『ねえ、エルビス』


 在りし日の、記憶。
 在りし日の、安らぎ。
 在りし日の、思い出。


『私達、いつかさ』


 今でも鮮明に、思い出せる。
 この脳髄に、刻み込まれている。
 魂の奥底。意志の根幹。
 全てを失ったオレにとっての。
 たった一つ残された、一筋の道標。


『この世界から、抜け出せたら』


 なあ、ダリア。
 オレは、ここにいる。
 オレは、戦い続けている。
 お前との約束を、守るために。


『その時は、いっしょに生きようね』


 ――立ち上がれ。
 ――誰もそばにいなくたって。
 誓いを果たすために。
 この手の愛に報いるために。
 オレは、オレ自身を奮い立たせる。


『私と、エルビス――――』


 オレ達には明日がある。
 だから、もう留まりはしない。
 抗い続けるだけだ。


『ふたりで、家族になろうね』


 さあ、明日を掴め。





 灰色の密室。
 鉄と鋼の世界。
 無機質なる空間。
 隔離されし戦場。
 拳闘と紫骸の監獄。
 そこは、死地である。

 ブラックペンタゴン。
 1F南西ブロック、階段前。
 電子扉を封じられた一区画。

 配電室に干渉しない限り。
 此処は、離脱不能のリングで在り続ける。
 即ち、抜け出すことの出来ない死地だ。

 鮮やかな色彩が舞う。
 濃紫色の花弁が舞う。

 無数に咲き誇る花々(ダリア)。
 弾け飛ぶ血潮のように。
 散りゆく命の欠片のように。
 紫の残滓が、この死地で踊り続ける。

 花の牢獄。花の庭園。花の狂宴。
 その美しき情景は、朽ちゆく死を齎す。
 その麗しき光景は、滅びゆく腐敗を齎す。

 既に幾度もの打ち合いが繰り返されていた。
 剣戟と拳撃。交錯する閃光の応酬。
 時間の感覚さえも、互いに失いゆく中。
 戦局は今もなお、加速し続けている。

 ――――狂犬が、翔んでいた。
 鋼色の装甲を身に纏って、跳躍していた。
 舞い踊る花弁の数々を、振り払いながら。
 兜より覗く瞳から、獰猛な戦意を滲ませながら。
 その身を勢いに任せて、突撃を敢行する。

 内藤四葉。奔放なる戦闘狂。
 自らの衝動を暴威に変える、新時代の少女。
 幼き日の空想と体験が破壊性へと結びついた、生粋の破綻者。
 その笑みは酷く無邪気で、酷く凶暴だった。

 襲い来る腐敗の瘴気を、鎧で凌ぎながら。
 花々の渦中に佇む“王者”へと、迫りゆく。
 山なりに軌道を描くように落下し、敵へと肉薄していく。

 ――そして、握り締める長剣が振るわれた。
 跳躍による突進の勢いを乗せた、怒涛の三連撃。
 空中で身体を機敏に回転させながら、立て続けに斬撃が放たれる。
 舞い踊る剣戟は、周囲の花弁をも余波で斬り飛ばしていく。

 紫骸の庭園、その支配者――“チャンピオン”。
 エルビス・エルブランデスは、高速の斬撃を肉眼によって完璧に捉える。
 不動のままに身構えていた王者が、その場から瞬時に動き出した。

 機敏なバックステップを繰り出し、勢いよく迫る刃の軌跡を次々に回避。
 紙一重。少しでも判断と行動が遅れれば、その褐色の肌が斬撃に曝されていただろう。
 されど彼の卓越した瞬発力と動体視力は、襲い来る連撃を的確に凌いでいく。

 斬撃を躱され、回転の勢いと共に着地した四葉。
 そのまま後退したエルビスを間髪入れず視界に捉え、コンマ1秒の速度で地を駆ける。
 長剣を振るって周囲の紫花を切り払いながら、 身を屈めた姿勢で疾走する。

 エルビスは、即座にバックステップ。
 再び迫り、暴れ狂う斬撃の軌道。
 その悉くを、躱し続けていく。
 長剣の刃は、虚空を踊っていく。
 時に褐色肌の紙一重にまで肉薄しながらも。
 それでも王者は、冷静かつ機敏に回避を繰り返す。

 やがてエルビスは突如後退を止めて、即座に軌道を転換。
 そして、鋭敏に舞い狂う斬撃の合間を掻い潜るように。
 前方へと鋭く突進――刃の軌跡を躱しながら突破する。
 その体格に似合わぬ軽快な身のこなしで、刃を振るった四葉の懐へと肉薄。

 兜越しに目を見開いた四葉が、咄嗟に長剣の軌道を変える。
 両手で支えるように縦に構えて、防御の体制を取った――その直後。

 左右から、薙ぎ払うような打撃が襲い来る。
 右拳、左拳の2連フック。
 まるで強靭な鈍器を叩き付けられるような衝撃。
 構えた長剣でそれらを凌ぎつつも、腐敗していく刃では防ぎ切れず。
 その身は大きく仰け反り、後退を余儀なくされる。

 たかが素手の打撃くらい、甲冑で受け止める?
 四葉はそんなことを考えもしなかった。
 この拳は間違いなく、鋼鉄越しにでも“叩き込んでくる”からだ。

 アレは生半可な威力じゃない。拳撃自体が一種のネオスに匹敵するようなものだ。
 ましてや撒き散らされる腐敗毒によって、鎧は刻一刻と朽ちていっている。
 下手に受け止めれば、こちらが打ちのめされる――四葉は理解していた。

 ならば、どうする。
 守りに徹するか、あるいは退くか。
 戦闘狂は瞬時に思考を加速させる。
 再び迫る屈強なる右拳を目前にして。
 猟犬は、猛々しい笑みを浮かべる。

 選んだ道筋は、そのどちらでもない。
 即ち四葉は、自らも攻勢に出た。

 前方へと潜り込むように、放たれた右拳をギリギリで逸らした。
 そのまま逆手に持ち替えた長剣の柄を、エルビスの胴体へと鋭く叩きつけた。
 鉄棒による刺突に等しい打撃が、王者の身を襲う――――。


 瞬間。
 宙を舞ったのは。
 四葉の方だった。


 柄による刺突と同時に。
 エルビスのカウンターが叩き込まれた。
 アッパーカット。四葉の顔面を襲った拳撃。
 兜ごと脳髄を揺さぶる程の威力。
 刺突さえ物ともしない反撃に、四葉は吹き飛ばされた。

 だが、それから間もなく。
 アッパーを放った直後のエルビス。
 その後方の死角から、2つの影が躍り出る。
 それは、二体の甲冑騎士による奇襲攻撃。
 エルビスの反撃に対する、更なるカウンターだった。

 縦横無尽に斧槍を振るう『オジェ・ル・ダノワ』。
 機敏な動作で長槍を操る『ヘクトール』。
 僅かなる隙間を掻い潜り、達人的な武芸が駆け抜ける。
 死角から迫る甲冑騎士達が、凄まじい瞬発力による波状攻撃を繰り出した。
 “ここぞという場面”での奇襲を、四葉は反撃として敢行したのだ。

 四葉は空中で何とか体制を整え、受身を取るように着地する。
 震盪する意識を繋ぎ止めながら、その視界にエルビスを再び捉えた。


「――――ッ、嘘でしょ……!?」


 そして、四葉が驚愕に目を見開いた。
 ――――死角2箇所からの波状攻撃。
 その全てを、エルビスは的確に回避したのだ。

 即座に身を屈めることで、ハルバードによる斬撃を躱し。
 間髪入れずにスウェーバックの挙動で斜め後方へと下がり、側面からの槍の刺突も凌ぐ。
 そこから瞬時に態勢を切り替え、獣のように前方へと突進。
 鋭い駆動によって、続けて襲い来る2つの凶刃の射程から逃れた。

 コンマ数秒。瞬きの合間の出来事。
 驚愕によって、四葉が目を見開いた矢先。
 ――既にその身を、王者の拳が襲っていた。
 5発の衝撃が“ほぼ同時”に、四葉の身体を甲冑越しに打ち据えた。

 余りにも素早く、そして鋭いジャブの連撃。
 牽制という域を超えた“重さ”が、鎧に包まれている筈の四葉を怯ませて。
 そして――――渾身の右ストレートが、瞬時に叩き込まれる。
 隙の生じた四葉の胴体部へと捩じ込まれた一撃は、腐敗していく鎧をも打ち砕いたのだ。

 花弁に入り混じるように、銀色の断片が宙に撒き散らされた。
 砕け散る甲冑の胴体。衝撃と共に吹き飛ばされる四葉。
 そのまま勢いよく壁に叩きつけられ、腐食によって脆くなった兜や手甲なども崩れ落ちてゆく。
 崩れた鉄仮面から顕になった眼差し――四葉の双眸は、狂犬のように闘志を剥き出しにしていた。

「――――――んなろォッ!!!!」

 朽ちてゆく長剣を、四葉は我武者羅に投擲した。
 半ば自棄糞の攻撃。どうせ使い物にならない、当たれば幸運。
 縦に回転しながら飛んでいく長剣は、そのまま虚しく躱される。
 瞬時に上体を右側に屈めたエルビス。その頭上を、刃が過ぎ去っていった。

 そうしてエルビスは、何事もなく――。
 再びその拳を構えて、四葉を見据えた。

「ったく、さぁ……!!」

 そんな彼の佇まいを、四葉はきっと睨む。
 その口元に、苦痛と歓喜の笑みを浮かべて。

「ほんっとに……強ぇなぁ……!!」

 これが、無敗の王者。
 これが、常勝の狂犬。
 これが、チャンピオン。

 エルビスの超力は“紫花による腐敗毒の散布”という強力な異能である。
 しかし、彼の身体能力との直接的なシナジーは持たないことは明白だ。
 隔離空間での優位なフィールドを作り出すという形で、互いの強みを並列させることは出来る。
 されど互いの強み同士が相互作用を与えることは無い。
 エルビスの身体能力を強化したりとか、肉体の硬度を上げるとか。
 そうした直接の恩恵は生じないのだ。

 即ちエルビスは、あくまで丸腰(ギアレス)だ。
 彼の格闘は、異能に一切頼ることのない純然たる“技量”なのだ。
 そうして振るわれる拳撃の数々が、奔放なる戦闘狂を追い詰めている。

 恐らく対等の条件であっても打ちのめされていたのは自分の方だろう、と。
 四葉は半ば直感のように悟っていた。

 奇襲を敢行した2つの甲冑騎士は、既にその場から姿を消している。
 先程のカウンターパンチを受けた衝撃によって制御を手放したからだ。
 甲冑騎士は個々の意思を持たず、あくまで四葉自身の指揮によって使役される。
 故に思考のリソースを超えるか、あるいは突発的に大きなダメージを受けたりすれば、騎士達は一時的に行動を止めることになる。

「花を愛でる趣味とか、無いけどさぁ……!」

 舞い散る紫の花弁が、砕け散った銀色の断片を枯れさせた。
 四葉が身に纏っている“ランスロット”の甲冑は、最早使い物にならない。
 腐敗と衝撃によって胴体の殆どが砕け落ち、既に四葉を瘴気のもとに晒している。
 朽ち果てていた長剣も先程の投擲によって放棄した。武装も喪失している。

「命懸けの喧嘩には……目が無いんだよね、私ッ……!!」

 故に――――鋼人合体、換装。
 四葉は現在の武装を破棄し、瞬時に次の甲冑を身に纏う。
 長槍を装備した『ヘクトール』である。

 四葉の超力『quatre chevalier(四人の騎士)』の欠点。
 戦闘不能になるほどの大きな破損を受けた甲冑は、一定時間召喚できなくなること。
 再召喚するためには暫くのリカバリータイムが必要になる。
 少なくとも、戦闘時における即時の回復は見込めないのだ。
 故に腐敗毒に晒される今の四葉にとって、防護服となる甲冑の残存数こそがゲームで言う“残り人数”となる。

 エルビスは、ただ無言で拳を構え続ける。
 その表情に哀楽は無く、粛々と次の一手へと向けて呼吸を整えていた。
 そんなエルビスへと、キッと鋭い視線を突き付けて。
 愉しげな笑みを見せつけながら、四葉が再び口を開いた。

「あははっ!!ねーえ、チャンピオン……!!」

 まるで演舞のような動きで、四葉は長槍を回転させる。

「そんなつまんなそうな顔してたらさ、勿体ないじゃん……!!」

 見様見真似、何の流派も型も有りはしない。
 今まで読んできたファンタジー漫画や、これまで戦ってきた達人の模倣に過ぎない。
 にも拘らず、その動きは獰猛にして流麗だった。

「殺し合いなんだから!!もっと笑いなよ、楽しもうよッ!!
 人生って短いんだしさァ満足しなきゃダメでしょ!!
 踊る阿呆に見る阿呆って知ってる!?楽しまなきゃ損だよ損!!
 花より団子!!花より喧嘩ってわけ!!分かる!?分かるよね!!
 分かんなかったらごめん死ね!!」

 達人の如し所作によって、銀色の軌跡が走る。
 天性のセンスによる舞踏を披露しながら、獰猛に口の両端を吊り上げる。
 そして、一頻りの演舞を見せつけた直後。

「こんな地の底にブチ込まれてんのに!!!
 お上品ぶってたら、寂しいよねぇっ!!!」

 四葉の姿が――――残像と化した。
 その場で地を蹴り、超速で駆け出したのだ。
 1秒にも満たぬ瞬発力で、立ち尽くすチャンピオンへと肉薄した。

 沈黙のままに佇むエルビス。
 捲し立てた四葉の言葉を、何も言わずに聞き届けて。
 目にも留まらぬ速さで繰り出された槍の一突きを――瞬時に回避する。
 ほんの微かにその身を逸らす、最低限の動作によって。

「“あいつ”が待っている」

 直後にエルビスは、ぽつりと呟いた。
 四葉の口上に、答えるかのように。

「ただ、それだけだ」

 されど四葉は、全く動じずに次なる動作へと移る。
 突きを躱された四葉はすぐさま構えを変えて、柄を高速で振り上げた。

「命を懸ける理由は――」

 その二撃目を、エルビスは右の前腕によって“逸らす”。
 まるで剣で刃を滑らせるかのように、柄の勢いを受け流し。


「それで、十分だ」


 ――――瞬間。
 薙ぐような左拳の一撃が、四葉の頭部に叩き付けられた。

 脳震盪。兜をも砕きかねない、脳天を揺さぶられる感覚。
 凄まじい衝撃が、四葉の意識に襲い掛かる。
 異常な破壊力のパンチが、戦闘狂を捻じ伏せんとする。


「はッ――――」


 されど、返ってきたのは笑みだった。
 見開かれた双眸が、兜越しに王者を射抜く。

「カッコいいね、そういうの」

 鼻血を流し、喀血をしながら。
 それでも四葉は、持ち堪える。
 半ば根性と意地によって、強引に一撃を耐え切った。
 掠れそうになる視界。その焦点を、無理矢理に合わせた。

「ますます燃えてくるんだけど」

 噛みつかせろ、噛みつかせろ、と。
 奔放なる狂犬は、闘志に燃え続ける。
 その眼差しで、目の前の敵を睨みつける。
 内藤四葉は、命懸けの死闘に高揚する。

 それでも、拳撃の闘犬は怯まない。
 たったひとつ咲き誇る、“愛の華”のために。
 ひとひらの花弁は、無垢なる魂を滾らせる。
 地の底で芽生えた、恋という熱によって。

 それこそが、全てを失った王者の矜持。
 それこそ、負け犬を狂わしたウイルス。


「その人、なんて言うの?」
「……ダリア」
「へえ。いい名前だね」
「ああ。本当に」
「愛する人が、待ってるんならさ」


 至近距離。再び交錯を始める直前。
 二人の受刑者は、僅かに言葉を交わし合う。
 死と暴威の嵐に、一筋の安息が差し込む。
 そんな時間も、刹那の合間に過ぎ去っていく。


「もっと殺す気で来なよ、チャンピオン」
「――――言われずとも」


 互いに拳と槍を引き、再び身構えて。
 そして、共に一撃を放った。

 毒の紫花は、縦横無尽に咲き続ける。
 命懸けのリングを、鮮やかに染め上げる。
 愛と死。狂気と闘志。刃と拳。
 二人の受刑者が、命を滾らせていく。




 トビの超力『スラッガー』。
 自身の肉体を軟体化させ、驚異的な柔軟性を発揮する。
 子供の頃によく能力を“ナメクジ野郎”と揶揄されたのが悔しくて、意趣返しを込めて命名した。

 狭いダクトの内部を、トビはまるで蛇のように素早く突き進んでいた。
 身動きの制限される閉鎖的空間でありながらも、彼は超力による軟化を駆使して身体を滑らせていく。
 ここまでの敏捷性を発揮できるのは、ひとえに彼が幾度とない脱獄で自らの身体能力を磨き上げてきたからだ。

 ブラックペンタゴン1F、北東ブロック。
 そこに位置する節電室を目指して、トビは這うように疾走を続ける。

 無機質な空間の中を、スライダーを滑るかの如く進んでいく。
 長年の経験で研ぎ澄まされた体内磁石の感覚を頼りに、入り組んだ道筋の中で最適な経路を選択していく。

 移動を続ける中で、トビは思考する。
 内藤四葉は、果たしてどの程度持つのか。

 自身の見立て通り、あの戦闘狂は間違いなく“やり手”だ。
 先の戦闘においてはイレギュラーの介入によって窮地に立たされたものの、それでも生半可な超力犯罪者とは一線を画す実力を備えていた。
 噂には聞いていたが、伊達に死線を乗り越えてきた訳ではないことをトビは理解した。

 あの“チャンピオン”を相手取っても、決して容易くは倒れないだろう。
 オールドと比較して、ネイティブ世代は疲弊や負傷に対する耐性が強い。
 先の戦闘を経てもなお、奴は十全の戦闘能力を発揮できるだろう。

 それでも、あの腐敗毒の中でエルビス・エルブランデスとの一騎打ちを強いられているのだ。
 例え実力で粘ったとしても、状況はエルビスの方が絶対的に有利なのだ。
 長期戦になればなるほど、四葉は間違いなくジリ貧となる。

 少なくとも、今はまだ“協力者の切り捨て”は避けたい。
 今後他の受刑者と同様の結託が行えるかも定かではないうえ、保身の為なら容易く味方を切るような立ち回りを他者に知られる恐れがある。
 即ち、取引における“信頼”を軽視する輩と見做されるリスクがあるということだ。

 手駒となる協力者を確保し、次から次へと切り捨てては乗り換えていく。
 そんな立ち回りが出来るのは、かつて孤児の子供達を利用した際のように――余程明確な勝ち筋を見出した時だけだ。
 故に四葉は、戦力としてまだ手元に置いておくだけの理由がある。

 それでも、万が一間に合わない場合も十分に有り得る。
 四葉があのチャンピオン相手に勝利を収めれば、それこそ御の字だが。
 あの状況を加味すれば、四葉の敗死も視野に入れるべきだろう。
 仮にそうなれば、最早彼女への義理を通す必要もなくなる。

 可能であれば、四葉の死体――あるいは頭部くらいは回収しておきたい。
 首輪解除の実験に向けて、貴重な“首輪のサンプル”を確保できるからだ。
 例えポイントが回収されたとしても、首輪の現物そのものが場に残ることは大きい。
 ナイフを利用して、構造を調べられる余地が生まれる。

 共闘する上での信頼は大事だが、それはあくまで生者との取引の話。
 物言わぬ屍は何も言わないし、何も文句を返してはこない。
 ならばせめて、生きている者の為に役立ってもらうべきだ。
 このアビスの受刑者達からすれば、当然の論理だろう。

 恐らくそれは、四葉にとっても同じこと。
 彼女もまた、トビが死体になれば躊躇なく首輪を回収する筈だ。
 そうした割り切りがあるからこそ、自分達は悪人なのだと。
 トビは改めて思いに耽る。

「ナイトウ。オレ様の肥やしになりたくなけりゃあ、しぶとく生きるこった」

 自分への戒めも刻み込むように、トビは独り呟く。
 己もまた、お前の肥やしとして此処で死ぬつもりはない。
 トビは自分自身にそう言い聞かせて、再び気を引き締めた。


 ――――くす。


 その思考の矢先だった。
 トビの耳が、声を捉えた。


 ――――くすくす。


 何処かで、誰かが囁くような。
 奇妙な声が、風に乗ってきた。
 空気が、変わった。


 ――――くすくす。


 狭いダクトの内部に。
 排気口から忍び込むように。
 “異物”が紛れ込んだ。
 黒い靄のような何かが。
 この空間に入り込んできた。


 ――――くすくすくすくす。


 煮凝りのような、老若男女の嗤い声。
 魂をも蝕むような、悼ましき漆黒。
 混濁。混乱。混沌――闇が入り乱れる。


 ――――くすくすくすくすくすくす。


 トビは、ぴたりと動きを止めた。
 その異様な空気を、鋭く察知した。
 胸の内を搔き乱されるような。
 そんな得体の知れない戦慄を抱いた。


 ――――くすくすくすくすくすくすくす。


 これは、一体何だ。
 トビは目を見開く。
 揺らめく背徳の匂い。
 冒涜的で、異質なる気配。


 ――――くすくすくすくすくすくすくす。
 ――――くすくすくすくすくすくすくすくす。


 それは、ある意味で。
 つい先刻に出会った“あの少女”を想起させるものだった。
 秘匿受刑者。銀鈴と名乗った、白い髪の少女だ。
 即ち、トビにとって“最大限の警戒”の対象となり得るモノ。


 ――――くすくすくすくすくすくすくすくす。
 ――――くすくすくすくすくすくすくすくす。


「……やれやれ。格好つけたばかりだってのによ」

 トビの口元に、気が付けば笑みが浮かんでいた。
 自分は“恐ろしい何か”の領域に踏み込んでいるのだと、彼は本能的に悟る。


 ――――くすくすくすくすくすくすくすくす。
 ――――くすくすくすくすくすくすくすくす。


 だが苦境など、幾度となく経験してきた。
 生死の狭間など、幾度となく潜り抜けてきた。
 己には地位も権威も何も無い。丸腰の男だ。
 しかし何も持たずとも、この身一つで生き抜いてきたのだ。
 如何なる危機が迫ろうとも、大胆不敵に笑ってこその“脱獄王”だ。


「オレ様の前に立ちはだかるのは」


 ――――くすくすくすくすくすくすくすくすくす。
 ――――くすくすくすくすくすくすくすくすくす。
 ――――くすくすくすくすくすくすくすくすくす。


「いつだって、窮地って訳だ――――ッ!」


 薄汚れたダクトを、機敏に滑り抜けていく。
 迫り来る“忌まわしき気配”から全力で逃れるべく。
 トビ・トンプソンは、不敵な笑みと共に突き進んでいった。

 最早、背後は振り返らない。
 振り返る暇など、ある筈がない。




 ――“開闢の日”に散布され、超新星爆発による放射線災害から世界を救う要因になった鍵。
 ――地球環境を再生すると同時に全人類へと異能を齎し、世界を新たなる領域へと塗り替えることになったウイルス。
 ――そのウイルスが発祥した土地が、日本の山村である“山折村”だ。

 ブラックペンタゴン、1F北西ブロック――図書室。
 只野仁成は、エンダが見つけた一冊の書籍へと目を通していた。
 題名は“カクレヤマ・レポート”。
 エンダの出自を聞いた仁成は、彼女のルーツへと触れる。

 ――カクレヤマとは、元を辿れば“最古のヤマオリ・カルト”のようなものである。

 ヤマオリ・カルト。この世界を革新させた“ヤマオリ”の概念を信奉する、一連の新興宗教の総称。
 その最大勢力だった組織によって、エンダは捕らえられていたのだという。
 そして彼女が生まれ育ったカクレヤマもまた、そのヤマオリから枝分かれした存在だった。

 ――開闢の起源にあたる山折村の文化は、隠山(イヌヤマ)という祟り神をルーツに持つという。
 ――山折村においてその名は紆余曲折を経て忘却されたものの、彼らはその隠山から分岐した“カクレヤマ”を先祖代々名乗っている。
 ――祟り神信仰が始まって間もない中世においては、未だ“本来の伝承”の断片が残されていたのだろう。

 数百年前に山折村における“祟り神信仰”を何らかの形で外へと持ち出した一族――村を出奔した者達か、あるいは村民の遠い血縁者か。
 ともかく、それに当たる者達が“外部の集落”に信仰を齎したことで興ったのが“カクレヤマ”なのだという。
 彼らは山折の伝承を“神降ろしの儀式”に昇華させ、ある奇跡――災いの克服だとか、死者の蘇生だとか――を独自に果たそうとしていたらしい。

 カクレヤマは山折村を起源にして分かたれながらも、山折村とは一切の直接的な交流を持っていなかった。
 互いに閉ざされた環境の集落と化したことも相俟って、以後数百年に渡り表立った関わりは確認されていない。
 ある意味分家のようなものであり、しかし他人も同然の存在という、奇妙な間柄だった。

 ――年月を経て、そのカクレヤマの儀式や信仰も形骸化した。
 ――開闢を経てもいない世界で、“神降ろし”などという奇跡を起こせる筈も無かったからだ。
 ――少なくとも21世紀の時点で、彼らは単なる“ローカルな土着宗教”になっていた。

 そしてカクレヤマが本来目指したものは歴史と共に風化し、僅かな伝承を残して忘れ去られたのだという。
 いつしか彼らは単なる“奇習が残る地方集落”と化し、開闢以前までは過疎化した山村として細々と存続を続けていた。

 ――しかし“開闢の日”を経て、この世界にヤマオリ・カルトが出現した。
 ――彼らは山折を信仰し、山折に連なる痕跡を手当たり次第に求めた。
 ――結果としてカクレヤマは、世界で類を見ない“山折の忘れ形見”と化した。

 本流から分かたれ、遠い年月を経て変質を遂げたとはいえ、曲がりなりにも山折の信仰と血筋の系譜にある存在。
 そんなカクレヤマの中でも“神降ろし”という奇跡を果たし、土地神に酷似した姿を得た巫女のエンダは、開闢後の世界におけるヤマオリ信仰の柱と見做されたのだ。
 “恐らく代々受け継がれてきた呪術的儀式が、超力という異能に結びついて何らかの作用を起こした結果”――として、彼女の起こした奇跡は推測されている。

 このレポート曰く、山折村そのものの現状は誰も知らないし、誰も近寄れないらしい。
 踏み込んだとしても、帰ってこれた者は誰一人いないとのことだ。
 あの村本来の信仰や文化も、先程の話以上のことはほぼ失伝している。
 だからこそカルトによる“ヤマオリ”の拡大解釈が横行しているのだという。

 つまり、山折村そのものは一種の空白地帯――“失われた世界”も同然ということだ。
 そのことについて、仁成は特に感慨を抱かなかった。
 山折村はあくまで“過去の話”に過ぎず、これ以上はわざわざ追求する意味はないということだ。

 大切なのは、エンダという少女がいて。
 彼女が、この刑務の中で命を落として。
 その身を借りた土地神が、彼女の願いを果たそうとしていることだ。

 エンダが見つけた“ドン・エルグランドの日記”もそうだが――この図書館には、意図的に“受刑者にまつわる書籍”が揃えられているように見える。
 他の受刑者に対する情報収集の施設としての機能が与えられているのか。
 ただ単にアビス側によって無作為に用意されたたけに過ぎないのか。
 あるいは“こうした情報”を堂々と閲覧できることこそ、刑務後の恩赦が保証されない裏付けになっているのか。

「仁成」

 そうした疑問について、仁成が思いを巡らせた矢先。
 その呼び掛けを耳にして、読んでいた書籍をテーブルへと置いた。

「誰か、いる」

 周辺に靄を張り巡らせていたエンダが、そう伝えてきた。
 靄による“感知”に、何かが引っ掛かったようだった。
 浮き世離れした白髮を靡かせて、神秘的にさえ思える横顔が目を細める。

「仁成。“この子達”の一部が君を導く」

 そうしてエンダの手のひらに、小さな黒霧が収束。
 それは蝿のような姿を取り、羽ばたきと共に手の上から飛び立った。
 霧の蝿は、仁成の直ぐ側を漂うように浮遊する。
 うっかり潰さないでね、とエンダは軽口を叩きつつ。

「ヤミナのことは、任せていいかな」

 エンダ達はヤミナの帰還を暫く待っていた――“侮り”が生じていることに、二人は気づいていない。
 しかし流石にここまで音沙汰が無ければ、そろそろ探しに行った方がいいだろうと二人は認識を共有した。
 あの調子の良い彼女のことだ。下手に自分達の情報を他の受刑者達に売られたりすれば困る。
 仁成に与えた蝿は、エンダを見張っている蝿の居場所へと導いてくれる。

「私は……鼠を追ってみる」

 故に今は、一旦二手に分かれる。
 靄が感知した“何者か”をエンダが追い。
 蝿の導きを頼りにしてヤミナを仁成が追う。

 エンダの提案に対し、仁成は頷いて受け止めつつ。
 同時に彼は、少女に対して問い掛ける。

「エンダ。一つだけ」
「何かな?」
「この蝿は、君が超力で生み出したものだろう」

 ――そうだ、と。
 エンダは仁成の問いに対し、端的に答える。
 その答えを聞き届けて、仁成は彼女を案じるように言葉を続ける。

「もしもの時は、君の異常を伝えてくれる。
 そう捉えて良いんだよね」
「もちろん。だから――」

 仁成が言わんとすることを、察したように。
 エンダはふっと微笑みながら――仁成へと、確固たる意思を持った眼差しを向けた。

「もしもの時、私は君を頼る。
 ――どうか、君も無理はしないで」

 自分は大丈夫。けれど何かあれば、貴方を頼るる。
 だから、貴方の無事も祈っている。
 そう伝えるエンダの瞳は、言葉の裏側で仁成へと訴えかけていた。
 自分に付き合ってくれて、ありがとう――と。

 そんなエンダの言葉を聞いて、仁成は微かに目を丸くした。
 そして彼女の意思を汲んだように、静かに微笑みを返した。

「ありがとう。また後で、エンダ」

 その言葉と共に、二人は互いに背中を向けた。
 視線はもう合わせない。合わせなくとも、構わない。
 エンダと仁成は、この短い交流の中で――互いへの確かな信頼を掴み取っていたのだから。
 故に二人の歩みに、迷いはなかった。

「ねえ、仁成」

 そうして、二人がその場を行こうとした矢先。
 エンダがふいに、仁成へと声を掛けた。

「飾り巫女とは言えども、私はそれなりに人は知っているつもりだけれど」

 仁成は振り返ることなく、足を止めた。

「“只野仁成”なんて受刑者の話は、一度も聞いたことがなかった」

 エンダの胸中に浮かんだ、一つの疑問。
 それを聞いて、仁成は微かに沈黙をした。
 そうして、微かな間を置いた後。

「……君が、最初に言った通りのことだよ」

 仁成は、エンダに悟られぬように。
 どこか自嘲するような笑みを、僅かに浮かべた。


「僕達は、“爪弾き者同士”だと」


 その一言を皮切りに、二人は会話を終わらせた。
 何かを察し合ったように、互いの身の上を改めて悟った。
 これ以上の言葉を交わす必要はなかった。
 エンダと仁成は、再びその場から進み出した。




 視界が、幾度となく明滅する。
 意識が、幾度となく回転する。
 現実と幻覚。実体と虚構。
 その境目さえも、曖昧になるかのように。
 内藤四葉の見る世界が、震動を繰り返す。

 無我夢中で、駆け回っていた。
 無我夢中で、武器を振るっていた。

 我武者羅に、猪突猛進に、戦い続けている。
 吐き気のするような感覚を引き摺りながら。
 闘志を魂に焚べながら、只管に筋肉を躍動させていた。

 ――今は、どうなっている。
 四葉は必死になりながら、思考を纏める。

 長槍の『ヘクトール』は相手の猛攻の末に破壊された。
 今はハルバードを操る『オジェ・ル・ダノワ』を纏っている。
 されど、腐敗毒による浸食は更に加速していた。

 既に鎧の各部位が消耗し、生身の至る所も鉄板越しに蝕まれている。
 ハルバードの刃も腐食によって摩耗している。
 この甲冑が朽ち果てるのも最早時間の問題だ。
 それまではネイティブの身体能力で持ち堪えていた連戦の疲弊も、徐々に伸し掛かってきている。

 今なお継戦出来ているのは、四葉自身の身体能力による部分も大きいが。
 代わる代わる甲冑を纏うことで、毒花の侵食を抑えられているからだ。
 そうでなければ、間違いなく四葉はとうに倒れている。

 殴打の苦痛を堪えながら、四葉は後退する。
 もう何発の打撃を叩き込まれたのかも分からない。
 まともに状況を俯瞰することなど、叶わない。
 敵を打ちのめす。敵に打ちのめされる。
 そんな決死の応酬の中に身を置いて、冷静な思考など出来るはずもない。

 視線の先――褐色の拳闘士。無敗の王者。
 エルビス・エルブランデスは、今なお平然と立ち続けている。
 呼吸を整えて、何事もなく継戦状態を保ち続けている。

 当然の帰結だろう。この領域の中では、相手の方が圧倒的に有利。
 そして何より、尋常じゃないほどに強い――四葉はエルビスを見据えながら、そう思った。
 幾ら粘り続けても、いくら小手先のダメージを与えても、こちらは有効打を与えられていない。
 対するエルビスは、幾度となく強烈な打撃を四葉へと叩き込んでいる。
 疲弊と消耗の差もあるとはいえ、純粋に相手の方が技量で勝っているのだ。

 死闘の合間に、四葉はようやく気付く。
 左手の薬指と小指が、欠け落ちていた。
 激しい打ち合いの衝撃と、毒花による腐食の結果だろう。
 此処まで五体満足のまま立ち続けていることが、ある意味で奇跡なのかもしれない。

 鼻血なんかも止め処なく流れている。
 流石に甲冑だけでは毒の粒子も凌ぎ切れないか。
 此処まで持ち堪えている自分を褒めてやりたいくらいだと、四葉は思う。

 “これじゃ結婚指輪とか嵌められねーな”とか、冗談を考えたり。
 “今の医療なら再生治療とか義指とかもあるっけな”とか、能天気に考えたり。
 そんな思いを一瞬巡らせた四葉は、すぐさま目の前の現実に意識を戻す。

 ――――これ、もしかしたら死ぬかもしれない。

 四葉は、久しぶりにそんなことを考えた。
 今までの人生でも度々負けたり、命辛々生き延びたことはあったけど。
 これほどの死線を経たのは、本当に久方ぶりだった。
 ましてや死を覚悟するほどの戦闘など、数えるほどしか経験していない。

 何故なら四葉は、強かったから。
 何だかんだ言って、大抵の戦闘を勝ってきたから。
 だからこそ、まさに命を懸けた一瞬に。
 迸るような高揚感を抱いていた。

 再び駆け抜けるエルビス。
 迫り来るチャンピオン。
 四葉は、腐りかけのハルバードを構える。
 獰猛な笑みを浮かべながら、その狂気を突き立てる。

 強者との闘い。強い相手との果し合い。
 互いに身を削って、命を賭け金にして争う。
 そんな闘争の中に、自分は身を置いている。

 こんな思いを抱くようになったのは、何時からだったか。
 確かファンタジー漫画で、作中のバトルやアクションに憧れて。
 その影響を受けて、幼いながらに自分の超力の研鑽を行うようになって。
 単に人形を操るだけだった超力が、いつしか“甲冑の姿”に変貌して。
 それから色々とトラブル起こして、なんやかんやあって――。




 四葉の脳裏に、まるで走馬灯のように記憶が蘇った。
 11年前。四葉がまだ7歳だった頃。
 既に学校のクラスメイトとも頻繁にトラブルを起こして、両親との関係はすっかり悪くなってた。
 だからよく家出をしていたし、見知らぬ場所へ逃げるようにふらっと立ち入る事が多かった。

 ある日、家出をした四葉は“殺し合い”を目撃した。
 とある寂れた港湾。とある廃倉庫。
 そこで、二人の戦士が超力を駆使して争っていた。
 幼き四葉が、物陰で密かにその様子を見つめていた中。
 自らの肉体と異能を振るい、戦士たちはその身を削っていた。

 片方は、まるで“重機”のような巨漢。
 否、巨漢女(おとめ)だった。

 その顛末は、至極単純。
 互いに鎬を削り合った果てに、漢女の拳が“相手”を穿った。
 凄まじい高熱と打撃によって腹を貫かれ、そのまま物言わぬ屍となった。
 何てこともなく、当然のように行われた殺人だった。
 そして四葉にとって、初めて目の当たりにする“人間の死”だった。

 犯罪とか、倫理とか、常識とか。
 そういった話は、最早どうでも良かった。
 目の前で行われた殺し合いが、鮮明に焼き付いていた。

 その光景に、幼き四葉は目を奪われた。
 死と暴力。それまで空想でしかなかった観念。
 少女の日常の中で、いつだって忌避されていたモノ。
 それが当たり前のように、眼前に転がっていたのだ。
 命を懸けた武闘が、現実のものとして存在していたのだ。

 例えるなら、憧れのヒーローが実在していた時のような。
 そんな歓喜と昂揚を、幼き四葉は抱いたのだった。
 そしてその暴力の渦中に立っていた“漢女”に、四葉は釘付けになった。
 まるで夢うつつのような感覚に、囚われていた。

 だからこそ、幼き四葉は気付くのに遅れた。
 死闘を終えた直後の“漢女”が、自分の気配を察していたことに。

 “漢女”は、四葉が隠れていることに気づき。
 何者だ、と声を上げた。
 四葉は思わず驚いて、それからおずおずと姿を現した。
 その拳を血に染める“漢女”は、四葉の姿をじっと見つめてから。
 やがてゆっくりとした足取りで、四葉へと迫っていった。

 迫る“漢女”の堂々たる姿に、恐怖と興奮を抱き。
 どうしよう、どうしようと、幼き四葉は動揺し。
 それから足りない頭で、何とか打開策を考えて。
 持てる思考の全てを振り絞って、ようやく見出した道筋。
 それは――――献上である。

 “これ、どうぞ”と。
 四葉はおずおずと、あるものを差し出す。
 紙で包まれた、小さなキャンディだった。

 ポケットの中に潜めていた、なけなしの献上品だった。
 あの時の四葉に差し出せるものは、これくらいしかなかった。
 超力で反撃する勇気は無かったし、この場から逃げ出す気も起きなかった。
 そうして導き出した手段がこれとは、今となっては笑い話のようなものだけれど。

 それでもあの漢女は、少しばかり驚いたように目を丸くして。
 それから、ふっと微かな笑みを浮かべて応えてくれた。

 ――――かたじけない。礼を言う。

 そして漢女は、その無骨な左手で――ぎこちなくも穏やかに、四葉の頭を撫でた。
 まるで四葉を気遣うかのように、あまり血に染まっていない方の手を使っていた。
 曰く、彼女は闘争と甘いものに目が無いらしくて。
 強者に一目を置くのと同じように、その武人は“可愛らしい者”にはいたく優しかった。

 幼き日の四葉は、あの漢女に対して“どうして強い人と戦うんですか”なんて聞いた。
 漢女は答えた――“それが我が生き様故に”。
 “強者(つわもの)との身を削り合う死闘にこそ己という存在がある”と。

 その一言が、四葉の心に強烈に突き刺さった。
 なんてカッコいいんだ、と。
 幼き少女にとって、まるで漫画から飛び出してきたような台詞だった。
 漢女の在り方が、生き様が、強烈なまでに少女を捉えた。
 こんな風に生きてもいいんだと、四葉は勇気を与えられた。

 そうして内藤四葉は、決意をした。
 自分も彼女のように生きるぞ、と。
 自分も戦いに身を捧げて生きるぞ、と。
 それこそが愉快犯型殺人鬼の誕生秘話である。




 ハルバードが、砕け散った。
 錆びついた銀色の破片が、舞い散っていく。

 チャンピオンが放った右拳を、朽ち掛けた武器で断ち切ろうとした。
 されど腐敗と摩耗によって限界まで達した刃は、最早武器としての強度も切れ味も保てておらず。
 生身(ギアレス)の一撃さえも凌げずに、打ち砕かれたのだ。 

 武器の破損による衝撃は、四葉を大きく怯ませた。
 それから間髪入れず、雷撃のような左ストレートが四葉の体を大きく吹き飛ばす。
 ハルバードが限界を迎えていたように、三つ目の甲冑もまた防具としての機能を最早果たせなかった。

 爆ぜる鉄鋼の破片と共に、吹き飛ばされる四葉。
 そのまま壁に叩きつけられ、内臓を揺さぶるような衝撃が全身を襲う。
 喀血。口から鮮血が流れる。赤い色彩が唇を汚す。

 それから、殆ど間を置くことなく。
 疾風のような勢いと共に、エルビスが地を蹴った。
 紫の花弁が、鮮やかに吹き荒ぶ。
 舞い散る欠片を振り切って、王者が疾走する。
 壁際に追い込まれた丸腰の四葉が、その目を見開いた。

 迫る。暴威が迫る。
 猛りし鉄拳が迫る。
 敗北の結末が迫る。
 死という嵐が迫る。
 自身の終焉が迫る。
 迫る、迫る、迫る。
 己を殺しに、迫る。

 四葉の脳内物質が、異常なまでに迸っていた。
 死という現実を前に、焦燥と高揚が入り乱れていた。
 怖いのか。楽しいのか。もはや何もかもがあべこべだ。
 自分という存在が終わりかけているのに、酷く刺激的だった。

 笑いが止まらない。
 獰猛な狂喜が止まらない。
 もうすぐ殺されるというのに。
 もうじき殴り殺されるというのに。
 四葉の脳内は、快楽で満たされていた。

 蘇る。記憶が鮮烈に甦る。
 あの幼少期。直に目の当たりにした、死と暴力。
 あの漢女が見せた、正真正銘の殺し合い。
 フラッシュバック。繰り返される、反響し続ける。
 死に肉薄して、あの情景が脳内で万華鏡のように照らされる。
 もう、何でも出来そうな気さえした。
 今の自分に、限界など無いように思えた。

 気がつけば、肉体が動き出していた。
 振るえる武器など、手元には無い。
 最後の甲冑へと換装する前に、奴の拳が叩き込まれるだろう。


「っらあああああああ――――っ!!!」


 だから四葉は、迷わずに右腕を引いた。
 数メートルの距離まで肉薄したエルビスを、その目で捉えて。
 そして――全身の筋肉が、意思が、弾けるような感覚がした。
 脳髄を駆ける刺激に突き動かされるように、拳を振りかぶった。

 その瞬間、エルビスが初めて仰け反った。
 目を見開いて、防御すら間に合わず。
 彼の身体は吹き飛ばされ、そのまま鉄の床を横転した。


 ――――渾身の中段正拳突き。
 ――――拳風による“遠当て”の絶技。
 ――――触れずとも敵を穿つ魔拳。


 それは、大金卸 樹魂の拳術だった。
 それは、かの漢女が繰り出した技だった。
 この刑務において、“鉄人凶手”との武闘でも披露した術理。
 幼き日の内藤 四葉もまた、その魔拳を目に焼き付けていた。

 威力そのものは、本物には及ばずとも。
 それでもこの少女は、かの魔技を模倣してみせたのだ。
 ただの記憶を頼りにした――――見様見真似によって。
 素手のリーチを無視する一撃が、エルビスに“間合い”を見誤らせた。

 このような不条理が成立するのは、彼女がひとえにネイティブ世代の戦闘狂であるが故だ。
 4歳で自らの超力を使いこなし、10歳にして世界へと飛び出し、人生の大半を死闘の日々に捧げた。
 先程も、殆ど模倣に過ぎない技術によって槍の演舞を披露した。
 謂わば彼女は、生粋のバトルジャンキーなのだ。
 脳の自認が肉体に作用して、身体機能をも変質させる――。
 ネイティブに見られる特性も相俟って、彼女は卓越した戦闘センスを備える。


「さぁ、チャンピオォォーーン……!!」


 ましてや、眼の前の相手は誰だ。
 拳闘士、エルビス・エルブランデスだ。
 “ネオシアン・ボクス”のチャンピオンだ。


「ぶちのめしてやるからさァ……!!」


 だったら、こっちも拳の一発くらいブチ込みたいじゃないか。
 四葉の胸中で芽生えた闘志は、その肉体の限界を突破させた。
 ゆらりと立ち上がって、四葉は血反吐塗れの口で牙を剥いた。


「――――“かかってこいよ”ォッ!!!!!」


 横転したチャンピオンへと向けて、四葉は言い放つ。
 数多の花弁の群れを、払い除けるほどの気迫と共に。
 最早このまま死んでも構わないと、言ってのけるかのように。
 奔放なる狂犬は――――眼前の敵へと、発破を掛けた。

 床に伏せていたエルビスは、その瞳に闘志を宿し。
 まだ屈するはずがないと、訴えかけるように。
 その両腕に、ゆっくりと力を込める。

 問題はない。ただ不意に一撃を貰っただけだ。
 まだ自分は立てる。動ける。戦える。
 エルビスは己の状態を確認して、歯を食いしばる。
 こんな所で屈するつもりはないと、王者は立ち上がらんとする。


 ――――その矢先だった。
 南西の区画を密室へと変えていた電子扉。
 そのロックが、突如として解除された。
 隔離されていた空間が、死闘の果てに解き放たれる。


 四葉は、気づく。
 冷水を掛けられたように、意識を引き戻される。
 そして彼女は、現状を悟る。

「――――あー?これ……」

 自身の同盟者、トビ・トンプソン。
 彼が配電室へと到達し、電子ロックを解除したのだ。
 先程までの興奮状態が、急速に消失していく。
 熱が冷やされていくかのように、冷静な思考へと引き戻される。

 無茶すんな、さっさと退けと、彼からどやされたような気がした。
 この場にいないトビから小言を叩かれる錯覚を抱いて、四葉は思わず苦笑する。
 平静を取り戻した思考が、自分の取るべき行動を即座に導き出した。

「ごめん、チャンピオン!!前言撤回!!」

 そうして四葉は、呆気なく身を翻す。
 エルビスが態勢を整えている隙を突いた。
 満身創痍の肉体を動かし、その場から機敏に駆け出した。

「さんきゅ、トビさんッ!!!」

 エルビスの追撃が迫る前に――四葉はその場から逃げ出した。
 紫の毒花が支配する庭園から、足早に離脱した。
 疲弊しきった肉体とは思えぬほどの敏捷性。
 それは数多の死線を乗り越えてきた、彼女の身体能力が成せる技だった。

 エルビスは、すぐさま四葉を追い掛けようとした。
 ここまで追い詰めた”死刑囚”を刈り取るべく、両足に力を込めた。
 そうしてその場から躍動しようとした、その瞬間だった。


 ――――羽音が、耳に入った。
 ――――蝿が、舞っていた。
 ――――靄のように黒く、澄んでいた。


 この毒花の瘴気も、意に介さぬように。
 忌まわしき気配を纏いながら、虫が翔んでいた。

 エルビスは、視線を動かした。
 北西ブロックへと繋がる電子扉の前。
 ――受刑者が、そこに立っていた。
 電子錠が解き放たれたことで、新手がこの場に踏み込んできたのだ。

 蝿が宙を漂い、舞い戻った先に立つ男。
 巌のように屈強な肉体を備え、精悍とした眼差しを向ける青年。
 彼は揺蕩う花弁の狭間で、エルビスの姿を見据える。

「…………“誰だ”?」

 その男を見つめた後。
 エルビスは一言、そう呟いた。

 相手の首輪が示す刑期は“無期懲役”。
 それほどの犯罪者であるにも関わらず。
 眼の前の男が何者であるのかを、エルビスは全く知らなかった。

 アビスにおいて、名の知れた悪党は頻繁に噂として存在が広まる。
 無期懲役や死刑を食らうような犯罪者ならば、尚更のことだ。
 故に、そうした者の話がまるで耳に届いていないのは――間違いなく“異常”だった。


「そこを、通させては貰えないか」


 ――――只野仁成。
 彼の情報は秘匿されており、アビスでも限られた人間しか知らされていない。
 彼は何故、その存在を隠されていたのか。
 彼は何故、エンダと同じバーコードを刻まれていたのか。

 人類の究極。人間としての肉体の頂点。ヒトという存在の極限。
 それらを体現する仁成は、人ならざる力を否定する。
 彼の血を移植された新人類は、超力が消滅するのだ。

 全ての人間が余すことなく超人となった世界で、その社会の根幹を否定する体質。
 仁成の存在は一種の特異点として扱われ、世界各地の秘密機関が彼の身柄を求めた。
 そしてアビスへの収監によって、彼の存在は禁忌となった。

 世界を拒絶する者。超人を消し去る者。
 即ち、開闢の世界を終焉へと導く“革命の卵”。
 最後のオールドであり、世界の否定者である“並木旅人”に並ぶ逸材。

 只野仁成は、人類の到達点であるが故に。
 人類の変革に、終止符を打つことが出来る。

 アビスに収監されている“秘匿受刑者”。
 その詳細は、ごく限られた人間しか把握していない。
 この刑務に彼らが複数名放り込まれたことに、如何なる意図があるのか。
 全貌を知るのは、ヴァイスマン看守長――そして“GPAの高官たち”である。

 彼らを識別する証は、肉体の一ヶ所に刻まれた“バーコード”。
 それこそが秘匿受刑者の証。彼らという存在を示す刻印。
 GPAによる“人体実験”の対象となったことを意味する記号だ。

 世界の基盤を揺るがしかねない存在。
 エンダがそうであったように、仁成もまた同じだった。
 ドン・エルグランドはエンダの名を知らず、同時に仁成の名も知らなかったのだ。

 刑務に参加する秘匿受刑者は、4名。
 最後のオールド、並木旅人。
 最初のネイティブ、銀鈴。
 ヤマオリの巫女、エンダ・Y・カクレヤマ。
 開闢を終わらせる者、只野仁成。


【E-4/ブラックペンタゴン1F 南西ブロック 階段前/1日目・早朝】 
【只野 仁成】
[状態]:疲労(小)、全身に傷、ずぶ濡れ、精神汚染:侮り状態
[道具]:デジタルウォッチ、日本刀、グロック19(装弾数22/22)、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き残る。
0.放送までブラックペンタゴンに留まる。
1.エンダに協力して脱出手段を探す。
2.今のところはまだ、殺し合いに乗るつもりはない。
3.エンダが述べた3人の囚人達には警戒する。
4.家族の安否を確かめたい。
※エンダが自分と似た境遇にいることを知りました。
※ヤミナの超力の影響を受け、彼女を侮っています。

【エルビス・エルブランデス】
[状態]:疲労(中)、幾らかの裂傷、強い覚悟
[道具]:
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.必ず、愛する女(ダリア)の元へ帰る
1.眼の前の男(仁成)に対処。
2."牧師"と"魔女"には特に最大限の警戒
3.ブラックペンタゴンを訪れた獲物を狩る。

【E-4/ブラックペンタゴン1F 南ブロック 通路/1日目・早朝】 
【内藤 四葉】
[状態]:疲労(極大)、左手の薬指と小指欠損、全身の各所に腐敗傷(中)、複数の打撲(大)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.気ままに殺し合いを楽しむ。恩赦も欲しい。
0.楽しかった。てか疲れた。流石に今は退く。
1.トビと連携して遊び相手を探す、または誘き出す。今はトビと合流する。
2.ポイントで恩赦を狙いつつ、トビに必要な物資も出来るだけ確保。
3.もしトビさんが本当に脱獄できそうだったら、自分も乗っかろうかな。どうしよっかなぁ。
4.“無銘”さんや“大根おろし”さんとは絶対に戦わないとね!エルビスともまた決着つけたい。
5.あの鉄の騎士さんとは対立することがあったら戦いたい。岩山の超力持ちとも出来たら戦いたい!
6.銀ちゃん、リベンジしたいけど戦いにくいからなんかキライ
※幼少期に大金卸 樹魂と会っているほか、世界を旅する中で無銘との交戦経験があります。
※ルーサー・キングの縄張りで揉めたことをきっかけに捕まっています。



 脱獄した刑務所は、延べ17に及ぶ。
 超力社会における数多の監視システムを潜り抜けてきた。
 ネオスという超常的な能力に対する対処も勿論だが。
 その経験の中で、彼は独学で電子機器に対する知識を身に付けてきた。

 監視カメラの構造や、探知機器の仕組み。
 巡回用ロボットの習性から、配電システムの流れに至るまで。
 トビ・トンプソンという小男の頭には、脱獄に役立つ知識や経験則が叩き込まれている。

 脱獄王は経験から学ぶ。己で実践した確証を信じる。
 慎重な小心者であるが故に、何かを試さずにはいられない。
 そうして石橋を叩き続けてきたからこそ、大胆に出るべき場面を理解している。
 故にこそ彼は、自身に対する謙虚と自信を兼ね備えていた。

 ブラックペンタゴン1階、北東ブロック――配電室。
 排気口から侵入を果たしたトビの行動は早かった。
 彼は内部構造をすぐさま把握した後、電気供給や防犯のための設備を割り出した。

 そのままトビはナイフによって、然るべき機器をこじ開けた。
 内部構造を顕にし、機敏な動きで配線を断ち切った。
 電子ロックのシステムそのものを破壊したのだ。
 エルビスや後に続く者達が、二度と狩り場を作り出せぬようにした。
 かくして、隔離空間と化した南西ブロックの隔離を解除してみせたのだ。

 警備も防犯もない中、この程度のシステムに対処することは造作もない。
 故に配電室へと侵入してからのトビは、瞬く間に対処を果たした。
 それでも、迷路のように入り組んだダクトの内部を進むために幾らかの時間は食わされた。

 だからこそ、四葉の安全は保証できない。
 今はただ、奴の実力を信じる他にない。
 もしもの場合は、改めて損得勘定の土台に乗せることも視野に入れねばならない。

 そうしてトビは、脱出経路を即座に確認する。
 順応な経路は、それぞれ北西ブロックと南東ブロックに通じる左右二箇所の扉のみ。
 他に残されているのは、自分が移動のために利用した排気口内部だ。

 既に階段前の電子ロックは解除した。
 仮に四葉の生存を見越すのならば、とうにあの場から離脱している可能性は高い。
 奴が死闘に明け暮れていなければの話だが、恐らく今はまだ生存を優先し――――。


 ――――くすくす。


 トビの思考に割り込むかのように。
 その嗤い声は、再び彼の意識を刺激した。
 汚泥のような闇の匂いが、配電室へと忍び込んだ。


 ――――くすくす。くすくすくす。


「……来やがったか」

 目を細めて、舌打ちと共にトビが呟いた。
 脱獄王としての直感が、今なお告げていた。
 この気配は、恐らく尋常のものじゃない。

 黒い靄の使役。あの銀鈴と同じように、そんな超力使いの存在を耳にしたことはなかった。
 その上で、これは明らかに“無名の超力犯罪者”が醸し出すような匂いではない。
 ――何か普通じゃない。紛れもなく、異常なるモノだ。


 ――――くすくすくすくすくすくす。


 故にトビの警戒心は、最大限に引き上げられる。
 ここで見誤ってはならない。この綱渡りを踏み外してはならない。
 脱獄王は自らの呼吸を整えて、思考を加速させながら身構える。


 ――――くすくすくすくすくすくすくす。


 乗るか、反るか。
 対処するか、逃げに徹するか。
 脱獄とは、いつだって選択の連続である。
 そうして掴み取った道筋の果てに、生還という結末を得られるのだ。


 ――――せいぜい嗤ってやがれ。
 ――――最後に笑うのは、いつだって。
 ――――この“脱獄王”なんだからな。


【D-5/ブラックペンタゴン1F 北東ブロック/一日目・早朝】
【トビ・トンプソン】
[状態]:疲労(小)皮膚が融解(小)
[道具]:ナイフ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱獄。
0.四葉と合流。迫る靄は――。
1.内藤 四葉と共闘。彼女の餌を探しつつ、護衛役を務めてもらう。
2.首輪解除の手立てを探す。そのために交換リストで物資を確保。
3.構造や仕組みを調べる為に、他の参加者の首輪を回収したい。
4.ジョニーとヘルメスをうまく利用して工学の超力を持つ“メカーニカ”との接触を図る。
5.銀鈴との再接触には最大限警戒
6.岩山の超力持ち(恐らくメアリー・エバンスだろうな)には最大限の警戒、オレ様の邪魔をするなら容赦はしない。
※他にも確保を見越している道具が交換リストにあるかもしれません。
※ブラックペンタゴンに別の秘匿受刑者(エンダ)がいることを察知しました。
※配電室へと到達し、電子ロックを無力化しました。

【エンダ・Y・カクレヤマ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、探偵風衣装、ナイフ、ドンの首輪(使用済み)、ドンのデジタルウォッチ、図書室の本数冊
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱出し、『エンダの願い』を果たす。
0.放送までブラックペンタゴンに留まる。
1.仁成と共に首輪やケンザキ係官を無力化するための準備を整える。
2.囚人共は勝手に殺し合っていればいい。
3.ルーサー・キング、ギャル・ギュネス・ギョローレン、並木旅人には警戒する。
4.ヤミナ・ハイドを使うか、誰かに押し付けるか考える。
5.今の世界も『ヤマオリ』も本当にどうしようもないな……。
※仁成が自分と似た境遇にいることを知りました。
※自身の焼き印の存在に気づいています。
※エンダの超力は対象への〝恨み〟によって強化されます。
※エンダの肉体は既に死亡しており、カクレヤマの土地神の魂が宿っています。この状態でもう一度死亡した場合、カクレヤマの魂も消滅します。



「ふぃ~~~~~」

 すっきり爽快。ほんとに気分爽快。
 まるで砂漠でオアシスを見つけたような安息。
 海で溺れてる最中に浮き輪を投げ込まれたような安堵。

「スッキリしたぁぁ~~~~~……」

 ヤミナ・ハイドが、トイレから出てきた。
 そう、ブラックペンタゴンには水道がある。
 まるで間抜けな狸のような微笑みを浮かべて、囚人服の腰部で濡れた手をベタベタと拭く。
 その身体の各所は腐敗しているものの――尿意を無事に片付けた歓びが勝っていた。

「膀胱破裂死するかと思った~~~~~」

 ようやく見つけたトイレで、ヤミナは小便を済ませたのだ。
 数十分間に渡る苦闘の末に得られた解放感だった。
 一時は失禁すら覚悟していたが、何とか間に合ったのである。
 ちなみに膀胱の破裂はほぼ直接的な死因にはならない。

 ヤミナ・ハイドは今、一体どこに居るのか?
 ブラックペンタゴン、南西ブロック――2Fである。
 誰にも気付かぬまま、ヤミナはエルビスが立ちはだかる階段を突破していたのだ。

 ――暫く前、トイレを探して彷徨っていたヤミナ。
 彼女は迷った末に“そういや2階にトイレないのかな”と思った。
 トイレは上層階のみ。そういうふざけた構造になってる商業施設がたまにあることを、ふと思い出したのだ。

 今のうちにエンダ達から逃げ出すか否かも迷ったが、それよりも野ションへの生理的忌避感がギリギリで勝った。
 やっぱりトイレはトイレで済ませたい。自分はまだうら若き乙女(ヤミナは23である)なのだから、空の下での小便は出来ればしたくない。
 そんなヤミナの中に残された一欠片の良識(?)が、彼女をこのブラックペンタゴンに留まらせたのだ。

 そうして彼女は入口で見かけたマップの記憶を頼りに、2Fへの階段があるらしい南西ブロックへと足を踏み入れた。
 ――お花畑だった。まさにお花畑である。
 地の文がヤミナの浅はかな思考を唐突に嘲ったのではない。
 階段前の区画一帯が、文字通り無数の紫花によって支配されていたのだ。

 花弁に触れたら身体が焼けるわ、階段の前には変な半裸男がいるわで、ヤミナは存在に気づかれる前にその場を立ち去ろうとしたが。
 別の侵入者二人が、逆方向の扉から足を踏み入れていたようで――直後に階段前の一区画が電子ロックで隔離された。
 あの半裸男が二人を逃さないようにするために、このブロックを封鎖したらしかった。
 トイレを探していただけなのに、巻き添えである。

 しかし半裸男――エルビス・エルブランデスという名など知りもしない――は、他の二人にのみ意識を向けていた。
 他の二人も、あくまでエルビスのみに意識を集中させていた。
 あらゆる相手から侮られ、軽視させる。ヤミナの超力は、この場にいる全員の意識を彼女から逸らさせた。

 結果としてヤミナは誰にも存在をまともに気付かれず、あれやこれやという内に戦闘が始まり、その隙をついてどさくさに紛れて階段へと突っ切ったのだ。
 毒花の中にずっと居座ってたらヤバかったし、何よりトイレを探したかったのだ。
 幸いこの場に残っていた二人が戦闘に集中していたおかげで、最後まで存在を捕捉されずに済んだ。

 そして、ミッション・コンプリート。
 2階にて無事にトイレを発見し、急ぎ用を足したのだ。

 本当にふざけた構造だ。下手な監獄よりタチが悪い。
 何故もっと分かりやすくトイレを設置してくれないのか。
 そもそも2階への経路が一箇所しかないって、建築をナメているのか。
 自分が建築素人であることを棚に上げ、こうした構造が狩り場へと転じることにも気付かぬまま、ヤミナは心の中で文句を垂れる。

 ともあれ、無事におしっこが出来たので一安心なのだが。
 冷静になってみると、次なる問題が待ち受けていた。

「…………どうしよう」

 ――そう、帰路である。
 エンダ達のところへ大人しく戻るにせよ、このまま密かに逃げるにせよ、結局あの階段を使わざるを得ない。
 そしてその先に待ち受けているのは、半裸男が居座っている毒の花畑である。
 あの変な小男が超力か何かを使って排気口から逃げ出していたように、ああいう隠し経路になり得る空間があれば抜け出せるかもしれないが。

 何はともあれ、ヤミナ・ハイドは行動しなければならなかった。
 どうやって下の階へと降りるのか。
 そのうえ、これからどうするのか。


【E-4/ブラックペンタゴン 2F南西ブロック トイレ前/1日目・早朝】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:疲労(中)、ずぶ濡れ、各所に腐食(小)、すっきり
[道具]:デジタルウォッチ、デイバック(食料(1食分)、エンダの囚人服)
[恩赦P]:34pt
[方針]
基本.強い者に従って、おこぼれをもらう
0.仁成達と合流する?このまま逃げる?というかどうやって下の階降りよう……。
1.エンダと仁成に従う?
※ドン・エルグランドを殺害したのは只野仁成だと思っています。
※トイレを探している内に「花の監獄」でのエルビスによる南西ブロック封鎖に巻き込まれていました。
超力によってその存在は完全に見落とされ、そのまま戦闘の隙をついて階段へと突っ切ったようです。

[共通備考]
少なくともブラックペンタゴン2階にはトイレがあります。
この施設には電気と水道が通っているようです。

056.いっそ最初から出会わなければ── 投下順で読む 058.灰塵に立つは鉄塔
055.少女たちの罪過 時系列順で読む
花の監獄 内藤 四葉 満漢全席
トビ・トンプソン We rise or fall
エルビス・エルブランデス STAND & FIGHT
憑き物 只野 仁成
エンダ・Y・カクレヤマ We rise or fall
ヤミナ・ハイド 私は特別!

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最終更新:2025年06月02日 23:52