◆
『ねえーーーーーッ、なあオイ!
あいつ見かけなくねえかなァ?
ほらさぁ、あいつだよ。あいつ!』
ボサボサの金髪を揺らし、粗雑に話す少女。
囚人番号、681-3XXX32-XXX番。
“ワキヤ・クーラン”。
14歳、ドイツ人。懲役38年。
自らの奉公先を皮切りに、上流家庭を次々に襲撃。
制圧を試みた捜査官数名にも重軽傷を負わせる。
『ご飯の時にツバ飛ばさないでください。
というかもっと声小さく出来ませんか?
騒がしいんですよ、あなたはいつも』
煩わしげに顔を顰める、淑やかなボブカットの少女。
囚人番号、682-4XXX28-XXX番。
“茂部 妃星(モベ キアラ)”。
10歳、日本人。懲役70年。
幼児数名を拉致監禁し、虐待によって死に至らしめる。
犯行の悪質性に加え、強力な“空間対象型の超力”を危険視され刑期が長大化。
『この前来た“豚好きの戦犯”のこと?
確かアンナ……アンナ何とかってヤツだろ。
あいつ“懲罰房”連れてかれたんだとさ』
ぶっきらぼうに呟く、ロングヘアと浅黒い肌の少女。
囚人番号、685-1XXX99-XXX番。
“スートラ・エーキ”。
13歳、インド人。懲役12年。
GPAの米国主要拠点へのハッキング未遂。
一時は政治犯の嫌疑を持たれたが、腕試し感覚の犯行と断定される。
『はァ?早すぎんだろまだ一週間ちょっとだろ。何したんだよあいつ!』
『……刑務官に手を出されそうになって、その方の“あそこ”を蹴りでブチ砕いたって噂ですよ』
『おー怖い怖い。戦犯殿の勇敢なる行動に乾杯』
原則私語厳禁のアビスと言えど、その日の担当刑務官によって裁量は大きく変わる。
一切の言葉を禁じられる場合もあれば、多少の世間話なら黙認される時もある。
そのほか時と場合にもよる――日常的な刑務の際はともかく、食事中の制約は概ね緩い。
だから受刑者同士の与太話、暇潰しの噂話、ちょっとした取引などが往々にして繰り広げられるのだ。
『すげェなあ戦犯、反骨精神ってヤツの塊だなァ!でもやっぱ一週間は早すぎんだろ!』
『“交尾 紗奈”もそうでしたけど、手癖の悪い刑務官に当たったのが運の尽きだったんでしょう』
『どのみち速攻でトラブル起こしそうだったけどな』
薄暗い照明と、コンクリートの壁に包まれた食堂。
そこでは複数の受刑者達がテーブルを挟んで昼食を取っていた。
アルミ製の食器に収められた“加工食品”は、相変わらず妙な味がする。
そんな代物を、受刑者達は揃いも揃って渋い顔で流し込んでいる。
ある者達はぼそぼそと世間話で誤魔化し、ある者達は無言で耐え忍んでいる。
この“4人”の若き受刑者達も、そんな集団の一員だった。
――彼女達は皆、10代そこらの少女である。
『てかさァ、懲罰房って何されンだっけ?』
『知りませんよ。私が聞きたいくらいです』
『まぁ豚小屋みたいなもんだろ、多分』
“開闢の日”以降に誕生したネイティブ世代による犯罪は、世界各地で後を絶たなかった。
自らのネオスと共に生を受けた新時代の子供達は、誰もが生まれながらにして暴力への切符を持つ。
そうして道を踏み外した未成年による凶行は、もはや既存の少年法で対処できる域を超えていた。
『そっかァ戦犯のヤツ、自分が豚小屋に入れられちまうなんてなァー。豚をイジめてきた罰かもなあ』
『私はあの方気に入らなかったので、良い気味ですけどね。
すれ違っただけでガン飛ばされましたし、ルクレツィアお姉様のような気品が足りないですもの』
『話したこともない相手を勝手にお姉様扱いするなよ』
早急な法改正。早急な処罰。少年少女を裁くための仕組みが、世界で必要とされた。
されど多くの国で、ネイティブ世代の人権や更生などについての議論が錯綜した。
既存の政治機能が崩壊し、倫理の崩壊や独裁などが罷り通った国家ならまだしも。
大半の文明国家においては、処罰の是非は膠着化した。
『にしても……やっぱ不味いよなこれ』
『急に何ですか。いや不味いですけど』
『娑婆の食事が恋しくなる』
そんな混乱の中でGPAによる“制御不能な犯罪者の国際管理”の概念が提唱され、ICNCやアビスが設立された。
結果として世界各地の少年法の見直しを待たずして、多くのネイティブ犯罪者がそちらへ“たらい回し”にされることとなった。
――人権保護や更生のシステムといった、根本的な問題や責任さえも丸投げにされた。
『あァー豚食いてェ肉食いてェー』
『眼の前のごはんで我慢しなさい』
『あたしたち、社会の冷や飯食い』
そうして、こうした光景が平然と生まれた。
アビスには、少年少女の犯罪者が当たり前のように存在する。
『ヴァイスマンの奴なんとかブッ殺せねえかなァ。シャバ出て豚食いてえもん』
『やめなさいってば。今に盗み聞きされますよ』
『日本で言う“触らぬ神に祟りなし”って奴だな』
世界各地の凶悪なネイティブ犯罪者が無造作に放り込まれ。
形式的で不十分な“更生プログラム”へと従事させられるのである。
深淵の一区画は、若くして未来を捨てた連中の掃き溜めと化している。
彼女達“4人”もまた、そうしたネイティブ世代の受刑者たちだった。
同室の面々であるが故に、食事も共同で取ることになっている。
『――そういやロージィ!狼女ってさァ、肉は何派なの!?』
それからワキヤは、ただ一人だけ会話に参加していなかった“受刑者”へと話を振った。
ロージィ。そう呼ばれた“受刑者”の方へと、他の面々も視線を向ける。
――その受刑者は、赤い髪の目立つ少女だった。
血や炎のように鮮やかな紅色と、首筋に彫られた“薔薇のタトゥー”。
犬のように大きな眼は、不機嫌そうな眼光を湛えている。
少女の風貌は、同室の“4人”の中でも一際存在感を放っていた。
『うるせえよ。話しかけんな』
ロージィと呼ばれた少女は、ただ素気なく吐き捨てた。
苛立ちを隠そうともせず、一言でワキヤを突き放す。
『殺されてえのか?』
囚人番号、683-6XXX02-XXX番。
“スプリング・ローズ”。
13歳、イギリス人。懲役18年。
ストリートギャングのリーダーとして、多数の暴力沙汰に関与。
“後ろ盾”からの手助けがあり、複数件の殺人が立証されず。
『――――クソが』
ローズは、ぶっきらぼうに言い放つ。
不機嫌な眼差しで、他の3人をきっと睨みつける。
馴れ合いを拒絶するような、酷く冷ややかな態度だった。
そのまま彼女は再び沈黙し、何の感慨もなさそうに食事へと戻る。
テーブルの一角という、ごく小さな空間の中。
狼の威嚇にも似た威圧と殺意が、剥き出しにされた。
先程までの世間話の空気は、白けるように吹き飛ぶ。
後に残るのは、カチャカチャと鳴る食器の音だけ。
ワキヤは面食らった様子で、舌打ちと共に渋々と黙り込む。
スートラは関わりを避けるように、知らぬ存ぜぬの態度で俯く。
そんな中で、妃星だけはローズへと冷ややかな眼差しをむけていた。
『ねえ、ローズさん』
そうして皮肉と嫌味を込めて。
妃星は慇懃無礼に吐き捨てる。
『背後に“牧師”がいるからって、いつも偉そうにしないで下さいよ。
尤もあなたは――“牧師”の飼い犬の、更に飼い犬なんでしたっけ?』
それからコンマ数秒後。
アルミ製の食器が引っ繰り返った。
ガシャンと音を立てて、なけなしの昼食が撒き散らされる。
個体、液体を問わず、器から溢れた残骸が散乱する。
ローズが妃星の髪を掴んで、テーブルへと力任せに叩き付けたのだ。
超力を封じられているにも関わらず、その顔は獰猛な狼のように歪んでいた。
辛うじて堰き止められていた苛立ちは、怒りと化して牙を剥いた。
思わず怒号を上げるワキヤに、唐突な事態に仰反るスートラ。
刑務官が騒ぎを察知したのは、ほんの数秒後のことだった。
◆
――気が付けば、変身が解けていた。
廃棄物置き場で蹲るように寝そべっていた人狼は、既に小さな少女の姿へと戻っている。
「あー……クソ」
“わざわざ変身を解く理由なんかない”。
そんなふうにさっきは強がっていたし、あの二人への警戒もあって人狼の姿のままで居たけれど。
それでもローズはあくまで任意発動型の超力使いであって、常時の亜人変身は出来ない。
言うなれば“ずっと意識的に力んでるような状態”なのだ。
限界を迎えれば、当然変身は解けるのである。
そうした制約と引き換えに、ローズの亜人化は強力な能力を誇る。
他の同系統のネオスと比較しても、突出したパワーやタフネスを備えているのだ。
「ずっとバケモンの姿でいられるヤツらはいいよなあ」
とはいえ、彼女にとっては考えものだった。
チビのガキだから、大人にナメられる。
人狼に変身すれば、みんな自分を畏れる。
化物だったら、どんな奴らもブチのめせる。
この場でも、それは同じだ。
気に入らない奴は叩きのめして、落とし前をつけさせる。
あの『アイアンハート』のネイ・ローマンは必ず殺す。
かつて自分達の縄張りに踏み込んできたハヤト=ミナセとかいう野良犬も殺す。
自らの超力によって奴らを必ず潰すと、ローズは殺意を滾らせる。
彼女にとって人狼形態は“強い自分”の象徴であり、“理想の自分”を体現する姿だった。
だから常時発動型の亜人化が出来る者を羨んでいた。
いつでも“人狼の姿”なら、きっと誰にも侮られることはない。
彼女の両親は、バケモノに変身する娘(スプリング)を拒絶した。
その暴力的な力を忌み嫌い、育児放棄同然に突き放した。
それ以来、彼女は自らの超力にアイデンティティを規定するようになった。
バケモノだから、拒絶されたんじゃない。
バケモノとして、自分が弱い両親を拒絶したのだと。
ローズはそう考えるようになった。
そうして彼女は、非行へと走るようになった。
その果てに、同じような境遇の少年少女達とつるむようになった。
ストリートギャングを形成し、大人さえも恐れる程の集団を築き上げた。
――文化に基づく地域差もあるとはいえ。
亜人変身の超力使いは、精神的に不安定な者が多いとされる。
人格と外見のギャップによって自己の同一性に苦しんだり。
他者とは異なる外見による疎外感に苛まれたり。
変身時の人ならざる衝動に翻弄されたり。
偏見や嫌悪による周囲との軋轢に直面したり。
治安の安定した日本においても、亜人変身の超力使いは精神疾患を発症する比率が高いとされていた。
11年前のアジア某国で起きた「ダルハーン事件」は、こうした社会病理が引き起こした典型的事件として語られる。
差別と排斥を受けていた常時発動型の“昆虫系亜人”による、市街地での無差別殺傷事件だ。
ローズがこれまで出会ってきた少年少女達も、そうした例に漏れなかった。
皆どこか情緒不安定で、皆どこかネジが飛んでいた。自己破壊的な性格をした者も沢山いた。
亜人変身型の超力を生まれ持って心を病む者が数多いることは、彼女も実例として理解していた。
ローズは人狼としての自分を誇りに思っている。
自身の力と威厳の象徴として、このネオスを常に行使してきた。
そうして数々の敵を捩じ伏せてきたし、多くの仲間達とつるんで奔放に暴れてきた。
そのうえでローズは、時折物思いに耽ることがある。
自分の在り方について、考えを巡らせることがある。
己が抱くプライドというものは、一体何なんだろうか。
“自由”だから、自分は暴力に明け暮れていたのか。
それとも“何かに縛られている”から、暴力を捌け口にしているのか。
不安と虚しさが、ふいに顔をもたげてくる。
家族との折り合いを付けられていたら、自分はどうなっていたのか。
人狼としての己を、初めから家族に受け入れられていたとしたら。
自分の人生というものは、どうなっていたのだろうか。
ローズは決して考えなしの少女ではない。
だからこそ時々、そうした思考をすることがある。
ふっと我に帰ったように、自らを俯瞰して見つめてしまう瞬間が訪れる。
――――『イースターズ』。
暴力の限りを尽くすストリートギャング。
破滅へ向かう明日なき少年少女達の寄り合い。
その実態は、麻薬売買を仕切るマフィアの“飼い犬”。
彼らの後ろ盾を得ているから、あれほどまでに幅を聞かせることができた。
とうに知っている。
自分が置かれている立場も。
自分が背負い続けている葛藤も。
ローズは、正しく理解している。
そんな自分に対して、常日頃から苛立ちを抱いていた。
湿っぽく、煮え切らず。満たされない飢えに苛まれている。
考えても仕方のない自問自答が、頭の中へと降ってくる。
そんな自らの欠落を埋め合わせるように、仲間達と暴力や非行に明け暮れていた。
それがスプリング・ローズという少女だった。
――さっきの“氷龍”のことを、ふと思い返した。
北鈴安里。
子供のためなら、自らの命を差し出してもいいと宣ってきた青年。
凶暴なギャングと知った上で、自分に歩み寄ってきた“亜人の超力使い”。
そんな彼のことを、ローズは振り返る。
亜人変身型の超力を生まれ持ち、身を持ち崩した者達が辿ってきた顛末。
掃き溜めに生きるスプリング・ローズは、それを知っていた。
自らの心を病んで、周囲との軋轢の果てに非行へと走った者達を見続けてきた。
アビスに収監される程の犯罪者でありながら、ひどく自罰的な安里。
異性の亜人へと変身する彼が辿ってきた人生とは、如何なるものなのだろうか。
自身の命さえも粗末にするほどの後悔と罪の意識に至るまでに。
あの青年は、どんな道を歩んできたのだろうか。
ローズはふいに、そんな疑念を抱いていた。
それを聞き出すつもりはなかった。
わざわざ知りたいとも思わなかった。
しかし、少なくとも――察することは出来た。
きっと、自分を肯定する術を得られなかったのだろう。
自分に折り合いをつける術さえも、見つけられなかったのだろう。
それが如何なる孤独であるのかを、ローズは知っていた。
◆
――“自分らしく生きよう”。
――“ありのままを大切に”。
――“個性を尊重しよう”。
古本屋の雑誌で、そんなフレーズを見たことがあった。
昔は今よりも“多様な世界”を大切にしようという気風が強かったらしくて。
十数年前の書籍を漁っていると、そうした言葉と度々出会う機会があった。
尤も“開闢の日”による人類総超人化の混乱と軋轢によって、世界の人権意識は後退――元の木阿弥になってしまったそうだ。
北鈴安里にとって、それらの謳い文句は何処か空虚に感じていた。
性別と種族。超力によって二つの垣根を飛び越えてしまう彼にとって、“本当の自分”というものは酷く曖昧だったから。
人間の男としての自己。氷龍の雌としての自己。
自分が自分の在り方を規定しようとしても、周囲からは受け入れられない。
嘲笑の表情と、偏見の眼差し。安里の記憶に焼き付くのは、そんな思い出ばかりだった。
誰かに自分を否定されたくない――そんな想いの末に、安里は自分の殻に引き篭もるようになった。
誰かに自分を受け入れてほしい――そんな想いから、安里はSNSなどを通じて他者を渇望した。
けれど、全ては過ぎたる願いだったのだと、安里は諦めていた。
そうした自分の身勝手で我儘な意思が他者を傷つけ、惨劇を招いたのだから。
もう自分は何も求めないし、償いのために生きる他ない。
安里はそう思い、この刑務においても自分の命を誰かのために差し出すことを望んでいた。
そんな矢先に、彼は自分と同じ亜人へ変身する超力を持ったスプリング・ローズと出会い。
帰るべき場所を持った彼女のためなら――自分を肯定している彼女のためなら、恩赦ポイントを明け渡してもいいと思った。
彼女は強くて、彼女は気高い。
人ならざる自分に対して、何処までも真っ直ぐだった。
安里にとって、スプリング・ローズはひどく“自由”に見えたのだ。
けれど、そんな思いさえも“自分の思い込み”が生んだ身勝手な虚像に過ぎないのではないか。
安里の胸のうちには、そんな疑念が絶え間なく纏わりつく。
他者に拒絶されて、嘲笑され続けた安里は、それ故に他者に強い理想を抱いてしまう。
安里はそんな自分を嫌悪していたし、そんな自分を律したかった。
――“さっき君が私を止めようとしてくれたように”。
――“君が暴走してしまったら私が止める”。
――“それで充分ではないでしょうか”。
つい先刻、同行者となった彼の言葉を振り返る。
互いに欠落があるからこそ、互いの欠落を補い合う。
ひどくシンプルで、ひどく分かりやすい回答だった。
変身した姿の安里を一回ぶちのめしてみたい、なんて正直な発言には苦笑いしてしまったものの。
それでも安里にとっては、ほんの少しでも“仲間”を得られたような安心感があった。
内面の苦悩まで理解し合えている訳ではない。
けれど、互いの鬱屈や衝動は分かち合っている。
だからこそ少しでも線を引きながら、手を取り合うことが出来る。
それは安里の心を救うとまでは行かずとも、心に掛かった雲を少しでも振り払ってくれた。
安里は今、工業建屋内の一角で待機していた。
イグナシオは現在自らの超力によって“周辺の調査”を行っている。
スプリング・ローズが動き出すまで、自分が見張り役を務めることを安里は引き受けた。
無論、イグナシオからは問われた。
“貴方をこの場で一人にして大丈夫なのか”、と。
それは安里の身の安全を気に掛ける言葉であると同時に。
単身になった安里が、再び自己犠牲的な行為に走る可能性への懸念でもあった。
それでも安里は“大丈夫です”と、彼に対して答えた。
イグナシオが抱く二つの懸念を察した上で、安里はあくまでそう伝えたのだ。
いま自らの命を犠牲にすることは、きっとイグナシオへの裏切りになる。
だから安里は自らの意思と力で己の身を守ることを約束したし、イグナシオもまたその意図を汲んでその場から離れたのだ。
――がちゃりと、扉が開く音が聞こえた。
安里は咄嗟に視線をそちらの方へと向ける。
息を呑み、少しでも身構えながら音が聞こえた側へと意識を集中させる。
ゆらり、ゆらりと、足音と気配が近づいてくる。
それは小さな歩みだった。幼い少女が刻む、粗野なステップだった。
やがて突き当たりの通路から、少女が姿を現す。
赤いセミロングの髪を靡かせながら、少女は安里をふてぶてしく見据える。
スプリング・ローズ。ストリートギャングの幼きリーダーが、青年を睨みつける。
「おう、まだいやがったのかよ。カマ野郎」
少女は相変わらず、ぶっきらぼうな態度で吐き捨てる。
そんなローズを、安里は神妙な面持ちで見つめ返す。
「とっとと失せろよ。うざってえ」
「……イグナシオさんが戻ってくるまで、此処にいるつもりだよ」
「あっそ。で、どうすんだよ」
此方を見据える安里に対し、ローズは問いかける。
「アタシを止めんのか、それとも此処で死ぬのか、どっちなんだよ」
睨むような眼差しと共に、そんな問いを投げかけられ。
少しの沈黙を経てから、安里は口を開く。
何処か躊躇いと迷いを抱くように、顔は俯いている。
しかしそれは確かに、安里自身が決めた意思だった。
「……ボクは、君を見逃す」
安里のそんな答えを聞き届けて。
ローズは訝しむように、目を細めた。
「君を見逃すことで、犠牲が出るのかもしれない。
それだったら、ボクの首輪を君に差し出した方が余程良いのかもしれない」
ぽつり、ぽつりと、安里は言葉を紡ぐ。
自らを苛むような先程の言葉を、振り返りつつ。
自分の行動が齎すかもしれない顛末を、省みつつ。
それでも彼は、その決断へと至った。
「けれど、今のボクは……君を裁きたくない。
ましてや此処で死ぬことも、イグナシオさんへの裏切りになる。
だからボクは、君に何もしないことにする」
葛藤の果てに辿り着き、静かに吐き出される杏里の言葉。
ローズは面食らうように、表情を歪めた。
今ここで少女を裁くことも、自ら命を差し出すことも否定する。
結局この場で己に出来ることはないのだと、彼はそう伝える。
「無責任だと、言ってくれてもいい。
だけどボクには、そうすることしか出来ないんだ」
故に安里は、ローズを止めることをしない。
彼女を傷つけることも、望まない。
「……ボクは、卑怯な“悪人”だ」
それが彼の選んだ、出来る限りの決断だった。
去りゆくローズを見送ることだけが、彼に出来る尊重だった。
そうすることしか出来ない自分を、安里は卑下した。
「ただ一つだけ、言いたいことがあるとすれば」
その上で、安里はゆっくりと告げる。
無言のまま佇むローズは、彼を見つめていた。
「君には、生きてほしいと思う」
それは、ある種の共感ゆえの祈りだったのか。
あるいは、自らの理想を彼女に投影したが故の妄執でしかないのか。
その答えは、安里自身にも解き明かせなかったけれど。
それでも彼は、せめてそれだけは伝えたかった。
自らと同じ“亜人型の超力”を持ち。
自らと違い、帰れる居場所を持ち。
まだ幼い少女でしかない、ローズのことを。
手探りの意思の中で、安里は案じていた。
ローズは、沈黙していた。
何も言わず、何も答えず。
ただじっと、睨むように。
安里のことを、見据えていた。
大きな紅い瞳が、安里を見つめている。
何かを見定めるように、視線を向け続けている。
そんなローズの姿に、安里は緊張と共に息を呑む。
彼女が杏里の思いに従う義理など、ありはしない。
そのことを安里自身も理解していた。
その上で彼は、自らの意思を伝えていたのだ。
だからローズがここで安里を攻撃したとしても、決して不思議ではなかった。
安里は心の何処かで覚悟しつつ、顔を強張らせていた。
「やっぱ湿っぽいんだよ、オカマ臭ェ」
やがて、ローズがようやく口を開いた。
彼女は呆れたように、溜め息を吐き。
それからゆっくりと歩き始めて、安里の側を通り過ぎていく。
その姿からは、殺意は感じられなかった。
見逃してやる。そう言わんばかりに、彼女は自らの牙を引っ込めていた。
安里は緊張から解き放たれたように、思わず放心する。
彼女の姿を振り返る余裕もなく、ただ虚空を見つめていた。
自らのありのままの思いを、ローズに伝えたが。
一歩間違えれば、きっと自分は殺されていただろう。
つい先程までの自分だったら、それも受け入れていたけれど。
しかし今の安里は、少しでも生きる努力をしようと足掻いていた。
それはイグナシオとの約束のためであり。
同時に、自らの贖罪の在り方について探るためでもあった。
故に安里は、少しでも命を惜しむことを考えていた。
いつかまた、何らかの拍子で己への諦観を取り戻すのかもしれない。
あるいは、結局誰かに命を差し出すことが最善の答えとして帰結するのかもしれない。
自分で自分を信じることは、今だに出来ない。
だからこそ、自分が此処にいることの意味だけは、求めてみたかった。
「なあ、アンリ」
その時ふいに、安里は呼びかけられた。
自らの名前を呼んだローズに、彼は意表を突かれた。
思わず惚けたように、安里は反応する。
「ちょっとは胸張れよ」
ぽつり、ぽつりと、ローズは言葉を紡ぐ。
静かに、淡々と紡ぐような声色だった。
それは先程までの威嚇するような態度は何処か違っていて。
思うところがあるかのように、ローズは続ける。
「自分で自分を認めなきゃ、どうにもならねえだろ」
――ひどく不器用で、ぶっきらぼうな言葉。
しかしそれは、確かに少女なりの“激励”だった。
自己の存在と罪に苛まれる“亜人”に対する餞別だった。
そんなローズの言葉に、思わず目を丸くして。
安里は彼女の方へと、改めて視線を向けた。
ローズは何も言わずに、背を向けてその場を去っていく。
それ以上の言葉は交わさず、伝えることもせず。
けれど安里は――彼女の小さな背中を、ただ見つめていた。
◆
ローズは、内心で自嘲する。
自由を求め、自由を渇望しながらも。
閉ざされた世界で足掻いている自分自身を。
――自分で自分を認めてやれ、なんて。
――そんな言葉を吐く資格もないくせに。
――それでも、言わずにはいられなかった。
幾ら粋がって、強がってても。
結局自分は、ちっぽけなガキでしかない。
心の奥底で、ローズはそのことを察していた。
破壊の中で生きて、衝動を大人達に利用されて。
一瞬の快楽を慰めにしながら、地の底を這い続ける。
きっと死ぬまで、そう生きることしか出来ない。
けれど、それは自分で選んだ道だ。
自分が望んで、自分で堕ちた結果だ。
平穏。安息。そんなものは、自分自身で踏み躙った。
これまでも、これからも。
歩んでいく道程には暴力だけが横たわる。
――――自分は“悪人”だ。
ローズは、それをとうに知っている。
だからせめて、同じ袋小路の中に迷い込んだ仲間達と最期まで走り抜けたい。
それがローズにとっての願いだった。
“理由なき反抗”。それだけが、彼女の生き様。
故に彼女は、あくまで恩赦を求める――唯一の拠り所を求める。
イースターズだけが、彼女にとってのよすがだった。
スプリング・ローズ。
彼女は、全てを傷つけるバケモノになる。
破壊と閉塞の刹那へと、我武者羅に突き進んでいく。
◆
――イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ。
彼は、安里が滞在する工業建屋の周辺を調査していた。
無数に連なる廃屋。廃工場。廃倉庫――。
鉄屑と錆の匂いに包まれた場を、イグナシオは探索し続けていた。
彼は今、奇妙な事象に直面していた。
それは娑婆においても、一度も経験したことのない事態だった。
(――――さて、どうしたものか)
自らの超力を行使して、島に遺された痕跡の再現を試みた。
これほどの規模の無人島を刑務の会場として選抜した以上、何らかの下調べが入った可能性は高い。
故に島内での調査を行えば、アビスの刑務官や職員が踏み込んだ形跡を発見できるかもしれない。
それは彼らの裏を掻く上での道標にもなり得る。
そう考えて、イグナシオは各所で超力を行使したのだが。
不自然なまでに、目ぼしい“住民の痕跡”を再現できなかったのだ。
(この島には、明らかに産業の名残が存在している。
人の存在が有って然るべきだ。だというのに、一切の形跡が見られない)
過去に人々の往来があったのならば、確実に自らの超力で再現できる筈だというのに。
まるで記録を丸ごと削除したかのように、この島からは“何も掘り起こせなかった”。
これは一体、如何なる事象なのか。
此処はかつて住民が暮らしていた無人島ではないのか。
何らかの超力によって、過去の形跡が消されているのか。
あるいは、到底あり得ない話だが――無人島自体が“偽りの舞台”でしかないのか。
その答えは、未だ分からない。
しかし、今確かな事実があるとすれば。
自分達以外の痕跡は、間違いなく“他の受刑者”によるものということだ。
唯一“再現”できた、他者の痕跡。
かつかつと伸びる足跡。着々と進む足音。
無論、射程距離内における事象までしか再現できずとも。
それは北東の方角――地図上で言うF-2の方向へと進んでいた。
――彼はまだ、知らない。
先程の“再現”によって確認した足跡と足音。
それがサリヤ・K・レストマンの痕跡であることに。
またの名を、本条清彦。
他者の人格を取り込み続ける“群体の怪物”である。
ラテン・アメリカにルーツを持つイグナシオは、現地の犯罪組織との繋がりを持つ。
この刑務にも名を連ねる“メカーニカ”が属する組織――そのメンバーの一人がサリヤだった。
彼女が既にこの世を去っていることは、仕事の際の話で聞いている。
故にその痕跡がサリヤのものであることも、今は未だ気づかない。
されど、引力というものは決して侮れない。
彼がその痕跡を見つけたことで、歯車が動き出すのかもしれない。
あるいは死人の存在に辿り着くことなく、異なる軸で動き続けることになるのかもしれない。
探偵が行き着く顛末を知るのは、今はまだ“運命”なるものだけだった。
【G-1/工業地帯/一日目 黎明】
【スプリング・ローズ】
[状態]:脚に僅かな熱傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.ポイントを貯めて恩赦を獲得する。
1.獲物を探す。
2.タバコや酒が欲しい。ヤクはないのか?
3.ネイ・ローマンはブッ殺す。ハヤト=ミナセもついでに殺す。
4.ルーサー・キングとは、会いたくない。
【イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ】
[状態]:腕に軽い傷
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.子供や、冤罪を訴える人々を護る。刑務作業の目的について調査する。
1.一旦杏里の元へと戻る。
2.首輪には盗聴器があるだろう。調査について二人に話していいものか。
3.自分の死に場所はこの殺し合いかもしれない。
※ラテン・アメリカの犯罪組織との繋がりで、サリヤ・K・レストマンのことを知っています。
※島内にて“過去に島民などがいた痕跡”を再現できないことに気付きました。
【北鈴 安理】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。
1.暫くは、生きてみたい。
2.イグナシオの方針に従う。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
4.スプリング・ローズには死んでほしくない。
[共通備考]
本条 清彦の刑務開始地点はG-1でした。
そこから北東のF-2へと移動して「017:砲煙弾雨」へと繋がります。
最終更新:2025年05月25日 13:49