アットウィキロゴ
朝陽の中、疲れ果て倒れ込んでいる。
草に付いた朝露が、服や髪を濡らしている。
青髪の力なさげな青年。北鈴安理。

その安理に優しく影を作るように、見下ろす気品のある男。
汚れた囚人服を纏っているのに、不思議と威厳を感じさせるのは何故だろうか。


「少しだけ、神(わたし)と話をしましょうか」


「あ、ああ……」


その気品と、威圧感。
視線をそらさずにはいられない。

思考は激しく巡る。
あの鎖を操る大男と、尊敬した探偵の闘い。
逃げ果てて疲れ、落ち着きのない中で。

頭は強く痛む。集中力が途切れそうだ。
それでも。

(なんなんだこの人は?!
 戦意はないのだろうか?!
 だからといって危険じゃないとは何も限らないだろう?!
 話せってどうしろというんだよ?!)

神は、ただただ優しく静観する。
穏やかな風と共に。

(やめろよ!
 そんなふうに見るなよ……!
 逃げ出してきた情けないボクを見るなよ!
 今だってフレスノさんが心配で気になって気になっているのに!
 どうか無事でいてくれって思いたいのに!
 なに泰然と見ているんだよ!
 見られたくなんてない!
 フレスノさんとの記憶を、思い出させていてくれよ……)


しかし、疲れ果てた身体はもう朽木のように動かなかった。
逃げることを思っても、何もできない。
向き合うしかないのだ。
嫌だ。もう関わりたくない。そう安理は思っている。


「君に何があったのかは分かりません。
 しかし、ひどく焦燥して疲れている。
 落ち着いてください。
 深呼吸をして」


男は、優しく。
神が慈悲を与えるように、静かに屈んで手を伸ばす。


安理は……それを跳ね除けられるほどに冷たくなれる人間ではなかった。
ここまで近くに手を伸ばされて、拒む方が不自然。
それに、そこまで人間不信でもない。

そう、信じていないのは他人ではない。
どちらかというと自分自身の方。


差し伸べられた手を、か細い力で安理が握る。
男は力強く、そして優しく握り返す。


息を強く吸って吐く。
何も考えず、呼吸器を動かすことだけ考える。
自然の力。草の香りと土の香りが胸にしみこむ。
少しずつ、少しずつ。



「落ち着きましたか?」

「はい……どうにか」

「それは良かった」

優しく、男は語りかける。
雪のような柔らかい言葉と手付きにより、安理の心は落ち着きを取り戻していった。


「貴方は……………………」

疲れて思考も回らず、言葉はそれしか続かない。
ただ、なぜこんな状況で優しくされているのか。
その理由を知りたかった。

「そうですね、貴方に神からの救いの手を伸ばさせていただきたく、話しかけさせてもらっています。
 監獄にて神職を任せられていました者ですよ。
 夜上神父、と皆さんは神(わたし)を呼びます」




優しく話し、そして一度言葉を打ち切る。
精神の落ち着きをやや取り戻した安理。少しずつ思考が整理される。
それを止めることはしなく、優しく見つめる。
会話が続かない気まずい雰囲気を、まるで感じさせない優しさがあるのだった。

(夜上神父……あの、神父の人。
 囚人でありながら自由行動を許されて、収監者たちのメンタルケアに関わっている。
 そう、ボクも気になってはいた。
 彼と話すことを、彼と関わりのある収監者や看守から勧められることもあったな。
 あまりにもボクが孤独で居て、精神的に危うく見えたからなんだと思う。
 でも、それでも話したいとは思わなかった。
 ボクはそんな事したくない、するべきではないって。

 でも、こうして向こうの方から語りかけてきている。
 何を言われるのか、怖い。
 どうしよう。
 どうにか、他人のために――――)


「……その!」

思い当たったように首を上げて強い目で、話す。

「フレスノさんを、助けに行けませんか!
 探偵の、イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノさんです!
 戦っているんです!お願いします!」

「ええ、まずは事情を、聞かせてください」

優しく、否定はせず受け止める神父。


「フレスノさんは子供や冤罪の人を助けたいって、そういう正義のために頑張っていた人なんです!
 犯罪者だったけれど、それでも!
 少なくとも、今は正しいことのために頑張っていて!
 そしてボクもそれに協力したいって思って、一緒に動いてたんです!
 神父なんですよね?!人を救う職業なんですよね?!
 それならどうか……どうか……」


懇願する安理。傷つき倒れた姿で、今にも泣きそうな顔で。
神父は、優しく聞き止める。


「君は優しい人ですね。
 他人のことを思えて」

「そんな、そんな事はどうでもいいじゃないですか。
 ボクは……ボクのせいでフレスノさんは凶暴に暴れる囚人と、不利な状況から戦うことになってしまった。
 そんなボクは優しくない、けど、フレスノさんはそうじゃないから!
 どうか……」

「申し訳ありませんが、それはできません。
 今の君ができないように、できないのですよ」

「そんな……どうして……」


落胆と失望の表情を、表に出さず隠そうとしても隠せない安理。
しかし、それを見ても神父はあくまでも、穏やかに語りかけていく。


「フレスノさんの事は知っております。最近収監された方ですね。
 ラテンアメリカ地域で"災害"の名を冠していた探偵。
 ただの殺人鬼ではなく、思い遣りの心だって持っているであろうことも」

「それならどうして……」

「彼を、知っているからですよ。
 彼が君を遠く逃がすほど、全力で戦わなければならない囚人。
 生憎、そのような高出力の超力に対して真っ向から戦う術をこちらは持っていません」


そうだ。当たり前だ。
自分の力を正しく把握していて、そのうえで無理だと判断して助けに向かわない。
なにも悪いことではない。
その事実が、力を過信していた安理に強く突き刺さる。
落ち込まざるを、得ない。


「それに、君のことも知っておりますよ。
 3年前に収監された北鈴安理君ですよね」


知られている。その事実が安理の心をまたざわつかせる。


(ボクの事を知っている。
 それならボクの犯した罪も知っているんだろう。
 掘り返されたくない。
 触れられたくない。
 でも逃げる選択肢はない。
 嫌だ……嫌だ……どうか、触れないでください)



「君の超力もある程度は知っておりますよ。
 周囲に残る冷気や雪の名残。
 全力で、逃げてきたのですね。
 さぞ恐ろしかったでしょう。
 心配する気持ちはとても分かります」

理解を示す神父。安理も、その心遣いを受け取る。
そうなんだよ、と思う訳では無いが優しさは確かに伝わった。


「そう、君が超力を使いすぎて疲れ果ててしまったように、彼らも全力で戦って消耗しているでしょうね。
 それなら間違いなく、決着は既についている。
 今から行ってできることはありません」

優しく諭す神父。
もはやどうしようもないのだ。
俯く安理。

「しかし君の、無事を祈る気持ちはとても尊重するべきものです。
 彼の無事を共に祈りましょう」

できることは祈ることだけである。
安理は祈る。たどたどしく、神父の祈る姿を見真似しながら。



――――――――


 ◇


――――――――



No.XXXX

"北鈴安理" 19歳 男性

超力:『眩しき離流の氷龍』
    任意発動型、自対象、変身系。体長2.5mの雌の氷龍に変化する
    身体の各部より冷気を発し氷を纏い、冷気のブレスを操る
    身体能力は竜相応の物となる
    特殊な点として、本人や家族の証言によると変身時間の制限はないとのこと(未確認)
刑期:無期懲役(三年目)
罪状:殺人罪
内容:超力により1名の友人男性、そしてその家族5名を衝動的に殺害
犯行動機: 自身のアイデンティティへの葛藤
      拒絶された相手への絶望と衝動的な暴走
      加えて自己防衛、証拠隠滅
犯罪手口:超力を用い龍化し、冷気を使った攻撃を行う
      尾や爪に冷気を纏い攻撃し凍傷を負わせ、弱った相手を氷漬けにし、逃走・証拠隠滅を図る
注意点:衝動性が高く、感情のコントロール困難
更生策:心理的アイデンティティ確立のための専門的カウンセリング
     超力制御訓練
     感情制御のため、氷彫刻や図画工作など冷感を伴うリハビリプログラム
     (ただし、本人が望まないため無期懲役であることもあり実行されていない)
     定期的な潜在的危険性の評価(精神状態報告、面談etc.)

  • 日常行動プロファイリング
行動パターン:日中はあらゆる場面で極力対人交渉を避け、他の看守や囚人には簡易な応答しか行わない
        夜間は落ち着き横になっている傾向が強いが、時に運動を始めたり無為に歩き回る(VRオンラインゲームの動きの再現か?)
        共通し、突如として独言を吐いたり、笑ったり涙を流すなどの感情表現が偶に見られる
        私語ではあるが一定期間の監視の結果、他者と共謀し反乱を企てるような危険はないと判断



――――――――



神父は知っている。

アビスの様々な囚人の情報を。自らも囚われの身でありながら。
もともと犯罪者の心理に興味がある人間であったから。
収監される以前から、世界の主だった犯罪者の情報は収集は欠かしていなかった。

収監後も、模範囚として新聞などの情報源の閲覧が許されていた。
さらに、自身に心酔する看守から情報提供を受けることもあった。

とはいえ、それらで得られるのは表面的な情報に過ぎない。
囚人としてのプロファイル、裁判記録の資料に加えて。
神父にとって真に価値があるのは、犯罪者本人と直接対話し、己の目と耳で情報を得ることだった。
それこそが、彼の信じる最も望ましい方法なのだ。



――――――――


 ◇


――――――――




ただ広がるばかりの草原。
細い葉の草が、ところどころで穂をなびかせ、朝日に輝いている。
こうして日が昇ると視界は開け、地図上で同じエリア内であれば、遠く離れていても互いを見つけられるだろう。

とはいえ、安理はしばらく身体を休ませる必要がある。
神父は安理を背負い……安理は強く遠慮したものの、半ば強引に、草丈がやや高く周囲から見つかりにくい場所へと運ばれていった。

他人の背を頼る感覚。
それはイグナシオの事を思い出させ、安理は悲みを深めていく。


「さて、君と話したいことは色々ありますけれど」

「あの――――――――」



言葉が続かない。沈黙。
わからない。
だって、自分の決定的な部分を掘り返されたくない。
でもそうなると、どのような話題を切り出せばいいのかわからなかった。

今度の沈黙は、気まずい。
考えても考えても、何も言葉が出そうにない。


「まあ、まずは神(わたし)の話に付き合っていただきありがとうございます」
「あ……あ! ありがとうございます!
 こちらこそ!
 その、安全な場所まで運んでくれて、落ち着かせてくれて、すみません……」


そうだ、神父さんは自分のために色々してくれたのに。
ずっと考え事ばかりで、礼を言うということすら頭に浮かばなかった。
とっさに謝罪の言葉も添えてしまう安理。


「いえ、貴方は道に迷っている青年ですから。
 助けるのは神の使命でもあるのですよ」
「そんな……本当にどうお礼をすればいいのか」
「気にしないで下さい。やりたくてやっていることです。
 貴方の抱えている小さな疑問でも、何か相談に乗りましょう」


神父は少しずつ、安理の心から声を引き出していく。
話しやすいように暖かく、向き合う。


「例えば、貴方がそれほどまでに恐れている、先程遭遇した囚人は何者なのでしょうか。
 特徴を伝えていただければ、知る限りでその人物についてお話しできるやもしれません。
 知ろうとすることは、とても大事なことですよ」
「う、うう。
 その……あの……」


不思議と言葉に詰まる安理。
何故、何も話せないのだろう。

「落ち着いてください。確かに難しいかもしれません。
 知ってしまったことで、新たな不安が増えるかもしれない。
 考察すると、フレスノさんが無事で済まない可能性が高くなるのかもしれない。
 あるいは自分が逃げたことに対して、より後悔が強くなってしまうのかもしれない」

自分では言語化できなかった気持ち。
それは、正しいような気がする。
それなら……自分は、その事から逃避したいのだろうか。


(逃避、したい。
 ただただ無事を祈りながら、待ち合わせを約束した場所へ行って待っていたい。

 ――――けれど。
 今一人になるのは、いやだ。
 違う、怖い。

 あんなに孤独を求めていたのに。
 誰とも関わりたくないってずっと思って過ごしてたのに。
 ローズさんはいない、フレスノさんも無事かわからない、大金卸さんの行方も分からない。
 ボクに向き合ってくれていた人たちが、いない。

 今この神父さんにまで何も話せなかったら。
 孤独がずっと続く。そんなの……)


何故だろうか。
久方ぶりに人との繋がりを得てしまった。
そのせいか。なぜ、また失うのが、こんなに怖くなってしまったのか。
その感情が、安理に言葉を緩やかに紡がせていく。



「……大柄な男だった。頭に鉄の仮面をつけていた、あの男。
 デリージュって呼ばれていたっけ。
 存在感がすごい強くて、アビスの中でも何度か見たのを覚えてる。

 鉄の鎖を自由自在に出して操る超力を、使ってた。
 本当に、恐ろしかった。破壊の限り――――って言うと安っぽいけれど。
 建物が易々と粉砕されていく、あの風景を他に例えようが、ない。ないでしょう」

おどろおどろしい風景を思い起こしながら、徐々に説明していく安理。

「戦いの中で、仮面が割れた。
 生々しい手術された跡みたいな傷跡が沢山あった。
 あとはそう、あの時フレスノさんが"ハイ・オールド"って言った。
 とても恐ろし気に。
 一体、彼は何者なんだ……何者なんでしょう」

独り言を話すかのような口調で、言葉を出しきった安理。
ハイ・オールド。その言葉の意味は知らなかった。
けれど、語感からオールド世代の中でも何か特別な存在であろうと想像は出来た。

神父は――――――。

「ハイ・オールド……そうですね。
 日本で裏社会に触れず育ってきた君は、知りようがなかったのかもしれません。
 話せる範囲の事を話しましょう」
「――――お願いします」



――――――――


――――――――



「そんな、非人道的な人体実験が……」
「ええ。彼はそうした実験の被験者です。
 通常の超力を逸脱した、強力な力のための」

神父は、ハイ・オールドの開発経緯について語った。
それは、人工的に行われる超力の強化。
出生前に超力の構造を調整する“デザイン・ネイティブ”という知識を持つ神父だからこそ、
彼はこの領域の知見にも通じていた。


「けれど。どうしてあそこまで。
 ボクは――――実は、アビスにいたときは彼にわずかな親近感のようなものを持っていたりもしました。
 一人の看守が良く彼に付いているけれど、それ以外はずっと他人と関わったりもしなくて。
 そして自分の境遇を受け入れているかのように、いつも穏やかそうに過ごしている。
 でも、それは違っていたのでしょうか。
 あそこまで暴れ他人を襲わなければいけない理由を、彼は秘めていたんでしょうか。
 本当に、本当に……どうして」

イグナシオが無事で済む可能性は、もう極めて低いと言わざるを得なかった。
スプリングと遭遇していた確証はないが、もし出会っていたなら、間違いなく彼が殺したのだろう。
そう、どうして――――ボクと、関わった人間を奪っていくのだろうか。
そう、言葉は続かなかった。
自分なんてちっぽけだ、単なる偶然、あるいは自分が彼に手を出した自己責任。そう思ってしまう。

「ええ、何故彼はそこまで豹変したのでしょうか。
 それは結構、大事なことなのかもしれません」

しかし安理の考えを肯定して深めるかのごとく、神父が言葉を返す。

「恩赦という希望を与えられれば、人間はいくらでも悪魔にでもなれる。それは事実です。
 けれど彼は、それ以上に謎の多い存在でした。
 半専属のような看守、顔を隠す鉄仮面、厳重すぎる拘束。
 看守たちでさえ、彼の詳細を知らないと語る者がほとんどなのです」

「でも彼はどう見ても話が通じそうでは、なかったですよ。
 まともに会話もできず、ただただボクらを殺そうという意志だけが感じられるようで……。
 誰かが、止めないといけないと思います」

止める。そういう表現を使う安理。
心が落ち着いた。落ち込んだのかもしれない。
放送を聞いた直後の激情――復讐心のような心は、今は小さく小さくしぼんでしまった。

「ですが、それでも、神は彼の抱える謎に迫るべきだと思います。
 そして彼にも、神との対話をさせたい。
 それが必要だと神(わたし)は考えるのです。
 彼がどんな答えを抱いているのか――
 あるいは、答えを導き出していくのか――――」

謎に迫る……まるで探偵みたいなことを言うなと安理は思った。
果たしてイグナシオは、彼に付いてどこまで知っていたのか、知れたのだろうか。
もはやそれを知る術もないのだろうか。
いや、まだ諦めてはならない。


「しかしなぜ、君達は彼と戦うことになったのですか?」



「――――その、偶然、遭ってしまったんですよ。
 それだけです。偶然運が悪かった――――」





「そうでしょうか?
 神は――――。
 貴方を、見ていますよ」





見通されるような、言葉。
心臓も呼吸も、止まってしまうよう。

ああ、そうなのか。安理は思う。
これが、多くの人の心と向き合ってきた“神父”という存在のなせる業なのだろうか。

ごまかすことは……できそうな気もする。
優しいから。
流してくれそうな気もする。

でも、ああ。
もうどうにかなってくれ。どうにでもなってしまえよ。



「ボクは……ふふっ、ボクは。
 ボク自身がが大嫌いだ」


自嘲めいた笑いと共に、言葉を紡ぐ。


「本当にさあ、その。
 自分を動かす衝動ってのが、嫌になるんです。ハハッ」


自分を取り繕う気持ちが切れたことにより、言葉は流れ出すように続いた。

「なんでかなあ……本当にいつも、何でかなあ。
 後悔してることばっかりで……本当に……」

語っていることの悲しさに反し、口調と表情は笑っている。
笑い事ではないと理解していても、止めることはできなかった。

「その、スプリング・ローズって子が参加者にいるじゃないですか。
 その子と話したんです。
 本当に、本当に、日本じゃ絶対いないような不良少女で。
 でも、ボクが彼女のためになりたいって、命を捨ててもいいって言ったら。
 不思議と穏やかに話してくれて。
 ボクの変な部分も気にしなくて、もっと自信持てって。
 また逢えたらいいのになとか、そんなことも思っていたのに……その……」

死んでしまった。放送で名前が流れた。
その事実を知ってしまった。

「彼女の、痕跡を追っていたら。
 彼女を殺したかもしれない相手を見つけられるかもしれないって。
 その方へ衝動的に、駆け出して。
 ボクは……なんてダメな人間なんだろう。ハハッ」

後悔はどうしてこんなにも重くのしかかるのだろう。
どうしてこんなに自分が嫌いで、もう後悔したくないと思っているのに。
どうして繰り返すのだろう。

「本当に嫌だよ……自分が。なんでなんだろう。何度だって……」

何度も繰り返してきた。あの自分の手を汚してしまった時だって。
今だってそう。
大金卸さんに挑んだ時だって、一歩間違えばどうなっていたか。
あの時は成功した。自信になった。
しかしその自信はすべて反転してしまった。

「なんでだろう……まだ決めつけるなってフレスノさんの話を聞き入れていれば。
 フレスノさんは、あの怪物を討つためじゃなくて、被害を抑えるために追おうと言っていたのに。
 あんな別れ方をしなくても良かったはずなのに。
 もっと考えて動けばよかったのに」

暴力的な衝動を抱えながら、何とか不器用に生きていたイグナシオ。
助け合って、お互いを抑え合うと誓ったのに。
身に付いた自信が暴走し、彼の伸ばした手を振り払ってしまったのだった。

「そうさ。ボクはやっぱり何か間違った人間で社会不適合なのかって思う。
 こんなの、こんなのさ。生きていたくなくもなっちゃうよ。はあ」


吐き捨てるように、安理は息を漏らした。

神父は――その言葉を正しく聞き取り、しっかりと受け止めていた。
理解のうえで、神の導きを差し出そうとする。


「それは、君が収監されることとなった罪にも関係しているはずです。
 おそらく、そうなんでしょう。
 良ければ話してください。
 知っても悪用することは決してありません。神に誓って」


「――――――――わかりました」




覚悟を決めた。
いや、違う。
相手が受け止めてくれる可能性があるなら――もう、どうにでもなってくれて構わなかった。
背の高い草が、朝日を浴びながら静かに揺れている。
まるで二人を包み込むように、柔らかな風に身を任せていた。



――――――――


 ◇


――――――――



4年前のある日。
とあるVRオンラインゲームで、二匹のドラゴンアバターが出会った。

ハンドルネーム"ElsaWing"、"LuciferinSeiryu"。

初めて言葉を交わしたきっかけは、お互いが同じアバターの素体を使っていたから。
よくある話だ。

「君の雷のブレスのグラフィック、花みたいな形があって綺麗だね」とElsaWingが言った。
「君の雪の結晶グラフィックを使った氷のブレス、すごく綺麗だよ」とLuciferinSeiryuが言った。

「ドラゴンが好きなんだ。できるだけドラゴンの姿でいたい」とElsaWingが言った。
「僕もドラゴンが好きだよ。ドラゴンとしてずっとVRで遊んでいたいくらいだよ」とLuciferinSeiryuが答えた。


二匹はゲーム内で一緒に遊ぶうち、仲を深め、次第に互いの現実の環境を打ち明け始める。
月明かりの差す、ドラゴンが住んでいそうな山の洞窟――二人だけの場所で過ごす時間。

「学校に居場所がない。外に出て人と会うのが辛いんだ」とElsaWingが言った。
「学校には通ってるけど、仲の良い人は全然いないし。腫れ物みたいに扱われてる気がして嫌だよ」とLuciferinSeiryuが言った。

「親にどうして僕が自分たちのやり方に従わないのんだ、日本人らしく育ちやがってとなじられて辛いよ」とLuciferinSeiryuが言う。
「親は色々と気を遣ってくれてるけれど、それでもたまに二人が僕の今後について話してる声が聞こえると、逃げ場がないようで苦しいよ」とElsaWingが言った。

お互い、現実が辛かった。
せめてネットの世界では、自分らしくありたいと願った。
人間が、好きではなかった。
自分たちの基準を押しつけてくる人間たち。そして社会。
そんなものに囚われない、架空の生き物でありたかった。
その思いを、誰かと分かち合いたかった。



二人は次第に頻繁にVR上で出会うようになり、夜にはVR空間に身を置きながら横になり、寄り添って心を癒すようになった。

「毎晩、ここに来ようね」
「うん。夜空を雷の光と、照らされる雪の結晶で彩ろうね」
「隣にいると、不思議と君の冷気を感じる気がするよ」
「こっちこそ、君の身体の静電気を感じることがあるような気がするんだ」
「ああ、僕たち、このままずっとこの世界で過ごせたらいいのにね」


尾を絡め合って、向き合って眠ろう。
たとえ世界が辛くても。
どうか、この優しさだけは――いつまでも、消えませんように。



――――――――



ある日、LuciferinSeiryuがElsaWingに夢を打ち明けた。
それは、日本の芸能界でアイドルになりたいということ。

難民の子供としての立場はどうしても背負ってしまうけれど、それでも日本で頑張ってみたい。
日本に馴染もうとしない親の事は苦手だけれど、同じような境遇の子どもたちを勇気づける存在になれたらいいなと。
君がこのVR世界で、僕のことを“綺麗だ”とか“面白い”、“動きがかっこいい”って言ってくれたからこそ、僕はこの夢を抱いたんだと。
そしてもちろん、ドラゴンが好きという事も推していきたい。
アクセサリやファッションに取り入れたり、たまにドラゴンの着ぐるみを着て皆を驚かせたりも出来たら面白いよねと。

ElsaWingは……肥え太った自分のリアルの姿を自嘲し、そんなの想像もつかない話だという。
けれど、それでも絶対に応援したいと言い切った。

それからLuciferinSeiryuは演技やダンスやボイトレをVR世界も活かして行うようになる。
ElsaWingはいつもその姿を眺め、彼の着実な進歩をまるで自分の事のように喜んだ。



――――――――




仲が深まるにつれ、二人は互いのプライベートな話題を交わし合うようになり、やがて互いの家や学校の場所もおおよそ察せられるようになる。
そして、二人の家は思ったよりも離れていなかった。


リアルで会ってみたい。


互いにそう思うようになる。
VR世界で出会ったからこその友情だった。
けれど、リアルでも一度くらいあって相談し合ったり遊んだりしてみたい。
リアルで会って体験してみないと、わからないことだってある気がする。



そうして3年前のある日。
二人で過ごす世界にも、オブジェクトが増えてきていた。

今は、黄色い花を咲かせる樹木が満開。
LuciferinSeiryuのアバターが使うブレスと同じ、とても鮮やかな黄色。
彼の故郷に咲いていて綺麗だったというその樹木を、苦心して3Dモデリングで再現したものだった。
その樹木にはいくつかの漢名がある――花梨、紫檀、そして青龍木。
LuciferinSeiryuの名前からの連想でもあった。

その日は、二人が出会ってちょうど一年の記念日だった。
明るい雰囲気の中で、LuciferinSeiryuが言った。
夜に、自分の家に来てみてよと。
今日のその頃はちょうど両親もほかの家族もいない時間帯だから……と。

ElsaWingにとっては、願ってもない誘い。
引きこもりがちで散らかった自分の家に友人を招くことなど考えられなかったが、
自分が相手のもとへ行くのなら――行ってみたかった。
外に出れば他人の視線が怖い。けれど、それでも。

自分の肥えた姿を誰かに見られるのは嫌だった。
それでも――LuciferinSeiryuは、嫌がったり笑ったりはしないと思えた。
そして、もし自分が固有の超力を使って氷龍の姿になれたなら。
彼はどれほど喜んでくれるだろうか――そう思った。



――――――――



ElsaWingは、リアルで出会い、LuciferinSeiryuのこれまでのトレーニングの成果を目の当たりにした。
心の底から――凄い、と感じた。
今までも本気で応援していたつもりだったが、その瞬間、もっと応援したいと強く思った。

そして、衝動的に。
その思いを支える決意を、激しく言葉にした。


ボクが君をずっと守る。
難民だから差別されるとか、そういうことから。
剣にもなる、盾にもなる。
きっとボクの超力はそのために、戦えるほど強い力があるんだ。

ボクが君のために、お金を稼ぐ。
君がオーディションの出場や養成施設の費用に悩んでること、知っているから。
そんなことに心配しなくていいように、ボクが頑張る。



しかし――――LuciferinSeiryuはきっと、わかっていた。
ElsaWingが、暴走していると。
その気持ちが強くなりすぎて、根拠のない自信に呑まれていると。

だから、そんな無理しないでと。
今までどおり友達でいよう、たくさん話したり遊んだり、慰め合ったり。
それが僕にとってとてもうれしいことなんだよと。ElsaWingに告げた。


ElsaWingの衝動は、その程度では止まらなかった。


じゃあ恋人になればいい。
もっと君のことをボクに預けさせられる関係になろう。

とにかく、君の事がとても好きなんだ。
ボクの心の中はその気持ちでいっぱいなんだよ。


だから。
もっともっと深く繋がりたかった。
心の繋がりを深めるより手っ取り早いからなのか、身体の繋がりを求めようとしたのか。

ElsaWingにも実際のところ、わからなかった。
ボクの中にあるこの“好き”という感情が、友情なのか、敬意なのか、恋なのか、性愛なのか。
何なのか、わからない。
けれど、ただひとつ言えるのは――とにかく、大好きだということ。



君はボクの心をきっと一番深く理解してくれてる人で。
だから、ボクが好きなボクの身体で。
氷龍の姿で。
種族の差とか性別とか、もうそういう規範とか関係なく。
大好きだって理解して欲しい。
そして、それを受け止めて欲しい。
だからボクは君のために何でもしたいんだって、受け入れてほしい。

それで。
それで。


"本当に君は可愛いね。でも、ごめんな。
 僕は君を受け止めきれない。
 どうか。自分をもっと大事にして。"



――――――――



心も、感情も、ぐしゃぐしゃだった。
彼の、謝罪の声と寒さを訴える声はずっと聞こえている気がするのに。
それでも氷龍の身体は、彼の上から動くことはなく。


呼吸が、消えていく。
体温が完全に失われていく。

零れ落ちる涙が、彼の肌に触れるたびに的確に凍結していく。
素質があると確信できるほど輝いていた彼は、堅い氷の中に閉ざされ――二度と動かない姿となっていた。



――――かしゃ、と。家の鍵の開く音。
誰かが家に入ってくる。
どうすればいい。
ボクが、殺した。


どうしたら、どうしたら、どうしたら。


部屋の扉が開く。
驚愕の表情。
人間たちは、ボクに向けて超力を発動してくる。


ああ――。


戦わなければ。
どうにかしなければ。



頭が、真っ白になった。
優しくて、可愛らしくて、美しかったはずの青龍が。
死をもたらす厄災へと、変貌していく――。




――――――――


 ◇


――――――――



「おかしいですよね?」


まず安理が発したのはその一言。
空気が、どこか淀んでいるように感じられた。


「おかしいでしょう。
 力を使い果たして、今みたいに変身も解けて倒れて、ボクは逮捕された。
 裁判の前、新聞とかネットとかで自分がどう言われてるかもいろんな人から聞いて。
 "現代の凄い奇妙な事件"だとか、"変態ドラゴンが痴情のもつれ"だとか」

「そんなことはありません」


神父はそれを、優しをこめて力強く諭す。



「君の抱える悩みや感情は、茶化していいものではありません。
 たとえ君自身が、そういう感情を織り交ぜなければ向き合えないとしても」

「じゃあ、いっそ否定してくださいよ。
 神に仕える神父なんでしょう?
 男と男がとか、人間と獣がとか。
 そんなこと許されないって言わないんですか?
 言ってくださいよ!」

「神は男が男を好きになることも、自分の性別や種族のアイデンティティに悩むことも、何も否定はしません。
 そのような神の言葉はありません。
 それに……そんな概念そのものが、この世界ではもう崩れかけているのではないですか?
 常時発動型の変身能力、医療技術の進歩。
 君を縛っているのは、社会的な観念や家庭事情に過ぎない」


まだ信じられない。そんな感情が安理に湧く。
神父はあくまでも優しい。
それでもいったん話し出した安理は止まらない。
3年間――ずっと悩み続けてきていたのだ。


「そういうこと全部取っ払っても、やっぱりボクの精神がおかしいっていつも思うんですよ!
 自分を動かす衝動が、本当に嫌だ。
 氷龍と化す力だって。
 子供の頃はほかの子供に、馬鹿にするないじめるなっていつも苦しんでたのに。
 でも、それに反抗するために力を振るいたいと思ったことはなかったのに。
 なのに彼の家に行ったとき、他人のためなら力を幾らでも使いたいと思った。
 バカで、無謀なのがボクなんですよ。
 それでいてやったことは人殺しだ。
 ずっとずっと、そういうこと考えて悩んでいた」

「ああそうだ、まるでさっき大根卸さんに組み手を挑んだ時みたい。
 明確な自信もないのに根拠なく、自分がやらなきゃって。
 そう、引きこもりで学校でも全然やってけなかったボクが自力で何処かで働いてお金を稼ぐなんてできるわけないでしょう。
 でもなんとかなる気がして、そしてやらなきゃいけないって思ったんです。
 そんな事ばっかりだ。ボク」

「そもそも彼とは本当の意味で友達だったのかもわからないですよ。
 横文字の本名を初めて知ったのは、死んでしまった後の裁判の時なんだから。
 あそこまで心焦がしたのに、知らないことが本当にいっぱい。
 おかしいでしょう」

「自己矛盾してばっかり、本当にさ。
 あんなに好きだった人を、好きなのに殺してしまったり。
 誰も殺したくないと思ったのに、親しくした人を殺されたと思ったら報いを受けさせなければと思ったり。
 どうして、自分はこんなんなんだろう」

「他にも、国際法廷は刑事訴訟だけど。
 民事訴訟はもちろん別にあるじゃないですか。
 アビスにいるから殆ど情報もないけれど、家族は彼の家族の遺族へ賠償してるんですよ。
 なんでこんなに他人を不幸にするんだよボクは。
 攻撃力の何も無い能力ならよかったのに。
 そもそも生まれてなければ良かったのに。
 そう、いつも考えてしまっていたんですよ」

「全部、自分の抑えきれない衝動が悪いのかっていうのも、考えました。
 例えばずっとネット越しに話してればこんな事故起きなかっただろうし。
 もっと外で出会う事から始めたりとかしてゆっくり、互いの距離を測って感情を落ち着けながら行けば。
 受け入れてくれていた未来があったのかって。
 あるいは受け入れられなくても納得して、どうしても受け入れられない部分があると理解しあって。
 その上でのさらに良い友人関係に発展できたのかって思ったりもしました。
 でも、そんな単純じゃないんですよ。
 罰も下されているし、ボクは確かに悪人でしかないんです」


話し出すと止まらない。
罪の意識と、自分への疑問を心の中で何重にもこねくり回して。
それに対する回答は、突き詰めれば突き詰めるほど自己否定に行きついてしまう。
そういう悩みを幾らでも、彼は延々と一人で抱え込んでいた。


「なるほど、君は自分を悪人だと思っているのですね」
「ええ、もちろん。
 とっても、とっても、強く」


言葉が途切れ途切れになる。
神父は安理の存在を肯定し、心の悩みを受け止め受容する。
罪の肯定。それは、安理が望んでいたこと。
けれど同時に、ひどく辛いことでもあった。
自分を受容する神父の顔から、安理は目を離しがちとなる。
一方神父の表情は――――ただの優しさだけではなく、興味深く観察するようなまなざしも滲み始めていた。


「それならば、より深く掘り下げたいことがあります。
 友人の家族をなぜ殺さなければならないと思ったのか――詳しく教えていただきたいのです」



安理の語った"頭が真っ白になった"。それだけでは足りないと神父は考える。
人間の仕組みとして強いストレスで一時的に我を失ったり、後から記憶を失うことはいくらでもありうる。
それでも、3年も事件の事で悩んでいるのならば。
その行動に対する動機も自分の中で何度も考察しているはずだと、そう神父は思う。
心の闇を抉り出していく、質問。

「そうですね――本当に突然の衝動だけで身体が動いたような気がしますし。
 自分でも、当時の自分の説明は難しいです」
「それでも、神は――君自身の口から君の言葉で聴きたいと望んでいます」

神父は、超力犯罪国際法廷の裁判の情報を日頃からよく調べていた。
安理の裁判についても完全に覚えているわけではないが、そのあらましは理解している。
それでも、当人が語る言葉こそが、神にとって最も重要な情報となることがあるから。

「はい……沢山、そのことについても考えました。
 後から考えた上に、自分で自分のことを言っている主観に過ぎないです。けれど、話します」

今度の安理は、落ち着いた様子で語りはじめる。
それは単なる説明ではない。
理解されたい――そんな想いがにじむ語り方。
まるで、自分自身にも言い聞かせるように。


「その時の、自分の感情もよくわかってないんです。
 けどなんでか咄嗟に反撃しなきゃとは思った。そんな記憶はあります。
 だから、そう、周りから見たらボクは彼を殺した殺人犯に過ぎなくて。
 次に何をするのか分からない危険な存在でしかない。
 彼がボクとの友人関係について家族に詳しく話していたとも思えないし、初対面でしたから。

「だから相手からしたらボクを攻撃するのは敵討ちかもしれないし、正当防衛なのかもしれないし。
 その家族たちももうボクが殺してしまったから、思いを想像することしか出来ませんけれど。
 裁判で検察の人は、まだ息子が生きているかもしれないから何とか助けようと動いたと、そう主張していたはずです」

「その時のボクは――襲われてるなら、身を守るため反撃しなくちゃとか思ったのかな。
 それとも――八つ当たりみたいな感情をもっとぶつけようとか思ってたのかもしれない。
 もっと悪く考えれば――自分のしたことを隠そうと目撃者を消そうとしたのかもしれない。
 裁判では検察の人はそういう意図だったと主張してました。
 ボクは、自分の気持ちもよくわからないからそれに強く反論もしなかった。
 刑を軽く抑えたいとかそういう感情は、逮捕されて自分の罪を実感してからはもう無かったですし」


悩み続けて色々な想像をしたが、まだ結論は出せていない。
それが、安理の現状だった。

「君自身の気持ちはどう言っているのでしょうか?
 そう、神は、君がどんな気持ちで動いたはずだと?」
「わかりません。選べませんよそんな事。
 ボクは自分で自分自身を信じれていないんですから。
 ただただ、殺して疲れ果てて気絶してボクは捕まったという事実があるだけですよ」
「ふむ、なるほど」

納得して聞き入れる神父。
まだ今は、それで構わない。
質問を続ける。

「では次は少々辛いことを、お聞きします。
 被害者である彼を襲ったとき、君の気持はどうでしたか」
「はい……」

すでに対話の信頼関係は築かれていて、安理は落ち着いて神父と話を続ける。
それでも、やはり後ろめたさがあるのか、あるいは威厳のある顔で真っ直ぐ見られることが苦手なのか。
鋭い問いに、気後れしてしまうのかもしれない。
視線は、なかなか神父と合わないままだ。

「君はですね、手段として恋人になろうとしたと言いますが。
 そこまで好きという感情と手段とを、割り切れる人間ではないですね?」
「――はい」



「君の彼を襲った時の感情――そこには、支配欲などがあったのではないですかな?」

「――――――――
 ――――――――そう、なのかもしれませんね」




まるで自暴自棄のように、軽い調子でそのことを認める安理。

「そう、彼は自分なんかよりすごい存在だから。
 その彼に対して一時でも主導権を握れる存在になれるとしたら。
 どんなに嬉しいんだろうとか。
 思う、思いますよ、承認欲求ってやつでもあるのかな。
 そして殺すなんて。
 まるで相手が自分の思い通りにならないから殺したみたい。
 氷漬けにしたのも、ずっと自分と一番仲の良かった時のそのままの姿でいて欲しかったからだとか」

そういうことも、もちろん安理は考えていた。
検察に言われたことの中にも、あった気がする。

「人間の命を終わらせることに対しての欲求みたいな物も、あったのでは?」
「ハハッ、そうですね。
 子供が物を壊したり虫を潰したりすることを楽しむような気持ちだったのかな。
 氷漬けになった彼の姿は、脳裏に焼き付いて離れない。
 それはきっと美しかったから。そんなこと、ボクは感じてるきっと」

神父の指摘に、改めて向き合っていく安理。


「それならばもう一つ、性欲はどうでしょうか?
 彼に跨ってマウントを取って、そう気持ちよかったのでは」

「――――――――
 ――――――――あるよ、きっと絶対」


安理が自暴自棄ながらも、不快さを少し顔に出した。
頭のじんじんした痛みが増していく。
今までの戦いでのダメージを引きずっているだけでは、なく。

「良かったよ。好きな人と一つになれて。
 その感触、彼の一部がボクの身体の中に入る感覚。
 忘れられないですよ。
 快感とかもあって幸せだったって感情、思い出してしまう」

不快さと自嘲を両方出して話す安理。
額に汗が増えていく。

「ハハッ、そういう性に関する欲求とかボクは昔からずっと強いよな。
 引きこもりでネットだけは使えたからって。
 ドラゴンや獣人の性的なCGとか、そういうのが人間とセックスするCGとかいっぱい見てましたよ。
 彼ともたまにそういう話題で話すこともありましたよ。
 CGに感情移入したりして、氷龍の姿で自慰することだって沢山あった」

自分の歪みを打ち明ける安理。
そして一時の沈黙。センシティブな話題を話していることも分かっている。

「ボクがただの性犯罪者みたいだ、いや実際そうなんだろうな。
 相手が本当は求めないことでも、受け入れてくれると思って拒絶されて。
 そして自分の思い通りに相手が動いてくれないからって。殺して。
 アビスにも凶悪な性犯罪者がいるけど、そういう人たちと同じ線上にいるんだボクは。
 そうでしょう?そう思いませんか?」

大声で誰に欲情するか等と会話していた、デリカシーの欠片もないような言動の囚人たち。
しかし自分だって彼らの同類だと、そういう自認が安理にはある。
そういう話題に興味がある。ただ、彼らのような人間に混ざって話したいとは思わないだけで。

「彼と身体で繋がっていた時の生々しい感触はずっと焼き付いている。
 ふとフラッシュバックして思い出すたびに、興奮するような気持ちも襲ってきて。
 そのたびに自己嫌悪も強くなって自分は最低だと思うんだ。
 こんなの、死んでしまいたいですよ。沢山の人が、ボクに死んだほうがいいと思ってる。ボクもだ」

「――――いえ、まだそう決めつけることはできませんよ。
 更に問いましょう」

自暴自棄な青年にさらに神父は問い続ける。

「それでは、何かしらの“正義感”のようなものはありませんでしたか?
 彼の家族は、日本に馴染もうとせず、遵法意識の低い仕事に就いていたと。
 ――君自身が彼を守れないなら、いっそ彼を殺すことで解放しようと思ったとか。
 そして家族を殺したのも、悪人を始末したいがためだったとか?」



「――――やめてください。
 ――――やめてよ、もう!
 やめて!やめて!」



安理は、自身の口元を塞ぐ。取り出したマスクによって。
アビス内で、医療用に支給されていため持ち込むことができたマスク。
衣料用の布が、世界を拒絶する帳のように扱われる。

突然の強い拒絶。
しかし、神父は慌てて取り繕うようなことはせず話を促すように見つめ続ける。



「そうですよ!そういう理由があったんじゃないかって裁判の時も言われたんですよ!
 でもそれだけは違う!絶対!」

神父は、安理の肩を抑える。
感情が昂りすぎている。

「さて……その心は?」
「話しますよいくらでも!そんな事、言われなくても!」

目を逸らしながら、それでも強い口調で安理は話し続けていく。

「日本では一部であるじゃないですか、その、移民や難民とか、外国人の排斥運動とか!」

現代は人類が進化し、個人が強い力を持つに至った世界である。
そうなれば、自分たちと違う属性という少数者に対しては社会はより恐れを抱くようになる。
安理の生まれる前の時代より、更に。

「だからSNSの一部とかでは、こんなことも言われてたんですよ!
 彼の両親家族が反日本的だから、それを殺したボクは凄いとかって!
 口にするのも嫌ですけど――――日本に必要な掃除だったなとか!
 日本に寄生してた奴等には当然の報いだとか!
 ひどいですよ!
 ボクは絶対そんな気持ちでやったんじゃないのに!」

その感情は、憤り。
急激な感情の波が、彼を動かしている。

「そこからさらに、彼や彼の家族の超力による精神干渉があったんじゃないかって無理筋な養護をする人がいたりとか!
 そんなことはないって、わかってるのに!
 裁判でもちゃんと証明されたのに!」

当事者意識の低い人間たちの言うことは、勝手な発言が含まれることも度々あるのだった。
どんな時代、世界だろうと、それは変わらない。
けれども。

「けれど、でも!
 そういう人達の心無い言葉を受け入れて、罪の意識から逃れようとする自分の姿を――たまに、想像してしまいます……!
 おかしい、そんなことしたくないはずなのに!おかしいでしょう!?」

安理は神父の顔を見る。
しかしその顔は、あくまでも優しく、そして威厳を帯びている。


「――――恐ろしいです……なのに……」

しゅんとして落ち着き、安理は言葉を続ける。


「もういいですよ。
 ボクはもうめちゃくちゃだ。
 逮捕されてから裁判の時も、ずっと。
 みんながいろんな理由を決めつけては、述べていくんだ。
 そのたびにボクはあやふやな自分の意志がこうだったんじゃないかって、当て嵌めようとしてしまう」

その声には疲れとあきらめと自嘲が、強く含まれていた。
青い瞳は、もう光を映して輝かない。
彼から延びる影は、風によって草が揺れるたびにくしゃくしゃとそこに映す形を変えていた。

「それでもボクは。
 少なくとも、自己正当化なんて、そんなことはしたくないんですよ。
 自分がやったことを許したいとか、絶対に思うことは出来ません」



ひときわ風が吹き、風に靡いた草の影が安理を覆う。
日本人としては高身長に含まれる安理。
しかしその身体は吹けば崩れそうに、か弱く覇気が全くなかった。



「申し訳ありません、意地悪を言いましたね。
 君が自分を悪人だと感じているようなら、それは一体どこまでなのか。
 聞くべきだと思ったのです」

神父は一度謝る。
上っ面の取り繕いではなく、誠実さのある動きと声。
やはり澄んだ瞳で優しく安理を諭すのだった。

「本来、犯罪を犯してしまった原因を、個人にだけ求めてはいけません。
 君をそこまで追い込んだ社会の構造や家庭環境にも、責任があるはずです」

犯罪は環境要因で誘発されるという当たり前のこと。
しかし、視野が狭くなると、それすら見えなくなってしまうことがある。

「もちろん、それを盾にして責任を押しつけるばかりでは、救いにはなりません。
 けれど、君は少なくとも、そういう人ではない。
 物事をすべて抱え込むのも自由です。
 でも――無理は、してはいけませんよ」

沢山の、罪悪感に悩む人々を見てきた神父は続ける。

「いいですか。自分を大切にできない人は、他人も大切にできません。
 心に余裕がなければ、真に人を思いやることはできません」



「――わかってます。そんなこと。
 でも、たった一人にとても大切にされていたのに。
 ――その人を殺してしまったボクなんだ。
 自分に期待なんてもう、しちゃいけない気がします」


この刑務作業が始まる前の、彼の精神状態がこれであった。
罪悪感に悩み続け、不健全な精神だからこそ。
他人を思いやる行動をできる人にあこがれる。
積極的に沢山動ける人にあこがれる。
でも自分は彼らとは違って、そんなことはできやしないんだと。

だから――例えば彼は、氷龍の体の一部を売って金に換えたいなどと思ってもいた。
自分の気持ちを込めずとも簡単に済む行為。
そして、金銭そのものには善も悪も宿らないはずだから。


「だから、ボクは、この刑務作業でも。
 この首輪のポイントが、極悪人ではない誰かの助けになるなら。
 そのために死んでもいいと思ったんだ。
 もう、自分の身を削ることくらいでしか。
 他人の役に立てない、罪滅ぼしができない。そう思って」

「――――しかし今、君は、フレスノさんに逃がされて生きている」

神父は、その事実をそっと指摘する。
なぜそこで命を捨てなかったのか。

「ええ――そう――ああ。ここで出会ったフレスノさんが、ローズさんが、大根卸さんが。
 ボクの事を思いやって、向き合ってくれた。導いてくれた。
 ボクに自信をくれた。
 もう少し生きて、自分や他人に向き合ってみたいって思った。
 ――――それがこういう結果になったんですから、救えないですけどね」

一度得たはずの自信はすべて反転して、氷の奥深くへ引きずり込まれ消えていった。

「さてしかし、あるのでしょう?
 君がフレスノさんに託された思いは?」

目を細めて、風の音に溶けるような声で神父は問いかける。

「――――逃げて生き残ったことに罪悪感を感じるなと。
 役目を引き継いでほしい……と。
 そう、生きていてほしいって」

遺言めいた言葉。覚悟を決めたイグナシオ。
安理は逃げながら何度も何度も、言葉を頭の中で繰り返していた。

「けれどボクのせいだってどうしてもどうしても、思う。
 ボクを逃がしたことはフレスノさんの強い意志によるものだったとしても、その過程でボクは何をした?
 フレスノさんの事を思えば思うほど、幾らでも自分を責めたくなってしまう」

「そのような気持ちに引っ張られすぎてはいけませんよ。
 そういう思考は自己の身の破滅をいずれ招く」

神父は、その気持ちを否定する。
イグナシオの言葉を尊重するように。
安理はどうしても、それを自分に落とし込めない。

「じゃあどうしろっていうんですか?
 フレスノさんを想うのをやめろって言うんですか?」
「そんなことはありません。君の想いはとても尊重されるべきものです」

神父は、気持ちを否定はしない。
しかしそれだけでは終わらない。

「その気持ちは大事です。しかし、同時に君を強く強く追い詰めてしまう。
 どうすればいいかわかりますか?」
「――――」

安理は言葉が出なかった。
罪悪感のせいか、教えてほしい、助けてと、そういう声は出なかった。
しかし言葉はなくとも、神父は心の声を強く感じ取る。

顔を上げる安理。
青い瞳が、神父の澄んだ瞳に向き合った。


「確認したいのですが。
 フレスノさん、ローズさん、大金卸さんへの思い。
 昔の貴方が、友人に抱いていた思いに近いのでは」


安理の氷の心の中で、思考が反射する光のように巡りだす。
心の中で、無限に反射し続けるように巡り続ける、他者への想い。
思い起こすと、昔も今も、まるで似ている。
言葉ではとても表しにくいけれど、確かに存在する他者との繋がりの痕跡。





「――――そうかもしれません。
 また会いたい、話したいってすごい……焦がれています」
「ですよね。
 君と正面から向き合って、導いてくれた人たち。
 君の存在を受け入れてくれた人たちですから」

「いいですか。
 フレスノさんへの想いを、細かく分解して理解してみてください。
 君の中にある、その想いとは、何でしょう?」

安理に思考が巡りだす。
憧れか、尊敬か。順々に拾い出していく。
大金卸さんが言った、君はフレスノさんの弟子なのではという言葉。
実は結構――嬉しかったりもした。

彼の想いを受け継がなければならないという気持ち。
彼なりの正義に基づいて、正しく彼は動いていた。

また会って話したい。灯台の場所へ向かわなければ。

依存したかった。
そう、お互い暴走しそうになったら抑え合おうって。

お互いを隣で、支え合っていたかった。
そして、自分だけが逃げた。罪悪感。


沢山ある。

「本当に、たくさん。思いつくことが、いっぱいで、いっぱいで……」
「良いですね、自分の気持ちを細かく理解してください。
 例えば君が彼に好意を抱いているとして、それはどんな好きなのでしょうか」


そうだ。
大根卸さんの言葉に、また一つあった。
君はナチョを好きなのかという問い。
否定はした。そんなこと言える人間ではないって。

でも――本当は大好きだった。
それなのに、もう二度と会えないかもしれない。

悲惨な過去の話を聞いた時。
今は助けられている自分だけれど、いつかは彼の助けになりたいと思った。

君が生きていることが私の救いになると、言われた。
あんな状況でその意味を考えることもできなかったけれど。
今でこそ、その言葉がとても大切だと、そう思う。


そう、自分を受け入れてくれた他人のことを想うのは。
なんて幸せで。
その人を想って行動できるという事は、なんて幸せなのだろう。

けれどそれだけではだめだった。
ローズさんの事を思うあまり、フレスノさんの事を振り切って暴走してしまった気持ち。
本当に大事なことは何なのだろう。


もしかしたら、さっき神父に指摘されたように。
支配欲や性欲のようなものもあったのだろうか。

あったと思う。

詳しくは聞かなかったけれど、彼の男娼のような過去。
無理やり与えられた痛みと、性的な快楽。
それを――――自分は。
そういう話を聞いた自分は、彼と身体の繋がりで愛し合うことを心の底で望んだ。
信頼し合える相手になって、その上で彼の心を癒すように真っ当に愛し合いたいと。
傲慢だと思う。でもそれはきっと事実。
否定したいけどそれも、自分の心の一部。



「さて―――――。
 君が、最も優先すべき気持ちは何ですか」



ぐちゃぐちゃな気持ちに、整理がついてきた。
その上で。
その答えは――無論。




「ボクはボク自身のために生きていいと。そう言われた。
 そして、自分の事を引き継いでほしいと」

半日にも満たない、短い共に過ごした時間。
それでも大事な気持ちは、たくさん受け取った。

「そして、ローズさんはもっと自信を持ってと。
 大根卸さんは強くなれと。それなら」


思い浮かぶ、自分に向き合ってくれた二人。
大事なことはたくさん、受け取った。
気持ちを口にすることで、強く固めたい。
誰かにしっかり話すことで、理解してほしい。
違う――証人のようにになって欲しい。

マスクを外す、安理。
視界が少し広がる。風景が、まるで開けるように見える。
そして、神父を改めて見つめる。


「ボクは、この刑務作業の中で。
 フレスノさんみたいな豊富な経験もないし、便利な超力もないけれど。
 それでも自分なりに、色々な情報を集めて、そして弱い人を護る探偵をやりたいんだ。
 闘いの強さに限らない、自分なりの強さを目指したい」


イグナシオさん、スプリングちゃん、樹魂さん。
みんな、本当に大好きだ、たくさんの意味で。
そして心から――――ありがとう。
今、心が正しく定まった。
この気持ちは、きっともう暴走しない。



「おめでとう、答えに辿り着きましたね。
 もちろん他のことも大事です。
 けれど今は、その決意を何よりも強く思い続ける。
 それが君の心を、よりしっかりと固めてくれる」



笑顔が、安理に向けられる。
神の祝福。
柔らかな葉でできた草原は、静かに二人を包み込む。



――――――――



「さて、君が決めたことを遂行するための力になりそうな、ヒントを一つあげたいと思います。
 聞いた話によれば、君の“龍への変身”は時間制限がなく、ずっと維持できるとか」

「――――いえ、過ごせてないじゃないですか。
 今だって力を使いすぎて、人間の姿に戻らざるを得ないって所なのに」


神父が指摘する。安理が何とも思っていなかったことを。


「そうでしょうか。
 神(わたし)は教会に勤める間も、アビスにおいても様々な人を見てきました。
 信者に寄り添うため、超力研究の資料も多く目を通してきました。。
 その上で言えるのは――任意発動型の変身能力は、原則として永久に発動し続けることはできないということです。
 何日も何週間も変身を維持するのは、困難。
 ――――いえ、何か特殊にエネルギー供給源などでもない限り不可能なはずなんです。
 それが、常時発動型と任意発動型の超力の違いです」


北鈴安理はいくらでも竜に変化して過ごすことができる。
子供の頃、長期休暇中はほとんど家に籠もり、常に龍の姿だったこともある。
成長してからは家が狭く感じられ、VRゲームなどにも不便だったため、長く変身することは減った。
それでもPCが不調になったときなどは修理までの間、常に龍化して何日も時間を潰したりしたものである。

任意でなく変身が解けたのは、たった3回のみ。
先程のバルタザールとイグナシオとの闘いから全力で逃げてきたとき。
その前の大金卸樹魂との闘いで、全力を出し切ったとき。
そして――――友人を殺し、その家族と争いになり全員を殺害してしまったとき。

その特殊性に、安理自身は何も気がついていなかった。神父は指摘を続ける。


「推測ですが、これはまだ君の超力が不安定なのだと思われます。
 常時発動型にも、任意発動型にも振れ切らず。
 超力は精神と強く関わるというのは、一般にも知れていますね。
 そして、幼い子供ほど超力が不安定なことが多いというのもよく知れ渡ってますね。
 不安定でしっかり定まらない。全く別の方向へ変質することもある。
 そして、成長するにつれて個人差はあれど少しずつ安定していく」

例えば、メアリー・エバンス。
全く本人にも制御の利かない、暴走した超力。
成長の兆しはあった。すぐに命を失う結果になってしまったが。



「さて、そう仮定した場合、君の事例は何でしょうか。
 一度安定した後に精神のあり様でまた不安定になったり、変化したりなどもありますね」

例えば、イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノ。
一度は正しく安定したはずの超力。検事になりたいという夢を持って。
しかし、故郷の治安悪化の影響による、強い精神ストレスにより。
投影できるのは近い過去のみだったが、遠い原始地球の荒々しい姿まで投影できるように変化した。

「しかし、君は違う。それならばもう一つ。
 精神障害、人格障害、発達障害など心に負荷を抱える人は、不安定な状態が長く続くこともあります。
 それでも、ネイティブといえど。
 君ほどの年齢でこの状態が続いているのは、珍しい事例かもしれません。
 特に、全く違う姿へ変身する能力は。
 生まれつき安定しているか、かなり幼い時期に安定することが多いのです」

思春期も終わり、多くの人が精神が安定してくる年齢を過ぎても安理の超力は、不安定。
そう神父は想定する。

「ボクの超力が不安定……それはつまり、どういうことですか?」
「これから君の超力は、変質するであろうということですよ。
 特にこのような特殊な環境に送り込まれて、精神への影響は計り知れないはずです」
「珍しいからって、それだけじゃないですか。
 子供の頃のフレスノさんみたいな過酷な境遇で超力が大きく拡張されることが、普通の日本で育ったボクにあるんでしょうか。
 あのハイ・オールドみたいに、規格外の出力が出せるようになる可能性もきっとないんでしょう?」

安理はもう、流石に自分の力を過信はしなかった。
大金卸や超力進化後のイグナシオのように、鍛錬や戦いを繰り返して強くなるのが真っ当な道に違いない。
その上で、急にすごい力が降ってくるなんて信じられはしない。

「ええ、それでも何かは起きるでしょう。
 簡単に考えても例えば、君の超力が完全な常時発動型能力に変化することが考えられますね。
 人間の姿に戻ることがなくなる。
 力を得るという点では、メリットになり得るはずです」

「え――――」


まさかの、話。
心の中に、煌びやかな氷塊がずしりと落ちてくるよう。
氷龍でずっといたいと、思っていた。
そういう願いをずっと抱いていた。
しかし、そうはなりたいと全身全霊で願ったことは果たしてあったのだろうか。
なかった。

世間体の目があったから。
家族もさすがに完全なドラゴンと常に過ごしたいとは、思わなかっただろう。
そして将来、真っ当な日本の社会ので生きていくと考えたとき。
ドラゴンとして生きるなんて選択肢、思いつきもしなかっただろう。

ところが、今は。
そういう事は、もう関係ない。
無期懲役でアビスから出ることは叶わないし、こんな機会があっても恩赦を得たいという欲も、ない。

もしも完全に、常時発動型の超力として固定化すれば。
アビスに収監されていた、獣人のような姿の囚人たち。
彼らは、システムAの制御下でも人間の姿に戻ることはない。
自分も、そのようになるのだろう。



「――――そんなの。
 ――――そんなのって」


身体が動かない。目線が定まらない。
自分の願い。
常時発動型の獣人能力者にあこがれる気持ちは、確かにあった。
常時発動型なら、人間として過ごす選択肢が無い。
世間の目は辛いかもしれないが、逆に人間でいなければと惑わされることもない。

身体が震える。

しかし。
その震えは、決して。

一つの理由だけが引き起こしているのでは――――なかった。


「でも――――だめだ。
 でも、だめなんだよ。
 わからないけど。
 なんでか、わからないけど。
 それじゃだめだって気が、なんかする」


自分でも分からない、抑制の気持ち。
世間のしがらみはもうないのに、なぜ思うのだろう。

戸惑い続ける。
それを察した神父は。


「君に神は、何と言っていますか?」



――――――――
――――――――


(なんで、幸せがつかめるのかもしれないのに)
(なんで、それを掴みたくないんだ)
(ボクは、ボクにとって――――)


――――――――
――――――――


「ボクは、幸せになりたくない。
 なってはいけない――そう思ってしまっている。
 そうさ。
 そうなれたら幸せなのかもってすごい思ってる。
 けれど。
 何人もの人を殺したボクが。
 唯一の友人とその家族をも殺したボクが。
 心から望んだ幸せを手に入れるなんて。
 あっちゃいけないと、きっとそうボクは思っている」

掴み始めた、心の形。
自分の思う通りに生きること。
幸せを求めてはいけないという思い。
矛盾しているのか、していないのか。

「なるほど。
 しかし、贖罪したいという気持ちと。
 幸福を求める気持ちは。
 決して完全に対立するものではないのでは?」

常に罪を償うため、禁欲し命を削ろうとすべてを慈善のために生きる。
そう考える人々は、存在する。
この刑務作業の中にだって、存在している。
しかし慈悲ある神父の仮面をかぶった神は、それを完全に肯定はしない。
そうなった人間の先は長くないと、そう察している。
それでもその人物に神がそうあれと告げるのならば。
それを最大限肯定するのも神ではあるのだが。

「そうでしょうか。
 そうかもしれません。
 それでも、まだ。
 ボクは……自分で、自分を……。
 この手で人を殺してしまったボクは……」

安理は、イグナシオを置いて逃げた。
しかしその事には、もう罪悪感を感じないようにしたいと決めた。
誰かを助けられなくて見捨てて、死なせてしまったと言う者はたくさんいるだろう。
他人のことを重く背負いすぎる人々――まだ、善人でいられる。

しかし安理の最も大きな罪は、違う。
助けられなくて見捨てて、死なせてしまったのではない。
苦渋の選択として、人を殺したのではない。
自分勝手に、無辜の人物を殺してしまった。
その事実が最も彼に重くのしかかっている。


「ああ――――――――ボクは」


脳裏に浮かぶ、優しかった思い出。
互いに生きづらさを肯定しあって、楽に生きたいよなと思い合っていた。
もし彼と今話せたりしたら――そう、幸せになってくれと言うのかもしれない。
死者の声を妄想するなんて傲慢だけど、たぶんそうなのだろうと思える。

でも、彼の家族は?
まだ生きている彼の親族は?
自分以外にいたであろう、日本や昔住んでた国の友人は?

ボクの幸せなんて願わないだろうし、その逆だと、そう感じている。
死刑にならなくて、残念と思っているとか。
二度と関わりたくないし、一生出てきて欲しくないと思っているとか。
きっと色々な、負の感情があるのだろう。
恨めしい目線も、悲嘆も罵りの言葉も何度も受けてきた。
そういう思いを感じるからこそアビスでの3年間、辛くても誰にも助けを求めようとはできなかった。


「なのに――――どうして、どうして――――」


それならば、完全に常時発動型でない任意発動型として固定してしまえばいいのか。
そうなのかもしれない。


「でも――――」


自分の心は、自分の"神"は――――。


「なんだか、少し。
 貴方のお陰でボクの心の形が。
 分かったような気がします」



そうはなりたくないって、嫌だって思いが、ある。
人間の姿が嫌だって、ずっとずっと思ってたからだろうか。
それは周りに嘲笑われ、貶されてきたからかもしれない。
見た目とか、社会的につくられた相対的価値観でしかないものを気にしすぎた、自己否定感があったからかもしれない。
けれど、そういう感情は。


「そう、幸せになってはいけないと強く思う。
 でも――――ずっと氷龍の姿で過ごしたい。
 それは幸せになってしまうことかもしれない。
 どうすればいいのかわからない。
 それでも」


もう、どちらの気持ちも、自分の人格を形作る大事な一部なんだ。
心の底に、根を張るように定着しているんだ。

自分の心の奥底の声。
自分の犯した罪の重さに反している。
人を殺してしまった、嫌悪すべき姿でもあるのに。
やっぱりその姿こそが。
自分で自分が好きになれる姿なんだって観念が、ある。


「常時発動型になれる選択肢があるのに。
 それを完全に捨ててしまうなんて、とんでもないって。
 いま、ボクの心の奥底から叫びが聞こえます」

「ええ、今はそれでよいでしょう。
 いつか君が自分自身の"神"と向き合えることを祈ります」



まだ、彼は完全な答えを得ていない。
自分の中の神を、完全に見出せてはいない。


神父は思う。
彼の想いも、告解してくる犯罪者に時々ある心理だった。
告解室で繰り返し耳にしてきた言葉――贖罪への執着、自罰願望、罪人が自らを傷つけることでしか生きられなくなる心理。
それは安理の中にも、強く刻まれている。


まず、被害者の遺族にありがちな心理として。
犯人が改心して真っ当な人間になるなんてそんなの嫌だと。
死んだ人は未来なんてないのに。
改心されても、心の傷は消えやしない。
そんなの見せつけられても嫌悪感を抱くだけ。

だから、改心なんかしないで欲しい。
反社会的な、悪人のままでいて欲しい。
とはいえ自分たちのような一般人に新たに被害者が出ても、納得はするだろうけど嫌だ。
被害者が出ない範囲でまた再犯とかして逮捕されて、苦しんでいたりして欲しい。
あるいは――――悪人同士とかで殺し合ったりしてくれれば、なおのこと良い。

そういう思考を、自分に適用しようとしてしまう。
被害者に強く感情移入したり、共感してしまったりする犯罪者は。
あるいは、強く侮蔑の声を掛けられ続けたりした犯罪者は。
自罰的に生きたい、死んでしまいたい。
一生収監されたままでいれば、それでもういい。
遺族の二度と加害者の顔なんて見たくないという思いを、満たすことができる。
そうなりがちだ。
彼が無期懲役で、それでも孤独に何もしようとしなかったのはそういう心理が影響するのだろう。

しかし、それで良いのか。
それは贖罪の一形態として、善のようである。
しかし見方によっては、ただの逃避に過ぎないともいえる。
更にいうなれば、悪になる可能性も大きく孕んでいると、神父は感じていた。
自らを不幸に置こうとする人間は、往々にして無意識に周りの人間を不幸に巻き込んでしまったりするものだ。


けれど彼は、まさに迷っている最中。
審判には、まだ遠い。


「さて、安全な日本で過ごしてきた君ですが。
 改めて問います。
 君はつい先ほど、地獄を見てきた。
 けれど、これから先もまだまだ地獄のような世界が続いていくでしょう」

世の中の地獄を生み出す犯罪者たち。
それに向き合ってきた神父だからこそ。
今後をそう予想する。
安理は顔を引き締める。

「君にとって自己肯定感を得られるような"良い"展開は、もう訪れないかもしれません。
 ここにいる多くの人々が、地獄を見てきています。
 日本でそれなりに平和に過ごしてきた君が、目を背けたいような地獄に敢えて向き合わなければならない。
 あの探偵が若いころ経験してきたような地獄に、君が踏み込んでいくのです。
 それでも――歩み続けますか?」

その真剣さにと凄みに、気圧される安理。
胸を貫いてくるような問い。

神父も、かつて地獄に触れたのかもしれない。
そんな想いがよぎる。
けれど、答えは決まっている。
落ち着き、口を開く。



「それでも――――歩むよ。
 今までこの刑務作業で色々な人と関わって。
 何かをしたいと、ボクは思っている。
 そういう自信を、みんなから貰ったんだと思う。
 生温い環境で育ってきたボクには、それが心に重くのしかかって苦しくなることもあるかもしれないけれど」

そう、自分は弱い存在だ。
しかし一度、重い挫折を味わって。
それを受け入れて、その上で。

「こんなにも自分が嫌いで、色々なことを恐れているボクだけど。
 それでもしっかり目的を決めて歩んでいくということは。
 自分を大事にしない、軽く扱うってこととは、また違うと思う気がする。
 だから――――」



――――――――


 ◇


――――――――



「さて、もう充分動ける程度まで身体は回復したでしょうか?」
「ええ。神父さんがいたから、安心して身体を労れました。
 本当に、本当に、ありがとうございます」

柔らかく響き染み渡る神父の声。
立ち上がった安理。
身体のコンディションも良くなった。痛みも和らいできた。
今なら、また氷龍になることもできそうだ。
そう、落ち着いたのは身体だけではなく、心も。

「ボクは、もともとの予定通り灯台へ向かおうと思います。
 イグナシオさんが無事にに向かってきてくれると、信じて」
「そうですか。
 神(わたし)は一度、地図の中央のブラックペンタゴンに向かおうと考えております。
 多くの人々と出会い、導かねばなりませんから。
 人が集まるであろう場に向かおうと、指針を定めました」

安理は――――寂しげな顔になる。
名残惜しくなる。助けて貰った。自信をもらった。
しかしここで、分かれてしまう。
それを見た神父は。

「もし宜しければ、灯台の前に少し脇道となりますが共にブラックペンタゴンに赴きませんか?
 あの場には、この会場の秘密に関した何かがある可能性があるのでは?」
「そうですけれど――――えっ、何故そんなことを」
「いえいえ、君が探偵をやりたいと言ったから、それに応じたことを話したまで」

安理はこの会場の秘密を、殺し合いの目的の真実を探っているという事を、神父に話してはいない。
積極的に誰かを巻き込むつもりはないからだ。
しかし今までイグナシオが探偵として動いてきたというならば、すぐに神父もその程度の目的は察する。

「こちらとしても、同行者がいると有り難いのですよ。
 もう一度会わなければならないと考えている方が、神(わたし)にはおります。
 争いになるやもしれません。
 君を巻き込む形にはなってしまいますが、それならば二人でいた方が良い」

思いがけない提案。
一緒にいると、確かに心強いけれど。

「少し考えても、いいですか?」
「ええ、もちろん」



――――――――


 ◇


――――――――



神父は多くの人間を導いてきた。そして利用もしてきた。
今も安理を導いて、そして利用しようともしている。
しかし、教会にいたころの一部信徒や、アビスの看守の一部といった心酔する信者の利用とは少し違う。

神父と話していくうち。
自分の中の神とどうしても向き合えないものは、神を新たに作ろうとする、得ようとすることがある。
神(わたし)を、神として自己の中に置こうとする者も、現れる。
そうして手駒のように動く人物を、増やしていったのだった。

安理は違う。
神に向き合う手がかりは、すでに得ている。
それでも神父の話術ならば、いくらでもマインドコントロールして心酔させ手駒にはできたであろう。
イグナシオの立場と同じように、安理を自分に惹かせることなど幾らでもできただろう。
しかしそれを行うことは、なかった。


さて。
神父が考えることは安理を導くことだけでは、無い。
もし彼が、今後――上手く精神の方向を定められず救いようのない存在に転じるようなら。

始末する。神の意志として。
それが、使命であるから。
救済の手は、必要とあれば裁くためにも振るわれる――静かに、確かに。



【F-4/草原(西部)/一日目・午前】
【北鈴 安理】
[状態]:顎と脳にダメージ、疲労(中)
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:自分の罪滅ぼしになる行動がしたい。自分なりに、調査を進め弱い人を助ける探偵として動きたい
0.夜上神父と共に、ブラックペンタゴンへ向かうか決める。
1.イグナシオとの待ち合わせのため、灯台へ向かう。無事を祈る。
2.バルタザールがまだ破壊の限りを尽くすようなら、被害をできるだけ抑えたい。
3.本当に恩赦が必要な人間がいるなら、最後に殺されてポイントを渡してもいい。けれど、今はもう少し考えたい。
4.常時発動能力に変質できるなら、したい。でも、心がそう納得してくれない。
※イグナシオの過去、大金卸とのあらましについて断片的に知りました。少なくとも回想で書かれた全てを聞いているわけではありません。
 まだ聞いていない部分について、今後間違った妄想や考察をする可能性もあります。
※彼の超力は、子供らしい不安定な状態を未だに抱えています。今後変質していく可能性が高いです。

【夜上 神一郎】
[状態]:多少の擦り傷
[道具]:デジタルウォッチ
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本:救われるべき者に救いを。救われざるべき者に死を。
0.人が集まるであろうブラックペンタゴンへ向かう。ルメスが調査のため向かったかもしれない。それなら”鉄の騎士”もいるだろう。
1.なるべく多くの人と対話し審判を下す。
2.できれば恩赦を受けて、もう一度娑婆で審判を下したい。
3.あの巡礼者に試練は与えられ、あれは神の試練となりました。乗り越えられるかは試練を受けたもの次第ですね。誰であろうと。
4.“鉄の騎士”は、いずれ裁く。
5.バルタザールの動向に興味。いずれ対話し審判を下したい。
※刑務官からの懺悔を聞く機会もあり色々と便宜を図ってもらっているようです。
 ポケットガンの他にも何か持ち込めているかもしれません。

103.名前のない怪物(A) 投下順で読む 105.Re'Z
時系列順で読む
「Desastre」 北鈴 安理 自らの選択
夜上 神一郎

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年08月24日 10:39