罪人として連行されて、懲役刑が執行されました。一詰み。
アビスという御大層な名前の刑務所に入りました。二詰み。
刑務作業って名前の処刑イベントが始まりました。三詰み。
残念ながら、ヤミナ・ハイドの人生はここで永遠に終了です。
「終わった、人生詰んだ……」
本音が漏れ出てしまいます。
色んな仕事に節操なく手を出してきた私ですが、現実が見えてないわけじゃありません。
五体満足でこの刑務作業を終えられると考えるのは甘すぎるって思います。
魂からスラムのドブ川の香りが漂ってきそうな歪んだ顔の牢紳士一同とか、
あなた絶対人間じゃないでしょみたいな美人通り越して作り物じみた顔のお嬢様がたとか、
撫でられるだけでミンチにされそうな筋肉鎧とか、
びっくり人間が最初の部屋にわんさかいましたから。
前から思っていたのですが、なんで私はこんなところに放り込まれたんでしょうか?
懲役26年って重いは重いですが……、でも裁判の感じだとこんなところに投獄される雰囲気じゃなかったのでは?
看守長に釈明を求めたいなあ、と切実に思います。
それにしても……。
「皆様、いくらなんでも張り切り過ぎなのでは……」
橋の上じゃ、人間の手に負えなさそうな大爆発が起きてました。
森の方じゃ、ものすごい音と共に木がメリメリと倒れてました。
山の上じゃ、なぜか嵐が起きていて、大岩が転がってきました。
島中どこでも、早速血気盛んな収監者たちが殺し合っているようです。
ああ、本当、どうしてこんなことに。
そういえば、どこかのアジアの大きな宗教が布教用の動画チャネルで語っていました。
前世の徳が足りないと、今世でそのツケを支払わされるって。
そんなでもないと、小市民らしく慎ましやかな生活を送ってた私が、生きながら地獄に落とされるわけないじゃないですか!
そりゃ、私だって人間ですから。
生きてる以上、ちょっとは悪いことだってしてます。
でも、それだって仕方なかったんです。
友達に『バーグラー』ブランドのバッグを見せるって約束したのに、シュガーダディがお金くれないとか言い出したのが悪いんです。
もれなく1000$もらえるショッピングリボ払いキャンペーン! って広告見つけたら皆さん飛びつきますよね?
それで賢くペイしてたはずなのに返済額が増えてるなんて、想像できます!?
だからお金稼ぎたくてオペレーターのバイトに応募したら、応募のときに送った個人情報をみんなにバラすって脅されちゃって。
『チャオ♪ 契約不履行がダメなだけだから! 完了したら解放してあげるよ!』
ってメッセージがP.N.『ワシントン』から届いたので、縋る気持ちで続けたのに、巧く行かなくて。
あはは……。一生懸命頑張ったんですけどね。
レンタルカーの手配に、仕事場までの行帰りのルート確保に、実行員の割り振りに、リアルタイムの指示。
あれでだいぶ色々スキルが身についたと思います。
けれど、ブラッドストークさんのところで長いこと働いてたっていうベテランさんに実行員のリーダーを任せたのが間違いでした。
こんなことなら、良識人の南沢さんを何としてでも引き留めてリーダーを任せるべきでした。
結局リーダーのとばっちりで私まで逮捕。
でも裁判長さんは言ってくれましたから。情状酌量の余地アリって。
次のバイトでショットガン持って豪邸襲ったのはさすがに悪かったと思いますけれど……。
SPさんって保険入ってますよね?
私たちは無保険で、おなじく強盗を強要された仲間はみんな死んで私だけが生存。
SPさんに死人が出なかったのだし、ごめんなさいで済まないですか? そうですか済まないですよね。
でも弁護士さんは言ってくれましたから。示談で済ませましょうって。
まあ、ここまではさすがに私にも非がなかったとは言わないです。
でも、最後のバイトは理不尽だと思います。
誰も傷付けない、郵便配達でしかなかったはずなのに。
なのに、理由も分からず捕まってこんなところに送られるのはさすがに理不尽がすぎるのではないでしょうかあ!
国家安全部の人だって……使ってる言葉全然分かんなかったです。
ああ、世界って理不尽です。
順風満帆に暮らしていても、突然巨大なトラブルに巻き込まれて人生が台無しになります。
そう、たとえば。私の背後から迫りくる土砂崩れがその一例ですね。
「ぷげえええぇぇぇぇえええっっっっ!!」
■
不運の後には幸運がくる。これがエルグランドのジンクスである。
もちろん、それを実際に活かせるかどうかは己の実力次第だが、彼はそうやって世を渡ってきた。
獲物を逃したり、護衛艦に痛い目を見せられた後は、それを取り戻すかのごとく苛烈な襲撃をおこない、大きな収穫を得てきた。
分け前は気前よく部下に与え、その部下が気を大きくしてヘマをおかし、競合の海賊や政府の軍に攻め入られては、機転を利かせてさらなる巨大な収穫を得る。
そんな刹那的で暴力的なサイクルがこの男の生き様であった。
エルグランドはジョニーの機転によって戦場からドロップアウトし、何の収穫も得られないまま頭に傷を負ってしまった。
実力勝負自体に意を唱えるつもりはないが、同時刻にスタートして敵のほうが先に徒党を組んでいたというのは不運ではある。
ならば、それ故に、次に訪れるのは幸運である。
エルグランドはそう確信していたし、
「ぷげえええぇぇぇぇえええっっっっ!!」
山頂のほうから轟く悲鳴を聞いて、エルグランドは口を大きく吊り上げた。
東部に広がる孤島唯一の山岳地帯。
その中腹から、女が一人、土砂に追われながら転げ落ちるように滑り降りてくる。
彼女――ヤミナが何かを引き起こしたというわけではない。
ジョニーとエルグランドの戦闘の余波によって、緩んでいた地盤がついにバランスを崩し、土砂崩れを引き起こしたというだけの話だ。
麓に向かうにつれて徐々にその余波を広げていく崩落のなかで、より被害が小さなルートを選択して的確に山を滑り降りてくる。
「げえええぇぇそこの人どいてぶつかるううぅぅっっぶはあっ!!」
そして、山を下り麓の道にまで降り立ったヤミナ。
彼女は、それでも勢いを殺しきれずにごろごろと地面を転がり、
身体を引いて衝突をかわしたエルグランドの目の前で擦り傷を作って止まった。
土砂は女のすぐ東側になだれ込み、小山のようになって一方の進路を阻む。
ほら、ジンクス通り。
不運の後には幸運が舞い込んできた。
「ゲハハハハ! よう嬢ちゃん、あの黒い大波を乗り越えた気分はどうだ?
ま、嵐から命からがら逃れた先に、政府の軍艦がずらりと並んでた、なんてことも珍しいことじゃねえ。
嬢ちゃんは運が悪かったのさ」
「ひ、わ、私を食べても美味しくありませんよおっ!
26ポイント! たった26ポイントしかございませんんん~~!!」
「26……ってことは酒が2杯も買えるってことじゃねえか!
ああ、11年ぶりの酒はさぞかしうめぇだろうなあ。
酒がありゃあ傷も洗える。十分すぎるほどに釣りが来るぜ。
諦めな。このドン・エルグランド様が目を付けた。嬢ちゃんは詰みだ」
「命ばかりはお助けを~~ッ!!
役に立ちます! 立てます!! 立ってみせますぅ!!!!
だから何とぞ、慈悲を、ご慈悲をいただけませんかあぁぁッ!」
顔をくしゃくしゃにして、鼻水と涙を垂らしながら女を捨てた命乞いが始まる。
値踏みするまでもなく、戦場慣れしていない。
それが、銃頭ジョニーの2.6倍ものポイントを引っ提げて現れた。
宝石を積んだ商船が護衛船すら付けずにうっかり拠点に迷い込んできたようなものだ。
たとえ見逃しても、一時間後には誰かのポイントになっているだろう。
なら、ここで使ってやるのが慈悲である。
だが。
エルグランドは考える。
弱い。弱すぎる。弱すぎて、歯牙にもかからない。
そして、女だ。
酒も11年ぶりだが女も11年ぶりだ。
騒がしいのはマイナスだが、見てくれも体つきも悪くはない。
そして11年ぶりに味わう、他人の命を握る感覚が心地いい。
それなら、もう少しくらい遊んでやってもいいだろう。
「そうだなあ。役に立ってみせるっつったが、じゃあ嬢ちゃんは何ができるんだ?」
「私は、に、逃げるのが得意です!」
「あ゛?」
何ができると問われて、返す言葉で逃げが得意だと回答する。
ナメているとしか言いようのない回答である。
「ひ、ひぇぇぇえ! 私は逃げません、逃げませんからぁ!
逃げてる人がどこに行きそうか分かるって言いたかったのですぅ~~!
建物の脱出ルートとかそういうの探すの得意だって言いたかったのですぅ~~!
ルート構築の仕事をしていましたからああぁ~~!」
「はん! 言葉にもうちっと気を付けるんだな」
値踏みをしてみて思ったが、頭もだいぶ弱いと見える。
肉体はひ弱、頭も弱い。まな板の上の鯉そのものである。
「まあ、ここまで必死になるのを見せられちゃあなあ。
チャンスの一回はくれてやるのが度量ってもんだろ。
なあ、嬢ちゃんは戦利品(たからもの)か? それとも、俺の大事な手下(下っ端)か?」
エルグランドは悪辣に笑う。
ヤミナに、これっぽっちもいい予感なんてしない。
「簡単なゲームをしようじゃねえか」
「げ、ゲームですか……?」
「ゲハハハ! そうだ。簡単なゲームだよ」
イヤな予感に、ヤミナの額から滝のように汗が流れる。
「嬢ちゃんが勝てば俺の下においてやる。
だが俺が勝てば、お前は戦利品だ」
戦利品。それが指すものは、恩赦ポイントであり、ヤミナではなく『女』としての扱いが決定するということである。
この男は、略奪成功を祝う宴の最中、捕虜たちに対して酒の勢いで数々の余興をおこなってきた。
勝てば解放、負ければ死、負けても結果が面白ければ解放。
そんなささやかかつ様々なデスゲームを部下に考案させ、宴を盛り上げてきた。
殺したいわけではないが、命がかかったほうが面白いというだけの理由で開催される余興である。
「俺は直接手を出さねえ。
今から一分以内にこの大岩に触れられればお前の勝ち。
触れられずに一分経ったら、俺の勝ちだ!」
エルグランドは自らとともに転げ落ちた大岩の傍に立ち、ネオスを発動させる。
エルグランドを中心に、立つのもままならない嵐が吹き荒れる。
「ふげええええぇぇ、わぷっ! ぷへっ、けほっ、けほっ……。
そんな、私、まだ同意してなぁ、いぃぃでぇぇすぅぅ~!」
「おいおい、もうゲームは始まったんだぜ?
さあ、手下になりたきゃ、力の限り足掻いて見せるんだなあ!」
嵐を呼ぶネオスは強力極まりないが、エルグランドに制御できるものではない。
今も猛烈な風に吹き上げられた頭大の岩がエルグランドの頭目がけて飛んでくるほどだ。
――だからこそ、ゲームが成り立つ。
運がよければ風の弱いところを突っ切って突破できるかもしれないし、
見た目よりもフィジカルが高ければ実力で突破できるかもしれない。
運がよくて大岩まで飛ばされるならばそれも一興。
運が悪くてたどり着けないのも一興。
嵐を突破できるようなネオスがあるなら、それはそれで拾い物だ。
「かぁぜぇ、つぅよぉすぅぎぃぃ~っ!」
ヤミナは地面から浮き上がりそうになりながら、必死で踏ん張るだけだ。
一歩も進んでいない。
一方でエルグランドは直撃コースに入った小岩に顔を向けることもなく、ただの拳の一薙ぎでそれを砕いた。
逃亡はない。させない。
土砂崩れがヤミナの後ろを遮っている。
これを逃がすほど、エルグランドの肉体は鈍ってはいない。
ヤミナは挑むしかないのだ。
「さあさあ、あと30秒だぜ?
進むのか!? 諦めるのか!? それとも、もう一度土下座でもして命乞いしてみるか!?」
「神さま神様かみさま助けて~っ!
ああああっっ、もう! なんとかなれぇぇッッ~~~!!」
ヤミナは顔をくしゃくしゃにしながら、目をつぶって大岩へとまっすぐ突き進んだ。
エルグランドはふん、と鼻を鳴らした。
もはや見なくても結果は分かる。
中央に向かうほどに彼の呼ぶ嵐は強力になる。
こんなへなちょこな特攻では、天まで覆う風の壁に弾かれて終わりだ。
「ゲームは俺の勝ちで決まりだな」
もはや残り時間も気にせず、どう戦利品を楽しむかに考えが移行しかけたところで、エルグランドは思いもよらぬ声を聞く。
「つ、ついた~~! つきました~~!」
「!?」
デジタルウォッチを見ると、13秒も残してのゴールだ。余裕の到着である。
何が起こったのかと状況を把握するのに時間はかからなかった。
ヤミナの通ったルートの風速が弱まっている。
ヤミナは勝ちを拾ったのだ。
「これで助けてくれるのでしょうか!?」
「あ、ああ。海の男に二言はねえよ……」
釈然としない。あまりに釈然としない。
ネオスでも使っていない限り、こんな不自然なことは起こり得なかった。
この女が突破できるはずがなかった。
「ヤミナ・ハイドです! なんとかがんばらせていただきます!」
そういえば名前を聞いてなかったな、と思いながら、思考は別の方向へ向く。
偶然か? ネオスか? 幸運の風でも吹いたのか?
「ああ、なんだそうか。俺の、俺様のジンクスじゃねえか」
不運の後には幸運が来る。
11年もアビスでくさい飯を食わされたのだ。
ならば、それを帳消しにするだけの大量の幸運が舞い込んできても何もおかしくはない。
何より、分かりもしないことをうだうだと考えるくらいなら、それくらい割り切ったほうが気持ちがいい。
結果だけ見れば、パシらせる下っ端を労せず手に入れたのだ。
風は自分に吹いている。
世界はエルグランドに微笑んでいる。
【D-6/平原/一日目・深夜】
【ドン・エルグランド】
[状態]:ダメージ(中)、頭部出血
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.奪い、殺し、自由を取り戻す
1.銃頭(ガンヘッド)野郎には容赦しない
2.ヤミナはうまくパシらせる
【D-6/平原/一日目・深夜】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
1.ドン・エルグランドの指示に従う
■
■
世界保存連盟:通称GPA。
その前身は、日米地球保護協定と呼ばれるものであった。
よって、GPAの中心国は日米二カ国であり、連盟の主要な施設もまた日本とアメリカに集中。
『開闢の日』以降、この二国が最も著しい発展を遂げるのも自明であった。
超力犯罪国際法廷、International Court for Neos Crimes――通称ICNC。
本部は日本国の首都に建てられた、雲をも貫く純白のツインタワーである。
天から落ちてきた裁きの聖槍を思わせるその巨大な建物は、その影響力を世界に知らしめるものといえよう。
GPAの提唱国であり、ネオスを得るに至る研究をも主導していた日本国に施設が設立されるのは当然のことであった。
屋内には落ち着いた木の香りが漂い、天井を見上げれば教会を思わせるきらびやかなステンドグラスが嵌まっている。
窓の中心に描かれているのは、膝をついて天を見上げる罪人と、降臨した天使。
更生の概念を具現化した一作である。
もっとも、その天使は美しい中性的な人間ではなく――人間ですらない、卵を思わせる異形。
そして、そこに描かれた更生とは、卵形の天使に肉体を取り込まれ、あらゆる記憶を削ぎ落して生まれ変わる転生を表す。
ICNCは重罪人が最終司法判断を仰ぐ施設だ。
だからといって、判決が覆ることなど数えるほどしか存在しない。
ステンドグラスから降り注ぐ暖かな光は、業深き罪人がせめて来世では何の変哲もない平凡な人間へと生まれ変わり、
平凡な日々を過ごせるようにという願いの込められた慈悲の温もりなのである。
それでは、ここでどのような裁きが下され、どのような課題があったのか?
近年、最も問題ある裁判とされた一例を覗いてみよう。
■
※※※ 204x ヴ 836887 被告人Aの裁判記録
「「「死刑! 死刑! 死刑!」」」
彼女を取り囲むように据えられた席に座る傍聴人が、法廷を取り囲む市民団体が、中継を通して裁きの行く末を見守る大衆たちが、
天をも轟かせるシュプレヒコールを響き渡らせる。
被告人Aへの裁きを見守るのは、憎悪と怨嗟にまみれた被害者という名の幽鬼どもだ。
裁判長からの『静粛に!』という警告は、この建物では起こらない。
その地獄から天を震わせる怨嗟の声は、ICNCに勤める音を遮断する超力者によってすべて遮られるから。
肉体を物理的に押しつぶさんとする怒号を一身に浴びるのは、中央に立つ被告人ただ一人である。
「被告人、アンナ・アメリナに判決を言い渡します」
外界から切り離された静謐な法壇から、天声を思わせる厳粛な声が響き渡った。
「息子を返せ! 家族を返せ!」
「この世に蔓延る悪に神聖なる裁きをっ!」
「超A級戦犯はぁぁ、今すぐこの場で処刑する以外にあり得ませんぞぉぉおッッ!!」
「「「死刑! 死刑! 死刑!」」」
「「「死刑! 死刑! 死刑!」」」
待ちに待った判決の読み上げに、傍聴席で進行を見守る衆目の興奮はピークに達する。
彼らは被告人Aの死刑を疑っていない。
「あなたの行動は人間の尊厳と国際法の原則を踏みにじるものであり、被害国ならびに被害者たちに対する深い傷と絶え間ない苦痛を引き起こしました。
よって、戦争犯罪者と認定。
その罪の重大性を考慮し、99年の懲役を言い渡します。
また、あなたはその非道による国際社会への影響を認識し、公の場で自らの行いを謝罪するよう命じます」
その判決が読み上げられた瞬間、熱気溢れる公聴席が時が止まったように静まり返った。
懲役99年。言い換えれば、たった99年ぽっちの懲役。
それは、彼女の祖国に施された高度な政治的判断であり、慈悲であった。
悪党の命で喉を潤す餓鬼と化した大衆は、道徳から彼女の罪を推し量ったがために、外交的な背景から下された判決の内容を理解するのに時間を要したのだ。
これは嵐の前の静けさだった。
判決の内容を理解した聴衆の憎悪が憤怒と結びつく。
とめどなく降り注ぐその感情は、純白の建材すら赤黒く染めるようで、
卵の姿をした天使すらも堕天させてしまうかのように重く濁り切ったものだった。
「「「■■■■■ ■■■■■■■■■!!!!!」」」
もはや聴衆の罵倒は止められないものとなり。
「一つ聞くが……」
被告人Aは徐に口を開いて。
「この裁判所は豚でも飼っているのか?
豚小屋の決めごとに従うのは甚だ遺憾だな」
その一言で、裁きは決壊した。
これより先、暴徒鎮圧及び被告人の自殺未遂というトラブルが起こり、公開できる記録は残っていない。
■
このように、ICNCは当初の理念の崇高さとは裏腹に、非常に問題を抱えた施設である。
まず、開闢の日を迎える前に施工が決まったことにより、様々なネオスに対抗するための仕組みが不十分であることが一つ。
ネオスが基本的人権に属するかどうかの議論に決着が着かず、ネオスの問答無用の無効化が棚上げされていることが一つ。
そして、万人に開かれた裁きの場であるという題目を掲げたために、正義を追求する民衆の見世物小屋のようになってしまっているのが最大の課題であろう。
開闢以降、一切のネオスが無効化される島国に移転する案も出たが、そちらはそちらで国家存亡という問題を抱えたために実現に至っていない。
多くの問題を抱え込んだ施設だが、稼働を止めるわけにはいかない。
此度も新たな被告人が送りこまれた。
金髪が印象的な、明るく華やかな雰囲気の若い女だ。
神殿を思わせる真っ白な装飾と、天から降り注ぐ神聖な光に圧倒され、きょろきょろとまわりを見渡している。
ふてぶてしく凶悪な罪人を見慣れた聴衆たちは、もしかして、見学者が迷い込んで来たのか? と皆一様に疑問を抱いた。
だが、此度の被告人は紛れもない、虫をも殺せなさそうな態度を取るこの女である。
米国や日本国を中心に世界をまたにかけた国際強盗、そのナビゲーター及び逃亡ルートの選定、確保を担当。
自らも強盗の実行役としてショットガンを持って何人ものSPに重傷を負わせる凶行を実行。
そして、某一党独裁国のトップを狙った、国家転覆テロの1ピースまでもを担った。
最初の国際強盗だけに着目しても、氷藤家をはじめとした多数の日本の中流家庭、および、
欧州の名家フォンテーヌ家の一家惨殺に間接的に関わるなど、非道極まりない。
余罪も多数であり、金欲しさの動機で人道を踏みにじった紛れもない言語道断の悪党だ。
それにもかかわらず、これまで下されてきた刑罰は不自然に少ない。
だが、ICNCは司法の最後の砦である。
あのルーサー・キング相手に、様々な妨害に屈せず無罪要求を跳ね除け、
10年の懲役刑を勝ち取ることができた高潔な法の番人たちの集まりである。
では、此度裁きを受ける凶悪犯:ヤミナ・ハイド。
その裁判記録を覗いてみよう。
※※※ 204x ヴ 15024 被告人Yの裁判記録
市民に遍く開かれたICNCの公開裁判。ここに人の足が途絶えることはない。
動画配信者に市民団体、報道記者にフリージャーナリストなど、傍聴席は今日も満員だ。
正義の民衆が、今宵はどのような悪党が死刑判決を下されるのかを心待ちにしている。
裁判長からの『静粛に!』という警告は、この建物では起こりえない。
神聖なる裁きの場でみだりに騒ぎ立てるような不敬者など、ここにいるはずがないから。
身を刺す様な静寂を一身に浴びるのは、中央に立つ被告人ただ一人である。
「被告人、ヤミナ・ハイドに判決を言い渡します」
外界から切り離された静謐な法壇から、天声を思わせる厳粛な声が響き渡った。
「まあ、直接人を殺しちゃったわけでもないし……」
「犯した罪に値する公平なる裁きを……!」
「冤罪の可能性も考えて、慎重に判断せねばなりませんな」
「「「………………」」」
「「「………………」」」
判決の読み上げに、傍聴席で進行を見守る衆目もまた、被告人と同じく軽い緊張に包まれる。
「あなたの加担したおこないは金欲しさに人道を踏みにじる、非道極まりないものです。
また、秩序に対する明確な挑戦をおこない、世界の均衡すら脅かすものでした。
更生の余地も考えられず、よって死刑が妥当なものです」
「し……死刑、ですか? そ、そんなっ! せめて、ど、どうかご慈悲を~!」
その女は情けない声を出し、ブタのように司法に命乞いをする。
凶悪なネオス犯罪者が跋扈するこのご時世である。
このシーンだけを切り取ったとき、彼女が死刑を下されるような凶悪犯だと思う人間がどれだけいるだろうか?
「被告人、被告人。最後まで聞きなさい。
本来ならば死刑が妥当です。
しかしあなたは若年者。しかも、経済的な困窮や反社会勢力からの圧力がこの犯罪行為に至る背景にあると理解します」
聴衆も裁判長の判決を静聴している。
その理屈はおかしいだろうと咎める人間は、ここには一人もいない。
「よって、26年の懲役に減刑します。
この判決は、あなたが自分の行動を深く反省し、再び同じ過ちを犯さないことを願ってのものです。
あなたがこの機会を最大限に活用し、社会の一員として正しい道を歩むことを我々は願っております」
「ま、そんなものでしょうかな」
「若い女の子だし、これで人生終わりというのもね」
「正しく罪を償えることを願っている」
とても法に基づいた裁判だとは思えない、異様な判決だ。
そこにいる聴衆の誰もが、その異様さを疑わない。
「「「がんばって! がんばって! がんばって!」」」
「「「がんばって! がんばって! がんばって!」」」
マラソンでラストとなったランナーに全員でエールを送るように、あの正義感と道徳心に溢れた聴衆たちから応援の声があげられる。
「あ、あはは……。精進します。はあ、26年か……。人生終わったな……」
世界は。
彼女に優しい。
国家転覆の罪。それも一党独裁のトップを狙う凶行。
他にも多数の余罪があり、重罰は免れない。
それなのに、何もせずに減刑されることがあり得るだろうか。
たとえば、アンナ・アメリナは死刑のシュプレヒコールを一身に浴びていた。
確かに彼女はその凶行にも拘わらず、死刑ではなく99年の懲役で済んだ。
しかし、それは紛争の当事国を勝利に導いた英雄であるという実績あってのものだ。
若い女性だという、道理の通らない理由で減刑されたわけではない。
たとえば、ルーサー・キングは結果的に見れば、死刑相当の悪事をたった10年の懲役に抑えた。
しかし、それは深い法律の知識を持ったブレーンと、あらゆる告発をことごとく跳ね除けてきた顧問弁護士、そしてその膨大な資金力による根回し――
いわば、ネオスに依らない彼の社会的実力でもぎ取ったものである。
では、ヤミナ・ハイドにそのようなものはあるのか?
否。彼女には実績も社会的実力もない。
不自然な減刑。
その根源こそが彼女のネオス。
すべてに侮られるというネオスだ。
個人という枠で切り出せば、ナメられて取るに足らないものと見なされるだけである。
けれど、社会という枠で切り出せば。
様々な問題を抱えつつも、人々の権利を拡充し、未来をよりよくしていこうと日夜努力する者たちが運営する現代世界における社会という枠で切り出せば。
それは『庇護』されるべきものとみなされる。
何より、ネオスは。開闢は。
『山折』が世界に名を轟かせたあの日、一人の脱落者も出さないように、人類を救いきれという理念の元に迎えられた努力の結晶である。
現代の人類を構成する細胞に、その理念は強く刻まれている。
そんな高尚な願いの元に迎えられた変革だったから。
法は。法則は。
情報の根源たるアカシックレコードは。
ヤミナ・ハイドはその責任能力を鑑みて、すべてのおこないに対する賞罰に傾斜を加えられなければならない、と。
すべての理は、ヤミナ・ハイドの愚かさを考慮して、相応の傾斜を加えられることが望ましい、と。
そう刻んだ。
どんなに世界が荒れ狂っていても、この世界の根底の理念は善なるものである。
その善意をハッキングして、世界の法則からハンディキャップを引き出すネオス。
自らに不当に利を引き寄せるおぞましいネオス。
その恩恵を享受し、世界に仇を返す行為を繰り返すのがヤミナ・ハイドという女である。
だから、彼女はアビスに収監された。
どんなに愚かで考えなしのどうしようもない人間に見えても。
彼女もまた、闇に隠れ潜む深淵の住人にふさわしいのだ。
【D-6/平原/一日目・深夜】
【ドン・エルグランド】
[状態]:ダメージ(中)、頭部出血、精神汚染:侮り状態
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.奪い、殺し、自由を取り戻す
1.銃頭(ガンヘッド)野郎には容赦しない
2.ヤミナはうまくパシらせる
【D-6/平原/一日目・深夜】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(小)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
1.ドン・エルグランドの指示に従う
※ネオスにより土砂崩れに侮られ、最小の被害で切り抜けました。
※ネオスにより嵐に侮られ、受ける影響が抑えられました。
最終更新:2025年02月22日 16:49