墨のような色をしていた西方の空が赤く揺らめいていた。
ポウと淡く揺らめく光は天からではなく地から放たれており、黒い煙と共に空に向かって吸い込まれるように消えて行く。
それは恰もこの地で死した人魂が空に還っていくような幻想を思わせるような光景でもあった。
しかしこの地に幻想はなく、あるのは現実のみである。
全てが花の様に燃えて消える、地獄のような現実のみ。

「…………火事?」

その異変を感じて建物の影からバラッドが僅かに顔を出した。
様子をうかがってみればどうにも火の手が上がっているようである。
何処かで行われている戦闘の余波だろうか。
ここはそういう魑魅魍魎が跋扈する場所である、容易く街一つ炎上させる輩がいてもおかしくない。

純潔体の回復を待って身を隠していたバラッドだったが、このままでは潜伏場所まで火の粉が降りかかるかもしれない。
いや、火の粉ならいいが、戦火そのものに巻き込まれては目も当てられない。

場所を移すべきだろうか。
そう考えた瞬間、遠方のビルが極彩色の爆炎と共に崩れ落ちた。
色とりどりの光が粒子となって降り注ぎ、溶ける様に闇へと消えていく。
爆心地は先ほど見えた火の手よりも僅かに近い。
どうやら破壊活動は現在進行形で行われているらしい。

戦闘が行われているのかと思ったが、戦闘音のようなものは聞こえなかった。
ただ聞こえるのは純然たる破壊行為の響きである。
戦うものもなく一人でこれほどの破壊行為を行うなど目的が見えない。
隠れ潜んだバラッドを炙り出そうとしているのだろうか?

目的は見えずとも祭りのように上がり続ける花火は止まらない。
音のない夜に幾度目か分からぬ艶やかな花の火が咲き、炎を纏った瓦礫が落ちて周囲の建物が崩壊していく。
偶然か、はたまた必然か。
破壊の渦は徐々に、だが確実に彼女の元に迫りつつあった。

狙いは不明確だが、下手人は明確である、
豪華絢爛ド派手に過ぎる爆破の嵐が放火魔の正体を雄弁に語っていた。

こうなれば下手に動く方が危険かもしれない。
この場から逃れようと飛び出したところを”奴”に発見されれば戦闘は避けられないだろう。
それ自体は望むところだが、今の状態での戦闘はできる限り避けたい。
純潔体に頼り切るつもりはないが、ただの人間でしかないバラッドが生き残るには必要な力ではある。

『ユニ。純潔体が使えるまで、あとどれくらいかかる?』
『そうね…………もう1時間はかからないと思うけれど』

1時間。それだけの時間を戦いながらやり過ごすのは流石に厳しい。
ならばここは下手に動かず、気配を殺して過ぎ去るのを待つべきだろう。

気配を殺して息をひそめると決める。
気配遮断は殺し屋の必須スキルだ。
直接戦闘を得意とするバラッドとしては得意な技術ではないが、腐ってもあのサイパス・キルラの教育を受けた身である、最低限はこなせる。
もっとも、最低限でやり過ごせる相手とは限らないのがつらいところだが。

色とりどりの美しい光が夜を幻想的に彩る。
近づき、たまに遠ざかり、かと思えば近づく。
鳴り止まぬ音楽のような破壊音は無軌道でどう動くのがまるで読めない。
その動きにも方向にも大きさにも間隔にも、規則性がなく、法則性がなかった。
実際、何も考えてないのかもしれない。
その行く先いかんで運命が決まる身としては、まるで伸るか反るか分からない台風の接近を待つような心境だった。

そしてバラッドの潜んでいた場所から少し離れた細長いビルディングが足元から爆発する。
まだ距離はあるが、それを見て様子をうかがっていたバラッドは慌てた様に動き出した。
物陰から飛び出すとヘッドスライディングのように大通りへと滑り込む。
次の瞬間、倒れたビルがドミノ倒しのように隣の建造物を次々と巻き込み、バラッドが身を潜めていた建物まで巻き込んで崩壊した。
バラッドが飛び込んだ背後に、炎を纏った巨大な鉄の塊とガラスのシャワーが降り注ぐ。
紙一重で何とか被害を間逃れたバラッドだったが、一息つくこともなくその勢いのまま前転するようにして勢いよく立ち上がった。

「……ったく。んだよ仕留めそこなってんじゃねぇか、りんご飴の野郎」

炎色反応に依るものか、色とりどりの炎揺らめく幻想的な地獄から、吐き捨てるような声が響く。
破壊をまき散らす紅き巫女が黄色い炎を踏みしめながら姿を現した。
炎を纏った巫女は目の前にバラッドの姿を認め、髪を乱暴に掻き上げ不愉快そうに表情を歪める。

街を焼く炎の中を悠然と行くその様は、まるで映画の安いSFXだ。
ボロボロの巫女服の所々から見える肌は火傷に爛れているが、これは周囲の炎によるものではないだろう。
見るからに満身創痍でありながら放つ闘気は衰える気配がない、その瞳は炎よりも熱くぎらついてた。

「…………まるで怪人だな」

炎を従える女を見て、思わずポツリとつぶやいた。
破壊と炎をまき散らす怪人。
一言で表すならば正しくこれだ。

その呟きを受け、女は自嘲するように笑う。
かつてはヒーローと呼ばれた女も、そこまで墜ちたか。

「そうさ、あたしは怪人だ――――今のあたしはそれでいい」

その言葉を肯定し、全身からパチパチと赤い閃光を放つ。
こうなっては逃れようもない。
覚悟を決めバラッドは静かに身を構え赤い巫女に対峙する。

「……ボンガルとか言ったな」
「ボンバーガールだよダァボ、その呼び方で呼ぶんじゃねぇ……!」

周囲に火薬の臭いが立ち込め、女の苛立ちを形にしたような火花がパチンと弾けた。
その呼び方をする人間はもういない。
彼女がその手にかけた。

「…………無差別に街を破壊してどういうつもりだ? まさか私が隠れていたと知っていたのか?」
「あぁ? んなもんじゃねぇよ、ただの八つ当たりだよ八つ当たり、こちとらイライラしてんだ。
 そしたらテメェが勝手に飛び出てきただけだ、たまたまだよ、たまたま」

鬱陶し気にひらひらと手を振る。
つまるところただの八つ当たり。
ただそれを最強クラスの元ヒーローが行えばその被害はこの通りというだけだ。
無人の街であった事のは幸いだった。
そうでなければ未曽有の大災害になっていただろう。

「ま、たまたまとはいえ出会っちまったんだ。さぁ続きだ、決勝戦と行こうぜ」
「…………決勝? もう一人はどうした」
「あたしが殺したよ、当然亦紅も殺した。つまりは生き残ったのはあたしとお前だけだ」

市街地に集い争った四人のうち、勝ち残ったかはともかく、生き残ったのはこの二人だ。
その二人が出会ったのだ、決着をつけるのは当然の流れだろう。

「オラ。変身(か)われよ。それくらいは待ってやる」

姿の変化からリクと同じ変身型であると予測して珠美はバラッドに変身を促す。
だが、バラッドは静かに首を振り日本刀に手を添え、鯉口を切った。

「生憎だが、今はできない。
 そう簡単にできるものでもなくてな、今の私の武器はこいつだけだ」

すっと滑る様に抜いた刃を正眼に構えた。
純潔体の回復までまだしばらく時間がかかる。
さすがに変身できるようになるまでは待ってくれないだろう。
こうなってしまった以上、これで乗り切るしかない。

「そうかい」

期待した御馳走が食べられないと分かったような、明らかに落胆した声。
視線を外し、怪人はつまらなさそうに吐き捨て。

「――――なら、今すぐ死ねよお前」

華のような紅蓮が夜の街に咲いた。

同時に、バラッドはその場から大きく飛び退く。
純潔体の時の様に反応してからでは遅い。
人の身では予測して動かなければ間に合わない。

轟音と共に炎が過ぎる。
直撃は避けたものの、爆炎と熱風が肌を焼いた。
燃えるような熱気の最中にも拘らず肌が泡立ち寒気が奔ったように背筋がざわつく。
読みを一つ誤れば、それで終わる緊張感。
初めて仕事をした夜を思い出すような久しく忘れていた感覚だ。

足を止めず駆け抜ける。夜の街に黒いコートがはためく。
その背後を追撃のロケット花火が次々と過ぎ去っていった。
ホイッスルのように甲高い飛行音が途切れることなく鳴り響き、狙いを外れた花火が着弾点で爆発し建造物を次々と吹き飛ばしてゆく。
もはやその破壊力は花火と呼ぶのも憚られる。
ダイナマイトでも飛ばしているかのような破壊力だった。

駆け抜けるバラッドが物陰に隠れたところで、流星群が止まる。
これでは仕留めきれぬと悟ったのだろう。
代わりにパンと言う音が響いた。

それは火薬の炸裂音ではない、ボンバーガールが勢いよく両手を合わせた音だった。
重ねた掌を揉み合わせると、その中にジャラリとコインのような何かが溢れ出す。
円形状の何かは端から尻尾の様な導火線が伸びており、手元から零れて地面へと散乱したそれらが一斉に激しい火花を吹き出した。

シュンシュンと音を立てて花火が高速で回転を始め、飛び散る火花が漆黒の夜を彩る。
その輝きは、宇宙に瞬く星々のようだ。
無数の回転花火がバラッドを追尾して鼠の様に地面を滑った。

ロケット花火の火力を鑑みれば、この回転花火も移動式地雷と呼んで差支えない代物だろう。
今のバラッドにとっては一撃すら貰う訳には行かない攻撃である。

障害物を迂回して迫る回転花火をバックステップを繰り返しながら躱す。
そのまま背負っていた荷物のロックを外した。
そして口を開いたまま前方に振り回して中身を辺りにぶちまける。
食料や方位磁石、懐中電灯が散らばり、バラッドを目指して一か所に集まりつつあった地雷原に衝突した。

籠った爆音が響く。
アスファルトが爆ぜ、黒い破片の混じった爆炎が辺りを飲み込む。
爆発が誘爆を生み次々と破壊の渦が生まれる。

黒い煙に包まれる夜の街。
帳のように揺らめく爆炎をバラッドは朧切で斬り裂いてアスファルトの破片が混じった煙中を突き進む。

視界の閉じたこれを好機と見た。
日本刀しか武器がない今のバラッドが勝利するには危険であろうが近づくしかない。
近接するのにこの黒煙は都合がいい。

朧を切り裂く剣を持って黒煙を抜けた、その先。
凶悪に笑う戦巫女がバーナーのように青い炎を吹き出す薄花火片手に待ち構えていた。
そうするしかないのだから、そう来る事は読めていた。
当然の様に迎え撃つ。

夜に虹色の線を描きながら薄花火が振り抜かれる。
実体のない炎剣は鍔迫りができる代物ではなく受ける事すら許さない。

だがバラッドは止まることなく刀を低く振り被り、地面を蹴って加速した。
つんのめるように身を低くして炎刃の下を潜り抜ける。
熱風が頭上を掠め、髪先を焦がしながら通り過ぎた。
サイパス仕込みの体術。近接戦の技量ならば負けていない。

懐に踏み込み、地面すれすれの体勢から真上へ刃を跳ね上げる。
七色の派手さなどない、ただ実直な斬撃。
それはしかし、半歩引いた赤い巫女の髪先を掠めるだに留まった。
躱された。
ド派手な爆破能力に惑わされそうになるが、単純な体捌きも一級品だ。
互いの髪が宙に舞ってハラハラと燃える。

バラッドは手を止めず二の太刀を放たんと手首を返す。
だが振り下ろさんとする二の太刀はそこでピタリと静止した。

ピンと指で弾かれた火薬玉がバラッドの目の前に浮んでいた。
互いの中間、産み出したボンバーガールすら巻き込む距離。
バラッドは咄嗟に攻撃を止め、コートを翻して倒れこむ様に跳ぶ。
ボンバーガールは引くでもなく躊躇うことなく火薬玉を爆破させた。

蒼銀の花弁が咲き、飛び散る爆炎が二人を巻き込む。
バラッドは爆炎と閃光に目を細めながらもコートを盾に熱を遮る。
だが、そこに炎の塊が衝突し、耐えきれずバランスを崩した所を爆風に煽られた。
吹き飛ばされるように転がってゆく。

対してバラッドと同じく爆発に巻き込まれたボンバーガールは一切ひるむ様子がない。
爆破の天使に爆炎の影響などあるはずもなかった。
炎の渦で仁王立ちのまま目を見開き、追撃の花火を叩き込まんと腕を振りかぶる。

爆風に吹き飛ばされ転がるバラッド。
体勢を立て直すよりもボンバーガールが攻撃を行う方が圧倒的に早いだろう。
だがバラッドは吹き飛ばされたままの状態で、自らの腕を後方に引いた。
その動きに連動して左腕に絡めた透明なテグスがピンと引かれる。
先端に繋がれた苦無が奔り、攻め気を出して無防備となったボンバーガールの後頭部へと吸込まれてゆく。

「見え見えッ!」

だが、振りかぶった腕を背後へと振り回し噴出花火で撃退する。
苦無を繋いでいたテグスが熱に溶け、明後日の方向へ苦無が飛んでいった。

死角からの攻撃への迷いのない対応。
バラッドが今戦っているのは怪物ではなく思考する人間だ。
ましてや実戦経験豊富なプロのプレイヤーである。
半端な方法では出し抜けない。

攻撃こそ失敗したものの、その隙にバラッドは体勢を立て直して距離を取れた。
防御に使ったコートは焼け焦げ大きな穴が開いておりもう使えそうにない。
もはやただの布きれになったコートを投げ捨て刀を構える。

「その調子その調子ぃ! お次はこいつで、どう、だッ!」

ボンバーガールがいつの間にか生み出していた野球ボールをピッチャーのように振り被って放り投げる。
放り込まれたストレートはストライクゾーンを大きく外れバラッドの足元に文字通り突き刺さった。

爆発を警戒して身構えるが、その気配はない。
一瞬。不発弾かと眉をひそめるバラッド。
だが直後、ポカりと音を立てボールがくす玉のように割れた。
その中から無数が流星が四方八方へと飛び出してゆく。

火薬の臭いに取り囲まれる。
瞬く星々は飛行する蜂のような唸りを上げなあら、ジグザグとした動きで一斉にバラッドへと襲い掛かる。
無数の羽音が交じり合いまるで祭囃子のようだ。

バラッドは前後左右あらゆる方向から襲い掛かる火の蜂を刃を振るって撃退する。
だが、あまりにも数が多すぎる。
その上、一つ一つの動きもまるで本物の蜂のように予測不能だ。
重なり合うような音の重なりは個々の特定など不可能である。
死角より襲い掛かる無数の火の手を躱す術など人の身にあるはずもない。

にも拘らずバラッドはその攻撃を凌いでいた。
振り返ることなく完全な死角からの炎塊を打ち払う。
そのまま踊るように回って火の粉散らす刃を横なぎに振るった。

『次! 左斜め後ろから、来るよ!』

死角はユニが埋めいた。
純潔体になれずとも、それくらいの補佐は可能である。
打ち払い、躱し、幾合かの打ち合いの後、全ての火蜂をやり過ごすことに成功する。

凌ぎきれなかった数発は貰ったが、一発の破壊力は大したものではない。
人の身であるバラッドにはそれでもかなりのダメージではあるのだが、動けなくなる程のものではなかった。
焼け焦げた服を払って、火薬臭い空気を吸いながら体勢を立て直す。

「はっ。思いのほか生身でもやるじゃねぇか」

期待外れかと思われた相手のうれしい裏切りに爆破巫女が笑う。
どうやらボンバーガールにはユニの存在は認識できていないようである。
単純に想像以上の動きを見せたバラッドに感心しているようだ。

「そう期待されても、な」

ブンと刀を振るい、刃についた黒い煤を払う。
何とかやりあえているが、ユニの助けがあってもこれが限界に近い。
無理を利かせれば掻い潜って攻撃もできるが、それは攻撃ができるだけだ。
打ち倒すにはやはり純潔体の力が必要である。
修復まで後数十分だろうか。
この調子では流石にそれまで持ちこたえるのは難しい。

「そう言わず、もっとあたしを楽しませろよ…………!」

再び蜂の巣が生み出される。
今度は一つではない。
ポン、ポン、ポンと小気味よくポカ物を産み出してゆき、複数の火薬玉をお手玉でもするように弄ぶ。
この異能者には底がないのか。いくら生み出しても疲弊した様子もなかった。

「そぅら。祭りだ、踊れよ殺し屋」

お手玉していた火薬玉を放り投げようとしたところで、唐突にその手が止まった。
視界の端。
横合いから放り込まれた何か映ったのだ。

完全に予想外の方向からの不意打ちにもボンバーガールは高速で反応した。
殆ど体に染みついた反射運動である。
複数の花火玉を雪だるまのように連ねて片手で器用にバランスを取りながら、踵を軸に反転。
開いている腕を振るい瀑布のように花火を噴出する。
だが、放り込まれた礫の正体を見て、面倒そうに舌を打った。

山なりの軌跡で放り込まれたのは弾丸だった。
礫ではなく銃弾として放たれていたのならば、恐らくボンバーガールは素直に避けていただろう。

花火に熱された火薬が炸裂し薬莢が弾ける。
連鎖するようにパパパパンと拍手みたいな景気のいい音を響かせ白い煙が広がった。

「こちらです」

煙で見えない視界の中で、バラッドの手が背後から引かれる。
走り出した手を振り払う間もなく、釣られて駆けだしていく。

「逃がすかよッ!」

至近距離で弾丸の炸裂を浴びながらも、ボンバーガールは怯むことなくバラッドを追う。
この程度の爆発などボンバーガールには目晦ましにしかならない。
足音で方向は見えている。
すぐさま追いつき、ありったけの花火を、

「ゴッ!?」

だが、頭部に重い衝撃。
目晦ましとなった爆炎を縫って実体のある何かが頭部に直撃する。

地面に落ちる重々しい金属音。
見れば、それは焼け焦げたモーニングスターだった。
適当に振り回して放り投げたのだろう。
当たったのは鉄球部分ではなく柄の部分だったが、頭部が僅かに裂けて紅い血が垂れる。
この程度で死ぬほど軟ではないが、それなりに痛かった。

同時に衝撃により手から花火が零れ落ち、地面に落としたボカ物が口を開け無数の蜂が一斉に飛び出す。
ボンバーガールの足元から無数の火の蜂が飛び交う。
その数は先ほどの非ではない。

視界は黒い爆炎とうじゃうじゃと赤く軌跡を描く蜂の群れに埋め尽くされてしまった。
重なった音はもはや不協和音となり、舞台は混沌を極める。
ボンバーガールにとって降りかかる火の粉は大した問題ではないが、こうも炸裂音がうるさくては足音も追えない。

「…………ムカついた」

呟き、傷口を拭う。
指についた血を赤く爆ぜさせ、瞳に殺意をぎらつかせる。
羽音を消し去る一際大きな爆音。
七色の光が唸りを上げて前方の黒煙と火花を薙ぎ払った。

「逃がすかぁあ! 待ちやがれッッッ!!」

炎のように猛る巫女の怒声が、陽炎に揺れる街を駆け抜けた。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「この辺でいいでしょう」

遠い街中に重低音が響くのを確かめて、男は足を止めた。
手を引かれていた女は未だに掴まれたままの手に気付き、慌てた様に振り払う。
そして睨むような視線を投げた。その視線には敵意こそ含まれていないものの、訝しむような懐疑の色が含まれている。

「それで、何故あなたがここにいるの? ピーター」

バラッドの窮地を救ったのは、邪神を前にバラッドを置き去りにして逃げたはずのピーターだった。
ピーターは質問には答えず、遠く鳴り響く花火の音へと視線を向ける。

「うまく別方向に誘導できたようですね」

現在この市街地は袋小路となっていた。
周囲は川と禁止エリアに囲まれており、抜け出ることのできる唯一の脱出ルートは殆ど一本道となっている。
つまりは、この地獄のような有様の市街地から抜け出すには北東を目指すしかない。
それはこの市街地にいる人間の共通認識だろう。

それを見越した上で、そちらに逃げると見せかけてあえて禁止エリアに囲まれた東方向へと迂回した。
その策にまんまと嵌った爆撃者は、彼らが逃げ出した方向とは違う場所で豪快に爆音を響かせていた。
炸裂音をド派手に響かせてくれるため、距離が離れていてもどこにいるのか分かりやすくていい。

「これでも尾行を撒くのはヴァイザーよりも巧かったですから」
「…………自慢になるのそれ?」

ヴァイザーは殺しの天才ではあったが、殺し屋としてははっきり言ってザルだった。
全て殺せばいいという単純明確な思考の元、隠密などに気をは全くと言っていいほど気にかけていない。
後始末は人任せ、足がついたらそれはそれ、新たな仕事(ころし)が増えるだけ。
そういう男だったからこそ、組織の居心地はよかったのかもしれないが。

とはいえ、ヴァイザーなどと比較せずともピーターの逃走スキルは高い。
単純な隠密のみならず、あらゆる手練手管で生き延びてきた男だ。
その生き汚さは誰よりも凄まじい。
戦闘能力もなしにここまで生き延びてきたことが何よりの証明だろう。

だが、一先ずやり過ごしたものの、窮地は去ったわけではない。
定石を外して逆を突いただけに逃げ場がなかった。
脱出口に向かえば今もなお花火を打ち上げ続けている爆破巫女とぶち当たる。

「それでどうするの。市街地から抜け出そうにもあの女がいでしょうし、西から北に抜けて川でも超える?」
「いいえ。そちらに進むのはお勧めしませんね西にはあの怪物女とアサシンがいます。
 最悪3人相手にすることになることを考えればそちらに進むのは得策ではないでしょう」
「あの女にアサシンまで…………?」

前方の爆炎の怪人、後方には二人の魔人。
確かにそれはまずい、挟撃にでも合えば完全に生き残る目がなくなる。
西に行くと言う選択肢はなしだ。

「市街地に紛れてやり過ごしますか? 幸いといいますか、相手の位置は分かりやすいですし」

二人とも元殺し屋、隠密行動は可能である。
その対極を行くように轟音を響かせ続ける相手だ、迂回するのも難しくはないだろうが。

「いえ、それも難しいでしょうね。ここから北は少し”開けすぎ”ている」

H-8ブロックは邪神の産み出したMBHにより平らに均されている。
障害物の少ない中で遠距離攻撃長けた相手から逃れ切るのは少し無理がある。

「かと言って止まっているのもなしでしょう。
 相手がよほどのバカでもなければそのうち自分が見当違いの方向を追っていると気付いてすぐに引き返してくるでしょうから」
「となると、つまりは」

つまりは、逃げると言う選択肢はない。
この市街地を脱出するにはあの爆炎の化身を越えるしかない。

「それで、もう一度聞くけど、なんであなたがこんなところにいるの?
 とっくに市街地から逃げ出したものだと思っていたけど」

改めてはぐらかされた問いを投げる。
どちらに進んでも地獄。
そんな袋小路に何故わざわざ戻ってきたのか。
この市街地がそういう場所だという事は逃げ出したピーターが一番よくわかっていたはずなのに。

「貴女が心配だった、では納得できませんか?」
「できる訳ないでしょ。逃げ出しておいてどの口が」

逃げたと言ってもあの邪神を前に、逃げ出すというのは正常な判断だったのだが。
だと言うのに、わざわざ戻ってきたのは少々解せない。
戻ってくるのは理に合わないし、なによりバラッドの知るピーターらしくない。

「大方、放送で邪神が死んで私が生き残ったのを知って、また私を頼ろうって魂胆かしら?」

バラッドの問いに肯定も否定もせず、おどける様に肩をすくめる。
ピーターが生き残ることに長けていると言っても、最後には暴力がモノを言う世界だ、口先だけで立ち回るにも限界がある。
戦闘能力がないピーターにとって誰かの庇護は必須となる。
そしてサイパスが脱落した以上、ピーターが頼れるのはバラッドだけだった。

「邪神を退けた力があると思って当てにしてたなら生憎だったわね。今の私はこの通り邪神どころかあんな女ひとりに苦戦する始末よ」
「力? ああユージーが使ってたあれの事ですか」
「そうだけど……よくわかったわね。まさか、見えてる…………?」
「ん? 見えてるとはなんの事で? ただの状況からの推測ですよ」

やはりと言うか当然というか、ピーターにはユニの姿は見えていないらしい。
見えずとも言い当てられたのは、その存在を知っていたからだ。
バラッドもまさかワールドオーダーから聞かされていたとは思うまい。

「その力、今は使えないので?」
「その後の戦闘で破壊されたわ。修復は可能だけどあと何十分かはかかるわね」
「ふむ。時間が必要だと」
「ええ、それまで私の武器はこいつだけよ」

そう言って腰元の日本刀をチャキリと鳴らす。
今のバラッドの武器はこれだけだ。
長年これだけで生き残ってきたが、ここまで生き残った怪物たちを相手取るには余りにも心もとない。

「だからあまり期待はしないことね。正直、この場を乗り切れるかもわからない。
 はは。私を頼りに戻ってきたのは失敗だったわねピーター」

自嘲するように乾いた笑いを零すバラッド。
バラッドは今更自らの命に固執するような性質でもないが、状況はあまりにも絶望的だ。
自分一人すら守れるのか分からないのに、誰かを護る余裕なんてある訳がない。
責任を感じる必要などまるでないのだけれど、自分を頼ってきたと言うのならこの状況は少しだけ気の毒だ。

だが頼りが当てにならないという事実を知らされたにも関わらず、ピーターに落胆した様子はなかった。
顔を落とすバラッドの元まで近づくと、傅くように跪き、手を取ってその甲に口づけをする。

「失敗などではありませんよ。貴女にこうしてもう一度逢えたのだから」

そうして歯の浮くようなセリフを吐いた。
それをノータイムで蹴り飛ばす。

「何故です!?」
「あなたがそういう事をする時って、決まって私を食べようって時でしょ」
「まぁ。否定はしませんが」

蹴っ飛ばされた頬を擦りながらあっさりと肯定する。
ピーターの言動で嬉しくなる時、たいていはこっちを殺す気である。
そんなことバラッドにとって分かりきった事だし、バラッドが分かっていることくらいピーターにも分かってる。

「ですけど、その気持ちは本気ですよ。そうでなければ戻ってきません」

真摯に見える態度で、真摯に聞こえる声で懲りもせずに繰り返す。
座り込んだままのピーターを再びゲシゲシと蹴り飛ばしまくる。

「ああそうか、つまりは私の体目当てという事だな」
「その通りです」

もちろん食欲的な意味で。
互いに分かりきったことを確認して、耐えきれずバラッドが噴き出した。
実に下らない、これまで幾度も繰り返したようなやり取りだった。

「けど、分からないわね。いや、あなたがそういうヤツだという事は知っていんだけど、どうしてそこまで私に拘るの?」

確かに女を喰らう事に命を賭けているような男だが、それはあくまで比喩だ。本当に命を賭けるような男ではない。
むしろ自分の命が一番大事な利己的な男である。
そんな男がわざわざバラッド一人を喰らうために危険を冒すだろうか。

「それに関しましては私としても意外と言えば意外なんですが、そうだったみたいですね」
「そう……とは?」

ピーターがバラッドを探していたのはバラッドの言う通り、自らの庇護が目的である。
だから見つけたところで自分の助けになれないようならば見捨てるつもりだった。
実際、発見したバラッドの状況はピーターの助けになれるような状況ではなかった。

では何故、あの時、その手を引いたのか。
それはきっとアサシンより受けた病気のせいなのだろう。

アサシン自身も勘違いしていたようだが、この病気は殺意を増大させるものではなかった。
『結果として人を殺してしまう』人間になってしまうそういう病気だったのである。
殺意程度ならば押しこめられたが、殺意に紐付く彼の中の最も強い感情を後押しされた。

元より彼はヴァイザー以上のどうしようもない怪物である。
相手を殺そうとすら思わず、ただ喰らうために殺さねばならないから殺すだけ。
『喰らいたい』があるだけの、人を人してすら見ていない、正真正銘の人でなし。
そんな彼が『結果として人を殺してしまう』のならば、その動機は『食欲』に他ならない。

彼にとって性欲と食欲はイコールだ。
殺す事は喰らう事であり、喰らう事は愛する事である。
これまで彼は彼なりの方法で人間(ダレか)を愛してきたのだ。

多くの女性を求めるのは男の性衝動がそうであるから。
多くの女性を受け入れるのは彼の守備範囲が広いから。
そして、多くの男がそうであるように、純粋にただ一人を喰らいたい(あいしたい)というごく当たり前の衝動もある。
その衝動が増大して、ようやく見えてきた想いがあった。

「どうやら私はどうしても貴女だけは喰らいたいようだ」

強まった衝動(しょくよく)が求めたのが彼女である。
だから、彼女が喰えもしない消し炭になるのがどうしても耐えられなかった。

そしてそれは、どうしようもない愛の告白だった。
そういった機微に鈍い、色恋に縁のないバラッドでもその意味が分からないほど阿呆ではない。

「いや、お前……自分で言うのもなんだけど、どうして私なんかを」
「私はサイパス氏に出会うまでただの殺人鬼でしたので。成人してから一カ所に定住することもなかったのですよ」

足跡を残さないため一か所に長く留まらずフリーのジャーナリストとして各地を転々としていた。
誰かと長く共に過ごすこと自体が珍しい、ただ独りの喰人鬼。
そんな人でなしにも共に過ごせば芽生える情もあるという事だろうか。

「あ、組織の女性でバラッドさんを選んだのはズバリ、見た目です。好みだったんです貴女が」
「なんだそれ」

身もふたもなさすぎて笑ってしまう。
大仰な理由なんてない。
誰かが誰かを想う理由なんてそんなものだ。

ピーターの眼に映るバラッドは美しかった。
見た目だけではなくその在り方が。
だから喰らいたいと思った。

「あなたは…………そんな自分の在り方に思い悩んだりしないの?」
「しませんよ。だって私は最初からそうでしたから、それ以外の自分なんて知りませんし他の人間がどうだとかは興味ありません」

最低最悪の非人間。
そんな己の究極の身勝手を悩むでもなく肯定する。
それがピーター・セヴェールだ。

バラッドはそうは為れない。
半端なところで留まり続けている。

「私は時折、自分が生きていていいのかと思うときがあるよ」

どうしようもなく血に染まった、命を喰らうだけの人でなし。
そんな自分がこれまで生きてこれたのは生きる理由があったからだ。

自分を拾ってくれた恩師に報いるために生きて。
恩師を失ってからは、恩師の仇を討つために生きてきた。
だが、その理由は失われ、この場で見つけた庇護対象(りゆう)も失った。
残ったのは後付けのような因縁だけ。
今だって、どう生きればいいのかわからないでいる。

「別にいいんじゃないですか。私たちはこれが生業でしたから、生きるための殺しは肯定されるものでしょう?」

確かに人間は誰しも生きている限り何かを犠牲にしている。
極論、生きるための行為であればどんな行為も割り切ることができる生き物だ。
だが彼女の中でどうしても割れなかったのは、きっとそれだけではなかったから。

「……そうか。そうだな。そうなんだな」

誰にも吐露したことのない心中も、言葉にしてみればあっさりと答えが見えた。
人を斬るたび感じていた言いようのない感触。
あれは快楽だった。

「…………私は多分、あの時の父親を斬り続けてきたんだな」

始めて人を殺した――父を殺したあの瞬間、確かに抑圧からの解放があった。
その快楽を無意識に追い求めていたのかもしれない。
それにずっと罪深さを感じていた。
息苦しい、生き苦しい理由はそれだったのだ。

「分からないものね人間って」
「分かる必要あります? それ」

素っ気ない相槌。
愛している相手ですら、その心中を慮る事すらしない冷血漢。
そんな相手でも話してみれば少しだけ心が軽くなる。
置き去りにしてきた色んなものがあって、それでも見えてきた自分がある。

『いい感じね』
「…………何がだユニ?」

唐突に、それまで修復に集中し沈黙を保っていた相棒が語り掛けてきた。
何やら楽しげだ。

『修復速度が速まったって事。基本的にあたしは想像力、つまりはあなたの心を原動力にする力だからね。
 あなたの心に、何か嬉しい事でもあったんじゃない?』

とぼける様ないい方は少しだけムカついた。
けれど心に感じる嬉しさ大きさが、彼が彼女を喰らいたいと言う思いとイコールなのだろう。
ユニと契約したバラッドに幸せな未来はない、それでもそれくらいは許されるのかもしれない。

「どうされました?」
「なんでもないわよ」

遠くの夜空を見つめる。
爆発音は未だ遠く、見当違いの方向で等間隔に鳴り響き続けていた。

もしかしたらこのまま見当違いの方向を探し続けて、戻ってこないのかもしれない。
なんて楽観的な憶測は、直後、絶望的な直感に覆される。

「…………ッ!? 違う。動けピーター!」

音のなる間隔が”規則的”すぎる。
先ほどまでの不規則な動きに合わない。
それはつまり。

「――――あんだよ、気付いちまったのか」

ザッと言う足音。
声が響いたのはバラッドたちが動き出したのと殆ど同時だった。
振り返れば、そこには両肩にミサイルランチャーのように連なった砲筒を抱えた赤い巫女が立っていた。

そして種を明かすように遠くで花火の音が鳴り響く。
つまりは、ボンバーガールは一杯喰わされた事にとっくに気付いていていた。
引き返す前に、定期的に打ち上げる花火を仕掛けて位置情報を誤魔化していたのだ。
一杯食わされたのはバラッド達の方だった。

「もっと遠くに逃げたかと思ったがこんなところで男と駄弁ってるたぁ余裕だね。
 そんなリア中にゃあド派手な花火をしこたまブチ込んで爆発させてやろうと思ったんだけどなぁ」

そう楽し気に笑みを浮かべて、肩に抱えたミサイルランチャーを向ける。
装填された筒花火の数は100を超える。
後少しでもバラッドの気づきが遅れていたら、近づいてくる敵の存在に気付くことなく間抜けなバーベキューになっていた。
いやここまで来れば不意打ちも何もない。このまま撃ったとしても辺り一帯ごと焼き尽くすだろう。

「よぅ。さっきは下らねぇ茶々を入れてくれたじゃなえか。テメェは汚ねぇ花火確定だ」

言って、酷薄な笑みを浮かべながらピーターを睨み付ける。
だが、その燃え上がるような殺気を真正面から浴びせられながらも男は涼しい顔のまま眉一つ動かさなかった。
一秒先の死を予見できない平和ボケした人間というわけでもあるまい。
明確な殺意、明確な力量差。
そのすべてを理解したうえで平時と変わらぬ冷静な声で相手を落ち着かせるように言った。

「何やら誤解があるようだ、私は貴女と争うつもりなんてありませんよレディ」
「レディだぁ? 気色悪いこと言ってんじゃねぇぞ伊達男」

言葉尻が気に食わなかったのか珠美は声を荒げてピーターに噛みつく。
伊達男は「おっと」と肩を竦めて謝罪の意を示すように頭を下げた。

「失礼。気分を害されたようなら謝罪しましょう。それではなんとお呼びすれば?」
「あん? そんなもん、これから汚ねぇ花火になるテメェに教える必要があんのか?」
「ええ。どうせなら、自分を殺す相手の名前くらい知りたいじゃないですか」

ボンバーガールが眉を顰め、値踏みするように目の前の男を凝視する。
いつ爆発してもおかしくない火薬庫を前にして紳士然とした態度を崩さないその真意を図りかねているようだ。
素人ではないが、大して強そうな印象は見受けられない。
むしろ吹けば飛ぶような軽薄さすら感じられる。

「…………ボンバーガールだ」
「ボンバーガール。名は体を表す、良い名前だと思いますよ。けれど変わったお名前ですね。コードネームでしょうか?
 私はピーター・セヴェールと申します。お見知りおきを」

紳士らしい折り目正しさで恭しく頭を垂れた。
殺し合いの場には余りにもそぐわない所作が男の異物感を際立たせる。
その態度がボンバーガールを更にいらだたせた。

「聞いてねぇよ。これから死ぬ相手の名前なんてな」
「まあまあそう仰らず。私としては知り合いであるバラッドさんをお助けしたかっただけなんですよ。
 ついああいう強引な手段をとってしまいましたが、あなたと敵対する気なんてないのです」
「なんだそりゃ命乞いか? それともなんかの作戦か?」

会話で惹きつける囮役かと思い、女に視線をやるが動きはない。
一応身構えてはいるが、動くつもりはないようだ。
それを確認してピーターへと視線を戻す。

「もちろん命乞いですよ、私は死にたくなんてないですから」
「の割に偉く落ち着いてるじゃねぇか、命乞いってのはもっとガタガタ震えてチビリながらするもんだぜ。
 あたしの事を舐めてんのか。まさかお前、殺されねぇとでも思ってんのか?」

熱を纏う苛烈な殺気が、冷気を帯びた冷たい炎となった。
こういう手合いはどうにも合わない。
のらりくらりとした態度は珠美の神経を苛立たせる。
いやそもそも――――何故こんな会話に応じているのか。

恐らく次の返答が少しでも気に食わないモノであれば即交戦の引き金が引かれるだろう。
それを理解しているのかいないのか、ピーターは相も変らぬ調子で平然と答える。

「死にたくないからこそですよ。動揺して判断を誤るだなんてそれこそ死んでしまうではないですか。
 冷静さを欠くというのは、私から言わせれば生きる努力を怠っているとしか言えません。
 本当に死にたくないのなら、心なんて動かさないほうがいい」

なかなか面白い答えだった。
何を言っても殺そうと決めていた珠美の興味を引く程度には。

それは道理だ。
常に冷静でいるというのは戦士ならば当然の心得といえる。

だが、それは戦う力を持った強者の理論だ。
闘う力もなく、絶望的な力の差を前にした弱者が平然と実戦出来る物なのだろうか?

「ですので。誤解があるのならば解いておきたいのですよ。
 冷静に話し合いで済むのならそれに越したことはないでしょう?」
「はっ。血生臭い口でほざくなよ、殺し屋」

女殺し屋のお仲間という事は十中八九同類だろう。
それ以前に、そんな推察を立てる必要ないほどに口から漂う血生臭さを隠せていない。
そんな輩がどの口で話し合いなどとほざくのか。

「いやいや、やめましたから殺し屋。平和主義の一般人ですよ、ええ」

誰が聞いても空寒い言葉を飄々と言ってのける。
滑った空気を察したのかコホンと一つ咳払いをする。

「だから争うのなんてやめましょうよ。私たちが戦う理由なんてないでしょう?」

警戒を溶かすような柔かな交友的な笑み。
軽薄さがにじみ出ているようで嫌悪しか浮かばない。

「理由もなにもねぇよ。ここはそう言う場所だろうが。殺し合って何ぼだぜ」

殺し合いが肯定される世界。
殺し合わねば生き残れない世界。
戦う理由は既に誰もに提供されている。

「なるほど。つまりワールドオーダーの言いなりという訳ですか」
「あん?」

血走った目を見開く。
ワールドオーダーの作った世界のルールに従うという事はそういう事だ。
ボンバーガールの額に青筋が浮かぶ。
あんな男に従っているなどと思われるのは屈辱以外の何物でもない。
それこそ死んだ方がましなくらいに。

「おや、違うので?」
「ったりめぇだろうが! 誰があんな、」
「――――では何故。貴女は殺し合いなんてしてるんですか?」

喰い気味に、有無を言わせず何故と問われた。
改めて問われると言葉に詰まる。
問いは相手からではなく自らの中から湧き出た。

何故。
何故殺し合うのか。
何故。亦紅を殺し、りんご飴を殺したのか。

「……理由なんてねぇよ、あたしはただ闘りたかったからやっただけだ」

喉に詰まった棘を吐き出すように告げる。
苦し紛れではなく、それは心の底からの言葉のはずだ。

正義なんてなく、大義もなく、戦いたいから戦っただけ。
火輪珠美は最初からそうだった。
ボンバーガールはずっとそうだった。
この場でもそうだっただけの話である。

ピーターは平たい声で「そうですか」とだけ相槌を打つ。
その返答よりも、返答に至るまでの感情を読み取っていたような冷たい瞳が光る。
温度のない爬虫類のようで気味が悪い。

「ではもう一つ。闘いたいから闘う、大いに結構。
 ですが、ここでそれが自制できなくなったのは何故なんです?」
「…………どういう意味だ?」
「いやいや、いくらなんでも誰も彼もに喧嘩を売って生きてきたわけじゃあないんでしょう?
 友人もいれば恋人だっていたはずだ。ワールドオーダーの用意したルールに従ったと言うのではないのなら、それこそ何故?」

何故――――破綻したのか。
それは開けてはならない扉を開く、問うてはならない問いだった。

環境や与えられた状況に流されるほど弱くはない。
ならばボンバーガールはボンバーガールのまま、此度行われた所業は全て彼女の内から湧きだした物のはずである。
なのに何故。

闘いたいから闘う。それは確かに火輪珠美の行動原理である、これに間違いはない。
正義感を振りかざすつもりはないけれど、これまでだって気に食わない悪鬼羅刹をぶちのめしてきた。
だが身内に手を出すような外道でもかったはずだ。
闘いたいという理由は、それなりに気に入っていた亦紅や、それなりに付き合いの長いりんご飴と戦うに足る理由だったのか。
確かに成長した亦紅の力に興味はあったし、りんご飴との決着は求めていたけれど、それはこんな場所でこんな形ではない。
停戦を求めたりんご飴の手を、何故取れなかったのか。

『最後まで己の中にある正義という炎を信じられなかった、それが君の敗因だ』

そんなものはない。
正義などあるはずがない。
だって、そうではなくては説明がつかない。

「なるほどなるほど。サイパス氏がここにいたなら大喜びで勧誘してた歪みっぷりだ」
「…………るせぇよ」

温度のない無感情な目で嗤いながら、悪魔のような男が言葉を放つ。
この男の言葉は毒そのものだ。
聞くべきではないと理解しているのに、聞かざるおえないような魔力がある。
口元だけで笑いながら、悪魔が口を開く。

「それともアレですかね。性質の悪い病気でももらいましたか?」
「ッ! うるせぇって言ってんだよぉぉおおお!!!」

絶叫と共にボンバーガールは背負った花火を打ち出した。
この言葉の呪縛を解くには物理的に吹き飛ばすしかない。

絶叫を打ち消す轟音。
肩に抱えた全ての花火から閃光が一斉に打ち出される。
赤、橙、黄、緑、水、青、紫。
全てを滅ぼす瞬く極彩色の流星が降り注ぐ。

光の轟音。
音の濁流。
熱の牢獄。
無力なピーターは元より、辺り一帯すらも燃やし尽くすほどの灼熱の渦。
世界全ての色を詰め込んだようなその光が。

「――――――――時間稼ぎご苦労」

ただ一つの純白に打ち払われた。

「なん……だと?」

ボンバーガールの放った花火も常識外れの物量だったが、目の前で起きた光景もまた常識離れしていた。
全てを塗りつぶす圧倒的な白。
一閃した斬撃が爆炎を全て切り裂き、二つに割れた炎はピ―ターたちを避けるようにして明後日の方向に流れていった。
爆炎をこうも見事に切り裂けるものなのか。

紅蓮を纏った赤の乙女の前に純潔を纏う白の乙女が立つ。

「……ああそういう事かい、勿体ぶりやがって……ッ!」

下らないお喋りはそう言う事かと、それを目の当たりにして理解する。
そもそも口より先に手が出るボンバーガールが口で突っかかっていったのがおかしいのだ。
恐るべきはピーターの手腕である。

呼び名一つ、立ち居振る舞い、不快感すら利用して無理矢理自分の土台に立たせ、口先の戦いに付き合わせた。
無論、本気で交戦せずに終わるのならそれに越したことはなかったのだろうが。

「んな回りくどい事しなくても言ってくれりゃあ待っててやったのに…………いや、待たねぇか」

自らの短気を考えれば、待てと言われて待つわけもない。
だがまあ、こっちの方が面白い。
結果としては感謝だ。

「まあ、殺すけど」

巫女の全身から殺意を形にしたような黒い煙が噴き出した。
辺りに漂う黒色火薬。
攻撃開始の意思表示に他ならない。

「ピーター! 下がってろ!」
「言われずとも!」

役目を終えれば一目散である。
バラッドの指示よりも早くピーターは既に逃げ出していた。

「逃がすかよ!」

ボンバーガールが踵で地面を打つ。
火花が散って、引火した黒色火薬の爆発がピーターの行く手を遮る様に炎の壁を創りだす。
ピーターはうひゃあと情けない声を上げながらもきっちり身を躱していた。

「Oh No!! 私なんかに構ってる場合ですか!?」

その言葉の通り、その目の前には既に白い死神が迫っていた。
紅い怪人は薄花火で迎え撃ち、炎と刃が斬り結ばれる。

シャンと滑らかな音と共に世界に白い線が引かれ、実体のない炎剣をいとも簡単に切り裂いた。
炎を両断した白刃はそのまま首を断つべく真っ直ぐに奔る。

だが、その刃が首を断つよりも早く戦巫女の首元から火花が噴出した。
ジェット噴射のような爆風で跳び出し、迫る刃を回避する。

高速で吹き飛ぶように飛行するボンバーガール。
その背に両翼のような紅い閃光が猛り、夜を燃え上がらせながら弧を描くようにして空中での軌道を反転させる。
その両手には駄菓子屋で撃っているような銃型の花火が握られていた。
銃口から暗闇に咲く色鮮やかなな火炎放射が放たれる。

「フッ――――――」

一息で振るわれた刃は網目のように細かな軌跡を描き、断続的に放たれる炎が次々と切り裂いて行った。
切かれた炎が周囲に飛び散り、街並みに火の手が移り炎上してゆく。

「ちょ、ちょっとバラッドさん。もうちょっと周りの被害を気にしてくださいますか!」

その被害に見まわたピーターが抗議の声を上げた。
だがバラッドは抗議を無視して、向かってくる炎を打ち払いながら、強く地面を踏みしめる。

「そんな余裕が――――あるか!」

白の戦乙女は瞬間移動の様に距離を縮めた。
音のない加速から、音を超えた速度で刃が振るわれる。
赤の戦巫女はその近接を予期していたかのような動きで銃を捨てて、振り抜かれた刃を高跳びのような跳躍で回避した。

純潔体となろうとも、ようやく同じ土俵に立てただけだ。
周りの被害まで考えて戦える相手ではない。

跳躍したボンバーガールは空中で爆発を繰り返し、爆風に乗って急角度でバラッドの背後に着地する。
その動きにバラッドも対応し素早く振り返ると、回り込んだボンバーガールよりも一手早く、敵の懐へと踏み込んだ。
瞬間、踏み込んだ足元から花火が放出され、バラッドの体が夜の空に打ち上げられた。

ボンバーガールの花火の使い方は大まかに分けて3通りある。
花火を直接、遠距離攻撃として放つ使い方。
火薬の爆発力を推進力として移動や近接戦の補助としする使い方。
そして事前に仕掛けを打つトラップとしての使い方だ。

「その程度は想定済みだっての!」

実体のない炎をであろうと全て切り裂く、シルバースレイヤーと同系統の相手。
そんな相手と戦うことなど”常に”想定している。
本命が近接戦であることが分かっているのだ。
距離を取りつつ、近接する瞬間を見極めればいい。

後は空中に放りだされた無防備な相手を秒間100連発のスターマインで撃ち落とす。
そう考え、生み出した発射台を地面に打ちつけ狙いを定める。

バラッドは空中で天と地を逆さにしながら、空気を蹴る様にして後方に足を振り抜いた。
くるりと身を翻し、刃で白い満月を描く様に回転する。
放たれる跳ぶ斬撃。

「ちぃ…………ッ!」

ボンバーガールは身を躱したが、設置した打ち上げ台は両断された。
何もかも想定敵と同じという訳でもない。
遠距離の対応力は銀の騎士よりこちらの方が上だ。

空中で仕留める算段は失敗した。
だったら次に狙うべきは。

「着地狩りィ!」

大量の爆竹を落下する白の乙女の足元に放り投げる。
調整された導火線が、着地のタイミングに合わせて一斉に炸裂した。

「ッ!?」

咄嗟に刀身を杖のようにして足より先に地面につけた。
同時に洪水のような煙と音が周囲を埋め尽くす。

両足が吹き飛ばされるのは避けたが、煙に紛れ敵の位置を見失った。
遠距離攻撃に長けた敵である、砲撃が来るのは間違いない。
右か左か。
今のバラッドならば見てから反応しても間に合う。
白煙を縫って砲撃してきたのならば、その軌跡から位置を割り出すまで。

4時の方向。
バラッドの超感覚が白い煙の奥にひと際強い瞬きを捉えた。

身を反転させて美しくしなやかな肉食獣のような動きで駆け出す戦乙女。
だが、ふと過った直感に踏み出そうとした足を止める。

視界を奪っておきながら攻撃がシンプルすぎる。
こんなただモノ位置を知らせているようなものだ。
何らかの方法で別方向から攻撃して位置情報を誤認させたのか。それとも何か別の仕掛けが。

その答えは次の瞬間に訪れた。
天からナイアガラ滝のように炎が降り注いできたのだ。

「くっ…………おッ!」

頭上に掲げた刀の腹を盾にしながら、炎の滝を駆け抜ける。
炎の瀑布を身に浴び、純白の体に煤けた黒い跡が刻まれていく。
どうにかして炎の滝を抜けた、その先で当然の如く待ち構えるは炎の巫女。

大砲のような手筒花火を両手で抱え、飛び出した白を完全に打ち貫く構えだ。
体勢を崩しながら何とか炎の滝より逃れ出た直後のバラッドにはこれに対応して剣を構えて振るう余裕などない。

だが、打てる術がない訳ではない。

「――――来い」
「なっ――――!?」

そう言ってバラッドが腕を引き寄せた瞬間、ボンバーガールの背中に鋭い痛みが奔った。
その衝撃に筒花火の銃口がブレ、正しく花火としての役割を果たし上空に花を咲かせた。

舌を打ちつつ、背中に突き刺さった何かを引き抜いて投げ捨てる。
地面に転がるのはテグスを断ち切り明後日の方向に飛んで行ったはずの苦無だった。
テグスは確かに断ち切られている。
にも拘らず苦無が勝手に戻ってきたと言うのか。

どういう能力だ?
ボンバーガールの脳裏に敵に対する疑問が浮かぶ。

これはリクのような全てを切り裂く力ではない。
かと言って念動力ではこれまでの説明がつかない。
それともスキルの複数持ちか。

その疑問に答えを得るよりも早く、炎で焼かれた全身から煙を上げながら、流星のように駆ける白い殺し屋が迫っていた。
返り討ちだと両手を広げる紅い巫女。
握られた指の間に挟み込まれた手持ちスパークが一気に弾け、色違いの火花が散った。
耳を劈くパチパチという炸裂音が響く。
近づくもの全て焼き尽くす弾ける炎の爪。

衝突まであと一歩半。
僅かに遠いその距離で、戦乙女が刃を振るった。
瞬間、全ての光が消滅した。

「…………っ!?」

珠美も動画サイトか何かで剣を振るった風圧でロウソクの火を消すなんて曲芸を見たことがある。
だが、これは違う。
ボンバーガールが生み出した花火が風なんかで消える訳が無いし、そもそも風なんておきていない。
まるでそうなるとイメージした、結果だけを引き寄せたような現象だった。

迎え撃つ武器を失った赤の巫女に、白の乙女が距離を詰める。
閃光めいた鋭さで振るわれる刃。
ボンバーガールは後方に跳びつつ、足裏から火花を噴出する。
高速で離れてゆく標的を捉えきれず刃が空を切った。

だが刹那。
ボンバーガールの肩口から袈裟に裂け、赤い血が噴き出した。

「ぐっ……おッ!?」

びぃちゃりと大量の赤い血液が地面に跳ねた。
思わず着地の足が縺れてバランスを崩して膝をつく。

紙一重だったが確かに斬撃は躱したはずだ。
だが、斬られた。
ボンバーガールは止血のため傷口を炎で焼きながら、憎悪を籠めた視線で敵を睨み付ける。

強い。
いや、”強すぎる”。
亦紅と足を引っ張り合っていたのを差し引いても、先に戦った時よりも明らかに強い。

「そうかよ……見誤ってたぜ。そういう能力か…………ッ!」

これまでの情報を統合してようやく理解する。

「ようするに、テメェが斬れたと思ったら斬れるってことかよ」

想像を現実にする力。
己の世界を世界に実現させる力である。
バラッドは否定はせず、膝をついたボンバーガールを見下ろす。

「そうだとして、ならどうする。負けでも認めるか」

苦無を引き寄せる動作も。
人を斬るという行為も。
幾度も幾度も繰り返してきた。
そのイメージは明確だ。

「冗談。面白くなってきたってもんだ……!」

膝をついた体勢から足元を爆ぜさせ飛び上がった。
煙で尾を引きながら空中で身を捻り反転する。

「シッ―――――――!」

剣士の刃が揺らめいた。
ボロボロになった巫女服をはためかせ宙に舞う巫女目がけて幾重もの斬撃を放つ。
ボンバーガールは細かに爆発と炎の噴出を繰り返しながら、空中を跳ね回るようにして斬撃の間を縫う。
そして両手に生み出した花火を、空中から絨毯爆撃の様に次々と投下していった。

何故バラッドが短時間でここまで強くなったのか。
想像力を基点とするこの能力がメンタルに作用する力ならば、先の戦闘との差は何か。
あの時との違い。
一番の違いは何か。
答えは明白。

つまりは―――――勝利したければ狙うべきは女ではなく男の方だ。

「けど――――そんなのつまんねぇよなぁ!!」

せっかく強い相手と戦える機会なのに、それをみすみす逃すだなんて勿体ない。
テンションが能力に直結するのはこちらも同じだ。
ボンバーガールの能力だって最後に覚醒した亦紅の種火を回収して上がっている。

自分から萎えるようなことをしてもしょうがない。
どうせ殺さなくてはならないのなら、強い奴の方がいい。
それがボンバーガールだ。
それが火輪珠美の生き方だ。

バラッドの能力は確かに規格外の能力であるが、言葉で言い表すほど軽い能力ではあるまい。
そうでなければ、こんな半端な使い方はしないだろう。
付け入る隙はいくらでもある。

一刀にて上空からの爆撃を両断するバラッド。
誘爆した花火が連鎖して上空が爆炎に包まれる。
だが、防いだはずの爆炎の中から、別の爆撃が降り注いだ。
防ぎきれず、爆風に見舞われるバラッド。

例えば、想定外、意識外からの攻撃。
絨毯爆撃の中にパラシュート花火を混ぜて攻撃に時間差を設けた。
想像を実現する能力ならば、対応を想像させなければいい。

ボンバーガールは鋭く早く地面へと着地すると、爆破に怯んだバラッド目がけて間髪入れず花火を放つ。
ロケット花火に手筒花火、噴出花火に蚯蚓花火、鼠花火、爆竹、癇癪玉、線香花火に至るまで。
手数で押し切るつもりなのか、質より量と言わんばかりに次々と自分の中の全てを吐き出すようにありとあらゆる花火を産み出してゆく。

例えば、対応限度を超える攻撃。
人一人、刀一振りでは対応に限界がある。
その許容量を超えるだけのありったけを打ち込めば押し勝てる。

男をわざわざ狙いはしないが、巻き込んでしまうのは仕方ない。
細かい調整など性に合わない。
気にするのは面倒だ。
それを気にするのはこちらの仕事ではない。

「巻き込みたくなけりゃ守って見せろ…………ッ!!」

光って消える夜の花。瞬く流星が地上を駆け巡る。
様々な色の光に照らし出される街中がパレードの様に華やいだ。
華やかで美しくそして儚い。
その光には見惚れてしまいそうな美しさがあった。

だが狙われている側としてはただ茫然と見惚れている訳にもいかない。
目の前を埋め尽くす美しい光を前に、白の乙女は武骨な刃一つを構える。

千を超える光。
如何に万能の力を持とうとも、斬ると言うイメージを起点にしている以上、刀を振るうという動作が必要だ。
一つしかない剣士の刃は 千を超える光を防ぐことが出来るのか?

出来る、出来るのだ。
体は休みなく滑らかに動き、光の華を斬り落とし、打ち払い、受け流す。
打ち払うたび霧散する火の粉が最後の輝きを見せて、水泡のように弾けて消える。

バラッドは自身に向かう火の矢のみならず、背後への流れ弾や、弾いた火の手が逸れる方向まで気にしていた。
背後にはピーターがいる。
それ故にバラッドはそれを気にした動きしかできなかった。
後ろに足手まといを抱えていなければ、どれほどの猛攻を見せていたのか。

いや、違う。
これは後ろにピーターがいるからこそだ。
そう思えばこそ、心は軽く、守るために自分でも驚くべき速度で体が動く。
誰かを護る誰か。
殺し続けた自分とは対極の、憧れでしかないイメージ。
そのイメージは存外、彼女にあっていた。
それはあるいは後ろにいるのが彼だったからなのかもしれない。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

光を振り払いながら前に出た。
敵も限界があるのか。
ボンバーガールの花火精製速度が僅かに落ちてきた。

これを機に、白の乙女が攻勢に出る。
祭り終わり。
勢いの落ちた花火では乙女の疾走を止めることはできない。

斬。左肩に斬撃が落ちる。
亦紅から斬撃をもらった時と同じ構図だが、殺し屋と剣士では斬撃の鋭さが違う。
すっと刃が引かれ、左腕が断ち切られる。
血をまき散らしながら、左腕が舞う。

そこで片腕の巫女はにぃと笑った。

バラッドの踏み込んだ足元に落とし穴のような巨大な穴が開いていた。
それがなんであるかを正確に認識したバラッドの背筋が凍る。

それは砲口だった。
先ほどと同じ罠。
だが、違うのはそれが打ち上げるためではなく、打ち抜くための砲撃だという事。

口径は大きさにしておよそ4尺。
戦艦砲をはるかに凌駕する大口径。
多くの花火を打ち出しながら、足元にこの切り札を作りだしていたのだ。

豪と空気が震えた。
劈くような爆破音とともに人間大の火薬玉が打ち出される。

だがそれをバラッドは飛びのく様にして身を躱した。
一度見た手だ、同じ手は喰わない。
バラッドをここで仕留めたかったのなら、同じような罠を先に使うべきではなかった。

だが、赤い巫女の勝利を確信したような笑みは変わらない。
これは打ち出した時点でボンバーガールの勝利となる祝砲だった。

打ち出された砲弾は世界最大の正四尺玉。
この火薬玉が夜に咲かせる花の直系は約800m。
つまり、これが地上で爆発すればそれだけの範囲を火の海にできるという事だ。

通常であれば1km以上の上空に打ち上げるべきそれを、100mに満たぬ低空へと打ち上げたのである。
天に彩を与える娯楽の象徴は、地にて地獄を生み出すだろう。

バラッドも気付くがもう遅い。
低空とはいえ100mは遥か上空と言える。
跳ぶには届かず、跳ぶ斬撃とてそれほどの距離を経ては0.4tの重量を切り裂くには至らないだろう。

辺りは確実に火の海となる。
生き残れるのは一人だけ。
即ちボンバーガールに他ならない。

バラッドは諦めず上空に向けて刃を振るうが無駄なこと。
何を斬ったところで爆発はもう止まらない。
到達点に達した火薬玉が世界を終焉の炎で包む大爆発を起こすべく炸裂する。

「な……………………………に?」

だが、なにも起こらなかった。

会心の手応え、不発弾などあり得ない。
バラッドだ。
バラッドが斬ったのだ。

だが、爆風を斬った訳でも爆炎を斬った訳でもない。
ならばいったい何を斬った?

バラッドは斬った。
”爆発そのもの”を斬ったのだ。

表の世界では銃器が発達し、裏の世界では異能が飛び交う、そんな世界をただ刃ひとつで乗り越えてきた。
銃に頼らず、毒に頼らず、火薬に頼らず。
人殺しの技術が発展したこの現代においてそのような沙汰を続けてきた。
この世界で一番”斬った”のは己であると自負している。

故に、一切両断。
物理、概念を問わず。
この一刀に断てぬモノなし。

不可能を成し遂げた純白が紅蓮の巫女へと迫る。
切り札を破られ戦巫女は敗北を認める様に目を閉じた。
次の瞬間、その首が落ちるのは確定事項だ。

好き勝手暴れて好き勝手死ぬ。
自分が終わるには上等すぎる結末だ。
悔いはない、全力を尽くして上回られたのだ。
せめて、自らに終わりを齎せる死神の姿を目に焼き付けようと静かに目を開く。

その開いた瞳にあまりにも意外な光景が映し出された。

力なく倒れたのは白の乙女の方だった。

何が起きたのか、この場にいる誰もが理解できなかった。
何せ一番、驚いているのはボンバーガールだ。
死したバラッド本人すらわかるまい。

バラッドは敗北を受け入れていた。
自らを終わらせてくれる死神であるとバラッドを認めたのだ。
なのに、どういう訳か死んでいるのは死神の方だった。

乙女の純潔は破れ、身に纏った白が弾ける。
銀の髪が血に塗れ黒に沈む。

時間切れである。
りんご飴の置き土産。
ハッスル回復錠剤の副作用だ。

彼女が薬を飲まされて丁度6時間。
人一人殺さねば自分が死ぬという呪い。
タッチの差で、彼女は間に合わなかった。

その因果を、ここにいる誰も知る由もない。
ただあまりにも唐突に訪れた悪夢のような結末を受け入れるしかなかった。

女は呆然と立ち尽くし、隠れていた男はふらふらと姿を現し歩を進めた。
そうして夢遊病のように物言わぬ女の下に近づいてゆくと、力なく膝をつきその躯に縋り付く。
いや、違う。
あれは縋っているのではなく。

「…………何してやがる」
「食事中です、お静かに」

そう言って、口づけをするように頬の肉を噛み切った。
まだ温かい血の通った肉が千切れ噛み口から血がふつふつと噴き出す。
クチャクチャと音を立て生肉を口の中で擂り潰した。

「止めろ」

嫌悪を籠めた声で珠美がそれを制止する。
それは二人の戦いを汚す行為だ。
ただでさえ煮え切らない結末なのだ、これ以上余計な不純物を入れてほしくない。

珠美にとってピーターは闘いの結末を汚す異物であり。
ピーターにとって珠美は二人の結末に水を差す異物である。
互いにとって互いがこの世に必要のない異物だった。

だが、ピーターは止まらなかった。
最初から珠美などいないかのように食事を続ける。
血抜きもしてない肉を口元を赤く染め上げながら喰らう。

そのたび舌ではなく、脳が痺れる。
生涯最高の味だ、涙が出るくらいに美味かった。
愛の結実。
男は随喜の涙を流しながら愛した女を喰らう。
愛した人間を喰らう事しかできない怪物。
彼の愛が結実するのは、この時、この瞬間だけである。
次もなく、先もない。
だから、この至福の一時だけはせめて。

その逢瀬を爆炎が遮った。
残ったのは黒く焼け焦げた男と女の死体だけ。
重なる様に一つになったそれを見て、嫌悪を隠そうともせず、心に積もった澱みを言葉にして吐き捨てる。

「――――――――気持ち悪ぃ」

【バラッド 死亡】
【ピーター・セヴェール 死亡】

【I-9 市街地/夜中】

【火輪珠美】
状態:左腕喪失 ダメージ(極大)全身火傷(大)能力消耗(大)マーダー病発病
装備:なし
道具:基本支給品一式、禁断の同人誌、適当な量の丸太
[思考・行動]
基本方針:苛立ちを解消する
1:苛立ちを解消する
※りんご飴をヒーローに勧誘していました
※ボンバーガールの能力が強化されました














多くの人間に破滅と混乱を齎したバラッドの突然死。
それに対して混乱をきたしている人間はもう一人いた。
正確には人間はなく精霊、妖精の類の存在であるのだが。

『なに!? なんなのいきなり!?』

ユニコーン・ソウル・デバイス・エンチャント。
純潔なるものにか見えない聖と性を司る神聖なる存在。
彼女はとある世界の片隅にある妖精界の存在である。

契約者バラッドの死は彼女にとっても悼むべきことではあるのだが、そんな余裕はない。
人間界で一度目覚めてしまった以上、契約者をなくしてしまえば1時間ほどで消滅してしまう。
それまでに次の契約者を見つけなくてはならなかった。

『くそっ! いない、いない…………ッ!』

焦りながら周囲を見渡しながら飛行を続けるユニ。
夜で暗い上に街頭の灯りもなく探しづらいことこの上ない。。
参加者の数ももう残り少なく、この市街地にあとどれだけいるのか。
見つけられたとして、その相手が純潔を守り続ける存在なのか。
焦りと共に不安ばかりが募る。

『あ………………!』

ユニが声を上げる。
市街地を周回する大通り。
月明かりだけが足元を照らす最中を隠れるでもなく堂々と歩く一人の男を見つけた。

ユニが目の前を通り過ぎると相手も視線を動かし反応を見せた。
どうやら見える相手のようである。
やった、と幸運を噛み締めつつ相手の近くへと向かって行った。
悪人である可能性もあるが、このままではどうせ消えるのだ、吟味している余裕はない。

だが、ユニがその男の間近まで迫ったところでピタリと動きを止めた。
すぐそこに迫る自らの消滅よりも恐ろしい物を見たように目を見開き、妖精は声を震わす。

『嘘…………なんでこんなところに』

見た目ではなく存在として目の前の存在が何者であるかを理解した。
あの邪神にすら怯むことのなかったユニが全身を震わせていた。
超越した存在として、生まれてこの方感じたとこのない痺れのような感覚が全身を支配する。

自分と同種の、それでいて桁の違う力。
同種だからこそ理解できた、目の前の存在が何であるのか。
その名を、総称される存在を呼ぶ。

『―――――――神様』
「確かに、僕は君たちの創造主ではあるのだけれど、その呼び方はやめてほしいなぁ」

神が嗤う。
いや、口元に笑みが張り付いているだけで、その男に感情などあるのだろうか。
不気味さと混沌を煮詰めたようなそんな男だった。

「さて、何故こんな所に、だったか。
 それはね、東側の殲滅をしに行ったのだけれど、僕が何をするまでもなく”東側に参加者がいなくなって”しまってね。
 おずおずと戻ってきたわけさ。いやはや息を撒いてみた物の恥ずかしいねぇ。みな積極的で結構な事だが」
『何の、話…………?』
「ああ、何にせよ説明は必要だろうと思ってね。君に言ったわけじゃないから、気にしないでいい」

ユニには理解できない言葉である。
前提である共通認識をスッとばしているような。
いやそれ以前に、確かに見えているはずのユニのことなど見ていないようにも感じられた。
訳も分からず怖気が奔る。

「結局、この市街地を抜けられたのは火輪珠美とオデットだけか。僕としてはつまらない結果だが、まあいいさ。その先を期待しておくとしよう」

遠くを見つめ、目を細める。
もはやその殆どを崩壊させてしまった市街地を俯瞰する様に。
口元はいつもの笑み、そこに込められた感情は読み取れない。

遠くを見つめていた男の視線がユニへと向き直る。
口元の笑みが更に歪に折れ曲がった。
悪い予感がある。
悪い予感がある。
どうしようもなく悪い予感がある。

「よくやったね。ユニコーン・ソウル・デバイス・エンチャント。
 君のお蔭でそれなりに面白い展開になった。まあ、結局はダメだったけれど」

父とも言える創造主からのお褒めの言葉。
感涙に咽び泣いてもおかしくないこの言葉を受けて、ユニの心に到来したのは恐怖だった。

『……いや、やめて』

後ずさるようにユニが空中を滑る。
これが何が起きるのか、恐ろしい予感がある。

「さて、よくやってくれた君に暇を与えよう。ここから先、多分君の出番はない。
 放っておいても消えるだろうけど、明示的に消えておいた方が締まりがいい。憂いは少しでもなくしておきたいからねぇ」

直後、全力でユニは後方へと逃げ出した。
幸運なことに彼女は参加者ではない。
禁止エリアを気にする必要もなければ、大半の参加者には見えないから襲われる心配も少ない。
全力でただまっすぐ、あの男から逃れる事だけ考えていればいい。
その後の消滅など、それに比べれば些細な事だ。

だが、逃げるなど言う行為は無意味である。
どれだけ逃げようとも、どこまで逃げようとも、世界そのものからは逃れられない。

「『妖精』は『消えろ』」

声も遺さず妖精は消滅した。
その事実に興味すらないように、事もなげに男は呟く。

「さて、僕はどう動こうかなぁ」

【H-9 市街地(禁止エリア)/夜中】
主催者(ワールドオーダー)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、携帯電話、ランダムアイテム0~1(確認済み)
[思考・行動]
基本方針:参加者の脅威となる
1:参加者の殲滅
※『登場人物A』としての『認識』が残っています。人格や自我ではありません。

149.最強の証明 投下順で読む 151.悪党を継ぐ者
時系列順で読む
とある殺し屋の死について バラッド GAME OVER
死なずの姫 ピーター・セヴェール GAME OVER
祭りの終り 火輪珠美 HERO
主催者 そして1日が終わる

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最終更新:2018年08月13日 12:18