────なぁ、おい。一つ訊きたい事がある。

 ────何でしょうか?看守さん。

 ────此処に戦犯が収監されている。敵国の人達を豚と呼んで殺しまくった女だ。

 ────それが、何か?

 ────父親に此処に送られたお前は、何考えて殺していた?人じゃ無くて玩具か何かだと思っていたのか?

 ────豚を殺したいのならば屠殺場に行けば宜しいのでは?

 ────……………。

 ────私が殺したのは全て『人間』ですよ。動物を殺した事は有りません。

 ────………………。

 ────人を人として認識した上で、傷つけ、辱め、苛み、苦しめ抜いて、嬲り抜いて、嬲り殺す。

 ────だからこそ愉しいのですよ。豚として扱ったりしては、わざわざ人を殺す意味が有りません。

 ────それこそ屠殺場に行くべきです。

 ────………………………。

 ────……私の想像ですが…その方達は、欲しかったんでしょうね。

 ────何を……だ。

 ────自分達は咎人では無いという保証が、殺人許可証が。

 ────或いは自分達はまともだという保証が、免罪符が。

 ────面白いですね。そんなものを必要とするのに、人を殺すなんて。

 ────私ですか?そんなモノ、人を嬲り殺すのに必要なモノでしょうか?

 ────私は私の行いを、正しいとは言いませんし、私はまともだとも言いませんよ。

 ────自己の行為を、後から正当化に励む様なら、最初からしなければ良いのです。

 ────ところで、一体どうして、そんな事をわざわざ訊ねられたのですか?



 ルクレツィア・ファルネーゼは後になって思い起こす。
 あの看守が求めていたものは、『安心』というものだったのだと。
 人が人に対してこの様な悪虐を為せる訳が無い。やったモノは、人と異なるバケモノだと。
 “アビス”に収監されている囚人達が、皆悉く、人を人とも思わない、自分と異なる認識の持ち主ばかりだと。
 そう信じたかったのだろう。
 だからこそ、父に忌まれて“アビス”送りになったルクレツィアに声を掛けたのだろう。
 実の親にすら棄てられる。人の姿をしたナニモノかに。






 「久し振りですね」

 夜の空気を思い切り吸い込んで、吐き出す。
 三度繰り返して、茫洋とした風情の銀髪紅眼の美少女、ルクレツィア・ファルネーゼは、感慨深げに周囲を見回した。
 深夜の森の中では、碌に周囲が見えないが、それでも壁を眺めるしか無い独房の暮らしに比べれば、比べようが無い程に快適だ。
 沸々と、心の底から湧き上がって来るものを感じる。
 それはやがて肉体へと伝播し、全身を小刻みに震えさせる。

 「自分の意思で何処までも行けるというのは、これ程までに快適な事だったのですね」

 父親により強いられた檻の中の生活。何も出来ず何処にも行けず。意思は有っても行動する事が叶わない日々は、ルクレツィアの精神を日々苛み続けていた。
 それが、仮初とはいえ解放されたのだ。
 必然、歓喜が全身を駆け巡る。
 只々生命活動を行うだけだった心臓が、解放の凱歌を歌うかのように激しく脈打ち、赤黒く澱んだ血液が詰まっていた血管は、生命に満ちた熱い真紅の血を全身へと駆け巡らせる。
 身体中が生命(いのち)を謳う。精神が、魂が、喜びに満ちて燃え上がる。
 ルクレツィアは歯を噛み締めて叫び出したくなる衝動を抑え込んだ。
 大声を上げるなどという品の無い行為をする訳にはいかなかったし、誰かに聞かれれば厄介な事になる。
 瞳を閉じ、歯を噛み締め、我が身を抱き締めて、ルクレツィアは性の絶頂にも似た歓喜が鎮まるのを待った。

 「ああ…。これを永遠とする為ならば、人は人を簡単に殺してしまえるでしょうね。
 好きな時に、好きな相手を、好きなようにするのが好ましいのですが」

 五分経ち、心と身体が平静を取り戻したルクレツィアは、静かに呟く。
 この無人島に放り出された全員が、ルクレツィアと同じ境遇にあり、ルクレツィアと同じ苦しみに耐え、ルクレツィアと同じ喜びを味わったのだ。
 この歓喜を。この自由を。仮初ではなく、真に我が物とする為ならば、他人の命など塵芥の様に吹き散らしてしまえるだろう。
 全員がルクレツィアの敵であり、殺さなければならない獲物だった。

 「…となれば困りました。私の超力は、あまり向いていないんですよね。殺し合いには」

 旧人類は当然の事、新人類の標準すら遥かに超える身体能力を発揮できるルクレツィアだが、身体能力のゴリ押しだけで、殺し合いに勝てるとは思ってはいなかった。
 ルクレツィアは新人類の肉体を素手で解体出来得るが、そんなものは近づけ無ければ意味は無い。
 遠距離から強力な攻撃を投射出来る者ならば、ルクレツィアの手が届かない距離から、一方的にルクレツィアを殺し得る。
 銃撃程度の齎す肉体の損壊であれば、再生して無力化するのだが、一撃でバラバラにされれば如何ともし難い。
 バラバラにされずとも、肉体を大きく破損すれば、再生する間は動きが止まる。

 「……近づく手段か、盾を用意しないといけませんね」

 はぁ…。と、短くため息を吐く。
 そもそもが殺し合いというものを、ルクレツィアは好まない。
 ルクレツィアが好み望むものは、只々一方的な凌辱と嬲り殺しだ。
 殺し合いなど、ルクレツィアにとっては、ある特定の条件を満たさない限り、面倒なだけで、面白くも何とも無い。

 「ニケが居れば…。盾にもなりますし、共に生き残りを目指せたのですが」

 自分より先にアビスに囚われた友人を思い浮かべる。超力を無効化する上に、ルクレツィアと同類の女は、こういう時には頼りになる存在なのに。
 世界各国を巡って拷問と殺人に勤しんでいた小鳥遊仁花とは、出会った時に成り行きで殺し合い。直に互いに萎えて矛を収めたのが馴れ初めだ。
 仁花からすれば、ルクレツィアは道具を用いれば痛みを感じず、肉体を用いた直接の打撃は“生の痛み”を感じて悦ぶだけでしか無いので、気が萎える相手であり。
 ルクレツィアからすれば、小鳥遊仁花は壊す愉しみは有れど、煙に酔う事が無いので前菜(オードブル)しか味わえない相手だった。
 必然的に、双方共にやる気が無くなり、なんとはなしに、お茶を飲みながら拷問について語り合い、一緒に“遊んだ”仲である。
 そしてルクレツィアにとっては、殺し合いに付いて実践込みで教えてくれた相手でもある。

「互いに“そういう気”にはなれない以上、安心して連れ立って行けるのですが」

 ルクレツィアと仁花。二人ともに、他者というものを、傷つけ嬲って果てに殺すものと認識しているものの、互いに対してだけは“そういう気”になれない。
 手を組むには申し分の無い相手だが、果たして此処に小鳥遊仁花は居るのだろうか?

 「…名簿をあらためてみましょう」

 名簿を引っ張り出して、上から順に目を走らせていく。
 知り合いでは無いが、記憶に引っかかる名前が一つ。

 「ディビット・マルティーニ……何処かで聞いた名前ですね」

 同郷の人間というだけでは無い。直接の関わりは無いと断言出来るが、間接的に関わりが有ったというべきか。
 少しの間、記憶を探る。

 「ああ…バレッジの……。あのカモッラには随分とお世話になったものです。ディビットさんのお名前を聞いたのは、その縁でしょうね」

 嬲り殺す人間の調達など、ルクレツィアが自ら行えば、短期間で足がつく。そこで使ったのがバレッジファミリーの調達と流通のネットワークだった。
 バレッジファミリーの持つ、イタリア全土のみならず、国外にすら存在するネットワークは、人知れずルクレツィアの元に、犠牲者を供給し続けたのだ。
 彼等には随分と世話になったものだ。そこの金庫番であるディビット・マルティーニの名を、偶然耳にする機会は有ってもおかしくはない。

 「向こうは私の事を当然知らないでしょうね。私にしても、ご尊顔を拝見した事が無いので、出会っても気付く事は有り得ないですし」

 ディビットの事はどうでも良い相手として、記憶の端に寄せておく。

 「さて…他の方の名前を」

 再度名簿に目を通し、目当ての名が無い事を確認して、ルクレツィアは肩を落とす。
 結局はのところ、一人で戦うしか無いらしい。

 「どうしましょう……」

 戦闘向きでは無い超力と、身体能力を活かすには圧倒的に未熟な戦闘技能。
 頭を使って立ち回るのが最適だが、そういった経験も微小。咄嗟の機転が利くかといえば、無理だろう。
 このままでは殺されてしまう。何よりルクレツィアは死刑判決を受けた身だ。
 戦闘が不得手な死刑囚のルクレツィアは、得られる点数が最大で、殺す際のリスクとコストが少ない。
 絵に描いたようなローリスク・ローコスト・ハイリターン。ルクレツィアを狙わない者など、此処には居ないのでは無いだろうか。

 「どうすれば良いのでしょうか」

 儚げな美貌に憂いの影を落として懊悩する姿は、迫り来る死の恐怖に怯えているのか?
 凶悪な超力を振るう悪虐の化身ともいうべき者達に、生命を狙われる事を恐れているのか?

 「折角ジャンヌさんを、“また”頂けると思ったのに」

 そうでは無い。
 過去に凄惨苛烈な拷問をした相手と、再度巡り会った時の事を考えていただけだった。

 「捕まえることさえ出来れば、何とでも……無理ですね。焔を纏われれば触れた途端に焼かれてしまいます。死にかねません」

 過去に遊んだ時は、ジャンヌ・ストラスブールが虜囚の身だった為に、気にする必要など無かったその戦力。
 赫赫たる焔を纏い、天を舞う少女。四大の内の炎を司る大天使ミカエルに準えられた事もあるかつての英雄に、組み打ちなど死にに行く様なものだ。

 「いえ、まぁ…もう一つ問題が有りますね。ジャンヌさんの肉体(痛み)は味わい尽くしていますし……。どう愉しみましょうか』まぁ愉しめ無いならサッサと殺して仕舞えば良いのですが」

 目を閉じて熟考する。

 「…………」

 識っていても、何も思い浮かばない事に、僅かに苛立ちを覚えた時。

 奇怪な叫びが夜の森に響き渡った。

 「何事でしょうか?」

 思考を中断して、ルクレツィア奇声の聞こえた方向へと、新人類の基準で考えても以上な速度で走っていった。



 「誰でしょうか……あの方は」

 手入れのされていない森というものは、昼でも走り辛い。無秩序に伸びる枝が顔や身体に傷を作り、生い茂る灌木が脚を阻む。夜ともなれば視界が利かなくなり、更に動きが取れなくなる。
 森というものは、人が立ちれる場所では無いのだろう。
 だが、それは旧人類の話。新時代に生まれた人類であるルクレツィアには無縁の事柄。
 枝も灌木も知らぬとばかりに突っ切って、不安定な足場でも恐れる風も無く全力疾走。
 元より新人類は夜目が効く、更に超力により五感を向上しているルクレツィアには、夜の森など何の問題にもなりはしない。
 疾走により身体に数十の傷がつくも、その悉くは森から出た時には跡形も無く消えている。
 傷一つ無い身体で、ルクレツィアは声の発生源と思しき砂浜を歩き────奇妙な人物と出会ったのだ。


 「ジャンヌゥゥゥゥッ! ジャンヌ、ジャンヌ、ジャンヌジャンヌ、ジャアアアアアアアアアアンヌ!
 まさか貴女も此処におられようとは!!宜しい、我が殺戮を笑覧あれ!!貴女のために骸を積み上げ!この深淵から出る為の道を作りましょうぞ!!!」

 夜の砂浜でトチ狂った叫びを上げる、腰まで届く青みがかかった髪の少女。
 ルクレツィアの記憶に有る、ジャンヌ・ストラスブールの姿に酷似してはいるが、明らかに別人────というには似過ぎている。

 「妹さんがいらっしゃるなんて、聞いた事がありませんが」

 そもそもが、ジャンヌ・ストラスブールの家族は…血縁者や友人、果ては近隣の住民に至るまで、産まれたばかりの赤児から、ベッドの上で死を待つだけの病人まで。
 悉くが惨たらしい死を迎えた筈だ。

 ではルクレツィアの眼前で、狂態を晒しているのは誰なのか。

 「姿形は…確かにジャンヌさんですね。けれども……私の憶えているジャンヌさんと比べると、少しお若い様な?それに身体付き?ですか…堅い?様な。
 声も…こう…何というか。私の知るものより柔らかいというか」

 ルクレツィアの前に在るのは、当然の事ながらジャンヌ・ストラスブールでは無い。
 ジャンヌ・ストラスブールと骨格レベルで同じ姿になった狂人である。
 名をジルドレイ・モントランシー 。ジャンヌ・ストラスブールが被せられた汚名の全てを実行した最悪の模倣犯。
 ジャンヌの姿を完全完璧に模した筈のジルドレイの姿形が、ルクレツィアの記憶に有るジャンヌの姿と異なるのは、ジルドレイの知るジャンヌが十五歳の時の姿である為だ。
 男を知らず穢れを知らず、正しく聖処女の名に相応しい時期のもの。
 対してルクレツィアの識るジャンヌの姿は17歳の時のもの。
 全身に牡(おとこ)を刻まれ穢れを刻まれた無惨な虜囚の姿。
 聞こえる声が違うのも当然だ。2年の間に、ジャンヌ・ストラスブールがどれだけ泣き叫び、慈悲を乞い、慟哭してきたか。
 必然として、声が枯れて嗄れる。ジルドレイの声が、ルクレツィアの記憶に有るジャンヌの声よりも柔かくなるのは当然の事だった。

 ルクレツィアとジルドレイ。両者の知るジャンヌ・ストラスブールの姿はあまりにも違い過ぎ、それが故にルクレツィアはジルドレイの姿に違和感を抱く事になったのだ。

 「はて…ジャンヌさんにはとんでもない数の冤罪が被せられていましたが……その為に用意されたソックリさんでしょうか?」

 ならば人々の記憶に最も残る、15歳の姿であるのも納得がいく。
 一人で納得して頷いていると。

 「誰ですか?」

 ジャンヌ・ストラスブールのそっくりさんの顔が、ルクレツィアの方へと向いていた。



 「……貴女が…ジャンヌ・ストラスブールさんですか」」

 互いに自己紹介を終えて、ジャンヌ・ストラスブール(自称)名乗りに、ルクレツィアは投げやりな応対を返す。
 さっきまでジャンヌジャンヌと連呼しておいて、今更それは無いでしょうとも思うが、指摘する気には到底ならない。
 狂犬病の猿に蹴り入れる趣味は、流石にルクレツィアにも無い。
 更にいえば、相手が偽名を名乗った為に、ルクレツィアの方も、フレゼア・フランベルジュの名を騙り、双方共に相手の事を非難できる謂れは無い。

 「それで…私を殺しますか?」

 何時でも煙管を取り出せる様にして訊く。
 目の前にいる自称ジャンヌは狂人だ。父親から狂気を忌まれてアビス送りにされたルクレツィアから見ても、狂人と断言出来る程に。
 備えをするのが当然のように事だった。

 「当然ではないですか。貴女のような美しい方ならば、魔天に捧げる贄としても最上でしょう」

 備えをして置くのが当然どころの話では無かった。
 殺す気に満ち溢れていたl

 「………はぁ」

 流石に訳が分からない。
 ジャンヌ・ストラスブールの名を悪魔の代名詞とする為に用意されたソックリさんというのならば、事此処に至ってまでロールプレイをしなくても良いだろうに。
 それとも素でこうなのだろうか?.

 「嗚呼!笑覧あれ!!地獄の悪魔も恐れるほどに!!今此処に!この贄を惨殺しましょう!!“貴女”に捧げる贄を!!!」

 「何なのでしょうか?この方は」

 “貴女”とやらに、この怪人の正体を探る鍵が有るのだろうが、悠長に考えている暇は無さそうだった。

 「光栄に思いなさい!彼女に捧げられる最初の贄となれる事を!!!」

 周囲の温度が低下していく。
 新人類の強靭な肉体でなければ、息をするだけで口腔から肺までが凍りつきそうな程に。
 ジルドレイの超力『我が情熱は去り(ラ・パッション・パシー)』 。
 心に熱を持たなかった男に相応しい、全てを冷たく凍らせる超力。其れを心に宿した業熱に任せ、狂熱と共に撃ち放つ。

 現出した現象は、氷の釘。
 数十にも及び郡の釘を瞬時に精製し、ルクレツィア目掛けて射出した。
 一つ一つが、ジルドレイの意思のままに、ルクレツィア目掛けて飛翔する訳では無い、
 只々精製した釘を、ルクレツィア目掛けて飛ばしただけだ。
 それでも、どれでも一つでも当たれば、柔な肌など容易く貫き、骨まで穿つだろう鋭さと勢いに満ちている。

 砂浜が爆ぜた。派手に舞い上がる砂塵の中に、氷釘が吸い込まれ、砂塵を突き抜けて飛んでいった。
 舞い上がった砂塵は、ルクレツィアの踏み込みによるもの。馬鹿げた脚力に依る跳躍は、砂浜に足跡を刻むどころか、穴を穿ち、砂塵を宙へと舞い上げる。
 巻き上げられた砂塵が、夜の闇を更に濃くするが、ルクレツィアの髪と肌は、闇に紛れる事を許さない。

  「逃げられませんよ」

 ジルドレイは身体の向きを変える。左側を向き、今度は氷でつくった壁を飛ばす。
 初撃よりも攻撃の範囲を拡げ、ルクレツィアに回避を許す事なく押し潰す。
 新人類の身体能力といえども、巨大な壁を掴み止めるのは容易では無く。更には氷の壁とあっては、滑って防御(うけ)ることを困難なものとしている。

 「大きいと、掴めますね。簡単に」

 だが、ジルドレイが殺そうとしているのは、ルクレツィア・ファルネーゼ。自身の超力に基づくクスリで、新人類の身体能力を、新人類から見ても常軌を逸した域に高めた少女。
 向上した五感と身体能力とを以ってすれば、この程度は造作も無い。

 「知っていますか?“ジャンヌ”さん」

 氷の壁を持ったまま疾走。“ジャンヌ”を間合いに捉えるなり、保持していた氷壁を横薙ぎに振るい抜く。

 「私はこう見えて力持ちなんですよ」

 “ジャンヌ”は後ろに飛び退って回避。空を薙いだ氷壁が巻き起こす風が、“ジャンヌ”の髪を巻き上げた。

 ────この方は、再生能力は持っては居られない様ですね。

 ルクレツィアは得た情報を、胸中で再確認する。
 氷を作り出す能力か、冷気を操る能力かは不明だが、再生能力を持っているのならば、ルクレツィアの攻撃に合わせて、釘や壁で反撃すれば良い。
 それをせずに回避を行なったのは、“ジャンヌ”が再生能力を持っていない証拠だ。

 ────一撃当てれば何とかなるでしょう。

 とは言え、そこに至るまでが、果てしなく遠いのだが。

 一度後ろに飛んだ後、更に後ろへ飛んだ“ジャンヌ”を中心に、地面が白く凍り出す。直径にして10m。踏み入れば恐らく死ぬと、ルクレツィアは茫洋とした表情の裏で警戒する。

“ジャンヌ”はルクレツィアへと氷の蛇を伸ばした。
 対するルクレツィアは、右手に出現させた煙管を振るい、頭部を粉砕しようとするも。

 「おや?」

 氷の蛇は生き物の様に動いて煙管を回避。ルクレツィアの右の太腿へと牙を突き立てた。

 「あらあら…」

 虚しく牙が噛み合う音を聞き、ルクレツィアは優美に嘲笑する。

 「残念でしたね」 

 誰が見ても、ルクレツィアが被弾するのは避けられなかったあの一瞬。
 無傷で済ませたタネは、単純な身体能力。
 煙管が空振った時点で、背後へと跳んでいたのだ。

 「お返しをさせて頂きます」

 手にしたままの氷壁を思い切り投げつける。
 “ジャンヌ”が右へと飛んで躱し、氷壁が凍った砂浜に突き刺さり、重い音と共に周囲が揺れた。
 “ジャンヌ”が次の行動に移るよりも早く、ルクレツィアが“ジャンヌ”の跳んだ方向へと走り、全力で腹へと目掛けて右拳を繰り出す。
 “ジャンヌ”が咄嗟に氷壁を生成。
 凄まじい密度の氷壁は、大口径拳銃弾すら受け止めるものだったが、ルクレツィアの拳は氷壁を薄氷の様に粉砕してのけた。
 薬物による身体能力の向上だけでは説明が付かない威力。
 薬物により痛覚が極端に鈍くなっているルクレツィアは、痛みを無視して身体能力を駆使できる。
 全力で拳を振るう事で発生する、骨折や傷を気にする事無く、過負荷により生じる損傷は、薬物による再生で即座にと回復する。
 肉体の全力稼働による負債の全てを踏み倒す事により可能となる、新人類の基準で見ても超人的な身体能力。
 “ジャンヌ”の防壁を粉砕したルクレツィアが、左拳を顔面目掛け叩き込む。
 受ければ新人類とて即死しかね無い暴奪魔法を、“ジャンヌ”は足元の地面を凍らせ、その上を滑る事で高速回避。
 凍った地面を前に、ルクレツィアが二の足を踏んだ隙に、仕切り直そうとするも。
 地面が爆ぜる。驚異的な脚力による踏み込みは、“ジャンヌ”が離した距離を、秒の間も置かずにゼロとした。
 迎撃の為に氷槍を複数形成した“ジャンヌ”へと、ルクレツィアは拾っておいた砂利を投げ付けた。
 時速にして300kmを超える速度で投げつけられた砂利が、無数の微小な散弾となって、“ジャンヌ”の皮膚に無数の穴を穿つ。
 旧人類であるならば、血塗れの凄惨な顔を晒しただろうが、新人類の肉体では、皮膚が僅かに破れるだけだ。
 積み上げた屍と、流した血から得た經驗知で、ルクレツィアは精確にダメージを推測する。
 にも関わらず。

  「ぎぃあああああああああああ!!!!」

 “ジャンヌ”の身も蓋も無い絶叫に、ルクレツィアは驚いて動きを止めた、

 「おおお…この姿に……我が至尊の聖女。ジャンヌの尊顔に……傷を……」

 “ジャンヌ”と称しておきながら、我が至尊の聖女とはこれ如何に?
 茫洋とした風情を崩さぬままに、僅かの間思考に耽り、導き出した答え。

 ────ああ、この方は。

 ルクレツィアは理解した

 ────ジャンヌさんに灼かれたかんですね。

 「あの方に惹かれ焦がれるのは、仕方の無い事だと思いますが、一体どうしてこうなったのでしょうね。
 ……アレですか?英雄としてのジャンヌさんでは無く、魔女と貶められたジャンヌさんの真似をしていらっしゃる?」

 返ってくる言葉は無い。
 膨れ上がった殺意と怒気が、物理的な圧さえ伴って、ルクレツィアへと押し寄せる。

 「聞こえているなら聞いておいて欲しいのですが…。貴女ではジャンヌ・ストラスブールにはなれませんよ。
 …いえ、人は己にしか成れないなどという話とは違いますよ」

 ジャンヌ・ストラスブールの為に殺す。唾棄すべき悪魔の代名詞となったジャンヌの為に、死と惨を積み上げる。
 確かに狂気の所業であり、今現在“アビス”にいる以上、過去に凄まじい数の骸を積み上げたのだろうが。


 それだけではジャンヌ・ストラスブールには届か無い。


 ジャンヌの為に非道を行う、自称ジャンヌは、ルクレツィアからすれば至極真っ当な存在でしか無い。
 遥か過去から、人は何かの為に人を殺して来た。
 神の為、思想の為、国家の為、革命の為、勝利の為、民族の為、生きる為。
 それらの人を殺す為の殺人許可証に、ジャンヌ・ストラスブールの名を加えただけに過ぎない。
 酷くまともで、ありふれた人間だと。ルクレツィアはジャンヌ・ストラスブールを称する存在を認識した。


 ジャンヌを称する何者かは、無言のままに力を溢れさせ、周囲の地面はおろか、大気すら凍てつかせつつあった。
 周囲の音が消え去り、白いものが舞い落ちる。
 凡そ生物であるのなら、等しく有する生命の証である“熱”を奪い去るべく吹き荒れる凍嵐によるものだ。
 クスリで鈍いルクレツィアの感覚ですら、冷たさを感じている。


 ジャンヌ・ストラスブールは狂人である。


 父からも忌まれる狂気を有するルクレツィア・ファルネーゼですらが、ジャンヌの事は狂人と断じている。

 であればこそ、ジャンヌを称する何者かは、ジャンヌに成る事は出来無いと宣言する。

 「いくら姿を模しても、いくらジャンヌさんの行いを模しても…其れだけでは到底あの人には近づく事も出来ませんよ」

 狂奔する雪と氷と冷気の中で、ルクレツィアの声は果たしてジルドレイに届いたのだろうか。





 ジャンヌ・ストラスブールが、人々の前から姿を消して半年程を経た位から、ブラックマーケットで扱われる様になったレンタル商品。
 法外な値で貸し出される“ソレ”は、かつて焔を纏い、人々の希望そのものだった少女。
 犯され穢され、欲望の捌け口として、貸し出される“商品”までに堕ちたジャンヌ・ストラスブールその人だった。

 元より貸し出す側のリスクが大きい商品である為に、レンタルに際しては幾つかの条件が存在した。

 一つは、組織が貸し出しを行う事で、レンタル料以外の利益を得られる事。

 二つは、商品のことについて喋くりまわる様な事をし無い理性がある事。

 三つは、貸し出しは商品への制裁と見せしめを兼ねている為に、客は異常性愛者である事。



 欧州にこの三つを満たせる者が何人居たのかは、ルクレツィアには知る由も無く、興味も無いが。
 ルクレツィア・ファルネーゼは、少なくとも三つの条件を満たし得ると判断されたのは確かだった。

 二月後にルクレツィアの元に貸し出されたジャンヌが現れた時、かつての英雄は満身創痍だった。
 優秀な回復系能力者が四人も付いていても、疲労と憔悴は全身に色濃く刻まれ、身体には無数の傷が有った。
 何より四人の回復役の陰鬱な表情が、ジャンヌが二ヶ月の間に受けた仕打ちを物語っていた。
 ルクレツィアは、ジャンヌと四人に充分な休養と栄養価の高い食事を与えた。
 貸し出し期限は一週間。その内の三日を回復に使い。
 四日目にジャンヌ・ストラスブールは叫び過ぎて喉が潰れた。
 五日目に手足を失った。
 六日目に呼吸をするだけの肉塊に成り果てた。
 7日目にルクレツィアの超力で“夢”を見させられ、夢から覚めて慟哭した。



 凍てついた大気が動きを鈍らせる。
 凍りついた砂浜は、移動を困難なものとし。
 乱れ飛ぶ氷の刃が、進退窮まったルクレツィアの全身を切り刻んでいく。

 かつて遊んだ時のジャンヌ・ストラスブールの様に、ルクレツィア・ファルネーゼは右手と両足をを失い、千切れかけた左腕が皮一枚でぶら下がっていた。
 切り裂かれた腹から臓物を溢れさせ、砂を紅に染めて倒れていた。
 身体能力の強化という点では、ルクレツィアは刑務者の中でも上位だろうが、それだけで荒れ狂う氷嵐を躱せる訳も無かった。

 「……貴女は私が、ジャンヌには成れ無いと言われましたが、元より成れるとは思っていませんし、成るつもりも有りません。
 ジャンヌ・ストラスブールは唯一無二。誰も変われる筈が無い」

 ジルドレイは静かにルクレツィアの言葉を否定した。
 すでに狂熱は去り、ジルドレイ生来の虚無が精神を支配している。

 「私がジャンヌの姿をしているのは、ジャンヌの名と姿人々の記憶から忘れさせない為、そして常にジャンヌを感じていられる様にする為」

 否、熱は去ってなどいない。ジルドレイの内側で、強く静かに燃えて入る。

 「ジャンヌの所業を模するのは、ジャンヌを知る為であり、ジャンヌの跡を追う為ですよ。“フレゼア”さん」

 ルクレツィアは苦笑した。自称ジャンヌを理解したつもりだったが、見当違いだったようだ。
 ジャンヌ・ストラスブールになろうとする者では無く、ジャンヌ・ストラスブールの足跡を辿る巡礼者だった。

 「止めを刺しますか?」

 ジルドレイは首を横に振った。

 「放って置いても貴女は死ぬ。精々その時まで苦しんで下さい」

 「貴女はこれからどうするのですか?ペレグリノ(巡礼者)さん」

 「ジャンヌの跡を追い続けます。彼女に出逢った時に、自分自身を誇れる様に」

 「………フフフ、貴女の巡礼に恵みが在らん事を」

 ルクレツィアは瞳を閉じた。後は最後の瞬間を待つのみ。

 「私は追います。悪魔と呼ばれたジャンヌの跡を」

 地面から伸びた複数の氷の杭が、ルクレツィアの身体を刺し貫いた。
 驚愕に大きく見開かれたルクレツィアの眼に、満面の笑みを浮かべる自称ジャンヌの姿が映った。

 「まだ息は有るはずです。死ぬまで苦しんで下さい。それではご機嫌様」


【D–1/海岸沿い/】一日目・深夜】
【ジルドレイ・モントランシー】
[状態]: 健康
[道具]: 無し
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本. 悪魔の代名詞であるジャンヌ・ストラスブールの所業を再現する
1. 出逢った全てを惨たらしく殺す







 「自分と同じ歳の同性に、手足を砕かれ切断されて、腑を引き摺り出されて、腸を切り開かれて取り出された排泄物を食べさせられて、絶望しなかったんですよ。
 私はやりませんでしたけれど、活け造りというのですか?にされてもいたんですよ。
 それでも折れ無い、あそこまで人の悪意に晒されれば、誰でも正気ではいられないんですよ。それでもジャンヌさんは変わらなかった」


 自称ジャンヌことジルドレイが去った後。
 無惨な串刺し死体しか存在しない砂浜に、少女の声が静かに響く。

 「どうしてだと思います?簡単な事ですよ。
 “最初から狂っていた”。
 これがジャンヌさんの持つ光と熱の正体です。
 真っ当な人では、あの輝きと熱量は持てません」

 氷槍に貫かれたルクレツィアが、唯一残った四肢である左腕を動かて、体を貫く氷槍を叩き折ったl
 砂浜に転がったルクレツィアは、刺さったままの氷を引き抜くと、左腕だけで這いずって、転がった右腕を拾って、切断面にくっつけた。
 更に左足と右足も同じ様にくっつけると、ルクレツィア・ファルネーゼは億劫そうに砂浜に横たわる。

 「疲れました……。殺し合いに乗った以上、殺されても仕方無いですけれど、あの状態で、追い討ちをかけられるとは、思いもしませんでしたね」

 いくら超力により痛覚が鈍く、再生能力も有しているとはいえ、あの状態での串刺しは、死んでしまってもおかしくは無かった。
 氷の槍が傷口を凍らせなければ、ルクレツィアは失血で死んでいただろう。

 「自称ジャンヌさんは…行かれましたね。頭を潰されれば、流石に死んでいましたが、助かりました」

 あの自称ジャンヌは、殺戮の巡礼を続けるだろう。
 本物のジャンヌが知れば、どういう事になるのだろうか。

 「ジャンヌさんが刑務に参加しているということは、戦えるという事ですよね。“アビス”に落とされても揺らがないジャンヌさんの精神を、少しは傷つけて下さいますでしょうか
 あの方の身体(痛み)は味わい尽くしましたし……次は精神(こころ)を苛んでみるのも、悪くは無いですね」

 とはいうものの、僅かな時間んで纏めて追体験をした為とはいえ、ルクレツィアですら逝くかと思った程の苦痛ですら、耐え切ってみせたのがジャンヌ・ストラスブール。
 早々簡単に、その心が折れるとは思えない。 

 「まぁ…もう一度、身体(苦痛)を味わってみるのも良いでしょう」

 邪悪な思考に一通り耽ると。ルクレツィアは瞼を閉じて眠り出した。



【D–1/海岸沿い/一日目・深夜】
【ルクレツィア・ファルネーゼ】
[状態]: 疲労 睡眠中
[道具]: 無し
[恩赦P]:0pt
[方針] 殺しを愉しむ
基本.
1. ジャンヌ・ストラスブールをもう一度愉しみたい
2.自称ジャンヌさん(ジルドレイ・モントランシー)には少しだけ期待

007.真・地獄新生 PRISON JOURNEY 投下順で読む 009.このまま歩き続けてる
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PRISON WORK START ルクレツィア・ファルネーゼ 地獄行き片道切符

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最終更新:2025年03月02日 17:39