めきめきと、ざわざわと。
静粛な夜の森林を破壊する、らしくない騒音が走っている。
子供の奇声のような叫び声とともに、木が揺らされていく。
そして遂には倒れていく。
樹冠から飛び出して逃げていく一つの影。
密生した木々が生えている中でも、自由に行動できるライセンスを持っている持ち主たち。
木が倒れた先、息をひそめながらやり過ごそうとするのは一匹の獣人。
匹――――というよりは、いくら姿が獣でも元が人間なので一人というのが正しいだろう。
木に寄り添い、耳を倒して気配を殺す一人のユキヒョウ。
白い毛皮に包まれた身体に、青いほぼ新品の囚人服を纏い闇に隠れる。
息を切らしながらも務めて静かにしようとする。
捕まったら一巻の終わりだと悟っているかのように。
後ろから迫りくる轟音の歩み。
それと共に聞こえる、可愛らしいのか奇声なのかよくわからない叫び。
その根元には、全くそれにそぐわない姿の女の子。
黒髪はツインテールとなっており、文明を感じさせないわけではないのに野生児じみていて。
身長100cmほどの幼女がその怪力で、障害物を無視しながら攻撃を仕掛けんとしているのだった。
やまない轟音。
どうしてこうなってしまったのか考える余地もないユキヒョウ。
森を疾走しても、相手も森に慣れている以上逃げられるのかは不透明だ。
逃げる以外の、別のやり過ごす手段をなんとか考え始める。
――――――――
◇
――――――――
――刑務作業。
――殺し合い。
このことだったんだ。
説明を聞いた私は思案する。
あの時、急に私に差し込んできた予感のこと。
自首してもう終わりにしようって思ったとき。
――4人、殺した。
お父さんの分、お母さんの分だって。
お姉ちゃんの分、お兄ちゃんの分だって。
そう思った。
もういいと思ってた。
殺されたのと同じ数だけ殺したから。
これ以上殺したら、私はもう人間じゃなくなっちゃうような怖さがあった。
それでも、裏から強盗を指示した犯人。
いまだに名前も姿も掴めてない黒幕。
アビスに封じ込められたはずのそいつ。
恩赦なんて絶対にさせない。
被害者はどれだけ再生産されるんだろう。
私と同じ思いなんて誰にもさせたくない。
だから、最後は私の分。
そいつを始末できるなら、もう自分の命だっていらない。
何としてでも阻止する。
違う。
殺さなきゃいけない。
悲しさは消えないと思う。
きっと心が救われることもない。
でも、もうそうすることしか自分に生きる価値が無い気がする。
何としてでも探し出す。
もちろん他の人間だってこの殺し合いにはいっぱい巻き込まれている。
もしかしたらあいつ以上の凶悪犯だっているだろう。
でも、私は私のことをするだけ。
幸い、気配を消して動くのには慣れてる。
もしも接触しそうになったら。
話が通じなさそうだったら、無視。
話の通じそうな相手に見えたら、あいつに関する情報を知っているか聞き出せばいい。
武器なんていらない。
首筋にユキヒョウの尖った爪をいきなり突き当てられて、こっちの要求を聞かない人間なんている?
遠慮なんていらない。
みんな10年以上の刑期を抱えた凶悪犯罪者なんだから。
刑が確定してから1ヶ月。
アビスにはまだ数日しかいない。
つまりまだここでは、ほとんど誰とも話せてはないんだ。
この機会にいくらでも他の奴から話を聞きだしてやろう。
――もしも相手が仇だったら。
爪で太い血管全部切ってやる。
首筋に噛みついて頚椎を折ってやる。
――死んでも絶対に離してやらない。
――さて。
時刻は夜だったけれど、それにも増して周りは良く見えなかった。
身体には時々草木の当たる感覚。
昔は良く出かけていた、自然の中のさわやかな香り。
転送された場所は、どうやら深い森林の中らしかった。
手がかりはほんの僅か。
正直心細い。
それでも、何としてでも探し出す。
――――――ピピっと頭が冷たくなる。
時々私の頭の中に入ってくる不思議な感覚。
なぜだか、まずいことになる直感。
人間が誰か来るんだと思う。
たぶん、殺気とは違う。
快楽犯罪者のそれではないと思う。
恩赦ポイントとかのために見敵必殺してくる感じでもない。
何かこっちに強要してこようとするタイプかな。
超力とか使って手駒にしようとしてくるのかな。
それでも、手がかりは欲しい。
取引に応じても構わない。
何だったらそれが私に不利だろうと、最終的にあいつを殺せるなら構わないとすら思う。
爪を出して、手ごろな近くの太い木の上へ上っていく。
音をできるだけ出さないように、静かに。
向こうに察知されないうちに、相手より上を陣取るんだ。
人間はだいたい高所を警戒してこない。
映画でしか見たことないけど、ゲリラ戦とかに慣れた人なら違うのかな?
アビスには世界各地の囚人がいる。
日本で通用したことはうまく行かない可能性もある。
前の――そう、家族の仇を殺したときよりも。
もっと真剣に気をつけなきゃいけない。
目の周り以外がほとんど下から隠れて、その一方でこっちから下はそこそこ見渡せるような位置を探し出す。
月明かりが木々の枝葉で減衰して、林床をまばらに明るく照らす。
夜目が普通の人間より効く自信はある。
――家族と一緒に夜に帰ってきたとき、暗い部屋の電気を真っ先につけに行くのは私の役目だったなあ。
そんなことを考えながらも、下の方を注視する。
――向かってきてる。
音とかの気配はする。
けどなんだか、だいぶ小さいように感じる。
――手練れなのかもしれない。
家族を襲った手慣れてない強盗たちとは違う。
もしかして、本職の兵士とか殺し屋とか?
怖い。
逃げてしまったほうがいいかな。
声を出せばきっと聞こえる。
姿を見せずに交渉とかすればいいのかな。
わからない。
でも、よほどの探知に長けた超力の使い手じゃない限り、自分が先に相手を発見する自信はある。
そして、探知に特化した使い手なら、たぶん逃げる自分に追いつけるような超力じゃないと思う。
せめて、一目相手を見てから決めよう。
――音が徐々に近づいてきた。
聞こえる先の方に視力を全集中する。
歩幅は小さいように感じる。
草を嫌って少しずつ進んだり、屈んだりしてるのかな。
…………………
なんか違う。
何か想像が及んでない気がする。
――見てから考えよう。
あっ。
月明かりが反射した。
黒い髪だ。
刑務服は闇に溶けているけど――徐々に輪郭が。
あれ?
すごい小さくない?
――――子供?
――もしかして!
――――アイじゃない!?
野生児の子の!
すぐに連想した。
アビスにあるはずのシステムAでも超力を制限しきれてなくて、壁壊したりしてた子!?
というか、私のこと見て嫌がってたりしたよね!?
他にも小さい子供の囚人はいて、可哀想だなって思ってたけど!
なんか私を見て暴れようとしたんだ!
泣くような怒ったような表情で!
それ以来、刑務官の人が気を使ってくれてるのか会ったことないけど!
――――どうしよう。
さすがに。
放っておけないような気もする。
私より若そうな子も刑務作業に参加してるのは何となく見えてた。
中学生くらいでもヤバい人間って本当にいるし、まあそんなんかなと思いはした。
超力を使って犯罪するキレる若者がいるとか、そうなるなよって学校の先生がよく言ってたとか。
でもさ。
こんな小学生にもなるかならないかくらいの子まで殺し合いをさせるの?
それでいいの?
違う。
私には関係ないよ。
きっと私の想像にも及ばない、偉い人の意思とかもあるんだ。
考えても意味ない。
こんなことに感情移入しちゃだめ。
昔の可愛くて甘えたがりの、現実をわかってないだけの猫みたいな女の子に戻っちゃう。
そんなんじゃだめ。
そんなんじゃきっと生きていけない。
仇を見つけられないどころか、その前に別の囚人に殺されちゃう。
それでも――――。
ごめん――――。
――――????!!!!
強烈な寒気。
認知はその後にくる。
――目が合った!!
色々考えすぎてる間に!!
――――――――
◇
――――――――
――――アイは。
刑務官からの説明はほぼ解していない。
密林に転送されれば、まずは故郷のジャングルと同じ場所じゃないかと思った。
しかし周りの植物の様子などから違う場所の森だとすぐに気がつく。
あの監獄から外の世界に出れたのなら。
目指すはもちろんゴリラである家族の住まう下である。
とりあえず知らない森をすぐに抜け出そうと、歩みを進めていた。
さて、ヒョウを発見したアイの動きは素早かった。
アイはヒョウを強く敵視していた。
ゴリラは優しく無駄な戦いはしないと言うし、そう育てられていたけれど。
ヒョウはゴリラの雌や子供を襲う。
赤ん坊の頃のアイも幾度か襲われたが、親代わりのゴリラが助けてくれた。
手足が自由に使えるほど大きくなってからは、逆に自分がヒョウを倒す側になった。
襲ってきた大きいヒョウを逆に全身複雑骨折させてめちゃくちゃにした時は、さすがにゴリラの家族からも称えられたものである。
とはいえ怪力の持ち主のアイといえど、流石に自分に敵は居ないと思ってるわけではない。
ヒョウに先手を取られたら、怪力によって防御力が上がっていても爪や牙で怪我はするだろう。
だから森の中で育った感覚により、周囲への警戒は怠たっていなかった。
それでも叶恵はユキヒョウとしての超力と位置取りによって、アイを先に発見できた。
しかし、そのままにしていればいずれアイが叶恵に気がつくのも自明のことだった。
アイの目線の先には、忘れもしないヒョウの睨むような目。
二度と自分の近くに寄ってこないようにできるだけ脅かし痛めつけなければというのが、野生の中で生きてきたアイの思考だった。
――――――――
◇
――――――――
木から投げ出されて、息を殺す。
でも、相手からももう場所はわかっているだろう。
"うああああああああぁぁぁぁ!"と形容できるような叫び声。
歩みも確実に、こちらに迫ってくる。
なんで?なんで襲ってくるの!
首輪を狙ってる……!?
わからない。
刑務官の人の説明とかわからないはずでしょ!?
違うでしょたぶん!?
詳しくは知らないけど、人襲って食べるようなタイプでもないでしょ!?
――私から離して飴をあげて、看守の人が落ち着かせてたようなのは覚えてるけど。
でも、考えられる。
アイちゃんは、自分のことを狩りの対象として見てはない。
私が怖いんじゃないか。
排除したいんじゃないか。
その気持はわかる気がする。
たぶん。きっと。
それなら。
もしかしたら、戦わずに済むかもしれない。
――覚悟を決めよう。
――姿を見せる。
背中を見せたら怖い。
何かものを投げられるかもしれない。
だから、ゆっくりと。
しっかり向き合う。
足をかがめて。
優しい顔をして。
――警戒しているのか、動きを止めるアイちゃん。
姿勢は前のめりに屈めて、すぐにも襲ってきそうなままだけど。
とりあえず止まってくれた。
――アイちゃんの顔。
やっぱり。
泣くような怒ったような表情。
気持ちはちゃんとわからないけれど。
でも、私は貴方に何もしたくない。
だから。
――ゆっくり、足の力を抜いた。
後ろに倒れていく私の身体。
飼われてる猫や犬のよくやる、無抵抗のポーズだ。
お腹側を相手に見せる。
そう。敵意のなさとか、相手をなだめるためとか、
甘えたいときとか。
昔、家族の前でもよくやってたけどね。
――相手の顔はよく見えなくなった。
とにかく。
私は君と戦うつもりはないって。
どうにか伝わって。
「大丈夫だよ。
アイちゃん。
大丈夫だから」
ミャアンと柔らかい声も出してみる。
お願い、わかって。
「うああああああああぁぁぁぁ!」
飛びかかってくるアイちゃん。
怖い。
でも、大丈夫。
受け止めなきゃ。
攻撃を食らっちゃったらもちろん危ないだろうけど。
避けてもいいけど、逃げてはいけない。
――お腹に衝撃。
マウントポジションのように私に馬乗りになるアイちゃん。
息が。できない。
短く途切れ途切れに叫びながら、体重をかけてくる。
私のもちっとしたお腹の上で跳ねるように。
そこに怪力が重なって――。
苦しくても。何とか笑顔を。
爪は見せないようにして、手を垂らして。
腕が、伸びてくる。
首かな?
揺らされたら、脳震盪で済むのかな。
さすがに、タイミングを合わせて背筋の力で頑張って逃げるしかないかな。
…………
手が止まった。
助かった?
顔をよく見る。目線は顔じゃなくて身体に向けられてる。
――――あっ。
服を掴まれた。
あっ――――引っ張らないで。
プチプチと、服のプラスチックのボタンが弾け飛んでいった。
肌着が顕になっていく。
そうして――私の胸を見つめるアイちゃん。
どういうこと?
あっ、ひっ。
腕が胸に!
触られてる。
何でこんなことするの?
わからない。わからない。
自分で触るくらいしかしたことないのに。
不快というより、本当に意図がわからない。
まるで本物か試すかのように。
一通り触られていく。
やめてとかは言わない。言えない。
とりあえずそうしておけば、危険がなさそうだから。
私はそのままにする。
なんでだろう。
お母さんに甘えたいのかな?
そんなことあるのかな?
野生だと見たことないから気になるのかな?
わからない。
――考えてる間に、いつの間にか手は離れていた。
"うあ?あい?"と形容するような声で、考えるような仕草をするアイちゃん。
わからないけれど――とりあえず攻撃する気は今はなくなったらしい。
そうこうしてるうちに、私の首に目をやるアイちゃん。
首――首輪、あるよね。
私にあるけど、アイちゃんにも小さい首輪がちゃんとついてる。
それはアイちゃんがこの殺し合いの参加者としてしっかり選ばれてしまっていることも示してる。
やっぱり……かわいそう。
すると……。
あっ、やめて!
アイちゃんが、自分の首にも首輪がついてることを思い出したかのように。
首輪を握り始めた。
そして、すごい力を入れてる。
たぶん、外そうとしてる。
「あ、あっ!!ダメだよ!!」
止めなきゃ。
首輪には爆弾が入ってる。
下手したら爆発するかもしれない。
でも、私には無理やりそれを止めさせる力はない。
どうにか、伝えなきゃ。
「壊しちゃだめなの。
お願い、聞いて?
私も外せないの」
話が通じないのは分かってる。
でも、何とか伝えなきゃ。
ジェスチャーを加える。
私も自分の首輪を握って。
「首輪、パキって壊すと、ドカンって爆発しちゃうの。
パキってやるとドカンって。
死んじゃうかもしれないの」
必死に伝える。
手を使って、表情を変えて、首を動かして、必死に。
お願いだから……。
やがて、アイちゃんが諦めた。
疲れてやめたのか、外せないってわかったのか。
私の言うことは伝わったのかな……。
"あうぅぅ"と、諦めたような疲れたような声。
とりあえず、落ち着いたみたい。
どうしよう。
言うことを聞かせるなんて、できるんだろうか。
とりあえず、時間を持たせよう。
何されるかわかんないもん。
私って子供の頃何が好きだったっけ?
みんなにどんなことされてたっけ?
そうだ、こんなの……。
「ほらっ、肉球!やわこいぞ!
ぷにぷにしてるぞっ!」
手の肉球をアイちゃんの方に向けて、もう片方の手で触りだす。
子供の頃、お兄ちゃんもお姉ちゃんもよく触ってきてたっけ。
学校でも触らせてって結構言われてた。
アイちゃんは……。
ちょっと驚いたように見えたけど。
やがて、手を伸ばして。
触りだし始める。
大丈夫だった。
そこに、怪力はなかった。
ああ、やっぱり子供なんだなあ。
「ふふっ、柔らかいでしょ?
アイちゃん?
私、叶恵。カナちゃんって呼ばれてた。
カ・ナ。わたし」
アイちゃんは話を聞いているのかわからないけど、触り続ける。
指の方の肉球を押す。すると爪が出し入れされる。
それが面白いのか、アイちゃんは何度も繰り返す。
最初は恐る恐るとか、興味だけというような顔だったのがだんだん嬉しそう顔になってきた。
"あいっ!あいっ!"と喋って楽しんでくれている。
よかった。
でも、これからどうしよう。
放っときたくはない。
でも、アイちゃんといっしょにいて仇を探すことはできるんだろうか。
アイちゃんは可愛らしい子供だ。
力はすごい強いけど、それでも小さい子供だ。
このままだと誰かに殺されちゃうかもしれない。
そんなとこ、想像したくない。
どうにかならないかな……。
犯罪者でも、子供が死ぬところは見たくないって人きっといるかなあ……。
そういう人を見つけて、託すしかないかなあ。
――――ああ、道は遠くなっちゃいそうだ。
私ってやっぱり、敵討ちとか向いてなかったんだろうなあ。
それでも――すごい悲しかったから。辛かったから。
誰かに任せちゃだめだとも、思ってたから。
――――とりあえず、私の上からはどいてもらいたい。
もう一つ楽しかったものがあったっけ。
そこら辺に散らばってたボタンを、空いてる方の手で2つ拾う。
そして――しっぽの先端につけて、うまく毛にめり込ませる。
尻尾を蛇のおもちゃに仕立ててみた。
どうかな?
アイちゃんの眼の前に動かす。
「ほらっ!ニョロニョロだぞっ!」
「うああああああああぁぁぁぁ!」
「ぎにゃああああああぁぁぁぁ!」
ドサザザザザザザッ!
私の身体が草や灌木をなぎ倒していく。
――――咄嗟に体を丸めた。
何が起きたの?
尻尾に痛み。
そうだ、尻尾掴まれた。
そして投げ飛ばされた。
身体が全部痛い。
太い木に当たってたら死んでたかもしれない。
獣人の能力で身体が柔らかくなかったら、咄嗟に身体を丸めてなかったら。
どこか折れてたかもしれない。
なんで……こうなっちゃうの。
わからないよ……。
まともな死に方はできないと思ってはいたけど……。
強い殺意で殺しにかかってくるなら――。
いたぶったり強姦したりしたいなら――。
支配して何か強要させたりしたいなら――。
そのほうがよかったよ、もう……。
こっちだってやりようがあるよ。
覚悟も決められるのに。
なんでぇ……。
なんでこんなわからない暴力。
なんで私が巻き込まれなきゃいけないの……。
「うっ、うっ……」
しゃくり上げてしまう。
辛い、どうしてぇ……。
どうあやせばいいの?
わからないよ……。
末っ子だもん私……。
今までずっとうまく行ってたけど。
人だって殺せるって、もう何でも大丈夫だって思ってたのに。
もう、わからないよぉ……。
泣きたいのはこっちだよぉ……。
ママ、パパ、お兄ちゃん、お姉ちゃん……。
「うっ、うっ…………。
うみゃああああああぁぁぁぁ…………。
うみゃああああああぁぁぁぁ…………」
止まらない。
アメなんてないもん……。
そんなものどこにあるのぉ……。
こんな場所で手に入れられるわけないもん……。
私だって。
思い出のクッキーバニラアイス、食べたいもん…………。
「うみゃああああああぁぁぁぁ…………。
うみゃああああああぁぁぁぁ…………」
ママ、パパ、お兄ちゃん、お姉ちゃん……。
助けてよ……。
こういうときどうすればいいの……?
わからないよぉ……。
私何もわからないよぉ…………。
尻尾が痛い。
股を通して前にやる。
抱きしめる。痛いから……。
「うみゃああああああぁぁぁぁ…………。
うみゃああああああぁぁぁぁ…………」
どうしてぇ……。
どうしてぇ……。
あ、アイちゃん……。
やめて、来ないで。
もう怖いよ……。
え?なんで?
そんなに優しそうな顔なの?
えっ?えっ?
アイちゃんが――――。
私を抱っこしてる。
「うっ、うっ…………うみゃっ…………」
背中を撫でて、くれる。
"あい、あい"と優しく語りかけて。
宥めてくれる。
どうして?どうして?
わからないよぉ……。
でも、どうしてこんなに暖かく感じるの?
「うっ、うみゃっ…………。
おね…………お姉ちゃん…………」
暖かいよ……。
私まだ子供だもん……。
お姉ちゃん…………。
――――――――
◇
――――――――
アイは――――。
相手が人間らしい言葉を口にして、自分が人間から呼ばれる名前を呼ばれたこと。
そして、服を着ていたこと。
動物のヒョウにはないはずの乳房があったこと。
それを以て、相手は動物のヒョウではないと判断した。
叶恵の努力のうちいくつかはしっかり報われた。
アフリカでいつか見た、人間から動物っぽくなる力の持ち主かととりあえずの理解を得ていた。
しかし、尻尾を蛇のように見せたことはアイの地雷だった。
大蛇もゴリラの子供の天敵であるから。
だからアイは、咄嗟に普段するように蛇を掴んで遠くへ投げ飛ばした。
それは叶恵の尻尾で。
重い感触と同時に飛んでいく叶恵を見て、やがて自分が相手を投げ飛ばしたことに気がついた。
そうして。
泣き出してしまった叶恵。
尻尾を抱きしめて泣いていて。
その姿が。
家族を思い出してる自分に重なったのか。
家族を抱きしめたい気持ちを重ねたのか。
家族に会えなくて泣いていた自分に重なったのか。
アイは――。
慈しみを持って、叶恵を抱き上げて。
あやすようにした。
やり方はわかっている。
年下の家族のゴリラたちを、いつもあやしていたから。
まるで、姉が妹をあやすように。
優しく、優しく。
――――――――
◇
――――――――
落ち着いた私。
アイちゃんは私の毛についた枝葉のゴミを、毛づくろいするように取ってくれている。
抱きしめられてた間、色々思い出してた。
私のことだけじゃなくて、アイちゃんのことも。
アフリカで日本人の乗った飛行機が墜落したニュースは、昔やってたのを運よく覚えてた。
ちょうど5年くらい前の誕生日の頃だったからかな。
一家全滅が発生したとか。
事故原因は超力犯罪じゃないかって言われたりもしてたけれど。
結局原因が明らかになることはなくて。
その生き残りがアイちゃんなのかな。
行方不明で処理されて野生児として育ったのかな。
そんなことも、アビスにいる短い間に考えてたりしてたんだっけ。
――――そうだね。
私もアイちゃんと同じなんだ。
そうなるなんて、思ってもなかったよ……。
私のほうが、家族がいなくなってから時間が経ってない。
ある意味お姉ちゃんでもあるんだ、アイちゃん。
涙に濡れた顔の毛を拭いながら、優しい顔をしてアイちゃんにお礼を言う。
「ありがとう……アイちゃん……ありがとう」
まだアイちゃんが何考えてるかとかはわからないけれど。
まだ体は痛いし怖さもあるけど。
それでも、この優しさにはお礼は言わないといけないと思った。
子供のやることだから優しくするべきだって思うけど、それ以上に私が優しくしたかった。
アイちゃんと私は、同じだから。
「そういえばアイちゃん。
"ブラッドストーク"って名前、どっかで聞いたことある?」
「あう……?あいっ!あいっ!」
わずかな手がかり。仇のコードネーム。
ふと、アイちゃんに聞いてしまう。
わからないかな……もしかしたらわかってるのかな。
まあ言葉がわからないんだから、しょうがないか。
【C-5/密林/一日目 深夜】
【アイ】
[状態]:健康
[道具]:なし
[方針]
基本.故郷のジャングルに帰りたい。
1.(……よしよし、なかないで)
2.(ここはどこだろう?)
3.(ぶらっどすとーく?ずっとむかしきいたような、わからないような……)
【氷藤 叶苗】
[状態]:尻尾に捻挫、身体全体に軽い傷や打撲、刑務服のシャツのボタンが全部取れている
[道具]:なし
[方針]
基本.家族の仇(ブラッドストーク)を探し出して仕留める。
1.アイちゃんをどうにかしなきゃ。どうしよう?
2.でも本当はこんな事してる場合じゃない。分かってるよ……頑張らないと。
※知っている手掛かりは、コードネームのブラッドストークだけです。
最終更新:2025年03月05日 09:56