世界が淀み、歪み、濁りゆく。
全てが牙を剥いたあの日から、灰色の景色は続いていた。
己に降り注がれていた光は既に奪われ、彷徨い歩く。
魂の奥底に沈めた思いは浮上する兆しは未だ見えず、此度も混沌の中を藻掻き続ける――そう思っていた。
■
仄暗い月明かりが炙り出すのは、廃墟群と一人の東洋人。
平々凡々たる顔立ちに、囚人服に覆われた巌のような肉体に、隙間から除く手術痕。
そして、汚泥を彷彿させるほど穢れ、濁り切った双眸。
彼の名は只野仁成。刑務作業と名のつく殺戮遊戯に飲み込まれた囚人の一人である。
すぅと薄い息を吐き、辺りを見渡す。
仁成の視界に映るのは彼の心を表したかのような文明の名残り。そこに人の気配は感じない。
その事実だけを確認すると、仁成は警戒を緩めることなく歩み始める。
結局のところ、この刑務作業は己の過去の焼き回し。
そこに自分以外の有象無象の死と牢獄からの解放というエッセンスを加えただけ。
逃亡生活を続けていた頃へと心を巻き戻し、意識を滾らせ、襲撃に備える。
その折だった。
ーーーくすくすくすくす。
「ーーーー!?」
突如として起こる、老若男女の声が入り混じった冒涜的な嗤い。
複数人による襲撃か、超力による幻惑か、そのどちらもか。
仁成の精神は張り詰めた弓の如く一気に引き絞られ、戦闘態勢へとシフトする。
ーーーくすくすくすくすくす。
ーーーくすくすくすくすくすくすくすくす。
ひたり、ひたりと声が近づいてくる。
迎撃すべく拳を構え、襲撃者を待ち、そして。
ーーーくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす。
混沌が顕現した。
黒炎でも冷気でも、ましてや毒の塊ですらない、もっと別の悍ましいナニカ。
あれに触れてはならない。あれは超力どころかヒトの魂をも喰らい、穢し尽くすものだ。
仁成の本能と経験が全力で警報を鳴らし続ける。
夜風に吹かれ、ゆらゆら揺らめきながら闇より深い黒が接近する。
仁成は待ち構え、暗黒の頂点――人間でいう脳の部分に狙いを定める。
接近、攻撃が放たれた瞬間にカウンターで脳天を打ち砕く。振り抜いた拳は腐り落ちるが己の命には変えられない。
くすくす笑いを引き連れて、闇が拳のリーチまで接近し、そしてーーー。
「まあ、自棄にならないだけ及第点か。ありがとう、戻っていいよ」
漆黒の中、聞こえてくるのは慈しみと冷徹さを感じさせる子供の声。
それと同時に嘲りが途絶え、夜闇に溶け込むように胡散していく。
そして禍々しい汚泥の中から顕れたのはこの世のものとは思えぬほど美しい”白”。
「…………っ」
思わず息を呑む。
仁成とて一人の男。アビスに収監される前ーー否、世界中が敵に回る前までは見麗しい女性には興味があり、学生時代は同年代の少女や芸能人、グラビアアイドルに惹かれることもあった。
しかし、目の前の少女はそれらを過去のものにするほど美しい。
拳を構えたまま固まる仁成に対し、少女は月のような純白の髪を靡かせて、口を開く。
「それじゃあ、早速だけど情報交換も兼ねて自己紹介といこうか。
わたしはヤマオリ・カルトの元傀儡巫女、エンダ・Y・カクレヤマ。あなたことを教えてもらえる?」
■
エンダ・Y・カクレヤマ。それが人ならざる美貌の持ち主の名。
曰く、彼女には「ある目的」のために、所属していた「ヤマオリ・カルト」の飾り神輿として甘んじていたらしい。
しかし、組織を乗っ取る寸前のところでGPAのエージェント達の襲撃を受け、計画が頓挫。
信者は瞬く間にエンダ一人を残して全滅。エージェント側は超力と銃火器でエンダを抹殺せんとしたものの、彼女の超力と立ち回りの前に壊滅寸前にまで追い込まれた
この争いに終止符を打ったのは一人のエージェント。
超力を喪失(うしな)い、重傷を負いながらもエンダを捕縛した。なぜ殺害ではなく生け捕りを選んだのか、エンダは語らない。
「ーーーとまあ、こんな感じかな。あとは裁判で無期懲役を言い渡されて、アビス送りになったって訳だよ。
此方の事情は伝えたんだ。次はあなたの事情を教えて、仁成」
廃墟の中、ベンチに見立てた瓦礫に隣り合うように腰かける仁成とエンダ。
ひとしきり語り終えると、少女は隣に座る東洋人に言葉を促す。
「……僕はーー」
言い淀む。目の前の少女を未だ信用しきれていないこともそうだが、彼にも易々と己の事情を話せない理由がある。
生き別れになった家族の捜索。それが政府機関と仁成の間に交わされた契約。
父、母、妹。突如として日常から弾き出された彼の唯一の心残り。
つい先ほど敵意を向け、己を害なそうとしてきた存在になど話せるはずもない。
故に偽りを口にする。
「ーージャンヌ・ストラスブールの名のもとに、フランスでテロを企てたから収監された」
「……ふーん、下らない理由だね」
「……ああ、本当に下らない」
沈黙。少女と男。互いに顔を突き合わせることもなく、ただただ時間が過ぎていく。
少女への不信感からか、仁成は口を開こうともせず、少女もまた言葉を発さない。
もうこの娘がどうなろうと知った事ではない。
その考えに至り、重い腰を上げようとしたその時。
「ーー収監された理由、嘘でしょう」
諭すような穏やかな声がかけられる。ぎょっとしてエンダの方へと顔を向ける。
金色に輝く瞳は仁成の全てを見透かしたかのような気がして。
「……君には関係ないだろう」
「あるよ。ジャンヌ・ストラスブールは一度言葉を交わした仲だ。
狂人なのは確かだけれど、今のところはメディアが騒ぎ立てるような外道なんかじゃない。
それに、陰謀に翻弄された人間を見捨てるのは寝覚めが悪い」
そう言うと、エンダは長い白髪をたくし上げ、仁成にうなじを見せつける。
「ーーーッ!それは……!?」
「……わたしもあなたと同じ、人間の都合で滅茶苦茶にされた存在ってこと」
少女の柔肌に痛々しく刻まれたバーコードのような焼き印。
仁成の右肩に刻まれた痕跡と同じもの。
当時生き別れになった妹と同年代の少女の独白に言葉を失う。
眼を見開いて硬直する男に少女は言葉をかける。
「ーーだから、爪弾き者同士協力し合おう。
あなたの事情は聞くつもりはないし、わたしも深い事情は話すつもりはない」
■
屈強な男と華奢な少女。今度こそ対等な立場で言葉を交わし合う。
少女は語る。自分の所属していたカルト集団に仁成の家族はいなかったことを。
男は語る。己を狙っていた犯罪組織の中には『ヤマオリ』も含まれていたことを。
「……で、立ち回りはどうする?エンダ……ちゃん」
「エンダでいいよ。ちゃんづけされるのは気持ち悪い。
方針としては、生き残って脱出することかな。
政府もアビス側も全く信用ならないし、他の囚人共なんてもってのほかだ。
勝手に潰し合っていればいい」
吐き捨てると、エンダはデジタルウォッチを操作し、隣に座る仁成に名簿を見せる。
ずらりと並ぶ囚人達の名。その中からルーサー・キング、ギャル・ギュネス・ギョローレン、並木旅人を指差す。
「そいつらは?」
「囚人の中でも指折りの危険人物。ルーサー・キングは魂の奥底まで暗黒に染まった外道そのもの。
ギャル・ギュネス・ギョローレンは破滅をばら撒き続ける殺戮のカリスマ。
並木旅人は……あれは人間にカウントしてはいけないナニカだ」
最後の方だけ、エンダは鉄面皮を歪め、言葉を紡ぐ。
忌々しげに美貌を歪めるエンダを不思議に思いつつ、仁成は指し示した囚人の名を脳に刻む。
「それで、脱出する際の当てはあるのか?
首輪だけじゃなくて、この島に送り込んできたケンザキ係官とやらをどうにかしないといけない。
それに……僕の家族の安否も気になる……」
仁成の脳裏に過ぎる在りし日の思い出。
全てが終わったあの日から一度も忘れたことのない、暖かな記憶。
政府機関やアビスに対する信頼など塵ほどもない。
奴らを頼るくらいならば、自分と同じように人の業に翻弄された隣の少女と協力する方が幾分かマシだ。
「そうだね。今のところ問題は山積みだ。
でも、解決の糸口がないというわけじゃない。
もちろん、あなたの家族の事も含めてね」
「それは一体ーー」
「ヴァイスマンの眼(ネオス)がある以上、今はまだ詳しくは話せない。
けれど、わたし達の目的を果たす鬼札(ジョーカー)になるのは保証するよ」
「そう、か」
言葉を終えるとエンダはすっと立ち上がり、視線で仁成にも行動を促す。
互いの目的を果たすためにはまずは行動。それがエンダと仁成の共通認識。
少女は男の淀んだ瞳を見上げ、男は少女の黄金の瞳を見下ろす。
「改めて自己紹介。
わたしは囚人エンダ・Y・カクレヤマ。
今後ともよろしく」
【C-7/廃墟/1日目・深夜】
【只野 仁成】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、刑務服
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、刑務服
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『目的』を果たす。
1.首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.仁成の面倒を見てやる。
3.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
4.ルーサー・キング、ギャル・ギュネス・ギョローレン、並木旅人には警戒する。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※仁成が自分と似た境遇にいることを知りました。
※自身の焼き印の存在に気づいています。
最終更新:2025年02月28日 21:00