Subject: 【看守官連続殉職事件】最終調査結果報告

本文:
掲題の件につき、以下の通り報告いたします。

1. 事案概要
一カ月前より、秘匿受刑囚『並木 旅人』のシステムAの端末子機(以降、子機と略)に原因不明のエラーが6度発生。
並木 旅人を担当する看守が相次いで不可解な死を遂げた。

2.原因
  • 並木 旅人の超力強度が子機の超力強度を部分的に上回っていた。
  • 超力『回帰令(コールヘヴン)』が子機を貫通し、子機をクラッキング。
  • 看守の死因は、超力『回帰令(コールヘヴン)』による肉体の虚弱化および崩壊と結論付けた。

3.対策
  • 子機の超力強度の向上。
 技術班より、子機の並列運用による超力強度の底上げが可能との提案有。

4.備考
  • 並木 旅人の超力は既に進化を遂げている可能性が高い。
 管理上の名称は『幻想介入/回帰令(システムハック/コールヘヴン)』に変更されたい。
 並木 旅人がハイ・オールドである可能性も考慮されたし。
  • 今回の件を受け、概念系超力者によるシステム子機の変質の可能性が浮上。
 また、常時発動型の概念系超力者、および記憶喪失が発生している超力者に関しては、脳波による異常検知の効果が限定的となる。
 慎重な対応を求められる。


所長宛追記事項

近くおこなわれる刑務作業に関して、システムBの超力強度について再確認を提言。
ひいては、刑務作業自体の見直しも視野に入れるべきではないでしょうか。
詳細は別途メールにて連絡いたします。


以上

報告者:
Dr. リヴン・レイナード




ブラックペンタゴン2階。
共用シャワー室。


いくつもの小部屋に仕切られ、他者を決して寄せ付けない衛生の要。そして心の睡眠場とも呼ぶべき一室。
肉体に染みついて蓄積した淀みを溶かし、ままならない現世で黒く染まった心を禊ぎ直して。
生誕の瞬間には授けられていたはずの純粋なる肉体と精神に、少しでも引き戻せるようにと設立された施設である。
しかし、アビスの奥底に封じ込められた悪党は、心の芯までドス黒く染まり、もはや人の道には戻れぬ外道ども。
そんな者たちが、心体の清めの間に立ち入るはずもない。

黒いタイルの床は冷たく、忘れられた墓所のように静まり返っている。
時に置き去りにされたようなその部屋で、ぽつんと響く水滴の音が、その寂寥を浮き上がらせる。
来るはずもない来客をひたすらに待ち望み、しかし課せられた役割を果たすこと能わず。
この世界が破棄され虚空に消え果てるまで、永遠に待ち続けるはずだった、忘れ去られた空間。


その扉が。
重々しく閉ざされた外界との境界が。
目覚めの歌と共に解き放たれた。


封じられていた聖所の扉を初めて開いた女。
名はヤミナ・ハイド。

繊維の隙間を水分と草の葉が埋め、ところどころ擦り切れた衣服。
髪は泥に塗れ、擦り傷も目立つ、冷え切った肉体。
あまりにみすぼらしい来客。
だが、それこそが待ち望まれていた者。
彼女は導かれるかのように、迷わず奥の個室へと参入する。


照明が煌びやかに瞬き。
口を開けて待ち侘びていた脱衣カゴは、投げ込まれた衣服を宝物のように抱え込み。
歓びの舞いを踊るように換気扇がぐるぐるとまわる。
それは世界が創生されてから、ようやく巡ってきた初めての奉仕の瞬間だ。

最奥の聖所で確かな存在感を放つ黒いレバー。
それがヤミナの手によっていよいよ引き上げられると、心地よい温もりの透明が、恵みの雨のように噴き出してきた。
温かい光に照らされて、水滴が宝石のように輝き、冷えた肉体がほのかに紅を取り戻していく。

「いつだってぇ~ どこに居たってぇ~ 頑張ってる君へぇ~ 伝えたいよ♪」

液体となった暖かみが髪を伝い、しだれる毛髪を潤していく。
先端まで潤し終えたそれは、その毛先から宙空へと旅立ちを告げる。
やがて地上の黒いタイルを満遍なく染め、その最果てで口を開ける次の循環へと吸い込まれていく。

「♪私がいることうぉ~ ここにいるってぇ~ この歌にのせてェ~」

気体となった暖かみが宙を漂い、空間を柔らかく包み込む。
肩を、背を、指先を、そして冷たい金属の輪に包まれた首ですらも、暖かくほぐしていく。
身体を蝕む冷気を道ずれに、ふわふわと、黒い天空へと浮かび上がっていく。
そうして、その最果てに空いた循環へと吸い込まれて、こちらも役目を終えるのだ。


「私の想い 願い 君の所まで 届け 届けぇ♪」

開闢前後、世界を魅了したアイドル戦国時代。
来たるは終末か、新世界の幕開けか。
不安に怯える人々に、彼女たちが謳う希望は熱狂をもって迎え入れられた。
ヤミナも車の中で散々聞かされて育った世代だ。
小学校の音楽の教科書にも載っているこの曲は、世界中の人間が知っていることだろう。
なお、共用シャワールームで歌うのは迷惑行為である。
善人はやるべきではないだろう。悪人もダメだ。


「と・ど・けェエェエェエェエェ~~~~~ッッ!」

なんとビブラートを効かせて個室を震わせるという前代未聞の所業に出たヤミナ。
本当に誰かに届いたら困るのはさておき、まさに神をも恐れぬとはこのことである。
しかし、彼女はかの大海賊ドン・エルグランドからポイントの"奪取"に成功した女。
なれば、これほどの豪胆さも備えて然るべきなのか。


腹の底から存分にパッションを吐き出したヤミナは、暖かい慈雨に包み込まれ、まどろむ。
大熱唱、その余韻に浸る。
水流が黒い床を打つ音だけが鮮明に響き渡り。
差し詰め、三度もの嵐に見舞われ冷え切っていたヤミナの身体は、内からも外からも十分に温もりを取り戻した。

やがてまどろんでいたヤミナの目がゆっくりと開かれ。


「~♪ 恥ずかしくって目も見れない」
なんということだ大変なことになってしまったまさかの二曲目が始まったのである!

「~♪ けど夢の中ならできる」
驚嘆すべき図太さ。戦慄すべき厚かましさ。
ブラックペンタゴンを自宅か何かと勘違いしているとしか思えないその余裕。
ちなみにこの女、これで模範囚である。
だが、これも許されるのだ。世界が彼女に厚意を与えているのだから。

「Chu! Chu! Chu!」
いい加減、誰もが感じていることだろう。
なぜこいつは命をかけた刑務作業の最中に、シャワーなぞを浴びているのか。
説明するには、しばし時を遡らねばならない。




――――――んなろォッ!!!!


漫然とした思考でとことこ階段まで戻ってきたヤミナを、獣のような咆哮が出迎えた。
狂犬の剥き出しの闘声を浴びて、ヤミナはネズミのようにびくりと全身を震わせる。

「まだやっているんですかね……。こわぁ~」
上階に駆け上がるときに見た二人組の片割れと、変な半裸男のぶつかり合いが今も続いているらしい。


「上から覗いてみますか……。ちょっとくらいなら大丈夫だよね?」
特に根拠もないがたぶん大丈夫だろ。
そんな安易な気持ちで階段の手すりに手をかけ、足を踏み出せば、
ブルドーザーと形容すべき建材を震わす轟音が、そして鉄板がひしゃげるような甲高い不協和音が、待ってましたとばかりに出迎える。
ビビッて階段から足を踏み外しそうになり、「ひふぃっ!」と喉を鳴らしてしまう。

けれど万物がヤミナを侮っている。
階下で戦う二人は、互いの命の取り合いに夢中だ。上階のネズミの気配など気にも留めない。


「いやあ、迂闊に近づくのは危ないと思ったんですよねぇ~」
この足め、この足め、のこのこ危険に踏み込みおって。
そんなふうに白々しく過去の選択を塗り替えて、特にアテもなく階段の前をうろちょろする。
下はしばらく騒々しそうだが、さりとて、再度のこのこ上階から様子を見に行く度胸はない。
美人のヤミナに突如ナイスなアイデアがひらめくことに期待するも、
残念ながらヤミナの脳裏に豆電球が灯るには資質も閃きレベルも足りない。

だが、現実はヤミナにささやかな情を与える。
視線を動かしながらなんとなく見回せば、その先にあるのは二階の案内板。

屋内放送室、仮眠室、食堂、共用シャワー室、ロッカー、更衣室、給湯室、トイレ――
二階は生活拠点としての色が濃い。


ピコンっ!

そんなインスピレーションが走った。
無意識に口を丸く開き、丸めた右拳で左の掌を打つ。
ぽんっと空気が破裂するような小気味いい音が、二階の廊下を駆け抜けた。


警備室だ。
二階には警備室がある。
ブラックペンタゴンの各区画を映し出す監視する詰め所がある。
そうとなれば、善は急げだ。


足早に目的の部屋を訪れたヤミナは、入り口から最も近い制御端末の前に着席。
ヤミナは闇バイトで現場のナビゲーターをこなした経験がある。
当然、この手の監視機械の操作は手馴れたもの……とまではいかないが、無事にシステムの起動を引き当てた。

端末をガチャガチャと操作すれば、5ブロックに分かれた各所の様子がモニターに映し出されていく。
エントランス、図書室、階段、工場エリア、配電室。
午前5時前、人の姿が見えるのは階段部屋のみだ。
モニターに映るのは、鋼鉄の鎧で全身を包んだ強そうな囚人と変な半裸男の激突である。

「……おおっ」
ヤミナは、思わず感嘆の声を漏らす。
『もっと殺す気で来なよチャンピオン』と挑発していた鎧は、
次の激突で、変な半裸男――訂正――チャンピオンに吹き飛ばされていた。
これは決まったな半裸男が勝てるわけないでしょ、という最初の断定をヤミナは即座に翻した。

ヤミナに格闘技の知識など皆無だ。
なんかすごいスタミナを土台に、なんかすごいステップで懐に入り込んで、なんかすごいスピードで殴りまくってるようにしか見えない。
チャンピオンってすごいんだな~、とNSS(Nanka、Sugoi、S)な小並感を抱くことしかできないが、
そんなド素人をもってしても目を奪われる気迫があった。


腐敗毒を放つフィールド。
逃亡不可の密室。
鎧を一蹴する圧倒的な強さ。
「……どう考えても、チャンピオンの勝ちなのでは?」

もちろんヤミナは最初からチャンピオンが勝つことを疑っていなかった。疑っていなかったのだ。なのでこの結果に異論はない。
鎧が勝てば二階に上がってくる可能性があったが、チャンピオンは留まるだろう。
花のフィールドに鎮座して次の獲物を待つのだろう。


エンダと仁成は図書館にはいない。
すわ、これはついにヤミナを捕えに動いたか?
しかしこの件については、ヤミナもしっかり準備をしている。
ヤミナへの当てつけと嫌がらせだけのために探偵衣装を取り寄せた、エッ・ラッ・ソ~~~~ッなアルビノ小娘をぎゃふんと言わせる完璧なる武装の用意がある。

『電子ロックと鎧とチャンピオンのせいで降りるに降りられなくなったんです』
この覆せない絶対的法則を前にすれば、相手はごめんというしかない。
世界は世知辛いので、悪意で森羅万象を説明することはできない。
助けに来てくれてありがとうを添えればますます反論不可能。完璧な理論武装である。


「いきますか? いっちゃいますか? いっちゃっていいですか?」

ヤミナはテレビ番組を最初の三回で見切るタイプである。
スキマ時間という言葉も大好きだ。
未だ乾ききっていない囚人服を身にまとい、時間を無為にしてぼけーっと待つのが果たして正解か。
いや、そんなはずがないだろう。

エンダよし。仁成よし。チャンピオンよし。鎧よし。
問題ない。すべての障害は取り払われている。
休めるときにしっかり休むのは立派な仕事だと、どこかのエラい人も言っていた。


なぜシャワーなぞを浴びているのか?
答えは極めてシンプル。浴びられそうな時間があったから浴びたのである。
世界はヤミナを侮っているが、ヤミナもまた世界を侮っている。
メアリー・エバンスが理の異なる無重力空間を当たり前のものと認識しているように。
ヤミナ・ハイドも運命が微笑んでくれる世界を当たり前のものと認識しているのだ。


身体からほわほわと湯気をたたせ、ヤミナは再び警備室へと戻って来ていた。
エンダの刑務服は合わなかった。デイパックの奥底に封印されたままである。
では彼女は何を着ているのか。

ピシッとした青い上着に黒いズボン。
縫い付けられた"SECURITY PATROLS"という表記のタグ。
先ほどまでのみすぼらしい罪人ルックとうってかわって、今や見た目だけは秩序の一員、立派な警備員である。
靴が革靴なら完璧だっただろう。残念ながら靴はそのままだが。
制服効果は適切に発揮され、看守側になったみたいで少し気分がいい。
ヤミナの見てくれはそれなりに良いので、黙っていれば求人ポスターのモデルにも抜擢されうるかもしれない。

ちなみに制服の入っていたロッカーはダイヤルパスワード方式だったが、
管理者が悪党を侮っていたため、パスワードは当然デフォルト(0000)である。
悪党に中を漁られるのがイヤな諸君はちゃんとカギをかけよう。


さて、腐敗毒に晒され続ける監視カメラは、既に朽ちていてもおかしくないのだが、万物はヤミナにチャンスを施す。
気化した腐敗毒は通風孔側に吸い込まれ、いまだ階段部屋のカメラは生きている。

階段部屋に鎧はいない。死体もない。
ロックが解除され、鎧は敗走をきたしたらしいことが分かる。


今は第二ラウンドだ。
只野 仁成 VS チャンピオンのマッチアップが執り行われている。

この勝敗はヤミナ自身の今後に影響する一戦だ。
二人の立ち合いのレベルの高さなど一切合切理解できないので、
素手のチャンピオンに対して銃やら刀を使ってようやく食らいつく仁成、程度の認識である。

そして、チャンピオンはそのことごとくを撃ち破り、仁成に武器を抜く間すら与えていない。
圧倒的ではないかチャンピオンの武力は。


そして。
生命の波動を受けて不毛の大地に草花が生い茂るように。
眠りこけていたヤミナの脳皮質の神経回路がぱちぱちと覚醒していく。
ヤミナの灰色の脳細胞をまばゆい電球が照らしあげていく。



――チャンピオンが階段前に居座る限り、ここが一番安全なのでは?

開闢以来の画期的な閃きに、ヤミナの頬が思わずへにょっと緩む。
鉄壁のチャンピオンを門番に悠々と朝の準備をおこない、優雅に放送を待つ。なんなら刑務終了を待つ。
我ながら惚れ惚れするような完璧な計画だ。
ヤミナ自身、昔忍び込んだ邸宅のSPにボコボコにされたことがあるが、
無敵の護衛を雇う金持ちの気持ち分かるわあと腕を組んで一人うんうん頷いた。


いやいや、とヤミナは気を引きしめる。

もっと冷静になれ。
楽観的すぎるのは御法度だ。
目先の楽に流されてはいけない。

明日まで篭城できると考えるのは浅はかすぎる。
さすがにチャンピオンもトイレくらい行くだろう。
あるいは10人で挑まれて突破されるかもしれない。

それに思い出せ。
仁成とエンダは横暴だが、ドンほどの乱暴さはない比較的マシな同行者だ。
エンダはその見た目通り、ご機嫌取りとヨイショが通じる。
そんな二人がブラックペンタゴンを探索したがっていたのだ。


チャンピオンが強くてやばいので二階に上がれないエンダちゃんと仁成くん。
なんとか10人くらいどどどどっと送り込み、チャンピオンも袋叩きにして突破するも、時間はもう昼過ぎ。

――困ったな。こんなに広いブラックペンタゴンを調べるなんて無理かもしれない。

弱気なイマジナリーエンダちゃんの前に満を持して登場するのが、上階の情報をたらふく抱えたヤミナさま。

――君がここまで気の利く人間だとは思わなかった。これまでの非礼を謝罪するよ。
――ぐぬぬ……。ぐぬぬぬぬ……。く、悔しいけど、あなたのことを見くびっていた。ご……。ごめん。

非礼を詫びて頭を下げるイマジナリー仁成くん。
そしてイマジナリーエンダちゃんの屈辱的な様子が目に浮かぶ。

――あーあ、ちょっと汗かいちゃったなあ。"バーグラー"ブランドの服とか誰か用意してくれないかな~。
――うう、ううう……!


「ふふっ、へっへっへ……」

ひそかに小鼻をうごめかす。
頭を下げるイマジナリー秘匿衆に、うんうんくるしゅうないくるしゅうないぞとオトナの余裕を見せつけながら、ほっほっほと笑う――
のはちょっと品がないし逆ギレが怖いので、もうちょっと穏やかに場をおさめるつもりだが。

これはもはや選択の余地などあるまい。

「いっけええ! チャンピオオォォ~~~ンッッッ!!」
勝つのはチャンピオン。逃げるの仁成。
チャンピオンのスペックに全BETだ!

「右から来てますチャンピオン!
 今だ! かわせぇ! 殴り飛ばせッ!
 Go! Fight! Win! Let's Get! Victory! Go! Home! HITONARI!」
この女、誰も来れないのをいいことに、チャンピオンの応援を始めた。
チアガールのように、腹の底から声を張り上げ、ダイナミックに踊り始めた。
大悪党が仁義を重んじるならば、小悪党は仁義を踏み躙る。
その点で、この女の右に出るものはいない。

「あっ、殺しはダメですからチャンピオン!
 最初は強く当たって、あとは流れでお願いします!」
世界はヤミナに甘い、というよりセキュリティ上、警備室は防音仕様である。


そして数刻後。

チャンピオンの圧倒的な強さ。
観客からの感じ取れないプレッシャー。
ついには仁成から天意が失われ、彼は戦略的撤退に追い込まれる。


「やった、やった、やったやったやったあア!
 圧勝快勝大勝利です~~!!
 変な半裸男とか思っててごめんチャンピオン結婚して!」

ソロスタンディングオベーション。
素晴らしいエンターテインメントの終幕に行われる、最大の賛辞である。
ネオシアン・ボクスにおいて、チャンピオンの快進撃に魅了された観客たちのように。
ヤミナもまたその勝利を最大限に称えた。

心地よい疲労感だ。
ヤミナの心の奥底から、えもいわれぬやりきった感が滲み出てくる。
勝利の美酒の味わいは、かくも格別なものなのか。


なお警備室で歌って踊って騒ぐのは迷惑行為である。
善人はおこなってはならない。


「さてっ、それじゃあ三階で掘り出し物でも見つけますか!」
大きく伸びをして椅子から勢いよく立ち上がり、鼻唄混じりで三階への階段に向かう。


彼女が三階の探索のために警備室を離れて数刻。
毒花の腐食がついにレンズ本体を侵食し、階段部屋を映し続けていたカメラも静かにその役割を終える。
工場エリアのカメラはネイ・ローマンとメリリン・"メカーニカ"・ミリアンの超力に巻き込まれて破壊され。
配電室のカメラはエンダの霞によって回線が朽ち。
図書室のカメラはルクレツィアが投げた本が直撃して覆いかぶさり。
それぞれ使い物にならなくなった。




「♪ 一緒に手を取り合って、行ける~」
ブラックペンタゴン。三階階段。
建物全体にノイズが響いた。
ブラックペンタゴンにおいては、それは天井に取り付けられたスピーカーから流れ出してくる。


「♪……悲しみも、憎しみも全て乗り越えて、輝かしい明日へ~」
『――――定時放送の時間だ』
オリガ・ヴァイスマンの悪辣なる声色が、島全体に響き渡る時刻が来たのだ。
黒い階段にて、こつ、こつと一定のリズムを刻んでいた足音が一瞬だけ、そのリズムを乱す。
鼻唄混じりのメロディが止まった。

『諸君、刑務作業の進捗はいかがかな?』
ヴァイスマンの問いかけに、口をとんがらせて進捗どうだろうと顔をしかめて考え込んだものの、さして意味はないことに気付いた。

『贖罪を果たし、己の価値をほんの少しでも証明できた者がいれば喜ばしい』
それよりももっと大事なことがある。
ヤミナはデジタルウォッチを起動し、メモを開いて、再び歩き出す。
なお、階段での"ながらウォッチ"は非常に危険なのでおこなってはならない。


『さて、それでは事前に説明していた通り、これより刑務作業の経過報告を行う』
懲罰を受け、アビスの底に消えていった者たちの名前が次々と読み上げられていく。
ある者は悲しみに暮れ、ある者は憎しみを向ける先を失って心に穴を開ける。
彼女たちは悲しみも憎しみも全て乗り越えて、輝かしい明日へ向かっているはずだ。

だが、ヤミナに知り合いなぞ一人もいない。
そもそもアビス自体にヤミナの知り合いがほとんどいない。
アビスにぶち込まれてから二週間しか経っていないのだ。

正確には、恵波 流都はヤミナとはかかわりがある。
ヤミナの関わっていた闇バイト。
あれは、貧しい若者を尖兵に日米の治安を悪化させ、GPAをはじめとした秩序側の威信を削ぎ落し、
自警団の発言力と存在感を向上させる数々の反逆プログラムの一環であった。
だが、そんな思惑などこの女が知るはずもないし、そもそも上の名前を知っているはずもなかった。
彼女はただの文字列として、流都の死を認識した。

他方、チャンピオンの名前は知らないが死んだとは思えないし、仁成もエンダも生きている。
まだまだ三階は安全そうだなと一息つく。
事実、何事もなく三階にまで到着し、ヤミナは聳え立つ巨大な扉を仰いでいる。
世界はヤミナを慈しんでいる。



ヤマオリ記念特別国際刑務所。
その医務室の一角は今日一日、特別ゲストのために貸し切り状態である。
部屋の主は中学生にも満たない幼い少女二人。
明らかに制服に"着られている"。
囚人たちが見れば、インフルエンサーを使ってアビスの求人でも始めたやがったのかと首を傾げるだろう。


「はぁ、もうイヤになっちゃう。
 アビスで、狭い部屋に押し込められて、これじゃあ犯罪者と変わらないじゃない。失礼しちゃう!」
「私たちは、誤解を恐れずに言えば部外者ですからね」
「部外者も何も、私たちむりやり所長の手下に連れてこられたんだけど?」
「……藍寿は自分で手を挙げましたよね?」
「菜々子お姉ちゃんが無理やり連れてこられたんだから、無理やりなの!」
「分かっていますよ、ふふっ」

高原菜々子。高原藍寿。
今回の刑務にあたり、所長の"伝手"を使って連れてこられた一日刑務官。


彼女たちの業務は、疲弊した刑務官の疲労回復。
高原菜々子の超力『完全力全快』は、人体の状態を"健康状態に変更する"という世界でも指折りの強力な超力である。
母の"恩義"に報いるため、そして菜々子の護衛兼話し相手として、彼女たちはアビスへとはせ参じた。

二人の母親であり芸能界の大物である高谷千歩果は山折村の出身だ。
当然ヤマオリ・カルトが我先にとその触手を伸ばす。そうしなければ、教義の正当性を疑われるからだ。
それはカルトを根切りしたい秩序側にとっても実に都合が良かった。
乃木平は開闢直後、千歩果を"デコイ"に集まってきた国内カルトの大半を一時撲滅したという。
これが高原家との"縁"であり、所長からの"伝手"であり、そして報いるべき"恩義"である。


さて、先の放送は無事終了。
ヴァイスマン――は所用につき不在のため、アンダーソン看守部長からの指示に従い各班をまわった。
刑務官たちを万全の状態に戻し、次のフェーズに備えたのである。

そして、次のお役目まで何をするのかといえば。


「暇ですね……」

菜々子がぼやく。

ダンスのレッスンには狭すぎる。
ボイストレーニングは迷惑だ。
共用スペースや仕事部屋で歌い踊る非常識さを二人は持ち合わせていない。
ならばとビジュアルチェックをしようにも鏡がない。
何もやることがないのである。


アビスに外の物品は原則持ち込めない。
必ず言爺を通して検閲を受けなければならない。
検閲が終わるころには、刑務も終わっているだろう。

菜々子はベッドに腰かけて、両足を交互にぷらぷらさせ、天井の壁紙を目で追う。
変わり映えのしない景色だ。
にわかに飽きてきた。

「藍寿は何をしているのでしょうか?」
「これ。私、お姉ちゃんの護衛だし?」

藍寿が差し出してきたのは、アビスからの支給されたデジタルウォッチ。
刑務作業者たちが着けているものと同じ機器である。

一日刑務官は正規ほどではないにしろ、権限は与えられている。
つまり囚人の立場では知りえない、刑務の状況を知ることができるのだ。


――余談ながら。
ここで得た情報は、決して外には持ち出せない。
黒い粉末状の記憶消去薬を飲み、今日1日の記憶をすべて抹消して退出するべし。
これがアビスの絶対的なルールである。


ウォッチから放たれる液晶のライトが医務室の天井を照らす。
二つの視線が、そのデジタル画面に集中する。


盤面に孤島が映し出されている。
今まさに刑務作業が執り行われている現場だ。
受刑者たちのものとは違い、全刑務作業者のおおよその現在位置が表示され、
タップすれば、その詳細データも表示される。
監督官たる看守の特権である。


「鑑さんがいるのですね……。日本人の人たちと一緒?」
母親が芸能人である姉妹は、当然日月のことを知っている。

「あっ、一人は模範囚ですか。
 ならば、しばらくは安全、なのでしょうか」
「菜々子おねえちゃんは想定が甘いわ。
 ここはアビスよ?
 こんなところにいる模範囚なんて、表じゃ看守にぺこぺこ頭下げて、
 裏じゃ卑劣な顔して悪行を考えているに違いないわ!」
藍寿は指をわきわきと動かし、ぐへっへっへと三下のような笑顔を浮かべはじめた。
少女におさわりは厳禁。破りし者は然るべき罰が与えられる。
菜々子はぽふぽふと藍寿を叩いて懲罰執行である。

「それに模範囚三人もいるけどさあ、なんかおかしくない?
 二週間でなれるもんなの!?」
藍寿が指さす名はヤミナ・ハイド。
懲役26年の服役期間二週間。国家転覆未遂の大罪人、そして模範囚。
常時発動の概念系超力者であり、洗脳・精神汚染と分類するが、その詳細は不明との記述だ。

「えぇ……? 手続きにミスでもあったのでしょうか?」
「ん~、ズルをしたのかもしれないわよ?」
「ズル……ですか?」
一人だけブラックペンタゴン3階に乗り込んでいる時点で、確かにとんでもなくきな臭い動きだが。

「システムAがあるのに、そんなことができるのでしょうか?」
「ふっ、甘いわね菜々子お姉ちゃん。
 ハチミツのように甘々だわ!」

藍寿が菜々子に見せつけたのは、システムA子機を搭載したネームプレートだ。
公共機関でよく使われるタイプの備品であり、私はここで超力を使用しないという宣言である。
ただし、アビスのそれは二つのシステムA子機がクラスタリングされていた。
意味は高可用性と性能向上。
すなわち、超力強度の底上げである。
底上げができるということはすなわち、元の強度では足りない事象が過去に発生したということであろう。


「本当はシステムAなんて効いてないのに、澄ました顔で紛れ込んで、油断している菜々子おねえちゃんを……がばっ!!」
「……も、もう。びっくりするじゃないですか。
 なんだか、不安になってきました……」
身を縮こまらせた菜々子に対して、藍寿はいたずらな笑みを返す。

「ふふーっ。問題ないわ。
 こっちの大悪党も、こっちの怪しい模範囚も、みんな私がお姉ちゃんに近づく前にぶっ飛ばしてやるから!」
藍寿とヤミナはまったく面識はないが、こんな一人でコソコソしてるやつはたぶん大したことない。
そんな侮りを持たれている。
ヤミナ・ハイドは接点のない人間にも侮られている。

実際のところ、ヤミナ・ハイドの超力はシステムAのそのものの強度を超えることはできない。
けれど、彼女の超力はすでに、世界そのものの奥底にささやかな足跡を刻んでいる。




ブラックペンタゴン3階。
それは、三メートルほどの巨大な扉だった。
黒鉄の表面には細かな幾何学模様が刻まれ、僅かな金色の線が走っている。
とはいえ、派手さとは無縁で、黒を強調するような控えめな輝きだ。
いかにも重要そうな何かがこの中に隠されていそうである。

ごくりと唾を飲み込み、引き手に手をかけて扉を開……けない。
傍らに扉に溶け込むように、カードリーダーとテンキー錠が取り付けられている。
これはどちらか片方が合致すれば鍵が開くタイプのようである。

「謎解きでもさせたいのでしょうかね……?」
窓にはめられた格子といい、
建築の基礎をガン無視したような構造といい、
ところどころで進行を阻んでくる仕掛けといい、
なぜか内・中・外をまたがなければ一周できない回廊といい、
まるでブラックペンタゴンで大渋滞でも起こそうとしているかのようだ。
浮かんだ考えをまさかねハハハと拭き捨てて、ヤミナはテンキーとにらめっこを始めた。


にらめっこすればパスコードが湧き出てくるなど、狂人の理論だ。
だが、精神をいたく集中させていると神仏等の超常存在の姿を捉え、告知を賜る人間もいるらしい。
精神修行中に現れる神仏はほぼ幻覚だ。殴り飛ばして病院に行くのが正しい対処法である。
ただしヤミナは世界から祝福を受けている。
おぼろげながら数字が浮かんでくる。


『4646』

入力だけならタダだと四ケタの数字を入力。
上昇調の電子音が鳴り、鍵の開く音が聞こえた。
「開いたっ! 私って、もしかして天才!?」

意気揚々と、ヤミナは部屋へと入っていく。
ヤミナの超力は、システムBへ入り込んでいく。
実世界と同じように、システムBで作られたこの世界にも憑りついていく。
わずかにシステムBに結合し、ほんのわずかに世界を変質させていく。




高原姉妹は引き続き、刑務島を眺めて時間を潰していた。
「このブラックペンタゴンという建物、本当にたくさん人が集まっていますね」
生存している受刑者のうち、半数近い受刑者が集合している巨大施設。
否が応でも目を引かれてしまう。

「この島に送り込まれたとして、私なら絶対に近づかないわ」
「こんなにたくさんの受刑者がいたら、何が起こるのか分かりませんからね」
「それもあるけれど、もっと別の理由よ」
「?」
「そうね……。私は考えがあるけれど、まずは菜々子お姉ちゃんの考えを聞かせてほしいわ。
 ブラックペンタゴンには、何があると思う?」
「何がある、ですか……。
 私が考え付くものは、大したものじゃないですけれど……。
 島の真ん中で、頑丈そうな大きな建物ですから……。
 たとえば島に電気や水を送り出しているとか?
 あっ、ひょっとしたら放送の電波を受信する装置があるかもしれませんね」

島全体に満遍なくインフラを行き渡らせるならば、やはり中央に大規模な制御施設は欲しい。
そうすることで平等に、電気や水を送ったり、電波からの放送を手早く行き渡らせることができるだろう。

「きっと、刑務作業を成り立たせている根幹のシステムが置かれているのではないでしょうか」




ブラックペンタゴン3階。
そこは、展示室であった。

立ち入ったヤミナは、その精巧なジオラマ群に目を丸くしていた。
中央にでかでかと置かれているのはこの島のジオラマである。
廃墟、山岳、工業地帯、港、そしてブラックペンタゴン。
ブラックペンタゴンは上からみると綺麗な正五角形だ。
中庭には黒い球体のようなモニュメントが置かれており、上から見るとこんなだったのかと素朴な感想を抱く。
睨んでいるとなんだか心臓の形にも見えてくるこの島。解説パネルには、『世界』とだけ書かれていた。

島のジオラマから少し離れて周囲を見ると、山々に囲まれた村のジオラマや、白い神殿のような巨塔、一見ごく普通の建物の模型がある。

『山折村 ~永遠なる聖地~』
『超力犯罪国際法廷 ~秩序の門~』
『ヤマオリ記念特別国際刑務所 ~悪の終焉~』

何やらかっこつけた抽象的な説明が並んでいるが……。

――あれ、もしかしてこれ、ものすごいお宝なのでは?
超力社会の中枢たるICNCこそ知っているが、
山折村、ましてアビスの模型など見たことがない。
外に出てこの情報を売ればだいぶ金になるのでは?

デジタルウォッチにカメラ機能がないのを大変残念に思う。
デジタルウォッチはアビスの備品なのだが、そんなことに気は回らず、ヤミナは心から天を仰いだ。


まなこにアビスの外観をとくと焼き付け、もっとお宝はないかと視線を反対側に移すと、そちらにはガラスケースに入ったオブジェクトが展示されていた。
その中でも目を引くのは、材質不明、白く光る球体のようなオブジェクトだ。

『システムA』
『とある被験体の異能を抽出、システム化したもの。超力社会の要』
簡素な説明だ。
システムAの本体ってこんな見た目だったんだな、と素朴な感想を抱く。

その隣。
『システムB』
『この”世界”の要』
こちらには、ただパネルと抽象的な説明だけが立てられている。
ガラスケースには、何も入っていなかった。

ふーん、と一瞥したヤミナは、ふと壁際に開いた小さな窓に気付いた。
なんとか顔を出して中庭を覗きこめる程度の、小さな窓だ。
そういえば外に面した部屋や廊下には窓があったが、内に面した部屋で窓を見たことがなかった。
それに、トイレを探して一階を駆けずり回っていた時、中庭に行く通路は見当たらなかった。
この建物の中庭ってどうなってんだろ、と、なんとなしに窓から中庭を覗き込んだ。

――あれはなんだろう。


黒曜石でできたチェスのような黒い円柱の上で、ふわふわと浮かびながら回転する黒い巨大な球体が置かれていた。
噴水に彩られた美しい庭園に調和するような、宝石のように美しいモニュメントが日の光を受けて輝いていた。

なんか高そうなモニュメントだな、と現金な感想を抱くが、ふとどこかで見たような気がする。
後ろを振り返って飛び込んでくるシステムAのオブジェクト。色以外、中庭にあるものにとても似ている。
島のジオラマ。タイトル『世界』。
システムB。『この”世界”の要』


刑務作業における値打ちもの。
当然、恩赦ポイントがその筆頭だが、それがすべてじゃない。
自分だけが持っている情報アドバンテージもまた、交渉のカードとなる。
受刑者の中には、仁成やエンダのようにアビスに反抗し、調査を目的とする人間がいる。
もしあれが本当に"この世界の要"なのなら、情報としてこれほど強力なカードはない。


何より。
刑期を26年に軽減され。
アビスに入ったが模範囚と認定され。
刑務作業でも首輪を棚ぼたで手に入れ。
チャンピオンに安全を担保され。
ブラックペンタゴンの上階を自由に探索できて。
この部屋に一発で入れて。
今、自力で重大な秘密を握ったかもしれないのだ。
いや、握ったのだ。
風は私に吹いている。


娑婆にいたころから数々の甘い話に引っかかってきたこの女が、自制など効かせられるはずもない。
異質なものに、警戒心と共に好奇心が湧く人間の本能を抑えられるはずもない。

「ふふ、ふへへへ……」

世界はヤミナにやさしい。
世界はヤミナにやさしい。
世界はヤミナにやさしい。


だらしない顔を晒して、展示室を退出するヤミナ。
そういえばパスコードなんだっけと一抹の不安がよぎった。
確かこれだったはずと、四ケタの数字を入力。

『5656』

上昇調の電子音が鳴り、鍵の開く音が聞こえた。
不安は消失する。
安心は強まる。
ブラックペンタゴンから逃げ出そうかという選択肢は、もはや失われていた。



「私はね、今はブラックペンタゴンには何もないと思うわ」
「何もない、ですか?」
藍寿はその細い指でブラックペンタゴンを指し示す。
周辺には、20名を超える受刑者たちが点在していた。

「大事なものをこんなに人の多いところに置いたら、誰かに壊されちゃいそう。
 私なら、四隅のどこかか、または全部に置くわね」
島の四隅。
灯台、小屋、廃墟、工業地帯。
人気の少ない、会場の最果てを指し示す。

「真ん中には、予備だとか、もしものときの発電機みたいなものならあるかもしれないけれど。
 私の考えはもっと別のところ。
 この刑務作業は戦争の実験よね?」
刑務の目的は刑務協力の条件として聞かされている。
超力を活用した戦争のシミュレーションだと二人は聞いた。

「戦争が続いて、技術が進歩しないなんてこと、あるかしら?
 新しい武器とか、ポジション取りみたいなのが現れるのが当然だと思わない?
 それに、戦争に勝つための条件だって変わっていくかもしれないわ!」
20年以上前に起きた戦争でも、ドローンを用いた戦術は大きく進歩し、各国が新戦術に対応することを強いられた。
戦争によって、兵器も技術も進歩していく。

「私なら、受刑者を真ん中にいっぱい集めておいて、後半にステージをひっくり返すような新兵器を投下するわ。
 この、ブラックペンタゴンの中央に!」
バシッとポーズを取る。
ダンスの最後によく見せる決めポーズである。

「うーん、これって、そういうアビスと受刑者の対決ではないような。ちなみに、新兵器って、たとえばどんな?」
「えっ、それは……う~ん、たとえば、超力の進化を早くする、みたいな?」
「そんな兵器があるのなら、とっくに使われていそうな気もしますが……。
 というか、今日の藍寿、なんだか考え方が意地悪ではありませんか?」
「私はお姉ちゃんの護衛だもん。
 最悪を考えるのが私の仕事なの。
 今日は私はネガティブになるんだから! ネガティブネガティブ!」
藍寿は唇を尖らせ、腕を組んでふんぞり返る。
だが、その仕草はどこか芝居がかっており、まるで小さな舞台女優のようだった。
背伸びでおませな妹を、菜々子は愛おしいと思う。

「まあでも、そうですね。
 意地悪な考え方をするなら、受刑者自身が自発的にブラックペンタゴンに留まりたくなる仕掛けはあるかもしれませんね」

まあ、島の中央に新兵器が来ようが、刑務者の超力が進化しようが、ただのデコイだろうが、島の中で完結してくれるなら問題ない。
今日一日、無事に過ぎてくれれば御の字だ。

とん、とん、と医務室のドアがノックされる。
「高原サポート官。クロノ主任看守が心労で疲弊したらしい。応対を頼む」
「はーい」
仕事の呼び出しを受け、菜々子は藍寿とともに医務室を後にした。



世界はヤミナを侮っている。
ゆえに、世界はヤミナに甘い。

彼女の超力は、深層意識に作用する。
自然の可能性を緩やかにねじ曲げる。
けれど、実際のところ、現実を改竄するほどの力は有していない。
意図を以って定められた電子機器の機能を改竄するほどの力は有していない。


展示室。この扉のパスコードを類推させるものは三階各所に散らばっているが、実はどんな4桁の数字でも開く。
"隠された"仕掛けを解いたあなたは”特別”だ。
仕掛けに気付いたあなたは”特別”だ。
だから、あなたがここで手に入れた"成果"は特別なものだ。
そんな祝福を与えてくれるやさしい部屋だ。


中庭には確かにモニュメントがある。
だが、それが何を意味するのかは誰も提示していない。
どうやってたどり着けるのかも分からない。


"何かを保管する"ものなのか?
いや、"何かを制御する"ものなのか?
あるいは、"何かと何かを繋ぐ"ものなのか?
それとも、"中に取り込む"ものなのか?
はたまた、"放出する"ものなのか?
本当に、"ただのランドマーク"なのか?

ヤミナは周囲の状況から、"自分で"その正体に"気付いた"のだ。
自分で気付いたその価値を高く見積もれば見積もるほど、
それを手放すのが惜しくなり、この黒い監獄からは逃れられない。


世界はヤミナに善意を与える。
けれど、人間の強固なる意志と悪意は、ささやかな善意を木っ端に打ち消す。
”普通”でない出来事は、オリガ・ヴァイスマンの超力の前に曝け出される。
それでも黙認されているのなら、それは管理が可能であると判断されたからにほかならない。

彼女はイレギュラーではない。
檻の中に囚われている一受刑者にすぎないのだ。


Subject: Re:【看守官連続殉職事件】最終調査結果報告

本文:
調査報告書を確認した。
詳細な調査と分析を行い、事案の原因究明および対策案を提示してくれたことに深く感謝する。

しかし、報告書末尾に記載された刑務作業自体の見直しについては、君の職務の範疇を超えた提言だ。
概念型超力者の選出についても、君の抱いた懸念はすべて想定されたケースの範疇であると伝えておく。


刑務作業は予定通り執り行われる。
今後もしっかりと職務に励みたまえ。

以上



【D-4/ブラックペンタゴン 3F北西ブロック 展示室/1日目・朝】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(小)、各所に腐食(小)
[道具]:警備員制服、デジタルウォッチ、デイパック(食料(1食分)、エンダの囚人服)
[恩赦P]:34pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.ブラックペンタゴン上階・中庭を探索する
1.下の階へのルートを確保する
2.エンダと仁成に会ったら交渉、ダメそうなら逃げる
※ドン・エルグランドを殺害したのは只野仁成だと思っています。

[共通備考]
ブラックペンタゴン2階北西ブロック:3Fとの階段・警備室・屋内放送室
ブラックペンタゴン2階北東ブロック:共用シャワー室・更衣室・仮眠室
ブラックペンタゴン2階南西ブロック:1Fとの階段・トイレ・ロッカー
中庭のモニュメントはランドマークかもしれませんし、他にも意味はあるかもしれません。

083.「Desastre」 投下順で読む 085.無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか
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BUY OR DIE? ヤミナ・ハイド 宣戦布告

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最終更新:2025年06月22日 13:35