【週刊■■ 202X年09号】

『衝撃スクープ!「支配者」は少年Aだった――ついに明るみに出た驚愕の真実とは?』

同級生3名を殺害した容疑で起訴されている少年A(14)に対し、本日、検察が無期懲役を求刑した。
事件当初、少年Aは「被害者たちから日常的にいじめを受け、追い詰められた末の犯行だった」と供述していた。
周囲の同級生や一部の教員も「確かにいじめられている様子を見たことがある」と証言し、少年院送致が相当という声も少なくなかった。
情状酌量の余地があるかに見えたこの事件だが、ここへきて事態はまさかの急展開を迎えている。

本誌の独自取材によって「実際には少年Aこそがいじめ加害者だった」という証言が得られたのだ。
なんと、取材班は被害者たちが逆に少年Aから日常的にイジメを受けていたことを示すメッセージや録音記録の一部を入手。
そこには周囲の生徒はもちろん、一部の教員にさえ圧力をかけていたとされる、信じがたい実態が克明に記録されていたのである。

「少年Aが学校の中心人物になってから、学年全体の空気がガラリと変わった。
Aと距離を置こうものなら、陰口や脅迫めいた言葉を浴びせられる。
年下のはずの少年Aに対して、教師たちでさえ逆らえない雰囲気があったのは確かだ」。
本誌が接触した学校関係者は、恐る恐るこう証言する。
その言葉から伝わるのは、まるで“絶対的支配者”として君臨していたかのような少年Aの姿だ。

こうした新事実を受け、検察は「少年Aによる供述には虚偽が含まれていた疑いが強い。単なる衝動的な犯行ではなく、日常的な加害行為の延長線上にある計画的な犯罪」と主張を強化。
そもそも、いじめを受けていた側は少年Aではなく、殺害された3名のほうだった可能性が高いというわけだ。
そのため、たとえ少年であろうと、裁きの手を緩めるべきではないと判断したのではないかとみられている。
まさに衝撃的な事実の発覚と言わざるを得ない。

少年Aの弁護側は「週刊誌が報じている証拠は捏造、あるいは違法な手段で入手された可能性があり、証拠能力に疑問がある」と強く反論。
審理は長期化の様相を呈しているが、次回公判では検察が押さえているという“さらなる裏付け証拠”が公になるのではと噂されている。
はたして、その真相とはいったい何なのか。弁護団の防御戦略はいかなる手段を講じるのか。

本誌取材班が追跡調査を続ける中、関係者の間では「実は少年Aは、他の問題でもすでに教師や周囲を“黙らせて”いたのではないか」「中学校全体が少年Aの“帝国”と化していた」など、真偽不明の噂が飛び交っている。
さらに、学校側も過去にいじめの事実を把握していながら、少年Aの影響力を恐れて黙殺していたのではないかという疑惑まで浮上しているのだ。

次回公判までにどのような新証拠や新証言が提示されるのか――事態は予断を許さない。
少年Aに対する世間の視線は、いまや「いじめの被害者から一転、“絶対的支配者”だったのか?」という点に集中している。
果たして司法の裁きはどのような結末を迎えるのか。今後の展開から目が離せない。


「…………ぷはっ」

湖面に白い飛沫が上がる。
その飛沫を巻き上げ水中から姿を現したのは芸術のように美しい一人の男だった。

水面から上がる男の細い裸体が月明かりに照らされ、彫刻のようにその陰影が際立つ。
水面に映るその顔は、人形のような美しさとどこか儚げな陰りを宿していた。
芸術品のように整った男の顔から水滴が伝い、滴る雫は首筋を撫でるように落ちて湖面に小さな輪を広げる。

この芸術の如き男の名は氷月蓮。元少年A。
アビスに墜ちた凶悪犯の一人である。

14歳だった氷月は同級生3名を殺害。
逮捕後、イジメを苦にした殺人であったと本人は自供。
日常的に氷月が被害者たちから虐めを受けていたという事実は周囲の証言から裏付けられ、判決にも情状酌量が図られる流れであったが、週刊誌に垂れ込まれた目撃証言により事実が発覚。
悪質で計画的犯行であるとして無期懲役の求刑を受けたが、最高裁までもつれ込んだ判決は30年の実刑、地方刑務所への収監が確定した。

その後、獄中で開闢の日を迎え、超力が発現。
彼が目覚めた超力は人の殺し方の最適解が見える、人を殺すためのだけの力だった。
その名を『殺人の資格(マーダー・ライセンス)』――――『常時発動型』の超力である。

その瞬間から、彼にとって人間とは説明書付きの解体標本でしかなくなった。
この超力が目覚めてから担当の刑務官、同じ房の囚人たちの解体方法が彼の目には見えていた。
その映像は人を見るたび発動し続け、彼の目には常に相手の殺し方が映り続けるようになったのだ。

そんな常人であれば正気を失うような状態を、彼は刑務所に超力検診が行われるまでの数か月間の間、顔色一つ変えずにやり過ごしていた。
超力が判明後その危険性から、彼はアビスへと墜とされた。

だが、彼にとってアビスへの転所は渡りに船だった。
システムAのあるアビスでならば他者を殺す方法が見えなくなる。
それは彼に安心感を与えた。

その理由は、己が超力の殺傷性に思い悩んだジェーン・マッドハッターとは違う。
実のところ、彼は同級生を殺したかった訳でも、殺してみたかった訳でもない。
ただ、殺せそうだから殺したのだ。

それは、目の前に置かれた非常ボタンや自爆スイッチを押したくなってしまう心理に似ている。
禁忌に憧れるカリギュラ効果と言う訳ではない。そもそも禁忌であるともすら考えていない。
ただ、やってみたいというサイコパス特有の衝動性。
そんなサガに氷月ですら抗えなかった。

屠殺を待っている家畜のように殺し方が提供される連中を、正直、あのまま殺さない自信がなかった。
だが、冷静な損得勘定としてそれが自身の立場を悪くする行為だと理解している。
それ故にその衝動は彼には耐えがたい苦痛であった。
だからこそ衝動性駆られることのない、穏やかな時間を過ごすことが出来たアビスの生活は彼にとって存外快適なものだった。

彼は生まれながらのサイコパスだ。
他者を引き付ける魅力を持ちながら、自己中心的で共感性が低く罪悪感がない。
他者を利用する事に長け道具としか考えず、己の損得を何よりも優先する。

そんな彼にとってこの刑務作業はどういうものなのか?

損得で考えれば間違いなく得だろう。
アビスの生活が快適であると言っても、表の世界での自由とは比べるべくもない。
もちろん恩赦が事実であればという前提ではあるが、利用しない手はない。

このアビスにおける快適さは超力無効化機構である『システムA』に担保されたものだ。
アビスからの解放はシステムAからの解放とイコールであり、アビスでの懲役とはすなわち超力から隔離される期間である。
開闢以前より服役していた氷月には、超力を活用できた期間がない。
この超力世界の浦島太郎だ。

世間が超力に目覚め、触れ、共に育っている間も彼は獄中で刑期を全うしていた。
ネイティブ世代に至っては生まれた時から超力と共に育っている。
それは超力に依存していないという事だが、経験値と言う意味では周回遅れもいい所だ。

だからこそ、そんな自分が超力を解放したまま世界に解き放たれればどうなるのか、氷月自身にもわからない。
それだけに、どうなるのか興味がある。

この刑務作業はその試金石だ。
時間経過で終了するこの刑務作用において、恩赦を諦めただ生き残りを目指すのであれば目的を同じくする人間同士で手を組んで戦わず隠れ潜むのが一番だ。
氷月が潜り込もうとしているのはそう言う集団である。

24時間をやり過ごすことを目的とした集団に潜り込んで、殺してもいい獲物を見た時自分がどうするのか。
氷月蓮と言う男はそれが知りたかった。

水面に上がった氷月は静かに呼吸を整えながら、水を払うように陸へ足を踏み出す。
足が陸地を捉えると、まるで舞台に上がるような軽やかさで岸へ上がった。
繊細な顔立ちで微かな息遣いをしながら背後を振り返る。

その静かな眼差しの先に広がるのは、先ほどまで彼が泳いでいた広い湖であった。
彼はこの湖を端から端まで泳いで渡ったのである。

傍から見れば、夜の山を登るがごとし意味のない行動にしか見えないが、氷月蓮という男は意味のない行動をする男ではない。
その行動にはいくつかの理由が存在する。

まずは単純に焔の魔女から距離を取るため、と言うのが一つ。
一時的に逃れはしたものの、また追いかけてこないとも限らない。
出来る限り距離を取っておきたかった。そのために改めて湖に飛び込み対岸まで泳ぎ切った。
仮に業火を扱うあの魔女が追いかけてきていたとしても、水路は有効な逃走経路だった。

次に、自身の運動能力の確認である。
彼は獄中で開闢を果たしたため、現在における自身の運動能力をまだ完全に把握しきれていなかった。
刑務所内での簡単な運動や刑務作業による肉体労働は行っていたが、それだけでは現在の性能限界までは分からない。

その確認を終える前にあの焔の魔女に出会ってしまったため、あの時点では対抗のしようもなかった。
久しぶりに見た超力越しの人間、そして死の予測だったが、自身の能力が分かっていなければ戦う以前の問題である。
だからこそ早急に自身の性能を確認する必要があった。

500mほどの遠泳をこなしても、殆ど息を切らしていない。
開闢以前の運動神経は同年代に比べても良い方だった自負はあるが、予測以上の成長である。

だが、予測以上と言うのはあまりよろしくない。それはつまりズレがあるという事だ。
完全に性能を発揮するには頭の中のイメージと現実の運動性能をアジャストせねばならない。
泳ぎながらある程度は調整できたが、まだミリ単位のズレがある。
本格的に動き出すのなら後1時間ほどの調整が必要だ。

最後の理由、それは湖の調査のためだ。
遠泳の最中に水中を確認していたが、湖には魚の一匹すら見つけられなかった。
夜の水中を見逃したのか、魚の少ない湖なのか。それだけならそう言う事もあるだろう。

だが、問題は彼が湖を調べようと思い立った理由だ。
ここにきて、氷月は動物はおろか虫の声一つ聞いていない。
都会ならまだしも、ろくに人の手の入っていない孤島でこれは異常だ。

その事実がどういう意味を齎すのか。
推測は出来るが、今の所その結論らしきものは出ない。
それを確認すべく水中の調査を行い、その疑念を強める結果となった。

道具があれば微生物の確認もしたいところだが、それは難しそうだ。
恩赦Pを使って購入するという手もあるが、そこまでの重要度のある事項なのかと言う判断もまだできない。
考えても仕方ないので、この件に関しては現時点では保留としておく。

夜に向かって歩を進めると、背の高い蔦が建物の壁をむしばんでいる光景が広がる。
氷月がたどり着いたのは、埋立地のような一角に聳える廃墟である。

全てが黒で塗りつぶされたような夜に、孤島の廃墟が沈黙をまとって立ち尽くしていた。
古い門や朽ち落ちた屋根に、長らく人の手が入っていないことは明白だった。

まるで建物の墓標が並んでいるかのよう。
不気味な深い静寂に包まれる夜の廃墟をまるで芸術品のように整った容貌の男が表情一つ変えず歩く。
響き渡る足音だけが夜の廃墟を支配する沈黙を破っていた。

廃墟に侵入した目的は、自然物の次は人工物を調査したかったというのと。
潜り込めそうな刑務参加者の捜索。24時間をやり過ごそうという輩が隠れるにはいい地形だ。
後は、魔女から逃れるのに使用した服の確保と言うのもある。

だが、しばらく無防備に歩いてみたが人の気配らしきものは感じられない。
あえて隙を見せる事で、どのようなスタンスの人間であれ何らかの反応をせずにはいられないだろうと期待したが何もない。
気配を殺しているのか、超力による隠匿も可能性としてはあるが、これは空ぶりようだと内心で肩を落とす。

氷月は表情を変えぬまま目的を切り替え、近場にあった崩れかけた民家を見つめる。
朽ちた民家の門は今にも崩れそうで、闇を裂く月光がその隙間から滑り込んでいた。
扉は鍵が壊れているのかおあつらえ向きに半開きになっており、大した労をかけずに侵入できそうである。

氷月は何の恐怖もなく、だが待ち伏せを念頭に置きながら慎重に扉を押し開けた。
静まり返った空間には、まるで時間そのものが止まっているかのような暗さが宿っていた。
虫の声も消え失せた闇の中で、男は不自然なほど整然と片付いた床に目を止める。
まるで少し前まで誰かが暮らしていたかのようなその生活感に、ほんのわずかな違和感だけが彼の胸をかすめた。

室内ならば構わないだろうと、デジタルウォッチのライトを起動する。
その明かりを頼りに無機質な瞳をした男が、朽ちた廊下を無言のまま踏みしめて進む。

玄関に転がっていた薄汚れた靴や、テーブルに放置されたコップなど、かすかな生活の後が残る。
まるで人々の営みが途中で途絶えたまま、この世界に取り残されているようだ。
その痕跡に男はほんの一瞬だけ視線を留めたが、しかしその顔には何の感情も浮かばない。
そのまま何事もなかったように再び歩き出した。

1階の探索を終えた氷月は、慎重な足取りで床板の軋む音を確かめながら2階へと進む。
妙に肌に張り付くような空気の中、一つ一つ部屋を調べていく。

2階奥にあったのは住民の部屋のようだ。
そして、崩れかけた衣装棚を見つけ、無事そうな引き出しを開く。
ややボロだが、Tシャツが数枚。比較的状態の良い一枚を手に取り着用する。
着替えの最中、家具の隙間にまばらに雑誌の並ぶ本棚を見つけた。

邪魔な家具をどかせて、本を一冊手に取る。
その本を見て初めて氷月は意外そうに僅に眼を細めた。
その書籍は彼の母国語である日本語で書かれていた。

彼が驚いたのはこの孤島が日本語圏にあるとは考えていなかったからだ。
だが日本の書籍があったところで、ここが日本であるというのは安直な決めつけである。
世界の危機に対する世界的な貢献から、日本は開闢以降国際的な発言力を強めた。
外の世界の実情は分からないが、海外に日本の本が流通することも珍しくはなくなっているはずだと、そう推測する。

人生の大半を獄中で過ごしたはずの彼が国際情勢に明るいのは新聞による知識である。
反抗的な囚人や、制御不能の凶悪犯、あるいは少しの自由を与えれば脱獄を企てるような輩は別だが、アビスと言えど模範囚であればある程度の自由時間が許可される。
と言っても、自由時間を与えられたアビスの模範囚は片手の指ほどもいないのだが、その一人の夜上神父なんかはその貴重な自由時間をカウンセリングの手伝いに当てたりしていた。

数少ない模範囚である氷月の自由時間における趣味は刑務所図書館における読書であった。
図書館の規模はさほど大きくなく、並ぶのは係官による検閲済みの書籍ばかりである。
その上、流通の関係か、新聞も1週間ごとにまとめて来るような始末である。

刑務所図書館に並ぶのは道徳や哲学書などが主で、名作故に検閲を免れた古典なんかの存在は貴重であった。
検閲済みの書籍は刺激はないが、外の情報を得る手段は限られており、図書室に足繁く通う彼はこの20年で蔵書の殆どを読み切っていた。
それ故に、彼の最近の楽しみはお気に入りの哲学書の再読と読書とは別の『議論』にあった。

それは、同じくこの図書館通いを趣味とする模範囚との交流である。
基本的に自由時間と言えでも、このアビスでは囚人の私語は許可されていない。
だが、それはあくまでも建前、その日の担当看守によっては多少の雑談は目溢しされることもあった。

そして『彼』が図書館にいるときは、その目溢しがよく発生していた。
その理由は恐らく、『彼』の特殊性ゆえだろう。

氷月の図書室での議論相手。
それはアビスで育った少年、看守たちに我が子のように可愛がられるエネリット・サンス・ハルトナだった。
外の世界を知らぬが故に、彼は知識に貪欲だった。何か強い目的意識に突き動かされているように見える。

彼とはアビスの刑務所図書館で出会い、よく意見を交わした。
本を手にしたこともあってか、そのやり取りが思い出される。

「蓮さん、復讐についてあなたはどう考えますか?」

ある日、いつものように刑務所図書館で自由時間を過ごしていた氷月にエネリットがそう問うてきた。
氷月の前には何冊かの書物が積まれており、そのどれも刑務所内には珍しいほど難解なテーマを扱っているように見える。
その正面の席に同じく図書室の常連であるエネリットが陣取っていた。

「珍しいね、君がそんなことを聞くなんて」
「そうでしょうか? この手の問答はいつも行っていると思いますが」

いつも、という刑務官によっては懲罰は免れぬ大胆不敵な言動に肩を竦めつつ、既に何度か読んだ再読書籍なのだろう、氷月は速読のような速さでぺらぺらとページをめくる。
そして、氷月は書籍に目を落としたまま、エネリットの言葉を否定するようにゆるゆると首を振った。

「自分の中ですでに答えの出ている事を問うなんて君らしくはない。そうだろう?」
「お見通しですか」

エネリットは心中を見透かされたことを驚くでもなく、イタズラのバレた子供のように照れ笑いを浮かべた。
このアビスでは違和感を感じるほどの人を惹きつけるような笑み。看守たちがやられているのはこういう所なのだろう。
そんないつもの調子の少年を前に、氷月は小さくため息をつくと、読んでいた古い書物を閉じる。

「まあいいさ。興味深いテーマだ」

組んでいた足を正し、机の向かいに座るエネリットに向き合った。
相手が応じる姿勢を見せてくれたことに、エネリットも前のめりになりながら姿勢を正した。

「復讐という言葉を聞くと、私はまず『モンテ・クリスト伯』を思い出すね。残念ながら、この手の『刺激的』な書物はこの書庫には置かれていないが、エネリット、君は『巌窟王』の物語を知っているかな?」
「そうですね。概要くらいでしたら」

氷月はほんの少し頷いて、まるでなじみ深い友人の名を口にするかのように語り始めた。

「無実の罪で投獄された男が壮大な復讐を果たす物語だ。あれは人間の怨念と希望、両方を描き出しているね。
 復讐を成し遂げても結局は心に空虚さが残るという描写がありながら、『待て、しかして希望せよ』の言葉で表されるようにこの物語は復讐の先にある希望も描いている。
 人間の多面性を見事に描いた大デュマの傑作だよ。機会があるのであれば君にもお勧めしたいところだ」

もっとも、無期懲役の実刑を受けアビスでの一生を約束されたエネリットにそのような機会があるとは思えない。
互いにそれを理解しつつ、ちょっとした冗談でも言ったかのように話は進む。

「蓮さん自身はどういう復習観をお持ちなのですか? その考えをお聞かせください」
「そうだね。私は復讐は人間の本能的な衝動のひとつだと考えている。だが、理性を持つ我々にとってそれは常に『後悔』と背中合わせだ。ドストエフスキーの描いた罪や罰のテーマにも、似た構造が見え隠れするね。
 人間の憎悪は強烈だが、その先にあるものはしばしば虚無だ。シェイクスピアの作品などを読めば、復讐がいかに人間の精神を歪めるか、よく示されているだろう」

氷月は古典を引用しながら、自身の考えを述べる。
それらは読了した事があるのか、エネリットはなるほどと頷きを返していた。

「もちろん、正義に対する執着や怒りが復讐を生む場合もある。だが、それに囚われればいつしか自分自身が復讐によって支配されてしまう。
 そうなってしまえば、本来の目的であるはずの『償わせる』という意志さえ形骸化して、その復讐は得るものよりも失うもののほうが多くなるだろう」
[では、復讐は行うべきではない、と?]
「そうは言わない。大切なのは、怒りを原動力とするか、理性をもって昇華するか、それを見極めることさ。
 復讐は目的のようでいて、実は人が自分の存在を問い直すための道程なのだよ。だからこそ、感情に飲み込まれず、どんな結果を望んでいるのかを冷静に見つめ直すことが大切なんだ」
「つまり、復讐もその先を望むための一つの過程にすぎないということですか?」
「その通りだ。罰の執行者になろうとするとき、人はしばしば自分の良心を押し殺す必要がある。このアビスで勤勉に働く刑務官たちのようにね。
 それは相手だけでなく、自分やその周囲をも傷つける。復讐とはそういう刃を含んでいる事を自覚すべきだ」

復習と言う行為は正しさ以前に、多くの人を巻き込み傷つける刃が潜んでいる。
復讐者はそれを忘れるべきではないと、そう言っていた。

「では、もしどうしても復讐心を抱えてしまったら、どうするのが賢明なのでしょう?」
「人は完全には悟れぬ生き物だ。復讐を強く意識するなら、まずはその衝動を言葉にして整理すること。感情を知に変え、昇華する余地を探る。そうして初めて、人は復讐の呪縛を良きものとして受け入れられるのだろう」

その言葉を受けたエネリットは考え込むように押し黙った。
そしてしばしの沈黙の後、自分の思考を整理できたのか疑問を口にした。

「それは以前、あなたがおっしゃっていた“知性は暴力を希求しない”という考え方と関係するでしょうか?」
「ふむ、よく覚えているね。エネリット。そう、暴力というのは往々にして知性と相反するように見える。
 しかし真の知性ある者ほど、必要に応じて暴力を行使する手段と意志を区別して考えるのだよ。
 たとえばプラトンの『国家』を読むと、正義のための力の用い方についても示唆がある」
「プラトン……。彼の理想国家論は読みかけでしたが、論理を通じて“形”を求める姿勢がとても興味深いと思います」
「興味深いというのは、君が“意図”の部分にも触れたいということかね。
 生きているとね、確かに多くの衝動を抱える。しかしそれらをどう整理し、行動に移すかを思考する――その過程こそが人間の強さを決定すると、私は考えているんだよ」

そこまで話したところで、自由時間の終了を告げるように看守の足音がかすかに聞こえてきた。
議論はまだ結論に至っていないが、エネリットは静かに立ち上がり、礼を述べる。

「今日はここまでのようですね。貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」
「ああ、こちらとしても有意義な時間だった。また機会があれば続きを話そう」

少年は氷月に無垢な信頼を向けながら、出口で待っていた担当刑務官と共に図書館から立ち去った。
その背を見送り、自身も机の上に確保した書籍を元に戻すべく立ち上がる。
そうしてその日のやり取りは終わった。

氷月にとってエネリットは実に面白く、興味深い存在だった。
なにせ、あれだけ無垢な信頼を向けておきながら、エネリットは氷月を全く信用していない。

彼はサイコパスという物を正しく理解していた。
博識で弁が立ち魅力的にふるまう、それが表面上のものであると理解した上で、その外面に全幅の信頼を寄せている。
その上で、その本質を全く信用しない、矛盾した価値観を成立させる天秤。
犯罪者の園で育ったある種の純粋培養。その在り方はこのアビスにおいても稀有なのものであった。

残念ながら、その続きはまだ語られていない。
これが刑務作業が始まるまでに行われた、最後のやり取りだったからだ。

「続きは、話せないかもしれないね。エネリット」

回想を終えた氷月が静かに呟きながら、手に取った本のページをパラパラとめくる。
それは、日本ならどこにでも置いてあるようなコミックだった。
アビスの図書館に並ぶことのない、毒にも薬にもならない駄菓子のような一過性のエンタメ。
それを一通り流し見て、本の内容からは獲るものはないだろうと確認して本棚に本を戻した。
ただ本の並びが気になったのか、巻数の順番を几帳面に揃えなおすと、何事もなかったように振り返り、そのまま家を後にした。

そうして、観光でもするようにいくつかの建物を冷やかしながら廃墟を歩き続けた。
幾つか武器になりそうなものを見繕ったが、刃物の類はだいたいが錆びており。
何より、潜伏と言う氷月の目的を思えば手元に隠せる武器でなければ意味がない。
残念ながら、あったのは切れ味のない錆びた食事用のナイフとフォークが数本。
得られたのはそれくらいの成果だった。

だが、物質以外となるとそうでもない。
氷月がこの孤島に転送され約2時間。
ここまで島を泳ぎ、廃墟を練り歩いて気付いたことがあった。

この島には、殺し合いをさせるのに都合がいい孤島があったでは片付けられない何かがある。

廃墟を調べた所、人々が生活してたような痕跡は幾つもあった。
その手のプロが見れば違うのかもしれないが、少なくとも、氷月の見る限りでは作為的な違和感はない。
だが何故、刑務者業者以外の生命が存在しないのか。

事前に刑務官が駆除した? 何のために?
虫の一匹まで排除する理由がどこにある?

それとも、生命など最初からいなかったのか。

例えば、超力で島ごと創造したのならば、納得はできる。
だが、この規模の島一つをどうこうしようと言うのは、あまりにも大規模すぎる。
何でもありのように見える超力と言えど、しょせんは個人の能力だ、限界はある。
実体験こそないが、記録だけは常に追ってきた。その手の知識は緩慢に生きている外の人間よりもある。

ノルドル・バイラスによる『超力感染事件』、シビトによる『死人の行進』の様な感染を拡大させる類の超力が結果的に、大きな被害を及ぼす事はある。
だが、1度の超力行使による記録上の最大被害は池袋を半壊させた『光の豊島事件』が限度だ。

少なくとも氷月の知る限りでは人間の超力では不可能だ。
そんなことができるのなら、それこそ魔法だ。

あり得るとするならば、認識を操る幻覚、幻影系の類だ。
ここが何らかの仮想空間であるのなら、どのような事も実現可能だろう。

だが、超力による精神耐性を持つ受刑者も少なからずいたはずだ。
そいつらにはその手の超力は通用しない。
システムAから解放された彼らがこの場にいる以上、その線もあり得ない。

氷月一人の認識をハックし、他の刑務作業者を認識させている線も考えられるが。
個人に行うにはあまりにも大がかりだ。目的も見えない。可能性は薄いだろう。

一瞬のうちにあらゆる可能性を考察し、ある程度の結論に達した所で、氷月はあっさりとその思考を打ち切った。

氷月蓮には膨大な知識量とそれを生かす才知がある。
突き詰めれば、あるいはその真実に至れるかもしれない。、

だが、氷月蓮にはそれを掘り下げる動機がない。
彼は探偵とはちがう、真実の探求などどうでもいいし、好奇心では動かない。

あるとするならば、自らの損得。
この真実が己の損得に関わらないのであれば、彼は興味すら持たないだろう。
自己中心的で己が目的のためにしか動かないサイコパス。
それが、氷月蓮と言う男なのだから。

【B-7/廃墟/1日目・黎明】
【氷月 蓮】
[状態]:健康
[道具]:Tシャツ、ナイフ3本、フォーク3本、デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを獲得して、外に出る
1.まずはチームを作る、そしてその中で殺す

039.業火剣嵐 投下順で読む 041.[E]volution
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ハイイロノヨル 氷月 蓮 殺害計画/衝動

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最終更新:2025年03月15日 20:04