どうも、ヤミナ・ハイドです。

虫の声すらしない静かな夜。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
私は地獄です。

「それでな、ある日、俺の部下の一人がよぅ、『無人島を占拠して、世界最狂の宴会をやりてぇ!』なんてバカなことを言い出しやがったんだよ」

私の目の前では2メートル近い筋骨隆々の初老の男が潮風でしゃがれた声で意気揚々と大いに語っていた。
白髪交じりの薄い頭と失われた片目が、その過酷な戦いの歴史を物語っている。
カリブ海を牛耳る偉大なる(エルグランド)ドン。
それがこの男を表す名前である。

「けどなぁ、バカをやってこその海賊よ! 海の男たるもの、思い立ったら即行動!
 漁師たちの小舟を勝手に借りて、その辺の村で略奪した酒と肉を山ほど積み込んで、大宴会を始めるために無人島に乗り込むんだってわけよ!」

そんな相手に捕まった私は、こうして不良のヤンチャ話レベル100みたいな話を聞かされている。
どうしてこんな目に合うのでしょう、私はそこまで悪いことをしたのでしょうか?
まあ多少はしたけど。多少はね?

「だが、その島はどうにも様子がおかしかった。誰もいねぇはずの島のはずなのに、そこかしこにテントやら大砲やら謎の道具が転がってる。
 でも、細かいことなんざ気しねぇ海賊(バカ)ばかりだ、オレらはそのまま宴会の準備を始めたわけだ」
「ほぅほぅ。それでどうなったんです?」

興味を持っている風を装って、先を促す相槌を打つ。
それに気を良くしたのか、ドンは機嫌よく語りを続けた。
オジサンの話なんて適当に持ち上げとけばいいという常識はこの地の果てでも変わらないらしい。

「酒樽をガンガン空けて、肉をむさぼり、酒樽をドラム代わりに叩き、夜の浜辺で歌って踊っての大騒ぎよ!
 そんで部下の一人が盛り上がった勢いで花火をぶっ放したら、どっかの火薬庫に引火したらしく大爆発! そんでもって山が丸ごと炎上だ! ゲハハハハハハ!
 何で火薬庫なんかがあんだって話だが、酔っぱらい共は気づきもしねぇで『おお、夜空が真っ赤だぜ!』なんて喜びながら燃える山を肴に飲み続けてたってわけよ」
「え、えへぇ。最高っすねぇ」

数々のバイト経験で得たスキル、愛想笑いで乗り切る。
常識人の私からすれば内心はドン引きよ。さらっと山燃えてんじゃん。犯罪者かよ。

「で、気がつきゃ朝。二日酔い気味の目をこすって周りを見たら、なんと無人島の周囲を海軍の船がずらーりと待ち構えてやがる!
 どうやらそこは海軍が演習に使う島だったってオチだ! まいっちまったぜ、ゲハハハハ!!」
「あはっ……あははっ、おっかしー!」

このすべらない話を、腹を抱えて笑う。
何がおかしいんだこの話?
そもそもヤンチャ自慢の何が楽しいのだろう。
わざわざ他人にこんな話する人の神経を疑うよ。

「まあ、前日の酒が残ってた俺らもすっかりネジが外れちまってな。手で小舟を漕いで軍艦に乗り付けて、そのまま海軍相手に大立ち回りよ。
 最後は海軍共の警備艇を略奪して、海賊歌を歌いながら堂々の帰還を果たしたって訳だ、ありゃ楽しかったなぁ!」
「へへっ。そうですよねぇ。いやー、うらやましい、私も参加したかったなぁー!」

半ばヤケクソ気味にテンションを上げて返答する。
だが、その返答に機嫌よく語っていたドンが押し黙った。
こちらを睨むように見据えてくる。

しまった! 相槌が適当過ぎたか?
機嫌を損ねてしまったかと戦々恐々としながら、唾をのんでドンの沙汰を待つ。

「ゲハハハ! 言うじゃねぇか!! いいぜ、上手く娑婆に出れたらお前も連れてってやるよ!!」

そう豪快に笑いながら、ドカン、と私の背中を叩いた。
その衝撃に、私の体は僅かに宙を浮いた。

「…………ひョ!?」

どう考えても背中を叩いた音じゃない、衝撃が背中を突き抜ける。
足が地面を再び感じた瞬間、喉の奥から変な音が漏れた。

「ごはっ、ゴホッ、ゴヒュ…………ッ!!」

咽る。
私を吹き飛ばした極悪人は、悪びれるでもなくゲハゲハ笑っている。

殺す気か!? 
驚きと痛みに顔を歪めつつ、講義の意を込めて後ろから禿頭を睨み付ける。

だが、唐突に、高笑いをしていたドンがスンと表情を落とした。
睨んでる事に気づかれたか……!?
そう思い、瞬時に睨み顔を媚びた笑顔に変更して、揉み手で腰を落とす。

「ど、どうされました?」

機嫌を損ねたかと焦ったが、ドンはこちらとは違う方向。
何もない夜闇を見据え、すんすんと鼻を鳴らしていた。

「葉っぱの匂いがしやがるなぁ」

言われて周囲の匂いを嗅いでみるが、特に何も感じなかった。
ドンは口元を吊り上げ、にぃと笑みを浮かべた。
純粋な子供の様な、それでいてゾッとするような笑みだった。
確信を持ったような足取りで、警察犬のように臭いを辿るように動き始めた。

「あっ。い、行くんですか…………!?」

よくわかってないながら、私は慌ててその背を追っていった。


僅かに遅れてヤミナが追いついたその場所に、月明かりに照らされた二人の男が向かい合って立っていた。

それは囚人服に身を包んだ白人と黒人の男だった。
彼らは共に2メートルを超えようと言う巨体であるが、白人の方が頭一つ分ほど大きい。
存在感の塊のような2人がただ向き合っていると言うだけで、空間を捻じ曲げるような威圧感がある。

白人は言うまでもなく、ヤミナが負ってきた海賊王、ドン・エルグランド。
もう一人、黒人の巨躯は、どう見ても悪の親玉という風貌の老人だった。

周囲の闇に溶け込むような黒い肌は、男の不気味な存在感を際立たせていた。
同じ囚人服を着ているとは思えぬほど威圧感に満ちた着こなしている。
月明りの下に、ふぅと吐き出された煙は夜を白く濁らせた。

「ぃよう牧師様、いいもん吸ってんじゃあねぇか」
「これはこれはカリブの船長殿」

現れたドンに怯むでもなく、牧師と呼ばれた男は気安い調子で懐から新しい葉巻を取り出した。
そして、口元に笑みを浮かべながら船長へとそれを差し出す。

「君も一本どうかね?」
「おっ。そいつぁありがてぇ」

ドンは何の警戒もなしに近づくと、差し出された葉巻を受け取った。
そして、大男たちが顔を近づけ合い、咥えた煙草の先端をくっつけあって火を受ける。
ここにいるのはヤミナなので、シガーキスする2人の老人を見て「この爺さんたち仲いいのかな?」などと言う感想を抱いていた。

大海賊は火の付いた葉巻を口元に運ぶと、たちまち力強い吸引音で肺を満たす。
そして味わうように吟味すると、一息で大きく煙を吐き出した。
凄まじい肺活量で吐き出される煙に周囲が満たされ、ヤミナは咽た。

「こいつはキューバ産の上物だな、あんたセンスがいい」

故郷の味に満足したのか、海賊はその味を褒めたたえる。
マフィアの首領は肩を竦める事で応え、自身もその煙を味わった。

夜の草原には、不穏な静寂が漂っていた。
風に乗って立ち昇る葉巻の煙だけが、裏社会の二人の大物を一瞬にして絡み合わせる。

片や、100を超える海賊団を傘下に収めカリブの海を制した大海賊ドン・エルグランド。
片や、欧州の裏世界を牛耳る闇の皇帝、ルーサー・キングである。
コミッションでも実現しえない裏社会の大物の会合が、ほんの道すがらで実現していた。
一般の警察や裏社会の人間が見れば卒倒しかねない光景だ。

互いに数多の部下を率いる組織の長。
そんな二大勢力の頂点の会合を見守る立会人はヤミナという女一人。
正直この女、目の前のこの出会いの価値がよくわかっていない。

まあ、おっさん同士でやり取りするならしばらくこっちは休めるなー、などと考えながら。
裏社会を少しでも知る物ならば呼吸すらできない重厚な空気の中で、のんびり一息ついていた。

無言のまま白煙が夜を汚す。
黒と白。陸と海の支配者たち。
その在り方は、あまりにも対極的だった。

黒人の大男が葉巻を嗜む、その所作には落ち着いた品格があった。
全てを塗りつぶすように積み重なった風格は品性すら感じさせる重厚さがある。
全てを飲み込み、思うがままにコントロールする裏社会の支配者。
それがこの男、ルーサー・キングだ。

対する白人の大男は品性など知らぬとばかりに豪快に葉巻を吹かしていた。
無骨と粗暴を極めたような、粗野で野蛮な風格である。
己が欲するモノを思うがままに略奪する、正しく蛮族(ヴァイキング)の王。
それがこの男、ドン・エルグランドだ。

キングは根元に近づき味に雑味が出てきた辺りで喫煙を止め。
ドンは最後まで味わい尽くすように根元まで豪快に喫煙を続けた。
かくして、2人の男は同時に喫煙を終える。

「旨かったぜぇ。牧師さん。サンキューな」
「そいつは重畳だねぇ。何よりだ。では」
「ああ、闘ろうか」
「ん? ん?」

言って、指で弾く様に吸い終わった葉巻を同時に投げ捨てる。
ジリと、ゆっくりと間合いを開けて、2人の巨漢が向かい合った。
一人展開についていけないヤミナだけが、鶏のように首を右往左往させていた。

キングが指を鳴らし、ドンが首を回す。
空間が歪むほどの威圧が二人の男から発せられていた。
ここにきてようやく、ヤミナも理解した。
これより、この場で、怪物同士が殺し合うのだ、と。

月明かりの下、草原に立つ二人の男の間を強い風が吹き抜けた。
雨が静かに降り始め、風がざわめく。雨は徐々に勢いを増して猛るように狂い始める。
突風が全速力でルーサー・キングに向かって飛び、彼の囚人服をはためかせた。

恨み骨髄と言った様子で挑んできた小娘相手には、キングは葉巻を片手に余裕の姿で相手をしてやった。
だが、今回は葉巻片手にとはいかないだろう。


何故なら――――これより嵐が巻き起こる。


「さぁ――――どうせなら派手に行こうか!! なぁ牧師さんよぉ!!」


空模様が一変する。
ドン・エルグランドが大きく唸りを上げると、彼の周囲に強い嵐が巻き起こった。
激しい風雨が彼の周囲を渦巻き、空は暗雲に覆われ月明かりがかき消される。
吹き飛ぶような風に大地が震え、草原は一瞬にして暴風雨の舞台と化した。

「ゥルアアアッハッハハハハハハハハァ!!」

嵐の怒涛を前にしながらドン・エルグランドが、豪快な咆哮と共に前進する。

――――嵐を呼ぶ男。

大海賊は雨風を一身に受けとめるように両手を広げた。
嵐の王によるワイルドハントの始まりだ。

白い巨体が駆ける。
激しい向かい風が雨を散弾のようにドンに叩きつけるが、ドンの歩みは緩む様子を見せない。
ぬかるんだ地面に大きく足跡を刻むと、足元で雨粒が砕け散る。
まるで雨風を切り裂くガレオン船のように、蛮勇を持って大海賊は嵐の中を突き進む。

一方、暗黒街の皇帝は不動のまま敵を迎え撃った。
ルーサー・キングはその風雨に怯むことなく、静かに鉄の拳を握りしめる。
凄まじい重圧と共に迫りくる大海賊を前に、暗黒街の王は冷静に鋼の弧を空中へと描いた。

その体内から冷たい光を放つ鋼鉄がゆっくりと形成され、三日月のような形を帯びる。
その刃は嵐の中で鈍く光を反射して鋭く光を放つ。

そして、キングは生まれた鋼鉄の刃を一閃させるように前方へと繰り出した。
鉄の刃が嵐に飛ばされることのなく海賊の首に向かって飛来する。

対するドンはその体躯に見合わぬ機敏な動きでそれを躱した。
鋼鉄の王が続けて鋼鉄の兵器を生み出し、次々と打ち放つ。
あるいは刃、あるいは槍、あるいは矢、あるいは弾。

だが、豪雨の中をはしゃぐように跳ねるドンには、そのどれもが掠りもしない。
嵐にも負けぬ声で豪快に笑いながら、次々と攻撃を躱し、弾き、避けていく。
しかし、敵もさる者。攻撃を躱されながらも要点を押さえ、巧く相手を近づけさせない立ち回りをしていた。
キングはその場を動くことなく状況を完全にコントロールしていた。

「ジッとしてどぅした!? 年食って足腰弱っちまったかぁ!?」

嵐の中を縦横無尽に駆け回る海の怪物が、地に根を張る陸の怪物を煽る。
釣れ出せたなら儲けもの、釣れ出せなくとも気分がいい。

「おいおい、今でも下半身は現役だぜ?」

この煽りを軽く流しながら、キングは敵の動きを観察する。
下手に動き回れば如何にキングと言えど雨風に足を取られかねない。
むしろ、この状況で自由に跳ね回っているドンの方が異常である。

何より驚異的なのは、その強さは超力を前提としていない。
この嵐はドンの超力によって生み出されたものだが、嵐は必ずしもドンに寄与する訳ではない。
呼び出したのはただの嵐という自然現象。
つまり、この動きは純粋なるドンのフィジカルによるものだ。

それも当然、開闢以前より蛮勇を轟かせていた豪傑だ。
ネイティブ世代の軟弱どもとは次元が違う。
”本物”の怪物だ。

「ひぃぃぃぃいいいいいいいいい~~!!!?」

ザン、と嵐に飛ばされぬよう堪えていたヤミナの足の間に巨大な鉄の刃が落ちて、情けのない悲鳴を上げる。
吹き荒れる嵐の中に鉄塊が混じり、もはやこの場は滞在するだけで死亡しかねない致死領域と化していた。

「ゲハハハハハハハハハッッ!!」

そんな致死領域の中、大海賊は笑う。
一方的な鉄の暴威に晒されながら、この嵐の中で60を超える老体が跳ねるように動き回る。

大海賊にとっては、嵐など恐れるものではない。
船乗りにとって嵐とは屈服させ、乗りこなすものである。

この嵐は必ずしもドンに有利に働くわけではない。
だが、シンプルに、この男は嵐に慣れている。

運悪くぬかるみに足を取られる事もあるだろう。
だが、そうなったら、それはその時だ。
運が悪かったのならば、自分の命もそれまでだと考えているだけだ。
ドンは一歩ごとに己が運命を測るように、嵐の中を駆けまわっていた。

狙いを外れた鉄塊が地面に突き刺さり、嵐の中で墓標のように突き立っていく。
鉄と嵐の夜。嵐の王は目の前に突き立つ、ひときわ大きな鉄柱を蹴り飛ばした。
その反動を利用して、ドンが跳んだ。

「ヒャッハァ――――!」

楽しげな声。
雨風を切り裂きながら、キングに向かってドンと言う砲弾が放たれる。
そのまま一気に間合いを詰めると、丸太の様な腕が豪快に降りぬかれた。

だが、その速度は超力の炎を推進力としたジャンヌの方がまだ早い。
キングは冷静にその動きを見極め、ダッキングのような動きで身を躱すと、そのまま鉄拳をドンの顔面に叩き込んだ。

交通事故のような衝突音。
相手の突撃の勢いを倍返しする、完璧なカウンター。
聖女を吹き飛ばした一撃はしかし。

「ゲ、ッハハハハハハハハァ!!!!」

文字通りの鉄拳を顔面に受けながら、偉大なる大海賊は止まらない。

ドン・エルグランドの最大の脅威。
それは、豪快な腕力でも巨体に見合わぬ俊敏性でもない。
岩山から転がり落ちても平然としている、現代人を基準としても異様と言えるそのタフネスだ。

純粋なるタフネスでその一撃堪えたドンは止まらず、そのまま全てを刈り取る斧のように逆腕を振るう。
それは女子供の首程度なら触れるだけで吹き飛ぶような剛腕の一撃だった。

だが、その一撃は雨風を弾きながら空を切る。
その場にはキングはおらず、既にバックステップでその場から引いていた。

不動であったキングが引いた。
むしろ、撃ったキングの方がダメージが大きい。
鉄で骨ごと固めていなければ、折れていたのはキングの手首だ。

まずはその結果を満足げに受け止め、ドンは親指で片鼻を塞ぐと、フンと勢いよく鼻血を吹き出す。
赤い血の塊は地面に落ちることなく嵐に流れて消えて行った。

「いいパンチだなぁ。ボクシングでも齧ってやがったのか、牧師さん?」
「ああ。80年代はプロボクシングの黄金時代だったからなぁ。俺も憧れたもんだよ。ま、そっちでは花は咲かなかったがねぇ」

軽いジャブを打ち出し降りしきる雨を撃ち抜きながら手首の調子を確かめる。
90を超える老人とは思えぬ軽やかなシャドーにドンもヒューと称賛の声を上げた。
軽いステップを見る限り、先ほどの言葉通りフットワークも現役だろう。

だとしても、そのステップがこの嵐の中で生かしきれるとは思えない。
ドンと違い、キングはあらゆる根回しをして確実に勝てる手を打つ慎重派だ。
雨風の中、運に身を任せるような真似はしない。それは無鉄砲と言う物だ。

そしてその無鉄砲な蛮勇こそがこの大海賊の生きざまだ。
再び待ちの構えに戻る裏世界の首領に対して、嵐の王が迫る。

考えなしとしか思えぬ突撃。
だが、ここまでの圧力を伴っているとなれば、それは十分すぎるほどの脅威だ。
闇の皇帝はその動きを読み取ろうと冷静な眼差しで相手を凝視した。

瞬間、不運にも吹き荒れる暴風雨の猛威がキングの視界を遮った。
いつだってそうだ。ここ一番で海賊に幸運は訪れる。

「――――喰ぅらいやがれッッ!!」

大海賊の拳先から放たれる勢いは周囲の草をも巻き上げ、嵐すらも撃ち抜いた。
しかし、ルーサー・キングはすでにその攻撃を予測していたかのように、鋼鉄の防壁を堅固に固めていた。
見えずとも、全方位に壁を敷き守備に徹すればこの窮地は凌げる。

嵐の中で、ドン・エルグランドの豪快な一撃と、ルーサー・キングの鋼鉄の盾が衝突する。
瞬間、雷鳴のような轟音が響き渡り、空気を震わす衝撃に周囲の雨粒が弾けた。
防壁に衝撃を受けた鋼鉄は、波紋を描くようにわずかに揺れ、その衝撃はルーサー・キングの体内にまで伝わる。

だが、闇の皇帝は冷静さを崩さず、その衝撃を元に敵の位置を特定した。
ドンは瞬時に鉄壁から鉄骨を精製して、弾丸のように射出する。
避けようもなく、射出された鉄骨がドンの鳩尾に突き刺さった。

「…………頂きだ、ぜッ!!」

だが、視界を回復させたキングが見た物は、鳩尾の寸前で鉄骨を左手で受け止めるドンの姿だった。
ドンはそのまま鉄骨を両手で持ち直し、そのまま綱引きのように鉄骨を引く。

略奪は海賊の華。
敵の生み出した鉄の塊を鉄壁に向かって叩きつけるように振るう。
先ほどの比ではない衝撃が走り、鉄壁がいとも容易くひしゃげた。

「ゲハハハハッ! 武器の提供、あンがとさん――――――ッ!!」

高笑いと共に数百キロの鉄塊を軽々とこん棒のように振り回す。
この男こそが嵐だった。
周囲を吹き荒れる雨風など、この男の暴威に比べればかわいいモノだ。

嵐の王が、再び鉄骨を振り上げ叩き付けんとする。
だが、その寸前、握りしめていた鉄骨が熔けるように崩れ落ちた。
鉄骨はキングの超力によって生み出した物だ、破棄する権利もキングの物だ。
そして、溶けた鉄が細かな千の棘となり、ドンへと襲い掛かる。

「…………チィ!」

小さな針程度、いくら刺さろうと物の数ではないが。
先ほどまで手にしていた武器の逆襲に流石にドンの体勢も僅かに崩れた。

その隙を見逃すルーサー・キングではない。
この嵐の決戦に初めて訪れた明確な勝機だ。
これまで以上の超力行使を行うべく、キングが身を構えた。

その目前を、何か異物が横切った。

「ごめんなさぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああい!!!」

そこには、誰にも存在を忘れられ、いつの間にか嵐に巻き込まれて空を舞っていたヤミナ・ハイドだった。

あのキングですらその存在を見落としていた。
元より気に掛けるまでもない小物。
ドンと言う存在感の塊を目の前にしていたと言うのもあるだろう。

だが、そんな事はあり得ない。
注意深く高い洞察力を持つキングが相手を見落とすなどと言う侮りをするはずもない。それはキング自身が一番よくわかっている。
あり得ざるが起きたというのならば、つまり、これは。

「…………ちっ!」

瞬時に思考を打ち切り皇帝は舌を打つ。
これまで注目していなかった存在に注目させられた事で、一瞬だがそちらに思考を裂いてしまった。
今はそんなことを考えている場合ではないと言うのに。
余りにも厄介すぎる『超力』に足を救われた。

「よそ見してんなぁぁああああっ!!!」

気づけば、ドンがすぐ目の前にまで迫っていた。
ドンは何か策があったわけでも、ヤミナの動きを察したわけでもない。
不幸の後に幸運くる。ただ、己が幸運を信じた。

「っ…………!」

ドンは咄嗟に目の前の相手を押し流すべく、溜めていた超力を一息に発動する。
吹き荒れる嵐を食い破る様に、聖女を押し流した鋼鉄の荒波が巻き起こった。

全てを飲み込む鋼鉄の津波。
それを前にして、大海賊は笑った。

「ゲハハハハハハハハ――――――ァ!!!」

自らの窮地を笑い飛ばしながら、荒波に向かって大海賊が飛んだ。
恐るべき蛮勇。そこには絶望や恐れなど微塵もない。

それが波であるのならば、千の海を越えてきた大海賊に乗りこなせないはずがない。
偶然拭いた強い嵐に背を押される様にドンの体が浮き上がり、その勢いでその体は荒波の上に乗った。
雨に濡れた鉄の表面をまるで波に乗る様に滑り落ちながら、ドンは巨大な拳を振り下ろした。

嵐の王の拳が鋼鉄の王の顔面に叩きこまれる。
キングの巨体が跳ね飛ばされるように大きく後方に吹きとばされた。
上体をのけぞらせた体制のまま、ぬかるんだ地面を泥水を跳ね上げながら滑る。

「くっ…………!」

だが、皇帝は倒れず、ギリギリのところで踏みとどまった。

見れば、殴り抜けたキングの頬は鋼鉄で覆われていた。ギリギリで鋼鉄のガードが間に合ったのだ。
それでもドンの拳の衝撃を殺しきれなかったのか、つぅとキングの口端から血が滴り落ちる。
そして鉄の頬を殴ったドンの拳からも血が流れていた。

拳と口元。
互いに滴り落ちる血液は拭うまでもなく、激しい嵐に絡めとられ、糸を引くように消えていった。

「……ククク」
「フハハハハハハハハ」
「「ハァッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」」

2人の大悪党の哄笑が嵐の中に響き渡る。
愉快でたまらないと声をそろえて笑っていた。
その哄笑は雷鳴の如く轟きならが、風に乗って天に上ってゆく。

「お遊びはこの辺にしておくか。これ以上続けたら、年甲斐もなく熱くなっちまいそうだ」
「まっ。そうだな。名残惜しいが、余興はこの辺でお開きにしておくか」

ピタリと、哄笑と共に吹き荒れていた嵐が止む。
雨風にびしょ濡れになって地面に無様に転がるヤミナだけが、一人呆然と取り残されていた。

「で、そちらの要求は?」
「斧だな、斧が欲しい。とびっきりの戦斧が」

先ほどまでの命のやり取りなどなかったように、落ち着いた様子で交渉を始める。
ドンの要求にキングは驚くほど素直に従った。

その異能で、飾り気のない無骨な斧を生み出すと、ドンへと手渡す。
巨漢のドンをして重いと思わせるズシリとした重量。
正直なところ切れ味は保証できないただの巨大な鉄塊であるが、大海賊の巨躯に見合う重量である。

その手ごたえを試すように、振り上げた斧を豪快に振るう。
空間ごと斬り割くような鋭さで、戦斧は空を切った。

「いいねぇ。これなら鉄板も、ぶった切れそうだ」

嵐の王が、鋼鉄の王に向かって二ィと笑う。
この重量とドンの腕力があれば鉄壁など紙のように容易く両断できるだろう。
キングは肩をすくめて、いなすようにそうかいと相槌を打った。

「んじゃまぁ、貰ってくぜぇ」

代金を支払うでもなく、斧の刃を振りながら海賊は意気揚々とその場を去る。
武器商人たる皇帝は気にするでもなくそれを見送り。

「川を辿っていくといい」

最後に一言だけそう言い残して、裏社会の頂点は別れた。


「な、なんだったんです?」

ヤミナからすれば、訳が分からない。
仲良く喫煙所タイムを楽しんだと思ったら唐突に殺し合い、最後は無償で武器までくれた。
サービスのいい人なのか? 情緒不安定なのか? 更年期なのか?
あそこで起きた出来事の何一つ何が何だかわからない。

「訳の分かんねぇって顔だなぁ。ゲハハ。聞きてぇか?」

首尾が上々だったためか、ドンは上機嫌な様子でヤミナに聞いた。
ここまでの短い付き合いで、ドンについてヤミナは気付いたことがある。

この大海賊は、意外とおしゃべりだ。
駆け引きはすれど隠し事などしない信条なのだろう。
そんな事は弱者のすることだと考えているのかもしれない。
いや、何も考えてないだけかもしれないが。

「つまるところ、野郎と俺は殺し合う理由がねぇのさ」

散々殺し合いをした挙句に、まるで事実と違う事を言った。

「首輪を見たか? たったの10pt。ポイント目当てで狙うには、ま、割に合わねぇわな」

不味さを示すように、喉を押さえてうげぇと舌を出すジェスチャーをする。
恩赦P目当てで狙うには、ルーサー・キングはあまりにもうま味がないのだ。
あの大物が自分の半分以下とは、ヤミナは司法がイカれてるとしか思えなかった。
あれほどの強敵を倒してビール一本というのはあまりにも割が合わないだろう。

「奴からしても、たった10年そこいらの恩赦の為に、わざわざ俺を狙う理由もねぇ」

刑期の少ないルーサー・キングからすれば、誰を狙っていい状況でわざわざ強敵を狙う理由がない。
あの小競り合いにはそれを確認するという意味合いが含まれたプレゼンの様なものだった。
逆に言えば、双方の共通認識として、傷を負うことなく一方的に倒せる程度の実力だったのならばあのまま殺していたという事でもある。

「奴からすれば、恩赦だのどうこうよりも、テメェの命を狙いに来る鉄砲玉の処理の方が問題なのさ。そのために俺に恩を売っておいたって訳さ」

そう言って戦利品である戦斧を自慢げに掲げる。
つまりは、この戦斧は露払いをして貰うための賄賂という事だ。
この戦斧があれば銃頭の操る鉄鎧どもを切り裂けるだろう。

「はぇー、そこまで考えてたんですねぇ」

具体的な言葉を交わすでもなくそこまでの意思を共有していたとは。
肉体言語と言う奴だろうか、ヤミナにはよくわからない世界だ。
なにも考えていないようで意外と考えているのだなと感心する。

「ま、俺がそれに従うとは限らねぇんだけどなぁ!!」

ゲハハと己が不義理を豪快に笑う。
報酬は既に貰ったのだから、相手の為に働く義理もない。
義務はあるのだろうが、これに関しては海賊相手に前払いをする方が悪い。

とは言え、別に従わない理由もないと言うのも確かだ。
わざわざ獲物の場所を知らせてくれたというのなら、乗るのも正直なところアリだ。
あの牧師がわざわざ始末を望む獲物ってのにも興味はある。

「……さぁて、どうっすかなぁ」

大海賊は次の獲物を吟味するように、楽しそうに舌をなめずった。

【D-6/平原 北東部/一日目・黎明】
【ドン・エルグランド】
[状態]:ダメージ(中)、全身に小さな傷、頭部出血、精神汚染:侮り状態
[道具]:戦斧
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.奪い、殺し、自由を取り戻す
1.川を辿って牧師の刺客を狙うか、銃頭(ガンヘッド)野郎を探すか、どうするかなぁ
2.ヤミナはうまくパシらせる

【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(中)、ずぶ濡れ
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
1.ドン・エルグランドの指示に従う
※ネオスにより土砂崩れに侮られ、最小の被害で切り抜けました。
※ネオスにより嵐に侮られ、受ける影響が抑えられました。



「ったく。服が汚れちまったぜ」

びしょ濡れで泥だらけになった囚人服を絞りながら、闇の皇帝は一人愚痴る。
そして、囚人服の胸ポケットから取り出した鉄製のシガーケースを開いた。
激しい嵐に見舞われたが、鉄のシガーケースにしまわれていた葉巻は無事のようだ。

「ま。葉巻一本で、済んだなら儲けものだな」

偉大なる大海賊との出会いを振り返る。
超力でいくらでも生み出せる戦斧よりも葉巻の方が貴重だった。
葉巻はあと2本。貴重な1本だったが、あそこで差し出した判断は正しかっただろう。

闇の世界を牛耳る大首領は一目見るだけで人の機微、その本質が解る。
アレは根っからの略奪者だ。
煙草の匂いにつられてやってきたあの男は、最初から殺してでも奪い取るつもりだった。
あそこで葉巻を渡していなかったのなら、本気の殺し合いになっていただろう。

つまり、ドン・エルグランドと言う男は煙草一本の為に、裏世界の大首領を殺すつもりでいたのである。
恐ろしいのはその意味を理解していないのではなく、正しく理解した上でその選択をしているという点だ。
損得は埒外。刹那的で享楽的。向こう見ずにもほどがある。

だからこその使い道もある。
雨風を操る大海賊の超力は炎使い共の天敵である。
刺客としてこれ以上ない存在だ。

加えて、キングの超力で作られたこの斧は、キングの意思で自由に破棄することができる。
つまり、造反された所で対策も万全と言う訳だ。

素直に従うとは思っていないが。
葉巻一本で保険の一つが打てたならなら上々の成果だろう。

大悪党の遭遇は、両者両得の結果となった。
問題があるとするならば、この濡れた服をどうするかと言う点だけだろう。

【D-6/平原 東部/1日目・黎明】
【ルーサー・キング】
[状態]:疲労(軽)、頬に傷、びしょ濡れ
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.勝つのは、俺だ。
1.生き残る。手段は選ばない。
※彼の組織『キングス・デイ』はジャンヌが対立していた『欧州の巨大犯罪組織』の母体です。
 多数の下部組織を擁することで欧州各地に根を張っています。

026.chang[e] 投下順で読む 028.地獄行き片道切符
035.神の試練 時系列順で読む 030.裁かるるジャンヌ
すばらしき世界の寄生虫 ドン・エルグランド 風に乗りて歩むもの
ヤミナ・ハイド
少女の祈り ルーサー・キング パブリック・エナミー

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最終更新:2025年03月05日 09:56