「データチップだぁ?」
博士の手の平にある『05』『07』という数字が刻まれた二つのデータチップを見て、悪の大首領が眉をひそめて怪訝な声を上げた。
地上とは遠く離れた地の底に広がる実験場の休憩室にて。
どこか病的な雰囲気を醸し出している青味のがかった蛍光灯にクリーム色をしたコンクリートの壁が照らされる。
休憩室に備え付けられた飾り気のない小さな木製のテーブルを挟んで三人の男女が顔を突き合わせていた。
「中身は何だ?」
訝しそうな表情のまま大首領が端的に問う。
「まだ確認できていないのだ」
「何故だ? その辺のPCじゃ確認できねぇのか?」
「データの確認自体はPCでも可能なのだが、プロテクトがかかっているのだ。
パスワード必要みたいでな。クラッキングするにしても時間が欲しいぞ」
大首領は舌を打つ。
首輪が解体が完了し、意味ありげな何かを発見できたのは収穫ではあるが、中身が確認できないのでは片手落ちだ。
「なら仕方ねぇ。中身が確認できねぇんじゃ意味がねぇしな。まずは首輪の解除方を優先だな」
場を仕切る大首領がこの件に関しては一先ず保留と結論を出そうとした所で。
一人、会話にも加わらず思考の海に潜り込んでいた探偵の姿に気付いた。
「…………もしかしたら……いや、けど……何のために…………?」
口元を抑えて独り言のように呟く。
中身を確認できない今はどうしようもないと言う結論は、探偵にとっては違ったようだ。
中身よりも、それがあったという事実こそが青天の霹靂だったのだ。
「おい、一人でぶつぶつ言ってないで、何か気づいたのならこちらにも説明しな」
威厳の含まれる声に思考を遮られ、探偵が視線を上げる。
「ああ……いえ、失礼。気づいた、と言うより、まだ確証がない私の推察でしかないのですけれど」
「構わん。今の考えを述べてみよ」
探偵の矜持として各省のない推察を述べるのは憚られるのだが、曲がりなりにも上の立場の人間にそう言われては口を噤む訳にもいかない。
探偵役がその閃きを誰にも告げないまま、事実を一人抱えたまま脱落して真実は闇の中、なんてことは往々にしてありうる。
龍次郎はその可能性を排除しようと言うのだろう。単純に隠し事が嫌いな性質なだけなのかもしれないが。
「その前に、ミル博士に確認したいのですけれど。そのチップは首輪の機能に何か関わりのあるものなのかしら?」
「いや、首輪の機能とは関わりのないモノだったのだ。
どこにも繋がっておらず、むしろ壊れないように衝撃収集材に厳重に梱包されていたくらいだったぞ?」
その返答を聞いて自らの考えを補強できたのか、口に手をやりふむと探偵は頷いた。
そして僅かに逡巡した後、自らの考えを口にした。
「もしかしたら、首輪と言う仕組みの本来の役割が、そのためにあったのかもしれません」
この言葉を受け、龍次郎の頭に疑問符が浮かぶ。
そのため、とは何を指しているのか。
「どういう意味だそりゃ?」
言葉の意味が理解できなかった大首領が問う。
それに答えたのは隣にいた探偵ではなく、目の前の小さな博士だった。
「それはつまり、首輪はこのチップを隠すための物だったという事か?」
博士は腕を組みながら首を捻って、自分なりの回答を口にした。
その答えに探偵は頷きを返す。
ようやく理解の及んだ龍次郎は、ああ?と言葉の意味を呑みこみ。
「そりゃ飛躍しすぎだろ。根拠はあるのか?」
そう言った。
首輪には参加者に殺し合いを強制させる、という分りやすい役割がある。
その中にチップが隠されていたと言うのは驚きだが、それを隠すのが本来の役割であるとするのは少々無理がある。
「根拠は三つ。
一つ、あの男の能力ならばより強固な首輪の仕組みが作れたはずなのにそうしなかった事。
一つ、ここのような首輪を解析できるような施設が会場内に点在する事。
一つ、特定の首輪の中にデータチップが隠されたという事実がある事」
当然ともいえるその反論に、女子高生探偵は腕を突出し、三本の指を立てた。
「首輪をどうするか、と言う問題は全参加者に付きまといます。
例え最後の勝利者を目指すとしても、禁止エリアという存在がある以上無視できません」
殺し合いに応じるにせよ反抗するにせよ、首輪と言う存在は共通して厄介な代物である。
スタンスに関わらずある程度積極的な参加者は首輪をどうにかしようとするだろう。
「故に、本当に首輪がこの殺し合いの根幹を担っているのならば、そのセキュリティはどれほどの参加者が挑もうとも跳ね除けられるほど強固でなければならない。
だがミル博士の解析の結果、そうではなかったことが判明した」
首輪の構造が単純すぎる。
確かにその違和感はミルも感じていた事だ。
「単純にこれが野郎の用意できる限界だったんじゃねぇのか?」
「確かに、用意が不十分であった場合に考えられるのは、用意できなかったか用意しなかったかのどちらかです。
けれど今回の場合はそうではない。何故なら特別性の方では科学以外の魔法やそれ以外の技術が使用されている。にも関わらずその技術は他の首輪には応用されていない。
これはつまり首輪を解除不可能な代物に仕上げることを目指していなかったと言う事を意味している」
科学技術だけだったとしても、少なくともミルならばもっと強固な仕組みを作り上げる事が出来る。
もし仮に
藤堂兇次郎が首輪の製造にかかわっていたとしても同じことが言えるだろう。
ましてや、強力な異能を持つ
ワールドオーダーの手にかかれば尚更だ。
「そうなると考えるべきは、何故そうしなかったのかという事でしょう?」
探偵が問う。
ここまで説明されればミルでも、その理由が理解できる。
「その理由がこのデータチップ、だと亜理子は言いたいのだな?」
その通りと、探偵は頷き同意を示す。
首輪の機能と関わりのない物をわざわざ混入させたという事を首輪の単純化、解析手段の提供と合わせて考えれば、誰だってその結論に至るだろう。
「首輪が解除されても閉じ込めておける仕組みがあるのか、それとも最初から殺し合いを完遂するつもりがないのか。
ともかく首輪は解除されるのが前提だった。いえ、されないと困る代物なんです、そうじゃないとこれを見つけてもらえない」
だからきっと、ここにいるワールドオーダーはそう誘導すべく、首輪の中身に興味を持たせる言動をしているのかもしれない。
「だから参加者には首輪は意識し続けてもらわないと困る。解除を諦め強引な手段に出られては敵わない。
不自然なまでの禁止エリアの拡大や、制限時間の短縮は首輪と言う存在を意識付けるための演出だったのかもしれないですね」
首輪が煩わしい存在になればなるほど、解除に走る参加者も増えるだろう。
実際もうじき次の放送辺りで恐らく首輪の制限は無視できないレベルになる。
「成程な。確かにそう聞くと首輪の中に仕込んだこいつを見つけさせようとしたってのは納得できなくもねぇ話だ。
けどよ、入ってる奴と入ってない奴がいるのはなんでなんだよ? どういう違いがある。
見つけて欲しいってんなら、全部の首輪の中に仕込めばいいじゃねぇか」
見つけてほしいのならば見つけやすいところに入れておけと言う。
身もふたもないと言えば身もふたもない疑問である。
「多分、それではダメなんです。
これらは見つけてほしいけれど、しかしいきなり見つけられるのは困る。
だから、このデータは強い参加者の中になくてはならない」
このデータを持っていたのは『死神』と『魔王』
全参加者の中でも最上位の存在だ。
偶然では片づけられない。
その中にしかなかったと言う事実には意味があるはずだ。
「そりゃつまり強敵を倒したご褒美って事か?」
「いいえ、違います」
試練に対する報酬ではない。
この
ルールを設定したのは労働に正当な対価を与えるそんな殊勝な人間ではない。
己の目的にしか興味を持てない非人間だ。
「恐らく順序の問題なんです。
強い参加者の首輪の中にこれを隠したのは、そうすれば必然的に発見されるのは進行の後半という事になるから、なんだと思います」
だからいきなり死神が首輪を外して放棄したのを慌てて回収に向かった。
恐らく本当に予定外だったのだろう。
それほどにあの死神の力は常軌を逸していたのだ。
「わからねぇな、その順序とやらに何の意味があるってんだ?」
そう。問題はそこだ。
何をしたのかから、何をしようとしているのかは推理で来きる。
だが、何故それをそうしようとしているのか、動機が見えない。
「恐らく……私の推測が正しいのなら、多分そのデータに、」
そこで不意に探偵の言葉が途切れる。
探偵の小さな体が突き飛ばされたように倒れこむ。
見れば、探偵の背後で赤い飛沫が舞った。
それはどこからともなく放たれた水槍によるモノだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
地下実験場の水道管をぬるりとしたアメーバ状の何か伝う。
放置されて久しいのか、管理されていない水道管の中には錆や水垢と言った汚れが蔓延っていた。
だが、それらの不快な環境は宇宙生命体にとっては気にならない。
セスペェリアは何も気にすることなく水道管の中を泳ぐように突き進んでいた。
セスペェリアは
りんご飴との戦闘において予想外の手痛い反撃を受け、その身を天敵である爆炎に焼かれてしまった。
その結果、残った体積は4割程度。万全には程遠い状態にまで追い込まれてしまった。
その損傷を回復する必要がある。
液体生物だからと言って単純に水分を補修すればいいという物ではない。
水道管の中を流れる生活用水の中を取り込んだところで、意味がないとは言わないが、体液を補充するには栄養が必要だ。
その辺の事情は他の生物と対して違いはない。、
溶解液を調整すれば植物や鉱物を取り込むことも不可能ではないが、生物を捕食するのが最も手っ取り早く効率が良い。
水道管を通れない荷物は入り口に置いてきた。
手持ちにあるのは小さなバッチが一つだけである。
その奇妙な機械の鳥より奪い取ったバッチから、声が漏れ聞こえる。
その内容から、ターゲットの様子はリアルタイムで把握できていた。
何やら首輪について話している様だが、漏れ聞こえる会話内容はジョーカーであるセスペェリアからしても頷ける内容だった。
ジョーカーであると言ってもセスペェリアはワールドオーダーの目的について何一つ知らない。
知らされたのは参加者や支給品の情報と『首輪のデータを回収する様を他の参加者に目撃させる』という役割だけだ。
その行為の意味までは知らされていないが、彼女たちの話と照合すればその意味も見えてくる。
尤も、セスペェリアは奴の目的などに興味はないが。
彼女にあるのは侵略の尖兵としての役割である。
重要なのは彼らがセスペェリアの侵入に気づいている様子がないという事だ、会話の内容などどうでもいい。
セスペェリアは会話内容から思考を外し、水道管を伝いながら一つ一つフロア内を検索してゆく。
そして最下層の一つ上、B14フロアの休憩室に3名を察知した。
セスペェリアはフロアに備え付けられたトイレの便器から這い出ると、今度は換気扇へとその身を移す。
排気口を音もなく張って休憩室にたむろする三名の姿を確認する。
そしてジョーカーとして与えられた知識と照合してその名前を引き出した。
剣神龍次郎、ミル、音ノ宮亜理子。
悪の組織の大首領に世界最高峰の科学者に女子高生探偵と何とも統一感のない奇妙な組み合わせである。
ミルは優れた技術を、音ノ宮亜理子は優れた頭脳を持っているが、二人に戦闘能力があると言うデータはない。
対して剣神龍次郎は恐らく肉体的な強度なら全参加者中最強の存在である。
物理的な攻撃を受けないセスペェリアにとってはさしたる脅威とは言えないが、怪人化した際に放てる火炎弾は厄介だ。
出来るのならば人間体である今のうちに仕留めてしまいたい相手である。
まだ存在の気付かれていないこの状況で初撃は重要だ。
その不意打ちで一番厄介な龍次郎を仕留めるべきか。
それとも確実に弱い方から仕留めて回復を図るべきか。
どちらにするかを検討した結果、まずは確実な回復を優先することにした。
一撃で仕留めきれない可能性を考慮すれば今の消耗した状態で龍次郎を狙うのは得策ではない。
一人仕留めて栄養を補給して即座に離脱する。
その後、隙を見て可能なようならもう一人を狙う。
二人も喰えば十分全快に足りる。
やるとしても龍次郎の首を狙うのはその後でもいいだろう。
そうなると音ノ宮亜理子とミルのどちらを狙うか、という話だが。
どちらも素人だ。難易度に大差はない。
となればより多くの栄養が回復できる大きい獲物の方がいい。
セスペェリアは音ノ宮亜理子へと狙いを定めると、引き絞る弓の様にその身を変化させる。
そしてタイミングを伺い、好機と見るや一撃で心臓を貫くべく、己を水槍として勢いよく突き放った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
フォーゲル・ゲヴェーアによる空からの哨戒と首輪探知機による二重の監視網によって彼らの警戒は万全だった。
だが警戒をしているという慢心は油断を生み出す。
ここに、フォーゲル・ゲヴェーアを退け、首輪を無効化した例外(ジョーカー)が忍び寄っていた。
液体であるセスペェリアに気配と言う物は存在せず、流石の龍次郎と言えど先んじて察知する事は出来なかった。
忍び寄るセスペェリアが放った水槍は防ぐこと叶わず、亜理子の背から直撃した。
「ッ…………ぁ!」
パリンというガラスが砕けるような音。
突然背後から衝撃を受け亜理子の肺から空気が漏れた。
だが、貫かれてはいない。生きている。
赤錆を含んだ水槍の飛沫が宙に舞う。
仕損じた。
完全に不意を突いて放ったはずの水槍が服の下に張られていた魔法シールドに弾かれた。
だがそれは龍次郎すら気付けなかった不意打ちに亜理子が気付けていたという訳ではない。
首輪探知機をチェックしていたのは彼女自身なのだ、彼女にだって油断があった。
だが、それ以上に用心に用心を重ねる彼女の性格が彼女を救った。
念のため常に死角にシールドを仕込んでおいたのが功を奏したのである。
加えて、普段彼女が好き好んで着ている服装と現在の魔法少女の衣装との判別がセスペェリアには出来なかった。
そのため、亜理子が魔法の力を得ているとジョーカーでも想定できていなかった。
芸ならぬ、趣味は身を助けるという事だろうか。
だが、不意打ちで殺されるという事態こそ防げたものの、不意打ちを受けた亜理子の意識は反撃に転ずるほどの切り替えができておらず。
ミルに至っては驚きに身を固めるばかりでまだ何が起きたのか把握できていない段階である。
故に、この状況で動けたのはセスペェリアと龍次郎だけだった。
水の槍が竜巻のような渦を巻いて広がる。
初撃こそ仕損じたモノの、既に獲物は目の前、強引に喰らいつくつもりだ。
対して、龍次郎は何時如何なる時でも常在戦場。
瞬時に目の前にあった休憩室のテーブルをサッカーボールのように蹴り飛ばし、自らも相手へと飛び掛かる。
弾丸と化したテーブルは襲撃者の体を直撃するが、トプンと水音を立ててその体をすり抜けるように通過して、コンクリートの壁にぶち当たってバラバラに破砕した。
どれほど強力な一撃であろうとも、液体生物であるセスペェリアにとって物理攻撃など脅威ではない。
そう、それは恐ろしいまでの速度で迫っている龍次郎とて同じことだ。
龍次郎が間合いを詰め拳を振り上げるが、セスペェリアは慌てるでもなく反撃の体制を整える。
拳を振り抜いたところを狙って、水の刃のカウンターで頸動脈を切り裂いて――――
スパンと、空気が炸裂する。
反撃の算段を立てていたセスペェリアの思考が強制的に中断させられた。
同時に大量の水塊が壁に叩きつけられ、ピシャンと弾け飛んだ。
それはありえない事だった。
幾ら水面を殴っても無意味なように、液体生物であるセスペェリアに物理攻撃は通じない、はずなのに。
何の変哲もない拳の一撃が、セスペェリアの残体積の実に7割を吹き飛ばしたのだ。
振り抜いた風圧で吹き飛ばしただとか、拳に気でも纏っていただとか、そんなチャチな話ではない。
理屈ではない。何という不条理。
理屈が通用しない。何という理不尽。
そもそも理屈など無い。何と言う非合理。
これが剣神龍次郎。
強さという理不尽の塊。
上半身が弾け飛んだ状態のまま、セスペェリアが三人の控える休憩室から逃亡した。
液体生物に関節も前後もない、振り返る事すらせず脇目も振らず滑る様に駆ける。
「逃がすかよっ!」
怒鳴りを上げ龍次郎がそれを追う。
「奴が一人とも限らねぇ! 俺が奴を仕留めて戻るまで適当に避難してな!
チャメゴン、二人を任せたぞ!」
残る二人と一匹にそう最低限の指示を出しつつ、大首領は液体生物を仕留めるべく駆け出して行った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
逃亡を続けるセスペェリア。
その形状はもはや人型を持っていない。
ヌルリとした大きな水たまりが滑る様に地面を駆け抜けてゆく。
液体生物は地形や障害物を無視して、通常では不可能な経路を辿って逃亡を図る。
あるいは降りたシャッターの下を抜け、あるいは閉じられた部屋の中を潜り、あるいは壁のひび割れに忍び込む。
これではどのような追手であろうとも追い縋ることは困難だろう。
だが、追手もまた常識から外れていた。
絶対者は地形や障害物を無視して、通常とは不可能な経路を蹂躙し尽くす。
立ち塞がる障害物を完膚なきまでに破壊し、部屋の壁など無き物の様に押し通り、壁の隙間に逃げ込もうものなら壁ごと砕く。
もはやどちらが襲撃者なのかわからくなる光景だった。
ここまで逃げ遂せた液体生物は、何とか鉄の扉の前までたどり着いた。
扉を開けることなく隙間から滑り込むセスペェリア。
液体生物が逃げ込んだ先にあったのは非常階段だった。
セスペェリアは追手の行く手を遮るべく水刃(ウォーターカッター)と変化さえた体で階段をズタズタに切り崩しながら、落下するように下っていく。
僅かに遅れて、鉄の扉が前蹴りで蹴破られた。
踏み込んだ龍次郎は足元を一瞥し、崩れてゆく階段を見つめる。
だが、その程度の妨害など足止めにもならない。
龍次郎は一瞬の躊躇もなく奈落の様に続く暗黒へと飛び降りた。
籠った落雷のような激しい着地音が響く。
超重量の落下に、着地した床底にヒビが奔った。
最下層に追いついた龍次郎が、最下層唯一の部屋に逃げ込んでゆく水溜りの姿を捉えた。
「よう。ここが終点だ。先はねぇぞ」
ゆっくりと最後の部屋に龍次郎が入室する。
砂の敷き詰められた最下層の実験場。
出入口は一つだけ、これより先に逃げ場はない。
勝者しか出る事の許されない正しく決闘場(コロシアム)である。
「あぁん?」
だが、その言葉を嘲笑うかのように、液体生物は砂に染み込んでゆく。
逃げ場所ならばある。この大量の砂の海だ。
そうして、セスペェリアの姿が完全に龍次郎の視界から消えた。
死角から攻撃するつもりか、それとも本当にこのまま逃げるつもりなのか。
「……おいおい、これから戦おうってのに、いきなり芋引いてんじゃ――――ねぇ!!」
語気を荒げた龍次郎の質量が肥大化し、足元の砂が沈む。
黄金の眼光が輝き、鋸の様な歯が並ぶ口元が好戦的な笑みを象った。
巨大なトカゲのようなシルエットを包むのは鎧の如き漆黒の鱗である。
最下層に広がる砂漠の決闘場に、ありとあらゆるを蹂躙する最強種が君臨する。
黒龍が砂の地面を思い切り踏みつけると、衝撃波が輪の様に広がり、砂の海が沸き立ち津波となる。
砂の中に紛れ込んだセスペェリアがその奔流に巻き込まれ、上空へと打ち上げられた。
「っと、イケねぇな」
龍次郎の踏み込みに耐え切れず、地下施設全体が大きく揺れた。
どうやらファブニール・フォームのパワーで全力を出しては地下実験場自体を崩壊させかねないようだ。
コンクリ壁など容易く溶解させてしまう火炎弾も同じくだ。
かといってワイバーン・フォームで飛び回るにしても閉ざされたこの環境は狭すぎる。
地下という閉鎖された環境はでドラゴモストロが戦うには適していない。
全力を出すのならば東京地下大空洞並みの空間が必要だ。
「ま、テメェ程度ならハンデ付で十分だがよ」
強制的に砂の隠れ蓑から放出された水塊が一カ所に集結し人の形を成してゆく。
その体積は見る影もなく、もはや幼児といった風体である。
その小さな体で、相対するものに絶望を届ける巨大な黒き竜種と相対していた。
「なるほど、規格外だ」
だが、その表情に張り付いていたのは絶望ではなく歓喜。
それは幼児らしからぬ、恍惚すら感じさせる笑みだった。
敵の戦力を探る任を帯びた偵察者としての喜びである。
「だが、私はお前と言う存在を知った」
規格外がいるという事実を知れた。
これは威力偵察として最高の成果だ。
この惑星よりはるかに進んだ母性の力があれば、対策を講じ戦略を練り精鋭を鍛え、必ずこの怪物を打ち倒すだろう。
微笑むセスペェリアの頭部が三枚に割れた。
それぞれの枝葉の先にギロチンのような刃が生み出される。
歌舞伎の連獅子のように三又の頭をぐるりと振り抜いた。
ドラゴモストロが身構えるが、鞭のようにしなりながら伸びる水の刃の切っ先が向かったのはドラゴモストロの首でなかった。
二枚は天井、そしてもう一枚は唯一の出入り口へ向かい、その構造を切り崩した。
切り崩されたコンクリート片がが雨粒のように降り注ぐ。
今のセスペェリアの力ではドラゴモストロのようにこの施設を破壊することは出来ない。
だが、このフロアを破壊するくらいなら出来る。
このままフロアごと生き埋めになっても液体生物であるセスペェリアは問題ないが、ドラゴモストロはどうか。
「そうかよ」
黒龍が突き進む。
降り注ぐ数メートル大のコンクリートなど無いかの如く。
間合いを詰めたドラゴモストロが三又の大元へ向けて巨大な拳を振り抜いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ちっ。鬱陶しい戦い方しやがって」
最後に残った水滴を踏みつぶす。
ジュと煙を立てて水滴は完全に消滅した。
あれから行われたのは一方的な蹂躙だった。
セスペェリアは最後までまともに戦おうとせず、徹底してフロアの破壊に努めていた。
この実験室の使用目的上、上階との間は相当分厚く作られているようで、今のところ上階に影響は出ていないようだが。
おかげでフロア全体が瓦礫で覆われ、出入り口も塞がった。
「さて、どうするか」
ドラゴモストロがその気になれば積み重なる瓦礫を吹き飛ばすのは簡単な事だ。
だがドラゴモストロの力は強すぎる。
今の崩れかけた状態でそんな事をすれば、本当に施設が崩壊しかねない。
例えこの施設の崩壊に巻き込まれたところでドラゴモストロが死ぬことはないだろうが、上階にいるミルと亜理子の二人が死ぬ。
上手く加減できればいいのだが、生憎力加減の調整といった細かい作業は苦手だ。
人間体に戻って、一つ一つ瓦礫を撤去していくのが確実だが、それでは少し時間がかかる。
襲ってきた脅威が今の水人間一人なら時間がかかろうと問題ないだろうが。
「どうにも嫌な予感がするな」
壁にさえぎられた上の階を見つめ、大首領は一人呟いた。
【セスペェリア 消滅】
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
龍次郎が襲撃者を追って行き、二人と一匹は休憩室に取り残された。
龍次郎に二人を護るという役割を任されたチャメゴンはミルの方の上で張り切るように首を振って周囲を警戒しているが、ミルと亜理子の表情には若干の不安の色が見えた。
龍次郎は味方だったとしても目の前にいるだけで息が詰まるような存在だったが、その庇護が無くなると途端に不安になる。
伏兵がいるかもしれないと言う龍次郎の言葉は、確かにその通りである。
どうやって首輪探知を潜り抜けたのかは不明だが、それができるのが一人とは限らない。
指示通り念のため避難しておくべきだろう。
だが、避難すると言ってもどうすればいいのか。
どこか適当な一室に籠り、龍次郎が戻るまでやり過ごすか。
それともいったん地下から離れ、地上に出ておくべきか。
孤島で殺人鬼から身を守る術ならば熟知しているが、ここは探偵と犯人の世界とは違う。
ロジックが通用しない、よりシンプルでより残虐な、獲物と狩人の世界だ。
何せ犯行を隠す気がない、の上常識外れた異能がある。
そんな相手から身を守るにはどうすればいいのか。
「えっと、そうですね。とりあえずここから移動を」
このままジッとしていても仕方がない。
ひとまず休憩室から移動しようと、亜理子がミルへと声をかけた、その時。
「キュキュゥ!」
チャメゴンが叫んだ。
背後からコポォと気泡が沸き立つ音が届く。
振り返った視界の端に、動く水溜りを捉え、亜理子の背筋が凍る。
その悪寒に従い亜理子がその場を飛びのくと、直後アメーバがその上空を通り過ぎた。
狙いを外したアメーバが壁にへばり付いた。
宇宙生命体であるセスペェリアは細胞一つ一つが生きている。
例え砕かれバラバラになったとしても、それら全てが死亡したとは限らない。
龍次郎の一撃に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた細胞の大半の死んでしまったけれど、全滅したわけではない。
生き残った部分を全てかき集めても、もはや小さな水たまりとしか呼べないみすぼらしさだが、まだそこに存在している。
1細胞でも生きていれば、セスペェリアの活動は止まらない。
この時点ではまだセスペェリアと龍次郎の戦闘は続いているが、セスペェリアでは龍次郎には勝てないだろう。
だが、龍次郎がどれだけ強かろうとも所詮は一人だ。
戦闘で勝てずとも戦略で勝てる。
分離した体で龍次郎を引付け、奴が戻ってくる前に二人を喰らって、回復した後この場を離れる。
生き残り、龍次郎のスペックを母星の本隊に持ち帰る事こそ先兵としての役割である。
その役割を果たすべく、侵略者が動く。
「逃げるのだ!」
二人分の荷物を抱えたミルに引き起こされ立ち上がると、亜理子たちはそのまま休憩室から脱出し走りだした。
当然の如くセスペェリアもその後を追う。
もはや人体を象ろうともしない、形のないモンスターが二人の少女に迫る。
コップ一杯分の水滴に殺されそうになっている、悪い冗談みたいな状況だった。
迫り来るアメーバーは床のみならず壁や天井に張り付きながら360度全方向から、獲物を追い詰めていく。
その動きは不定不形にて変幻自在。
通常(ノーマル)でしかない二人ではこの追手は振り切れない。
「マジックブリッド!」
距離を詰められ追い詰められた亜理子が、駆けながら後方に振り返り魔力弾を放つ。
だが、変幻自在のスライムはするりと身を躱す。
体積も戦闘能力も、万全の状態の1割にも満たない。
恐らく単純な性能(スペック)では魔法少女の力を得た亜理子の方が上だろう。
だが、この二人は戦士ではない。
侵略の先兵であるセスペェリアにとって追い詰めるのはさほど難しい事ではなかった。
後方からプレッシャーをかけるだけで、こんな風に焦れて追い詰められ下手な手に出る。
後方に攻撃を仕掛けたことにより、僅かに動きを緩めてしまった亜理子へとセスペェリアが襲い掛かった。
回避は間に合わない。
これで終わりかと、一瞬悲痛な覚悟が脳裏をよぎった、次の瞬間、施設全体が大きく揺れた。
最下層で戦う龍次郎の戦闘の余波だ。
その揺れに亜理子が体制を崩し倒れこむ。
その結果、飛びかかったセスペェリアから偶然ながら身を躱すことに成功した。
「このッ!」
着地したセスペェリアにむかってミルが火炎瓶を投げつけた。
瓶が割れ中から飛び出したガソリンに火が付き、炎の壁が生み出される。
セスペェリアは怯むように動きを止めると、炎から距離を取る様に飛び退いた。
「今のうちに!」
「え、ええ」
手を引かれ走る。
どうやら炎を苦手としているのか、水の怪物は立ち塞がる炎の壁を越えられず立ち往生しているようだ。
火炎瓶による炎は広範囲に広がり、何より消えづらい。
しばらくは時間を稼げるかもしれない。
この間に逃げなくては、と亜理子は走る。
だが、逃げると言ってもどこへ?
龍次郎が戻るのを待つのが、いや、最悪龍次郎が戻らない可能性も考慮すべきか。
どんな隙間からでも忍び込むことのできる相手に籠城は無意味だ。
かと言ってこのまま床、壁、天井どこからでも相手が忍び寄れる地下にいるのはまずい。
このフロアから脱出しようにも隙間から忍び寄ってくるかわからない相手から逃げるのに、閉鎖空間であるエレベーターは論外だ。
となると、この地底の密室から地上に出るための手段は非常階段しかないが、非常階段は逆方向だ。
何より、経路が一つしかないのだから、そこで待ち伏せされている可能性も高い。
待ち伏せの危険性を考えると、もしかしたら追手を振り切れたようで相手を完全に見失ってしまったのは失策だったかもしれない。
少しずつ思考の深みにはまる亜理子。
その思考を遮る様に、遠くで何かが砕ける低い音が響いた。
同時に、ズドドドと断続的な激しい音が続く。
異様な音に思わず足を止める二人。
「…………嘘っ」
その音を聞いた亜理子の顔から血の気が引く。
何が起きたのか、そしてこれから何が起きるのか、聡い彼女はそれらを瞬時に察した。
今のは水道管が破裂した音だ。
もちろん、このタイミングで老朽化による不幸な事故が起きたなんてことはないだろう。
間違いなく襲撃者の手によるもの。
先ほどの炎を消化するためだけのものではない。
恐らくあの液体生物は、このフロアを水浸しにするつもりだ。
フロア全体に溢れた水の中に紛れられては、敵を認識することすらできなくなる。
この先の最悪を想定して動きを止めてしまう亜理子。
そこにズドンと。
またしても同じ音が、今度は別の方向から響いた。
「ッ!? 止まっているのはまずい、走りましょう……!」
「う、うむ」
そう言って走りだす。
その後にミルが続いた。
「ッ!?」
だが、走り出した先に静かに広がっている水溜に気づき行く先を変える。
この水全てに敵が潜んでいる訳ではない。
だが、いるかもしれないという疑念がある限り、近づくことがきない。
彼女は人一倍聡いからこそ、その可能性を無視できない。
「こっちへ!」
水のない方へと、浸水したエリアを避けて走る。
だが、どこか誘導されている気がする。
いや、実際誘導されているんだろう。
その間にも、またどこかで壁の崩れる音がした。
継続的に破壊工作は行われている。
こちらの動けるエリアを徐々に狭め、最終的に袋小路に追い詰めるつもりなのだろう。
このままではジリ貧だ。
いっそ一気に大跳躍の魔法で足元の水を飛び越えるか。
だが、その場合、ミル博士はどうなる
見捨てるという選択肢が頭の中にチラつく。
亜理子の目的はワールドオーダーに敗北を認めさせることである。
そのためにミル博士は有用か?
ここで亜理子が命を賭けてまで護る価値はあるのか?
利己的な自分可愛さという訳ではない。
ミルの方が有用ならば、亜理子が命を懸けたっていい。
目的のため誰かを切り捨てる事に何の情もわかない。
そう言う考え方しかできない女だ。
だが、このままでは両方死ぬ。
取捨択一以前の問題だ。
どうする、どうする、どうすればいい?
「落ち着くのだ、亜理子!」
そこで、唐突に後ろから手が引かれた。
急に腕にかかった重さに思わず足が止まる。
ミルが小さな体で亜理子の腕に飛びつく様にしがみついていた。
「けど、こののままじゃ…………!」
逃げられない。
こうしている間にもフロアは水に覆われてゆく。
止まっていては逃げ場は失われ状況は悪くなるばかりだ。
「なら、戦おう。戦って勝つのだ」
ミルの言葉に亜理子が目を見開く。
その発想はなかった。
シャーロック・ホームズじゃあるまいし探偵は戦う職業ではない。
どう時間を稼ぐかにしか頭が言っておらず、相手を倒すと言う当たり前の発想が抜け落ちていた。
だが、この状況ではもうそれしかない。
「なら―――――」
探偵が、これまで人を嵌めて陥れる事ばかりしてきたその頭を、初めて敵を倒すという目的に向けて働かせる。
その考えを、仲間へと話した。
そんな亜理子の言葉を遮る様に爆発のような音が響く。
またどこかで水道管が弾けた。
そして通路の先から満ち潮のように水が迫る。
これ以上止まってはいられないようだ、二人は再び走り出した。
既にフロアの大半は水没しており、動ける経路は限定されている。
その限定されている経路を辿った先。最後の角曲がる。
先にあるのは当然、逃げ場のない袋小路だった。
後方は既に水溜りが広がっていた。
じわりじわりとその範囲を広げている。
彼女たちの足元に届くまでそれほど時間はかからないだろう。
「この…………ッ!」
ミルが取り出したショットガンを撃った。
散弾ならば当たるかもしれないという考えなのか、追い詰められた苦肉の策である。
小さなミルの体では反動に耐えられなかったのか、銃口は明後日の方向にブレて散弾は壁に穴を開けただけだった。
「クッ」
ヤケクソ気味に連射されたショットガンは今度は天井に穴をあけた。
その光景を水中のセスペェリアが嘲笑う。
弾丸など当たったところで大した脅威でもない。
そもそも無意味な行為だ。
「ダメよ、引きましょう!」
亜理子がミルの手を引くが、その先はない。
あっという間に壁際に追い詰められる。
水流はもう目の前にまで迫っていた。
絶体絶命である。
水が足元に達した瞬間、セスペェリアは彼女たちを足元から溶かしつくだろう。
「…………今よ!」
だが、そこで亜理子が叫んだ。
次の瞬間、先ほど空いた天井の穴から、コードを加えたチャメゴンが飛び降りてきた。
敵は水の中に紛れ、この大量の水の中のどこにいるのかは分からない。
逆に言えば、これだけの下地を用意したのだから、敵を追い詰め後は仕留めるだけという段階になれば、確実にこの水の中のどこかに紛れているという事だ。
こうなればこの素人集団からすれば、むしろ的が広がって当てやすくなったくらいだ。
破裂した水道管から水が漏れだしたように、この施設のライフラインは生きている。
それは水道に限らず電気も同じこと。
ならば、当然それを通す電線が引かれているのである。
ショットガンで壁や天井を破壊したのは電線を見つけるためである。
体格の小さいミルに撃たせることで見当はずれな方向を狙ったように見せかけたのだ。
後は見つけた電線にチャメゴンが忍び寄り、自慢の牙で齧り漏電させる。
セスペェリアは小さなチャメゴンの存在を軽視していた。だから追い詰めた時にその姿がない事を見落とした。
噛み千切られた電線の先が地面の水に触れた。
紫電が弾け、雷速で電撃が駆け抜け地面がフラッシュする。
チャメゴンは絶縁体であるコードにしがみついているが、水の中にいるセスペェリアに逃げ場はない。
だが、セスペェリアは体成分を自在に変化できる。
電線と共に向かってくるチャメゴンの姿を認識した瞬間、りんご飴のスタンガンをやり過ごした時のように純水となり感電から身を護っていた。
「見つけた」
だが、それでいい。
水の中に一カ所だけ、明らかに反応の違う箇所がある。
そんな違和感を洞察力に優れる探偵が見逃すはずがない。
そこに向けて火炎便を投擲する。
地形を塗り替えると言う搦め手に出て、強引に攻めてこないのは必要以上に火炎を恐れていたからだ。
つまり、向こうにだって余裕はない。
水の中でも炎は燃え広がり、断末魔を上げる暇すら与えずアメーバを焼き尽くした。
「やった! やりましたよ、ミル博士!」
産まれて初めての闘争での勝利に、亜理子がらしからぬ喜びの声を上げ振り返った。
「ぁ………………っ」
そこで、彼女は天井から垂れる、一滴の水滴を見た。
水滴がミルの口元が落ち、止める暇もなくスルリと口内へと侵入していく。
念のため地面とは別に体の一部を天井に這わせ忍ばせていた。
一粒の水滴など見つかるはずもない。
策と言うより保険のようなものだが、思いのほか役に立った。
セスペェリアは侵略の先兵を任された精鋭中の精鋭である。
亜理子たちとセスペェリアでは戦士としての経験値が違う。
勝利した瞬間とは最も隙だらけになる物、所詮は素人。
頭のいいだけの素人の付け焼刃などに敗れるはずがない。
「ご、ブハ…………っ!」
ミルが血を吐いた。
強力な消化液となった一滴の水が内側から身を焼いていた。
内側から溶かされながら、ミルがポケットから取り出したデータチップを亜理子へと投げ渡す。
「――――――頼む」
既に喉が溶かされているとは思えないほど、ハッキリとした声だった。
託したのは希望。
ミルは亜理子に希望を、意思を、未来を託した。
直後、ミルの顔面がヘドロのように融解する。
内側から全身を溶かしつくした怪物が表に出た。
その大きさは先ほどの前の比ではない、ミルを骨まで喰らい尽くしその栄養と水分を糧とした。
これでやっと龍次郎にやられた損失の補填が出来たと言った所だが、目の前の亜理子も喰らえばここに来た採算は取れるだろう。
亜理子は託されたデータチップを抱え、動くことができなかった。
策を上回られ、仲間を殺され絶体絶命の状況であると言うのもあるが。
誰かに何かを託されたことなんて、これまで一度もなかった。
どうしていいのか分からなかった。
液体生物が襲い掛かる。
先ほどまでの小さな水滴ではない。
巨人の手のひらのように大きく広がったアメーバが蛇のように絡みつく。
コップ一杯の相手に追い詰められていたのだ、こうなっては勝ち目など無い。
「へぇ、普通の衣服じゃないようね」
巻きついたアメーバは捉えた獲物を消化しようとしたが、上手くいかなかった。
亜理子の来ている服は魔力で編まれた魔法少女の服だ、その耐久性は通常の代物ではない。
ならば、とミルの時と同じく内部から食い破ろうと亜理子の口内へとローションめいた水塊が侵入を試みる。
だが、口の中に展開されたシールドに侵入を阻まれた。
「面白い工夫だが、無駄な抵抗だ」
その言葉の通り、ただの足掻きに過ぎない。
魔法少女の衣服は高い耐久性を持っているが、無敵ではない。
生み出された溶解液に、分厚く幾重にも重なったゴシック長の衣服が徐々に溶けてゆく。
いずれ衣服は溶かされ、亜理子の体も溶けてなくなるだろう。
「キューーーゥ!」
亜理子を締め上げる水の蛇にシマリス、チャメゴンが喰らいついた。
拘束を引きはがさんと牙を立てるが、水に噛み付いたところで何の意味もない。
それで何とかできる不条理は彼の主人だけだろう。
それどころか、逆に噛みついたチャメゴンの体が液体生物の中に飲み込まれた。
溶解液が分泌されシマリスの皮膚が、肉が、骨があっという間に溶けてゆきタンパク質とアミノ酸になっていく。
「………………?」
液体生物であるセスペェリアは食事を行う際に体液の成分を消化液に変化させている。
生物を溶かす時には肉用の消化液に、無機物を溶かす時には鉱物用の消化液に、何を食べるかによってその時々によりその成分は微妙に変わる。
だが、腹の中に何か、どうやって熔かせばいいのかわからない識別不可能な物体がある事に付いた。
チャメゴンではない。
脳に肥大化がみられるが、それ以外は間違いなくただのシマリスだ。
違和感はその中、チャメゴンを溶かして出てきた胃袋の中にあった。
それは不死殺しの爆弾だった。
チャメゴンはその爆弾を飲み込んで、セスペェリアに飛び込んだのだ。
主人であり親友である龍次郎に託された役割を果たせなかった事を悔やみ、亜理子を絶対に守ろうとする決意の表れだった。
セスペェリアはまんまと自らその爆弾を取り込んでしまった。
元は首輪に組み込まれていた代物だ。
当然の機能として、破壊しようと刺激すれば爆発する。
セスペェリアの内部で爆炎が炸裂する。
規格外の死神を殺すために世界の支配者が誂えた特別性の爆弾だ、無事では済まない。
水滴が吹き飛び四方八方へと飛び散ってゆき、亜理子の体が放り出される。
だがまだだ。
これで終わりではない。
セスペェリアの特性上、まだ再集結して復活する恐れがある。
「――――そんな事は、させない」
亜理子は立ち上がると荷物から取り出したガソリンを周囲一帯にぶちまけた。
どこまで飛び散ってるのか分からないのならば、この辺一帯を焼き払えばいい。
『ゃ、ゃあめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
周囲に跳びった水滴が叫ぶ。
そんな事は知った事ではない。
亜理子が火炎瓶用の着火剤で火をつけると気化したガソリンに引火し、周囲一帯が爆炎に包まれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ぅ…………ん」
爆発に巻き込まれる覚悟だったが、どうやら亜理子の体は無事のようである。
見れば、目の前の巨大な壁が爆炎を遮っていた。
「遅くなったな」
壁の正体は龍次郎だった。
ようやく駆けつけ、ここまでたどり着いたらしい。
「チャメゴンとミルはどうした?」
全て消化されてしまった彼女たちはもう死体すら残っていない。
彼女たちを探し問いかけた龍次郎に、亜理子は静かに首を横に振る。
それで伝わったのか、龍次郎は、そうかとだけ呟いた。
「では、チャメゴンは俺の指示通り、お前を護って死んだんだな」
この問いに、亜理子ははっきりと首を縦に振った。
揺らめく炎に照らされ、龍次郎の表情は見えない。
龍次郎は何も言わず、亜理子の体を抱えて立ち上がった。
「ここはもうだめだな、出るぞ」
そう言った龍次郎が炎の道を突っ切って走る。
力強い何かに包まれる妙な安心感に緊張の糸が途切れたのか、限界が訪れ、亜理子は意識を手放した。
【ミル 死亡】
【チャメゴン 死亡】
【セスペェリア 完全消滅】
【E-10 地下実験場/午後】
【剣神龍次郎】
[状態]:ダメージ(小)
[装備]:ナハト・リッターの木刀
[道具]:基本支給品一式、謎の鍵
[思考・行動]
基本方針:己の“最強”を証明する。その為に、このゲームを潰す。
1:研究所から脱出する
2:協力者を探す。
3:役立ちそうな者はブレイカーズの軍門に下るなら生かす。敵対する者、役立たない者は殺す。
※この会場はワールドオーダーの拠点の一つだと考えています。
※怪人形態時の防御力が低下しています。
※首輪にワールドオーダーの能力が使われている可能性について考えています。
※妖刀無銘、サバイバルナイフ・魔剣天翔の説明書を読みました
【
音ノ宮・亜理子】
[状態]:気絶、左脇腹、右肩にダメージ、疲労(大)
[装備]:魔法少女変身ステッキ、
オデットの杖、悪党商会メンバーバッチ(1番)
[道具]:基本支給品一式×2、M24SWS(3/5)、7.62x51mmNATO弾×3
双眼鏡、鴉の手紙、首輪探知機、引き寄せ棒、データチップ[05]、データチップ[07]
[思考]
基本行動方針:この事件を解決する為に、ワールドオーダーに負けを認めさせる。
1:ワールドオーダーの『神様』への『革命』について推理する。
※魔力封印魔法を習得しました
※地下実験場で火災が発生しました
※基本支給品一式、電気信号変換装置、地下通路マップ、アイスピック、セスペェリアの首輪、ランダムアイテム0~4が地下実験場入り口に放置されています
最終更新:2016年12月01日 11:15