルを通る様に爆発札が明後日の方向に抜けてゆく。
だが、そのトンネルを通るのは爆発札だけではなかった。
漆黒の風が吹く。アサシンだ。
天敵である爆発札を避けるためにセスペェリアが開いた道をアサシンが一直線に駆け抜ける。
その先になにがあるのか気づき、セスペェリアが叫ぶ。
「―――――刻!」
時田刻。
アサシンの狙いは、セスペェリアが後方で守っていた時田刻までの道を切り開くこと。
一瞬で刻の元までたどり着いたアサシンはその背後に回り込む。
相手は百芸を極めた人類の最高峰である。ただの女子高生である刻に抵抗などできるはずもない。
刹那の間に身を固められると、首筋に指をあてがわれた。
「僕の爪は半端なナイフより斬れますのであしからず」
その言葉を証明する様に、アサシンが爪先が触れた刻の白い首筋に一筋の赤い滴が垂れる。
人質を取られセスペェリアは動きを止めると、抵抗の意がないことを示すように崩れていた人型を元に取り戻し両手を上げた。
「それでは物々交換ではなく人質交換と行きましょうか、せーのでナイフとこの子を互いの所に投げて交換しましょう」
「……あなたがちゃんと人質を解放してくれるという保証は?」
「プロとして取引で嘘をつくなんて事はしませんよ」
「それを信用しろと?」
「まあそれはお互い様という事で、その辺は信じてもらうしかないですよねぇ」
通常であればこんな怪しげな男の言葉など、信じることなど出来ない。
だが、セスペェリアの場合は違う。
彼女は人間の心を読む超能力を持っている。
この距離で読めるのは心の表層程度だが、少なくとも嘘はついていない。
ナイフを返せば刻を解放する意思があるのは真実だろう。
「いいわ、取引に応じましょう。ナイフは返す、だから刻を解放して」
「…………セスペェリアさん」
不安げに声を震わせる刻を安心させるように、セスペェリアは優しい笑みの表情を作る。
「OK。じゃあ321でお互い同時に解放しましょうか」
アサシンの言葉にセスペェリアを頷きを返す。
これも嘘ではない。疑う必要はないだろう。
セスペェリアは自らの体内からサバイバルナイフを取り出した。
「3……」
「2……」
『1……!』
カウントと同時に、セスペェリアがナイフを放り投げ、アサシンが刻の拘束を解いてセスペェリアに向かって背中を押し出した。
足をばたつかせながら、押し出された勢いのまま刻の体がセスペェリアの元に向かう。
そうして完全に刻がアサシンの手から解放されたことを確認して――セスペェリアがくぃと何かを引っ張るように腕を引いた。
セスペェリアとナイフを結ぶ直線がきらりと光る。
それは髪の毛一本の太さにも満たない水の糸。
その糸を魚を釣るような動きで自らの手元に引き寄せる。
プロは約束を守るだろうが、そんなことはプロではないセスペェリアの知った事ではなかった。
どういった効果を齎すものなのかは解明できなかったが、これほど執着するからには何か理由がある筈である。
その理由が分からぬうちに、危険な輩にむざむざと凶器を返していいはずがない。
リスクは徹底的に排除する。それがセスペェリアのやり方だ。
「ま、そう来ると思いましたよ」
空中で不自然な軌道をたどり自らの手元から遠ざかるナイフを見ながら、驚くほど冷静で平坦な声でアサシンが言った。
それとほぼ同時に、つんのめりながらも刻の体がセスペェリアの元までたどり着いた。
糸を引く手とは逆の腕でその体を受け止める。
そこで気づく。
押し出されたときに付けられたのか、刻の背中に一枚の札が張り付けられていた事に。
それがなんであるかに気付いた時には、全てが遅かった。
籠った爆発音が響いた。
時田刻の背中で紅蓮が爆ぜ、その余波を喰らい液体生物の表層が弾ける。
確かに刻を解放するとは言ったが、それ以外に何もしないとは一言も言っていない。
その隙に待ってましたとアサシンは走って飛ぶと、糸が千切れ空中に放り出されたナイフを奪取する。
そして物のついでの早業で、セスペェリアと抱き合うように倒れこむ刻の体をすれ違いざま切り裂いた。
「これで2ポイントゲット……で、いいのかな?」
依頼内容は妖刀無銘で参加者を切ることである。
液体生物相手には手ごたえはなかったが、切ったには切ったので良しとしておこう。
アサシンは重なり合って倒れこむ二人の横を通りすぎると、ロープウェイの上に飛び乗った。
出発のベルが鳴る。
「ではではお二人とも。お時間ですので、さようなら」
ガタンと一度大きく揺れると、天井にアサシンを乗せたロープウェイが動き始めた。
元よりアサシンも二十人斬りのペースを上げるべく、人の多そうな市街地を目指すためにここにやってきたのだ。
宙を渡る鉄の檻に運ばれながらアサシンは二人に軽く手を振りながら軽い調子で消えて行った。
【G-7 ロープウェイ天井/昼】
【アサシン】
[状態]:健康、疲労(小)、右腕負傷
[装備]:妖刀無銘
[道具]:基本支給品一式、爆発札×2、悪威
[思考]
基本行動方針:依頼を完遂する
1:市街地に行って次の獲物を探す
2:二十人斬ったら何をするかな…
3:魔王を警戒
※依頼を受けたものだと勘違いしています。
※あと16人斬ったらスペシャルな報酬が与えられます。
【爆発札】
爆発するお札。どこかに張り付けると起動する。
爆発の火力やタイミングは貼り付ける際に念じるだけで設定可能。
最大火力はダイナマイト一本と同等。
【悪威(アクイ)】
対規格外生物殲滅用兵装三号。襟元には『最高の善意には最高の悪意が必要だ』という文字が刺繍されている。
一号『悪刀(アクトウ)』二号『悪砲(アクホウ)』と共に森茂が本来の仕事を行う際に用いる三種の神器の一つ。
様々な特殊機能を持つ悪党商会における変幻自在にして最強の鎧。
だが本来の力を引き出すにはナノマシン認証による認定が必要で、それ以外の人間が来てもただの丈夫な運動着に過ぎない。
「刻! 刻! しっかりして刻!」
「……ぅ…………ぁ」
セスペェリアの呼びかけに返ってくるのは譫言のような言葉だけだった。
意識レベルが低下している、非常に危険な状態だ。
傷口を確認すれば、背中の肉が吹き飛び黒く焦げた中身が見えている。
放っておけば確実に死ぬ傷だが、かといってすぐさま死ぬほどではない。
正しく生かさず殺さず、絶妙な火加減だった。
簡易的な治療ならセスペェリアにも不可能ではない。
体成分を作り変えて、患部に流し込み同化させ治療を促進すれば延命にはなる。
だが、それだけでこの傷を完全に治せるかと言うと難しいだろう。
どうする。
時間遡行者というこれほど希少なサンプルをむざむざと失う訳にはいかない。
かといってこの場を乗り切る手段などない。
刻一刻と命の灯火は弱くなっていき時間がない、焦りが募る。
「……………………仕方ない」
そう、こうなっては仕方ない。
開き直って、この事態を逆に好機ととらえるべきだ。
彼女は持たない。
もう、これを決定事項として今後を考える。
どうせ持たないんだったら、彼女の命が尽きるまでの僅かな時間に成果を得るまでだ。
堂々と刻の体を好きなように解剖して調べ尽くす。
どうせなら実際時間逆行が行われる様だって観察したかった、不満は残るが仕方ない。
手を拱いて確率の低い延命に賭けて、何の成果も得られませんでしたとなるよりは幾分かましだろう。
いや、さすがに解剖はまずいか。
準備が整っていれば生かしたまま解剖も可能だろうが、急な事態だったので準備が整っていないのが非常に残念だ。
「ごっ…………がぁ………あっぷっ、あっ、ぱっ」
眠りを覚まさぬようにと気遣い極小の触手にとどめたあの時とは違い。
今度は憚ることなく腕程の太さの触手を少女の小さな口を押し広げるように無理やりねじ込む。
少女は閉じる事の出来なくなった口の端から涎を垂れ流しながら、虚ろな目を開いて手足を僅かにばたつかせた。
呼吸はできないだろうが、代わりに酸素濃度の高い液体で肺を満たし液体呼吸を行わせる、苦しいだろうがこれで死にはしない。
同時に背中の傷にも最低限の治療を施す。
調査と共に、出来る限りの延命処置も同時にやらなくちゃならないのがつらい所だ。
口腔から侵入した触手は脳へと繋がる薄い壁を破って脳に直接その手を這わせる。
絹ごし豆腐のような感触の脳を、壊さぬよう慎重に水の触手を溶かし脳髄を満たしていく。
そして触手の先に花びらの様な口を作り、脳細胞の一部を抽出して成分の解析を始めた。
.
.
.
解析完了。
解析の結果、彼女自身に異能はないという結果が出た。
それはおかしい。ループの原因はどうなる?
彼女自身ではなく、周囲の環境の問題だとでもいうのだろうか?
いや世界の変化が彼女の行動を基点としている時点でそれは否定される。
彼女の記憶から見て彼女が特異点であることは間違いない。
何かがあるはずだ。何かが。
さらに調査サンプルを増やすべく、再度脳を切り出し今度はDNA情報を解析。
遺伝子情報を遡り、彼女本人ではなくその祖先にまで検索範囲を拡大する。
.
.
.
解析完了。
通常と異なるパターンを検出。
パターンから特異点を精査し調査を行う。
検知された異常は数代前の先祖にまで遡る。
なるほど。
彼女自身ではなく、彼女を取り巻く因果を操る存在がいたという事か。
それが隔世遺伝のような形で発現した興味深い事案である。
だが、それよりも、時を操る超次元的存在の実在証明を得たのが何より大きい。
情報収集個体としてこの情報を得られた歓喜に震えている。
今すぐにでも母星へと通信を行い、この情報を知らせたい欲求に駆られるほどだ。
超次元的存在についての詳細を追求したいが、それに関しての情報をこのサンプルからこれ以上得るのは難しいだろう。
この個体を使って得られる情報はここまでだ。
完全ではないものの、一定の成果は得られた。
セスペェリアは賭けに勝利したと言ってもいい、
だが、調査を終了する前に、一つ疑問が残った。
要因が彼女本人なく、彼女の先祖にあったと言うのなら、何故彼女だったのか?
彼女の親兄弟ではなく先祖の誰かでもなく彼女だったのは何故か?
しかも彼女は16年間何事も起きずに過ごしていたにも関わらず、その因果が唐突に発生したのは何故?
情報収集個体としての知りたいと言う好奇心が疼く。
刻が眠っているうちに済ませた前回の調査ではループの初日までしか調べなかったが。
何故ループが始められたのかを調べるのならば、調査すべきはループの開始からではなくループの開始される前日だろう。
記憶を司る海馬へと触手を侵食させ、より深い記憶の海と潜ってゆく。
該当日時を詮索、564日前の記憶を発見。
?
何だ?
何か、おかしい。
見つけ出した記憶情報の中に、ささくれの様な、ともすれば見逃してしまいそうな小さな小さな違和感を発見した。
違和感を追求すべく、発見した該当情報を解析する。
解析結果は白。
解析結果が白であるのならば、何の問題もない。
だとしたら何が、何に引っ掛かりを覚えているのか。
あるとするならば、参照した情報集合体の知識に該当しない未知の何かである可能性。
だが、それならばその知識をもとに生み出されたセスペェリアの認識にもスルーされるはずである。
にもかかわらず、セスペェリアはこれを識っている。
どこだ?
どこで私はこれを識った?
そうだ、これは先ほど感じたナイフから流し込まれた異物と同じものだ。
そうでなければ気付く事すらできなかったほどの微細な何かに、既に弄られた跡がある?
背筋がチリつくような感覚を覚える。
これは怖気か。
そんな馬鹿な。
そのような感情を情報収集個体であるセスペェリアが抱くはずがない。
これはあの黒づくめの能力だろうか?
いや、あのナイフに拘っていた事から見て、あの男の力と言うよりナイフの力である可能性の方が高いだろう。
という事は、支給品である以上、
主催者である
ワールドオーダーが用意した代物の力であるという事だ。
あの男はいったい何をした?
その答えがこの記憶の中にあるのだろうか。
奥へ。
奥へ。
もっと奥へ。
直接脳にアクセスしているため、情報の精度は先ほどまでとは次元が違う。
追体験をするように彼女の記憶の奥底にある情報を再生する。
再生される何の変哲もない日常だった。
日々が螺旋に捕らわれる前の、彼女の何も変わらないような、それでいて確かに変わっていた日常。
少し寝坊した慌ただしい朝。
母親の用意した温かい朝食。
何時もの席で新聞を読む無口な父。
授業は退屈だったけれど学校での友達とのおしゃべりは楽しかった。
日が傾きかけた放課後、グラウンドからは運動部のけたたましい声が聞こえる。
彼女は日直の仕事を終え、より少し遅い帰り道を急いだ。
晩秋に差し掛った日の足は速く、いつもの帰り道は暗闇に染まっていた。
時間帯のせいかまったくと言っていいほど人影は見当たらない。
いつも人通りの多い道ではないが、完全なる静寂に不気味さを感じ、少女は点在する街頭の灯りから灯りへと早足で渡っていく。
その途中。
『――――――やぁ』
彼女は一人の男と出会って――――。
ブツンと。
そこで、強制的に電源を落としたパソコンの様に映像が途切れた。
何事かと思い、没頭していた意識を引き戻す。
見れば。苦しげな形相で顔を歪め、四肢をビクビクと痙攣させながら、時田刻が死んでいた。
どうやら、調査に夢中になり過ぎて延命措置が疎かになっていたようである。
まあどちらにせよ死んだだろうが、妙なタイミングで途切れてしまった。
ちゅるんと顎の外れた少女の口から唾液と薄茶色の脳症に塗れた触手を引き抜く。
調査すべき一定の成果は得たものの、妙な後腐れが残ってしまった。
「まあ、いいわ。それは直接調べればいい」
少なくとも時田刻から得られる情報は最大限に引き出せたはずだ。
これ以上は、奴に直接聞けばいい。
そう切り替え、絶望と苦しみの表情で死に絶えた、少女の死体を見る。
それよりも、今は減った体積の補充をするとしよう。
ちょうどいい補給源が目の前にある。
液体生物は全身を口の様に開き、食虫植物の様に少女の体を飲み込んだ。
【時田刻 死亡】
【F-7 ロープウェイ乗り場/昼】
【セスペェリア】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、電気信号変換装置、地下通路マップ、ランダムアイテム0~4、アイスピック
[思考・行動]
基本方針:ジョーカーとして振る舞う
1:次の調査対象を探す
2:ミリアたちはいずれ始末する
3:ワールドオーダーと話をする
※この殺し合いの二人目のジョーカーです
最終更新:2016年03月07日 12:37