アイという娘は、きっと自分と同じなのだと。
 氷藤 叶苗は、短い関わりの中で悟った。
 自分よりもずっと幼い頃から、家族をみんな失って。
 独りぼっちのまま、歩き続けている。

 アビスに収監されて、日の浅い叶苗だったけれど。
 まだ小さなアイが収容されている意味について、以前から考えていた。
 そして、彼女が“問題児”として扱われていたことも。
 叶苗には、思うところがあった。

 これは、刑務生活の中で耳に入った話だった。
 アイはアビスに入るまで、飛行機が墜落したアフリカで生活していたらしくて。
 ずっと育ってきたアフリカに、帰りたいんじゃないかって。
 だから彼女は、いつも刑務所で暴れて壁を壊したりするんじゃないかって。
 アビスから抜け出して、元の場所に戻ろうとしているんじゃないかって。
 叶苗は、そんな話を聞いていた。

 アイが“深い森”を見つめる時の、寂しげな眼差しを見て。
 以前聞いたそんな話を、叶苗は思い返していた。
 あの噂は、もしかすると本当なのではないか。
 叶苗はそう考えながら、アイについて思いを巡らせていた。

 復讐だけが、自分の生きる道。
 帰る場所も、愛する人たちも、何処にもありはしない。
 孤独な道筋だけが、果てなく広がっている。

 ――殺してきた人達の顔は、今でも夢に出てくる。
 それでも、ケジメを付けるしかなかった。
 そうしないと、きっと何も報われないまま終わってしまうから。

 けれど、他に道があるとしたら。
 自分と同じような境遇を背負う子のために。
 この身を、この命を、使えるとしたら。
 少しは家族に、胸を張っていけるのだろうか。

 ――仄暗い静寂の中で、じっと息を潜めていた。
 木々の狭間。鬱蒼とした雑草。影が生む暗闇。
 そこは、深い森の奥底。
 叶苗は暗がりの中、野生動物のように身を沈める。
 植物の合間に身体を隠し、気配を悟られぬように沈黙していた。

 獣化した肉体による五感を凝らし、“視線の先”にある光景をじっと見つめる。
 距離にして数十メートルほど離れた地点。
 三人の男達が、何かを話し合っていた。

「アイちゃん、ごめんね」

 叶苗は、気配を悟られぬように小さな声で囁く。
 アイを腕の中に抱きしめて、その口元を優しく抑えていた。
 今はちょっと静かにしてね、と諭しながら。

 最初こそ抵抗しようとしていたアイだったが。
 叶苗と共に“三人の男達”を視界に収めた途端、彼女は急に大人しくなった。
 まるで天敵の獣を目の当たりにした野生動物のように。
 アイは瞳を震えさせて――――恐怖に慄いていた。
 叶苗の腕の中で、アイは緊張と動揺に震えている。

「大丈夫、私がいるから――」

 アイを小声で宥める叶苗。
 そうして彼女は、その場で身を潜め続ける。
 アイを恐怖させる存在――黒い肌を持つ“巨漢のマフィア”の言葉に、叶苗は耳を澄ませる。

 “三人の男達”が、何か交渉を行なっているのは明白だった。
 向こうも周囲の気配を警戒しているためか、その声量は決して大きくない。
 故に叶苗はその会話の内容を部分的にしか聞き取ることが出来なかったが。

 ――“ブラッドストーク”。

 彼らが言葉を交わす中で、その名が出てきたのだ。
 叶苗が追い続けてきた、家族の仇。
 その手掛かりとなるかもしれない情報に、耳を傾け続ける。

 第六感が、何かを告げている。
 ひりつくように、脳髄を刺激し続ける。
 しかし叶苗は、それを振り払い続けた。
 目の前に置かれた機会を、彼女は逃したくなかった。

 叶苗はただ、その場をじっと監視し続ける。
 己の復讐の道標を、男達の交渉の中から手繰り寄せようとする。
 そんな中で――腕の中で震えるアイを、ちらりと見た。
 彼女を救うための術について、ふっと考えていた。




 ルーサー・キングは、92歳の老人である。
 彼が残り4年の刑期を終える頃には、100歳の手前にまで届く。
 並の人間ならば、刑期中の耄碌や獄中死へと至っても不思議ではない。
 しかし彼自身も、周囲の者達さえも、その老齢を意に介したりはしない。

 “牧師”と直に対面した経験のある裏社会の人間ならば、誰もが口を揃えて言う。
 ――“あのルーサー・キングが、たかが齢百を超えた程度で老い耄れるとは思えない”。
 ――“最低でも2、30年は君臨し続けるだろう”。
 その悪辣なる牧師は、まさしく開闢の時代が生んだ“進化した人類”の象徴だった。

 カモッラの金庫番を担う“そのギャング”もまた。
 “牧師”の脅威というものを、身を持って知る者の一人だった。

「よぉ、マルティーニ坊や。久々の顔合わせじゃねえか」

 黎明――――深い森の中。
 対峙した相手を見据えて、不敵な笑みを浮かべるキング。

 彼の視線の先に立つのは、二人の男だった。
 片方は“アビスの申し子”である亡国の王子、エネリット・サンス・ハルトナ。
 もう片方は、バレッジ・ファミリーの幹部――ディビット・マルティーニ。

「……ああ。久しぶりだな、ジジイ」

 身構えるエネリットの傍から一歩踏み出し。
 悪辣なる牧師との再会を果たしたディビットは、毒付くように吐く。
 その端正な顔は、目の前の老人への敵意と警戒によって歪んでいる。

「隣に居るのは、“アビスの申し子”か?」
「……ええ。お目に掛かれて光栄です、牧師殿」
「顔を合わせるのは初めてだな。俺も刑務官から話を聞いた程度だった」 

 そしてキングは、ディビットの傍にいる青年にも目を向けた。
 生育過程からアビスで育ってきたエネリットは、ルーサー・キングの存在も既に知っていた。
 囚人や刑務官の話を通じて、彼が巨大組織の長であることも把握している。
 故にエネリットは、気品に満ちた一礼で応えた。
 そんな彼を一瞥した後、キングは再びディビットへと視線を戻す。

 ディビットもまた、エネリットに視線を送る。
 ――ここは自分が引き受けると、目で訴えた。
 ギャング同士の対峙であるが故に、ディビットが矢面へと立つ。
 エネリットはそれを察し、無言のままに受け止めた。

「“リカルド・バレッジ”の野郎は元気か」
「檻で身動きの取れないアンタよりはな」

 ファミリーの首領(ドン)の名を口にするキング。
 まるで旧友か何かについて尋ねるような白々しい態度に、ディビットは皮肉を込めて返答する。
 その不遜な態度に対し、キングは愉快そうに口の端を吊り上げる。
 “牧師”を前にしても決して臆さぬディビットの度胸を、彼は気に入っていた。

「思えば、バレッジともそれなりに長い付き合いになったもんだ。
 お互い“一介の首領”に過ぎなかったってのに、“開闢の日”で何もかも変わっちまった」

 そうしてキングは、何処か懐かしむように言う。
 リカルド・バレッジとの因縁を振り返りながら。

 バレッジ・ファミリー。
 稀代の悪漢リカルド・バレッジが統べる組織。
 イタリア裏社会を支配する最大勢力のカモッラ。

 キングス・デイの影響力が著しい欧州において、数少ない“独立した勢力を保ち続けている犯罪組織”である。
 勢力規模そのものは、キングス・デイに一歩も二歩も劣るものの。
 イタリアに盤石の地盤を築いたファミリーは、欧州を支配する彼らの侵食を防いだのだ。
 現在は牽制と取引によって、付かず離れずの利害関係を維持している。

「15年ほど前だったか……バレッジの野郎が差し向けてきた“凄腕”には手古摺らされたぜ。
 “あらゆる殺気を察知する超力”を持つヴァイザーとかいうドイツ人の殺し屋だ」
「昔話にでも興じる気か?ムショ暮らしで“牧師”も老いたようだな」
「積み重ねてきた年季の差って奴さ、若造。てめえにゃまだ難しいだろうがな」 

 そうした関係に至るまでに、バレッジ・ファミリーとキングス・デイの間には多くの確執があった。
 現在は表立った敵対や抗争こそ避けているものの、水面下での駆け引きは今なお続いている。

「で、その“牧師”ともあろう者が――随分と見窄らしい出で立ちで現れたもんだ。
 年甲斐もなく泥遊びの帰りか?それとも、錆びた鉄屑にでもなりたくなったか」
「ハッ、相変わらず生意気な口を利く小僧だ。
 だが、てめえのそういう気骨は嫌いじゃねえぜ」

 互いにふてぶてしく言葉を交わし合うギャング達。
 やがてキングは、そんなディビットを見据えて。

「折角の機会だ。ちょいと話がしたい」

 暫しの間を置いた後に、口を開いた。
 怪訝な表情を見せるディビットに対し、キングは言葉を続ける。


「“殺し”を引き受けないか」


 そうしてキングは、ディビット達に告げる。
 血で血を拭う命懸けの競争を求められる舞台で。
 牧師は普段通りに、何てこともなしに“殺しの依頼”を持ちかけた。

「名簿に目を通し、5人ほど標的を絞った。
 ヴァイスマンの指図はいけ好かねえが、機会は有効に使わせて貰うことにした」

 表情を歪めたディビット。
 意表を突かれるように目を見開くエネリット。
 二人からの視線を向けられながら、キングは淡々と語る。

「この島で24時間の内に5人も探し出して殺せ、と?」
「こんな状況だ、必ず全員消せとまでは言わねえさ。
 一人でも始末すれば、それに応じて刑務後に報酬を支払う」

 標的は5人――その言葉に疑念を投げるように、ディビットは問いかける。
 対してキングは、現実的な範囲での譲歩を伝える。
 全員の抹殺までは求めず、あくまで“可能な限りの遂行”を依頼した。
 故に一人でも殺害に成功すれば、その成果に対して報酬を与える。

「……何故バレッジ・ファミリーの俺にそんな話を?」
「商売という点で、てめえは信用できるからだ」

 睨み付けるようなディビットの眼差しに、キングはあくまで余裕を持った態度で答える。

「手っ取り早い暴力や狂気をこれ見よがしにひけらかす。
 今の時代、そんな下らねえことを“威厳”と勘違いした連中が腐るほどいる。
 それに対して、てめえは“力”ってモンをちゃんと理解してる」

 表情を顰め、憂うように呟くキング。
 彼が呟く“力”という言葉に対し、ディビットは己の見解について振り返る。
 それは未だ娑婆にいた頃、10年近く前――キングという男と初めて対面した時にも経験した問答だった。

「……“力”というのは、根を張ること。そして“仕組み”を掌握することだろう」
「そうだ。だから俺はてめえを買ってるんだぜ、マルティーニ」

 それを理解できる“優秀な男”だからこそ、自分はお前にビジネスを吹っ掛けているのだと。
 キングはそう告げるかのようにディビットを見据え、再び依頼の話へと戻っていく。

「報酬は一人につき15万ユーロ。すぐ動かせる額なんでな、安上がりだが大目に見てくれ。
 刑務後に俺の弁護士を通じて金銭を用意させる。てめえ個人の口座でも、ファミリーの口座でも対応する」

 “折半したいなら二人で好きなように相談し合うといい”と、キングは付け加える。
 そしてキングは立て続けに、依頼の条件を並べていく。

「それと――俺とリカルドが、フランスとの国境付近の“歓楽街”の利権で揉めてたろう。
 殺しの標的を3人以上仕留められた場合、その利権争いから手を引いてやる」

 その一言を聞いて、ディビットの表情が動いた。
 眉間の皺がぴくりと歪む。今にも舌打ちをしかねない程の苛立ちを滲ませる。
 それでもディビットは、あくまで形だけでも平静を装う。
 キングに対して過度な隙を見せることを極力回避する。

 この刑務をデスゲームと見做した場合、極めて特異な要素とは何なのか。
 それは必ずしも最後の一人になる必要がないこと、そして刑務自体が外部の社会と地続きに成り立っていることだ。

 “未知の異空間に閉じ込められ、正体不明の黒幕が殺し合いを言い渡した”――そんな作劇でお決まりの状況とは異なる。
 故に複数名の生存を前提にした取引が成立し、更には盤外における自らの地盤を手札として用いることが出来る。

 そして受刑者達は、刑期に応じた恩赦ポイントが割り振られている。
 故に凶悪犯ほどポイントが高く、他の受刑者からも狙われやすくなる。
 しかし――刑期はあくまで刑期。その受刑者の実力を示すステータスでは決して無い。

 つまり“刑期の短い圧倒的な実力者”が存在する場合、わざわざその受刑者を狙いに行く旨味は格段に落ちる。
 とうの本人からすれば、それは自らの身を守る強力な盾となりうるのだ。

 ルーサー・キングは、それらの強みを理解していた。
 だからこそ彼は、それを躊躇なく利用した。
 その実力に対し、刑期はたったの10年。
 下手に狙われにくいからこそ、地盤を利用して自分の方から悠々と攻勢に出られるのだ。

「依頼遂行の確認時刻と合流場所は承諾時に追って伝える。
 証拠はデジタルウォッチの“回収履歴”で検めさせて貰う。恩赦ポイントはてめえらで好きに使うといい。
 可能ならば首輪の現物も回収しておいてくれ。形ある証も出来れば欲しいんでね」

 デジタルウォッチには、ポイントの増減を確認する“履歴機能”が存在する。
 どの受刑者の首輪からポイントを回収したのか、後から閲覧することが出来るのである。
 首輪の現物も念の為として求めたのは、首輪には装着者を識別する名前と囚人番号が刻まれている為だった。
 キングは殺しの証としてポイント回収の履歴確認を条件とし、可能ならば首輪の用意も求めた。

 ――逆を言えば“それ以上の証拠は求めない、大目に見てやる”という話だった。
 つまり直接手を下さずに首輪を奪い取るという行為でも、キングは依頼達成を認めることになる。

 それは意図的な抜け道を与えることで、相手に自身の要求を飲ませ易くするためだった。
 ルーサー・キングには余裕がある。この依頼が失敗したとしても、彼自身には大した痛手がない。
 しかし依頼が遂行されたならば、刑務という題目によって面倒な相手を排除できることになる。

 キングという男は、富と権力を欲しいがままにする大悪漢だ。
 多少の出費程度であれば、悠々と許容できるだけの懐が存在する。

「報酬が正しく支払われる確証は」

 では、依頼遂行後に“報酬”が支払われる証はあるのか。
 目を細めて、ディビットは問い質す。

「俺が生き延びることだ」

 対するキングは、至極当然の如くそう言い放った。
 あまりにも不遜。あまりにも傲岸。
 にも関わらず、その言葉には異様な説得力が伴っていた。
 ――己はこの刑務から生還する。故に取引の話は有耶無耶になどしないし、約束は当然守る。
 そう言わんばかりに、彼は答えたのだ。

「それと」

 更にキングは、付け加えるように言葉を続ける。

「てめえの超力が既に証明してるだろう。
 この俺はハッタリなど言ってねえ、と」

 ――ディビットの思考を見抜くように、キングはそう突きつけた。
 それはまさしく図星だった。彼は自らの超力を用いて、既に“洞察力”を4倍まで引き上げていた。
 その代償として聴力の低下が発生しているものの、取引を行うには十分な域は保てている。

 ディビットは倍加した洞察力によって、キングの所作を監視していた。
 相手の言葉に嘘偽りは無いか。僅かな機敏から、欺瞞の痕跡が見え隠れしていないか。
 彼はそうやって取引相手を観察し、虚偽を見抜くことが出来た。

 そしてディビットは読み解く。
 キングの言葉には、嘘もハッタリも無かった。
 彼は本気でこの取引を持ち掛け、成功の暁には報酬を支払う気でいる。

 バレッジ・ファミリーとの因縁を持つキングは、ディビットの超力も既に把握している。
 彼の優秀さを逆に利用することで、自らの言葉の説得力を担保させたのだ。

「……なら聞かせろ。その5人ってのは誰だ」

 ディビットは不服な表情で、キングへと問い掛ける。
 現状に対する判断を進めるべく、その依頼についての詳細を紐解いていく。
 キングは勘定を続けるように、自らが洗い出した“標的”について説明する。

「1人目は“怪盗ヘルメス”、ルメス=ヘインヴェラート」

 かの“怪盗”による盗み――義賊行為は、キングス・デイの傘下にも被害を与えている。
 そして彼女が何かしらの大きなヤマを掴んでいるという噂をキングは把握していた。
 それがGPAを揺さぶるネタになるのならまだしも、余計な火種が生まれるリスクの方が厄介だと判断した。
 あのような鼠を生かしておくことは、キングにとって後々の面倒事に繋がりかねない。

「2人目は『アイアンハート』のリーダー、ネイ・ローマン。てめえも知ってるだろう」

 ルーサー・キングの首を獲りたがってるであろう若きストリートギャング。
 その青年は、キングの傘下が面倒を見ている『イースターズ』とも抗争している。
 キングにとっては取るに足らない野良犬だが、十中八九相手側もこの場で命を狙ってくるだろう。
 故にここで潰しておくのが懸命と判断した。

 ――何故スプリング・ローズの一味は、イエス・キリストの復活祭を意味する“イースター”を名乗っているのか。
 彼女が率いるストリートギャングの後ろ盾となってその組織名を与えたのは、“牧師”の傘下として麻薬売買を仕切るマフィアだったからだ。

 表向きは“春の薔薇”という名を持つスプリング・ローズに因み、春の祝祭を意味する名として。
 実態としては、彼女達が“牧師”の支配下に置かれている証として。
 それ故に彼女達は『イースターズ』という名を冠している。

「3人目、“フランスの聖女”ことジャンヌ・ストラスブール」

 この刑務において真っ先に交戦した相手。
 そして反抗勢力と共に、キングの巨大犯罪組織と戦い続けてきた聖女。
 既に手は打ったが、ドン・エルグランドが必ずしも義理を果たすとは限らない。
 だからこそ念を入れて、標的としてその名を並べた。

「4人目は、ブラッドストークとかいう野郎だ。
 名は確か、恵波 流都だったな」

 その名を聞き、ディビットは意外そうに目を細める。
 ブラッドストーク。日本における犯罪組織の幹部であり、その悪名は裏社会を通じてディビットの耳にも届いている。
 しかし彼は欧州との関わりは薄く、キングス・デイと表立って敵対している訳でもない。

「……あの男か。あんたとは関わりも薄いだろう」
「あいつは腹に何か抱えてやがる」

 故にディビットは疑問を投げかける。
 キングは眉間に皺を寄せ、仏頂面でそう答えた。
 まるで“アレを生かせば面倒になる”と見抜いたかのように。

「小賢しい蝙蝠は、消すに限るのさ」

 そうしてキングは、丁度いい機会と言わんばかりの笑みを浮かべた。
 そんな彼を、ディビットは変わらず忌々しげに見つめる。

「そして、最後の5人目」

 それからキングは、一呼吸の間を置き。

「――――エンダ・Y・カクレヤマ」

 その名を、ゆっくりと呟く。
 ヤマオリ・カルトの“最大組織”。
 その聖なる巫女として崇められた少女。

 世界各国にて乱立し、既存の宗教を淘汰する勢いで成長した“新興宗教”。
 それほどまでの影響力を持つヤマオリの中でも屈指の大規模組織を、欧州の支配者が把握していない筈が無かった。
 そしてその“飾り巫女”として崇められていた少女の名も、彼は知っていた。

 刑務開始時に名簿を確認した際、キングは少なからず驚かされた。
 何故ならば――エンダがアビスに投獄されていたという情報は、これまで一切耳に入ってこなかったからだ。

 アビスの囚人の中でも世界規模の危険度を持ち、その存在を徹底的に秘匿されているという『秘匿受刑者』。
 その存在はキングも噂には聞いていたが、彼であっても全貌を掴むことが出来なかった。
 故にエンダがアビスに投獄されていたことも、今回の刑務によって初めて把握したのだ。

 ヤマオリ・カルトは千差万別。
 小規模の寄り合いに過ぎない場合もあれば、大規模なテロ集団に等しい破壊的組織を形成することもある。
 かの最大勢力の支柱であった巫女が外界へと解き放たれれば、また“あの規模”のヤマオリ・カルトが生まれる危険性がある。
 ルーサー・キングにとっては、5人の標的の中でもある意味で最も警戒すべき存在だった。

「この5人以外にも目ぼしい奴を殺した場合、合流の際に好きに報告してくれ。
 相手によっちゃ追加の報酬をくれてやる」

 そうしてキングは、補足するように付け加える。
 例え他の相手を仕留めた場合でも、その人物次第では更なる報酬も視野に入れる。
 悪辣なる牧師は、ヒットマンへの更なる行動を促す条件を伝える。 

「前払金は、俺の超力で生み出した武器の提供」

 キングは右手をすっと動かし――その掌に鋼鉄を生成。
 それから瞬時に鋼鉄を変形させ、刀剣や鈍器の形状へと次々に変えてみせる。
 ルーサー・キングの超力。キングス・デイの超力による武装化を逸早く成立させた、伝家の宝刀と呼べる異能。
 ディビット達にそれを改めて示した後、鋼鉄を一旦消滅させる。

 それから、キングは懐のポケットに手を伸ばし。
 ある意味でディビットが最も求めるであろう“前金”を突きつけた。

「そして、この葉巻さ。禁煙生活は長かったろう?」

 ディビットは沈黙の中で、苛立ちを滲ませていた。
 これ見よがしに見せつけられた“葉巻”を前に、彼は屈辱を押し殺すように奥歯を噛み締める。
 ルーサー・キングが盤外の力関係を持ち出したことで、場の主導権を完全に支配された。

 5人の受刑者の殺害依頼。
 怪盗、ルメス=ヘインヴェラート。
 悪童、ネイ・ローマン。
 聖女、ジャンヌ・ストラスブール。
 暗躍者、恵波流都。
 巫女、エンダ・Y・カクレヤマ。

 1人の殺害達成につき15万ユーロの報酬。
 3人以上の殺害でイタリア・フランス国境付近の“歓楽街”の利権譲渡。
 この標的以外にも目ぼしい対象を殺害した場合、追加の報酬も視野に入れる。

 殺害の証拠はデジタルウォッチの“ポイント履歴”、および首輪現物の確認による。
 逆を言えば、それ以上の証は求めない。あくまで働きの証明に報酬を与える。
 恩赦ポイントはディビットとエネリットで自由に使用可能。
 事前の前払金として、武器と葉巻の提供が約束される。


「――――さあ、答えを聞こうか」


 そして、圧を与えるように。
 ルーサー・キングは、不敵な笑みと共に告げた。

 ディビットは考える――取引自体は、間違いなく利益に値する。
 ヴァイスマンの言う“恩赦”は、決して確信できない。
 しかしキングは対価を滞りなく支払うことを、嘘偽りなく約束している。
 仮にこの依頼が成功した場合、キングの側こそ多くを支払うことになる。
 失敗したとしても、ディビットの側は何ら代償を約束されていない。

 キングとて依頼が未遂に終わったとしても、ゼロがゼロのまま留まるだけ。
 事態がマイナスへと転じるような痛手を負う訳ではない。
 余計な敵を増やすリスクはあるとはいえ、キングは元より多数の者達から命を狙われている。
 そんな有象無象が増えたところで、彼は意にも介さない。

 その上でディビットは、躊躇っていた。
 この取引に乗ることに対し、踏み留まっていた。
 何故ならばこのカモッラの幹部は、眼の前の老人と取引することの意味を理解していたからだ。


 ルーサー・キングと取引をする。
 つまり“あの”牧師と、貸し借りを作るのだ。


 ――――どうする。
 ディビットは、苛立ちの中で思考を繰り返す。

 始まりは穏便に済んだとしても、問題はその後だ。
 この男は“貸し借り”や“恩義”などを口実に、多くの者達を自らの懐に引きずり込んできた。
 表向きは好意的な利害関係を結びながら、自らの権威によって相手を侵食し支配する。
 この老人のそうした手口を、ディビットは知らない筈がなかった。

 故にどれだけ優位な条件の取引であったとしても、警戒を抱かぬ筈がない。
 エネリットと結んだ“対等の契約関係”とは違う。
 パワーバランスという意味で、相手側が優位に立っているのだ。
 それでも彼が葛藤せざるを得なかったのは、“フランス国境付近の歓楽街”の利権争いが膠着状態に陥っていたからだ。

 治安悪化の著しい欧州において、その都市は富裕層が集う”安全な保養地”である。
 かつては観光地だった時代の名残として、数々の上流階級が避難先として居座っている。
 その土地は金を生む。故にバレッジの首領(ドン)は紛れもなく商売の利権を欲していた。
 そしてキングは、たかが数人程度の殺しでその利権争いから手を引くと言っているのだ。

 ルーサー・キングの強さとは何なのか。
 それはリソースに圧倒的な余裕があることだ。
 彼の地盤は既に盤石であるからこそ、多少の利益も切り捨てられる。
 そして切り捨てた利益を、交渉の手札として利用することが出来る。

 バレッジ・ファミリーとてイタリア一帯を支配する大組織である。
 しかし欧州の大半を掌握するキングス・デイと比べれば、確固たる地力の差があるのだ。

 此処でディビットが受け入れれば即席の武器を確保でき、成果次第では明確な利益を得られる。
 合理性という点で、それ自体は得なのだ。
 されど“あのキングとの取引を飲む”という判断自体が予測不能なリスクを生む。
 仮に24時間を生き抜いたとして、その後に“刑務でのよしみ”を口実に如何なる要求を吹っ掛けてきても不思議ではない。

 そうして相手を自らの懐に引きずり込めれば良し。
 仮に相手が反発するなら、面子や義理への裏切りを口実にして潰しに掛かる。
 それがルーサー・キングという男だ。
 この牧師は、根っからのヤクザだ。

 今の彼は、自らの超力によって頭脳を四倍に引き上げている。
 その思考が導き出す答えは“取引を受け入れるべきではない”。
 だが、本当にそれで正しいのか。
 博打を受け入れてでも、組のための利益を掴み取るべきではないのか。

 葛藤と焦燥の狭間で、彼は歯軋りをする。
 カモッラの強かなる金庫番は、瀬戸際に立たされる――。


「――――そこの貴方達!!」


 その矢先のことだった。
 交渉を無言で見守っていたエネリットが、唐突に口を開いた。
 彼は明後日の方角へと視線を向けて、声を放っていた。


「先程から覗き見ているようですが――」


 キングという怪物との駆け引きに臨むうえで、ディビットは“第三者への警戒”にリソースを割くことは出来なかった。
 故に一歩引いた立ち位置に居るエネリットが“見張り役”を務めることを、事前のアイコンタクトによって無言のままに求めていた。
 そして現状を俯瞰していたエネリットはディビットの意図を理解し、周囲の気配への警戒を絶えず行っていた。


「そろそろ、顔をお見せしたらどうですか!?」


 この場を覗き見る第三者の存在に気付いたエネリットは、文字通り”一石を投じた“。
 物心ついた時から犯罪者同士の遣り取りを見てきたエネリットには、その駆け引きの機敏を理解することが出来た。

 大悪党ルーサー・キングによって完全に主導権を握られた交渉のテーブル。
 それがディビットを追い込む大きなリスクであることを、エネリットは察したのだ。
 故に彼は静観を続ける第三者を巻き込み、場に引きずり出すことで取引の破綻を狙った。

 乾坤一擲の利益を狙うことよりも、長期的な懸念を回避することこそがディビット・マルティーニの望むところだろう。
 アビスの申し子であり、信頼関係によって自らの超力を機能させるエネリットは、逸れ者に対する鋭い洞察力を備えている。

 そしてエネリットの目論見は、果たされることになる。
 望み通りに。いや、望み通りに行きすぎた形で。


「ちょっと――――アイちゃんっ!!!!」


 物陰から、咄嗟に呼び掛けるような声が聞こえた。
 焦りと動揺を滲ませるように、その女の声は場に響いた。


「うあああああああぁぁぁぁぁぁ――――――っ!!!!!!」


 そして、次の瞬間。
 子供の癇癪のような絶叫が轟いた。
 鼓膜を震わせるように甲高く、けたたましく。
 その叫びは、交渉の場である夜の森に木霊した。

 限界に達した恐怖と緊張を解き放つように。
 幼い声は、瞬く間に風を震わせた。
 まるで災害の如く、地響きが轟いた。


 ――――それから、間もなく。
 ――――木々が吹き飛び、大地が抉られた。
 ――――嵐が、突き抜けたのだ。


 唐突にエネリットに呼び掛けられたことに動揺し、アイは叶苗の拘束を振り切って飛び出した。
 ただでさえルーサー・キングの威圧感に気押されていたアイは、自らの存在を悟られたことで冷静さを失った。
 彼女は己の身を守るために、半ば反射的に自らの超力を発動したのだ。
 幼き少女の叫び声が、暴風にも似た衝撃波となってその場を襲う。

 全員が、咄嗟に動いた。
 氷藤 叶苗は、暴れるアイを止めるべく必死に駆け出した。
 ディビット・マルティーニは、即座に脚力を倍化して地面を蹴った。
 エネリット・サンス・ハルトナは、鋼鉄化した髪を使役して防御と回避を試みた。
 ルーサー・キングは、左手を突き出して鋼鉄の防壁を展開した。

 アイの超力は、怪力の行使。
 自身と対象の体格に差があるほど、超人的な身体能力を発揮できる。
 10cm差があれば大人を投げ飛ばす。
 30cm差があれば岩をも容易く砕く。
 50cm差があれば鋼鉄の壁さえも穿つ。

 アイは本能的な“恐怖の対象”であるキングを狙い、攻撃を放った。
 両者の体格差は、90cm超。
 即ち、その超力のポテンシャルを最大限に引き出すことが出来る。
 故にその強化の幅は、もはや純粋な物理攻撃のみに留まらない。
 ただの咆哮さえも巨大な衝撃波と化すのだ。

 彼女の吼えるような絶叫は――――交渉の舞台を、力任せに吹き飛ばした。




 ディビットとエネリットは、先程の“衝撃波”から命辛々に逃れた。
 森を抜けて、平野を駆けるように移動していた。
 エネリットは幾らかダメージを受けたものの、辛うじて手傷は避けられた。

「――悪かったな。助かった」
「お気になさらず。同盟相手ですから」

 両者は先程の一件を振り返りながら、言葉を交わし合う。
 ルーサー・キングの圧倒的な地力に、ディビットは間違いなく飲まれかけていた。
 そんな中でエネリットが援護を挟んだことで交渉のテーブルが破綻した。
 結果としてディビットは、あの場を有耶無耶にして撤退する隙を得られたのである。

「あの“牧師”との取引に飲まれることは、貴方とて不本意だったのでしょう?」
「……そうだな。あの男は約束こそ守るが、そいつを徹底的に利用してくる」

 先の状況を適切に読み、行動に出たエネリット。
 それは間違いなくディビットが窮地を切り抜けるきっかけとなった。
 ルーサー・キングは約束を裏切らない。そう、裏切りはしないのだ。
 その代わり、そうした約束で得られた義理や貸し借りを武器にして容赦無く相手を搾取する。

 “フランス国境付近の歓楽街”の利権を得られないことは損失と言えるものの。
 それ以上に、あの“牧師”からの離脱を果たせたことは大きかった。

「割り込んできたガキは……噂に聞く“リトル・ターザン”か」
「ええ、あの“アイ”でしょうね。彼女が起こした騒ぎは、僕も何度か耳にしています」

 あの突き抜ける“嵐”から逃れた二人は、その力を行使した張本人を振り返る。
 僅かな合間の交錯でしかなかったが、あの破壊力と小さく幼い出立ちからすぐに合点が入った。

 アビスという特殊環境の刑務所は、通常の刑事施設とは異なる要素を持つ。
 すなわち“制御不能、処罰不能の超力使いが送られる収容所”という側面だ。
 そうした者達の中には、一般的な刑罰では裁けない“社会不適合の幼少者”が少なからず混じる。

 そして15年前、当時2歳の幼子だったエネリットが半ば厄介送り同然に収監された。
 その件を皮切りに、アビスには制御困難な“幼年層のネイティブ”が送り込まれるようになった。
 “空間対象型”の超力を持つメアリー・エバンスなどは、その典型と呼べる存在である。

 そんな幼き収監者達の中でも、特に“問題児”とされていたのがあのアイだった。
 彼女が引き起こした破壊と暴走の数々は、他の受刑者達の間でも度々語られている。

 幼き頃からアビスで育ち、アビスのみが世界だったエネリット。
 何処にも行き着く場が無く、幼くして“鉄格子に覆われた監獄”のみを生きる世界とする。
 彼にとって幼年の収監者達は、ある意味で“過去の自分”を想起させる存在だった。
 それ故に、アイに対して思うところを抱く部分もあったが――。

「彼女には暫く、“牧師”を足止めして貰いましょう」

 エネリットはあくまで、彼女を利用する。
 足止め役、囮役。そんな役割をアイに押し付け、自分達は逃走に徹する。
 王族としての気品を備えるエネリットは、物腰柔らかな態度ではあるものの。
 幼き日よりアビスで育ったが故に、冷徹かつ強かな判断を躊躇わない。
 仮にアイがあの場で犠牲になろうとも、エネリットはあくまで自己の生存を優先する。

 ディビットは、そんな彼を一瞥して無言で頷きつつ。
 あの場に取り残された“少女たち”を、ほんの微かに憐れむ。

 交渉の場を覗き見ていたのは、アイだけではなかった。
 飛び出したアイを呼び止めようとした女の声――。
 ディビット達は、その女の姿を一瞬だけ目にしていた。

 白い雪豹のような姿をした獣人。恐らく常時発動型か。
 亜人と化す超力を持つ者は、その容貌だけでも酷く目立つ。
 犯罪者ともなれば尚更のことだが、あのような姿をした悪党の存在は裏社会でも耳にしなかった。
 恐らくは何処の組織にも属していない野良犬の犯罪者。
 そして彼女の噂を聞かなかったことから、裏社会との接点も薄いのだろう。

 ディビットに抗える余地が生まれたのは、ひとえに彼もまたギャングであったから。
 ルーサー・キングという男の脅威を、正しく理解していたから。
 仮に凡百の犯罪者が“牧師”と対峙することになったら、一体どうなる?

 ディビットも、エネリットも、理解していた。
 あの場に割り込んだ新手が、無事で済む確証などない。


【C-6/平野/1日目・黎明】
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:鼻と胸に傷、衝撃波での身体的ダメージ(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.標的を探す
2.ディビットの信頼を得る
※刑務官『マーガレット・ステイン』の超力『鉄の女』が【徴収】により使用可能です
 現在の信頼度は80%であるため40%の再現率となります。【徴収】が対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。

【ディビット・マルティーニ】
[状態]:苛立ち
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを稼ぐ
1.恩赦Pを獲得してタバコを買いたい
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.あのジジイ……。




 周囲一帯の木々は薙ぎ倒され。
 雑草は愚か、地面も抉り取られ。
 辺りには、鋼鉄の残骸が散乱している。

 たった一人の少女が、嵐の如き暴威を行使した。
 アイという野生児は、森の一角を荒地へと変貌させた。

 キングは、左腕から微かに血を流す。
 紅い血を滴らせ、地面を仄かに汚していく。
 ――左拳を閉じて、開いて、行動に支障が無いことを確認する。

 鋼鉄の壁を以てしてもアイの一撃は防ぎ切れず、“帝王”に傷を与えたのだ。
 紛れもなく脅威的な怪力。異常と呼べる程の凄まじき膂力。
 単純なパワーという点で、アイは受刑者の中でも屈指の存在だった。

 それでも尚、彼女の強さはあくまで力任せの超力に依存する部分が大きい。
 密林での生活を送り続けていたとはいえ、戦闘者としての技量は決して高くはない。

「全く、大したお嬢ちゃんだ。
 アーニー・シェーバースみてえな怪力だな」

 故にアイは、ルーサー・キングという怪物を前にして地に伏せることになる。
 キングの“鉄拳”による反撃を受けたアイは、手傷を負って地面に横たわっていた。
 彼女の首元には、地面から生成された複数の“鋼鉄の刃”が突き付けられている。
 一歩でも動けば、即座に刃がアイの首筋を穿つだろう。

 絶体絶命に陥った少女を庇うように、もう一人の女がキングを睨み付ける。
 雪豹に似た、白い獣の容貌をしていた。
 常時発動型、亜人型の超力。キングも何度か目にしたことがあった。
 その亜人の女――氷藤 叶苗は鋭い爪を構えて、精一杯の意地で“牧師”を威嚇する。 

 “小遣い”でも稼いで、服を拵えることも考えたが。
 キングは、焦燥の表情で睨み付けてくる獣人の女を一瞥した。

 ――ま、暫くはガキの頃を思い出すとしよう。
 米国での“貧しい幼少期”を振り返りながら、キングは服を後回しにすることにした。
 服のためにポイントを稼ぐよりは、制圧した少女を使った方が良いと思ったからだ。

「その子に、手を出さないで」

 亜人の女が、キングへとあからさまな警告をする。
 制圧されたアイを守るように、焦燥と共に威嚇を行う。
 爪を構えて、きっと刃のような視線を向ける。
 そんな叶苗の気骨を買うように、キングは不敵な笑みを浮かべる。

 ひりつくような緊張が続く。
 沈黙。静寂。睨み合いのような状況。
 されどキングはあくまで悠々と構え、叶苗は必死に気を張って対峙し続けている。
 呼吸を整えて、何とか平静を保つ叶苗。
 やがて膠着状態を解くように、彼女は意を決して口を開いた。

「あなた……“牧師”でしょ?」
「ああ。そう呼ばれてる」
「さっきの話、聞いてたけど」

 内容の全てを聞き取れた訳ではないとは言え。
 キング達が“殺しの取引”をしていたことは理解できた。

「取引、まだ受理されてないよね」

 その標的の中に――“家族の仇”の名前が存在していた。
 叶苗があの取引を監視し続けたのは、そのためだった。

 家族の命を奪った凄惨な強盗事件。
 その黒幕として裏で糸を引いていた復讐相手。
 そんな怨敵の存在が、まさにあの場で言及されたのだ。
 恵波 流都――その真の名も知ることになった。

「私は“ブラッドストーク”を追っている。
 あいつは、家族の仇だから」

 エネリットの一声によってアイが暴走し、あの場での取引は破綻した。
 だからこそ、その隙間に叶苗が入り込む余地が生まれた。
 ブラッドストークを討つ機会を、自らが掴み取る。
 そして――仇討ちを取引の材料とすることで、自分一人では不可能な“目的”を果たす。

 “牧師”、ルーサー・キング。
 その悪名と権威は、裏社会に詳しくない叶苗でも知るほどだった。
 曰く、欧州の政治家や警察を支配しているとか。
 曰く、彼の指示一つで社会が動き出すとか。
 朧げな噂の中でも、その強大な力は耳に入った。

 だからこそ、叶苗は取引を試みた。
 “帰る場所”を求めているアイを救うために。

 仮にアイが、恩赦で外に出られたとしても。
 ただ社会に放り出されるだけでは、この子は決して報われない。
 右も左も分からず、社会に適応する術も持たないのだから。
 もしも再び騒動を起こしてしまえば、最悪の場合“出戻り”も有り得る。

 アイはきっと、帰るべき場所に飢えている。
 元いたところへ帰りたがってるから、ずっと暴れていた。
 このアビスという檻を壊そうと、もがき続けていたのだと。
 短い関わりの中で、叶苗は悟ったのだ。

「私は金銭は求めない。あくまで復讐だけが目的。
 だからブラッドストークのことは、私が引き受ける」

 だからこそアイの安全を保障し、帰るべき場所へと送り届ける“手助け”が必要だった。
 それはただ一人の復讐者に過ぎない叶苗ひとりの力では決して出来ない。

「その見返りとして、私も貴方に頼みたい」

 しかし欧州一帯を支配する組織の長ならば、それが可能だと考えた。
 先程の取引を見て、叶苗はキングの危険性を理解しながらも――“利害関係”を結べる余地があると踏んだ。

「もしもこの子……アイが恩赦で外に出られたとき。
 身の安全と、元いた場所に帰れる保証をしてあげてほしい」

 アビスに、アイを守る義理はない。
 しかし眼の前の“牧師”は、取引次第でアイを守ってくれる余地がある。
 ビジネスさえ成立すれば、味方になってくれる可能性がある。
 叶苗はそう考えた。悪党であるからこそ、相手側には損得勘定という基準がある。

 復讐以外に、自分の生きる価値はないと思っていた。
 今でもきっと、その思いは変わらない。
 だから、せめて。誰かの生きる価値は守りたかった。
 自分と同じような孤独を背負う子供の為に、自分の命を使いたかった。

「だから――――」
「ああ。助かるぜ、嬢ちゃん」

 そうして叶苗は、その先の言葉を続けようとした。
 しかし。それを言い終える前に、ゆらりと声が響いた。
 まるで有無を言わさず、遮るかのようだった。
 喉から出掛かっていた言葉が、ぴたりと動きを止めた。

 それは直感だった。第六感が告げる“警告”だった。
 彼女は口を閉じた。動揺と恐怖が、唐突に押し寄せてくる。
 背筋が凍りつくような感覚が、叶苗の身を襲った。
 何が起きたのか。その答えは、明白だった。


「俺は寛大だ。未来ある子供に慈悲を与えよう」


 ひりつくようなプレッシャー。
 穏やかな物言いとは裏腹の威圧感。
 低く籠もった声が、静かに響き渡る。

「とはいえ、だ」

 氷藤 叶苗は、ディビット・マルティーニとは違う。
 裏社会になど精通していないし、ましてや“牧師”と直に出会ったこともない。

「ただ一人の殺しを担う程度で、その子の安全と帰還を保証する?
 カネを受け取らない代わりに、一人分で要求を飲んでくれと言いたいのか?」

 “牧師”という男についても、叶苗は又聞きでしか知らない。

「君は容易く言ってくれるが、それじゃあ筋が通らねえさ。
 取引は仁義と同じだ。フェアでなくちゃあならない」

 ニュースや噂話などで耳にする程度で、その実態など知る由もない。

「――対価ってのは、相応の働きに支払うもんだぜ」

 だからこそ彼女は、淡々と捲し立てるキングに気押されていた。

「ましてやこの子は、娑婆でまともに生きられないんだろう?
 だったら尚更、君にはそれに見合う仕事をしてほしいさ」

 冷ややかな眼差しで、諭すように告げられる言葉の数々。

「俺とて、君の意志には応えたい。
 子供は何よりも尊ぶべきものだからな。
 だから、君も俺の意志に応えてくれ」

 そうしてキングは、横たわるアイを冷淡に見下ろす。
 暫しの一瞥の後、彼は叶苗へと視線を戻す。


「嬢ちゃん。名は」
「……氷藤、叶苗」

 その答えを聞いたキングは、叶苗へと“それ”を突き渡す。
 まるで押し付けるように与えられた鋼鉄の塊を、叶苗は動揺とともに見下ろした。

 銀色に鈍く輝く、鋼鉄製の手甲。
 身体能力を武器に戦う“亜人変身型の超力使い”が、純粋な体術に付随して多く用いる装備である。
 それはキングの超力によって生成されたものだった。
 好きに使うといい――彼は視線で叶苗にそう訴えかける。

 キングの眼が、冷淡に叶苗を見据える。
 じっと値打ちを見定めるように、モノや道具を凝視するように。
 無言のまま、彼は眼前の少女を眺め続ける――。

 後退するように身じろぐ叶苗。
 その瞳に、動揺の色が浮かび上がる。
 本能的な恐怖が、胸の内より込み上げる。
 彼女は最早、沈黙の中で制圧される他ない。

「さっき挙げた5人のうちの誰かと、名の知れた凶悪犯のような目ぼしい受刑者」

 そして、牧師はゆっくりと吐き出す。
 眼前の叶苗へと、自らの意志を伝える言葉を。


「必ず3人は始末するんだ」


 ――――それは、“取引”ではなかった。
 報酬を対価にして告げられる、“命令”だった。


「分かったな?」


 その時、氷藤 叶苗は。
 自分が“誰を”相手にしているのか。
 ようやく、悟ることになった。
 唖然とした表情で、ただ目を見開いた。

 キングが取引相手として買っていたのはディビットだ。
 そこいらに蔓延っているような有象無象の犯罪者ではない。
 そんな虫螻が一丁前に取引を吹っ掛けてきたのなら、彼は躊躇なく“使う”。

 そして叶苗もまた、殺人者であっても決して悪人ではない。
 彼女は家族の仇を討つべく凶行へと走った復讐者に過ぎない。
 アビスに収監されたのも、“黒幕”を追うための意図的な目論見の結果でしかない。
 ましてや裏社会の流儀や取引など知る由もない。
 ――故に彼女は、“牧師”の懐へと引きずり込まれる。

 叶苗は何も持たない。既に家族を失い、復讐のみを存在意義としていた。
 だからこそ、彼女はアイを見捨てられなかった。
 自らと同じように家族を失い、孤独のままにアビスへと収監された少女なのだから。
 喪失の痛みを知るからこそ、彼女はただの復讐者では居られなくなる。

「君は“金銭を求めない”らしいが、俺からの厚意だ」

 そして、キングは再び口を開く。

「一人につき15万ユーロの報酬、殺害数に応じた追加報酬は引き続き機能するものとする。
 そいつを餌に“同盟者”を作り、折半や譲渡を約束してくれても良い。
 君に渡した“鋼鉄の手甲”を見せりゃあ、俺が一枚噛んでることを大抵の奴は理解してくれる」

 反論や思考の暇も与えず、キングはまるで押し付けるように淡々と語り続ける。
 彼は、過度な対価は求めない。過度な服従も求めない。成果も約束する。
 だからこそ“仕事を引き受けること”だけは、問答無用で確約させる。
 そう言わんばかりに、彼は悠々と捲し立てる。

「もしも標的の素性を知らないのなら、交換リストを利用するといい。
 80Pで“詳細名簿”が手に入れられるそうだ。適当な首輪を確保すれば手が届くだろう」

 叶苗に、最早言葉を返す余地はなかった。
 次々に押し付けられる“指示”の前で、彼女は抵抗の術を奪われる。

「第2回放送直後、場所は島北西部の“港湾”。
 そこで改めて途中経過と意思を確認させて貰う」

 確かなのは、氷藤 叶苗の“最後の平穏”は絶たれたということだ。
 元より復讐以外の道を見失っていた彼女だったが。
 最早この刑務を生き延び、恩赦を得られたとしても。
 叶苗は真っ当に娑婆を生きていくことは出来ない。
 自らの罪を洗い流し、新たな人生を歩むことも出来ない。

 何故ならば、彼女は“牧師”と関わったから。
 この闇の帝王と、取引を交わしてしまったから。
 以後、叶苗の進む道には――必ずルーサー・キングの支配が及ぶことになる。
 彼は欧州一帯の経済、警察、司法、そして裏社会を掌握する男なのだから。



「――――頼んだぞ」



 そうしてキングは、叶苗の肩を叩き。
 木々の闇の中へと溶け込むように、彼はその場を去っていった。




 その後ろ姿を、叶苗はただ呆然と見つめることしか出来なかった。
 やがて叶苗は――弱々しく、その場へと座り込む。
 全身から力が抜け落ちるように、彼女は放心する。
 手元に残されたものは、ひどく冷たい鋼鉄の手甲のみだった。

 闇夜の森に、静寂が戻る。
 沈黙と暗闇が、この場を包み込む。
 樹木の隙間から覗く紺色が、無言のまま世界を見下ろす。

 空は何も答えてはくれない。
 茫然自失の意識だけが、宙ぶらりんになる。
 幾ら星々や月明かりを見つめても、霧は晴れてくれない。

 アイとの一悶着のとき。
 もう何もわかんない、なんて。
 泣きたいのはこっちだ、なんて。
 子供の頃に還るように、思ってしまったけれど。
 今の叶苗は、涙すら流せなかった。
 ただ乾き切った心が、唖然とする自分を突き放していく。


「う、あ――」


 やがて、呻くような声が耳に入る。
 叶苗は、そちらへと視線を向けた。
 刃の拘束から解き放たれたアイだった。
 彼女は不安に震えるように、地面に横たわったままで。


「うあ、ああああ、あああぁぁ――――っ」


 そうしてアイは、悲しげな鳴き声を上げた。
 先程の痛み故か、あるいは“牧師”への恐怖故か。
 幼き声が、更地となった空間に響き渡る。
 生まれたばかりの赤子のように、アイは泣きじゃくる。


「ああ、ああ、あぁぁぁ――――――」


 その想いのすべては、読み解けなくとも。
 それでも叶苗は、力無く這うように。
 アイのそばへと、静かに近寄った。

 そうして叶苗は、アイを抱きしめた。
 先程、泣き出していた自分を慰めてくれた時のように。
 その背中を優しく撫でながら、手探りであやした。
 よしよし、よしよし――そんなふうに呼びかけて、安心を与えていく。

 家族を奪われた復讐者は、ただ一人の少女へと寄り添っていた。
 まるで、彼女自身も寄りかかれる“何か”を求めるかのように。


【C-5/森/1日目・黎明】
【ルーサー・キング】
[状態]:疲労(軽)、頬に傷、左腕に軽い負傷、びしょ濡れ
[道具]:私物の葉巻×1
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
2.使える者は利用する。邪魔者もこの機に始末したい。
3.適当なタイミングで服も確保したい。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
 多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。
※ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、恵波流都、エンダ・Y・カクレヤマは出来れば排除したいと考えています。
※他の受刑者にも相手次第で何かしらの取引を持ちかけるかもしれません。

【アイ】
[状態]:全身にダメージ(中)、恐怖と動揺
[道具]:なし
[方針]
基本.故郷のジャングルに帰りたい。
1.(あいつ(ルーサー・キング)は、すごくこわい)
2.(ここはどこだろう?)
3.(ぶらっどすとーく?ずっとむかしきいたような、わからないような……)

【氷藤 叶苗】
[状態]:恐怖、尻尾に捻挫、身体全体に軽い傷や打撲、刑務服のシャツのボタンが全部取れている
[道具]:鋼鉄製の手甲(ルーサーから与えられた武器)
[方針]
基本.家族の仇(ブラッドストーク)を探し出して仕留める。
1.アイちゃんを助けたい。

※ルーサー・キングから依頼を受けました。
①ルメス=ヘインヴェラート、ネイ・ローマン、ジャンヌ・ストラスブール、恵波流都、エンダ・Y・カクレヤマ。
 以上5名とその他の“目ぼしい受刑者”を対象に、最低3名の殺害。
②1人につき15万ユーロの報酬。4名以上の殺害でも成果に応じて追加報酬を与える。協力者を作って折半や譲渡を約束しても構わない。
③遂行の確認は恩赦ポイントの回収履歴、および首輪現物の確認で行う。
④第2回放送直後、B-2の港湾で合流して途中経過や意思の確認を行う。
④依頼達成の際には恩赦後のアイの安全と帰還を保障する。


[共通備考]
※デジタルウォッチには恩赦ポイントの増減履歴を参照する機能があります。
どの受刑者の首輪からポイントを回収したのかを確認することも可能です。
※首輪には装着者を識別する囚人番号と個人名が刻まれています。
※交換リストに「参加者詳細名簿-80P」があります。

037.幼魚と逆罰/Your dream.did it satisfy or terrify? 投下順で読む 039.業火剣嵐
時系列順で読む
アビスの契約 ディビット・マルティーニ 殺害計画/衝動
エネリット・サンス・ハルトナ
嵐時々鋼鉄、にわかにより闇バイト ルーサー・キング 1
ウスユキソウ(薄幸想) 氷藤 叶苗 少女たちの罪過
アイ

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最終更新:2025年04月04日 22:15