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よくわかる 地方自治のしくみ

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唐突だが読者諸氏は、ヤミ専従なる問題をご存知であろうか?
ウィキペディアより引いて曰く―――

  ―――ヤミ専従(やみせんじゅう)とは労働組合の役員が、
  ―――勤務時間中に正規の手続きをとらずに、
  ―――職場で勤務しているように装いながら給与を受給しつつ、
  ―――実際は職場を離れて組合に専従している状態のこと。

又、ヤミ専従の定義の拡大の項も参照されたい。

  ―――今では、通常業務の片手間に組合用務を行うこと全般が
  ―――ヤミ専従とみなされる傾向がある。

なぜ、冒頭においてこのような社会問題が語られたのか?
それはこの問題が、これより語る戦いの発端となっているからである。


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セーラー服の少女が、長いスカートを風に遊ばせていた。
キューティクルを輝かせる長い黒髪からは植物性のシャンプーの香りを漂わせ、
なよやかな四肢は可憐に細々しく、ボディラインもどこか慎ましいものがある。
強い光を放つ大きな瞳に、知性を感じさせる締まった顎のライン。
清楚で清潔。
どこかノスタルジーを感じさせる、古風な美少女であった。

島の中央南部。
波涛逆巻く入江の断崖のことである。

しかし少女は、少女ではない。
少女のガワを備えた、中年男性なのである。
仁木美春、三十五歳。
人口二万八千人の町の首長を勤める俊英である。

(この世界の本当の観測者だと……?
 最も優れた創造者の選出だと……?
 馬鹿げたことだな………………)

仁木町長は、このゲームの趣向が書かれた手紙の内容を反芻していた。
世界の維持の為に最も優秀な創造者を選び出す。
その為に用意された孤島で繰り広げられる、命を懸けた生き残りゲーム。

(だが…… だからこそ、私は信じよう!)

そう。非常に残念なことであるが。
二万八千町民の首長たる仁木美春は、この遊戯に乗ってしまったのである。
世界を決定付ける者―――
その存在を、信じるが故に。
自分がその存在であると、実感しているが故に。
優勝して、彼の思う「正しい世界」を創造する気なのである。

(私の存在こそが、物理法則を越えた「創造」を証している)

仁木が少女の姿を得たのは、選挙戦の最中であった。
支持率が伸び悩み、状況をひっくり返すインパクトが欲しいと思った翌朝。
仁木は、突如として少女の姿を得たのである。
娘・美香の性的な捻れについても同様であった。
町長に当選した折、彼はふと思ったのである。
娘が息子であったなら、跡を継がせることもできるのに、と。
やはり翌朝、美香の性別は混沌と化していた。
この、自分の想いに反応したかの如き二つの有り得ぬ事例が、
ゲームに乗るに至ったバックボーンとなっていたのである。

(だが…… この武器ではあまりにも心許ない。
 一人で戦うのも、消耗を早めるだけだ)

配布武器・アイスピックをポケットの中で弄びながら、
仁木は自らの行動方針を組み立ててゆく。
このゲームは勝ち抜き戦ではなく、生き残り戦である。
沢山殺す必要は無く、最後の一人を殺せば事足りる。
であれば、序盤は消耗を極力避けることが肝要であり―――

(逃亡潜伏に徹するか、徒党を組むか……)

その二択まで、思考が進んだ時であった。
にこやかな笑顔で慇懃に頭を下げる、背広姿の中年男性が現れたのは。

「ご無沙汰しております、仁木町長」

男に正対した仁木の顔が不快げに歪んだ。
臭うのである。
この男から、得も言われぬ不潔の臭いが漂ってくるのである。

「やはり臭いますか? 申し訳ございません。
 なにしろ事情がございまして、この一週間ほど入浴もできない状態でして……」

申し訳なさげに頭をぽりぽりと掻く男は、小太りであった。
にも関わらず、やつれている印象を与える男でもあった。
よく見れば、カッターシャツの襟首には黒ずんだ垢がこびり付いている。
糸目の下には濃い隈が発生しており、短く切り揃えた髪にも脂が浮いている。
無精髭は青々と伸び放題に伸び、背広のアイロン線は全て潰れていた。

「失礼だが、君は……?」
「山本と申します。地方税課収納係の、山本貫でございます」
「失礼、私も全ての職員の顔を覚えているわけではないのでね」

無礼な態度に見えるが、仕方なくもある。
仁木が町長に就任してから半年程度しか経っておらぬし、
役場に勤める職員の数は300を下らない。
いちいち名前と顔を覚えては居られないのである。

「ああ、そうですね。お忙しい町長のことです。
 私のようなうだつの上がらぬ平職員、ご存知なくて当然ですよね」

そんな状況を山本の方も把握しているのであろう。
特にがっかりとした様子も見せず、却って申し訳なさげに頭を下げる始末である。
その卑屈な態度を見て、仁木は心中でにやりとほくそ笑む。

(この山本という男…… 利用できそうだな)

逃亡に徹するか、徒党を組むか。
仁木町長は、相手からの接触によって、その二択に回答を得たのである。
「ところで町長。
 名簿に載っている仁木美香というのは、ご親族の方なのでしょうか?」
「ん、ああ、娘だよ」

この愛娘にどう処するか―――
それはゲーム開始直後に、仁木が最も苦悩した問題であった。
そして既に、答えを出している問題でもあった。
『痛みを伴わぬ改革など無い』
彼の尊敬するいつかの内閣総理大臣の言葉が、その答えであった。
鬼である。
仁木美春とは、人の道を捨て肉親の情を捨て、
政治の冥府魔道に堕ちた、一匹の修羅である。

「そうですか…… お嬢さんでしたか。実は私にも一人娘がおりましてね。
 親バカで恐縮なんですが、目に入れても痛くない程の愛らしさでして……」
「うんうん、そうだろうね」
「そんな娘が仮にこんな狂った殺人島に放り込まれたなら、
 私などはもう半狂乱で娘を探し回るでしょうね。
 その点、流石は町長だ。こんな時でも沈着冷静でいらっしゃる」

仁木はこれらの会話に、深い意味を見出していなかった。
前半は単なる世間話であり、後半は単なるヨイショであると思っていた。
故に、続く山本の言葉に、凍りついた。

「それとも、娘さんも切り捨てられるおつもりなのですか?
 ―――私と、同じように」

山本は、先刻の名乗りの通り、ヒラの町役場職員である。
だが、その安定した立場を、明日には失う男でもあった。

自主退職ではない。
依願退職でもない。
懲戒解雇であった。

その懲戒事由とは……

「ああ、ああ! ヤミ専従の!」

……勤務時間中に組合活動をしていたことであった。

「思い出して頂けたようで光栄です。
 貴方の『痛みを伴う改革』の犠牲者。
 山本貫でございます」

言葉は慇懃に。物腰も柔らかく。笑顔を保ったままで。
山本は手にした棒から、保護ケースを引き抜いた。
ぎらり、と。
棒状のものが、光る。

「な……」

それは、分類上は、武器ではなかった。
それは、分類上は、包丁であった。
匕首にも脇差にも優る、刃渡り120cm。
ファインセラミックスとダマスカス鋼の混合物からなる刀身は、
通常の刀剣に比して、より軽く、より斬れる。

―――マグロ包丁。

武道心得も運動能力も無い素人が振り回すことを前提にすれば、
その軽さの分、刀剣類より有効な殺傷能力を示す得物といえよう。

「ま、まあ待て、山本君。まずは話し合おうじゃないか」
「あなたがそれをおっしゃいますか、仁木町長。
 私の処分は事前通告もなく、一方的に決められたと記憶しておりますが?」


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山本貫は、模範的な公務員であった。
二流地方大学、経済学部卒。
役場への志望動機は、公務員ならではの安定感。
熱意無くソツ無く、与えられた職務を淡々とこなす日々。
仕事よりも家族を優先させる。
良き夫であり、良きパパであった。

そんな山本が、なぜ、組合活動に手を出したのか?
のみならず、なぜ、勤務時間に活動などしたのか?
答えはこの町の地域性にある。
日本全国には労組の強い地域というものが点在している。
彼らの自治体もまた、そうした風潮の地区であった。

山本は就職と同時に、組織員として登録された。
自動的に。当たり前に。
山本のみではない。
役職のない職員の全てが労組の組員でもあった。
役職を得た者のみが、規定により労組を抜けていた。
それは慣例であり、しきたりであった。

組織の下部役員もまた、持ち回りで担当することになっていた。
今年は、山本が担う順番であった。
面倒を避け安定を望む性質の山本は、その持ち回りに
なんら疑問を持つことなく、盲目的に慣例に従った。

そんな澱んだ役場に激震が走る。
新町長の誕生である。

見た目は女子高生というセンセーショナルな外見で電波を賑わせた、
新進気鋭の候補者・仁木美春。
バックボーンとなる有力組織を持たぬ立場ながら、浮動票と耳目を隈なく集め、
四選を狙う前町長を大差で下し、新町長に就任したのである。

『財政を黒字転換する』
『組織腐敗の膿みを搾り出す』

就任演説にて、この二点を力強く語った仁木新町長は、
可愛らしい外見に反して、全く暴君であった。
改革の大鉈を全包囲に向け、躊躇無く振りかざした。

   ―――普通地方公共団体の議会の権限に属する軽易な事項で、
   ―――その議決により特に指定したものは、
   ―――普通地方公共団体の長において、
   ―――これを専決処分にすることができる。

地方自治法180条規定。
仁木新町長は、議会の腰が重い、或いは却下されそうな事案に関しては
これの規定を拡大解釈した上で積極的に首長権限を行使した。
いわゆる専決処分である。

彼が最初に専決したのは職員の賃金カットであった。
仁木はこの件について、下記の如く発言している。

『自治体を民間企業と捉えるならば。
 赤字経営の只中に、財政の再建を買われて専任された雇われ社長としては、
 無理の無い水準まで人件費の軽減を計るのが企業努力というものである』

これには当然、職員の大部分が反対した。
労組を通して団体交渉権を発動させ、徹底抗戦の構えを見せた。
当然、持ち回りの役員である山本もその渦中にあった。
本職の団体職員の指示の下、同僚たちから署名やアンケートを集める
下働きを与えられ、それを唯々諾々とこなしていった。
山本に不安は無かった。
職員の九割超が賃金カットに反対する以上、保守本流は労組側にある。
その中心に位置する自分の立場に、安心感すら覚えていた。

だが、仁木とは不利な状況を指を咥えて眺めるような消極的な男ではない。
反動機運が最高潮に達した折を狙って、更なる手を打ったのである。
数的優位に思い上がった職員を震え上がらせ、労組の力を削ぐ、悪魔の一手を。

『ヤミ専職員へ懲戒を下す』

処罰の対象は十四人。
うち、幹部五人。
活動に熱心な団塊世代の組合員、七人。
不幸にも持ち回りで役を担っていた者、ニ人。

ここまでは、理の有る対応であった。
しかし懲戒内容が常軌を逸していた。

『以上十四名を解雇処分とする』

通常の処分ならば、まず訓告、戒告。
重い処分でも、減給一ヶ月1/16程度に止まる程度。
それが、段階を経ることなく、解雇である。
前例を鑑みれば、横暴に過ぎる一手である。

しかし、世論は仁木に味方した。
不景気の中高まりを見せる反公務員のムードが後押しした。
仁木の世論誘導もまた見事であった。
ブログに、週刊誌に、ツイッターに、TVに。
ありとあらゆるメディアに露出し、公務員と労組の癒着構造の害悪を訴え続けた。

何時の間にやら、町民たちには。
仁木=英雄
労組=害悪
の構図が刻み付けられて。

こうして、町役場の労組は壊滅的なダメージを受け。
職員の賃金カットへの抵抗運動は急速に下火となり。

流れに掉ささず生きてきた平凡な事なかれ公務員・山本貫は、
『就業時間内に署名を集めていた』ことを理由に、
抵抗する間もなく不名誉な解雇へと追い込まれたのであった―――


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距離は二m弱。一投足の間合いと言えた。

「いや、本当に思い出していただけて嬉しく思います。
 お忘れでしたら、復讐する意味合いが薄れてしまいますからね」

その言葉の寒々しさに、その刃の禍々しさに。
仁木は震えながら後ずさる。
表情はにこやかに、呪詛の言葉すら穏やかに。
山本はすり足でにじり寄る。

故に距離は常に二m弱。間合いも変わらず一投足。

(確か背後は断崖だった筈だ……
 このままじりじりと後退していては、いずれ追い詰められてしまう。
 かといって山本の脇をすり抜けるのも、分の悪すぎる賭けだ)

仁木は、初動に遅れを取ってしまった己を恥じた。
山本の柔らかな物腰と慇懃な態度に警戒を緩めてしまったことを後悔した。
山本が鞘を払ったその瞬間に、アイスピックを突き立てるべきであった。
しかし、それも、もう遅い。
趨勢は明らかに決してしまっていた。

山本が一歩進み、仁木が一歩下がる。
その仁木の足が空に泳いだ。
断崖の極みまで到達したのである。

「っあっ!!?」

仁木は後方へ向かう運動エネルギーと下方に向かう重力とに逆らうべく、
手足をバタつかせて、前のめりに倒れ伏す。
その鼻先に、マグロ包丁のセラミックの刃紋が、煌いた。

「おっと、ここで終業時間のようですね」

詰み手の宣言と共に、山本はマグロ包丁を下段に構える。
構えたかと思うと、それをゆるゆると後方へと運ぶ。
刃はやがて腰の高さまで辿り付く。
つられた上半身に捩れが生じてもなお、刃を後方に振り上げる。

構えはそうして完成した。

肘は締まり、柄を握る両手は顔の上まで持ち上げられている。
足は側面に向けて肩幅より広く取られ、尻を仁木へと向けている。
刀身は肩に担ぐが如くほぼ水平に寝かされている。
それは古今東西、あらゆる武道の術理に無い、奇怪な構えであった。

だが、我々は知っている。
この構えを見慣れている。

例えばそれは日曜の昼下がり。
ポチポチとチャンネルを回していけば、どこかの局で流しているはずである。
広大な緑の試合場で18番を戦う戦士たちの雄姿を。
そう、この構えとは。
ドライバースイングのテイクバックなのである。
運動能力の低さを自覚する山本の、数少ない運動経験、ゴルフ。
山本は、程よい長さのマグロ包丁を使い慣れたドライバーに見立て、
慣れぬ斬撃を制御しようと考えたのである。
憎き仁木町長に、一撃必殺を与えようと考えたのである。

「これが私の専決です!」

言葉と共に、山本の両肩に緊張が走る。
ビキビキと、上腕二等筋が収縮し。
あと一呼吸で刃がスイングされる、その間際。

「ガール! ジャンプ! ダイブ!」

崖の下からネイティブな英単語の三つが、響き渡った。


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―――時を少しだけ遡り、視点を移す。


冷静な人間ばかりではなく殺し合いとなる。
それは、彼も予測していた。
自分は人間性を最も重視する。決して人は殺さない。
それは、彼も覚悟していた。

「ま、まあ待て、山本君。まずは話し合おうじゃないか」

しかし。
目線の向こうで関係の無い人間が、関係の無い人間に殺されようとしている場合。
それを彼、セシル・バイヤールは予測していなかった。
どう動くかの覚悟も持っていなかった。

「あなたがそれをおっしゃいますか、仁木町長。
 私の処分は事前通告もなく、一方的に決められたと記憶しておりますが?」

セシルが心を決める間もなく、目の前の事態は進展してゆく。


   セシル・バイヤール―――


   世界的に有名な、動物学者である。
   彼は、天然記念物・オオワシの生態研究の為に来日したところを、
   この理不尽な戦いに巻き込まれていた。

   彼は、興味のあることにひたすら邁進する性質の持ち主である。
   故に、動物学者として名を上げることができていた。
   逆に、興味の無いことに関しては非人間的な程までに無頓着である。
   故に、彼の周りに人は集まらぬ。

   だが、道徳心に欠けるのかというと、そうではない。
   彼は、自分が人間という特別な動物なのであると、誇りを感じている。
   どう特別なのか。
   それは、人間のみが理性によって本能を制御できる故にである。
   法や宗教や道徳などのツールを発明して動機付けし、
   個々の欲望を抑えることで超巨大な集団生活を成功させた。
   その歴史が、人類の歩みが、特別を証しているのだと、彼は考えている。

   自制心イコール人間性。

   その考えが、セシルの胸の奥に根ざしている。
   故に彼は、この緊張状態に飲まれて人間性を失うことを懸念していた。
   死を恐れる本能の陥穽に嵌ることなく、自制心を保ち続けたいと考えた。
   つまりは。
   ベクトルは定まらねど。
   ゲームに乗って人を殺すことだけはしないと、誓ったのである。

   時は二時間ほど前、セシルの出発点。
   孤島の南東部の小島でのことである。

   右手を喪失している故に水泳を不得意とするセシルにとって、
   この出発地点はある意味、詰まされているに等しかったが、
   彼の配布物が、逃れの盤面を作った。
   動力付きのゴムボートである。

   初手において、セシルはこのゴムボートでの領域脱出を検討した。
   しかし南にボートを走らせてすぐに、そのプランは棚上げされた。
   ブイが、等間隔に浮かんでいたのである。
   それは明らかに境界線であった。
   あちらとこちらを隔てる不吉のラインであった。
   セシルは首輪に手をやり、手を離しを三度繰り返し。
   唾を何度も嚥下して。
   ボートを反転、本島の海岸線を目指したのである。

   自らの命を賭けてまで脱出を試す程の度胸を、或いは無謀さを、
   この思慮深い動物学者は持ち合わせていなかった故に。



崖の上では、遂に少女が男に追い詰められていた。
力なくしゃがみ込む少女に向けて、男が刃を振りかぶっていた。

「おっと、ここで終業時間のようですね」

セシルは悟った。
自分がアクションを起こすのならば、これが最後の機会であるのだと。

(ガールを助けることは、私の理から外れるが……)

自制心こそ人間性。
不殺の誓い。
それは自分の意思のみで完結できる、孤高の選択である。
今までのセシルは、そこで留まっていた。
人間性の、その先――― 社会性。
今までのセシルは、そこに目を向けなかった。

「これが私の専決です!」

他者の動向などお構いなしであったはずのセシルの胸中で、
何かがむくり、と鎌首をもたげ、目を覚ました。
人を助けるということは。
他者の人生に踏み込むということで。
セシルにとって未知の領域で。
そこに怯えと戸惑いを覚えるのだが……

「ガール! ジャンプ! ダイブ!」

セシルは己のもう一つの配布アイテム・拡声器を強く握り締めると、
声を目一杯に張り上げた。
斜に構えたり孤高を気取ったりもしていたけれど。
結局、人の命の危機を見過ごすことは、出来なかったのである。

セシル・バイヤールはこうして。
個の人間性を超越した、集団の社会性の一歩を、踏み出した。


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崖下から聞こえた声は、二つのことを仁木に教えてくれた。
一つは、声の主は自分を救おうとしてくれていること。
二つは、飛び込んでも無事な高さと水深であるということ。
であれば。
即断即決を旨とする仁木に、迷いは無かった。

打ちっ放しで250ヤードを飛ばす山本の一打が
斬撃と化して襲いかかってきた刹那、
仁木は、己のデイパックを前方に投げ出した。
と同時に、自らは後方へと跳躍する。

マグロ包丁は確かに切り裂いた。
投げ出されたデイパックを。
マグロ包丁は僅かに斬り損ねた。
断崖から飛び降りた仁木の体を。

「町長ッ!!」

山本の無念の声を頭上に聞きながら、仁木は無事に着水する。
その衝撃で一瞬息が詰まったものの、打撲骨折等には至らずに済んだ。

「ヘイ、ガール、ヒア!」

波を切り裂いたゴムボートが仁木の傍で停船し、
そこに乗る逞しい白人男性が、左手を仁木に伸ばしてきた。
仁木はようやくピンチを脱したのだと、胸を撫で下ろす。
それは、油断であった。
山本の復讐の念を、軽く見積もっていた。

「Oh……」

白人男性が、突如、嘆息した。
彼の目線が自分の後方に向いていることに気付いた仁木は、
その目線を追って、振り返る。
そこには、水柱が立っていた。
何か重いものが海に投げ込まれた証であった。

「まさか……」

水柱の意味を理解した仁木が、ゴムボートへと向き直る。
セシルの伸ばした手に向かって泳ぎだす。
その背後の海面に、ぬめりと、海坊主の如き存在が浮かび上がる。
それはにこやかな笑顔で、優しげな声色で。
顔色を無くす仁木へと語りかけた。

「即断即決。実は町長のその姿勢、尊敬もしておりましてね……」

山本であった。
あくまでも仁木を屠るべく、この機を逃さぬ為に、
彼もまた、断崖から海へとダイブしたのである。

仁木はセシルの腕を引っつかみ攀じ登り、どうにかゴムボートへと乗り移る。
山本は立ち泳ぎの姿勢からマグロ包丁を片手で持って、船上の仁木へと切りつける。
セシルは咄嗟に拡声器を握ると、包丁から仁木をガードした。
足場無く、波に揺れ、片手で突き出されたのみのマグロ包丁は、
その拡声器すら両断できず、弾かれ、軌道を逸らされる。

「早く出せ! ゴムを切られたら終わりだぞ!」

仁木がセシルに出した指示は流暢な英語であった。
セシルはすぐさま理解し、ボートの動力スイッチをON。
全速で旋回し、沖合いへと走らせる。
山本はボート旋回時に発生した強い波に翻弄された。
溺れぬ様に体勢を維持するだけで、精一杯であった。

ボートは走り去る。
水面に漂う、孤独の復讐者を残して。


「仁木町長!
 私は必ずあなたをこの世からリコールして差し上げます!
 どうぞ震えてお待ちくださいませ!」



【一日目・深夜/D-5 海上 → ?】

仁木 美春
【状態】健康
【装備】アイスピック
【所持品】なし
【思考】
1.優勝狙いのステルスマーダー。序盤は動かない。
2.しばらくはセシルを頼る
3.山本が生きていれば、早いうちに始末しておきたい。秘密裏に

※手紙の内容を信じています
※マグロ包丁に切られたデイパックは、同地点の断崖の上に散らばっています
※中身の何が無事で何が切り裂かれたのかは、現時点では不明です

【セシル・バイヤール】
【状態】健康
【装備】なし
【所持品】基本支給品、動力付きゴムボート、拡声器
【思考】
1.仁木をこのまま保護するのか、思案中
2.自制心を無くさない。不殺

【エンジン付きゴムボート】
  二馬力四スト船外機付きのゴムボート。
  基本は一人乗りで過重130㎏の時速14㎞。
  燃料はガソリンでタンク容量は1.2kl。約三時間分。
  ちなみに、二馬力以下なので船舶免許は要らない。


   =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-= ・ =-=-=-=-=   


脱力しているのはリベンジャーも同様であった。
憎き仇の喉首に二度もこの手が掛かったにも関わらず、結局仕損じた。
既にボートは黒い点としか見えず、どう足掻いても追いつけぬ。
その、無念故の脱力である。

ゆらゆら、波間に漂いながら。山本は思い出す。
愛する妻と、愛する娘。
その二人から聞いた最後の言葉を。


   『あなたが悪いんじゃないのはわかってるけど……』
   『パパはわるものなの? だからわたしが苛められるの?』

   妻は溜息をつき、彼と目を合わさぬように呟いた。
   愛娘はつぶらな瞳で彼を真っ直ぐ見つめて大泣きした。
   翌朝。
   山本が目覚めると、そこには誰も居なかった。
   妻子は、実家へと帰っていったのである。
   後は山本の判さえ押せば成立する離婚届を、無言で残して。


悪人認定された労組。最悪認定された懲戒免職者。
それは村八分の対象になるを意味したのである。
その仕打ちに妻と子は、逃げるより他無かったのである。

人生のどん底にて舐めた、人生の最悪の記憶。
それが苦しく切なく胸を締め付けるのと同時に。
脱力していた山本の四肢に、再び熱が戻った。
放心していた山本の心に、再び炎が宿った。


「仁木町長!
 私は必ずあなたをこの世からリコールして差し上げます!
 どうぞ震えてお待ちくださいませ!」



【一日目・深夜/D-6 海上 → ?】

山本 貫
【状態】健康
【装備】マグロ包丁
【所持品】基本支給品、?:支給品
【思考】
1.仁木美春を殺害する、自分ひとりの手で始末をつける
2.無用の殺生はしない

※仁木がゲームに乗っていることを見抜いています

【マグロ包丁】
  刀身にファインセラミックスを用いている為に錆びにくく、劣化しにくい。
  長さ120㎝に比しての抜群の軽さが特徴。
  細身の刀身であり、折れやすく曲がりやすいが切れ味も抜群。
  実は斬撃よりも刺突に効果を発揮する。
  工場生産品故に銘は無い。



13:スリル 時系列順 15:二人の天才
13:スリル 投下順 15:二人の天才
セシル・バイヤール :[[]]
仁木 美春 :[[]]
山本 貫 :[[]]


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