緩やかな夜風が優しく頬を撫ぜる。
風は小さな氷の粒を引き連れて、遠くに飛んで消えて行った。
何かを堪えるような表情をしていた少女は、胸元に添えた手を強く握り絞める。
乾ききった瞳で、煌めいては消えて行く自らの弱さを見送っていた。

今、悪党を受け継いだ少女の胸中には鉛のような重さが沈殿し積み重なっている。
両親を失ったあの日、そしてこの地において幾度となく味わった、決して逃れられない痛み。
それを噛みしめるように感じながら、潰されるものかと強く意思を籠めて瞳を見開く。

この重さを足を止める重石にするのではなく、足を進める礎とする。
そうする事こそが父への最大の弔いであると信じている。
決して割れない氷のように固い決意。
その決意があれば、長い別れなどいらなかった。

感傷を振り切り、氷のような少女は倒れこんだ少年の脇に屈みこんだ。
意識を失っている少年の呼吸は落ち着いており、それどころか豪快に寝息まで立てている。
この様子ならば放置しておいてもあまり心配はいらなさそうではあるのだが、診療所で待たせている九十九をすぐにでも迎えに行かなくてはならない。
大人しくしていれば早々見つかるような場所でもないとは思うが、こんな状況だ彼女を一人にしておくのは心配である。
とはいえこの場に拳正を放置しておくわけにもいかない。

「ねぇ…………新田くん起きて、ねぇってば」

ペチペチと頬を叩く。
目を覚ます気配はない。

鼻をつまむ。
うーんと少しだけ苦しそうだがやはり少年が目を覚ます気配はない。

考えてみれば、こんなバカげた殺し合いが始まってから、もうじき一日が経とうとしている。
疲労もピークに達する頃合いだろう。
これまで張りつめっぱなしだった彼の道中を考えれば無理もない。

どうしたモノかと目を覚まさない少年の頬を人差し指で突く。
無理に起こす手段もないことはない。
だが、できればこのまま少しでも休ませてあげたいという気持ちもある。
ここまで彼にお世話になった借りを返すという訳でもないが、それくらいの気は使ってもいい。

「そうなると…………」

色々と我儘を押し通すのならば選択肢は一つ。
眠ったままの拳正を運んでいくしかない。
細腕とはいえ、ユキだってそれなりに鍛えている。
体格の小さな拳正くらいなら背負って行くくらいは出来るだろう。

「えっ…………と」

昔半田に教わった意識のない人間の背負い方を思い出しながら、仰向けに寝転がった拳正の体に手を添える。
両手を交差させ手首を引き、引き上た体の下に反転して滑り込むように入り込む。
そのまま背負い投げのような体勢から体を持ち上げ背に担ぐと、確かな重みが圧し掛かった。

意識のない人間はこちらに体重を預けてくれないため思った以上に重く感じる。
こうして考えるとむしろ抵抗すらしていたユキをいとも簡単に米俵みたいに抱えて走り抜けた拳正の凄さが分かる。

取り落とさぬよう何度か調整して重心を安定させた。
これなら何とかなりそうだ。
少なくとも近くの診療所まで歩いていく程度なら問題はなさそうである。

なさそう、なのだが、重さ以上に問題が一つあった。
それは触れた部分から伝わる感触。
普段からスキンシップが好きだった舞歌たちとじゃれ合ったり触れ合ったりしていたから、人とのふれあいには慣れているはずなのに。
彼女たちとは違う、少しだけ硬い男子の感触に戸惑ってしまう。

そう意識してしまうと途端に他のいらぬところまで気にかかった。
規則正しい呼吸音が耳元をくすぐる。
手元だけではなく触れ合った背から熱が伝わる。

楽しさをくれる舞歌たちの温もりとは違う。
安心するような父の温もりとも違う。
何処か溶けてしまいそうな、触れただけで火傷するそうな熱さがあった。
その熱の正体がなんであるか、それは、今は考えない。

「よし…………行きますか」

気合を入れ直して、診療所に向けて歩き始める。
今はそれどころではないし、何より、彼には彼女がいる。
燃えるような熱を氷漬けにして奥底へと沈める。
きっとこれからも考える必要はないだろう。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ユッキー!」

尾行や周囲に人気がない事を確認しつつ診療所にまでたどり着き。
背負った拳正を落とさぬよう慎重に扉を開くと、慌ただしい足音と共に九十九が飛びつくようにして熱烈に出迎てくれた。

「大丈夫だった!? 怪我とかしてない!?」

九十九はユキの肩を掴むと捲し立てる様にガクガクと揺する。
その様子から彼女がどれだけ心配していたのか、どれだけ不安を感じていたのかが伝わってくるようだった。
一人きりで待っているというのは辛い事だ、その辛さはユキも良く知っている。
それでも彼女はここで信じて待っていてくれた、その気持ちは嬉しいのだが。

「ちょ、ちょっと……待って、新田くんが…………落ちるから…………!」
「あぁ、ごめん。って拳正どうしたの!? 寝てる………………? 寝てるだけ?」

そこで九十九も眠ったままユキの背に背負われる幼馴染の姿に気付いた。
一瞬、最悪の想像がよぎるが、呼吸をしている事に気づき一先ず安堵の息を漏らす。
すぐに表情を引き締めると強がるように悪態をつく。

「女の子に背負われるなんて情っけないなぁ。
 とりあえずベッドに運ぼう。重いでしょ?」

九十九が慌ただしく踵を返し、診療室へ駆けて行った。
この少女はいつだってどんな状況だって活動力に溢れている。

「一二三さん!」
「ん?」

声に診療室の扉を開いた九十九が振り返る。
待っていてくれた人に最初に伝えるべき言葉をまだ言っていない。

「ただいま」
「うん、お帰りユッキー」

そして診療室まで運んで行った拳正を九十九に手伝って貰いながらベッドにそっと寝かせる。
熱の残り香が離れていく。
汗ばんだ背に学生服が張り付いていた。

「はい、ユッキーもそこに座って」
「え」

有無を言わさず九十九に手を引かれた。
抵抗する間もなく丸椅子へと導かれ、座らされる。
その正面に棚から取り出した包帯と消毒液を両手に抱えた九十九が座った。

「よし。じゃあ脱ごうか」
「え!? いや、ちょっとさすがにそれは…………新田くんもいるし」
「大丈夫だって、寝てるし。脇腹裂けちゃってみたいだし、早く手当しないと。
 それに他にも細かい擦り傷とかもあるし、そっちも手当しとこ」
「うっ…………ぐ」

九十九の言い分は正しい。
治療道具があるのだから治療はしておいた方がいい。
勢いに圧され、あれよあれよと言う間に学ランのボタンを外されてゆく。
ここまで来るとユキも観念して、はだけた胸元だけ手で隠しながら黙って九十九の治療を受ける事にした。

「………………ッ」
「ゴメン! しみた!? けど我慢してね!」

言葉では謝りつつもまったく遠慮なく消毒を続ける。
九十九は治療に専念していて、ユキが出て行った後の事を何も聞かなかった。
父との戦いはどうなったのか、どういう決着をしたのか。
気にならない訳ではないのだろう。

どう語っても辛い結末である事を気遣っているのだろうか。
九十九が聞かないのならユキから話すべき事ではないだろう。
語るまでもなく、戻ってきたのが二人だけと言う事実が物語っている。
なら、ユキが言うべきなのは別の言葉だ。

「一二三さん。あの時、背中を押してくれてありがとう。あなたがいなければ私はきっと前に進めなかった」

父との戦いを迷うユキの背中を押してくれたのは九十九だ。
九十九がいなかったら、きっと前に踏み出せず、あの結末を迎えることはできなかった。
あのままじっとしていればきっと楽だっただろう、父をこの手にかける事も、この重さを背負う事もなかった。
けれど後悔はない。辛く苦しい道のりに向かって、踏み出せた自分を誇りに思う。

傷口にガーゼを宛がい張り付ける。
その手が止まった。

「私は……お礼を言われるようなことは何にもしてないよ。
 ユッキーが動き出せたのはユッキーが動こうって思ったからだよ」

そんな事ない、と言おうとしたところで九十九の表情が沈んでいることに気付く。

「むしろ助けられているのは私の方だよ。ユッキーや拳正にばっかり前に立たせて勢いだけで何にも出来てない。
 ここにきてから、ずっとずっとそう。若菜や輝幸くんだって……」

自らに対する負い目。九十九が弱さを見せる。
それがユキにとっては意外だった。
自分とは違って、強い人だと思っていたから。
彼と同じく彼女はは強い人だと思っていた。

だけどそうじゃない。
彼女もユキと同じく、自分の無力を嘆き、何もできない自分を変えたくて足掻いている。
そんなただの人でしかなかったのだ。
そう気付いた。

「そうだね、そうかもしれない」

ユキは九十九の言葉(よわさ)を肯定する。
九十九に力がなく、誰かに助けられなければ生き残ってこれなかった。それは否定し様のない真実。
無鉄砲な九十九がここまで生き残ってこれたのは誰かの助けがあったからに他ならない。

「けど助けられてるのはお互い様なんだよ。私は勝手に一二三さんに助けられたって思ってる。それは本当なんだから」

それは彼女とユキに限った話ではない。
誰しも何もかもはできないのだ。
それは決して恥じる事ではない。
大切なのはそれを受け入れ、足りない自分がどう生きるかを考える事だろう。

「私たちは足りないモノだらけだ、だから助け合っていくしかないんだよ。
 助けられることは決して悪い事じゃないんだから」

一人で世界全ての善悪を背負っていた父は立派だが、ユキにはできない。
誰かに助けられて、誰かを助けて。
そうやって生きて行けばいい。
それが未熟な悪党の生き方。

「あ、れ……………………?」

その言葉がどれほどの意味を持ったのか。
不意に少女の目から一筋の涙が頬を伝って床に落ちた。

「ッ! ゴメン、何でだろ…………ははっ」

自分でも驚いた様に九十九は自らの頬を袖口で拭う。
だが、一度零れてしまえばもう止められなかった
ずっとずっと負けるもんかと堪えていたものが決壊して止まらなかった。

言葉にできない感情が涙となって溢れ出る。
もうどうしようもなかった。

「…………ゴメン……ゴメンね…………ぅう」

子供のように泣きじゃくる九十九をユキは優しく抱き寄せた。
心を落ち着けるよう静かに、その背を擦る。
九十九が落ち着くまで何度も。

「ねぇ、これから九十九って名前で呼んでいい?」
「……うん。もちろんだよ」

二人の少女は笑い合って、それから他愛のない事を話した。
日常の事。
家族の事。
友達の事。
そんな何でもない話を。

仲が悪かったわけではないが特別仲が良かったわけでもない。
こんな事がなければこうして二人きり腰を据えて話すこともなかっただろう。
そう考えると不思議な関係だった。

何かと目立つ幼馴染の世話に走り回っている印象が強いが、九十九は誰に対しても壁を作らない性格からかクラスの中心にいた。
少なくともユキの目からは誰とでも仲良くできる人に見えた。

対してユキの人間関係は自他ともに認めるくらいに狭い。
閉じた世界で生きてきた。

ルピナスはそんな私を気にせずにいてくれた。
夏実はそんな私を受け入れてくれた。
舞歌はそんな私を変えようとしてくれた。

かけがえのない親友たち。
彼らとの関係が永遠に続けばいいと本当にそう願っていた。

だが、永遠などない。
時は巻き戻らず、失ったモノは取り戻せない。
そんな当たり前の事実を知る。

だけど失ったモノは違う形で取り戻すことはできる。
それは過去をなかったことにするという事ではない。
ユキが新しい悪党になったように。
なにか新しい物は生まれるのだ。

こんな殺し合いに感謝することは何一つないだろうけれど。
きっと、何も残らない訳じゃない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

夜と共にガールズトークも深まった頃。
唐突に、ベッドで眠っていた少年が跳び起きた。

目を覚ますや否や野生の獣のように鋭い目つきで周囲を素早く見渡す。
ちょうど拳正の恥ずかしい昔話を吹き込んでいた最中だったので、お、バレたかな? と九十九が内心冷や汗をかいたがそうではなかった。

「きゃ…………っ!」

薬棚がガタガタと音を立て震え始めた。
次の瞬間には揺れは部屋全体にまで広がり、柱が軋みを上げる。
揺れは数秒ほど続き、徐々に小さくなり程なくして収まった。

数秒の沈黙。
完全に揺れが収まった事を確認してユキがポツリと声を漏らす。

「地震……だったみたいね」
「そう、だね」

流石は地震大国の子供たち、この程度の揺れで取り乱すでもないが、流石にこの状況下では僅かな不安が残る。

「仲いいな、お前ら」

互いにすぐ近くの相手を庇おうとしたためか、二人の少女は抱き合うような形になって固まっていた。
それに気づいてユキは離れようとしたが、九十九は逆に見せつける様に引き寄せた。

「仲いいよー」
「そうかい。そら結構なこって」

適当に返事をしながら拳正がベッドから飛び降り立ち上がる。
シッカリと両の足で立ち、固い体をほぐすように首を鳴らす。

「体、大丈夫?」
「ああ、むしろ”調子がいい”くらいだ」

片目は潰れ、全身はボロボロだが、全身の毛穴が開くような感覚がある。
その身をもって達人の域を体感したからだろう。
無理矢理に門を開かれたように次の領域が見える。

「んで、今のただの地震だったか?」

その問いかけに少女二人は首を傾げた。

「どういう意味?」
「こんな場所だからな、近くでどっかの誰かが暴れてこの家が揺れたって可能性もあんだろ」
「うーん。そんな感じでもなかったと思うけど…………」

局地的なモノというと言うよりはそれなりに深い震源から揺れる広範囲なモノだったように思える。
それに建物全体を震わすほどの規模の破壊活動があれば流石に分かりそうなものだが。

「そか、なんか妙な気配を感じて跳び起きたんだが、気のせいだってんならいいや」

感覚が開きすぎているのか、予兆のような悪い予感を感じて目を覚ましたが。
先ほどの揺れは何の変哲もない地震だったというのは拳正も同意見だ。
気のせいだったのだろうと、それ以上掘り下げるでもなく意見を取り下げる。

「予感がして跳び起きたってあんた、地震が来るって気付いて目を覚ましたって訳? 動物かいな」

野生の獣は地震が起きる直前に地震を予期して動くのだと聞いたことがあるが、先ほどの拳正の反応はそれだった。

「るせぇな。この状況で何の警戒もなく寝てられるほど太くねぇよ。
 一応敵意とか悪意とか警戒しながら寝てんだ、なんかあったら飛び起きるさ」
「はぇ~、器用なこって」

その割にどれだけ突いても起きなかったけどなーとユキは思うが内心に留め言わないでおいた。

「よし、じゃあ拳正も起きたことだし、これからどうするか決めよう」

九十九がそう切り出す。
彼らの当面の目標は脱出手段を持っている可能性の高いユキの父親の捜索だったのだが、その目標は果たされ、そして失われた。
新たな方針が必要となる。

「まあ、とっととこんな所から抜け出してウチに帰るってのが目標だが」
「それを私達だけで成し遂げるのは難しいでしょうね」

大した力を持たない学生三人。
首輪の解除。
会場の脱出。
彼らにはそれらを成し遂げるだけの力がない。
それを素直に認める。

「俺らだけでも、ここにいる野郎を〆てどうにかさせるって方法もあるぜ」
「それは……難しいでしょうね」

ここにいるワールドオーダーをどうにかできれば確かに全て解決する。
だが、この戦力であれをどうにかできるか、と言われれば難しいだろうし。
倒せたところで、都合よく動いてくれる相手だとも思えない。
余り現実的な案ではない。

「だろうな。ま、言ってみただけだよ。ついでに野郎を一発ブッ飛ばせたらって思っただけさ」

飄々と状況に対処してきた拳正とて、この状況に、この状況を作り出した相手に思う所がない訳じゃない。
これまでそれらしきを見せなかったのは他に優先すべきがあり、それを間違えなかったからだ。
九十九のように表立たずともその気持ちは奥底に確かにあった。

「結局は何とかできそうな奴を探して、そいつの案に乗っかるしかないってことだな」
「身も蓋もない言い方をすればそうなるわね」

方針自体はユキの父を探そうとした時と変わらない。
変わるのは誰を頼りにするかという所なのだが。

残念がら比較的普通に生きてきた拳正や九十九にこんなトンどもな状況を解決できそうな人間の心当たりはない。
この手の当てはユキに頼るしかない。
まだ放送で呼ばれていない生き残りの中で一番に浮かぶのは良くも悪くも有能な一人の女だった。

「何とかできそうな人って言ったら……恵理子さん、かな」
「恵理子さんって?」
「私の所属してる組織の幹部の人なんだけど、なんて言ったらいいのか……とにかく底が知れない人だから何とか出来るかもしれない」

ユキ個人としては苦手な人であるのだがそうも言っていられない。
父に並ぶ有能性を持つ彼女ならば、首輪の解除プランや脱出プランの一つや二つ持っていてもおかしくはないだろう。
ただ問題があるとするならば、彼女は悪党商会の後継者の座に異常なまでに執着していた事だ。
半田と共に悪党商会の後継者争いをしていた彼女がユキが悪党を継ぐと知ったらどうするのか、という一抹の不安は残る。

「他にはヒーロー連中かしら」
「ヒーロー?」
「本当にいるのよヒーローって。人助けを生業にする人たちがね」

悪党商会であるユキの立場からすれば商売敵だが、その手のしがらみを抜きで言えばこの場においては最も頼りになる人種だろう。
生き残っている可能性があるのはシルバースレイヤーとボンバーガール。
やられ役として早々に倒された程度だが、何度か戦ったことのある相手だ。
ボンバーガールはともかくシルバースレイヤーなら話は付けられるかもしれない。

「後は…………そうね、音ノ宮先輩かしら」
「音ノ宮…………なんか聞いたことあるような」
「いや、新田くんには私が説明したよね…………?」

なんで忘れてるの?という呆れ顔はすぐさま諦めの溜息に変わる。

「……まあいいわ、新田くんだしね」
「それよか、確か探偵だっけ? その先輩。なんか凄い人がいるって私も聞いたことある」

我が校の誇る美少女女子高生探偵。
探偵は謎を解く。
そうとしか生きられない連中だ。
彼女なら、探偵ならあるいは、この殺し合いの謎を解き明かしているのかもしれない。

「探偵、ね。ま、いいんじゃねぇか、当てにしてみても。
 ウチのガッコの先輩なんだろ? 助けてくれんじゃねぇの」
「うーん、無条件の善意とか、そういうの期待できるタイプでもなのよねぇ」

僅かな邂逅だったが、ユキはこの場で一度出会ってる。
ミロとのごたごたで有耶無耶のうちに分かれてしまったが、変わらぬ怪しげな雰囲気を纏っていた。

正直言って恵理子以上に苦手なタイプな上に、個人的な親交もない。
頼るべきは人としての当たり前の正義心なのだが、あの人にそれを期待してもよいものなのだろうかとう不安は残る。

「あの人。今頃、どうしてるのかしら?」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

世界が終わったような静寂があった。
それほどの集中を続けていた少女は息を吐いてその糸を緩める。

亜理子は地面を調べるべく屈んでいた体勢から立ち上がると、スカートの端についた泥を払う。
しかし、ぬかるんだ地面を掻きわけていた白く細い指は土色に染まり、沁み込んだ土汚れまでは払った程度では落ちなかった。
汚れが目立たたないゴシック調の魔法少女服だったのは幸いであるのだが、流石にここまで汚れると一度水浴びでもしたいところなのだが、そうも言ってられない状況である。

ダム底の調査は終了した。
手元の心許無い明かりを頼りにした調査だったが、探偵の誇りにかけて見落としはないと断言しよう。
怪しげな中央の穴のみならず、周囲一帯にまで調査の手を広げたがエレベータースイッチらしきものは見つからなかった。
他にもこれと言った手がかりらしきものは見つからず、脱出に向けての進展はない。

だが、その結果に対して彼女に落胆はなかった。
これは彼女にとっては確認作業に過ぎないのだから。

この空洞がエレベーターであると断定できる材料は殆どなく、むしろ何も見つからなかったという調査結果はそうではないと裏付ける物である。だが、彼女はこれがエレベーターであると言う確信があった。
何故なら彼女には『そうである』と言う心当たりがあるからだ。

それは死亡した一ノ瀬と対話を果たした時の話である。
彼は主催者と対峙する機会を得たと語り、彼女はその詳しい経緯を尋ねていた。
その問いに彼はこう答えた。

『貴女の前から消えた直後の話だ。気付けば僕は四角い箱の中に居ました。
 窓一つなく外がどうなっていたのかは分かりませんでしたが、僅かな振動から動いていたのは確かだ。
 階数表示もボタンすらなく登っていたのかも降っていたのかも定かではありませんが、恐らくはエレベータのような何かの移動装置。
 たどり着いた先は奴の本拠地と思しき場所でした、きっと私がそこに飛ばされたのは偶然ではない、そうなるよう設定されていたのでしょう』

彼が乗り合わせた移動手段が恐らくコレだ。
主催者の下にたどり着くために用意された箱舟。
禁止エリアによる中央への誘導もこれならば納得ができる。

そうなると考えるべきは使用手段だ。
周囲に呼び出せる仕掛けがない以上、通常の手段で呼び出すことはできそうにない。
だと言うのに、何故彼は乗れたのか?
いや、そもそも何故あの時点で消えたのか?

あの時の一ノ瀬に特別な点があるとしたならば、それは死神の手によって首輪が解除されていた事だろう。
ならば首輪の解除がエレベーターの搭乗条件になるのか?
首輪を解除すれば自動的に転送されるのか?
いや、それはない。

私の前から姿を消したのは、世界を渡ると言う彼の異能の作用だろう。
あの場で転送されたのは彼が彼だったからである。

いくらなんでもあの退場の仕方をワールドオーダーが想定しているとは考えづらい。
想定しているのであれば、そもそもそんなことをさせないよう対策すべきである。

あくまであれは死神と一ノ瀬空夜という規格外の組み合わせによるイレギュラーだ。
これを正答として考えること自体が間違っている。

あれは例外中の例外。
だが、必要な要素を見極め、真偽をくみ取ることはできるはずだ。
タイミングからしてあの時点で転移が始まった事と首輪の解除があったことの因果関係は恐らくある。
首輪の解除が必須という点は正しい考察だろう。
問題は彼がその異能で『呼び出し』という過程を一足跳びでクリアしてしまったという事だ。

これを呼び出すための条件は別に何かあって、それは未だにクリアされていない。
正規の条件を解き明かす。

いや、解き明かすべくはそれだけではない。
全ての謎を解き明かし因縁も伏線も全て明かして、未練なく神様が本を閉じられるように世界の終わりのお膳立てをする。
これこそが探偵である亜理子に課せられた役割だった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

土の地面を踏みしめる不規則な足音が響く。
ふらつく足を引きずるようにして山道を歩いているのは怪人へと墜ちた女だった。
月の光すら深い木々に遮られ、自らの足元すら朧気に闇に溶けてゆくようだ。

吐く息すら炎のように熱く、全身が高熱を帯びてたように気だるい。
整備されていない山道は踏みしめるたび体力を奪う。
まるで足に見えない重りが纏わりついたようで、足を進めるたび命が削られていくようだった。

ただ灼熱のように沸き立つ頭だけが、妙にふわふわして気分がいい。
油断すると沸き立ちすぎて意識が白む。それを強く舌を噛んで無理矢理繋ぎとめる。

口の中に広がる鉄の味を喉を鳴らして呑み込む。
曖昧にぼやける感覚の中で鋭い痛みだけが確かだった。
熱が上がるたびに余計なモノが消えて行き、神経が研ぎ澄まされてゆく。

急ぐ理由もなく、明確な目的もないのに休むこともせず。
生き急いでいるのか、死に急そいでいるのか、それすらも分からずにいる。
それなのに何故進むのか。
本人すらわからないその問い答える者など無く、目的すらわからなくなりながらそれでも足を進める。

八十八箇所を巡る僧侶のようだ。
ただ無心に頂点を目指して勾配のある坂道を踏みしめる。
人を害する血と悪意に彩られた道行であるはずなのに、心中は狂ってしまったように穏やかで、ただ白く何もない。

そうして進むうちに山頂に近いて行き、周囲を取り囲んでいた鬱蒼とした木々は目減りしてゆく。
折り重なる木々によって貼られた天上のカーテンが徐々に開かれて、女の下に月明かりが届いた。
影ばかりだった世界が輪郭を取り戻すように照らし出される。

見上げれば、そこには視界を埋め尽くすような巨大な貯水ダムが鎮座していた。
正確にはそこに在ったのはダムだったであろう何かが、だが。
ダムは既に半壊しており、コンクリート壁はまるで巨大なバーナーで焼切ったように高熱で溶解したように壊れ、ダムとしての機能を果たしていない。

その破壊跡に興味を引かれたのか、ふらふらとダムへと近づいてその破壊跡を確かめる。
どう見ても自然に壊れたモノではない。
破壊跡の様子からごく最近、恐らくは参加者の手によって破壊されたものだろう。

「よっこいせ……っと、とッ」

崩れた壁を乗り越えダムの中に侵入する。
広がっているのは乾いた苔の蔓延るただっぴろい荒野だ。
段差からの着地で僅かにバランスを崩したが、柔らかい地面を踏みしめながら立て直す。

ダムの中の水はすっかり涸れていた。
開いたドデカい穴から水が漏れ出したのではないだろう、恐らく高熱に晒され全てが蒸発したのだ。

この規模のダムであれば干ばつでもない限り貯水量は1000万m3は下らないはずである。
それが全て干からびるなど、どれ程の熱量が必要なのか。
恐らくドラゴモストロの火炎弾でも無理だろう。
炎熱を操る能力者として思わず嫉妬を覚えてしまうくらいのド派手な規模だ。

この破壊を成し遂げた相手がここにいるのなら、苦労してここまで足を運んだ甲斐もあるというモノなのだが。
見渡せどダムを破壊した相手どころか、リクの仲間らしき人影すらない。
平らなダム底、誰かがいれば見逃すはずもないのだが、周辺には誰もいなかった。

目につくモノがあるとするならば、ぽっかりと開いたどこまで続くのか分からないような四角い穴だけだった。
これ以外になにもない以上、リクがここを拠点としていた理由はこれなのだろう。
つまりは、珠美にはよく分からないが参加者にとって重要な何かなのかもしれない。

とりあえず小さな花火を一つ作って落とす。
パチパチと弾ける花火の光は吸い込まれるように落ちてゆき、その内見えなくなっていった。
手応えらしきものがまるでない、どれ程深いのか見当もつかなかった。

「…………壊しとくか」

ここが大事な何かなら壊しておくのが怪人として正しい在り方だろう。
そう考え、穴組を破壊できるだけの特大の花火を創だろうしたところで、すぐにやめた。

怪人ボンバーガールの目的は参加者を殺しつくすこと、参加者が何を目指そうと知ったことではない。
これが何であるかはどうでもいい事だ。
よくわからないモノを破壊するために貴重な感情(ちから)を使うのもバカらしい。
だからそれよりも、今優先すべきは。

「――――――そこか」

唐突に身を翻して、適当に作った花火未満の火薬玉を周囲一帯に放り投げる。
それを一斉に炎で薙ぎ払うと、炸裂音が周囲に鳴り響いた。

「きゃ…………ッ!?」

爆炎に飲まれた何もない空間から、フリルの付いた黒い衣装の女が現れた。
いきなりそこに現れたのではなく、透明化か何かの能力で隠れていたのだろう。
それを見破ったのは直感などではなく、単純に井戸のような穴を破壊しようとする珠美の行動に動揺が見えた。
熱を帯び鋭く尖った今の知覚ならば、姿が見えているも同然だ。

「けっ、カメレオンかよ」
「く………………ッ!」

爆風に煽られバランスを崩していた女がなんとか踏みとどまる。
今の火薬玉はあくまで炙り出しに過ぎず、敵を焼き尽くすには火力不足だ。
ダメージは少なく黒衣の魔法少女はすぐさま次の行動に出た。

「――――――ジャンプ!」

魔法少女は迷わず逃げの一手に打って出た。
この場所の保持に固執せず、一足でロケットのように飛びたちダム底から離脱する。
思わず珠美ですら目を見張るほどの見事な跳躍だった。

だがそれでも、珠美なら全力で追えば確実に追いつける。
追いつけるが、珠美は追わずに夜に消えて行く黒衣を見送った。

このぬかるんだ足元であれだけの跳躍を見せた力は大したものだが、残った足跡を見るにあの大跳躍とは釣り合わない大きさだ。
あの跳躍は純粋な筋力によるものではなく、そういうスキルか支給品か恐らくは別の法則によるものなのだろう。

確かに追えば追いつけるが、今の珠美にとってはそれも決死の覚悟が必要となる。
逃げバッタにそこまでの価値を見いだせない。
どうせなら最期の相手は戦士がいい。

「……ここで待つか」

獲物に興味をなくした猫のように、泥に塗れる事も厭わずその場に倒れこむ。
乾いた地表が割れて、水を含んだ地面が染み出してきたのを背に感じる。
抜かるんだ冷たい感触が熱した体に心地いい。

焦ったように足をここまで進めてきたが、別に焦っていた訳ではない。
ただ生き急ぎ、死に急いでいるだけ。
成すべきことが決まっているから心持は凪のように穏やかだ。
自分の終わりは決めてある。

眠る様に眼を閉じる。
一日も終わろうと言う今になってようやくまともな休息を取れた気がする。
あっさりと放り出して逃げ出したが、ここが重要だと言うのならそのうち勝手に戻ってくるだろう。
その時に強いお仲間でも引き連れてくれればこれ以上ない。
それをのんびり待てばいい。

静かに穏やかに、眠るようにしてここで待つ。
愛おしい相手でも待つように、敵を待つ。

愉しい相手だといいのだが。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

夜空より流れ星の如く魔法少女が降り注ぐ。
ざりざりと音を立て山の斜面を滑るようにして着地すると、そのままたとたと駆ける様にして山を下っていた。

魔法『大跳躍』により難を逃れることができた。
伺うように背後を振り返るが、敵が追ってくる気配はない。
追わなかったのか、追えなかったのか定かではないが、追いつかれることはなさそうだ。

それを確認して山を下る足を徐々に緩める。
月に影を色濃く落とす半壊したダム跡を見上げた。
脱出につながる重要拠点を制圧されてしまったが、あそこを保持する事自体はそれほど重要ではない。
いずれ取り戻す必要はあるだろうが、今できる調査は終えた、あのままあそこに居たとしても得るものはないだろう。

重要なのは然るべき瞬間に然るべき使い方をすることだ。
何より、あのエレベータを使うと言うのも持ちうる手段の一つに過ぎない。
いっそ切り捨て別の方法を模索する手もある。

それよりも問題なのはボンバーガールの襲撃と言う事実。
好戦的な性格であることは把握していたが、あれはそういう次元ではなかった。
ボンバーガールはヒーローとしての光の道を外れ、外道に墜ちた。
彼女は闇に向かって突き進んでいる。

それの指し示す事実は一つ。
恐らくシルバースレイヤーは敗れたのだ。
少なくともそう考えて動いた方がいい。

これは大きな誤算だ。
その可能性も考えていなかった訳ではないが、亜理子としては山頂を制圧された事よりもシルバースレイヤーの脱落の方がよっぽど痛い。
なにせリカバリーが難しい。次候補が都合よく見つかるとは限らない。

『奴』にとってはここで見つからなくても次に賭ければいいだけの話だ。
繰り返す殺し合いの中で、自分殺しがどこかで成功すればいい。
しかし亜理子からすれば、この催しは成功させなければならない。
寿命と言う有限があるとはいえリトライ可能なヤツとの違い。
成功を願う参加者に失敗を容認する主催者。なんて矛盾だ。

いや、次どころかこれと似たような殺し合いは同時に行われている可能性すらある。
根拠のない推察だが在りえる話だ。
コピー&ペーストを繰り返せしてきた膨大なリソースが奴の強みである。
リソースが足りているのなら、むしろその方が効率的だろう。

ただですら影響力の強い連中の寄せ集めである。
それがこの規模で同時多発的に消えたとなれば巻き起こされた世界的混乱の規模はどれほどか。
混乱が強まれば強まるほど、外部からの干渉を受ける可能性は下がる。
そうなるとそれこそ悪夢だ。

この悪夢を終わらせる。
この世界を終わらせる。
このお話を終わらせる。

その為に、その為の誰かを見つけなければ。
それこそが亜理子に課された急務である。
それが人の穢れを受け入れられないどうしようもなく潔癖症な音ノ宮亜理子という人間の為すべきことである。

「問題は…………」

問題は、その為にどれほど時間が残されているのか。
音ノ宮亜理子の終わり
この殺し合いの終わり。
世界の終わり。

全てはいつか終わる泡沫の夢。
その終わりよりも早く、答えにたどり着かなくては。

これは彼と誰かの物語。
その一翼を担う悪性。
あの男は、今頃何を考えているのだろうか。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

夜の光が草木を照らし、優しく緩やかな風が草原を吹き抜ける。
ここにいるのは何者でもないただの人間と魔族である。
何者でもなく、何物にもなれる少年と女。
勇者あらざる少年が怪物あらざる女の傍らに寄り添っていた。

オデットに刻まれた聖剣による傷は深いが、勇者の力が破棄された事により再生阻害は消滅した。
微弱ながら再生は働いており、両断された胴体はギリギリのところで繋がっている。
彼女の強い生命力によるものか思った以上に状態は安定していた。
安静にしていればその内傷は癒えるだろう。

だが果たして、この混沌の世界で何事もなく安静になどしていられるのか。
少なくともこんな誰に見られているともわからない、草原で寝転がっているのはどう考えても危険だった。
勇二が運んでいければいいのだが、勇者の力を失ったただの子供でしかない勇二では大人のオデットを背負っていくことも難しい。
辛かろうが最低限動けるようになったのならばオデット自らの足で動いてもらう他ない。

「大丈夫、立てそう…………?」
「…………ええ、なんとか」

差しのべられた手を取って、オデットが立ち上がろうとした、その瞬間だった。
大きく大地が揺れた。

勇二は咄嗟にバランスを立て直し、その場に踏みとどまった。
オデットは立ち上がろうとしていた所を突かれたせいか、バランスを崩して尻餅をついた。

「ッ! 何!? 一体何が…………ッ!?」

尻餅をついたまま混乱したように空を見上げてオデットが叫ぶ。
リヴェルヴァーナでは大地の揺れは神の怒りとされている天変地異である。
神の因子を取り込んだオデットならば地を揺らすくらいは可能だが、それも局地的なものにすぎない。
このような世界全体が震撼するような規模の揺れなど、彼女にとっては世界崩壊の前兆とすら受け取れる大事態だ。
だが慌てふためくオデットの様子とは対照的に、勇二は妙にこなれた反応を示した。

「もう収まったみたいだから大丈夫だよ」
「大丈夫って……そんな! あんなに地面が揺れたのよ!?」
「いやぁ。ただの地震じゃない? そんなに大きくもなかったし大丈夫だよ」

そう言って再び倒れこんだオデットに勇二が手を差し伸べる。
余りにも落ち着き払ったその様子に、慌てている自分がオカシイのではないかと思えてしまう。

「そう、なの?」
「うん、それっと」

ポカンとしたまま手を引き上げられる。
そういう物なのだろうか?

「それよりも行こう、隠れられそうなところを探さないと」

勇二が小さな肩をオデットに貸す。
身長差がありすぎて、あまり助けになっているとは言い難いが、その気持ちに甘える。
肩に手をやり少しだけ体重を預けゆっくりと歩を進める。

「大丈夫…………?」
「…………ええ、平気よ」

歪めた表情から強がりでる事は誰にでもわかった。
やはり動くと傷に響くが、それは自らの罪科を知らせる痛みだ。
こんな事で罪の禊ができるとは思わないが、これまで犯してきた過ちに対する当然の罰として受け入れる。

自らの弱さを認めず目を逸らしそのために犯した多くの過ち。
取り返しのつく事ばかりではなく、何より死は取り返しがつかない。
失われた命を取り戻すことは、神にだってできないのだ。

取り返しがつかないからこそ、これからの事を考えなくてはならない。
何もしない訳にはいかないのだ。
足を止めることなどオデットには許されない。

「…………オデットさん」

だがオデットを先導していた勇二が張りつめた声と共に足を止めた。
自分の意識に没頭していたオデットがその原因に気付く前に、その声はあった。

「やあ」

若い男だった。
道すがら知り合いにでも出会ったような気軽な声。
夜の散歩でもしているかのように、余りにも普通にその男は現れた。

「勇者は捨ててしまったのかい?」

全身が総毛立つ。
目の前に終わりが絶望と共に立っていた。

「お前ッ、お前は…………!」

怒りに全身を震わしながら勇二が吼える。
全ての参加者の敵。
全ての人類の敵。
ワールドオーダーと呼ばれる世界全ての敵。

「勇者と言う線と天才霊能力少年という君の線、これらが交わっただけでも僥倖だと言うのに、それを自ら破棄するだなんて。
 いや、いいよ実にいい。こちらの想定を超えるくらいでないと」

猛る勇二には取り合わず、男は誰も見ていないように独り口元を吊り上げ手を叩く。
その独善的な愉悦は誰のためでもなく、あるいは本人すら何も感じていないのかもしれない。
不気味な自動人形でも見ているような不安感に襲われる。

「……捨ててなんかいないよ」

確かに聖剣は捨てた。
だが勇者を捨ててなどいない。
勇二らしい勇者で在り続ける。
カウレスから託された願いは決して手放してなどいない。

「そうかい。なら君はそれでいいさ」

嗤うような口元とは裏腹な無機質な視線。
その行く先が少年から俯きがちに視線を落としていた女へと移る。

「だがオデット

感情の見えない色のない声で名を呼ばれる。
それだけで言いようのない悪寒がオデットの背筋を撫でた。

「――――――――――君はいらない」

オデットの全てを否定するように世界を司る支配者は告げる。
それは死の予感ですらない、より深い終わりを予期させる絶望の具現。

オデットの全身が震える。
正気を取り戻した今だからこそわかる、あれは何か想像を絶する恐ろしいものだと。

オデットは一度、この男に手も足も出ず敗北を期している。
その上で見逃されたのた。殺すつもりなら、いつでも殺せた。
そんな相手に、聖剣によるダメージが残る中で立ち向かうことなど出来るはずもない。

敗北は必至。
何もできないまま無残に存在ごと消去されるだろう。

「そんなことはさせないよ」

だが、今は一人ではない。
オデットを庇うように、小さな、だがとても大きな背中が目の前に現れた。
震える足。恐怖は隠さず、なけなしの勇気を振り絞って。
その一歩の勇気をもって世界全ての悪意を詰め込んだような、この世の終わりの怪物に立ち向かう。

オデットさん。僕たちにできる事はやっぱり、一つしかないと思うんだ」

声は震えながらも固い決意が込められていた。
敵を見つめる少年の黒い瞳に強い光が帯びる。
その瞳には子どもらしい純真な輝きと、数々の困難を乗り越えてきた深い強さが湛えられていた。

「みんなをこんなひどい目に合わせたお前を倒す! それが僕の勇者としての役割だ!!」

勇者として全ての悲劇の元凶であるこの男を討つ。
それが多くの過ちを犯してきた二人に出来る最大の罪滅ぼし。
失われた全てに報いる唯一の方法である。

オデットはその勇気に導かれるように顔を上げる。
他者の勇気を導く、少年の勇者。
彼女は己の弱さで多くの罪を犯した。
だからこそ、贖罪の道は示されたのならばここで奮い立ったねばならない。

奈落のような男は、その眩いまでの勇気を常と変らぬ表情のまま見送って、何の覚悟もないようなまま迎え入れる様に両手を広げる。

「いいさ。来るがいい、どちらにせよこちらのやることは変わらない」

この局面において、このワールドオーダーの役割は一つ。
参加者の排除だ。
それは合格者も脱落者も関係ない。
等しくこの大嵐を乗り越えるしかない。
乗り越えた先に世界を終わらす大業がある。

空気が静止する。
今にも弾けそうな緊張感の中。
唐突に支配者がくるくると指を回して天を指した。

「けれど、戦うのは少し待った方がいい。君たちにとって運命を分ける事になるだろう」

そこには月が浮かぶだけの夜空があるだけだ。
だが、彼が指していたのはそれではない。

声があった。
世界全体に響き渡るのは目の前の男と同じ声だ。
そう、この地において四度目の声が。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

全てから隔絶され、全てを超越したこの世の果て。
生命の息吹を感じられない、孤独の城。
最低限の物しか置かれていない広い部屋は、開放感がある空間だというのにどこか息の詰まるような閉塞感がある。
そんな窒息しそうな息苦しい部屋の中心でソファーに浅く腰掛ける男が独り。

天上に浮かぶ照明によって、淡く照らし出された男の顔に影が落ちる。
柔らかい光を放つのは緩く回転を続ける球体だった。
釣り糸もなく宙に浮かび緩やかに自転するその様はさながら惑星のようである。

男が目を細めるでもなく、目の前に浮かぶ天球を眺める。
ミラーボールのようなこれこそが、参加者たちがいる地獄の舞台だ。
もちろんその物ではなく、情報を投影し移し出した同期転写体であるのだが。

その球体の一点を男の指がなぞる。
そこには小さなヒビが刻まれていた。

「やってくれたねぇ、剣神龍次郎

苦言を漏らす言葉とは裏腹に、その口調は愉し気である。
最強が放った最大最期の一撃は、正しく世界を砕く一撃だった。
球体に見えるヒビは小さなものだが、世界の内核にまで届いている。
いずれその亀裂は広がってゆき世界は崩壊を迎えるだろう。

この舞台となる世界は非破壊オブジェクトとして設定してある。
世界の破壊機構であるリヴェイラが世界ごと破壊しようとしたが破壊できなかったのはそのためだ。
まさかそれを何の気も衒わない力技で突破するとは、完全に想定外の事である。

つくづく参加者たちは主催者の想定を上回る。
だが、そうでなくてはとほくそ笑む。

想定を上回らなければこんな事をした意味がない。
想定を上回ることなど想定内。
むしろ順調であると言えるだろう。

だが、舞台その物が壊されるというのはよろしくない。
果たしてこの世界はどれだけ持つか。
1年か、1日か、それとも数時間も持たないのか。
こちらとしては終了まで舞台が持てばいいのだが、終了までに壊れられるのは困る。

「まあいいさ、それなら少し予定を早めるまでだ」

浅くかけた腰を上げる。
机の上で静かに回り続ける球体を見下ろす。
そこにいる全てを不幸のどん底に陥れた元凶は本当に残念そうに呟きを漏らす。

「だが不幸なことだ、僕にとっても君たちにとっても」

言って、じき始まる放送の準備を始めるため部屋を出た。
残された孤独な世界は静かに光を放ち続けている。

そして一日が終わる。
長かった一日の終わりを告げる四度目の放送が始まった。

【C-5 診療所/真夜中】
新田拳正
[状態]:ダメージ(中)、疲労(中)、右目喪失(治療済み)、額に裂傷(治療済み)、両手に銃傷(治療済み)、右足甲にヒビ(治療済み)、肩に火傷(治療済み)、右腕表面に傷
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式
[思考]
基本方針:帰る
1:帰る方法の模索

水芭ユキ
[状態]:疲労(小)、頭部にダメージ(大)、右足負傷、精神的疲労(小)
[装備]:クロウのリボン、拳正の学ラン
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム1~3(確認済み)、
    ロバート・キャンベルのデイパック、ロバート・キャンベルのノート
[思考]
基本方針:悪党を貫く
1:中央へと向かう
2:首輪の解除方法と脱出方法を探す

一二三九十九
[状態]:ダメージ(中)、左の二の腕に銃痕、鼻骨骨折(治療済み)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式×3、、ランダムアイテム1~4(確認済み)
    サバイバルナイフ、サバイバルナイフ・裂(使用回数:残り1回)、風の剣、ソーイングセット、クリスの日記
[思考]
1:帰る方法を探す

【G-5 山中/真夜中】
音ノ宮・亜理子
[状態]:左脇腹、右肩にダメージ、疲労(中)
[装備]:魔法少女変身ステッキ、オデットの杖、悪党商会メンバーバッチ(1番)、悪党商会メンバーバッチ(3番)
[道具]:基本支給品一式×2、M24SWS(3/5)、7.62x51mmNATO弾×3、アイスピック、工作道具(プロ用)
    双眼鏡、鴉の手紙、電気信号変換装置、地下通路マップ、謎の鍵、首輪探知機、首輪の中身、セスペェリアの首輪
    データチップ[01]、データチップ[02]、データチップ[05]、データチップ[07]
[思考]
基本行動方針:ワールドオーダーの計画を完膚なきまでに成功させる。
1:次の主人公候補の模索
2:データチップの中身を確認するため市街地へ
※魔力封印魔法を習得しました

【F-6 山中(ダム底中央)/真夜中】
火輪珠美
状態:左腕喪失出血多量、ダメージ(極大)全身火傷(大)能力消耗(大)マーダー病発病
装備:なし
道具:基本支給品一式、禁断の同人誌、適当な量の丸太
[思考・行動
基本方針:全て焼き尽くす
1:敵を待つ
りんご飴をヒーローに勧誘していました
※ボンバーガールの能力が強化されました

【H-6 電波塔近く/真夜中】
田外勇二
[状態]:人間、消耗・大
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式
[思考]
基本方針:自分らしい勇者として行動する
1:ワールドオーダーを倒す
[備考]
※勇者ではなくなりました

オデット
状態:再生中。首骨折。右腕骨折。神格化。疲労(大)、ダメージ(極大)、首輪解除、マーダー病感染
装備:なし
道具:リヴェイラの首輪、携帯電話
[思考・状況]
基本思考:-
1:ワールドオーダーを倒す
ヴァイザーの名前を知りません。
ヴァイザー、詩仁恵莉、茜ヶ久保一スケアクロウ、尾関夏実、リヴェイラを捕食しました。
※現出している人格は最初からオデットでした

主催者ワールドオーダー)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、携帯電話、ランダムアイテム0~1(確認済み)
[思考・行動]
基本方針:参加者の脅威となる
1:参加者の殲滅
※『登場人物A』としての『認識』が残っています。人格や自我ではありません。


153.HERO 投下順で読む 155.第四放送 -いつか革命されるこの世界にて-
時系列順で読む
悪党を継ぐ者 新田拳正 THE END -Relation Hope-
水芭ユキ
一二三九十九
HERO 音ノ宮・亜理子
火輪珠美
勇者 田外勇二
オデット
人でなしの唄 主催者

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最終更新:2018年11月12日 13:26