◇
幾ら目を瞑っても、何の安息も得られない。
再び目を開けても、何の道筋も見えてこない。
幼い少年は、それでも“毎日”を生き永らえていく。
窮屈な空間で、今日もまた目を覚ます。
出口の見えない海で、古びたボートに揺られる。
煤けた船体が、波と潮風に曝されている。
今朝も同じように、水面が弾ける音がした。
大きな“何か”が海へと放られたのだ。
その正体が何なのかは、すぐに理解できた。
この船に乗って以来、何度も見てきたからだ。
だから、黒い肌を持つ少年は。
いつものように、静かに視線を動かす。
同じ肌の色の大人達が見つめる“何か”を、少年もまた見つめる。
物言わぬ亡骸になった男性が、海を浮遊していた。
この船に同乗していた“難民”のひとりだった。朝になって事切れていたのだろう。
栄養失調か、何かしらの病気か、理由は幾らでも思いつく。
その亡骸は他の大人達の手で、海へと投げ込まれたのだ。
少しでも“積載量”を減らしつつ、船上のスペースを確保するためだ。
また何らかの病気を患っていた可能性も考えて、万が一の伝染を避けるためでもあった。
人の形をした肉は水面へと飲み込まれ、そのまま沈黙と共に漂流していく。
天運に見放されるように、その亡骸は難民を乗せた船から徐々に遠ざかっていく。
――“Z計画の公表”を経て、アフリカの政情不安は爆発的に加速した。
現地はかねてより民族・宗教対立を背景とし、数多の武装勢力が各国で群雄割拠するという混沌の情勢を形成していた。
そんな中で西洋主義への反発を標榜する一大武装組織が、“Z計画”を欧米による誇大的な陰謀論と称して非難した。
これは民主主義や異教的世界観を掲げる欧米諸国が、自らの国際支配を盤石にするための茶番に過ぎない――と。
彼らはアフリカ各地でも拡散する“社会混乱”に乗じて勢力を急拡大し、活動を更に過激化させていった。
結果として反欧米的組織に敵対する武装勢力の反発も活発化し、アフリカ諸国は“開闢”を前にして混迷の一途を辿った。
各勢力による戦乱は際限なく拡大し、その過程で数多の大衆が犠牲となった。
故にこそ、暴力の渦中に飲まれたアフリカの祖国を離れ、遠い異国へと渡っていく者達が後を絶たなかった。
彼らは紛争から逃れて、”難民“として生き延びる道を選んだのだ。
父親は船には乗れなかった。
祖国で武装組織に惨殺されたからだ。
――共に船に乗った母親はもういない。
つい先日、海に投げ込まれたからだ。
少年はいま、天涯孤独の身となっていた。
傍らに遺されたのは、母の形見である”小さな十字架”だけ。
母は敬虔な信徒だった。何があって祈りを忘れないように、と日頃から言い聞かせられてきた。
父と母は新天地に辿り着けぬまま命を落とした。
今も多くの人々が苦悶の果てに命を落としている。
神は果たして、こんな世界を見守っているのだろうか。
少年が抱いた疑問に、答えは返ってこない。
揺れ動く波の音だけが、反響を繰り返す。
幼き少年は、“バラカ"と呼ばれていた。
18日後――彼はこの密航を生き延びて、欧州の某国へと辿り着いた。
アフリカや中東などから雪崩込んだ“開闢前夜の難民達”は、その後ヨーロッパの各所に急設された“居住区”での生活を余儀なくされた。
しかしZ計画公表と世界の存亡に起因する社会混乱の只中で、各国政府やGPAは難民に対する十分な支援を与えられなかった。
劣悪な衛生環境、深刻な物資不足、歯止めの利かない過密化。
数多の居住区がそうした惨状に見舞われ、困窮に喘いだ末に犯罪へと走る難民が後を絶たなかった。
追い詰められた者達は、悪徳の中に生きる術を見出すしかなかったのだ。
開闢以後、そういった難民達の中から“ネイティブ・ギャング”が出現することも珍しくはなかった。
やがて難民居住区は、差別や排斥の対象と化していった。
大衆から唾棄され、掃き溜めの中で置き去りにされ、変わらぬ困窮に追い詰められる――そんな負の螺旋へと陥った。
“寄生虫のような難民の住処”。
“薄汚い犯罪者たちの巣窟”。
そんな侮蔑の意味合いを込めて。
いつしか欧州の難民居住区は、こう呼ばれるようになった。
――――“隠れ家(ハイドアウト)”と。
◇
◆
ふいに、遠い日の情景が脳裏を駆け抜けた。
終わりの見えない海。途方も無く広がる空。
吹き抜ける潮の匂いが、死を運んでくる。
未来を求める渇望は、揺れる波に飲まれていく。
救いの祈りを、果たして天は聞き届けるのか。
道標なき旅路の果てに、希望はあるのか。
その答えさえも分からぬまま、一人、また一人と去っていく。
ジョニー・ハイドアウトは、今も旅を続けている。
闇夜に浮かぶ月に、誘われるかのように。
意識は再び、現在(いま)へと戻る。
地の底の刑務。簒奪と暴力の狂宴。
悪しき者達が奔走する、蠱毒の舞台。
――彼らは足掻く為に、死地を往く。
「脱獄王」
「ああ。わかってる」
目指すは北西の灯台。脱獄同盟(オーシャンズ)の一員、首輪解除を果たした“メリリン"らが向かう場所。
追うは道化師(ジョーカー)。悪童さえも欺き、同盟に弾丸を放った裏切り者。
会場南東の山岳地帯を突き進みながら、ジョニーはトビ・トンプソンへと呼びかける
「こいつが、やっこさんからの“前払金"って訳だ」
トビは自らのデジタルウォッチの“地図機能"を展開し、マップ上に光る印へと目を通していた。
それは即ち、生存中の受刑者の現在位置を表示する機能である。
この地の底で今も生き延びる悪童たちが、光点として映し出されていた。
本来ならば主催側の尖兵、つまりジョーカーにのみ許される筈の特権であるが――。
AG-1のハッキングを介して、ジョニーとトビのデジタルウォッチにも同様の恩恵が付与されたのだ。
「ひとまずは協力の証を、ってトコかね」
「そういうこった。流石にこれ以上の大それた助力はまだ出来ねえようだがな」
ジョニーの相槌に対しトビは答える。
AG-1からの“現状のサポート”は、これが限界のようだった。
アビス側による察知を避けながら水面下での工作や秘匿に徹する為、脱獄を目指す受刑者達への過度な干渉は行えない。
刑務監視システムによる離反――それを無効化されない為にも、トビ達をギリギリまで“刑務従事者”として泳がせる必要があった。
トビは移動を続けながら、デジタルウォッチを確認する。
現状の生存者の名前と現在位置を、手早く把握していた。
北西ではローマンとキングが接触中。十中八九、交戦が始まっているだろう。
近隣のエリアにジャンヌ・ストラスブールの存在も確認された。
メリリンとアンリは港湾に移動済み。彼女らの元へ接近する“氷月 蓮”の反応もある。
氷月という受刑者は“模範囚”であるらしいことを除けば、さしたる情報もない。
目的は定かではないが、尚のこと急がねばなるまい。
南東の山岳付近では征十郎の存在が確認されている。
どうやら“アビスの申し子”、エネリットと行動を共にしてるらしい。
その気になれば接触もできるだろうが――今さら助力を求めるのは難しいだろう。
アビスの看守達と近しい立場にあり、呉越同舟から先んじて離脱したエネリットが脱獄に関与する可能性は低く。
そんな彼と行動を共にする征十郎が今になって脱獄に関与するかも未知数だ。
彼らを説得するにしても、今は一刻の猶予を争う状況である。
故にトビ達は、先へ急ぐことを優先する。
「まさかとは思ってたが……本当に被験体が殺られていたとはな」
「ああ。例のサムライと爆弾魔が倒しちまったんだろうさ」
生存者の現在位置を確認して、トビは取り止めもなく呟く。
そんな彼に対してジョニーが言葉を返す。
恐らくはエネリットからの情報通りに征十郎とギャルが対峙し、被検体の撃破へと至ったのだろう。
征十郎と行動を共にしていたギャルの名は、死者として既に表示されている――。
激戦の果てに命を落としたのか。最早この刑務は佳境へと突入している。
あの享楽の爆弾魔さえも、地の底で断罪の時を迎えたのだ。
「で、被験体が倒されたからこそ――」
「あのヤミナが仕事しなきゃならなくなった、ってワケだろうよ」
ジョニーの言葉に続けて、トビはピースを埋め合わせるように答える。
ヤミナ・ハイドがこの期に及んでジョーカーとして動き出してたことから、薄々感づいていたことだった。
「――――脱落王。今のアンタから見て、ヤミナはどうだった」
システムAの親機によって、超力が紡ぐベールの裏側を認識できるようになった。
だからこそジョニーは、“ヤミナと暫く行動を共にしていた"トビへと問いかける。
「ありゃあ、超力にかまけてやがる」
対するトビは、きっぱりと断言する。
侮りではなく、客観的な分析として。
「銀鈴って居ただろ?オレ様は第一回放送前に遭遇したきりだがな」
「……あの銀髪のお姫様か。よおく覚えてるさ」
「あいつがシステムBに介入して無茶苦茶な力を使ってたって話は聞いたが。
オレ様が対峙した時は、少なくともまともな超力なんざ使ってなかった」
トビは振り返る。かの銀月の女を。
第一回放送前、ブラックペンタゴンへと突入する直前。
内藤 四葉と宮本 舞衣との交戦中に現れた秘匿受刑者――銀鈴。
その死に様については、第三回放送前の呉越同舟の合間で既に聞いている。
「銀鈴にはあらゆる気配が無かった。
ヤツは何の前触れもなく、オレ様達の前に現れた。
何の殺意も見せることなく、ヨツハに刃を突き立てていた」
銀鈴は超力と呼べる異能を行使せず、代わりに“極限まで気配を絶っていた”。
そこに居る筈なのに、一切の察知や先読みを許さなかった。
異常な威圧を放ちながらも、まるで亡霊のように希薄な存在感という矛盾。
「大方、特殊な超力だけに頼らない為の“技術"ってヤツだろう。
力の使えない状況に備えて、自分の気配を殺す立ち回りを身に付けていたんだろう」
そこに存在するにも関わらず、周囲に気取らせない。
直感や察知をも掻い潜り、こちらの認識を欺いて不意を突く。
それはある意味で――あのヤミナにも通じる。
トビと言えども、銀鈴の気配遮断の原理を正確に見抜くことは出来ないが。
しかしあくまで肝心なことは、銀鈴の技術の全容ではない。
同系統の術理を比較に出すことで、ヤミナの能力を推し量れることだった。
「対するヤミナだが、アイツに技なんざ無かった。
身のこなしも振る舞いも、明らかにド素人だ。
鍛錬なんか積んでるようには全く見えなかった」
先に述べた通り、ヤミナの超力は銀鈴に通ずる。
しかしヤミナに銀鈴のような技量などない。
これまでの振る舞いは素人同然。身体能力もそう大したものではない。
自らの異能を活かす為の修練を行なっているようには到底見えない。
「本当は冷酷だった大悪党が、今までまんまと猫被ってた?
ヤツがジョーカーだったことを思えば、確かにそれも間違いじゃねェ。
だが、これまでの挙動が全て嘘かっつったら――オレ様にはそうは思えねェよ」
第一回定時放送後より、トビは暫くヤミナと行動を共にしていた。
その挙動や行動を間近で見ていたからこそ、彼は断言する。
「アイツは弱い。そいつはれっきとした事実だ」
刑務に消極的な受刑者、あるいは反抗的な受刑者の抹殺。
それは本来なら“暴力装置”である被験体が担うべき仕事である。
そして奴は実際に、サリヤ・K・レストマンを排除している。
被験体に与えられていた役目は、恐らくブラックペンタゴンの門番だけではない。
あの生命力と身体能力は、寧ろ“追跡者”になってこそ最大限に発揮される筈だ。
奴が征十郎らに食い止められることなく、脱獄組へと襲撃を仕掛けていたとすれば。
全滅を免れたとしても、恐らくは一定の損害を受けていただろう。
――本来なら、ヤミナに出る幕などない筈だ。
役目があるとしても、疲弊した脱獄組に追い打ちを掛ける程度の仕事だろう。
しかし被験体が脱獄集団に損害を与えぬまま倒され、こうしてヤミナが動き出した。
それも“北西で首輪解除を果たしたメリリンの抹殺”という大役まで背負って。
確かに自分達の隙を完璧に突いたことは凄まじい。
だがそれを加味しても、ヤミナが主催側の本命の切り札とは考えづらい。
純粋な脅威としては、呉越同舟の同盟軍をも追い詰めた被検体の方が遥かに上なのだ。
特にジョニーは、あの怪物と直に対峙したからこそ理解している。
十中八九ヤミナは、被検体の脱落を受けて駆り出されることになった“保険的な要員"。
逆を言えば――本命である被検体を失ったからこそ、アビスは見劣りも甚だしいヤミナを使っているのだろう。
あのヤミナを頼らざるを得ない状況とは、誰の目から見ても異常事態だ。
ヤミナは弱い。超力に頼り切っているだけだ。
それは間違いのない事実であり。
しかしだからこそ、確かなことが浮かび上がる。
「その“弱いヤツ”が、誰にも自分の尻尾を掴ませなかった」
「ああ。だからあのバカはヤバいんだ」
ヤミナは超力一つだけで、あの呉越同舟を完全に欺いた。
只野仁成を仕留める瞬間まで、誰にも悟らせなかった。
そう。誰一人とて、ヤミナを“警戒”しなかったのだ。
「アイツはネイティブと同じ……いや、もっととんでもねェかもしれねえ」
トビはその事実を噛み締めて、悔しげに呟く。
この局面に至るまで、己でさえもヤミナに注意を払えなかった。
銀鈴にさえ一矢報いたトビにとって、それは屈辱だった。
「超力があいつを生かしてる、超力だけで理屈を歪めてやがる。
技術だの立ち回りだの、小細工なんざ一切介在してねェ。
超力ひとつで、アレを成し遂げやがったんだ」
――ヤミナの超力は、まさしく異常だった。
自身を取り巻く他者の認識を、徹底的に歪めていた。
アビスに収監された悪童達でさえも、その本質を見抜けなかった。
ただそこに居るだけで、真っ当な理を狂わせてしまう。
凄まじい超力の強度によって、世界の在り方を捻じ曲げてしまう。
そうして彼らは、等しくヤミナを甘く見る。
こいつは大した脅威じゃないと、そんな油断を植え付けられる。
「ある意味での――――怪物ってヤツだ」
ヤミナは弱い。その上で、確かに脅威である。
トビは忌々しげに、道化師を振り返った。
ジョニーもまた、静かに頷く。
怪物。ああ、その通りだろうと。
自分達は、ずっと背後に彼女を歩かせていたのだ。
誰もがその脅威に気づかず、此処まで野放しにしていた。
その結果が、先の顛末だった。
「ヤツは仁成を殺った。それも肉体を吹っ飛ばす程の手傷を与えてな。
確実にアビスから武装面で何かしらのバックアップを受けてやがる」
粛々と分析するトビの言葉を耳にして。
ジョニーの脳裏に、“彼”の顔が浮かぶ。
自らに未来を託した、あの青年の眼光が。
只野 仁成。彼はもう、この世にはいない。
波の音が、頭の中で反響を繰り返す。
鮮烈なまでの海色が、記憶に焼き付く。
あの日。あの遠い記憶。故郷を失い、家族を失った旅路。
何かを求めて、失い続ける。
希望へと伸ばした手は、虚空だけを掴む。
潮の満ち引きのように、悲壮は幾度も訪れる。
仁成は何を思い、何を遺していったのか。
記憶の中に宿る眼差しが、それを物語る。
それ故にジョニーは、己の無力を噛み締める。
そう。無力を感じていた。
手の届かぬ己の歩みに、虚しさを抱いていた。
鉄の騎士もまた、地図上の生存者を確認している。
淡々と映し出された情報を、その意識に焼き付けている。
誰が生きて、誰が散っていったのか。
俯瞰的に示される光点が、それを淡々と突きつける。
「仁成は死に――エンダ・Y・カクレヤマもくたばった。
誰が死のうが、もう不思議じゃねえ」
――――“ジョニーさん……どうか、頼みます……"
トビの言葉と重なるように。
錆びた脳裏に、仁成の最期が過ぎる。
――――“エンダのこと……他の人達の……こと、どうか"
死に際に遺した祈り。
生きる者達への、最後の願い。
その希望さえも、摘み取られたのだ。
彼が未来を望んだ少女。ヤマオリ・カルトの巫女。
エンダ・Y・カクレヤマもまた、この世を去っていた。
「……ああ。そうだな」
鉄の騎士は、ただ静かに呟く。
何かを失い続ける旅路に、打ちのめされるように。
誰もが魂の浄化を求めて、彷徨っていた。
誰もが未来を希求して、何かを紡ごうとした。
彼らは報われたのか。あるいは、何も得られなかったのか。
仁成達は、果たして救われたのか。
その答えは、神だけが知る。
しかし神は、今も沈黙を貫いている。
◇
開闢の日を迎えて、世界は変わった。
飢える者達、貧しい者達、救われぬ者達。
ネオスという祝福を与えられた彼らは、期せずして“暴力”という手段を得たのだ。
そうして生きる道を求めた弱者達は、自らの意思で死へと肉薄した。
開闢によって、世界に可能性が振り注いだ。
弱者にも等しく“異能の力”が与えられた。
それは果たして、天からの救済だったのか。
あるいは、人間を見放す呪縛だったのか。
神は何も語りかけない。何も答えてはくれない。
難民の少年少女達は、次々に居住区を去っていった。
変わらぬ貧困から抜け出す為に、ネオスという暴力の切符を使う道を選んだからだ。
開闢黎明期に世界各地で出現した彼らのような若者達は、その後のネイティブ・ギャングへと連なっていった。
彼らは悪徳へと身を投じていった。
そのまま犯罪で食い繋ぐことが出来ればまだ幸運。
大抵の者は暴力の連鎖によって野垂れ死ぬか、生命活動の燃費を賄えずに衰弱死するか。
あるいは、犯罪組織に捕らわれて――ヒトとしての尊厳を失うかである。
そんな中で、バラカは難民居住区に残り続けた。
アフリカ諸国は今なお政情不安による凄惨な争乱が続いている。
バラカにとって、もはや居住区だけが“帰る場所”だった。
隠れ家(ハイドアウト)と蔑まれるこの地域こそが、故郷を失った青年にとっての拠り所だったのだ。
“金属を自在に取り込む超力"に目覚めたことで、バラカは鉄屑や廃材を掻き集めるようになった。
塵の山の中から“売れそうなもの”を超力で掘り起こし、スラムのジャンク屋に持ち込んで金に換える。
それがバラカにとっての主な生業となった。
大抵は些細な稼ぎだったが、少なくとも生活の足しにはなった。
難民にまともな就労先は無い。
雀の涙のような給付すら頻繁に滞る。
だから違法な労働で何とか食い繋ぐ者が後を絶たない。
そんな環境だから、誰も彼もが犯罪へと駆り立てられていく。
自分よりも若い子供達が、暴力(ネオス)によって可能性を見出そうとする。
だからバラカは、いつかは“居住区”で暮らす難民の状況を変えたいと思っていた。
けれど今はその道筋さえも分からない。廃材を集めて、何とか金を稼ぐことしか出来ない。
廃材漁りをしたりジャンク屋に通ったりする中で、バラカは頻繁に居住区の外へと出歩いた。
掻き集めた鉄屑を運び歩き、時おり絡んできたチンピラを返り討ちにしたりして。
気がつけば、スラムで存在を認知されるようになっていた。
“ハイドアウトのバラカ”――そんな風に呼ばれることもあった。
バラカにとって、ハイドアウトとは嘲りや蔑みの名前ではなかった。
帰る故郷を失った青年にとって、そこは“第二の故郷”だったからだ。
今日もいつも通りだった。
廃材の瓦礫を漁って、売れそうなものをジャンク屋まで持ち込む。
少しでも金になれば儲け物、値打ちすら付かなければ骨折り損。
バラカにとって、ごく当たり前になっていた日常のサイクルだった。
『バラカ。これやるよ』
すっかり顔馴染みになっていた“ジャンク屋の店主”が、藪から棒に何かを手渡してきた。
『アメリカのヒーローコミックさ。
暇つぶしにゃ持ってこいだろうぜ』
禿げ頭の店主は、髭をたっぷり蓄えた口元でニヤッと笑う。
唐突に差し出された漫画本を、バラカは呆気に取られたように見下ろしていた。
『まだ若ェんだから、たまにはマンガくらい読めよ。
お前、ちゃんと字も読めるしな。珍しいもんだ』
――俺はガキじゃない。もう18だよ、と。
バラカは反論してみるが、店主は可笑しそうな反応を示すばかり。
『俺からすりゃ十分ガキだよ、アフリカの坊や。
ろくに遊ばず仕事して、暇になりゃ聖書ばっか読んでんだろ?
粋じゃねえな。そんなんじゃ石頭になっちまうぜ』
どこか揶揄うように言ってくる店主。
余計なお世話だ、と喉から飛び出しかけたけれど。
結局バラカは何も言わず、漫画本を見下ろしていた。
粗野な態度で振る舞ってはいるが。
この店主は、何かと自分を気に掛けてくれる。
あれやこれやとお節介のような言葉を投げてくる。
顔馴染みになった自分のことを、相応に案じてくれている。
それを薄々と察していたから、バラカは彼の言葉を飲み込む。
――このマンガ、人気あるの?
バラカは店主にそう聞いた。
『うんにゃ、知らねえし聞いたこともねえ。
ゴミに紛れてたんで暇潰しに読んだだけだよ』
俺は結構楽しんだがな、と店主は愉快そうに笑う。
曰く、ゴミとしてそのへんに捨てられていたらしい。
恐らくは安く売り飛ばされた中古品だろう、と。
店主は、バラカと漫画を交互に眺めている。
『お前の超力見てて、こいつみてェだなって思ったのさ』
表紙をパンパンと軽く叩きながら、店主はバラカへと漫画を突き出す。
如何にもアメリカン・コミックらしい濃い絵柄。マッシヴなキャラクター。
表紙を飾るのは、金属の肉体を持つマッチョな主人公。
『粋な伊達男、ハードボイルドなタフガイ。
鋼鉄の肉体(ボディ)が自慢のクールなヒーロー』
店主は、その主人公の“謳い文句”を唱えた。
海を越え、僻地へと流れ着き、ゴミとして捨てられていた漫画本。
廃棄品(スクラップ)も同然に埋もれていた英雄活劇。
気紛れに掬い上げられたそれは、難民の青年へと渡される。
『その名も――――“鉄人ジョニー”だ』
表紙に描かれた“全身鋼鉄のスーパーヒーロー"。
その異様にして堂々たる風貌を、ハイドアウトのバラカはじっと見つめていた。
『読み終わったら聞かせろよ、感想をな』
怪訝に眉を潜めながらも、何処か好奇心を抱くように。
バラカは、その漫画本を受け取った。
この出来事から5日後。
バラカの住まう居住区に警察隊が突入した。
特定地域における難民の強制排除が決定したからだ。
故郷なき青年は、再び“帰る場所"を失った。
◇
◆
「なあ、脱獄王」
「あン?」
「神って居ると思うか?」
藪から棒に出てきた言葉。
ジョニーからの問いかけに、思わず怪訝な表情を見せるトビ。
だが――その身から滲み出る感情を、何処かで感じ取ったように。
トビは微かに沈黙してから、口を開いた。
「いるに決まってンだろ。だから死は平等なんだよ」
それは、トビにとっての率直な見解だった。
嘘偽りのない思想。彼の目に映る、世界の在り方である。
「人間はいずれ死ぬ。オレ様たちゃいつかは終わる。
どれだけ“死にたくねえ"って喚こうが、絶対に死は追いついてくるンだ」
この世は“刹那の享楽”に溢れている。
己を高揚させる“束縛”と“不自由”が転がっている。
だからトビは挑む。脱獄という快感に身を委ねる。
しかし、その悦びは永遠ではない。
こんなにも楽しい世界だというに、いつかは終わりを告げる。
仮にどれだけ生き延びようとも、最後は老いて死を迎えるのだ。
「それこそ――欲深い人間共に、神が与えた罰ってヤツだろ?」
こんなにも理不尽な現実が待ち受けているのだ。
それが神の仕業でないというのなら、一体何だというのか。
トビにとって、それは紛れもない天罰であり。
神がこの世界に存在するという、確固たる証拠だった。
「……そうか。そうかもな」
その潔さすら感じるトビの持論に、ジョニーは思わず苦笑する。
やはりこの男は、アビスに放り込まれるだけあるのだと。
鉄の騎士は、それを改めて理解する。
「アンタみたいに吹っ切れりゃあ、楽だったかもしれねぇな」
そうしてジョニーは、静かに呟き始める。
神の沈黙する世界を、振り返りながら。
「俺は、いつだってそうさ。どいつもこいつも失うんだ」
幼き日の記憶。今も鮮明に蘇る過去。
故郷が戦火に包まれ、難民として生きることを余儀なくされた。
――あの頃から、ずっと同じだった。
「何かを掴もうと藻掻いても、色んなモンを取り零しちまう」
彷徨い続けて、そして失い続けている。
守りたいものも、繋ぎ止めたかったものも。
次から次へと、この掌から落ちていく。
「何かをしくじっても、結局この世界は回り続ける。
“何もかも忘れちまえよ”って言われるみたいにな」
そうして失い続けても、世界は変わらない。
冷徹なまでの仕組みが、粛々と続いていく。
「クソッタレなもんだよ。この世界はな」
答えは見つからず、希望の果てには辿り着けず。
神は迷える者達に、何の導きも与えない。
「それでも俺は、廃材(スクラップ)の山を漁り続けてるんだ」
そんな屑箱の底に、“何か”があると信じていた。
この歪んだ世界の何処かに、“それ”があることを願っていた。
「世界はまだ捨てたモンじゃない。そう信じられる証を掘り起こす為に」
怪盗ヘルメスが、最期まで希望を信じ続けたように。
彼もまた、世界を信じるための証を求め続けている。
「だが……ままならねえな、本当に」
それでも、上手くは行かないものだ。
世界は活劇でもなければ、漫画でもない。
如何に理想を抱こうとも、報われるとは限らないのだ。
ジョニーは力無く、疲弊と共に苦笑いする。
――――まともじゃいられなくなった。
――――だから、こんな姿を選んだのだ。
己の歩みに、果たして価値はあるのか。
その答えは、未だに見つけられていない。
希望のない世界だというのなら。
せめて己は、何かを演じたかった。
失われていく過去を、未来へと紡ぎたかった。
だから彼は、ジョニー・ハイドアウトを名乗る。
「ハッ」
そんなジョニーに対し。
トビは何の遠慮もなく、嘲るような笑いを零す。
「シケてやがるなァ、鉄の騎士さんよ」
傲岸に、ふてぶてしく、トビは吐き捨てる。
その表情には、不敵な笑みが張り付く。
「てめェらしくねえ弱音なんざ吐きやがって」
その言葉に、慈悲深さも寄り添いも無い。
まるでジョニーを試すかのように、その悲壮を突き放す。
「で?――そいつは、ゲームを降りる宣言かい」
それは“鉄の騎士”に対する蔑みではない。
ましてや彼に対する失望でもない。
――――お前はまだ戦えるのか、否か。
トビが問いたいのは、ただそれだけだった。
「いいや」
その意図を理解したからこそ。
ジョニーは、迷わずそう答えた。
「やるさ。それでも、やるんだよ。
いや……だからこそ、やらなきゃならねえ」
己を鼓舞するように。奮い立たせるように。
鉄の騎士は、噛み締めるように呟く。
自らの成すべきこと、背負ってきたもの。
それらを省みて、静かに拳を握り締める。
「俺はもう神を信じていない。神なんざ信じられない」
繰り返される諦念と絶望。
この身に伸し掛かる疲弊と虚無。
答えの見つからない、あの海のような旅路。
何度だって打ちのめされた。幾度となく膝を突きかけた。
だがそれは、己が諦めていい理由にはならなかった。
彼の脳裏に、“伝令の鳥”が颯爽と翔ぶ――――。
「それでも……確かな証が欲しいんだよ。
誰かの祈りに報いを与える、神の祝福ってヤツをな」
どれだけ哀しみに満ちた世界であっても。
己がとうに神への信仰を失っているとしても。
それでもジョニーは、奇跡の証明が欲しかった。
この世界は――“帰る場所”に値するのだと。
鉄の騎士は、その証を求め続けていた。
だから彼は、今も彷徨っている。
廃材に溢れた山で、理想を探し求めている。
「だったら」
そんな彼の答えを聞き届けて。
トビは、ニヤリと笑みを見せる。
「やるしかねェよな、伊達男(ブラッド・ピット)?」
自らの決意を示した“鉄の騎士”を後押しするように。
粋なセリフで、トビは彼へと投げかける。
「――――ああ。やってやるさ」
そんなトビへと、ジョニーは確固たる意志で応えた。
仁成やエンダ、そしてルメスの生き様を、その弾倉(きおく)に刻み込んで。
鉄の騎士は、舞台へと立ち続ける決意を固める。
これまでも、多くの者達が散っていった。
きっとこれから先も、犠牲を払うことになるだろう。
脱落と叛意を経て、脱獄同盟(オーシャンズ)も着々と数を減らしている。
それでも、自分達はまだ生きている。奔り続けている。
ならば、最後の瞬間まで足掻き続けるだけだ。
◆
そして――そんなやり取りを交わした直後。
デジタルウォッチへと視線を向けたトビが、突然目を見開いた。
何かに気付いた様子で、その瞳に驚愕の色を宿していた。
「おい脱獄王、どうした?」
「……ヤミナの位置表示が消えやがった」
そう、地図上からヤミナの現在位置が突如として消えたのだ。
灯台方面への移動と並行し、トビ達が追い続けていた光点。
確かに会場内に存在していたはずの印が、ぷつりと途絶えた。
まさか、脱落したのか。
一瞬そう考えたが、ヤミナの死を告げる表示は一切映し出されていない。
そもそも彼女は、現在位置の動向からして他の受刑者とも接触していない。
そんな状況下で、何の脈絡もない死を迎える筈がないのだ。
一体なぜ。何が起きている。
そんな思慮に耽った矢先。
トビは、一つの可能性に辿り着く。
ヤミナは、あらゆる存在からナメられる。
世界屈指の悪童達でさえも、彼女の超力の影響下に置かれる。
仮にその異能が、人間以外にも作用するとすれば。
概念干渉型の超力ならば、俄に信じ難いが決して不可能とは言い切れない。
「あの野郎、まさか……」
トビは思わず、忌々しげに呟いた。
それが確かであるのならば、文字通り予測不可能だ。
――――“現在位置、映す価値なし"。
――――そう、機械にすら侮られたのだ。
この刑務に従事させられる者達は、いずれも世界最高峰の超力行使者ばかりである。
木っ端の三下として侮られるヤミナ・ハイドでさえ、当然例外ではない。
認識阻害。概念干渉。相対する他者の意識を等しく蝕み、法秩序にさえも影響を及ぼす。
ヤミナの超力強度は、群を抜いている。
彼女の異能は、世界を悠々と侵食するのだ。
【F-6/山岳地帯(移動中)/一日目・夜中】
【トビ・トンプソン】
[状態]:健康、侮り解除、タグ解除
[道具]:H&K SFP9(12/20・永遠付与)、ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック、只野仁成の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱獄する。例えそれがヴァイスマンの思惑だとしても。
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.システム攻略へと挑む。
※デイパックの中に北西ブロック3階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。
※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。
※AG-1の支援により、生存者の現在位置が把握可能です。ヤミナを除いて。
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:疲労(小)、ヤマオリ、永遠、侮り解除、タグ解除
[道具]:デイパック、紗奈のシステムAの手錠
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています
※ヤマオリの遺物を取り込みました、永遠が付与されています
※右腕には脇差、サバイバルナイフ、剣ナタ、スレッジハンマーが取り込まれています
※左腕の銃器の弾数はグレネード(0発)、ハンドガン(5発)、アサルトライフル(20発)、スナイパーライフル(0発)
※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。
※AG-1の支援により、生存者の現在位置が把握可能です。ヤミナを除いて。
◆
――――システムC・子機。
超力の根源である魂を“情報化”する親機を介し、複製された超力の行使を実現する装置である。
親機さえも未だ実験段階にある上で、アビスは試作品である子機の投入へと踏み切った。
システムCにまつわる本来のテスト要員である被験体:Oは、刑務最終盤前に撃破された。
それ故にアビスは“保険”のジョーカーを行動させ、同時に子機の試験運用役を彼女へと担わせたのである。
前述の通り、システムC親機は人間の魂を“情報”として記録する。
そうして収集した記録を基に超力を複製し、本来は個々人にのみ宿る超力の“規格的な運用”を実現するのだ。
それはシエンシアの研究が生み出した人造超力『我喰・回転式魂銃(ナガン・リボルバー)』の完成系である。
万人による異能の平等的な運用――そうした理念の結実と言える技術だった。
スプリング・ローズ。無銘。内藤 四葉。
ソフィア・チェリー・ブロッサム。ルクレツィア・ファルネーゼ。
エルビス・エルブランデス。ジェーン・マッドハッター。本条 清彦。
ジェイ・ハリック。ディビット・マルティーニ。夜上 神一郎。
以上が、システムC親機によって超力を複製された面々。
いずれもブラックペンタゴン内部で死を迎えた面々――正確には実存的な死を迎えた者達――である。
彼らの超力はヤミナの所持するシステムC子機を通じて、一時的な出力を行うことが可能となっている。
ただし、現状では技術の枠外にある“超力第二段階”の複製を行うことは出来ない。
ジェイ・ハリックの予知能力、すなわち超力とは別軸の異能も同様だ。
使用者の適合性に大きく左右されるシステムCの原型技術、ナガン・リボルバーも実質的に使用不可能だ。
本条 清彦に関しても、複製可能なのはあくまで彼本来の超力――気配希薄化の異能『飢える愛に影はなく(イズ・ディス・ラヴ)』のみである。
そして、他にもシステムの枠外に存在する超力がある。
正確に言えば、本来の使い手以外の何者にも制御を許さない超力である。
「オゴゴゴーーーッ!!!!」
只野 仁成の殺害を経て、複製超力を駆使して移動を行なった後――。
草原へと通じる岩山の麓にて、ヤミナ・ハイドはゲロを吐いていた。
不純物まみれの胃液を地面にぶち撒けていた。
「ブボボボーーーッ!!!!」
ヤミナはシステムC子機の円滑な運用のため、複製された超力の情報を提供されている。
なので試しに銀鈴の超力――『檻の中の魔神』を複製できるか試したのだ。
理由は単純、なんだかめちゃくちゃ強そうだったからである。
システム本体の記憶領域へとアクセス、インストール完了。
――その直後、ヤミナは激しく嘔吐した。
「ウゲェェーーーッ!!!!」
それもその筈――これはあの銀鈴の超力である。
人類の究極と呼べる魂を持ち、人体実験によって“真なる怪物”へと昇華された魔神の異能なのだ。
例え領域外では十全な効果を発揮しないと言えど、その超力は俗人の手には余る特級の呪物である。
「アバババーーーッ!!!!」
それ自体が劇薬。それ自体が災厄。生半可な者が下手に踏み込める代物ではない。
そもそも使用できるか否かではなく、常人に触れられるか否かという域である。
その超力の断片に触れたヤミナは、腹の底から湧き上がる壮絶な拒絶反応に襲われた。
「ゲホッ……ゲホッ……オゲッ……」
仮に子機を介した出力ではなくヤミナ自身が銀鈴の超力を行使していた場合、彼女は瞬く間に廃人化していただろう。
こうしてゲロを吐いてのた打ち回る程度で済んだのなら、寧ろ幸運と呼べるのだ。
「ふ……ふぃー……ふぃー……や、やっば……」
一頻りゲロを吐き終えた後、ヤミナは警備服の右袖で口元を拭う。
ゴシゴシと拭ったせいで袖に染みがこびりついている。汚いなこいつ。
「触らぬ神にナントカ……的なヤツっすか?これ……」
まだうら若き乙女だというのに、ゲロを吐く羽目になるなんて思ってもみなかった。
ただ殺し合いに参加してるだけなのに(?)、こんな目に遭わせなくったっていいだろうに。
ようやく収まった吐き気に安堵しつつ、ヤミナはそんなことを図々しく思う。
「ふへぇいいぃーーーー…………おふぅ…………」
妙な深呼吸で調子を整えながら、のそのそと立ち上がるヤミナ。
すぐさま複製超力を切断したおかげで、重篤な悪影響は避けられたようだ。
微かに尾を引く吐き気を堪えつつ、ヤミナはデジタルウォッチを操作。
気晴らしになにかで喉を潤したい。
そう考えながら交換リストを閲覧。
シャシャッと選んで、迷わず5ptを消費。
――ヤミナの足元に、発泡酒が落ちてきた。
500mlの缶が一本、ストロングな度数である。
嘔吐直後にアルコールとか大丈夫なのか、などという常識は蹴飛ばした。
そのまま彼女はプルタブを開けて、迷わず酒を呷った。
ぐぴ、ぐぴ、ぐぴ――と豪快に飲みまくる。
喉を鳴らし、ツンとした酒の匂いと苦味を楽しみ。
そのまま勢いのままに飲み干して、ひょいと缶を投げ捨てた。
「ぶへぇ〜〜〜…………生き返ったぁ…………」
二日酔いの親父のようにボソリと零しながら、頭をポリポリと掻くヤミナ。
彼女は意外と酒に強い。こんな飲み方をしても、顔がほかほかする程度である。
娑婆でもつらいことがあったら、とりあえず気晴らしに安酒を飲んでいたのだ。
おかげでスッキリ爽快。何故かアルコールで嘔吐の不快感を吹っ飛ばした。
アルコールの温もりで上機嫌になりながら、ゆらりと佇むヤミナ。
呑気に突っ立って不用心に動くその姿は、側から見れば歩くマトそのものである。
今すぐ私の頭をブチ抜いてください、と言わんばかりの佇まいだ。
幾らなんでも図太すぎる。自分が追われる身であることを分かっているのか?
彼女は別にプロのエージェントでもなければ、何らかの訓練を受けている訳でもない。
動きは素人そのもの。立ち回りも気まぐれ。悪鬼羅刹の強者達とはまるで格が違う。
こんな弱者が第三回放送をも乗り越えられたこと自体が奇跡と言えよう。
運だけで死線の数々を潜り抜けたことは、紛れもなく凄まじい。
尤もそれだけで最後まで生き延びられるほど、地の底の刑務は甘くはない。
じきに運も尽きることだろう。彼女の死も時間の問題だろう。
我々も今のうちに彼女の冥福を祈ってあげるべきかもしれない。
――――いやいやいや。もっとちゃんと説明してくださいよぅ。
え?仕方ないなあ。わかったよ。
面倒臭いが、説明することにしよう。
まさしく弱小受刑者のヤミナ・ハイド。
そんな彼女が、何故ここまで生きられているのか。
そして今まさに、何故こうも不用心な動きをしていられるのか。
ネイ・ローマンが見抜いたように、ヤミナの超力は本条 清彦と同系統の異能である。
周囲から徹底的にナメられる。それは即ち、自身の存在を極限まで軽くすることを意味する。
ヤミナの超力『私は哀れな被害者です(ワールドハッキング)』。
周囲の認識を改変し、自身の存在を希薄化する常時発動型の概念干渉能力だ。
生命活動と異能が常に直結しているヤミナは、根本的にその気配を悟られにくくなっている。
軽く見られるから、例え不用心でも何故か生き延びられる。
相手にされないから、非合理的に動いても何故か無事でいられる。
根本的にナメられているから、存在さえもひどく希薄に感じてしまう。
ヤミナはいつだって悪運が強い。
概念さえも侵食するからこそ、彼女は不条理と同化する。
そして今のヤミナは、システムCの洗礼を受けている。
バルタザール・デリージュとの交戦で、交尾 紗奈がシステムCの影響下で超力を強化させたように。
子機を備える彼女もまた、システムの干渉によって自らの超力強度を高めていた。
――その結果が現在位置探知の遮断である。機械をも欺き、侮らせたのである。
逃げに徹するヤミナを捉えることは、何の変哲もない石ころを正確に探し当てるような行為だ。
システムA本体によるリセットを経たトビとジョニーでさえも、彼女の足取りを追うのは容易ではない。
ただ突っ立っているだけなのに、ヤミナは他者の目には“どうでもいいもの”として映る。
それを当人が理解しているのか、理解していないのか。
その答えは、彼女自身にしか分からないが――たぶん今は大丈夫だろうという、無自覚の自信があった。
そういう“なんとなく”に従ってきて、これまでも何とかなってきたのだから。
「ん」
そうしてヤミナは、ふいに目を凝らす。
不用心なまま、能天気に“人影”へと視線を向ける。
数十メートル、いや百メートル以上は離れているか。
起伏に富んだ足場の関係もあって、正確な距離感は掴めない。
ともあれ彼女は、岩山の麓へと足を踏み入れる“二人組”を目撃した。
ヤミナは岩場の陰にのこのこと座り込んで、草原から山岳へと踏み込んでいく二人の受刑者をじっと見つめる。
遠目で視認し辛い状況ではあったものの、遮蔽物のない岩場ゆえに月明かりが来訪者達の姿を仄かに照らしてくれた。
通り過ぎていく二人組は、スーツを着たサムライのような男と、チェスターコートを纏った気品漂う青年だった。
一定の距離を取っていることもあるとはいえ、彼らはヤミナの存在に一切気付かない。
認識阻害の超力によって、ヤミナの気配は彼らの意識外へと置かれている。
ヤミナは緊張したまま間抜けな顔で息を止めて、じぃっと目を凝らす。
(あれって……確かハグリッド、いやベネディクト……?)
エネリットである。忘れるな。
ヤミナはクソボケではあるが、流石に彼の顔は覚えている。
ブラックペンタゴンの連合軍で場を仕切っていたのを見ているからだ。
何故あの二人が行動を共にしているのか。
いったい何の為に山へと登ろうとしているのか。
ヤミナに理由は分からないし、特に興味もなかった。
不意でも突いてみようか、なんて考えたけれど。
“たぶん厳しいよなあ”と、ヤミナは早々に諦めた。
あの強かな王子様もそうだが、隣のサムライ――征十郎にまでいっぺんに喧嘩を売る羽目になるのはちょっと良くない。
それは強者に媚び続けてきたヤミナの直感であった。
そもそもヤミナは首輪解除を果たした受刑者を始末せねばならないので、どのみちエネリット達に構ってる暇はなかった。
――――手伝いとか頼めるかな、なんて思ったけど。
――――なんか手ぇ貸してくれそうな雰囲気でもないよなあ。
山を登っていく二人の雰囲気からして、ヤミナはそんなことを思う。
彼らはわざわざ会場中央の円周部から外れて、外側の山岳地帯まで移動してるのだ。
多分もう他の受刑者を攻撃しようとか、そういう立ち回りをしてくれる段階ではない。
尤も、どのみち無理だろうなあ――というのはヤミナ自身も薄々察していた。
一緒に他の受刑者攻撃しませんか、なんて頼み込んだところで適当にあしらわれるのがオチである。
ヤミナは基本的に“対等な利害関係”を結ぶことが出来ない。
超力の悪影響によって常に他人にナメられるからだ。
どう足掻いても価値を低く見られるからこそ、取引の壇上に乗ることが出来ない。
他の受刑者達が当たり前のように行っている損得勘定の恩恵に預かることがほぼ不可能なのだ。
だからヤミナはこの刑務でも、ずっとコバンザメのような立ち回りに徹していた。
今のヤミナはひとりぼっちだ。
けれど、一人だからこそ気楽である。
そんな束の間の一時を、ヤミナは楽しむことにした。
――まあ、状況次第では前言撤回するかもだが。
ヤミナはエネリット達を尻目に、ひょいとその場から再び動き出す。
デジタルウォッチの地図でトビ達との位置関係をさくっと把握しつつ。
悠々と歩きながらシステムCの子機を発動し、超力をインストールする――。
「実行、『紅狼(ブルーム・ヴォルフ)』」
真紅の人狼、スプリング・ローズの超力。
その限定的発動により、ヤミナの両足が強靭な狼脚へと変貌する。
瞬発力と脚力の大幅な増加を果たし、そのまま草原を勢いよく突き進んでいく。
そうしてヤミナは、夜の闇へと溶け落ちていく。
今の彼女は強者の太鼓持ちでもなければ、連合(オーシャンズ)の一員でもない。
たった一匹の、地を這う奇妙な毒虫だった。
開闢を迎えた日から、ヤミナ・ハイドはずっと孤独である。
両親。級友。知人。その他エトセトラ。誰も彼もがヤミナを適当にあしらう。
誰にも顧みられないからこそ、彼女は誰も顧みない。
彼女は皆に軽んじられるから、何も大切にしたことがない。
そんな彼女の欠落が、世界を歪める力として存在し続けている。
優しさとは、憐れみと表裏一体だ。
慈しみとは、時に不均衡へと繋がる。
侮りとは、実態さえも狂わせてしまう。
誰もが彼女に等しく甘いということは。
誰もが彼女を軽く見ているということだ。
だからヤミナは、歪んでいる。
楽観的で、無責任で、罪の意識に乏しい。
そんな人格が形成されたのだ。
果たして彼女が悪なのか。力こそが悪なのか。
きっと、そんな問いも意味を成さないのだろう。
それを考えるには――――もう遅すぎた。
◆
――――誰かがあたしをずっと見てる。
――――いっつもあたしをナメくさってる。
――――それが誰なのかはよくわからないけど。
――――頭の中で、なんとなく感じ取れてしまうのだ。
――――見られてる気がするんだよなぁ。
――――もしかして、神さまなんかな。
――――神さまからもナメられてんのかな。
――――う〜〜〜ん。
――――でも、まぁいいや。
――――神さまも甘く見てくれるなら。
――――あたしはきっと、楽ちんだよね。
◆
【F-5/草原(山岳付近・移動中)/一日目・夜中】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:健康(気分悪かったけど行動に支障はない)、ワールドハッキング、ほろよい
[道具]:ハンドガン、警備員制服、デジタルウォッチ(システムC)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)、只野仁成の左腕
[恩赦P]:17pt(-5pt:発泡酒)、特権50pt
[方針]
基本.強い者(アビス)に従って、おこぼれをもらう
1.刑務官の指示に従い。刑務に反抗する者の殺害に協力する。
※ヤミナはアビスの用意していた最初のジョーカーでした。今後デジダルウォッチに指令が届きます。
以下、課せられたノルマ。
・刑務に反抗する者に12時間同行し、記録を刑務官に転送する(達成済み)。
・第三回定時放送の発令まで生き残る(達成済み)。
・刑務参加者を3名以上殺害する(1/3)。
※ヤミナのデジタルウォッチには超力構築機構<システムC> 子機が内蔵されています。
ブラックペンタゴン(システムC親機)に登録された超力(死亡済み参加者のもの)をインストールし、一時的に使用可能です。
能力の発生源はあくまで子機であり、ヤミナが直接使用しているわけではないようです。
※システムCの恩恵を受け、超力の強度に補正が掛かっています。
※超力によるジャミングが発生しており、現在位置表示に引っかかりません。他にも何かしらのハックを起こしているかもしれません。
最終更新:2026年03月31日 21:57