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その少女は、生まれながらにして苛烈な欲望の持ち主であった。
彼女の両親は、彼らなりに彼女に愛情を注いだ。彼らの教育は、決して悪いものではなかった。
だが、彼らは凡庸であった。
小市民に甘んじ、家庭を作り、社会に奉仕する。
それが人としてあるべき姿だと、そう信じていた。
ああ、なんてくだらない。
死ねば終わりで時間は平等。欲望を発露せずして何の人生か。
慎ましく平凡な暮らしさえしていれば人並みの幸せを得られると?
政治も、警察も、司法からも、公平さなんかとっくに失われているというのに。
だから、彼女は世間的には“悪”と言われる道を歩み始めた。
権力を、財力を、暴力を持つ人間に取り入り、刹那的な欲望を満たすだけの毎日。
それでいいと思っていた。この世界に、これ以上の幸福など存在しないと、その時は本気でそう思っていた。
あの日を迎えるまでは。
「君、ちょっといいかな……?」
東京の繁華街で彼女に声を掛けた、真面目そうなスーツ姿の男。
その名刺には、ある芸能プロダクションの名が記されていた。
そして、悪に生まれ落ちた筈の少女は、光を知った。知ってしまった。
光を手に入れたいと、光の中で生きたいと、そんな欲望を抱いてしまった。
まるで、虫が灯に引き寄せられるかのように。
だが、その欲望は叶わなかった。純粋すぎる光は彼女の心を焼き尽くしてしまった。
そして今、鑑日月という名の少女(アイドル)は、ここ、地獄(アビス)の底にいた。
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ルーサー・キングに打ち負かされ、川に浮かび流されていくジャンヌ・ストラスブールの耳に、何か水が撥ねる音が届いた。
誰かが川に入ったようだ。そして、こちらに近付くと、ジャンヌの右手を取り、こう言った。
「生きる気があるなら、自分の脚で立ち上がりなさい。
それが出来ないなら、せめて私のポイントになって。力を抜いて楽にしなさい。沈めてあげるから」
完敗を喫したジャンヌだったが、心は死んでいない。
いや、彼女の正義の炎が絶たれることなどあるのだろうか。
身体が動く限り、命が消えぬ限り、戦い続けるのが彼女だ。
それ故、ジャンヌは立ち上がる。そして、あらためて来訪者の顔を見た。
少女だった。長い黒髪に、大人びた美貌、野心を隠そうともしない挑発的な瞳。
「貴女、アベンジャーズのジャンヌ・ストラスブールよね。
私、鑑日月と言うの。とりあえず、岸に上がりましょうか」
不敵な微笑を湛えながら、彼女はそう言った。
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炎の中で、枯れ枝が弾ける。
2人の少女は、ジャンヌの能力で焚いた火で濡れた身体と服を乾かしながら、言葉を交わしていた。
「まずは、助けてくださって、ありがとうございます。日月さん」
「礼なんか言われる筋合いはないわ。
もしかしたら首輪が生きてて、恩赦Pって奴が手に入るかもしれないっていう、つまらない理由だもの。
でも、よく見ればあのジャンヌ・ストラスブールで、しかも動ける余力はあるみたいだから、考え直してみたの。
……それにしても、まだ始まってほとんど時間は経ってないってのに、いきなりやらかしたものね」
日月は呆れ顔でジャンヌを見つめている。
彼女の身体には先の戦いで負った、決して軽くはないであろう傷が幾つも覗いている。
「強かったの? ニュース見た限りだと、貴女も相当強いみたいだけど」
「……恥ずかしながら、完敗でした」
「そう。やっぱり、そんな奴がいるのねえ……」
日月は顎に指を当てて、暫く思案すると、
「ジャンヌ・ストラスブールさん。
単刀直入に言うわ。私と組まない?」
悪の星に生まれ付いた少女(アイドル)による、正義の騎士たるジャンヌ・ストラスブールへの、同盟の要請だった。
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さしものジャンヌ・ストラスブールも、わずかに動揺を見せた。
鑑日月の首輪には、“死刑”の文字が刻まれていた。まず間違いなく、“悪”の側に属する人間であろう。
無論、自分のように冤罪を着せられた可能性も無くはないが……
そして恐らく、鑑日月はジャンヌ・ストラスブールがどういう人間なのか知っている。
にも関わらず、云わば己の対極に位置する聖女に対し、豪胆にも同盟を申し入れたのだ。
――とはいえ、実際のところ、ジャンヌ・ストラスブールの正義はそこまで狭量ではない。
ルーサー・キングのような骨の髄までの巨悪に対しては、容赦なく正義の炎を浴びせる彼女だが、
交渉の余地がある相手や、貧困や一時の気の迷い、或いは悪党に脅されてといった理由で悪事に手を染めた人間に対しては、
武力行使以外の手段を取ることは出来たし、時には救いの手を差し伸べてきた。
その慈悲と救済こそが、彼女が『聖女』『騎士』と云われる所以である。
「理由を聞いてもいいですか」
「繕っても仕方ないし、簡単に言うわ。打算よ」
そう言って、指を折りながら日月は説明しだす。
「まず1つ目。単純に生き残ることが難しい。大して強くも無い私も、怪我してる貴女もね。
貴女よりも強い人間が、下手すれば何人もいるんでしょう?
でも、1人ではなく2人で戦えば、勝算も見えてくるかもしれない」
2つ目。お互い不意を突かれるリスクが少ない。
私の力じゃ貴女の隙を突くなんて多分無理だし、
逆に私がよっぽど仕出かさない限り、貴女が後ろから斬りつけてくるなんてことも、そうは無いと思う。
世間じゃ極悪人扱いだけど、貴女、そんな人間じゃないでしょう?」
3つ目。話の通じない相手より交渉ができる人間が残ってくれた方が、
お互い都合がいい筈、そんなところね」
聞き終えたジャンヌは、しばし思案すると、
「……分かりました。では、これだけは聞かせてください。
日月さん。貴女はこの刑務で、どのように行動するつもりですか」
その問いを受け、日月の眉間に皺が寄る。今まで饒舌に話していた彼女が初めて言い淀んだ。
「…………私は」
「…………?」
鑑日月の雰囲気が、変わったように感じられた。
「私は、この牢獄から出たい。恩赦Pでも、脱獄でもなんでもいい。
戻りたいところがある。命を懸けてでもね」
ジャンヌから見た鑑日月という少女は、計算高い、大人びた少女という印象だった。
だが、今の信じられない程純粋な、年相応の少女のようで。
一体彼女は何を背負っているのだろうか?
「……ごめん、余計なこと言った。後半は忘れて」
「…………いえ、そんな」
「つまり、私は恩赦Pを稼ぐ為に動くってこと。
少なくとも、他に出獄の手段が見つからない場合はね。
そんな私が貴女から見て許せない悪に相当するのなら、同盟は破棄ということにしてくれて構わないわ」
「…………」
沈黙するジャンヌ。そんな彼女に日月はこう語りかけた。
「それじゃ、逆に聞かせてもらうわね。正義の味方の貴女は、『この刑務で、どのように行動するつもりなの?』」
鑑日月の問い。それはジャンヌ・ストラスブール自身も迷っていたことだ。
正義を貫く、そう言うことは容易い。
問題は、その為に何をするかだ。
このアビスに、か弱き市民はいない。彼女が命に代えてまで守るに値する人間がそもそもいるのかも分からない。
己の望みの為に他人を殺そうとする、鑑日月のような人間も悪として討つべきなのか?
それとも、ルーサー・キングのような巨悪を討つことに、その全てを捧げるべきなのか?
明らかに迷い、眼が泳ぎ出した彼女を見て、日月は苦笑しつつ言った。
「まあ、今すぐに結論を出す必要はないわ。
とりあえず貴女は休むべきよ。ある程度傷が癒えるまでは、ここにいましょう。
同盟の返事が決まったなら、声を掛けて。
――――あ、そうそう、これだけは言っておくわ」
鑑日月は、あらためてジャンヌ・ストラスブールに向き合って、こう言った。
「ジャンヌ・ストラスブール。私とあなたは根本的なところで相容れないと思う。
けど、巨大な敵を相手に『正義の味方(アイドル)』として戦う貴女を、私は美しいと思ってた」
「……アイドル?」
「だから、もし、貴女自身が本当に輝く為に私を討つというなら、殺されても構わない。
泥を啜ることを受け入れて進むのも、まあ良いと思うわ。
……でも、中途半端なのは許さない」
「言っている意味が、よく分かりません」
「……戯言よ。ま、私を失望させないでってこと」
そして、見張りをしてくる、と言い残し、日月はその場を離れた。
正義のために、何をすべきなのか。
ジャンヌ・ストラスブールは、決断を迫られようとしていた。
【B-6/河川敷/1日目・深夜】
【ジャンヌ・ストラスブール】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.正義を貫く。だが、その為に何をすべきか?
1. 鑑日月との同盟は……?
※ジャンヌが対立していた『欧州一帯に根を張る巨大犯罪組織』の総元締めがルーサー・キングです。
【鑑日月】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.アビスからの出獄を目指す。手段は問わない
1. 戦力として、ジャンヌ・ストラスブールは欲しい
2. ジャンヌ・ストラスブールには、『アイドル』であることを願う
最終更新:2025年02月27日 23:49