「意外な結果になりましたね」
放送を聞き終え、
ピーター・セヴェールはそう一人ごちた。
今しがた流れた放送の内容は、彼の予測を大きく裏切るものだった。
なにせ参加者の生死が、ピーターの認識と予測と真逆である。
敏感に死を嗅ぎ取る殺し屋の嗅覚を持って真っ先にあの地獄を抜けだした
アザレアが死んだ事に関しては、まあわからないでもない。
あの場から逃げた後に、何かあったのだろうと言う察しはつけられる。
だが、絶対的支配者であった
リヴェイラが死んで、その御前に捧げられた生贄だったはずの
バラッドが生きているというのは、完全に予想の範囲外だ。
一体どのような奇跡があればあの状況で生き残られたと言うのか。
かと言って放送が嘘をついているとも思えない。
こんな事になるのなら結末を見ておけばよかったなと、少しだけ後悔した。
単なる野次馬根性ではなく、大きな動きを見逃したという事実が今後に響くかもしれないという懸念からである。
「おいおい、どうすんだよピーター!?」
その横で、ピーターの思考を遮るような大声で道明がまたしても取り乱していた。
ピーターは呆れと煩わしさを億尾にも出さず穏やかな声で問いかける。
「おやおや、何をそんなにお慌てで? どうかしましたか?」
「どうもこうもねぇよ! アザレアが死んじまったぞ!?」
今現在、自分が姿を模しているアザレアの名が呼ばれてしまった。
死人が歩いているというのは流石にマズい。
これでは妙な疑いを掛けられかねない。
そう思い、道明は騒いでいるようだ。
「それで慌てるのは今さらでしょう、その程度の事態は想定なさっていたのでは?」
「うっ。それは……そうだけどよ」
道明といえども、そうなるであろう可能性くらいは考えていた。
考えてはいたが、いざその通りになってみたらそれはそれで焦るという小市民っぷりを発揮しているのである。
その上、どうすべきかの意見をピーターに投げる辺りどうしようもない。
怠ける事には定評のあるニートである。
ピーターという優秀なブレインを得たことで、これまで必死で行ってきた"自分で考える事"を放棄しつつあった。
「そうですね。ではいっそその状況を利用すると言うのはどうです?」
そういった事情を正しく理解した上で、ピーターは意見を提案する。
彼は道明の親でもなんでもないので、彼のためを思う必要なんてないし、何より豚に思考は必要ないのだから。
「利用ってのは?」
「首輪が取れたから死亡扱いになった、と言うのはどうでしょう?
ワールドオーダーは参加者の生死を首輪で把握しているという事にするんです」
首輪が存在しない事と死亡が発表された事。
この現在ある問題を繋ぎ合わせて整合性を取ろうという提案だ。
片方がもう片方の原因である因果関係があるというのは、ただ首輪が取れたというよりも説得力が生まれる。
「確かにそれなら筋は通るか……けど、それじゃ結局どうやって首輪を取ったんだって話になるんじゃねぇか?」
「不備があって外れたとかでいいんじゃないですか? 70以上もあれば一つくらいは欠陥品も紛れていてもおかしくはない」
強引な案ではあるが、ない話ではないだろう。
多少の不信感は残るだろうが、下手に具体的な手段を提示して突っ込まれても困るし、
主催者側の不備という事にしておけば相手もそれ以上突っ込みようがない。
実際用意する理屈としてはこのくらいがちょうどいいのだ。
「…………いいやダメだ」
だが、道明は提示されたその案を否定する。
必要なのは完全無欠の無罪証明。
多少の不信感すら持たれることすら彼にとっては不味い。
その確かな理由がある。
「死んだのに歩いてたり、首輪がないことで、主催者の一味だと疑われたら、どんな目に遭うかわからねぇ…………」
その言葉の先を想像したのか、恐怖におびえるように声を震わせる。
だが、ピーターから言わせればそれは余りにも自意識過剰が過ぎる発想だ。
誰がこんなマヌケをあの周到な主催者の一味だと誤解すると言うのか。
「貴方一人なら疑われるかもしれませんが、首輪のついた私が横にいるので大丈夫でしょう。
その辺の事情は私が取り成しますのでご心配なく、貴方の身は私が護りますよ」
そんな心にもないことを言って、ピーターは見るものを安心させるような柔らかな笑みを浮かべた。
正直、道明がどうなるかなどピーターにとってはどうでもいい。
そもそも、首輪が生死を判定していると言う話だって仮にそうだったとしても、詳細な仕組みを説明できる方がおかしいのだ。
だから、それは分からないでいいのだ。
いちいち理屈を用意したのは道明を納得させるための方便にすぎない。
「まあイザとなったら正直に事情を話すしかないでしょう。下手に偽って虚偽が発覚するよりも、その方が幾分かましだ」
本物のアザレアを知る相手だったという事情もあるが、実際ルカの時はそうしたわけだし、それが一番手っ取り早い。
道明もそれは分かっているのか、「そうだなぁ……」と苦虫を噛み潰したような表情ながら理解を示した。
◆
「どーもー、こんにちはぁ」
放送を聞き終え、方針を決めて止めていた足を動かし始めた直後の出来事である。
進んだ先、そこに人のよさそうな笑顔を張り付けたスラリとした美しい女が立っていた。
長年培った引きこもりの習性か、突然現れた相手に対して反射的に道明はピーターの陰に身を隠した。
小さなアザレアの体だったため長身のピーターの陰にすっぽりと隠れる。
「おやおや、そちらの子は照れ屋さんですかぁ?」
小さな子供が男の陰に隠れる動きを察して恵理子が回り込むよう立ち位置を変える。
その少女の姿が誰なのかを確認して、恵理子は思わず反応してしまった。
「あれ? アザレア…………?」
多くの情報を把握している恵理子の高い知識量が災いした。
先ほど放送で死亡が伝えられたアザレアが、そこに立っていた。
「おや、アザレアをご存じで?」
恵理子は瞬時に自らの失言に気づくがもう遅い、それを見逃すピーターでもない。
外部でそれなりに名を馳せてから取り込まれたスカウト組と違って、組織で育った純粋培養の暗殺者、アザレアの存在は知る者自体が少ないのだ。
組織外の知り合いなんているはずもないし、彼女を知るのはごくごく限られている。
とは言え、この舞台で本物のアザレアと出会ったという可能性もあるため、安直に結論は出せない。
そのため、ピーターはひとまず相手の出方を窺う事にした。
だが目の前にいるのが偽物のアザレアであると気付いていない恵理子からすれば、この場でアザレアと出会ったなどという嘘で誤魔化すなどという発想はできるはずもない。
故に、誤魔化せないと悟った恵理子は情報的優位を推してイニシアチブを取りにゆく方針に転換した。
「ええ、存じ上げてますよ。アザレアのみならず、貴方の事もね。ピーター・セヴェールさん」
その対応を見てピーターは目の前の相手が組織の情報を把握しているが、アザレアが偽物であることには気づいていないと相手の情報量を見定める。
亦紅のように仕草に違和感を感じ取れる直接的な既知ではなく、情報だけ知っている存在。
道明と同じく支給品によって情報を得た可能性もあるが、限りある支給品の中に組織の情報が幾つもばら撒かれているなどとは考えづらい。
あったとしたらワールドオーダーの嫌がらせである。
つまり推測するに彼女は元から知っていた。
何からの手段で組織の情報を得られる立場にいる女である。
もしかしたら件の内通者と直接つながっていた工作員かもしれない。
「おや、貴女のように美しい女性に知られているとは光栄ですね。
しかし『悪党商会』ですか。そう言えばうちの組織でも何人かお宅の商品を使ってる者がいましたね」
「そうですか。それはどうも御贔屓に」
『悪党商会』と言えば極東の武器会社である。
武器に拘りのないピーターとしてはあまり興味のない所ではあるのだが、許可されていない極東に拠点を置く死の商人という興味深さが印象に残っていた。
裏で何かこそこそやっているとは聞いているが詳しくはない。
「それで、"たかが"武器商人がなぜ我々の事をご存じなので?」
「それは、我々が"ただの"武器商人ではないからですよミスター」
悪党は全てを呑みこむ混沌のように不敵に笑う。
その笑みに後ろからその様子を見ていただけの道明ですら一歩後ずさった。
「なるほど。では一つ尋ねたいのですが」
何物にも呑まれることない殺し屋は、淡々と荷物の中から一冊のノートを取り出す。
「支給品の中にこんなノートがあったのですが。このノートは貴女の物でしょうか?」
「いいえ、違いますよ。それは私のノートではありません」
ノートとは『組織』についての情報が纏められたノートである。
このノートに関して、ピーターはここまでの道中詳しく目を通していた。
書かれた情報の精度や深度、加えてこれれを制作したのはFBIの
ロバート・キャンベルであることも把握している。
把握したうえで、揺さぶりとして問いかけたのである。
その成果としては上々。
とぼけている様だが、ピーターの目は誤魔化せない。
内容が何であるかはあえて言わなかったが、このノートの中身について知っている風だ。
「では問い方を変えましょう。このノートの内容は貴女が齎したモノですね?」
断定する形で言った。
情報などという物は調べたから手に入るなどという物ではない。
相応の調べる手段と伝手があって初めて齎される者だ。
それはFBIだろうがCAIだろうが同じ事。
それを齎したのが目の前の女だとピーターは踏んでいる。
「さあ、どうでしょうねぇ? 仮にそうだったとして、どうなさるおつもりで?」
「別にどうもしませんよ。ただここまでの情報をどうやって得たのか気になっただけです」
ノートには情報のみならずご丁寧にも顔写真まで付いていた。
基本的に殺し屋は写真など撮らない。仲良く並んでピースサインなどあり得ないのだ。
こんなものを用意するのは身内でもなければ不可能だ。
いや、身内でもかなり難しい。組織の中でもそれ相応の立場が必要となる。
そんな代物を彼女が提供できたと言うのなら、以前から組織に内にいると疑われていた内通者と繋がっているのが彼女という事になる。
「余計な好奇心は身を滅ぼしますよぉ~? そちらの組織におしゃべりな人でもいたんじゃないですかぁ?」
「はは、確かにうちは危機管理なんて二の次な連中の集まりですからね。本を出す馬鹿者もいるくらいですから」
「
ケビン・マッカートニーでしたか、読みましたよ彼の著書。テーマは中々面白かったのですか情報の羅列で些か読み物としては退屈でした」
「そうですね加えて余りの悪文にソフィーが憤慨してましたよ。アリー辺りには受けたみたいですが」
「というか、よく出版できましたねあんな本、いろんな意味で」
「あれを通すのにマイクに相当無茶をさせたようでまったく困ったものです」
こんな時に何の話をしてるんだこいつらと、後ろで道明が呆れのような表情で二人を見るが、無論これはただの雑談という訳ではない。
今のやり取りでピーターには組織の裏切り者が誰なのか、だいたい理解できた。
ソフィーは三ヵ月前に組織を離脱しようとして、失敗して粛清された。
アリーは半年前に発狂して自殺。マイクは部下の裏切りにあい昨年に死亡している。
これらの名に何の反応を示さないということは、一定の時期から彼女の組織に対する情報は更新されていない。
このノートもそうだ。
さすがにFBIともなれば情報を得るパイプは一つではないのだろう。
直近の情報もいくつかあるが、情報の質量共に一定の時期以降はぐんと落ちている。
つまりその時期に内通者に何かがあったという事だ。
そしてその時期に死亡、ないし失踪した者は限られ、相応の立場にあるものと言う条件を加えればもう一人しかいない。
内通者が誰なのか。
元より興味はなかったが、知れそうな状況だったのでサイパスへの手土産にでもしようかと探ってみたが、まったくもってつまらない結論である。
この分ならわざわざ報告せずともサイパスはとっくに把握してるかもしれない。
「ところで、話を戻しますが、アザレアさんがなぜ生きているんです?
私の記憶が間違っていなければ先ほど死亡者として名前を呼ばれたはずですが。
それに首輪も見当たりませんねぇ。どうされたんです?」
恵理子に視線を向けられアザレアの姿をした
佐藤道明が息を詰まらせる。
まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「そ、それは、えっと、この首輪が参加者のせ、生死を…………」
ここでできる選択肢は最初に用意した言い訳で誤魔化すか、正直に事情を明かすか。
前者を選ぼうとした道明をピーターが片手で制する。
ここは自分にまかせてくれと目くばせを送る。
「実は、彼はアザレアではないのですよ」
そしてピーターは後者を選んだ。
◆
「なるほど。ミル博士ですか、確かにあの人ならばそれくらいは作れますか」
道明の事情を聴き終えた恵理子は意外なほどあっさりと納得を示した。
ミル博士の持つ高い技術力と、こういうものを作りかねない性格に対して知識があるためだろう。
何より挙動不審なアザレアという自分の知る情報とまるで一致しないさまを見れば別人であるというのは納得せざる負えない。
「では改めまして、中の人の本名をお聞かせ願ってもよろしいですかぁ?」
「彼は佐藤道明さんです。私の同盟相手です」
道明ではなくピーターが答える。
あくまでこの場のイニシアチブはピーターが持っている事を示すように。
「同盟、ですか」
「ええ」
恵理子はピーターの性格も把握している。
狡猾な男が何の利益もなしに他者と組むとも思えない、外見通りの少女ならともかく。
それに見合うだけの何かが道明にあると言うのだろうか。
恵理子はその疑問を探るべく道明へと向き直った。
「佐藤道明くんですねぇ。よろしくお願いします」
「あ、ああ」
差し出されたてを道明はおずおずと握り返す。
恵理子は手を握りながら目を細め、目の前の相手を見定める。
恵理子の膨大な人物データベースの中からも佐藤道明の名はヒットしない。
そうなると取るに足らない小物か、掴むことのできない深淵か
まあ前者だろうなと目の前の少女の殻を被った男を見てそう判断する。
握った手からも何の凄みも伝わってこない。
だからこそますます、ピーターが彼と組んだ意図がわからなくなる。
恵理子は探りを入れてみることにした。
「それでお二人はどちらに向かうおつもりで?」
「どこに向かうと言うより、南の市街地に危険人物がいたので逃げてきたと言ったところですかね。
佐藤さんはその途中で出会いまして、行動を共にしている次第です」
もっともその危険も動乱の中心である邪神が死んだことにより解消されたはずなのだが。
市街地から離れて道明を誘導する口実がなくなるのでピーターはそれを口にはしない。
「そう言うそちらは何をされていたんです?」
「ちょっと怖い人に襲われまして、身を休めていた所です。見ての通りボロボロでしょう?」
そう言って傷付いた体を見せる恵理子だが、その襲ってきた相手がピーターの上司であるサイパスである事は言わなかった。
サイパスとの戦闘で殺し屋の厄介さは身に染みて理解している。
余計な情報を与えて合流でもされては厄介だ。
もっとも、ここでピーターを殺せばそんな事は起こりえないのだが。
そうせずに不意打ちをするでもなくわざわざ声をかけたのは、出来る限り情報を引き出してから殺したいとう情報部長としての悪癖からである。
少なくとも気になる点は全て聞いておいからでも動くのは遅くない。
「ところで道明くんの首輪は本当に消えてしまったんですかねぇ?」
「さて、それは分からないですね。『確認』でもしなければ」
含みを持たせたようなピーターの声に、恵理子は何かに気付いたように顔を上げる。
そして首をきょろきょろと振るって、現在位置を確認するかのように辺りを見渡した。
「……ああ、なるほどなるほど。そうですかそうですか」
何かに合点がいったのか、うんうんと一人頷く。
そしてニッコリと太陽の様な笑みを浮かべた。
「そちらの事情はだいたい把握しました。
そこで提案なのですが、ご迷惑でなければ彼方たちに私もご同行してもよろしいでしょうか?」
「ええ、私は構いませんよ」
突然の提案をあっさりと受け入れるピーター。
するとピーターの袖が引かれる。
振り向いて見下ろせば、そこにいたのは袖を引く見慣れた小さな少女の姿があった。
アザレアの身を被る、ここまでの展開に取り残され、口を挟めずにいた道明である。
道明はピーターを屈ませ、恵理子に聞かれぬよう耳元に小声でささやきかけた。
「…………いいのか? 露骨に怪しいぞこの女」
道明でもそれくらいは感じ取れるらしい。少しだけ感心する。
というより本質的な臆病さが、そう感じさせたのだろう。
「確かにその通りですが、ここまで話した感じ、彼女はかなり聡明だ。手駒に加えておけば有用でしょう」
「けどよ……危険じゃねぇか?」
有能であればある程、裏切られるリスクも高い。
しかも相手は血濡れた体でニコニコと笑う何を考えているのかわからない女だ。
道明の懸念も当然と言える。
その懸念を取り払うようにピーターは道明に顔を近づけ口を開く。
「なぁに。手を組むなんて考えなくてもいい、一方的に利用してやればいいんです。大丈夫。貴方なら上手くやれますよ」
耳元で囁かれる蠱惑的な声。
言われてみればその通りだと道明は思い直す。
相手がどんな暴れ馬でもそれを操る騎手が手綱を握ってやればいいだけの話。
天才ある己にそれが出来ないはずがない。
ピーターに持ち上げられ自信を取り戻した道明はピーターよりも前に出た。
「ああ、歓迎するぜ、恵理子」
道明はあくまでこのチームのリーダーは己になのだと主張する様に恵理子に向かって手を差し出す。
恵理子も道明を立てるように謙りながら、その手を取った。
◆
「じゃあ、この辺にしましょうか」
三名が同盟を結び、少し進んだ草原で、殿を任されていた恵理子がそう言って唐突に足を止めた。
「は? 何言ってんだ、ここは何もない草原だぞ」
振り返った道明が当然の疑問を発した。
恵理子が足を止めたのは草木だけが広がる何もない草原である。
この辺にするも何も、何のしようもないだろう。
「少し遠すぎやしませんか?」
「明確な区切りが見える訳じゃあないですからね、近づきすぎて巻き込まれても困るでしょう?」
だがその疑問は道明だけのモノだったらしく、他の二人は当然のように話を進めている。
取り残されたような疎外感に道明も少しだけ不安を感じ始めた。
「おい、お前ら、何の話をしている?」
その問いに答える者はいない。
そもそも相手にされていないかのように二人は淡々と何かの段取りを確認していた。
「しかし、この距離からどうするんです? 流石に誘導は無理ですよ?」
「投げ入れるしかないでしょうねぇ」
「うーん。けど、見た目より重いですよ、ソレ」
物か何かを指すような言葉と共にピーターがここにきてやっと道明を見る。
その目は感情などどこかに置き忘れてきたような無機質な色をしていた。
その辺に転がるゴミでも見るような視線だった。
「大丈夫ですよ。こう見えても私、力持ちですので」
そう言って、笑顔を張り付けた混沌が道明に這い寄る。
笑ってはいるが、その目はピーターと同じく非人間のそれ。
そしてそれは、彼の家族が道明を見る時の目と同じ物だった。
おい引き籠りと罵倒する妹。
今のあなたは何かの間違いだと嘆く母親。
存在自体を無かったことのように扱う父親。
そう、あれは価値のないものを見る目だ。
「何だ…………何だよ。何なんだよその目は!」
道中、一番危険な先頭をピーターが買って出て、次に危険な殿を恵理子が務めていた。
一番安全な中央に道明を配しリーダーを守る布陣だったはずなのに、いつの間にか逃げ道を塞ぐよう形になっている。
ここに来てようやく、マズい状況なのだと道明も理解した。
何故こんな事になっているのかは分からないけれど、今更ながらに理解した。
「……やめろ、そんな目で俺をみるんじゃねええええええぇぇぇぇぇ! ぐっぷ!?」
叫びをあげる道明。
その叫びは、恵理子に口元を鷲掴みにされ、強制的に中断させられる。
ピーターはその様子を見送りながら何でもないことの様に言う。
「そこまで慌てなくてもいいですよ、別にあなたを殺そうというわけではありません。
首輪が本当に消えたかどうかを禁止エリアで確認するだけの作業ですので、爆発しなければそれまでですよ」
何がそれまでなのか。
それだけの事をしておいて、無事だったらまた仲良くやっていこうとでもいうのか。
「ああダメですよ。仮に爆発しなかったとしても、2時間制限を延長するためにどっちにせよ一人は殺しておきたいので」
無慈悲な恵理子の通告。
どう足掻いても道明の死亡は確定らしい。
「だ、そうです」
残念でしたと、ピーターは軽い調子で肩を竦める。
本当に道明の命などどうでもいいのだろう。
(ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな! ふざけんじゃねぇ!
人の命を何だと思ってるんだこいつら!!?)
殺し屋相手とは言え、人一人を殺しておいてまったく悪びれなかった己を棚に上げ、道明は二人の非道さを非難する。
だが、それも口元を塞がれ吐き出すことすら許されないが。
道明の口元を鷲掴みにしたまま、恵理子が腕を上げる。
小さなアザレアの身長はあっという間に地面から離れた。
「ん、確かにちょっと重いですねコレ。質量は保存されてるってことですか」
恵理子の手に返る重量は成人男性にしても少し重い。
それでも恵理子であれば投げ捨てるには問題のない範囲である。
道明が暴れるがまったくと言っていいほど抵抗になっていない。
このままでは禁止エリアに投げ込まれるのも時間の問題だろう。
だが、道明にはまだ切り札があった。
恵理子はおろか、ピーターにも気づかせず隠し通した切り札だ。
着ていた制服のポケットに手を突っ込む。
その中にはリモコン式爆弾のスイッチがある。爆弾もまた、服の裏側に隠している。
ヴァイザーを殺害した凶器であるこれを、ピーターに気づかれないよう細心の注意を払ったのが幸いした。
道明を食い物にするこの二人は完全に油断している。
自らを捕食者であると信じて疑っていない。
だから、今このスイッチを押せば殺せる。
少し離れた位置にいるピーターはともかく、道明に掴みかかっている恵理子は確実に殺せる。
だが、そうできない大きな問題が一つある。
爆弾を爆破すれば道明も爆発に巻き込まれるという事だ。
しかし、どうせこのままでは道明は死ぬのだ。
このボタンを押せば、少なくとも一矢報いることができる。
この二人だけなじゃい。道明を見下した、すべてに対して。
「それじゃあ行きますね、せー、のッと!!」
恵理子が助走をつけて投球体勢に入る。
もう僅かな猶予もない、ボタンを押すなら今しかなかった。
(押してやる! 押してやる! 押してやるぅぅぅッ!!!)
これほどの屈辱を与えられ、黙っていられるはずがない。
道明は強い憎悪と決意と共に、ポケットの中の指に先に力を込めた。
◆
「ダメでしたね」
何の問題もなく確認作業は終了した。
首輪はつつがなく爆発し、皮製造機ではダメだとう結論がでる。
結局、自らの手で死を選ぶ勇気も覚悟も道明にはなかった。
そんなものがあれば、彼はあんな生き方はしていないだろう。
「と言うより、本当に爆発するんですね、これ」
そう言ってピーターは自らの首輪を弾いた。
「あら、その辺疑ってたんですかぁ?」
「まあブラフである可能性は疑ってましたね。それなりにゴタゴタに巻き込まれましたが一度も爆発するような様子もなかったもので」
「まあ実際開発を行っている義兄の技術部とは畑は違いますが。
仮にも製造業で働いている立場から言わせてもらうと、そういう技術もあるという事ですよ。
爆発の優秀さは爆発することよりも爆発しない事だとも言いますしね」
殺し屋とは言え全ての平気に精通しているわけではない。
兵器に関する知識は武器会社の人間に一日の長がある。
「しかし地味なモノでしたね。もっと派手に爆発四散するものだと思ってたのですが」
「指向性の爆弾だったんでしょうね。火力は最小限でも十分ですから。
けど近くで見られた訳ではないのであまり詳しい事は言えませんが、あれは少し何というか……」
威力が低すぎるように思える。
道明の様な普通の人間や、それこそ恵理子であっても首元に張り付いた指向性爆弾が爆発すれば首くらいは吹き飛ぶだろうが。
その程度では死なない男がいることも知っている。
何か仕掛けがあるのか。単に想定外なのか。
それとも大首領や社長の首輪は特別にもっと大火力に設定されている可能性もある。
「なんですか?」
「いえいえ、何でもないです。それよりも形見分けと行きましょうか」
殺して奪い取った荷物に形見分けもないだろうが、恵理子たちは道明の荷物をその場に広げ分配を開始する。
地面に置かれた荷物の中で恵理子が興味を示した一つのアイテムがあった。
「これ貰っていいですか。何でしたら残りはそちらに差し上げますので」
「ええ、構いませんよ」
それはピーターからすれば使い道のわからないアイテムだった。
銀色の液体の中央に緑色の球が浮かぶアンプル。
ヒーローシルバースレイヤーのエネルギー源。シルバーコアである。
残るアイテムはピーターの元へと分配され、荷物の配分を終えた。
「それで恵理子さんはこれから、どうされます?」
「ちょっと気になるところがありまして、そちらに向かおうかと。何だったら本当にご一緒します?」
「やめておきましょう。貴女の味にも大変興味がありますが、貴女を喰らうと食中毒になりそうだ」
ここまで同行していたのは道明の首輪の確認をしたいピーターと制限時間のために一人殺しておきたい利害の一致で有る。
その目的が達成された以上、一緒に行く理由はない。
なにより、道明を殺した直後の今はピーターを殺す理由がないだろうが、二時間後には次の安全確保の為に殺されかねない危うさがある。
道明を投げ捨てた動きからして、非力なピーターでは対抗できそうにない。
「ちなみにどちらまで?」
「中央まで。このまま禁止エリアが増えていけば最期の舞台になりそうですので先に確認しておこうかと。そちらはどうするんです?」
「そうですねえ。実は放送によれば危険人物は死亡したということですので市街地に戻ろうかと。確認したいこともありますしね」
「そうですか」
お互い別の目的があることを確認し、何の未練もなく別の道を進む二人。
その別れ際、最後に恵理子が言葉を投げた。
「それと、2時間の安全確保のお礼に一つだけ。
貴方は私がロバート・キャンベルに組織の情報を流したと思っているようですが残念ながらそれはハズレです」
「おや」
「まあロバート・キャンベルと繋がってたという事自体は否定しませんが、組織の情報に関しては私が情報を横流ししたわけではありませんよ。
同じ情報元から情報を得ていた、というだけです」
考えてみればよりシンプルな話だった。
警戒度を高め恵理子を重要視しすぎたピーターの認識ミスである。
「けど、いいんですか? それ言っちゃって」
「一応オフレコでお願いしたいところですが、まあ、もう終わった取引ですからねぇ。
それにどうせ貴方の事だ、もうだいたいわかっちゃってるんでしょう?」
「さあどうでしょう」
そう言ってピーターは肩をすくめる。
その露骨な誤魔化しに恵理子はクスリと笑って踵を返した。
「それでは、さようなら。ピーターさんおご無事を祈っていますよ」
「はい、さようなら。恵理子さんもお元気で」
そんな当たり前の日常の様な挨拶を交わして、人を人とも思わぬ非人間二人はそれぞれ道を進んだ。
【佐藤道明 死亡】
【H-5 草原/日中】
【ピーター・セヴェール】
[状態]:頬に切り傷、全身に殴られた痕、疲労(小)
[装備]:MK16
[道具]:基本支給品一式、MK16の予備弾薬複数、焼け焦げたモーニングスター、SAAの予備弾薬30発、皮製造機の残骸とマニュアル本、『組織』構成員リスト、ランダムアイテム0~1(確認済み)、
麻生時音の死体
[思考・行動]
基本方針:女性を食べたい(食欲的な意味で)。手段は未定だが、とにかく生き残る。
1:市街地に戻って状況の確認
2:麻生時音(名前は知らない)の死体を早く食べたい。
3:生き残る為には『組織』の仲間を利用することも厭わない。
4:ミル博士との接触等で首輪解除の方法を探る。とはいえ余り期待はしていない。
5:亦紅達に警戒。尾行等には十分注意する。
【近藤・ジョーイ・恵理子】
[状態]:疲労(大)、胴体にダメージ(小)、左肩に傷(大)、左胸に傷(大)、右腕に銃創
[装備]:なし
[道具]:イングラムの予備弾薬、シルバーコア、ランダムアイテム0~3(確認済)、基本支給品一式
[思考]
基本行動方針:悪党商会の理念に従って行動する
1:中央へ向かう
2:二時間たったらまた正義でも悪でもない参加者を一人殺害し、首輪の爆破を回避する
3:首輪を外す手段を確保する
最終更新:2017年11月01日 18:46