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【joker】ジョーカー


[ジョーク]戯け者、道化師。冗談を言う人。


〈俗〉トランプにおけるワイルドカード。

   切り札。




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 /interview 0/3 

〈刑務前記録用ボイスレコーダーより〉


『っと、およよ? なにこれ、個室? なんか一瞬で景色飛んでるし』

[……座れ。両手は机の上だ。妙な真似はするな]


 ―――(軽い衝撃音)(銃器の安全装置を外す音)(椅子を引く音)


『これミリルの超力っしょ? ひっさしぶりに体感したわ~! いえ~い、みっちゃん見てる~? ギャルだよ~』

[……黙れ、余計な口を叩くな]

『おーこわこわ、めっちゃ人いんじゃん、銃デッカ、あーしのこと警戒しすぎっしょ、ウケんだけど。てかなに用?』


 ―――(机を叩く音)(不自然な環境音の断絶)(ノイズ)


[―――以上、我々が計画した今回の刑務作業の目的、そして君に通達する提案だ]

『……はーん……ほーん……へぇー』

[受けようが受けまいが、君の刑務参加は確定している。今しがた説明した事項を刑務中に他言した場合、君の首輪は即座に起爆される事を通告する]

『あーね、なるほど~? ……ハイハイ……ほーん……はあ……サガるわぁ~』

[不満か? 勿論、協力に応じるならば、相応の特典を用意しよう。君が刑務作業に臨む上で優位に動けるよう、取り計らうことを約束する]

『それが……机上のコレってこと?』

[……ああ、だがその詳細、使い方の説明は我々の話を受けてからだ]

『ほーん、明けてびっくり玉手箱ってわけねー』

[どう答えるのが得策か、馬鹿でも分かると思うが?]

『そだねー、うん。……っぷ、はははっ―――』


 ―――(断続的な哄笑)(数度、机を叩く音)(哄笑)


[……了承、と受け取っていいか?]

『―――あ? ナメんなし』


 ―――(爆発音)(複数人の怒鳴り声)(明瞭でない会話が数十秒間続く)(ノイズ)(不自然な環境音の断絶)


[……話にならん、人選ミスだ。転送しろ]


 ―――(ノイズ)(録音終了)






 ここはおよそ人類史上、最低最悪の職場環境である。

 超力の連続使用に通電する脳細胞、明滅するシナプスの一つが、そのように訴えていた。
 聞こえないフリをして、ミリル=ケンザキは手を動かし続けている。

 アビスのインフラの中核を担う少女。世界最高峰の転移能力者は黙々と仕事を続けていた。
『無理は禁物ですよ』と言い残して、レイナード医師が退出した後も、彼女の仕事量はいっこうに減ることはなく。
 寧ろ、刑務終了が近づくにつれ、激務となる一方であった。
 なにより、つい先程発生した案件は、それは酷いもので―――

「あー、思い出すのやめやめ! 仕事仕事仕事!!」

 ぶんぶんと何かを振り払うように、少女の首が振られる。
 機械の放つ青白い光に満たされたオペレーションルームの中、ピンク色のツインテールが揺れる。
 少女は右手に握ったアルミ缶の中身(エナドリ)を勢いよく煽り、空になった缶をピンっと指で弾きながら、座っていた椅子を180度回転させた。
 空中に放り出された缶は落下を待つことなく掻き消え、少女の視線の先、ゴミ箱の直上に転送される。
 からん、と、アルミ同士の擦れる音が鳴る頃には、既にミリルの視線はモニターへと移り、上から依頼された物質転送の実行に取り掛かる。

「えーっと、なになに、車両3台、食料品7袋、機械備品5セット、タブレット端末、寝具、ぬいぐるみ……?」

 表示されたリストに、ほんの一瞬、僅かな違和感が過ぎた。
 アビスの物流にしては、少し妙な感じがする。
 というより、この頃ずっとそうなのだが、どうにもガワが大きなモノの転送頻度が多い。

 ミリルの転移能力は『ミリルが個と認識する一体』を転送する。
 例えば人を転移する場合、人とそれに付随する衣服や装飾品などを、彼女は区別せず一緒くたに転送する。
 転送対象が裸で飛ばされてしまうような事態は発生しない。

 このある意味では大雑把とも言える判定こそ、彼女の転移能力の真価の一端であるのだが、逆に言えば、彼女は送る物質の内実を解析しているわけではない。
 つまり、袋を転送してもミリルには中身が分からない。
 送られてくるリストにあるものが、本当に中身まで真実であるかは―――

「……はぁ、なに考えてんだろ、私」

 そこでようやく自分の指が止まっていることを自覚したミリルは、益体もない思考を打ち切り、人差し指をスライドさせて、待機していた転移を実行した。
 馬鹿みたいな陰謀論は考えるだけ無駄だ。
 陰謀がありえないから、ではない。陰謀なんて、あって当たり前、だからだ。

 ここはアビス、世界の深淵。
 悪の吹き溜まりにして、正義の防波堤。
 アビス刑務官、GPAから差し向けられた査察人、そして世界中から集められた超力犯罪者達、無数の思惑が複雑に絡み合う地獄の底。
 権謀術数渦巻く職場で生き抜くコツは、傍観者であることだった。

 レイナード医師に語ったように、身心を健康に保つ意味も勿論あるが、それ以上に、安全に生きていく為の指針として。
 どの派閥にも属せず、特定の誰かに過度な情を移さず、どこにも阿らない。
 ただ、与えられた仕事を実行する。全てに一線を引いた傍観者で在り続けること。
 それがミリルに求められた処世術にして、必須要件であると、知っていたのに。

「失敗したなあ……」

 今、少女の手のひらの中にある、小さなビニール用紙。
 出どころは、先程飲んでいたエナジードリンク、それの入っていた容器、つまりアルミ缶の中から。
 ミリルの能力は、転送する物質の中身を解析していない。

 これを寄越した人物は、よっぽど内密にミリルとコンタクトを取りたかったのだろう。
 告発される危険を犯してまで、メッセージを送る意図は明白だ。
 叛意、アビスは一枚岩ではない。刑務へのスタンスは刑務官の中でも十人十色。
 刑務反対者や、一部刑務作業者に対して過度な思い入れを持った刑務官がいることも承知している。


 そうした陰謀、派閥抗争に巻き込まれないための傍観者だったのだ。
 一歩引いたスタンスを徹底していた身として、本当にいい迷惑である。
 頼むから巻き込まないでくれと、切に願う心は真実だ。
 しかし―――

「あーもう、なんで……開けちゃったんだろ……」 

 少し前の自分であれば、見なかったことにして捨てていた。
 好奇心に負けて包みを解いて、メッセージを読んでしまったのは気の迷いとしか言いようがない。
 何もしなければ良いと思ってしまったのだ。告発も、協調も、何もせずに仕事に戻ればそれでいい、と。

 ヤキが回ったかな。
 そんな言葉が脳裏を過ぎる。

 あいつらのせいだ。
 思い出すのをやめようと思ったのに、結局、思い出してしまう。
 さきほどやらされた仕事。
 その為に、直視せざるを得なかった物語。

 爆光と剣閃。
 因縁の清算、断ち切られ、紡がれる永縁の繋がり。

 あんなものを魅せつけられたから。  
 変な気の迷いを起こしたのだ。

 せっかくこれまで傍観者としてやってこれたのに。
 徹底して一線を保ってこれたのに。
 どうしてくれよう、バカどもめ。

 ビニール用紙をビリビリに破り裂いてからゴミ箱に転移させる。
 揺れるな、飲まれるな、情を抱くな。現実感なんていらない。
 もう一度、自分に言い聞かせる。
 いままでも、これからも、狭い世界の中で、私は私の世界を完結させる。

 ああ、だけど―――そんな私は、どうして今、こんな場所に居るんだっけ?

 記憶が、連鎖する。
 思い出さなくて良いことが、連鎖する。
 ミリルの眼前に映り込む、在りし日の光景。
 モニターの向こうで、光に満たされていく夜の街、そして―――

「手が止まっているぞ、ケンザキ刑務官」
「うわあっ!!」

 背後から聞こえた不意打ちに、ミリルは椅子からずり落ちそうになりながら、振り返った。

「君が呆けているとは、珍しいこともあったものだな」
「……看守長」

 仰け反ったミリルの視線の先。
 オペレーションルームの入口に、漆黒の制服を身に纏う男が、常通りの皮肉げな笑みを浮かべて立っていた。




 エリアG-7、山岳地帯を越えた下り斜面の先。
 会場の外周を禁止エリアで囲まれた後においては、南東方面で侵入可能な限界地点である。
 あと僅か二時間ばかり先の刻限をもって、この先へ進む道は絶たれる。首輪という枷を嵌められた者達には。

「見ろよ。アタリ、だ」

 目の前に広がる光景に、脱獄王―――トビ・トンプソンは遂に証明を得る。
 放送によって予想は確信に変わっていたが、こうして目視するまでは空振りの可能性もまた否めなかった。
 ここを読み外しては話にならない。残り僅かな刑務期間、北西と南東、二つに張った賭けの結果はここに。

 ブラックペンタゴンにて二手に分かれ、"小屋"と"灯台"、それぞれの施設調査に臨んだ彼ら。
 刑務反抗者。深淵に反旗を翻す者達。恩赦という、差し伸べられた慈悲を拒絶し、自らの悪意によって活路を抉じ開けんとする者達。
 その内、トビが主導した南東の小屋に関しては、少なくともアタリであることが明確になったのである。
 それが証拠に、

「けどよ……こりゃあ……」

 トビの隣に立つ機械人間、ジョニー・ハイドアウトが短く呻く。
 それは決して、状況に対して肯定的な声音ではなかった。

「……難題……ですね」

 さらに、少し遅れて山岳地帯を抜けてきた只野仁成が苦みのある言葉を引き継ぐ。
 彼もまた目の前に広がる情景を見、その悪辣さに眉を顰めている。

「ひー……ほ、ほひー……ひぃー……はぁー……」

 そして最後に、仁成に背負われたヤミナ・ハイドが、口端からヨダレを垂らしながら掠れた息を吐いた。
 この女だけは特に状況を理解しておらず、自分の呼吸だけで一杯一杯になっている。
 一人だけ自分の足で走っていなかったにも関わらず、何故か一番疲れている様子であった。

 どうやら仁成の背中の上、山岳の下り斜面を駆け下りる際、顔面に受けた風圧で、一時的に呼吸困難になっていたらしい。
 恥ずべき軟弱。とんだ新人類の面汚しだが、疲れているようなのでそっとしておいてやるべきだった。

「……ああ、だが、だからこそアタリだ」

 山岳の下、四人の目の前に広がる光景。
 エリアG-8、あと二時間足らずで事実上閉鎖される島の南東端。
 施設――"小屋"。
 そこは確かに小屋であった。そう、小屋だ、小屋であったのだが―――

「まあ確かに……小屋が一つとは……書いてないもんなあ……!」

 ずらりと、均一に並べられた、小屋の郡。
 小屋と言っても内側に10畳ほどはあろうかという幅と、3メートルは超える程の高さ。
 外壁を灰色の金属板で統一した、大きめのプレハブハウスのような長方形。
 それが、様々なカタチで、かつ複雑に入り組んだ間隔で、平地にずらりと並べられている。
 僅か、地鳴りのような音が一帯を覆うように、夜を震わせている。

 山岳の高所から見下ろせば、それはパズルゲームの下手くそな者が、適当に積み上げたブロックのようだった。
 あるいはもっと端的に言い表せば―――

「……迷路かよ」
「それも、ゴール地点不明の、な」

 苛立たしげなジョニーの言、それを引き継いだトビの声は、しかし喜色を滲ませていた。
 迷路のように入り組んだ小屋の密集地帯。禁止エリア発動までという、制限時間。
 どの小屋が真のアタリであるかは不明であり、おそらく全てを調べきることは不可能であろう。

 無論、最初からアタリなど存在しないというオチもあり得る。
 それぞれの小屋の中がどうなっているかも分からない。
 もしかすると、何らかの命に関わるトラップが仕掛けられている可能性すら否めない。
 ここに来て、脱獄の手がかりを探る者達への小癪な嫌がらせなのか。


 だが、トビは口の端を歪めながら思う。
 これを仕掛けた奴は、トビの気質を分かっていない。
 いや、分かっているからこそ、なのか。

「時間は?」
「あと、1時間30分ほどですね」
「はひぃー……ひゅー……は、はへ? 着いたんですか?」

 時計を確認する仁成の背中の上。
 フラフラしていたヤミナがパチリと目を開け、周囲をキョロキョロと見回す。

「いいや、だがもう目の前だ」
「え……あれ、でも、この先って……禁止エリアなんじゃ……?
 もぉ~、みなさんちゃんと放送聞いてなかったんですか~? 禁止エリアに入ると首輪が爆破されちゃうんですよ? ほら、早く引き返しましょ?」
「ちゃんと聞いてねえのはお前だバカ。エリア適応は放送の2時間後だろうが」

 トビは眼下に広がる小屋の集合地帯を指し、状況理解の怪しいヤミナにも分かるよう、端的に趣旨を述べる。

「オレ様たちは残された1時間半っていう制限時間の中、禁止エリアに首輪を爆破される前に、あの"小屋"から成果を持ち帰る必要がある」

 チップを張ったもう一つのポケット、"灯台"の結果がどちらだったのか、今はまだ分からない。
 だが少なくとも、一つは当てた。確信と共にトビは踏み出す。

「固まって動いても効率悪ぃ。全員、分かれて探索するぞ。やり方は各自で判断しとけ。首輪をふっとばされる前に、成果を持ってここ(G-7)に戻ってくること、以上だ」
「指示はそれだけかよ、脱獄王」
「時間がねえからな。そもそもオレ様にリーダーシップなんざ期待すんなっての」

 呆れた様子のジョニーに、オレ様の根はスタンドプレイ専門なんだよ、とトビは嘯き肩を竦める。
 ともあれ、それではいざ、探索開始……というときに。

「あ、あの~」

 ふと、おずおずと手を上げたヤミナに、全員の視線が集中する。

「誰か一人くらい、ここでお留守番してたほうが良いですよね? ホラ、後で集合する時に行き違いとかあってもなんですし。
 で、良ければ、その役目、あたしが引き受けましょうか?」

「……」

「あ、そうだ皆さんの荷物も預かっときますよ!
 身軽な格好で調査出来たほうがいいでしょうし……な、なんて、へへ」

「……」

 禁止エリアに侵入する恐怖感。
 自己保身と、ものぐさな感性の臭う、愚かで怠惰な提案。
 この最終局面にいたって、脱獄を志す集団にあって、言語道断な逃亡主義。


 いやしかし、考えてみれば、この極限状態に放り込まれたうら若き女性の心情を慮れば、さして咎められる発想でもなかった。
 それに実際、別行動を取る以上は行き違いを防ぐことも大事かもしれない。
 頭から逃亡主義と決めつけてかかるのはよくない。
 とにかく、そういったヤミナの気遣いが、他のメンバーにもゆっくりと伝わったのだろう。

「……そうだな、頼めるか?」
「もっちろんですとも! このヤミナにどーんとおまかせあれ!」
「殿はジョニーか只野にやってもらおうかと思ったんだが、そこまで言うなら任せるか」
「はいっ! ……はい? え、殿?」
「ここに残るってことは、被験体に追いつかれた時は、お前が一人で引き付けるってことだろ?」
「あ」

 忘れがちだが、彼らは今や追われる身。
 放送によると、主催者の用意した脅威たる被験体Oは、全ての刑務作業者の位置情報を取得している。
 脱獄を狙う彼らを追跡してくるのは、予想の範疇と言えた。

 そう、つまりヤミナ・ハイドは、その強大な危険に正面から立ち向かい。
 身を挺して仲間を守ろうと、そう言っていたのである。

「被験体から逃げる際の保険のつもりで連れてきたが、まさかそこまで身体張る気概があるたあ感心だな」

 勇敢な同士からの提案に、トビとジョニーは少し迷った末に同意した。
 仁成もまた、その高潔な意思を尊重し、心配そうな表情をしつつも、ゆっくりと背中から小柄な女を降ろした。

「じゃあ、頼んだぜ、ヤミナ」
「被験体が来たらすぐに知らせろよ。なるべく急いで駆けつけてやるからな」
「どうか無事で」

 ひゅうう、と生暖かい、夜の風が吹き抜けた。

「あ…………」

 小屋へと歩き出し、遠くなっていく男たちの背を見送り、ここに自ら囮を買って出た気高き女は、

「……あ、あれー!! なんかーあたしも小屋が気になってきたなー! 流石に待ってるだけなんて、ちょっと自分を許せないなぁー!
 うおおおおおお人の役に立ちたい! なんかスッゴイ調査を手伝いたい、今すぐッ!!」

 それはそれは凄まじい速度で前言撤回した。
 もとい、刑務終盤における施設調査、その使命感に燃える女の転身である。
 当然、誰も咎める筈がなく。

「……お前もついてくるってことでいいんだな?」
「もももももモチロン、モチロン、ヨロコンデ! 全力で手伝わせていただきますッ!!!!」

 そんなわけで結局、小屋の調査には4人全員で臨むことになり。

「ちぇー、それにしても保険かあ、みんなあたしのことそう言うんだよなあ……」

 男達の背中を、トボトボとついて行くヤミナなのであった。






 既に日は沈み、世界に二度目の夜が訪れた。
 暗幕の内側で抵抗者達はあがき続けている。

 刻限まで残り一時間。
 それは僅かに設けられた延長期間。
 禁止エリアが発動されてしまえば、閉鎖されたエリアの調査に臨むためには首輪の解除が必須要件となるだろう。

 しかし今やそれを行ってから、島の南東端に戻る時間などあろうはずもなく。
 これを逃せば、脱獄のチャンスは永縁に失われる。
 時間との勝負。首輪爆破のタイムリミット迫る中、悪童達はそれぞれのやり方で小屋の攻略を実行していた。

 施錠された小屋の立ち並ぶ広大な平地。
 ここに集う4つの影が駆け抜けていく。

 脱獄王――トビ・トンプソンは持ち前の柔軟な肉体で次々と小屋に入り込んでは抜ける。
 鉄の騎士――ジョニー・ハイドアウトは機械が発する馬力を活かし、力ずくで押し通る。
 人類の到達点――只野仁成は上記二人には劣るペースであるものの、逃亡生活で培った技術と人として最高峰の身体能力で調査を進めていく。

 そして、最後の一人、ヤミナ・ハイドはというと――

「……ココドコ?」

 なんか道に迷っていた。

「あ、あれれ……さっきあっちの道からこの小屋に入って、で、今出たわけだから、それで……あれ?」

 まあ、無理もないことである。
 仁成が迷路と表現したように、似通ったフォルムの小屋が大量に密集し、またそれらが乱雑に並べられた一帯は複雑な地形を形成していた。
 右も左も似たようなプレハブハウスに囲まれた道を一人でフラフラ進む内に、自分が今何処にいるのか見失うことは、あり得る話で。

 とは言え、いかにヤミナの知能が不足していようとも。
 完全に対策を怠っていたわけでもなく。

「舐めんじゃないですよーっと」

 意気揚々とデジタルウォッチに表示させた方位磁針を見ると。

「な、なんでぇ?」 

 グルグルと回転を続けるだけで、まったく方向を指し示す気配がない。
 どうやらこの一帯は何らかの理由で磁場がおかしくなっているのか、自分が向かっている方向すら分からない始末だった。

 右をみる、闇の中にぼんやりとプレハブハウスの輪郭が浮かんでいる。
 左を見る、闇の中にぼんやりとプレハブハウスの輪郭が浮かんでいる。

 さああ、と。ヤミナの表情から血の気が引いていった。
 夜は深くなる一方だ。
 先程までは、まだ少し青白い陽の残光があり、僅かに辺りを見回すことも出来たが、おそらくあと三十分もしない内に、完全な闇が世界を支配するだろう。
 そうなってはいよいよ一寸先を見通すことすらできなくなる。

「……トビさーん? ジョニーさーん? 只野くーん?」

 被験体が追ってくるかもしれない。
 先程のやり取りが影響しているのか、何かに怯えるように潜めた声で、同行者達の名前を呼ぶも返事はない。
 加えて、平地を覆う地鳴りのような振動音が、細かな物音をかき消してしまっていた。

 だらだらと冷たい汗がヤミナの頬を伝っていく。
 このまま、誰とも合流できなければ、彼女はどうなってしまうのだろう。
 小屋迷路の中に取り残され、戻るべきエリアG-7の方角も分からず、禁止エリアの中で首輪を吹き飛ばされるという、間抜けな最期。
 哀れヤミナの人生はここで、誰にも知られることすらなく孤独に終焉を迎えるのだ。

「……ひぃぃ」

 きょろきょろと周囲を見回すも、闇が濃くなるばかりで状況は好転しない。
 短い間隔で建てられた金属壁に阻まれ、他の者達の発するライトの光を確認することも出来ていない。 

 焦るヤミナは躓きながら小屋と小屋の間をすり抜け、一つ隣の道に出た。
 その時、唐突に背後の草むらが鋭い音を立てた。

「……!」

 誰かが、近くにいる。
 ホッとするのも束の間、再び先程のやり取りが脳裏に浮かびがったのか。

 ――被験体が追ってくるかもしれない。

 ヤミナは唾を飲み込み、デジタルウォッチのライト機能を使い、恐る恐る振り返った。
 しかし、そこには誰もいない。

「誰……?」

 小屋と小屋の隙間の闇。
 プレハブの脇に取り付けられた室外機、その横の草むらが僅かに揺れている。
 先程の音は空耳だったのか。


 夜の奥に、ヤミナはじっと目を凝らす。
 ライトの光は見えない。
 だけど、誰かがそこに居る気がする。
 自分を見ている気がする。なんとなくだが、そんな気がした。

「……誰かいるんですかー……?」
「……! ……!!!!」
「ひぇえええええええ!!!!」

 呼びかけと同時、ガサガサッ、と。
 激しく揺れる草と、ひときわ強くなる周囲の振動音。
 耳元で発した、金属の同士が擦れるような異音に、ヤミナは本能的な恐怖を感じ取り身を翻した。

 咄嗟、近場にあった小屋の入口ドアを掴み、無我夢中で体当たり気味に身体を押し当てる。
 既に他の誰かが調査済みだったのか、施錠されておらず、呆気なく開いたドアはヤミナを吸い込むように迎え入れた。

「……どあああっ! っと……と痛たた……! もう……なんなのぉ……?」 

 室内でもんどり打ち、腰を擦りながら身を起こしたヤミナであったが、そこにも闇が広がっている。
 小屋の中は6畳程度のフローリングに、四方を白い壁で囲われただけの簡素な空間だった。

 さっと周囲を確認した後、ヤミナはデジタルウォッチの光を弱め、壁に備え付けられた窓に近寄るも、やはり夜の奥は伺えない。
 ここから出るのも恐ろしいが、留まっていては首輪が爆発してしまう。
 せめて、もう少し夜目が利けば良かったのだけど、と発想し。

「あ、そうだ……!」

 こんな時こそ恩赦ポイントの出番であると、ポイント交換リストを呼び出す。

「確かナイトビジョンは30P! ちょうどあたしのポイントも……あれ、22P……なんでぇ?」

 トビに拳銃を没収されたことに拗ね、10P使って買ったからである。

「おのれ……トビ・トンプソン」 

 自分の迂闊さを棚に上げ、他責する女は頭を抱えていた。
 外には得体のしれない何かが居る……気がする。

 しかし、ここに留まることも出来ない。
 一体どうすればいいというのか。

「……ん?」

 その時、暗い部屋の中で、ヤミナは気付いた。
 自分の右腕から発する違和感、僅かな熱にゆっくりと視線を下に向け。

「あれ……なにこれ」

 自分の右腕に纏わりつくもの。
 そこに現れたものに、ひゅ、と息を呑み。

「う―――」


 夜の小屋、その一室にて。


「わあああっ!!」 


 女の奇声が響き渡った。




 浸透、把握、脱走。
 浸透、把握、脱走。
 その繰り返し。

 トビにとっては、身に染み付いたルーティンだった。
 間隔を狂わせる建築様式の妙、迷路を模して並べられた囲いの郡と、方向間隔を狂わせる磁場。
 一帯に響く異音が聴覚による判断を乱し、夜間という状況が視覚すら妨害する。

 そんな悪環境にあっても、彼は迷うことなく歩を進める。
 次々と小屋の中身を改め、次の場所へと脱獄する。

 懸念された、命を脅かすようなトラップには、今のところ遭遇していない。
 ただ、小屋は殆どが施錠されており、入り込むと外側から再び閉鎖される。
 ただそれだけの、嫌がらせのような妨害があるだけ。

 施錠の方法は実にバリエーション豊かで、侵入時のロックと脱出時のロックは方式が異なり、違うアプローチで錠を破る必要がある。
 それを脱獄王は華麗に抜けていく。
 窓から、天上から、床下から、あえて正面玄関から、様々な侵入経路と脱出経路で小屋から小屋へと渡っていく。

 入り込み、抜け出す、そのルーティン。
 まるでテストケースを並べているようだと、トビは思う。

 入り込み、抜け出すというシーケンス。
 脱獄王の日常。そのデモンストレーション。

 ひいては、この刑務の目的の一つと考えられる。
 耐久テスト。アビスという牢獄の試金石。
 それこそがお前なのだと告げるように。

 トビの戦う相手が、ヴァイスマンというカタチを為して、耳元で囁きかけているかのように。
 これは恩赦である。これは慈悲である。これは救済である。

 ――そしてお前にとっては、名誉である。

 せいぜい役に立て、と囃し立てるように。

「うるせえ。こいつはオレ様の趣味だ。てめえらの為にわざわざ骨折ってたまるかよ」

 囚人など、どこまでいっても看守の手の上。
 生かされ、遊ばれ、利用されているに過ぎない。
 今に至るも首輪が爆発していないのがその証拠。

 生殺与奪を握る以上、生かしていることが、敵の余裕を証明する。
 ならばこれは、壮大なチキンレースだ。
 トビはそのように考察する。

 トビの最終目的、即ち脱獄が敵の想定を越えていることは間違いない。
 それが不可能な異世界が、此処であると証明したいなら。
 そして同時にいまが、看守の想定の範囲内であることも確定だ。
 だからこそ首輪が爆発しない。敵は余裕を持ってトビの動向を高みから眺めている。

 ならばもっとも不味い事態は、中途半端に彼らの予想を超えること。
 目的を達する前に警戒されて手を下されることだ。

 勝ち筋は一つ。
 敵の想定範囲ギリギリの内側から、大きく外側へと、一瞬で飛び越える。

 そしてそれは、トビ・トンプソンの得意分野だった。
 いままで、何度もそのようにして、勝ってきた。
 油断させること、敵の傲慢を的確に突くこと、脱獄において重要なファクターの一つだ。

「だったら、勿論、こいつも想定内だっていうんだろう」

 トビがここに辿り着くことも。

「なあ、刑務官様よ」

 ご丁寧に地図に書いてあったのだ。
 あれほど丹念に、ブラックペンタゴンにヒントを残したのだ。

 トビがこれを見つけることはヴァイスマンのシナリオ通り。
 故に危険などあろうはずもない。それでいい、今はまだ。
 鼻を明かすのはこれからだ。最後に勝てばいい。やつらが、敗北した事実にすら気づかぬ内に。

「今はお望み通り、好きにやらせてもらうぜ。そんで後で、きっちり吠え面かかせてやる」

 辿りつたその場所。
 無数に並んだ、小屋の郡、その一つ。


 暗い部屋の中心に、真っ白い球体が鎮座している。
 全長三メートルほどの大きな真円。
 周囲の空間を僅かに歪めながら、ぼうっとした光を放つそれを、トビは以前に一度見たことがある。

 ブラックペンタゴンの三階、展示室。「Aサンプル」。
 目の前の球体を小型化し、ちょうど手で抱えられるサイズまでスケールダウンさせたもの。
 システムAの子機。ならば今目の前にあるものは―――

「そいつが、親機ってわけかい」

 トビがそれに一歩近づいたとき、破砕音とともに反対側の窓が蹴破られ、機械の騎士が姿を現した。
 どうやらジョニーもまた、トビから少し遅れたものの、ここにたどり着いたようだった。

「乱暴な入場だ、美学がねえ」
「そりゃ失礼、あんたと違って、この通り身体が硬くてな。俺にとっちゃ正面突破が一番手っ取り早い」
「他の奴らは?」 
「見てねえよ。被験体が追いついてくる気配もまだねえ」

 脱獄王と鉄騎士、二人の男が球体の前に立つ。
 球体の周囲に漂う空間の歪みによってか、放たれる白い光は小屋の外に漏れていない。
 どうやらそれが、周辺の磁場を狂わせる怪電波の中心、一帯に鳴り響く機械駆動音の出どころで間違いないようだった。

 システムAの親機。
 その実在は様々な仮説に裏付けを齎した。

 トビの考察、異世界にシステムを適用するに際して、親機が持ち込まれているのではないか、ということ。
 そしてシステムAの親機が"小屋"にあるのではないか、という考察すらも正鵠を射ていたのだ。

「しっかし、なんで能力を封じるAの本体が会場にある? 俺達は殺し合いをさせられてるんだろ?」
「それはオレ様も疑問だった。だが、今ははっきりとした答えがある。首輪だ」

 メリリン・メカーニカ・ミリアンが齎した情報がその事実を告げていた。
 首輪の制御にはシステムAが仕込まれている。
 考えてみれば当然のこと、メリリンやジョニーのような機械を操るタイプの超力による首輪解除を防ぐための処置だろう。

「なるほどな……だったら、今すぐ壊すか?」
「……ああ」

 ジョニーが身体に仕込んだ重火器を展開する。

「いや、まて」

 しかしそれを、トビは片手を上げて制した。
 そして首に手を当てて考え込む。
 この装置を破壊すれば、会場内のシステムAの子機は連鎖的に無効化され、メリリンによる首輪解除は現実味を増すだろう。
 しかし、それでいいのか、いや、本当に、それだけなのか? このシステムの意義は。

 もしもメリリンがここに居れば、首輪解除とシステムAの無効化の関係をより精査できた。
 だが彼女は灯台方面に出してしまった。
 結果的にはミスマッチだ。サリヤの齎した情報によれば、あちらには“システムを動かす心臓”“システムに関わるもの”が存在すると目される。
 ならばこそシステムに干渉可能なメリリンとエンダを向かわせるべきと判断しのだが、誤りだったのか。

 一方で、小屋には、“刑務場の運営を行う脳”“外界からの管理を実現する仕掛け”があるとされていた。
 せめてエンダとメリリン、どちらか片方でも小屋の人員として割くべきだったか。
 いや、違う、引っかかっているのはそんなことではない。

 トビは当初から、小屋にシステムAの本体があると見立てていた、そこまではいい。
 しかし、そもそもなぜ会場にシステムAがあるのか。
 その考察そのものが、一歩足りていない気がするのだ。
 何かを、見落としている。

「サリヤ・K・レストマン……」 

 ブラックペンタゴンで遭遇した異分子(イレギュラー)。
 トビへと此処に至る情報を齎した女。
 奴が破壊したかったシステムとは、果たして何だったのか。

 そして、もう一人。
 今、目の前に居る鉄の騎士。
 正確には、鉄の騎士を雇っていた存在。

「怪盗ヘルメス……」
「ルメスがどうかしたのか?」

 秘密を抱えたまま散った二人の女。
 その存在が今になって、どうにもトビの頭の中で引っかかる。


 女科学者が狙っていた、破壊すべきシステム。
 女怪盗が探っていた、陰謀と計略。
 世界を滅ぼす敵、秘められた計画、そして、ラング・シドー。

「"事象改変"……そうか」

 小屋にあるものは、“刑務場の運営を行う脳”。

「壊す前に、一度、触れておく」
「なんでだ? 超力が無効化されるだけだろ?」
「だけかどうかは触りゃ分かる」
「……」
「怖いならいい、オレ様だけでやる」

 ジョニーが気後れする理由も理解できる。
 彼はその身体の特性故に、システムAとの接触は生命に危険が及びかねない。
 だが、丁寧に説明している時間もなかった。トビは部屋の中心に近寄り、手を伸ばす。

 指先が球体の周囲に滞留する膜を突き破り、白くなだらかな表面に触れようとしたした時。
 その反対側にて、ゆっくりと鉄の腕がかざされた。

「いいのかよ?」
「ビビってなんざねえさ。システムAに触れるだけで死ぬなら、子機の手錠を嵌められた時に死んでただろうしな」

 ジョニーもまた、球体に手伸ばし、二人の手が、同時にその表面に触れた。

「………」
「………」

 しばしの間、沈黙があった。
 システムAの親機、それに触れたまま、二人の男はじっと留まる。
 見た目の上では何の変化も訪れぬまま、数秒の時が過ぎたあと。

「……あ?」
「……なんだ?」

 外見にはやはり何の変化もないまま、トビとジョニー、双方ともに訝しげな声を上げる。
 周囲を忙しなく見回したあと、彼らはやがて。

「なんだ……こりゃ」
「おい、どういう……」

 困惑の表情を浮かべた後、みるみるその顔色が変化していった。

「な、なんだこりゃ?」
「……そういう……ことかよ」

 目前に現れた真実の景色を、男たちは驚愕とともに捉えていた。

『"コンバンハ、ジョニーさん、ハジメマシテ、トビさん"』

 夜の小屋、その一室にて。
 白い壁に、プロジェクターライトによって投影された文字列が走る。

 その光の発生源は空中にあった。
 金属同士の擦れるような甲高い音が耳元で発する。 
 空中に滞留する、目に見えぬほどに極小の、機械の粒たち。

 それこそが、外界からの管理を実現する仕掛け。
 刑務作業者を捉え続けている、"眼"だった。

 無数の眼が、今、確かな意思を持って、色を放つ。
 対空する極小の粒子から、細かい光の束が放射され、白い壁にメッセージを書き連ねる。



『"ワタシは、AG(アビス・ガーディアン)、このケイムにハンカンをオボえる、"アビスのメ"』







 /interview 2/3 

〈刑務前記録用ボイスレコーダーより〉


 ―――(不自然な環境音の断絶)(ノイズ)


[―――以上、我々が計画した今回の刑務作業の目的、そして君に通達する提案だ]

『……なるほど』

[受けようが受けまいが、君の刑務参加は確定している。今しがた説明した事項を刑務中に他言した場合、君の首輪は即座に起爆される事を通告する]

『それはそうでしょうね』

[受けるかね?]

『私で良ければ』

[どうやら君は利口なようだ]

『ただし、一つ条件が』

[……言ってみたまえ]

『私は、"私の技能"によって人を殺すことを望む。不純物は不要だ』

[つまり?]

『協力はする。しかし、貴方たちの計画する"実験"に関しては、私では力になれないだろう』


 ―――(深い溜息)(金属の擦れる音)(何かを布に押し込む音)


[……承知した。君への特典は"特権ポイント"のみ、としよう]

『お気遣い、感謝いたします』


 ――(椅子が引かれる音)


[……氷月蓮]

『まだなにか?』

[君はヴァイスマン直々の推薦だ。その意味が理解できているか?]

『もちろん、私の解釈が合っているなら―――』



 ―――(不自然な環境音の断絶)(ノイズ)(録音終了)







「君にとって"悪"とはなにかね、ケンザキ刑務官?」

 ミリルの耳に、粘質な響きを含む声が届く。
 人工光に満たされたオペレーションルームの中、相変わらず悠然とした態度で立つヴァイスマンは、壁に背を預けながらそれを問うた。
 薄暗い部屋の中で、漆黒の制服は闇と同化し、幽鬼のように輪郭を朧気にする。
 その薄ら笑いは今も揺るがない。内心を全く悟らせない。

「もー、急になんですか、看守長? ひょっとして暇です?」
「ああ、最後の定時放送も終わった。後はもう見ているだけだからな」

 そんなわけあるか。自分で皮肉っておいて何だが、とミリルは内心で舌打ちする。
 刑務終了までの最終調整、そして終わった後に向けてのGPA側との交渉準備。
 看守長のやることなんて無限にあるだろうに。

「暇でしかたないんだ。少し付き合え、ケンザキ刑務官」
「ええー見ての通り私は忙しいんすけどー」
「少しだけだ、仕事の邪魔はせん」
「ほんとのほんとに、ちょっとだけっすよ?」

 観念して椅子を回転させ、ミリルはヴァイスマンと向き合う。
 男の表情は常通りの皮肉な笑みが張り付いていたが、眼光だけは神経質そうな鋭い光を放ち、ミリルの全身を睨め付ける。
 肉の内側まで入り込むような、じめっとした目線に寒気を覚えながら、彼女は佇まいを整えた。
 あと、なるべく、ゴミ箱の方は見ないように意識する。

「てか、こんなとこで油売ってて良いんですかー? 刑務の中も外も、色々と厄介事が多いって聞きましたケド」
「何も問題などない、万事順調に進んでいる」
「そですか、そりゃーなにより」

 ふと、ミリルは思う。
 どこまでが実態なのだろう、彼の演出する余裕の内実。
 このタイミングで被験体が撃破されてしまったことは、計算に入っていたのだろうか。
 脱獄を目論む刑務作業者達の動きは看過していていいのか。
 今まさに、首輪が解除されてしまった事態は、彼の予想を越えていないのか。

 どこまでが虚勢で、どこまでが真の余裕なのか。
 外側からではまるで伺えない。いま確かなことは一つ。
 刑務の最終局面が見えてきた今、もっとも多忙な筈の男は、ミリルのもとに訪れることを優先した。

「ただ、そうだな、懸念が無いでもないか」

 漆黒の男は白々しく笑う。
 この歩く神経質に意味のない行動などない。

「例えば、君はこの刑務を誰よりも正面から目視し続けた、代表的な目撃者だ」

 確信する。と、同時に危機感を覚える。

「上官として少し、メンタル面が心配になってね」 

 ―――やっぱり、ヤキが回ったのかな。

 ミリルはもう一度、脳内で独りごちた。
 無い腹を探られるのは気分が悪かった。
 だけど、本当に腹になにもないことを、ミリル自身、確信を持てない。

 おそらく彼は見たのだ。
 ミリル=ケンザキの"状態"に起こった、何らかの変化を。
 不動であった傍観者に発生した歪みを。だからこうして、釘を指しに来た。

「さっきドクターにも、おんなじようなこと言われたんで、おんなじように答えますケド。
 私が見てるものは画面越しのデータ、数字の変動ってだけです。現実感ないんですよね」

 大丈夫、崩れてない。
 少女は常通り、配信者時代に構成した明るい自分を演出する。
 ヴァイスマンの皮肉な笑みに対抗するように、虚像の自分を演じきる。

「イチイチ一喜一憂してたらキリないっすよ。
 減っていく数字に情なんて湧かない。今は早く仕事終わらせたて早く帰りたい。
 てか早くシャワー浴びたーいってだけなんで」

 それを確認する。ミリルは自らを見失っていない。
 あと、数時間の我慢、それで終わるのだから。


 ヴァイスマンも確信があってここに来たわけじゃない。
 おそらく、ほんの少しのゆらぎ、それを見ただけ。

「心配しなくても、仕事はちゃんとやりますよ。
 てか、早く終わらせるってことに関しては、ずっと協力的なんですけど」 
「……はっ……そうだったな。局長が連れてきて以来、君はずっとそうだった」

 だが、それは逆に言えば、ミリルにはほんの僅かなゆらぎもあってはならない。
 この刑務、いやアビスの中で、いかに彼女が重要視されているか、それを示しているかのようで。
 世界最高峰の転移能力者。
 アビスにおける水面下の勢力争いの中で、ミリルがいずれかの陣営に傾くような事があれば―――

 脳裏を過ぎる雑多な思考を振り払い。
 ミリルは表情筋に力を込める。
 分かっている。分かっているからこそ、巻き込まれたくないのだ。

「君は優秀な刑務官だ」

 甲高い靴音が近づいてくる。
 隣で足を止めた男は、ゆっくりと少女の肩に手を置いて、とても優しげな声で言った。

「信頼している。私を失望させるなよ?」
「ええ、もちろんですよ。でも離れないとセクハラで訴えます」

 つい反射的に駆け上がった鳥肌と共に、鋭い声が出てしまった。

「おっと失礼、もうそういう時代か」

 ぱっと手を話したヴァイスマンはあっさりと離れ、オペレーションルームの入口に戻っていく。
 そのまま、出ていくかに見えたが、ふと、思い出したかのように、振り返り。

「ああ、そうだ、最初の問いの答えを聞いていないな」

 首だけで振り返り、もう一度、ミリルを見た。

「改めて問おう。君にとって"悪"とはなにかね?」

 それは、正義の対極に位置するモノ。
 逆説的に正義の在り方を浮き彫りにするモノ。

 悪とはなにか。
 殺し合いの場で、何度となく交わされた問いかけ。
 アビスの理念、刑務の意義、根本的な概念。

 悪とはなにか。
 社会から隔離すべきモノ。
 塀の内側に留め置くモノ。
 罰を与えるべきモノ。
 裁きを下すべきモノ。
 清浄なる世界から、別の世界へと、放逐すべきモノ。 

 そんな哲学的な問答に興味は無いと、言いきることは簡単だった。
 正義も悪も、理念も理想も、ミリルにはない。
 実際、興味なんてない。仕事が終わればそれでいい。
 なんて、今までどおり、そっけなく答える事ができた筈だ。

 ――だけど、だったらなぜ、私はここに来た。

 筈なのに。
 まともに受けてしまったのは、それこそがミリルの内側に起こったとされる、歪みの証左なのだろうか。

「法を犯すもの」

 端的に、コレ以上なくシンプルに、ミリルは言った。
 悪とは法を犯すもの。ただそれだけのことだと。



 人の定めた垣根、法、世界の法則。
 それを踏み越えたものが悪とされる。
 そこに人の意思はない。
 悪意があっても、善意があっても、一切関係がない。

 哲学など要らない。小難しい問答など要らない。
 法という一線、ただ絶対の基準だけがある。
 悪とはその外側に出たもの、ただそれだけの判定基準。

「ああ、実に君らしい模範解答だ」
「どうも」 
「それだけに、残念だな」
「不正解ですか?」
「いいや、君の本音が聞けなかったことが哀しいんだ」

 ヴァイスマンは知った顔で笑っている。
 全て知っているぞ、と含めるように。

「君の答えは殆ど正解だよ。
 よく法で裁けぬ悪がいる、などと凡人は宣うが、ならば法を更新すればいいだけのこと。
 人間の社会はずっとそのように歩んできた」

 法をすり抜ける悪を裁くために、法のカタチを変え続ける。
 それが社会群体としての正義の強さだ。

 すぐに罰せぬ悪があろうと、必ず追いつき、悪を再定義する。
 新たな法則(ルール)を構築する。
 それが可能なのが、ヒトの編み出した法の力だ。

「だが、それでは不十分なのだ。それだけでは、"最も悍ましき悪"を裁けない」
「最も悍ましき……悪」
「ああ、そして君は、その答えを知っているだろうに」

 法で裁けぬ悪。
 根本的に、法が無力となる悪。
 最も、悍ましき悪、それは―――


「なあ、ミリル=ケンザキ。"光の豊島事件"の目撃者、いや―――」


 そうしてようやく、沈黙するミリルを残して、


「―――唯一の生存者、と言ったほうが正確かな?」


 オリガ・ヴァイスマンはオペレーションルームから退室していった。







 ―――少女は、モニターの向こうで、ヒトが光に変わっていくのを見ていた。

 執行される悲劇を、ただ見ていた。
 有無を言わさず、理不尽な天災の如くに、人体が光の粒子になって弾け飛び、次々と消滅していく様を。
 少女に出来ることはない、数多いる悲劇の目撃者の一人になる筈だった。

 目撃者を当事者に変えてしまった要因とは、ニュース番組のライブ映像、映り込んだ人混みの中に、それを見つけてしまったこと。
 見知った顔、大事な人、誰より大好きだったヒトが、偶然にもそこにいたこと。

 パニックになりながら、足をもつれさせながら、必死に駆け寄って、その画面にすがりつく。
 生きている。まだ、生きている。まだ、生きているのに。
 きっと、一秒にも満たない刹那のあと、光になって消えてしまう。 

 この手は届かない。この叫びは届かない。この力は届かない。
 無力だった。何も出来ることはない。
 だけど、間違ってる。
 そう思った。何が、とか、何に、とか。分からないまま。 

 モニターに縋り付いた手のひら、爪が剥がれ、血が飛び散っても構わず喰らいつく。
 叫んで、叫んで、叫んで。
 何を叫んでいるのかも分からないまま、喉が張り裂けるほど叫び続けて。

 その日、ミリル=ケンザキの力は、既存の転移能力者の限界を大きく越えた。
 モニターの向こう、光に満たされた悲劇の爆心地へと、彼女の力は繋がってしまった。

 しかし覚醒は、救済に一歩届かず。
 少女のもとには、光となった誰かの残滓だけが転送され、彼女はその閃光の直撃を受けてしまった。

 世界を変えようとした革命家の超力が、その瞬間、少女の思考に流れ込む。
 だから彼女は理解してしまった。その力の本質を。

 天性の才によるものか、極東で起こった"現象"と次元を超えて接触したことが契機となったのか。
 真相は不明だが、この日、光の豊島事件こそ、世界最高峰の転移能力者誕生の発端。

 それだけは、間違いないとされている。





 システムA、システムB、そしてシステムC。
 異世界という舞台の中で、これらを正しく機能させるための前提条件。
 ブラックペンタゴンにてシステムAとBの子機を見たときから、ずっとトビの頭にあった一つの仮説。

 子機が存在するならば、どこかに親機がある。
 そして、外側から異世界を管理する為の仕組みが存在する。

 いかに高性能なシステムであっても、世界という隔たりを越えて動かすのは容易ではないはずだ。
 システムの本体と呼ばれるものは、必ずこの場所に、刑務参加者の手の届く場所にある。
 その証明たるシステムA本体が、今、彼の目の前にあった。

 しかし、これはシステムに限った話ではない。
 たとえば、恩赦ポイント使用の要請。如何なるときも対応可能な物質転送サービス、それを如何にして実現しているのか。
 ケンザキ刑務官の転移能力も、何らかの監視システムを前提にしなければ成り立たない。
 世界最高の転移能力者とて、千里眼を備えているわけではないのだ。
 映像越しに見ただけで転移可能な規格外と言えど、最低限、"見る"必要が発生しているのだから。

 ならば、どうやって見ている。
 どうやって参加者の声を聞いている。
 この会場の隅々まで、くまなく把握する視覚と聴覚は何処にある。

 会場の至るところに監視カメラが仕掛けられているのか、だとしても説明がつかない。
 広範囲に影響を及ぼす超力者同士の戦闘が勃発すれば、カメラ機材など容易に壊れてしまうだろう。
 現に、戦場となったブラックペンタゴン内部、モニタールームには最終的に生きているカメラは殆ど存在しなかった。
 それにカメラを仕掛けると言っても、島の平地や山岳地帯など、機材を仕掛けにくい場所をどうやって監視する。

 首輪についても、内側に仕込まれたシステムAの外側には、カメラも盗聴器も存在しないことをメリリンが証言している。
 つまりそれは、そもそも不要であったということだ。
 首輪は枷としての役割を全うすれば良く、余計な機能は必要ない。なぜなら他で足りているから。

 システムとは別に、会場を外側から管理する仕組みがあると、トビが予想した理由はここにある。
 最初は、ケンザキとは別の超力を併用することによって、監視を成り立たせているのだと考えていた。
 だが、それではやはり、個人の力に依存しすぎている。
 ヴァイスマンらしくない、いや、アビスという組織のやり方としてしっくりこない。

 人体を危険に晒さず。
 個人の力に過度に依存せず。
 異世界の監視を実現する。

 その正体こそ、今トビの目の前にいる―――

「てめえだった、ってわけかい。AG-1」

 AG-1、アビス・ガーディアン1号。
 看守補佐官として配備されていた人型ロボット。
 その筈だったのだが。

「久しぶりだな、AG、ずいぶんスリムになったじゃねえか」

 アビスでは特に直接関わりのなかったトビとは違い、ジョニーはメンテナンスの都度交流があったのか、気さくに話しかけている。
 視線は人型のロボット、ではなく、空中に浮かぶ黒点、そして壁に浮かび上がる文字列に向けられていた。

 そう、いま彼らの目の前にいる存在は、人型のロボットではなかった。
 空中にて鳴る羽音のような異音。
 蠢く虫のような、極小の機械が浮かんでいる。
 そこから投射された光が、壁に文字列を刻んでいく。

『あのボディは、カイジョウのカンサツにはテキしませんから』

 超力研究の隆盛によって勢いこそ減じたものの、開闢以降、機械工学も着実に進歩を続けていた。
 アビスが計画した刑務においても、技術は余すことなく用いられている。
 システムABCにも通じる、機械技術の粋を集めた存在。

 機械でありながら、人工的な超力の搭載を実現した最新ロボット。
 それが、アビスガーディアン。

「合点がいったぜ。確かに他に適任なんざいやしねえ」


 彼は会場内に差し向けられた唯一の看守だった。
 刑務官の命を危険に晒すリスクを負うことなく、アビスから異世界へと送り込まれた視線の正体。

「なんでこんなところにいる?」

『ココにいる、は、テキセツでなヒョウゲンではありません。ワタシは、カイジョウのドコにでもいるのデス』

 最新のロボット技術とナノテクの合一をもって、実現された管理の仕組みだった。
 超小型AGは会場の至るところを漂い、常に的確な視覚と聴覚をオペレーションルームに提供している。
 不必要な視点は遮断し、恩赦ポイントを使用した物質転送に必要な視座をミリルに齎すために。

「それが、刑務に反感を覚え、今になってオレ様に協力するために出てきたって? ずいぶん都合のいい話だな」

『ウタガうのもムリはナイですが、ジジツ、ワタシはこのジョウキョウをウレいています。ヒトはオロかだと、ケツロンしたくナイのです』

「にしたって、なんで今なんだ? 何処にでもいるなら、もっと早く話しかけて来ればよかったろうが」

『イマでなければならなかった。シュウジンはニンシキソガイのネオスのエイキョウカにある。
 ナニヨリ、ヴァイスマンのネオスをネントウにオけば、タグ付けのカイジョはヒッスヨウケン。
 ココにイタらなければ、ワタシとカイワするコトはカナわなかった』

 トビは訝しんでいたが、ジョニーは納得を得ていた。
 確かに、刑務官の側に立ってみれば、AG-1を送るリスクもゼロではない。
 例えば、メリリンやジョニーのような、機械に影響を及ぼす超力者が会場に居る以上、存在を気取られてはならないのだ。



 刑務作業者はAGの存在を認識できないよう、事前に精神に作用する超力を仕込まれていても不思議はない。
 それがいま、システムAの本体に触れたことによって、浄化されたのだろう。
 彼らにも、先程までは正しく認識できなかったAGの存在をハッキリ見ることが出来ている。
 AGの言が正しければ、ヴァイスマンのタグ付けも解除されているはずだ。

『イグナシオ・"デザーストレ"・フレスノは、ワタシのイライをキイいてくれました。カレのイシを、ソクセキをムダにしないタメにも、ワタシは……』

 描かれる文字列は、機械的でありながら、どこか切実で。

『ワタシは、キミタチにキョウリョクする』

 ジョニーは知っていた。
 収監されていたころから、この機械が確かな良識を持っていたことを。
 ならば、信じてもいいのかもしれない、と思う。

「だとしたら……そうか……」

 トビもまた、ようやく状況を掴みつつあった。
 AGの言葉は聞く価値がある。信じるに足る根拠は自らの感覚にある。
 システムA、親機。その機能は子機の比ではなかった。
 触れている間、超力が使用不可能になったことは同様だが、親機ともなればそれだけでは終わらない。

 『Anti Neos System』の本丸は伊達ではなかった。
 能力を封じることは勿論、それに触れた者の力の残滓、影響すら残さず洗い清める。

 過去に受けた精神感応、世界改変の影響すらもリセットしてしまったのだ。
 それはこの瞬間、トビに起こったもう一つの変化が証明している。
 AGを目視出来たこと、タグ付けの解除、それだけではない。

「……ああ、そうか、そういうこと、だったのかよ」

 脱獄の鍵。ワイルドカード。
 勝利への階を、彼らは見つけたのかもしれない。
 逆転の芽は確かにあった。

「脱獄王……」
「ああ……」

 トビはたどり着いた。
 “刑務場の運営を行う脳”“外界からの管理を実現する仕掛け”その正体に。
 そしてはそれはなんと、刑務作業そのものに反対する意思を見せている。

 アビスとて一枚岩ではない。
 それは予想していたが、ここまで都合の良い状況が舞い込んでくるとは。
 幸運。彼らの運は尽きていない。
 だが、今は、


「不味いぞ、こりゃ」
「ああ、最悪だ」


 "それどころではない"。
 たった今、気づいてしまったこと。
 気付かされてしまった、もう一つの事実によって。





 /interview 3/3 

〈刑務前記録用ボイスレコーダーより〉


『…………』

[―――以上、我々が計画した今回の刑務作業の目的、そして君に通達する任務だ]

『…………』

[受けようが受けまいが、君の刑務参加は……]

『…………』

[馬鹿げだ茶番だな。こんなやり取りに意味などない]

『…………』

[そうでしょう? 大田原さん]


 ―――(強く机を叩く音)(不明瞭なうめき声)


[貴方を実戦に投入します。嬉しいですか? それとも、哀しいですか?]


 ―――(うめき声)(鎖の擦れる音)


[私が憎いですか? Mr.Oak]


 ―――(机が叩き壊される音)(鎖の軋む音)


[……愚問でしたね。大田原一等陸曹]

『…………』

[貴方の任務は終わっていない]

『…………』

[言いましたよね。あなたの命の使い所は、私が決めると]

『…………』


 ―――(うめき声)(鎖の引き千切られる音)


[上手く使って見せますよ、今度こそ]


 ―――(重量を感じさせる足音)(雄叫び)(衝撃音)


[では、命令する。出撃しろ、被験体:O]


 ―――(不自然な環境音の断絶)(ノイズ)


[これより、被験体、並びにシステムCの稼働実験を開始する]


『……ノギ……ヒラ……!』


 ―――(唐突な静寂)(録音終了)




 凄まじい鳴動が耳朶を揺らすと同時、足元に伝わる衝撃波。
 次いで届いたガラスの割れる甲高い音に、只野仁成は勢いよく顔を上げた。

 今も鳴り止まぬ地鳴りによって、発生源の方角は瞭然としないものの、そう遠くない場所で何らかの異常が発生したことは間違いなかった。
 ほんの少し迷ってから、彼は調べていた小屋を飛び出し外に出る。
 既に日は落ち、真っ暗闇の渦中ではあったが、左右を見渡しながらライトを振ってみる。

「……あれ、は?」

 すると、二軒隣に建てられた小屋の、窓ガラスが割れているのが観測できた。
 先程の衝撃の発生源と判断。
 すぐさま駆け寄って、蹴破るようにして玄関口から侵入する。

「なんだ、これは」

 そこには異様な光景が広がっていた。
 小屋の内部は、内側で嵐でも起こったかのように荒れている。

 外壁には傷一つ無かったのに、内壁はその360度、全方位の壁紙が鋭く抉れていたのだ。
 質素な室内のそう多くない家具が撒き散らされ、割れた窓から隙間風が吹き抜けている。
 そして入口正面奥の壁には大きな穴が開いており、まるでダンプカーが突っ込んできたかのような有り様だった。

 不可解なのは、事の原因と思われるものが何一つ無いこと。
 ここで途轍もなく大きなエネルギーが働いたことは間違いないが、理由が欠け落ちている。

「……ぃぃぃ……!」

 じっと眼を凝らすと、大穴の手前にブルブルと震える青色の塊があった。

「ひ……ひぃいいぃぃぃ…………!」

 その塊は、よく見ると人のカタチをしていた。

「ヤミナ……?」
「ひぃぃぃぃ……あ……あれ、只野くん……?」

 警備員制服を身に纏う小柄な女。
 部屋の隅で拳銃を抱きしめるようにして震えている。
 べそべそに泣いた情けない表情、簡単に吹き飛びそうな貧弱な矮躯。
 この施設"小屋"の調査に同行していた、ヤミナ・ハイドで間違いなかった。

 ヤミナは仁成を視界に収めると、恐る恐る顔を上げ手を伸ばす。
 掴んで引き上げてやると、女は震えの残る足を動かし、壁に手をついて、やっとの思いで立ち上がった。

「ここで、なにがあったんだ……」
「あ……あの……その……あの……あ……ああああっ……!」
「落ち着いて」

 どうやらパニックを起こしている様子のヤミナを宥め、仁成は周囲を観察する。
 壁紙を滅茶苦茶に切り裂いた切り裂き跡、窓を割ったと思われる衝撃、そして壁を突き破った大穴。
 全て、微妙に破壊痕に統一感がない。

 複数の災害がまぜこぜに発生したかのような異様な現場には、怯えるばかりの女が残されている。
 洞察だけでは状況の把握は困難だった。
 やはりヤミナから聞き出すしかないか、と仁成が改めて彼女を見たとき。

「た、只野くん、あ、あれ……」
「……?」

 彼女の右腕に何かが光っていた。
 何のことはない、刑務参加者ならば誰しも渡されていたもの。
 デジタルウォッチ、そのライト機能が光を発している。

 ぐずるヤミナが腕を動かし、大穴を指した。
 ライトの光が穴の奥を示すも、そこには夜の闇しかない。

「ひ……ひ……ひけ……ひけん……たい……が」
「被験体……?」

 仁成はヤミナを室内に残し、大穴から身体を出して外の様子を確認する。
 小屋の周囲には特に異常は見えない。
 夜の闇の中に、立ち並ぶ小屋がコピペのように並んでいるだけだった。 

「なんなんだ……?」

 確かに、怪物が暴れ回ったような暴虐の後は被験体:Oを彷彿とさせた。
 刑務作業者全員の位置を把握しているという追跡者。
 遂に追いつかれたのか。だとすれば、ギャルと征十郎・H・クラークは敗北を喫したのか。
 確かなら、早くここから離脱しなければならない。

 と、そこまで考え、しかし再び違和感が脳裏を過ぎる。
 ならば現れた被験体はどこに行ったというのか。


 まさかヤミナが撃退した筈もない。
 ここに現れたというのなら、一体何処へ消えたのか。

「ヤミナ、被験体は本当にこ―――」

 何故か、声が詰まる。
 吐き出そうとした言葉の代わりに、粘ついた何かが喉から溢れ顎に伝った。

「ああ、はい、被験体なら別に来てないですね。てか来るわけないです。さっき死んだので」

 ぱたた、と。
 足元の雑草に何かが落ち、軽妙な音を奏でた。
 液体のようだった。粘ついた液体が、葉の色を黒く変えている。

 急に雨でも降ってきたのだろうかと、仁成はつい上を見上げる。
 暗い空があるだけだった。
 いや、まて、と自らの思考に違和感を得る。

「なん……でだ……?」

「なんで分かるのかって? もう、やっぱりちゃんと定時放送を聞いてなかったんすね。ジョーカーは参加者全員の居場所が分かるんすよ?」

「……は?」

「被験体の反応が消えたってことは、そういうことでしょ。だからこそ、あたしにお鉢が回ったわけで」

「なにを言……?」

 上手く喋れない。急激な失血。撃たれた。銃撃。不意打ち。
 体制が崩れる。どこかから不意打ちを受けた。
 馬鹿な。乱れる思考で計算する。いや、ありえない。

 仁成の鋭敏な感覚の知覚する範囲において、敵はどこにも居なかった。
 それこそ、被験体が近づいてくれば分かったはずだ。
 前方左右、全てから攻撃された気配はない。背後を除いて、可能性はない。

「ていうか硬っ。やっぱ使わなきゃ駄目かな」

 だけど、背後こそ、あり得ないと思うのだ。
 なぜならそこにはあの女が居る。

 敵が居たら知らせてくれるなんて信頼があったワケでもない。
 それでも、起こり得る事象の中で、"その可能性"だけを、どうしても思考できなかった。
 答えはあまりにも明らかなのに、正解にたどり着けない。

『―――権限<コード>認証。
 ―――超力構築機構<システムC> 子機端末への接続<アクセス>を確認いたしました。
 ―――これより対象の入力<オーダー>に従い。"超力の読込<インストール>"を実行します』

「実行、『屰罵討(マーダーズ・マスタリー)』」

 背中と左腕に軽い衝撃があった。
 ぐるりと天地が回転し、身体が地面に引き倒される。
 千切れ飛んだ腕がフローリングの床を転がり、壁に当たって止まった。

 ひっくり返った視界に、頭から返り血に染まった女が映り込む。
 女は銃口から硝煙の昇る拳銃を握りしめ、こちらを見下ろしている。
 その表情は渋く歪んでいて、ゴシゴシと袖で頬を拭っていた。

「うっわっ……ぺっぺっ……! なんっ……じゃこれ……威力エグすぎ……! ひぇええ……まともに血ぃ浴びちゃったよぉ……」 

 そのとき、ようやく、仁成は理解し、同時に愕然とした。
 己は殺されるのだ。
 この、どうしようもなく弱々しい女に。

 こんな、どうしようもない人間。
 誰一人まともに殺せそうにない、取るに足らない存在に。
 いや、まて、なぜ、己は―――そんなふうに思っていた。一体いつから。そして、

「お前は……何だ?」

 この女は、一体、誰なんだ?


「はい、ヤミナですが」

 馬鹿な、と繰り返す。
 一致しない。つい先程まで関わってきた存在と。
 今、仁成の血に濡れた女の像が、どうしても。

「いや、ヤミナはヤミナですよ。ヤミナ・ハイドです。
 今までもこれからも、最初から最後まで、ずっと、ずーっとあたしはヤミナ・ハイドです」

 急にジキルでも出てきたと思いましたか?
 などと問いかける女の輪郭も、体躯も、先程までと何ら変わらない。
 何も変わっていない筈なのに。決定的な隔たりを感じる。

「勘違いするのは、いつもそっち側の問題です。あたしは何にも変わってませんよ」 

「僕達を裏切った……のか?」 

「裏切り? いやいやいや、あたしは一貫してますケド」

 強い者に従って、おこぼれをもらう。
 それが女の行動指針だった。

「ドン・エルグランドと一緒にいたときも、エンダと一緒にいたときも、トビさんといたときも、ずーっとそう」

 強いものに従う。
 では、この場で、最も強い者は誰か。

「そりゃあ、もちろん刑務作業の主催者である、刑務官さまが一番強い、ですよね?」 

 刑務における、最初のジョーカー。
 だから、ただの一度も、女が仁成たちの仲間であったことなど、ないのだと。

 課せられたオーダーは3つ。
 刑務に反抗する者にトータル12時間以上同行すること。
 そして、第三回放送以降まで生存した上で3名以上を殺害すること。

 条件は厳しく、特権ポイントも与えられない。
 刑務前半はジョーカーとは名ばかりの、一般刑務参加者と同等の扱いに甘んじた。
 しかし、引き換えに、3回目の放送以降、一つの特典が解禁される。

「あのぉー……にしても、ちょっとみんな間抜けすぎませんかね。
 どうして、あたしみたいな奴に、簡単に背を向けてしまうんですか? 
 どうして、あたしみたいな奴に、銃を持たせておけるんですか?
 どうして、あたしみたいな奴に、同行を許してしまったんですか?」

 女――ヤミナ・ハイドは、いつも不思議に感じていた。

「まさか信頼してました? いやいやー、ちがいますよねえ?」

 どうして、こんなにも、

「単に、あたしのこと、ナメてたんすよね?」

 世界はヤミナにチョロいのだろう。

「まあ世の中、そういうふうに出来てるんすかねえ」

 明滅する意識の中で只野仁成は理解する。
 こいつは、毒だ。
 世界に混ぜられた一滴の猛毒。
 いるだけで、生きているだけで、何もかもおかしくする。
 無自覚に、無遠慮に、理を狂わせている。

 仁成の返り血によって、一時的に薄まった超力を透過して。
 彼はいま、初めて本物のヤミナ・ハイドに触れたのだ。
 それは、"人並みに信用ならない"、少なくとも凶器を手にしているならば、背を向けられない程度の警戒に値する女であるように思えた。

「あれれ、只野くんひょっとして今、あたしのこと、まともに見てます?」

「…………」

「まあ、別にそれが嬉しい、とかもないんですよね」

 トドメを刺すべく近寄ってくるヤミナの歩みが、ふと止まる。
 電子音を発していた腕時計が鈍いブザーを重ねて、ぱっと光を発した。

「……? ってええええ!? 首輪外されちゃったんですか。ほへー、あっちは予想以上に上手くやってるみたいですね」

 しゃがみ込み、デジタルウォッチを弄りながら、改めてこちらを見下ろす。
 その所作の合間に、仁成は確かに見た、女の腕時計、そこに書かれていた文面を。

「殺しにいけって言われても、ちょっと遠くないですか? 人使い荒いなあもう」

 向けられた銃口はぴたりと仁成の額に当てられている。
 伝えなければ、と思う。


 トビとジョニーは、仁成と同じく全く無警戒だった。
 このまま各個撃破されてしまえば、この集団は終わりだ。
 だけど、それ以上に―――

「……し……ねない……」

 死にたくない。
 そう思っていた。

「僕は……まだ……」

 家族に会わなければいけない。
 約束を果たさなければならない。
 そして、なにより―――

「エンダ……」

 この場所で出会った。
 一人の少女、一人ぼっちのカミサマ、そして、相棒。

 彼女に、生きてほしいと思っていた。
 願わくば、彼女にも人を愛してほしかった。
 それが、他者を慈しむことを、思い出させてくれた返礼になると信じたから。

「な、のに……!」

 こんなところで、終われない。
 何もなせないまま死んだのでは、彼女に顔向けできない。
 せっかく活路を開くべく、別々の方向へと踏み出したのに、死んでたまるか。

 しかし、どれだけ念じたところで、身体が動くことはなかった。
 背後からの銃撃により腹部の臓器の大半を吹き飛ばされ、左腕を千切られた身体は大量の血液を失い、ショック症状に苛まれている。

 血を失えば死ぬ。
 それが人の仕組み。
 人を極めた彼の力の限界だった。

「さようなら、只野くん。短い付き合いでしたが、この刑務の中では割と優しかったし、好きな方でしたよ」

 そのとき、ひらり、と。
 黒い靄が一片、花びらのように、割れた窓から舞い込んだ。

 仁成は、残された右腕をゆっくりと伸ばし、掴み取る。
 それは末期の幻想だったのか。

 あるいは、だとしても―――


(――――生きろよ、仁成)


「――――あ、ああああああああああ!!」


「うわっ……ちょっ……なに!?」

 握りしめた拳の中から、黒い光が炸裂する。
 渾身の力を込めて、己の身体を跳ね上げる。 
 その瞬間、確かに、彼は人の限界を越えていた。






 /interview 1/3 

〈刑務前記録用ボイスレコーダーより〉



[―――以上、我々が計画した今回の刑務作業の目的、そして君に通達する提案だ]

『……ひぃぃ……そんな……何であたしが……』

[受けようが受けまいが、君の刑務参加は確定している。今しがた説明した事項を刑務中に他言した場合、君の首輪は即座に起爆される事を通告する]

『……ひぇぇ……』

[受けるかね]

『……あー、はい、受けます。てか断る人いるんですか? こんな話』

[君は第二候補だ。第一候補は辞退した]

『はぇー、イカれてますね、その人』


 ―――(ため息)(硬質なものを机に擦り付ける音)


[特典に関して注文はあるかね?]

『くれるもんは全部ください。知っての通り、あたしめっちゃ弱いんで。……一応聞いときますけど、ホントにあたしであってますか、この話』

[君で間違いない]

『もっかい言っときますけど、めっちゃ弱いですよ。だからホント、刑務参加も勘弁していただけると助かるんですけど』

[選択肢は二つに一つ。刑務に参加するか、我々の話を受けた上で参加するか、だ]

『じゃ受けます。ヨコロンデー』


 ―――(椅子を引く音)


『でも、あんまり無茶振りしないでくださいね』

[そもそも君に望む役割は、第一候補に期待したものとは違う。殺しの活発化は別の候補に託すことにした。君は……そうだな、言わば保険だ]

『どういう意味です?』

[じきに分かる。君が刑務を長く生き残ることが出来れば]


 ―――(とても長いため息)


『なんていうか所長さん、変わってますね』

[何がだ?]

『珍しいですよ。あたしに何かを期待する人なんて』



 ―――(録音終了)






 システムAの親機を破壊したトビとジョニーの二人が、軒先に倒れ伏す仁成を発見したのは、それから5分程後のこと。
 虫の息となった彼から話を聞き出すまでもなく、何が起こったのかは明白だった。

 ジョニーが血に染まった仁成の身体を抱え上げ、可能な限りの止血を施したが。
 身体の三分の一を抉られた傷と、赤と黒の斑に染まった全身が、既に手の施しようのない状態であることを告げていた。

「トビ……さん……ヤミナ……は……」
「分かってる」
「くそ……」

 システムAの親機によって、超力影響のリセットを受けた二人は今、正しくその脅威を認識できていた。
 ヤミナ・ハイドは毒だった。
 刑務官によって、刑務作業者へ混ぜられた。
 いや、システムBが作り出した異世界そのものへと混ぜられた毒。

 何に己の後を歩かせていたのか、トビはようやく理解する。
 自分たちはとんでもない間抜けだったと、ジョニーは歯噛みしながら、小屋の壁に拳を叩きつけた。

 見落としていたのだ。
 路端の石ころ。取るに足らぬ小物。
 しかしそれが、致命の事態を引き起こすことがある。

「すぐに、灯台へ……向かってください……」 
「只野…………」

 あまりの痛ましさに遮ろうとするジョニーを制し、仁成は血を吐きながらも伝えようとしていた。

「首輪が……解除……されたようです……」

 その事実を。

「きっと……灯台に向かった人達が……上手くやってくれた……」
「メリリンか」
「ヤミナは…………指令を……受けていました……おそらく……」

 後は聞くまでもない。
 刑務官が伏せられていたジョーカーをどう使うか、自明の理だった。

 脱獄を目指す者達の希望。
 それを摘むべく動き出している。

「ジョニーさん……どうか、頼みます……」

 仁成は機械の腕を握りしめ、ジョニーの顔を見上げる。
 鉄でできた、表情のない顔を、壮絶な眼光で覗き込んでいた。

「エンダのこと……他の人達の……こと、どうか」

 一片舞い込んだ黒い靄、それがなんだったのか、仁成には知るすべがなかった。
 幻覚だったのか、それとも。

 どちらにしても予感があった。
 灯台に向かった者達、彼らにも何かがあった。
 想定を超える事態、危機が迫っている。

「どうか……」

 己はここで最期を迎える。
 全てを悟って、彼が思うのは、他者のことだった。




 会うことの叶わなかった家族。
 駆けつけてくれた二人の仲間。
 遠方にて戦ってる者達の安否。

 無念だと思う。
 結末を見ることなく、只野仁成はここで死ぬ。

 それでも、どこか嬉しく思う心がある。
 何も信じられなくなっていた己が、誰かを思いながら、最期を迎える。
 昨日までは考えられなかった。

(君のおかげだ―――エンダ)

 視線を彷徨わせ、手を伸ばす。

「どうか……」

 もう、あの一片の黒い靄は見えない。

「どう……か……きみは……」

 どうか礼を言わせてほしい、そして―――

(―――生きてくれ、エンダ) 

「…………」

 こうして、ただの人間は、人間としての生を全うした。

「くそ……が、なんでだよ」

 物言わぬ彼の身体を抱え、ジョニーは拳を握りしめる。
 鋼鉄の内側に走る感情を隠しきれずに。

 鉄の騎士に抱えられた青年は、闇の中、その瞳から光を消した。
 トビはただ、その光景を見つめていた。
 絞り出すような、機械にしてはあまりに感情に濡れた言葉が、彼の耳にも届いていた。

「馬鹿野郎……オーシャンズに、裏切り者はいなかったろうがよ……」
















【只野 仁成 死亡】


【G-8/小屋/一日目・夜】




【トビ・トンプソン】
[状態]:健康、侮り解除、タグ解除
[道具]:H&K SFP9(12/20・永遠付与)、ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック、只野仁成の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱獄する。例えそれがヴァイスマンの思惑だとしても。
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.システム攻略へと挑む。
※エンダが秘匿受刑者であることを察しています。
※デイパックの中に北西ブロック3階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。

※サリヤ・K・レストマンから何らかの情報を預かっているようです。
※この刑務にヴァイスマンのクーデターが仕込まれている可能性に行き当たりました。

※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
 ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。

【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:疲労(小)、ヤマオリ、永遠、、侮り解除、タグ解除
[道具]:デイパック、紗奈のシステムAの手錠
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています
※ヤマオリの遺物を取り込みました、永遠が付与されています
※右腕には脇差、サバイバルナイフ、剣ナタ、スレッジハンマーが取り込まれています
※左腕の銃器の弾数はグレネード(0発)、ハンドガン(5発)、アサルトライフル(20発)、スナイパーライフル(0発)

※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
 ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。




 システムAの子機が存在するならば、親機もまた存在する。
 トビが提唱した説は証明された。

 ならばシステムBの子機が存在するならば、親機もまた存在する。
 その説もきっと正しいのだろう。

 そしてもう一つ、連鎖的に推察可能な説がある。

『じゃあ何か? オレたちは『システムC』の腹の中にいるって事か?』
『推測が正しければ。ね』

 かつて証明された仮説。
 ブラックペンタゴン――システムCの親機は確かに存在していた。
 ならば――その"子機"もまた、存在するとしたら。

「あと二人……かあー……」

 ヤミナ・ハイドは夜の闇を歩きながら、腕時計の光を空に翳す。
 超力構築機構<システムC> 、その子機。ジョーカーに渡された特典。
 親機たるブラックペンタゴンに収集された超力を引き出し、使用できるという機能。
 誰もが自由に、平等に超力を使用できる。それはとある科学者の理想であった。

 三回に渡る定時放送を越え、12時間を超える刑務反抗者との同行というノルマを済ませ。
 あの小屋の中で、デジタルウォッチに表示された最終通知。
 改めて、機能の譲渡と、ジョーカーとしての任を受けるか、というクエスチョン。
 ヤミナ・ハイドは、迷うことなくイエスを選択した。これにより課せられた追加のオーダーは三名の参加者を殺害すること。
 そして、刑務官の指示にしたがって動くこと。

「まーでも、脱獄よりは簡単そうだし……」

 結局、受けた理由はただ、それだけのことであった。
 二つを天秤に載せ、傾いた方を手に取っただけのこと。
 それと、もう一つ。
 脱獄を目指す彼らはどうにも、ヤミナの超力が程良く効いていたようだったから。

「にしても只野くん凄いなぁ……あの状態から動けるとか、人間辞めてるでしょ普通に」

 仁成の首輪を逃したのは痛いが、以降、彼女には一人殺害するごとに特権ポイントが授与される。
 氷月蓮に齎されたモノと違って前借りは出来なかったが、殺すほどにポイントは増えていく。

「ていうか……あー、怖かったぁー」

 ヤミナは自分の肩を抱き、ぶるりと震えた。
 先程の一瞬、信じられない力で身を起こした仁成が逃走でなく、刺し違えようとしていたら、一体どうなっていたのだろう。
 己は生き延びることが出来ただろうか。
 切り抜けられた自信など、まるでなかった。

「あー思い出したら震えがとまらないよぉぉぉ……ひぇぇ……やっぱり、死ぬとこだったんだぁ……」

 頬についた血を拭いきり、真っ赤に染まった上着を脱ぐ。
 そうすることで、只野仁成の超力の影響化から、彼女は完全に脱していた。

「やっぱ無理ぃ……あたしなんかがジョーカーとか……どう考えたって人選ミスだよぉ……」

 しかし、それは一体誰に向けた演出なのだろう。
 ここには彼女一人しかいないのに。
 一体何に向けて、そのような愚鈍なポーズを取■■■■■■■■。

「ついにヒト殺しちゃったし、トビさんたちも敵に回しちゃったし。あーどうしよ。もう詰みだ。あたし死ぬんだ。人生終わりだぁ~~~~」

 いや、その自己評価は何も間違っていない。
 ヤミナ・ハイドはどうしようもない弱者であり、どうしようもない愚者である。

 短絡的な思考でジョーカーというポジションに飛びつき、脱獄派を裏切り敵に回した。
 そんな頭の足りない女だった。客観的に見て、誰しも認める正当な評価と言えよう。
 彼女はか弱く、愚かで、取るに足りない存在だ。
 きっと、この刑務においても、最期まで生き残ることなど、夢のまた夢であろう。

「はぁ……まあ……でも……死ぬのは嫌だし……やるだけやろぉ……」

 ため息を一つ残して、ヤミナ・ハイドは闇の中を歩き出す。
 とぼとぼと、情けない猫背で進んでいく。
 まあ、それでも、弱いなりにひたむきに出来ることをやるという姿勢には、どこか見る者に応援したくなる健気さを、感じさせないでもなかった。






 かつて、"光の豊島事件"という現象があった。

 それは公的に記録されたテロ事件であったが、多くの者が本質を理解していない。
 事の異常性を把握している者はおそらく、GPAの中でも一部の職員と、そしてあの光に触れた自分だけなのだろう。
 そう、ミリル=ケンザキは考えていた。

 一度の超力行使によって齎された者としては最大規模の人的被害。
 ドーピングによって底上げされたネオスの過負荷。
 他対象、超力干渉能力の暴走。
 そのように断定された並木旅人の超力テロはその実、概念対象能力の極点であったことに、どれ程の人間が気づいているのだろう。

 超力という"世界の概念"そのものに干渉し、力を肥大化させ暴走させる。
 光の直撃を受け、その意志に触れたミリルは知っていた。
 あの日、豊島に流れていた法則(ルール)はただ一つ。

 "超力を持つ者、その全てよ死に絶えろ"。

 適応された空間が限定的であったから、あの程度の被害で済んだに過ぎない。
 もしも並木旅人の力が世界の根幹に届くようなことがあれば、豊島の悲劇は全世界に拡大していた。
 であれば人類皆が超力を持つ現代において、それは文字通りの人類滅亡を意味する。

 概念対象能力による摂理への干渉。
 即ちそれは、世界そのものに対する事象改変。
 その危険度は計り知れない。
 なにしろ、暴挙が行われた事実にすら、人類の誰も気づくことが出来ないのだから。

 如何なる利用価値があろうとも。
 並木旅人を生かしておくなど正気ではない。
 何度、訴えたか分からない。
 即刻死刑に処すべきだ。世界から、一刻も早く排除すべきだと。

 結局、刑務序盤に、かの危険な男は死んだ。呆気ない死だった。
 なのにいま、全く関係のない、存在すら忘れかけていた刑務参加者から。
 彼に通じる恐怖を感じたのは、どうしてか。

 それは他対象、認識阻害の超力とされていた。
 "実につまらない。取るに足りない卑小な超力"と誰もが言っていた。
 誰もが、それを信じていた。

 ミリル=ケンザキは、正義に関する確固たる思想を持たない。
 この刑務に関しても、常に傍観者でありたいと、願っていたことは本心だ。

 だけど、彼女は知っている。
 悪のカタチを知っている。
 かつて同種の、世界最高の悪意に触れたことがあるから。

 鈍い人工光に囲まれたモニタールームで、ミリルは一人、それを見ていた。
 闇の中に隠れ潜む、悪意の侵攻を。

 システムBという、世界間の壁を隔てた、その向こう。
 今、カメラに映っている女の口元が、僅かに動いている。
 たった一人で歩いている彼女の、それは誰に向けた言葉なのだろう。

 虚空に溶けるばかりの言の葉。
 それは、いったい何に向けられているのだろう。
 単なる独り言か。誰かが見ていることを察しているのか、あるいは―――


 ―――ねえ、みなさん。あたしのこと、ナメてましたか?


 世界の理そのものに、願う祝詞であるのだろうか。


 ―――ああ、ならどうか、ずっと、ずっと、そのままで。


 悪とは、法を犯す者。


 ならば、最も悍ましき悪とは―――



 ―――どうか、ずっと、ヤミナに甘(チョロ)いままでいて。



 世界の法則(ルール)を、歪めてしまう者。








【G-7/山岳地帯(移動中)/一日目・夜】










 刑務終了まで、残り約6時間。
 ゆめ忘れぬよう、ここにもう一度記しておく。
 この物語は―――




 ―――登場人物、全員悪人。













【ヤミナ・ハイド】
[状態]:健康、ワールドハッキング
[道具]:ハンドガン、警備員制服、デジタルウォッチ(システムC)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)、只野仁成の左腕
[恩赦P]:22pt、特権50pt
[方針]
基本.強い者(アビス)に従って、おこぼれをもらう
1.刑務官の指示に従い。刑務に反抗する者の殺害に協力する。

※ヤミナはアビスの用意していた最初のジョーカーでした。今後デジダルウォッチに指令が届きます。
 以下、課せられたノルマ。

 ・刑務に反抗する者に12時間同行し、記録を刑務官に転送する(達成済み)。
 ・第三回定時放送の発令まで生き残る(達成済み)。
 ・刑務参加者を3名以上殺害する(1/3)。

※ヤミナのデジタルウォッチには超力構築機構<システムC> 子機が内蔵されています。
 ブラックペンタゴン(システムC親機)に登録された超力(死亡済み参加者のもの)をインストールし、一時的に使用可能です。
 能力の発生源はあくまで子機であり、ヤミナが直接使用しているわけではないようです。

155.バイバイ、アイドル 投下順で読む 157.皆既月食
時系列順で読む
ブルース・イン・ザ・ナイト トビ・トンプソン パッション
ジョニー・ハイドアウト
ヤミナ・ハイド
只野 仁成 懲罰執行

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最終更新:2026年03月14日 09:20